LNCrawler

深淵卿第三章 樹海防衛戦⑤ 夜明けを共に

ありふれた職業で世界最強 — ncode.syosetu.com · All chapters

深淵卿第三章 樹海防衛戦⑤ 夜明けを共に

「「「「「オン キリキリ ウンハッタ!! 綜 ( す ) べて綜べよ、金剛童子っ。 膝 ( ひざ ) ひっしと綜べよ、童子、 搦 ( から ) めよ、童子! 不動明王の 正末 ( しょまつ ) の本誓願を以てし、この悪魔を搦めとれとの大誓願なりッ!!」」」」」

樹海の中に不動明王金縛り秘法の呪言が朗々と響く。

ご老公を筆頭にほぼ全ての土御門が、神話の怪物の影を縛り上げ封じようと全身全霊を尽くしている。

頭上へ二十メートル超、八つの首に尾。体躯は濃密な瘴気に包まれて判然としないが前後左右に十メートルほど。影の奥から現世を覗き見るような鬼灯色の眼が爛々と輝いている。

八岐大蛇 ( やまたのおろち ) ――伝承では八つの谷と山にわたる巨大さを誇り、腹は常に血塗れでただれているという。

所詮は〝龍〟により部分的に召喚、あるいは再現されたに過ぎないが故に、この程度で収まってくれたのは不幸中の幸いだ。

だからこそ、八岐大蛇を中心に、星形の頂点五カ所に散らばる形で包囲することもできているのだから。

「「「「「――ウン アナウヤコクバギャバン バザラウンハッタ!! つなぎ留めたる津まかいの綱、行者解かずんば、とくべからずッ!!」」」」」

巨大な輝く五芒星が八岐大蛇を内包する。全方位から圧迫するような束縛封印の力が発動した。

そこへ、奇しくも同じ呪言が、しかし、異国の言葉で重なった。

「「「「「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前ッ」」」」」

『『『『『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!!』』』』』

すなわち九字法。呪言と共に、刀印を以て宙に四縦五横に線を切ることで、一切の魔を切断し 降伏 ( ごうふく ) 退散させる調伏法だ。

一方は、藤原陽晴が率いる藤原一族。

もう一方は、 真影 ( ヂェンイン ) が率いる〝影法師〟の一派。

陽光の如き 波濤 ( はとう ) と、闇夜の如き奔流が、それぞれ樹海を北と南で二分するかのように放たれる。

八岐大蛇と、そして〝影法師〟が相手取る伝説の大蛇――同じく瘴気を圧縮したような輪郭のぼやけた姿で、しかし、奇妙にうごめく二十メートル超の体躯と一本角を持つ〝 夜刀神 ( やとのかみ ) 〟は、端からホロホロと崩されるようにして、その巨躯を縮小させていく。

おまけに、この戦場を蹂躙せんと全方位から迫っていた大小様々な〝蛇龍伝承の影〟も、小さいものは掻き消され、巨大なものも動きを止める。

総数二百人の大陸の道士と極東の陰陽師が放つ退魔の術は、なるほど、精鋭に相応しい威力を持っていた。

八岐大蛇と夜刀神以外の全ての蛇龍を食い止めるべく奮戦する保安局強襲課特殊部隊、エクソシスト、そしてハウリアが、〝龍の影〟の覚醒以降ずっと感じている精神の奥底にぬるりと入ってくるような怖気を振り払うようにして歓声を上げる。

だが……

「っ、来ます!! 備えて――」

音は、聞こえなかった。

ただ、魂に衝撃が来た。と錯覚するような咆哮。矮小な羽虫の不遜に対する憤怒……あるいは、ただの苛立ちの声か。

無音にして不可視の衝撃が八岐大蛇より放たれ、今のだけで意識を飛ばす者、辛うじて意識は保ったものの膝をついて呻き声を上げる者、まるで思考停止を強いられたみたいに呆然とする者が続出した。

当然、土御門や影法師が展開していた〝縛りの術〟も維持などできるはずがなく、陽晴や真影ですら苦しげに胸元を押さえ、よろめいてしまっている。

たった一撃。呪詛を孕んでいたとしても、ただ咆えただけである。

それだけで戦線が崩壊しかけた。

故に、神話の怪物。

たとえ本来の千分の一にも届かないレベルだったとしても、数百人程度の術でどうにかなるほど容易い存在ではなかった。

死者ないし発狂者が出なかったのが、せめてもの救いだ。アーティファクトによる魂魄守護のおかげだろう。

エミリーがハジメ側に連絡を取った直後、追加で〝魂殻〟やアラクネ医師団、銃弾や回復薬などの支援物資が届けられたので、今は〝影法師〟の術者達も装備しており、どうにか耐えられている。

だが、夜中から、もうそろそろ夜が明ける今の今まで戦っていた故の根本的な疲弊はいかんともし難い。肉体だけでなく、精神の疲労はどうしようもないのだ。

おまけに、苦笑いを禁じ得ないことがもう一つ。

「チッ。案の定、直ぐに復活しやがったなっ」

「くそったれ! 今、航空支援してくれる奴がいたら、俺ぁ喜んで尻尾を振るぜ!」

「戦車は歩兵の女神。はっきり分かんだね!」

「この戦場にはどっちも来ねぇがな!!」

バーナード率いる強襲課の面々が軽口を叩く。弱気を振り払うように。

その銃口の先には、九字法で消し飛んだはずの〝蛇龍の影〟が、否、特殊弾で吹っ飛ばしたはずの数多のそれらが、何事もなかったように復活し押し寄せてくる光景があった。

地面から噴き出た瘴気が、彼等に無限の再生力を与えているのだ。当然、それは八岐大蛇や夜刀神も同じ。

おそらく、〝伝承再現の瘴気〟ともいうべき〝龍〟の権能の一つなのだろう。

「はいはい、いつまでもサボってないでしゃきっとなさい! 起きられない子はエミリーちゃんのもとへ送るから、さっさと復活して戻ってくるのよ!」

ヴォンッと空気が震えるような音が響き、部隊員の頭上で光が薙ぎ払われた。

魔力を帯びてライト○ーバーみたいになっている小太刀二刀を、バトン回しでもしているかのような流麗さで振るうのはラナだ。彼女だけではない。戦場のあちこちで光の剣が縦横無尽に振るわれている。

「口を開く暇があるなら敵を殺せ!」

「ボスの命令です! 奮起しろぉ!」

カムとネアの叱責も振るわれた。

驚くべきことに、ハウリア一族は誰一人として戦闘不能になっていなかった。八岐大蛇の咆哮を受けても、多少怯んだ程度。陣形の内側に絶えず出現する蛇龍の影、あるいは弾幕を抜けてきたそれらを狩り殺していく。

そのついでに、回復薬を倒れた者達にぶん投げて試験管型の容器を割れるに任せて中身をぶっかけつつ、それで回復しそうにない者は小石型転移アーティファクトを使って祠の救護所へと送っていく。

