318 永遠の石
318 永遠の石
【7章5節】
懐中時計を閉じる音が、薄暗い室内に小さく響いた。
その部屋は、深い青色を基調に作られている。室内にいくつも灯された燭台の灯りが、紺色の天蓋や飴色の丸机を照らしていた。
密に編み込まれた絨毯は、滑らかな毛足を持っていてふかふかだ。
リーシェがこの部屋を設えたときに比べ、本棚や書類棚は増えているものの、いつまで経っても生活感はない。
「リーシェ」
博物館のように整然とした部屋の中で、主であるアルノルトが、こちらを見下ろして尋ねてきた。
「……何故、むくれている」
「…………」
離宮にあるアルノルトの寝室で、リーシェはちょんと長椅子に座り、言われた通りの表情をしている。
「むくれているのではなく、悔しいのです! 先ほどのアルノルト殿下を、おひとりにしてしまったことが……」
近衛騎士から『襲撃あり』との報せを聞いたとき、リーシェはすぐさま察したのだ。
あれは決して、アルノルトが賊を処理している間に、偶然また戦闘が起きた訳ではない。
(殿下が敢えてあの場に留まり、賊を誘き出そうとなさるなんて!)
だからこそアルノルトは、リーシェをザハドに送り届けさせ、ひとりになる状況を作ったのだ。
(ザハドとの探り合い中だったとはいえ、アルノルト殿下の真意の更に裏まで、読み切ることが出来なかった。本当に、何処までたくさんのことを隠していらっしゃるのかしら……)
リーシェがそこに駆け込んだときには、アルノルトはとうに剣を納め、賊を制圧し終えていた。
今度こそ離宮に戻り、アルノルトの帰りを待っていたリーシェは、こうして不服を表明している。アルノルトはそんなリーシェの前に立ち、柔らかな言葉で宥めていた。
「元よりあれは、俺の『公務』だ。お前やザハドが残っている必要など、何処にもなかった」
「分かっております。……ですからこれは、私の、我が儘で……」
「…………ふ」
(笑った……!)
リーシェが拗ねているさまが、そんなにお気に召しただろうか。少し恥ずかしくなりながらも、重ねて伝える。
「と、とはいえ! いくら賊を捕らえる目的がおありでも、ご自身を囮になさるような手法はおやめください。万が一ということだって……」
「次に俺が同じことを言ったとき、お前もちゃんと聞き入れるのか」
「!? そ、それは……!!」
日頃どれほどアルノルトに甘やかされているかを再認識し、リーシェはむぐぐと反論をやめた。
アルノルトはリーシェに手を伸ばすと、頭を撫でてくれながら言う。
「婚姻の儀では、お前も民衆の前に出る場面がある。城下の治安は維持しておくべきだ」
(……このお言葉に、きっと嘘はない。けれど)
リーシェは目を細め、複雑な想いでアルノルトを見上げる。
(城下にひとり残られた理由は、他にもおありのはず)
リーシェの脳裏に過ぎるのは、これまでの光景だ。
(アルノルト殿下の成されることには、いくつもの意図と仕掛けがあるもの。これまで殿下が手配なさったこと……他の方々へのご命令や、殿下が動向を計算し得る方の動きに、何かが隠されている可能性は?)
