328 約束
328 約束
(そんな言葉で、誤魔化すけれど……)
心の奥で、気付かれないように観察をする。
(ザハドはやはり、アルノルト殿下がいずれ起こす弑逆と戦争について、何か察しているのだわ)
そしてあるいは、ザハドの方も。
リーシェが知っていることについて、とうに見透かしているのではないだろうか。
(……だけど)
今すぐに探ることはしない。
それよりも、廊下の向こうから近付いてくる気配を察して、リーシェはそちらに駆け出した。
「アルノルト殿下!」
「…………」
騎士たちへの指示から戻ったアルノルトの、懐に飛び込む。
アルノルトは、そんなリーシェを受け止めるかのように、背中へと触れた。そして、リーシェを見下ろす。
「報告が入った。城下に潜伏する正妃の兵が、陣形を狭めつつある」
「もう既に、そんな段階へ……?」
あと少しで、皇都の多くが眠りに静まる。フロレンツィアはそれを待って、戦火を上げるつもりだろうか。
(フロレンツィア陛下が鐘で城下に『合図』をなされば、兵が動く。まずは、絶対にそれを防がなくては)
「ここから主城の上層階へ繋がる門も、恐らくは閉鎖されているはずだ」
青色の瞳が、僅かに眇められる。
「お前が正妃の元に向かうための経路は、塞がっている」
「…………」
「リーシェ」
アルノルトの静かな声が、淡々と尋ねてきた。
「――――俺が、こじ開けてやろうか?」
「…………っ」
背筋に小さな寒気が走る。
アルノルトは、リーシェがここで頷けば、どんな手段も使うかもしれない。
(……フロレンツィア陛下に近付くことは、お義父さまに近付くこと)
ふたりは居城を共にしているのだから、当然である。
(フロレンツィア陛下をお止めするためだからといって、お義父さまに看過いただけないような騒ぎを起こせば、結末は最悪のものに成り得るわ。だからこそ)
リーシェは首を横に振った。
「アルノルト殿下は、城下の守護を」
「…………」
アルノルトがリーシェを手元に留めたまま、後方を見遣った。
「ザハド。先に行け」
「はは、人使いの荒いやつだな! よかろう」
ザハドは泰然と笑ったあと、廊下をひとりで歩き始める。それでも、リーシェたちを追い抜く瞬間に、一度だけ足を止めた。
「貴女がこの国に呼び寄せる命運を、楽しみにしている」
砂漠に沈む太陽と同じ、燃えるような赤色をした双眸が、心底から楽しそうに揺らぐ。
「さあ。……『空の宝石箱』を、どう壊す?」
(……宝石箱)
商人だった人生でも、ザハドは自身の後宮を、そんな風に表現することがあった。
そして恐らくは、このガルクハインの『塔』のことも。
(私は……)
ザハドの背を送り、アルノルトを再び見上げようとした、そのときだった。
「!」
アルノルトが、リーシェをぐっと抱き寄せる。
「あ、アルノルト殿下……!?」
リーシェの心臓が跳ねたことを、アルノルトには悟られただろうか。
その指が、リーシェの顎を掬った。口付けをされそうなほどの近しさで、アルノルトと深く視線が重なる。
「――――甘い香りがする」
「これ、は……」
同じことを、先日も告げられた。
このところのリーシェは、肌や髪を磨き上げるべく、とても心を砕いている。甘やかな花や果物から作った美容液を、入浴の度に丹念に塗り込めて。
それはすべて、たった一日の儀式に注ぐものだ。
「婚姻の儀のために、ずっと支度をしてきたのだろう」
「…………っ」
その言葉に、リーシェは小さく息を詰める。
「……忘れるな」
アルノルトは、すべてを知ってくれているのだ。
「お前がひとつでも、傷を負えば」
リーシェが、純白に刺繍を施した婚礼衣装を纏うのを、とても楽しみにしていることも。
「この髪の、たとえ一糸でも、切られれば……」
髪型について、最後まで悩んでいることも。
背中に回された手が、リーシェの珊瑚色をした髪を撫でてから、ゆっくりと離れる。
「……その存在を、俺が許すことはない」
「……殿下……」
本当ならばアルノルトは、怪我をするなと言い含めたいのだ。
けれどもそんな約束に、リーシェが頷かないのは知られている。それでも、今回ばかりは違っていた。
「……分かりました」
アルノルトの小指をきゅっと握り、リーシェは微笑む。
「あなたの妻は、あなたの望むままに。……アルノルト殿下に相応わしい花嫁として、隣に立ちます」
「――――……」
そう告げると、アルノルトはひとつ瞬きをする。
「ふふ」
リーシェは照れ臭くなって、小さく笑った。それからすぐに指をほどき、ひとつ呼吸をする。
「……それでは殿下は、どうか兵を。私は、フロレンツィア陛下の元へ向かいます」
アルノルトのまなざしに、安心してもらうための言葉を続けた。
「ご安心を。ひとりで門をこじ開けて強行突破など、絶対に致しませんから! だって……」
リーシェは小首を傾げると、口元に人差し指を翳し、悪戯めいた秘密の計画を打ち明ける。
「私、『植物』にはちょっぴり詳しいのですよ?」
「………………は?」
アルノルトが、怪訝そうに顔を顰める。もちろん、これが唐突な宣言だとは承知の上だ。
(城下は今夜、フロレンツィア陛下の合図によって、戦場に変わるかもしれない。――城下を混乱に陥れることも、アルノルト殿下がそれを鎮めるために剣を抜くことも、フロレンツィア陛下の皇帝暗殺も止める……)
そのことを、自分自身に強く命じた。
(私の任務は、フロレンツィア陛下によるクーデターの鐘を、一度たりとも響かせないこと……!)
***
X(Twitter)で次回更新日や、作品の短編小説、小ネタをツイートしています。
https://twitter.com/ameame_honey
よろしければ、ブックマークへの追加、ページ下部の広告の下にある★クリックなどで応援いただけましたら、とても励みになります!