流石に、いつもの香ばしい言動とポーズを決める余裕もなく必死の形相だが、その手際と覇気は瞠目するに値した。

「潜ってきた修羅場が違うということか?」

「窮地での士気の保ち方が異常ですね。リーダーが何をせずとも、個々人の精神力が凄まじいですよ」

「流石は浩介さんの正妻様の一族ってことですかね。クレア姉さんは大変だ」

エクソシスト組、ウィンとアンナ、そしてアジズが大量の汗を流しながら神器を握る手に力を込める。

この戦場において、エクソシストは戦闘に参加できていなかった。というのも、陰陽師と影法師が二つの伝説を相手にするのにかかりきりなので、他の〝蛇龍伝承の影〟が放つ呪詛や毒、そのほか超自然的な能力からの守護を全て受け持たなければならないからだ。

その最たる者はクラウディアだろう。

『主よっ、我等を堅く立たせますよう! 主の聖なる砦にてっ、っ、くぅっ、救いを求める者をお守りください!!』

エクソシストの聖句が唱え続けられる。

それが、この戦場を戦場たらしめている。そうでなければ、既に死者が出ていたかもしれない。

原因は、ここに卿がいないのと同じ理由。

そう、この戦場には卿も、その分身体の一体すらもいない。総数千体、全戦力が天上に広がる禍ッ雲の、更に上にいる。

そこで、〝龍の影〟と戦っているのだ。雷鳴が乱打される太鼓の如く鳴り響き続け、風雨は激しさを増し、微震が絶えず続いている。

刻一刻と激しさが増しているようで、そのうち落雷が豪雨の代わりとなり、風雨は大型台風じみた勢力に拡大し、地揺れも本格的に被害を生じるレベルになることは想像に難くなかった。

エミリーが収集した情報によれば、この揺れも天候も日本全土で起きているとのこと。それどころか、東日本は徐々に気温が上昇しており、対して西日本は下がり続けているという異常気象が起きており、更には日本の近海も荒れ始めているという。

メディアはどこも臨時ニュース一色に染まっていて、天変地異を前に有識者が惑乱の絶叫を上げ、政府の原因不明である旨の発表に罵声を飛ばしているのだとか。

〝龍〟の脅威は破格だ。本気も本気の卿が全力で相手をして仕留めきれないどころか、戦闘の余波を防ぎ切れず、現在進行形で樹海に降り注ぐ落雷や竜巻、不可視の呪詛を、クラウディアが死に物狂いで防がなければならないほど。

通信にも出やしない。その余裕もないということは明々白々。

『みんな頑張ってっ!! 三十分っ、あと三十分だから!』

エミリーが泣きそうな声音で通信に叫ぶ。次々と送られてくる意識不明者の治療に必死なのが分かる。

その口にした時間は、ハジメが明確に打ち出したカウントダウンだ。

それだけ耐え凌げば、何をするのかは分からないが、何かをしてくれる。

エミリーの声を聞きながら、

『……まったく。とんだ皮肉だな』

真影が口元に皮肉げな、あるいは自嘲を孕んだ笑みを浮べた。

陰陽師と〝龍〟を戦わせ漁夫の利を得ようとしていた自分達が、今は陰陽師との激闘で疲弊し、〝龍〟に追い詰められている。

視線の先では、夜刀神が本領を発揮し始めていた。

群体だ。奇妙にうごめく巨大な蛇の体は、おびただしい数の蛇が絡みついていたが故だったのだ。

蛇神の群体。それこそが夜刀神の正体。巨体から分かたれ溢れ出る無数の蛇の全てが夜刀神だ。

『 影従 ( インツォン ) !! 乱影 ( ルゥァンイン ) !! 式で対応しろ!!』

『『承知!!』』

〝鏡〟による〝式〟の増産により対応する。が、更に空気が変わった。体が、否、魂が重みを感じる。まるで、ここは人間が存在していい場所ではないのだと、己の領域――夜刀神の神域なのだと告げられているかのように。

『まずいっ。距離を取れ!』

真影の命令に従い素早く下がる〝影法師〟の術師達。

だが、少し遅かった。

蛇神としての権能というべきか。〝境界の策定と神域の形成〟――己の領域を創り出し、範囲内の敵対者に強烈な衰弱の呪詛を与える。

ということを、逃げ遅れた術師達が身を以て体感した。バタバタと倒れていく十数人の仲間を、なけなしの妖魔を放って領域から脱出させようとする。

しかし、そこで更に神の一手が放たれた。

赤い蛇眼が、ひたと戦場を見据える。

『っ、合わせろ!! オン アミリティ ウンハッタ!! オン バザラ サッタ ウンジャクッ!!』

背筋に走った怖気と警鐘を鳴らす本能に従って、真影が喉を裂かんばかりに叫ぶ。

直ぐさま、 軍茶利 ( ぐんだり ) 明王に延命招魂と怪異消滅を嘆願する真言が唱和された。

肉体から離れかけた魂を繋ぎ止め、また怪異を鎮静する秘法を選択した真影の判断は正しかった。

夜刀神の最も有名な権能――その姿を見た者を、一族ごと滅亡させる呪詛が発動した。

ただ存在するだけで生者を縁者に至るまで滅ぼし尽くす理不尽さは、まさに神の一柱というに相応しい。

一瞬で昇天しかけた何十人かの〝影法師〟の術者達が真言で魂を繋ぎ止め、滅亡の呪詛が全員を襲う前にある程度鎮静させることに成功する。

だが、そこまでだ。

目視できない。近づけない。

どちらも術で緩和できるが、焼け石に水だ。このままでは無限に溢れ出る夜刀神に呑まれるか、群れが増えるたびに広がっていく神域に取り込まれて終焉を迎えるしかない。

これでまだ本物にはほど遠いというのだから泣けてくるという話だ。

『真影! このままでは無理です! 五分と持たない! あ ( ・ ) れ ( ・ ) を行ってください!』

任務外では、自分を〝姉様〟と慕ってくれる部下にして妹分――〝 影戯 ( インシー ) 〟が叫ぶ。他の部下達が、そして解放された 飛僵 ( フェイジィァン ) が真影を守るように、夜刀神の群れの前に立ち塞がる。

