アルノルトがリーシェの髪に触れるお話
アルノルトがリーシェの髪に触れるお話
※本日、2本連続で短編を更新しています。
※こちらは2本目です。
※ファンレターを下さった方のお返事に同封していた短編です。時系列は3章と4章のあいだくらいです。
リーシェの今世は皇太子妃だ。夜会などで着飾ることを考えると、髪は伸ばしておいた方が都合も良い。
けれどもそれは時として、思わぬ事態を招くことがあるのだった。たとえば、その日の昼下がりみたいに。
「――それで、もうすぐ収穫が見込めそうなのです」
リーシェはこのとき、珊瑚色の髪をひとつに纏め、後ろの高い位置で結んでいた。
ポニーテールにしているのは、畑仕事をしたためだ。そこから離宮に帰る途中、アルノルトと鉢合わせたので、隣を歩きながらとりとめのない会話をしている。
「薬に使うのは葉の部分ですが、実が甘酸っぱくて美味しいんですよ。たくさん採れたら侍女にお願いして、ジャムを作ってもらおうかと!」
「だが、それは薬草につく実なのだろう? 多少なりとも薬効がありそうだが、健康な人間が食べて問題ないものなのか」
「ご安心を、加熱すれば薬効はなくなりますから」
胸を張ってアルノルトの疑問に答え、リーシェは笑った。
春の心地よい風が、木々のあいだを吹き抜ける。木漏れ日がきらきらと瞬いて、すぐそばまで伸びている枝が揺れた。
「私の離宮には、お菓子作りの得意な侍女がいるんです。あまり甘くないようにしてもらいますので、殿下も一緒に……、っくしゅんっ!」
「!」
顔を手で覆い、小さなくしゃみをひとつする。
この日は少々風が強く、土埃が舞った所為かもしれない。けれども都合が悪かったのは、くしゃみの瞬間に一際強い風が吹いたことだ。
「――あ」
「リーシェ」
顔を上げようとした瞬間に、くんっと髪が引っ張られる感覚があった。
首の動きが制限される中、リーシェはなんとなく、やってしまったことを察する。
「……もしかして、枝に髪が引っ掛かっちゃってますか……?」
「……」
アルノルトに目線で肯定され、眉を下げた。
絡まっているところに手を伸ばしてみるものの、後ろ手のため分かりにくい。余計に絡ませてしまいそうなので、自分で解くのは諦める。
「殿下。ちょっとだけ、目を閉じていていただいても?」
「……構わないが」
アルノルトが瞑目してくれているあいだ、ドレスの裾をたくしあげる。普段は隠れているリーシェの脚が、太ももの半分近くまで晒された。
(こんな見苦しいところ、殿下にお見せするわけにいかないものね)
太ももにベルトで取り付けた短剣を外し、ドレスの裾を離す。
「ありがとうございます。もう、開けていただいて大丈夫です」
短剣の鞘を抜きながら言うと、目を開けたアルノルトが渋面を作った。
「何をしている」
「何って……解くのは無理そうなので、髪を切ってしまおうかと」
「――……」
すると、アルノルトは更に眉間の皺を深くするのだ。
「そんなことをする必要はない」
「あ!」
アルノルトの手が、短剣を奪ってしまう。
「お前の髪よりも、この枝を切り落としてしまえばいいだろう?」
「だ、駄目ですよそんなの!」
すぐさま実行に移そうとするアルノルトを、リーシェは慌てて制止する。
「この木はとっても繊細で、一流の庭師でも剪定に苦労する種類なんです! 枝の切り口から病気になったら、そのまま枯れてしまうかもしれません」
「だからといって、お前の髪を切る必要はない」
「でも……」
短剣を返してくれなさそうなアルノルトの様子に、リーシェは言う。
「まさか、アルノルト殿下にこれを解いてもらうわけにも参りませんし」
「…………」
どんな惨状かは分からないが、自然物に絡んだ髪を解くのは大変だ。
アルノルトもきっと、リーシェの髪を切るのが一番だと分かってくれるだろう。けれども彼はリーシェを見て、いともたやすく言ってのける。
「――分かった」
「え」
そしてアルノルトは、リーシェの短剣を鞘に仕舞うと、それを返してくれたあとで手を伸ばした。
「あ、アルノルト殿下!?」
「少しのあいだ、このままじっとしていろ」
髪の先に、アルノルトの手が触れたのが分かった。
リーシェにとっては高い位置だが、アルノルトには目線と同じ高さである。そのためか、アルノルトは本当になんでもなさそうな表情だ。
(……とはいえ……)
ここでの重大な問題は、アルノルトがリーシェの正面に立っていることである。
(……か、顔が近いのですが……!?)
