326 砕くべき宝石(第7章5節・完)
326 砕くべき宝石(第7章5節・完)
「今のアルノルト殿下がお持ちの手段は、武力や政略ばかりでは、ありません」
リーシェは静かに言葉を刻む。これは、アルノルトがリーシェを叱るときの真似だ。
「私という、新たな武器がおありのはず」
「…………」
アルノルトの透き通った青い瞳に、ただひとつ。
リーシェの姿だけが映り込んでいた。
「確かにこれまでの状況であれば、あなた方が皇帝陛下を通すことなく、フロレンツィア陛下を止める手段はありませんでした。……けれど、もう違うでしょう?」
ここには、正妃フロレンツィアと対話をする資格を得た、リーシェが居るのだ。
「私の願いを叶えるためなら、私自身を利用するべきです」
アルノルトが、ほんの僅かに眉根を寄せる。
「……リーシェ」
「私はアルノルト殿下の剣として、戦うことが出来ます」
両手でアルノルトの頬をくるんだまま、祈るように告げる。
陶器のように滑らかな肌は、こうして触れると案外柔らかいことを、リーシェはちゃんと知っていた。
「あなたに忠実にお仕えする、侍女のようにも尽くせます。人々の病を癒すことに奔走する、薬師のように振る舞うことも……新たな技術や薬品を生み出す、錬金術師のようにあることだって」
これまでの人生をなぞりながら、更に重ねる。
「この国に更なる富を呼び込む、商人のような役割も果たせます。狩人のように情報を探って、各国との関係に目を光らせることも――」
「リーシェ」
アルノルトが、リーシェの手首をやさしく捕らえる。
「俺がお前に、そのような使命を命じると思うのか」
「…………アルノルト殿下」
「お前は、皇族の利や、国益のために連れてきた妃ではない」
決して強引ではないのに、それでも確かな力で、アルノルトがリーシェの手を引き剥がした。
「お前は、俺の妻だ」
「……ならばこそ、私は」
大切に、守ってもらえている。
婚姻を申し込まれたあの日から、ずっと変わらずに。そのことを深く胸に留めながら、リーシェはアルノルトを見上げて言った。
「――まもなくガルクハイン皇太子妃、『リーシェ・イルムガルド・ハイン』となる者として、お誓い申し上げます」
「!」
アルノルトが、微かに息を呑んだ気配がする。
「あなたの望む未来を、武力以外の方法で切り開く、と」
リーシェは少しだけ目を伏せて、指を伸ばした。
「誰の血も流させず、命を揺るがされることもない、その手段を必死に探して……」
アルノルトが黒色の剣を持つ手に、重ねるようにしてそっと触れる。
この先の未来に続く、あの恐ろしい戦争を思い出しながら。
「あなたの前に、掲げ続けます」
そうしてリーシェは、再び青の瞳を見据える。
「ガルクハイン皇太子、アルノルト・ハイン殿下の、妻として」
「――――……」
アルノルトは、きっと何かを言おうとした。
けれども言葉にすることはなく、その青色の目を細める。 眩 ( まばゆ ) いものを見下ろすかのような、遠くのものを眺めるかのような、そんなまなざしで。
(私のことを、あんなにたくさん、妻だと呼んでくださるのに)
これまでのことを思い出して、少しだけ不思議な気持ちになった。
(私からそう名乗るときは、こうしてどこか、実感の無さそうなお顔をなさる……)
だからリーシェは、敢えて表情を綻ばせるのだ。
「おねだりしたいことがございます。殿下」
「…………なんだ」
律儀に尋ねてくれる声は、潮騒のように穏やかだった。
リーシェはアルノルトの剣を抱え、我ながら場違いなお願いをする。
「婚姻の儀の本番でも、花火を上げてくださいますか?」
「………………」
するとアルノルトは溜め息をつき、少し呆れた声で言うのだ。
「……もう、その予定でいる」
「!」
その返事に、世界がぱああっと輝くような心地がした。
(未来は確実に変わっているわ。……少しずつでも、途方もなくとも!)
リーシェはそれを、心から信じる。
「必ず誰の血も流さず、婚姻の儀を遂げます。絶対に!」
「……本当に、お前は……」
すると、しばらく沈黙していたザハドが、小さく肩を竦めた。
「随分と、熱烈な誓いだな。……アルノルトが、羨ましいほどだ」
「ザハド陛下?」
リーシェが首を傾げると、ザハドはどこか面白がるように笑って言った。
「水を差すようだが、ぜひ聞きたい。――正妃殿のクーデターを止める。それも、皇帝陛下にお目溢しいただける状況のうちにというのは、かなりの難関に思えるのだが」
「はい。絶対に達成しなくてはならないものとはいえ……」
ザハドの言葉に頷いて、リーシェは思考を整理する。
「フロレンツィア陛下は、この主城の上階にいらっしゃいます。ザハド陛下や騎士さまはおろか、アルノルト殿下の立ち入りさえ、原則的には許可されていない領域」
フロレンツィア自身は城に留まりながら、塔にある鐘の合図を使って、城下に潜ませた兵たちを動かそうとしているのだ。
(城下で混乱を起こすことで、城内の兵力を外へと陽動。その間に手薄になった皇城で、少数精鋭をもって皇帝陛下を殺すことが、狙いでいらっしゃるはず)
「勝算はあるのか。リーシェ殿」
(事態が起こってしまう前に、私が出来ること。……それは)
張り詰めた戦場のような空気の中、リーシェは扉へと歩みを進めた。
目を瞑り、心の中にあった違和感を口にする。
「フロレンツィア陛下には、迷いがおありなのかもしれません」
「……ほう?」
ザハドは、興味深そうに首を傾げた。その仕草からは、大型の肉食獣のような余裕を感じさせる。
「入念に、夫殺しの準備をしてきたお妃殿がか。リーシェ殿には、その確証がおありで?」
「生憎と、それはまだ……ですが」
アルノルトの剣を腕に抱いて、リーシェはゆっくりと目を開ける。
「あのお方の『欲しいもの』を、当てられたら……」
「……?」
フロレンツィアの謎掛けを知らないザハドが、どうやら興味を持ったようだ。
「リーシェ」
アルノルトの声が、リーシェの背中に問い掛けた。
「俺とザハドは、城下の兵が動くのに備える必要がある。……分かるな」
「ええ。フロレンツィア陛下との対峙は、私ひとりで」
アルノルトとザハドを振り返る。
決戦の前夜によく似た、凍るほど冷たい空気の中で笑う。
(戦いに向かう、騎士としてではなく。和平のための交渉こそが、皇族としての戦場……)
かつてのフロレンツィアが、未来の夫となる皇帝アンスヴァルトの前に、真っ直ぐ歩み出たときのように。
「――叛意という名の宝石を、砕かせていただきに参ります」
それこそが、未来のアルノルトの戦争を止めるための、確実な一歩になるのだから。
-------------------------------
第7章 6節へ続く
X(Twitter)で次回更新日や、作品の短編小説、小ネタをツイートしています。
https://twitter.com/ameame_honey
よろしければ、ブックマークへの追加、ページ下部の広告の下にある★クリックなどで応援いただけましたら、とても励みになります!