『だが、私では……』

『今の真影なら大丈夫です! きっと応えてくれますっ』

『影戯の言う通りです。自分達が言うのもなんですが、これは守るための戦いです。ならば!』

『これまでの人生と矜持を捨てても、祖国と……彼等のために戦うと決めた貴方を、彼の存在はきっとお見捨てにはなりません』

影戯に続き、 太刀影 ( タイダオイン ) 、 雲影 ( ユンイン ) 、そして影従まで言い募る。

真影が、彼女の一族が奉り、しかし、影法師という裏の生き方故に決して助力は得られない存在。過去に一度だけ、神童と称された幼い頃の真影が成功させた秘儀。

申し訳ない気持ちはある。だが、今はなりふり構ってはいられない。

『すまんっ。今しばらく時間を稼いでくれ!』

『『『『了解!!』』』』

祟り神というべき存在を前に、躊躇うことなく頷いた部下達を置いて、真影は一足飛びにバックステップで下がった。

すると、よほど精神的に一杯一杯だったせいか背後の存在に気が付かず。

トンッと軽く背中に――否、お尻辺りに何かがぶつかった。ハッと肩越しに振り返れば、そこには陽晴の姿が。

烏帽子をなくし、純白だった狩衣は汚れ、頬や手には擦過傷もあった。

彼女もまた、激闘の中から退避してきたらしい。互いに一瞬だけ目を丸くし、互いに背後がお留守になっていたことに苦笑いを浮べ、すっと前へと向き直る。

そして――

時間は少し戻る。

八岐大蛇が咆哮一つで戦線を崩壊させかけたその直後のこと。

「呆けてる場合ではありんせんよ!」

八岐大蛇の八首が、弾丸のような速度で伸びた。その全てが陽晴に向かっている。対峙した時から、八岐大蛇の意識は陽晴に向いているように感じていたが、どうやら気のせいではなかったらしい。

理由は一つだろう。若い娘の生け贄を要求する蛇龍伝承は多い。この戦場の誰よりも氣力の充溢した幼くも美しい少女は、奇稲田姫の姉妹を捧げさせた存在からすれば、ご馳走に見えているに違いない。

だが、ある意味、守り手としては好都合ではあった。八岐大蛇の攻撃が全体に及ばず、一点集中ならば守りやすいから。

前鬼――夜々之緋月が間に割って入り、掛け値なしの全力で迎え撃つ。莫大な妖気が巨大な緋色の拳へと形を成し、彼女の拳打に合わせて乱射された。

パッパッと刹那の間だけ咲き乱れる白い花弁は空気の膜だ。音速を軽く超えた拳打のラッシュが、八岐大蛇の八首を正面から迎え撃つ。

一拍遅れて響き渡る轟音。衝撃と暴風が荒れ狂う。それだけで周囲の樹海が更地となり、地面が耕される。

だがしかし、その破城槌の連打のような乱打を受けてなお、驚愕すべきことに八岐大蛇は吹き飛ばなかった。

弾かれ踊れど、八頭は健在。

そして、一つの頭が鎌首をもたげるようにして、頭上より緋月を見下ろした。

創出されるのは渦巻く水。決して清冽な水ではない。見るからに禍々しい濁り水だ。

それが極太のレーザーの如く放たれた。

洪水の化身にして、水を司る龍神でもある八岐大蛇の、生きとし生けるものを蝕み絶えさせる猛毒の如き呪詛が練り込まれた砲撃だ。

「くぅううううううううっ!!」

腕をクロスすれば、緋色の妖気で形作った強大な鬼の腕も宙でクロスして巨大な盾となった。

そこへ、呪毒の激流が直撃。

信じ難いことに、あれほど圧倒的な膂力を誇った緋月の足が、ズズッズズズッと下がっていく。

「流石は、神話の龍神でありんすねぇっ」

アハッと不敵に笑って、片足を上げ、即座に打ち下ろす。パイルバンカーの如く固い地面に突き込んで体を固定し耐える。当然ながら、残りの七頭にも乱打を放ったまま。

しかし、その呪詛が、神話の猛毒が、緋月を蝕む。

鮮やかな緋色の妖気が、黒く、おぞましい色に染まっていく。緋月の白い肌が、髪が、壊死でもしているかのように端から染まり、亀裂を生じさせていく。

「鬼はっ、約束を違えんせんっ」

藤原陽晴には、指一本触れさせない。己を認めさせた少女と交わした約束は、存在に賭けて守り抜く。

呪詛に侵されようとも一歩も引かない緋月の決死の盾役。

それは陰陽師達が体勢を立て直すに十分な時間を稼いだ。

「「「「「オン ギャロダヤ ソワカ!!」」」」」

大晴を筆頭に、藤原一族が渾身を以て放つ真言。それは、一切の毒を消すとされる迦楼羅天の真言だ。元より、迦楼羅天は悪龍や毒龍を喰らい衆生に利するという。八岐大蛇の呪毒には最適の真言だろう。

「「「「「オン マユラキ ランデイ ソワカ!!」」」」」

更に、蛇による一切の害毒を平らげて浄化するという孔雀明王の真言が、ご老公を筆頭に土御門一門から放たれた。

陰陽師一族全力の消毒・解呪の術により緋月に対する呪詛の侵蝕が緩やかになる。完全に消せないどころか、止めることもできない点が八岐大蛇の恐ろしさ。

だから、そこに追加で陽晴が放つ。

「ナウマク サンマンダ ボダナン バルナヤ ソワカ!!」

水天に助力を願う真言が、含まれた呪詛ごと水気を祓う。呪毒そのものが弱まり、更に水の砲撃そのものも減衰した。

その隙を、緋月は逃さなかった。

「シィイイイイッ!!」

食いしばった歯の隙間から裂帛の気合いがこもった呼気が漏れる。優雅さを捨て、なりふり構わず力を練り上げる。

角が燃えるように輝いた。妖気が爆発的に増大し、空中でクロスガードする妖気の両腕が肥大化する。

足は大地に固定したままガードを解く。左腕を掲げて激流を防ぎつつ、上体を限界まで捻り、弓を引き絞るかのように右腕を後方へ。当然、妖気の腕も同じ構えを取り……

「死にたくなければ伏せなんしぃいいいいい!!」

陽晴達に警告。わっと陰陽師達が一斉に身を伏せた直後、酒呑童子の全力全開の一撃が放たれた。

音を置き去りに、緋色の巨大な拳が彼女の気質そのままに真っ直ぐ突き進む。

今度は、吹き飛んだ。否、消し飛んだ。

八岐大蛇の八首がまとめて、突風で煙が散らされるが如く。

そのまま瘴気の濃霧に包まれた胴体部分をも粉砕し、止めること叶わない超重量級貨物列車の暴走のように突き進んだ拳は、凄絶な衝撃音を撒き散らしながら更に、その後方の樹海を百数十メートルにわたって消し飛ばしてしまった。

拳一つで景色が変わる破壊力。それを目の当たりにして慄然とせずにはいられない。

とはいえ、

「きりがありんせん」

右拳を突き出した状態で残心する緋月が苦笑いを浮べる。

その言葉通り、〝影〟は所詮〝影〟に過ぎないが故に、瞬く間に瘴気が集束して巨体を形成していく。

と、次の瞬間、再び咆哮が轟いた。ただし、今度は明確に憤怒を感じさせる声音だ。

呪詛混じりのそれが戦場を席巻するのを阻止すべく、直感に従って既に切っていた九字法を陽晴が発動する。が……

「まずいっ、結界を――」

「避けろっ」

「間に合わな――」

八首八尾の脅威が披露された。

まず長大な八尾が八岐大蛇の憤怒を示すように大地を乱打する。凄まじい震動が発生し、同時に大地そのものが波打った。おそらく、権能の一つなのだろう。

八岐大蛇から見て南西から南東にかけて――つまり、他の戦場や陽晴達藤原一門と、ご老公等一部の土御門には、咄嗟に緋月が大地を踏んで激震を発生させる技で相殺したため影響はなかったが、それ以外の戦域――包囲展開していた土御門の術師達は対応できず。