なにしろこれは、お互いに向き合った格好で、アルノルトの両手がリーシェの後ろに回されている状態だ。
抱きしめられる直前のような、なんともいえない体勢だった。
(うう……)
邪魔にならないように俯くが、そうでなくとも顔を上げられそうにない。なにしろ、真剣な表情をしたアルノルトが、丁寧にリーシェの髪へと触れている。
「もう少し下を向け」
「は、はい……」
言われた通りにすると、前傾になるせいでますます近くなった。ともすればリーシェの額が、アルノルトの体に触れてしまいそうだ。
(汗の匂いとか、大丈夫かしら)
畑仕事をしていた所為で、そんなことも気になってしまう。ぎゅっと縮こまっていると、上からアルノルトの声がした。
「……お前の髪は細いな」
「す、すみません」
「それに、随分と柔らかい」
「ごめんなさい……」
その所為で、こんな風に絡まってしまったのだ。
アルノルトに面倒を掛けているのだから、あまりにも申し訳ない気持ちになる。だが、アルノルトは訝るような声で言った。
「謝るようなことではないだろう」
「……でも」
「それに、俺は褒めているつもりだが」
「……え」
驚いて、思わず顔を上げてしまった。
すると、至近距離に見上げたアルノルトが、真っ直ぐにこちらを見下ろして言うのだ。
「綺麗な髪をしていると、そう思う」
「っ、ほあ……!?」
率直な賛辞を向けられて、一気に恥ずかしくなった。
絶句したリーシェを前に、アルノルトが目を細める。そして、こんなことを言うではないか。
「……俺が触れても、髪ならば動揺しないと思っていたが、必ずしもそういうわけではないのか」
「な、そ、それはどういう……」
「――別に?」
にやりと意地悪そうな笑みを向けられて、リーシェは頬が火照るのを感じる。
(またからかわれてる……!!)
「ほら。取れたぞ」
「!」
引っ掛かりが解けるような感覚のあと、するりと髪を梳くように撫でられる。
ポニーテールにした髪が、後ろでふわりと揺れるのを感じた。リーシェは真っ赤な顔のまま、その尻尾を後ろ手に押さえつける。
「あっ、あり、ありがとうございました……!!」
「……このくらいなら、いつでもしてやる」
やさしい言葉を向けられて、ますます落ち着かない気持ちになった。だが、アルノルトが再び歩き始めるので、急いでそれについていく。
「あの木も傷まずに済んだようです。これならちゃんと夏頃には、綺麗なお花が咲くことかと……」
「そんなことより」
花なんかどうでもいいという顔をして、アルノルトがリーシェの手元を指さす。
「その短剣はどこから出たのか、説明を聞いた方が良さそうだな」
「!!」
隠していた武器を指摘され、リーシェは思いっきりそっぽを向いた。
「な、なんのことだか!!」
「今更背中に隠したところで、意味があると本気で思うのか……?」
アルノルトだって、どうせ短剣の存在を見抜いていたくせに。
そんなことを思いつつも、リーシェは誤魔化しに足掻いてみる。そうして、アルノルトが褒めてくれた髪の先を、さりげなく指先で摘むのだった。