327 命運を握る者
327 命運を握る者
【7章6節】
主城に伸びる一本の廊下を、リーシェは真っ直ぐに歩いていた。
響く足音は、リーシェとザハドのふたり分だけだ。各所に配置されている騎士の気配も、至って普段通りである。
「今夜も実に、良い夜だな」
「……ええ。ザハド陛下」
そのことが、リーシェには却って恐ろしい。
(もうすぐ、皇都が戦場に変わる可能性があるのに、人々は穏やかに過ごしているわ)
誰かに怪しまれないよう気を付けながら、ほんの僅かに歩調を速める。
(フロレンツィア陛下の計画は、それほど入念なものだった。お相手がお義父さまやアルノルト殿下でなければ、誰にも見抜けなかったかもしれない……)
「……アルノルトは、騎士たちに指示を終えた頃だろう」
笑って目を伏せたザハドが、潜めた声でリーシェに言った。
「よもやあいつが、他者の意向で策を変えるとはな」
「…………」
リーシェは隣のザハドを見上げ、すぐに俯く。
「本来なら有り得ないことだとは、承知しています。……私が誤った一手を打てば、アルノルト殿下はその時こそ、フロレンツィア陛下と兵を掃討なさることも」
こうして与えられた猶予は、絶対に無駄には出来ないものだ。
(皇都が戦火に呑まれるか。あるいは、フロレンツィア陛下が失敗し、亡くなるか……)
アルノルトや皇帝アンスヴァルトが見ているのは、どちらかの結末だけなのだろう。
(それでも、私は……)
そのときだった。
「――リーシェ殿」
「え……」
隣を歩いていたザハドが、リーシェの手を掴む。
「!」
そのまま床に跪かれて、リーシェは思わず息を呑んだ。
「この国の命運は、世界をも左右する」
「ザハド陛下……!?」
一国の王が、他者の妃になる人間に、膝をついている。この光景の異常さを、ザハドだってきっと自覚していた。
「貴女の覚悟を、問わねばならない」
それなのにザハドは、悠然とした笑みを浮かべて言う。
「――アルノルトは、俺の同類だ」
「……っ」
赤い瞳に、肉食獣のような光が灯っていた。
「血縁者であろうと、美しき未来の妻であろうと、己の目的のために喰らい尽くす」
「…………」
商人の人生で、リーシェにだけ語られたことを思い出す。
(あの時のザハドと、同じまなざし……)
ザハドもかつて、父を殺した。
リーシェが何もかも理解していると告げれば、彼はどんな顔をするのだろうか。
「俺たちは貴女が思う以上に、戦場に染まった思考を持っているんだ。……貴女の知らない、本物の戦場についてのな」
ザハドに握られた自身の手を、リーシェは静かに見下ろした。
(……知っているわ)
そのことを、決して口にはしない。
(本物の戦場が、どんなものか)
「アルノルトにとっての最善は、リーシェ殿の願いを叶えることではない」
知っている。
(アルノルト殿下が、戦場でどんな振る舞いをなさるのか……)
リーシェはちゃんと、分かっていた。
(本当は、フロレンツィア陛下が『成功』することこそが、アルノルト殿下の望まれる道かもしれないことも)
ザハドに捕らえられていない方の手で、小さくドレスの裾を握る。
(――このクーデターを利用すれば、お義父さまを殺せる)
フロレンツィアの起こそうとしている凶事は、二年後のアルノルトが遂げることでもあるのだ。
フロレンツィアを止めず、それどころか手を貸しでもすれば、アルノルトの計略は叶う。
リーシェの願いを、切り捨てた上で。
「……アルノルト殿下は」
「うむ」
小さく呟いたリーシェのことを、微笑んだままのザハドが見詰めた。
「私に対する秘密が、とっても多くていらっしゃいます」
「ははっ。……ああ、そうだろうな」
ザハドが目を細める仕草は、何処か妖艶で神秘的だ。アルノルトとは違った形で、何もかもを見透かされる気分になる。
「いつもはとっても優しいけれど、時々は意地悪ですし。嘘だって、おつきになります」
「…………」
リーシェに求婚した理由を尋ねれば、惚れ込んだからだと偽りを言う。そのことをまた思い出して、少し拗ねたい気持ちになった。
「そうだな」
ザハドはまた笑い、それでいて、どうしてか暗さを帯びた声音で言おうとした。
「俺たちは、信用されるに値しないものだ。決して――」
「ですが」
リーシェはザハドのことを見据え、はっきりと告げる。
「――私との約束を、絶対に守って下さるお方です」
「!」
ザハドが僅かに目をみはった。
だからリーシェは、にこっと笑い、そのままザハドの手を引くのだ。
「ここを戦場にしないために、私があのお方の剣となるのです。ですから、戦場特有の冷酷なお考えを、アルノルト殿下が行使なさることもありません」
「リーシェ殿……」
「ふふっ」
リーシェに促されて立ち上がったザハドが、なんだかきょとんとした顔で、こちらを見下ろす。
「ごめんなさい。……少しだけ、私だけが知っているアルノルト殿下を、自慢しました」
「――――……」
ぱちりとひとつ瞬きをしたザハドが、可笑しそうに笑った。
「実に妬ける。……本当に、な」
X(Twitter)で次回更新日や、作品の短編小説、小ネタをツイートしています。
https://twitter.com/ameame_honey
よろしければ、ブックマークへの追加、ページ下部の広告の下にある★クリックなどで応援いただけましたら、とても励みになります!