大半の者が転倒し、一部は隆起した地面に打ち上げられてしまった。そのせいで、刹那のタイミングで襲い来た恐ろしき第二波にも対応できない。

竜巻の如く高速で旋回する八首だ。瘴気の固まりが尾を引いて螺旋状に回り、その先端部分の顎門がガパリッと開く。

「緋月!!」

「承知!」

妖気の巨拳がガトリングの如く掃射される。陽晴達も「オン アビラウンケン!!」と大日如来の加護を願う真言で結界を張って彼等を守ろうとする。

「祠に転移せよぉっ!!」

ご老公の絶叫じみた警告に反応できたのは何人か。緋月の乱打と陽晴達の結界で、一瞬のうちの全滅は免れたが、少なくない数の土御門が怪物に呑まれてしまう。

不幸中の幸いは、やはり〝影〟であること。一瞬、仲間が生きたまま喰われたかと思い誰もが蒼白になったが、影の顎門が通りすぎた後には崩れ落ちる肉体が確かにあった。

影の身故に物理的に喰らうというわけではなかったらしい。だが、安心などできるはずもない。無意味な行動を、八岐大蛇が取るわけがないのだ。

「っ、魂が消えかけて?」

総身を怖気が走った。肉体は喰えない。なら、人の精神を、その魂を喰らう。当然、その行き着く先は精神の死。廃人コース一直線。

「させませんっ。――たまのをを むすびかためて よろづよも みむすびのかみ みたまふゆらし!!」

柏手を一つ、二つ。神道における言霊延命法の秘言。消えかけた魂を繋ぎ止め、今しばらく生きながらえさせる秘儀。

ごっそりと氣力を持って行かれる感覚に震えながらも、必死に一族の命を繋ぐ。

だがそれは、最強の陰陽師が回復役に回ってしまったということで。

二度、三度と呪詛の咆哮が轟いた。心なしか、先程よりも深く強力な気がする。体躯も巨大化したようだ。

天変地異が徐々に大きくなるにつれて、〝蛇龍伝承の影〟も本来の力を取り戻していくのだとしたら……

「陽晴! 時間を稼ぐっ。〝 神憑 ( かみがか ) り〟をしなさい!」

戦況を見て、大晴が叫んだ。陽晴が目を見開く。

〝神憑り〟は確かに強力だ。紛れもなく陽晴の切り札である。だが、そもそも神性を人の身に憑依させることが無茶にもほどがあるのだ。

巫女として最高位の適性を持つ陽晴であっても、五分が限界。土御門本家で使った僅か一分にも満たない時間だけで支えが必要になったことを考えれば、回復薬やドクターアラクネの再生魔法レベルでは、そう簡単に戦線復帰できないだろう。

陽晴を失った戦場で伝承存在と戦うなど自殺行為に等しい。

だが、それでも、今、〝神憑り〟をしなければ、もうそれをするチャンスさえ与えてはもらえないかもしれない。

なら、今、最強の陰陽師の全力全開を以て五分を確実に凌ぐ。

そんな意図を込めた父の視線を受けて、陽晴もまた理解し、

「承知しました、お父様! 緋月! 藤原陽晴の名を以て命じます! 一族の守護を!」

振り返る余裕はない。だが、和装が乱れに乱れるのも気にせず拳打の嵐を繰り出す緋月の背中は、確かに命を受け取ったと伝えていた。

陽晴が前線から下がる。

素早く〝九星 反閇 ( へんばい ) 〟―― 禹歩 ( うほ ) による場の清めを行う。

と、そこで背中にとんっと。ハッと振り返れば、そこには肩越しに見下ろしてくる真影の顔があった。

『顔色が悪いな』

『そちらほどでは』

脳裏に勝手に浮かんで、自然と異国の言葉が出る不思議な感覚に陥りつつ、〝そんな有様で大丈夫か?〟という言外の問いに〝貴女ほど心配ない〟と返す陽晴。

陽晴にしては珍しく辛辣な返しだ。真影の頬がひくりと歪む。

散々手を出されたのだ。被害者としては当然と言えば当然の反応だが、真影からすると〝生意気な小娘め。言うじゃないか……〟と言いたくなる。ちびっ子のくせに、びっくりするくらいのお澄まし顔だから尚更。

切り札を切れるか少々の不安を感じていた真影の瞳に気炎が浮かんだ。

バッと同時に視線を切る二人。純白の狩衣と黒衣の裾が対照的なコントラストとなって二人を彩り、練り上げていた氣力が、これまた白と黒で二人を輝かせる。

「かけまくも 畏 ( かしこ ) き 宇迦之御魂神 ( うかのみたまのかみ ) に 恐 ( かしこ ) み 恐 ( かしこ ) みも 白 ( もう ) さく――」

『玉帝有勅 悪星来難 打邪鬼敢有不伏者 一切死活滅道――』

陽晴の目元が、僅かにぴくりと跳ねた。霊的直感が 囁 ( ささや ) いたのだ。真影のそれが、自分と同じ神域の存在を喚ぶものであると。

道士が行う神威招来の儀。そう、真影もまた神憑りの資質を持つ巫女だったのだ。

ただ、彼女の一族が奉る存在は、神獣であり瑞獣。他への侵略者、悪鬼災禍を自ら招く者に力を貸してくれる存在ではない。

たとえそれが祖国の利益になろうとも、神の視点では穢れと同じ。

故に、国家の暗部たる影法師としての任務である限り、汚れ役の真影が助力を得られることはない。

ないが、今は、この時だけは、等しく人類を守るためであるが故に、都合が良いのは承知だけど、罰なら受けるから、命だって捧げるから、どうか守るための力を、と。

その想いは、果たして……

「天降り招来し給え。我が守護、いと尊き白の聖神、その名―― 葛之葉 ( くずのは ) !!」

『故誓我命 捨身救世 一切衆生 保命上則 神縁招来―― 辟邪 ( ピーシェ ) ・ 天禄 ( ティェンルー ) !!』

召喚された神気が具現化する。

陽晴の頭上に白狐が顕現し、光の粒子に転変して降り注いだ。

真影の頭上にも二体の神々しい獣が出現した。獅子の体、肩に短い羽、長い尾、一本角と二本角。

――神獣 辟邪・天禄

邪悪や災害を退けるとされる一対の神獣だ。僅かな間、真影を見下ろした二体は、息を呑む彼女に眼を細めると、葛之葉と同じく光に転変して神憑りに応じた。

陽晴のように狐耳や尾が生えるような特徴は出ないが、同じく一瞬で髪が白く染まる。

応えてくれたことに感動と感謝を覚えながら、爆発的に跳ね上がった力を練り上げる。

陽晴は柏手を打って、真影は霊符の束を扇のように展開して、同時に声高に響かせた。

「 天 ( あめ ) 切る 地 ( つち ) 切る 八方切る 天に 八違 ( やちがい ) 地に十の 文字 ( ふみ ) 秘音 一も十々 二も十々 三も十々 四も十々 五も十々 六も十々 ふっ切って放つ ざんびらり!!」