先ほどの路地裏で、ザハドと交わしていた会話を思い出す。
アルノルトが、今の時点で兵力を集めている理由について、どうしても嫌な胸騒ぎがするのだ。
(もしも、アルノルト殿下に何か『大きな目論見』がおありなら。それがもうすぐ起きるのなら……これまでの人生とは、きっと何かが違っている)
過去六回の人生において、いまの時期に、ガルクハインでの有事は発生していない。
けれどもそれが、この七回目の人生で起きてしまうかもしれないのだ。
(そうだとしたら。これまでのすべての人生と比較して、この七回目でだけ存在している、アルノルト殿下の手札は……)
リーシェは小さくくちびるを結び、自身の左手の指輪に触れる。
(――私との、婚姻の儀)
「…………」
頭を撫でてくれていたアルノルトの手が、最後に髪を梳くようにして、ゆっくりと離れた。
「……お前の方は、問題なかったのか」
「問題、ですか?」
アルノルトに、帰路におけるザハドとの会話を尋ねられることは覚悟していた。隠し通す準備もしていたのだが、懸案は別にあったらしい。
「父の正妃が、お前を訪ねてきたのだろう。――何を話した?」
(…………あ)
ふたつ、思い浮かべたことがある。
『青い瞳と黒の髪が、陛下と同じ。……その裏に隠された、本当の生存条件は、何かしら』
たくさんの実子を殺してきた皇帝アンスヴァルトが、アルノルトを生かした理由。
フロレンツィアは、それについての疑問を述べていた。
(……もっと確かな情報を得てからでないと、アルノルト殿下にはお伝えしたくない)
だからこそリーシェは一度、こんな風に答えてみる。
「何事もありませんでした。昼間のお茶会が中断されてしまったので、続きのお喋りをしただけです」
「わざわざあの時間に尋ねてきて、それで済んでいるはずもないだろう。――お前が正妃を庇っているのであれば、正妃に遣いを出して追求するが」
「…………それは」
アルノルトはフロレンツィアを咎めるつもりだ。けれど、そうなることは本意ではなかった。
だからリーシェは覚悟して、口を開く。
「――ダイヤモンドという宝石は、凄まじい硬度を有するものです」
「…………?」
脈絡のない言葉を紡いでも、アルノルトは遮ることはせず、続く言葉を待ってくれた。
「その輝きと頑強さから、『永遠』という言葉を重ねる文化も、各地域で見られるそうでして」
「……永遠」
世界各国を巡ったはずのシルヴィアも、ダイヤモンドに永遠を重ねると話していた。
リーシェが思い浮かべるのは、正妃フロレンツィアの胸元に輝く首飾りだ。
「『大きなダイヤモンドは、不老不死の薬になる』と考えた権力者もいるそうですよ? だからどうにか飲もうとして……高温で焼けばどうか、と試したそうです」
薬師の人生において、師だったハクレイから聞いた実話を語りながら、リーシェは苦笑した。
「そうするとなんとダイヤモンドは、跡形もなく燃えてしまったのですって。――灰すらも、残らなかったとか」
「…………」
錬金術師の人生で、先生だったミシェルにも尋ねたことがある。ミシェルはその手で実験したこともあったようで、リーシェに仔細を教えてくれた。
そしてリーシェは、ダイヤモンドにも永遠がないことを知ったのだ。
「人の精神もきっと同じなのでしょう。少しは強くなったつもりでも、手法が変われば壊れるかもしれません。フロレンツィア陛下には、そのことを学ばせていただいただけです」
すると、アルノルトが僅かに眉根を寄せた。
「――お前の両親の話だな」
(……やっぱり)
先ほど、この離宮でフロレンツィアに告げられたのは、アルノルトのことだけではない。
『ご両親の理想通りに振る舞っても、「良い子」とすら言われなかったでしょう』
『あなたを守るために、たったひとりでも怒ってくれた? ……王太子から婚約破棄を言い渡された娘を、庇ってくれたはずもないわよね』
あれはリーシェを揺さぶるため、敢えて選ばれた挑発の言葉だ。
だからこそ、それをアルノルトに打ち明けたりはしない。その代わり、彼に告げるべきことがあった。
「私の両親が参列しない件で、アルノルト殿下が難しいお顔をなさった理由。それが何故なのか、ようやく分かりました」
「…………」
「アルノルト殿下は、私より先に気が付いて下さったのですよね?」
僅かに目を細めたアルノルトを見上げて、リーシェは笑う。
「私が、両親の選択に、少しだけ傷付いていたことを」
「…………」