『ノウマク サラバ タタギャテイビャク サラバ ボッケイビャク サラバタ タラタセンダ マカロシャダ ケン ギャキギャキ サラバ ビキンナン ウンタラタ カンマン!!』

一つ。魔を祓うのみならず、呪詛をそっくりそのまま返す神道の秘言。

一つ。その威光を以て一切の魔を大火に呑み込み焼き尽くす不動明王の 火界咒 ( かかいしゅ ) 。

清浄で優しい光の波が八岐大蛇のみならず北側半分を包み込み、地より噴き出す瘴気ごと一時的に浄化した。

対して夜刀神を含む南側半分は、黒い炎が一切の容赦なく広がり、自然物や味方には影響を与えず、ただ蛇龍の影のみを業火で焼き尽くしていった。

僅かな間で祠送りになった味方は半数。回復が追いつかず崩れかけていた戦線を一時的に押し返すことに成功する。

「皆様! も少しの辛抱ですっ。きっと、遠藤様が、そのご友人方が打開してくださいます! どうか心折れませぬように!」

『元より死地だっ。命を惜しむな! 影法師の意地を見せてやれ!!』

戦線に復帰した陽晴と真影の叱咤激励が飛ぶ。

誰も彼もが荒い息を吐いて、あちこちに傷をつくって疲弊した顔をしていたが……

返ってきたのは勇壮な雄叫び。

タイムリミットは五分。それで、陽晴も真影も力尽きる。

約束の救援まで、残り十五分。

果てしなく長い、十五分。

強力な秘術を連発して戦線を維持し続けながら、しかし、陽晴も真影も、内心に焦りを抱える。

維持しかできない。どれだけ土地ごと浄化しても瘴気は無尽蔵に溢れ出てくる。

(遠藤様……わたくしは最後まで持ちませんっ。どうか、どうか助力を……)

そう、心中で願い、しかし。

五分後。

陽晴と真影が膝を突き、その身から神々しい光が抜けて元の姿に戻った直後。

「がはぁっ!?」

天より、人が墜ちてきた。紛れもなく、それは卿。それも本体。

「こうくん!?」

「遠藤様!?」

たまたま近くにいたボロボロのラナと、膝を突いたまま動けぬ陽晴が目を見開いて叫ぶ。

それに反応して、特殊部隊、エクソシスト、ハウリアが視線を転じる。そして、息を呑んだ。

ヒーローが、満身創痍の姿で横たわっていた。

「がっ、ぐぅっ、しゃれに、ならねぇぞっ。かはっ」

大量の吐血。毒々しい斑模様に染まった体、血走った目。今まで、一度として見たことのない卿の追い詰められた姿が、そこにはあった。

天を見上げる眼には、未だに諦めはない。折れてはいない。

その視線を辿るように、誰もが空を見上げた。

〝龍の影〟が黒雲の下に降りてくる。その周囲に、分身体が飛び回っている。

「「「「「――〝黒天窮〟ッ!!」」」」」

万物を呑み込み消滅させる重力魔法の最終奥義が展開され、頭部と思しき部分を呑み込む。それどころか、そのまま胴体部分も麺をすするような勢いで吸い込んでいく。

だが、それも僅かな間のこと。

黒雲の別の場所から新たに〝龍の影〟が降りてきて、一拍。生じたのは脈動。ドクンッと魂に響くそれが広がった直後、分身体の半数が消滅した。

〝黒天窮〟も消滅し、更に、縦横無尽に走る雷が、復活した直後の分身体をまた数百単位で消し飛ばす。

分身、分身、分身。

常に限界上限の千体を保つように、かつてない速度で分身を繰り返し、可能な限り散らばって、複数人がかり〝黒天窮〟を放つ。

だが、相手の殲滅速度が刻一刻と上がっていく。ひと睨み、鼓動一つ、それだけで三桁の分身が消滅し、打ち漏らしは天雷の乱れ打ちで消し飛ぶ。

変幻自在・無尽蔵の〝影〟が、〝黒天窮〟を何度放っても無意味と告げるかのように復活し続ける。

少しでも分身速度が落ちれば、全滅する。

少しでも最終奥義を放つ間が空けば、やはり全滅する。

常に限界越えの全力疾走をして、それでも差が開いていく!

そして、たとえ〝深淵卿〟であろうとも、その力は魔力に依存するが故に。

「ストックが切れたっ」

「誰か! 魔晶石は!?」

「最後の一個です!!」

ラナの呼びかけで、アジズから投げ渡される最後の魔晶石。卿が〝宝物庫〟に持っていた大量の魔力ストックが、たったの十分の間に消費し尽くされた事実が、天空の戦いの凄まじさを物語る。

エクソシスト用の魔力ストックも同じく。アラクネの再生魔法や回復薬では、もはや回復が間に合わないのだ。この戦場では。

ありがたく最後の魔力回復を行いながら、駆けつけた大晴による浄化も受ける。

「っ、陽晴の護符が全滅か……」

大晴が、卿の懐から灰となってこぼれ落ちる十枚の護符の惨状を見て声を震わせた。

それを耳にしつつ、当の陽晴が意識を保つので精一杯であることを確認する卿。

最悪なことに、本体が戦線に復帰せずとも、分身体が受けた呪詛は魔力的な繋がりを辿って本体にまで侵蝕してくる。

大晴が頑張ってくれているが、陽晴の加護がなければ……

他の者達――八岐大蛇は緋月が抑えているが、真影が戦力外となった影法師は夜刀神の群体の前に加速度的に戦線を下げざるを得なくなっている。

バーナードやヴァネッサ、カム、アジズ達も、もう限界まで防衛線は下がっており崩壊は時間の問題だ。

エミリーはあえて報告していないが、祠では既に死者が出ていた。

「……ラナ、南雲に連絡を。あと十五分は無理だ」

小声で伝えられた内容は、卿らしくもない。客観的に聞けば弱音に聞こえただろう。実際に、触れる距離にいる大晴は息を呑んでいる。

だが、ラナは予測していたように頷いた。弱音ではなく、現実的な結論だと理解する。

卿モードのくせに、言動が普段と同じで、らしくもない無表情。それが何より雄弁に、彼の内心が悔しさで溢れていることを示していた。

「そんな顔しないの、こうくん。たった一人で、女神さえ退けるあの化け物を相手取ったのよ? 胸を張っていいの」

「……」

卿の顔が、なんとも言えない表情になる。

それにウインクで応え、連絡を入れようとするラナ。

と、その寸前、天が咆えた。

そう錯覚するような咆哮。〝龍の影〟が放ったそれは、明らかに今までよりも遙かに強力だった。また、力の位階が上がったのだ。

「――ッッ!?」

分身を通して流れ込む圧倒的な呪詛に、意識がスパークする。刹那の瞬間に、全ての繋がりを自ら切断していなければ危うかった。

だが、それでも喰らった呪詛は人一人を呪い殺すに十分で、大晴だけでは抑えきれるものではなく。

「こうくん!?」

「えん、どうさまっ」

血反吐を吐く浩介。陽晴が必死に氣力を練ろうとするが、疲弊の極致にある体は指一本動かない。

そして、相対する者がいなくなった空から、〝龍の影〟の意識が地上へと向く。

誰もが、蛇に睨まれたカエルの気持ちを味わった。

浩介が手を掲げる。死力を振り絞って〝黒天窮〟を盾代わりに発動しようとする――

その瞬間。

――必殺ぅ!! エガリさんインパクトーッ!!

空を、銀の閃光が横切った。それが〝龍の影〟を貫いて雲散霧消させ、黒雲にさえ穴を空ける。

「わわっ、大変! 遅くなってごめんね!」

上空で香ばしいポーズを取る三対の妖精羽の変態――エガリとは別に、祠の上空に輝く翼を展開した香織も出現した。

その輝きが戦場に広がり、死さえ覆す神代の魔法が味方を癒やす。

「むむっ、なんて有様ですか、アビスゲート! と言いたいところですが、あれはヤバイですねぇ! よくやったと褒めてあげます!」

激震が迸った。夜刀神の群れが押し寄せていた南側一帯が、シアの〝身体強化レベルX〟状態での戦槌の一振りにより、樹海ごと薙ぎ払われる。

単純な膂力による衝撃波に、ヴィレドリュッケンの魔力衝撃波機能が合わさった一撃は、先の緋月の一撃を遙かに超える甚大な被害を樹海に与えた。木々が宙を舞い、岩盤がひっくり返ったような惨状が扇状に広がっている。三百メートル先まで丸裸。

それらを見て、

「「救援キターーッ!!」」

深淵卿夫妻が、先程までのシリアスをぽいっと捨ててハイタッチを決めた。

特殊部隊も、エクソシストも、ハウリアも揃って歓声を上げる。もちろん、陰陽師と影法師は目が点だ。

「ラナさん、遅くなってすみません。本当は少し前には救援に来られるはずだったんですけど、いきなり世界のあちこちで強力なドラゴンの影が具現化しちゃってまして」

〝龍の影〟の出現に合わせて、特に強力な伝承を持つドラゴンが複数体、施した封印を破って〝影〟として顕現しているらしい。その対応で駆けつけるのが遅れたようだ。

――ククッ、空前絶後の美女妖精たる私を前に、龍などアバーーッ!?

「シア、他の救援は?」

「生憎と私達だけです。ティオさんは〝龍〟の影響が出てるので箱庭から出られませんし、ハジメさんのお手伝いにかかりきりです。ハジメさん、今、全く動けない状況なんで護衛も兼ねてます。妖精界もやばいのでユエさんも手が離せません。あと、私達が抜けた穴を勇者さん達とクラスの皆さんが総出で埋めてくれているので……」

説明しながら魔王特製ドリンク入りお注射をラナに投げ渡すシア。受け取ったラナは流れるような自然な動作で旦那の首筋に打ち込んだ。「アーーッ!?」と悲鳴を上げて目を見開く卿。

香織の再生魔法と魂魄魔法により、かなり回復できた陽晴が駆けつけて解呪の言霊を口にする直前だったので、目の前で行われたスタイリッシュ暴挙に「ひっ」と悲鳴が漏れる。

――復活ッ! エガリさんふっか――ア~~~~~ッ!?

「私達だけで、あと十五分を凌ぎますよ!」

そう言って、またもレベルXの力で暴威を発現するシア。ぶん回されるヴィレドリュッケンが夜刀神を復活する端から消し飛ばす。

香織も、治療を続けながら分解の羽を四方八方に豪雨の如く降らせ続けることで東西側から迫る〝蛇龍伝承の影〟を霧散させていく。

北は当然、緋月が八岐大蛇を抑えてくれている。

体勢を立て直すには十分な時間だ。

――ま、負けないっ。愛と勇気があれば何度だってイヤァ~~~ッ!?

「最後の一踏ん張りなのです! 上空からの余波は全て防いでみせます!」

「今の私達はコンティニュー可能状態です! 保安局強襲課の底力、見せますよっ」

「ハウリアもね! ボスの命令だもの! 心臓を捧げよ!」

クラウディア、ヴァネッサ、そしてラナが声高に激励を飛ばす。それに応えて雄叫びが返る。なお、バーナードは香織が救援に来る直前に祠送りとなって死亡し、今、蘇生中である。なんだかんだでやっぱり死なない。

――はいクソゲー! こいつチーターや!ってギャァーーース!?

「もう少しですっ。夜明けは来ると信じましょう!!」

『何をする気かは知らないが、どうやら帰還者には状況打開の手があるらしい。時間稼ぎくらい完遂するぞ!! 影法師の矜持に賭けて!!』

陽晴と真影の鼓舞に、シアや香織の驚異的な能力、あと上空で先程から孤軍奮闘しつつもやかましい存在に目を白黒させていた陰陽師と影法師も気炎を上げた。

――調子乗ってごめんて! もう無理ぃ! 助けはよっ!!

「はい! 治療終わり! シア、遠藤君、話は後! 行くよ! エガリさんが頭だけで逃げ回ってるから!」

「フッ、よかろう。もう一仕事といこうではないか!!」

「おぉ、流石はユエさんさえハイにした特製ドリンク。飲み物を注射するとか正気じゃねぇ!って思いましたけど、効果はばつぐんですね!」

とうとうエガリさんが泣きべそを掻き始めたので、香織が慌てて飛翔していく。それに続いて、分身八百体を連れて重力魔法により上空へ 落 ( ・ ) ち ( ・ ) て ( ・ ) い ( ・ ) く ( ・ ) 卿。

二百体の分身体が参加したことで、地上の戦いは幾分余裕ができた。もはや余力はないが凌げるだろう。

「シア、こうくんをお願いね。……私じゃ、彼の戦場にはついていけないから」

「珍しくしおらしい。人妻感が出ていてグッドですね」

「人が真面目に話してるのに!」

「うちの一族にも、まだシリアス魂が残っていて安心しました!」

「いいからさっさと行きなさいよ!」

「あははーっ。たまにはこっちが振り回しませんとね!」

ぴょんっとウサギらしく跳ねて、そのまま空中の足場を駆け上がっていくシア。

それをジト目で見送ったラナは、分身とはいえ地上にも卿がいることに、そして自他共に認めるバグウサギな妹分の救援に頬を綻ばせ、一拍。

「さぁ、行くわよ? クビオイテケッ!!」

首狩りウサギの顔に戻って、凄絶な戦場へと舞い戻った。

――残り、十三分。

卿と分身八百体、シアとエガリ。そして、地上の治療を遠隔で行いつつも、上空でも回復役に徹する使徒モードの香織。

基本的には、卿と分身が〝黒天窮〟を放ち、それを維持する時間を、シアとエガリで稼ぐ形だ。

香織が戦闘に不参加なのは、しないのではなく、できないから。その余裕がないのだ。回復を一瞬でも絶やせば、たちまちに全員が呪詛に蝕まれ、その身と魂を壊死させるだろう。

これだけの戦力が集ってなお、だ。

それほどに、〝龍の影〟の力が強まっている。本格的に、神話よりなお古い原初の厄災が目覚めようとしている。

「ぬぅっ、シア殿!! なぜ神霊の助力を得ん!? 広域殲滅を頼みたいのだが!?」

「みんな寝てます!」

「寝てる!?」

寝てるらしい。ヴィレドリュッケンの〝神装モード〟なら、ますます巨体化していく〝龍の影〟を散らす一助となるはずなのに。

「でもっ、これっ、想定以上に、きっついよぉっ」

昇華魔法も使用済み。それでも、香織の口から苦しげな声が漏れ出る。再生魔法と魂魄魔法の同時使用、それも何重もの重ね掛け状態故だ。

特に魂魄魔法は重要で気が抜けない。隙を見せれば一瞬で呪殺、発狂、洗脳支配などなど、何百という種類の呪詛が不可避的に襲いかかってくるのだ。

おまけに、香織が回復役だと理解しているのだろう。変幻自在の〝影〟は、ついに黒雲から小型の龍を触手のように出し始めた。それが香織を執拗に狙う。

当然のように防御不可だ。移動時間そのものを短縮する〝神速〟を使って回避し続けなければならないのも、香織のキャパシティーを超えそうな原因だろう。

「ぬぬぬっ、せめてノガリがいればもう少し楽なのですがっ」

卿を狙った落雷に水属性魔法で生み出した純水の激流を盾としつつ、正面から顎門を開いて迫ってきたところに、極大の分解砲撃を放って霧散させたエガリが叫ぶ。

「ノガリ殿は相変わらずボスのサポートか!?」

「ええ! ついでに、主は今、完全に無防備な状態ですから! わわっと!? あぶな! ティオ殿と共に護衛も兼ねてお側に!」

「いったいどういう状況だアビャァ!?」

「アビスゲートォ!?」

「フッ、それは分身だ」

「言ってる場合ですか! 今の空間魔法の〝震天〟では!?」

突如走った空間の激震により、分身四百体が一気に消し飛んだ。そのうえ、全員がガクンッと落下しかける。

「重力干渉!? チィッ」

重力魔法による疑似飛翔から、靴に付与されている〝空力〟に切り替え宙に止まる卿。予想はしていたが、神代魔法と同じ、理に干渉できるまでに力が増大していることに思わず舌打ちが漏れ出る。

――残り、十分。

ここに来て、もはや富士周辺の空は台風じみてきた。乱気流のように荒れ狂う暴風雨に視界を遮られ、体勢をいちいち崩される。

そのうえ、ドンッと破壊的な爆発音が響いたかと思えば、

「富士山がっ」

正真正銘の噴火だ。比較的小規模ではあるが、噴煙のみならず溶岩と噴石、火山雷が遠目に見える。ついでに地震の揺れも一段上がる。

そのうえ、はたと気が付いたのだが……

「え、吹雪!?」

「あれ? 町の明かりが消えてます!?」

香織が氷雪に彩られた西の空を見て目を見開き、シアが遠目に見えていた町の明かりがまったく灯っていないことに声を上げる。

それどころか、不自然なほどに暗く、視力を強化しても見通せない。

東日本の気温上昇と、西日本の気温低下という異常気象は、遂に猛暑と氷点下の領域に突入したらしい。更に、呪詛というよりは権能の一種なのか。文明の光が闇に呑まれて一切見えない。

人工衛星で確認できたなら、今の日本はきっと白黒の斑模様に見えたに違いない。一切の光を否定し視界を黒に染める夜と、一切の闇を否定し視界を白く染める昼が、日本のあちこちにドーム状の領域となって点在しているのだ。

当然ながら、沿岸部ではいよいよ 大時化 ( おおしけ ) の様相を呈してきている。特大の高波が海沿いの町を襲うのも時間の問題だろう。

まさに、この世の終わりのような光景。

「ええいっ、途轍もなく長い十五分であるな!」

まだ、シア達が駆けつけてから五分程度しか経っていないとは思えない。

このまま天変地異が激しさを増せば、もはやパーフェクトゲームは無理に……

一瞬、脳裏に過った嫌な予想を、しかし、卿は不適に笑って否定した。全力の〝黒天窮〟を放ち、魔力がガリガリと削れていく感覚に歯を食いしばりながらも、

「だが、まぁ、お前は間に合うだろう? しくじり方を知らないもんな?」

そう、呟いて――

『過大評価だ。俺だって、よくしくじるぞ』

応えた。待望の声が!

指定時間より早い、感心の十分前行動に、卿は当然、シア達の顔にも〝待ってましたぁ!〟と喜色が浮かぶ。地上でも、陰陽師と影法師以外から「キターッ!!」と歓喜の声が迸った。

「ハハッ。ぜひ教えてくれたまえ! いったい何をしくじったのかね!」

『娘のご機嫌取り』

「それは仕方ないな!」

なんて軽口の直後だった。

噴火が目に見えて収まった。地上では、激しくなりつつあった地震が体感で分かるほど沈静していく。

暴風がそよ風へと変わった。

迸っていた万雷は霧散していった。

吹雪が消え去り、雨も止み、猛暑と氷点下の気温は適温へ。

でたらめな昼と夜は消え去り、文明が己の光を取り戻す。

沿岸部の荒れ狂っていた波は、穏やかな凪へと顔色を変えた。

天変地異が、まるで夢幻だったかのように収まっていく。

その原因は、

『シア! シア! 助けに来ましたわ! 嬉しいですか? 嬉しいですよね? もはや私しか見えないですよね――』

黒雲に穴が空き、太陽の輝きが顔を見せる。否、そう見紛うほどの陽光の輝きを放つ、見た目だけはエリートキャリアウーマンみたいなクール美女。

――火輪の神霊 ソアレ

いつもの、もじょるスライム姿ではない。かつて星霊界で見たのと同じ完全な人型にして、身に纏うのは本体と遜色のない圧倒的な神威。

太陽と光を司る彼女の力が、東日本の猛暑と局所的な昼を正常に戻す。

『騒がしいぞ、駄ソレ。集中しろ』

『……気を抜けば抑えが効かなくなるぞ』

雷鳴と同時に美丈夫が出現し、富士山の麓からは大地が隆起して巨人が生まれる。

――雷雲の神霊 ウダル

――大地の神霊 オロス

雷の化身が〝龍〟の万雷を打ち消し、大地の化身が噴火と地震を抑え込んだ。

ならば当然、

『はいはい、皆、それくらいにね。宝樹の女神様である私に恥をかかせないで』

『いちいち立場が上の言動を取るのはやめていただけます? わたくしとて、王樹の女神でしてよ?』

『……どっちもどっちだろう』

淡い緑髪のツインテールと踊り子の衣装を風になびかせる少女――世界の風を司る流天の神霊エンティと、夜と闇を司る黒髪黒ドレスの美女――常闇の神霊ライラ。そして、クリスタルの如き透明な大鷲――水気と冷気を司る氷雪の神霊バラフもいるわけで。

沿岸部には、海流の神霊メーレスも、元の巨大な海龍姿を取り戻して日本を囲う海の全てを制御下においている。

誰も彼も、もじょもじょしていたスライムとは思えない。あるいは本体すら超えているのではと思えるほどの神威を纏って天変地異を抑え込んでいる。

まさに、世界の自然を司る神霊に相応しい威容だ。

七柱の神の降臨。そして天変地異からの救済。

現実離れした光景を前に、地上の者達は誰もが口をぽかんっと開けて空を見上げてしまう。

〝蛇龍伝承の影〟も一時的に動きを止めていたのは幸いだった。〝龍の影〟が、僅かに戸惑ったように身じろぎしている。その影響かもしれない。

なんにせよ、その隙を突くようにして新手が登場した。

「お届けもの~、お届けものですよぉ~!!」

「お兄さんからの贈り物で~~す!!」

卿の前に出現したゲートより、小さな人影が場違いに陽気な声音と共に飛び出してくる。

綺麗なワンピースを着た、夢のように可愛らしい手乗りサイズの女の子が二人。背中には二枚の輝く羽。

一人は薄緑の長い髪で、もう一人は桃色のボブカット。そっくりな顔は双子の証。

妖精姉妹のルーンとチーノだ。

姉のルーンが風に乗って卿の首にネックレスをかけた。チーノはシアに。

それに続くようにして、次々と〝箱庭に移住予定の妖精達〟がゲートから飛び出しては、香織やエガリ、そして地上の味方へネックレスを配っていく。

その直後だった。

「ぬおぉっ!? なんだこれは!? 力が溢れて……」

枯渇しかけていた魔力が、一瞬で全快した。それどころか、ネックレスを通して常に莫大な魔力が流れ込んできているのが分かる。

『ご主人様が集中状態で受け答えできん故、妾が手短に説明するぞ』

聞こえてきたのはティオの声だった。

『この星の氣力は、ご主人様が完全に掌握したのじゃ。もはや〝龍〟は無限ではない』

ハジメが口にした根本的な解決。

それこそが、王樹より流れ込むこの星の力――氣力の完全コントロールだ。

〝龍〟の覚醒も、復活も、氣力を喰ってなしえるもの。当然、無尽蔵の力も星の力を喰っているから。

ならば、日本に流れ込む前に、一度、全て源泉から奪ってやればいい。

そう、〝宝物庫〟の中の世界――〝箱庭〟に。

星一つ分の莫大なエネルギーでも、箱庭の世界の成長に回してしまえば持て余すことはない。ついでとばかりに、箱庭の大樹――宝樹と神霊の成長加速にも流用できる。

時間がないので、アワークリスタルとティオの再生魔法で時間加速も行った。

素子変換システムはノガリがつきっきりで制御し、ライラが成長のために眠っている間は、アウラロッドが王樹の女神の代理を務めた。

『補給路を潰すのは戦争の定石、とのことじゃな。今のご主人様は、地球のエネルギーを、いつでも任意の場所に、任意の量だけ供給することができる』

つまり、今の日本は完全に氣力を断たれた状態。〝龍〟の力は、今内包している量のみの有限となった。

ついでに言えば、世界中で目覚めた術師達も霊地を掌握されたようなものなので、好きに〝龍脈〟や〝龍穴〟から力を受け取ることはできない。

ハジメが口にした根本的な解決とは、まさに〝地球固有エネルギーの完全な掌握〟だったわけである。

『そのアーティファクトは、所持者にのみ箱庭の宝樹を通して無限の力を供給するものじゃ。力の種類は問わんぞ?』

ただし、まだプロトタイプなのでハジメが全てを制御しなければならない。

今のハジメは、広大かつ豊かな自然を育んだ箱庭の世界で、宝樹を背に座禅を組むような形で瞑目し、限界突破も使って集中している。

そうして、世界中に散らばっている仲間、配下の悪魔や神霊達へ無限の力を送り続けているのだ。

極限の集中で余力はない。だが、創世した己の世界で、世界樹の如き巨樹を背に星の輝きを纏い、母星と無限の力を掌中に、悪魔と神霊を従え、世界中の選んだ者にだけ無限の力を送り続ける姿は……

「いや、神じゃん、それ」

「エヒトよりやばいですね! 流石は我が主!」

「正真正銘の魔神ですねぇ」

「ハジメくん、どこまで行く気なんだろう……」

浩介が思わず素に戻り、エガリのテンションが爆上がりし、シアと香織が少し呆れたような顔になる。

なるほど、神域から無数の使徒に無限の力を送り続けていたエヒトと、やっていることにあまり違いはない。

持ち運び可能な星と世界を所持、かつての使徒のほか神と悪魔をも引き連れている分、確かにエヒトよりやばい。

『とにかく削るのじゃ! 今、ご主人様は日本が内包する氣力も奪い取っておる! じゃが、それには少し時間がかかる! その間の天変地異は神霊達が押さえ込むが、影を削り続ければ消耗も加速度的に早まるはずじゃ!』

「なるほど。実に分かりやすい!!!」

クルッとターンして香ばしいポーズを取る卿。

「無限の魔力にて、我が深淵は更に深まった」

「遠藤君! ふざけてる場合じゃないよ!」

「窮鼠猫を噛むって言いますからねぇ。追い詰められた〝龍〟が何をするか分かりませんよ!」

別にふざけてはいない。卿は、かつてないほど追い詰められた極限状態と、香織からの昇華魔法、そして無限の魔力を得たことで新たなステージに上がったのだ!

「ゆくぞっ、ミィーのパゥワァーを感じてエキサイティンンングするが良い!!」

「「香ばしいを通り越してエセ外国人になってる!?」」

やっぱりふざけているかもしれない。おかしな方向に精神が飛んでそうな卿だが、しかし、その力は本物だった。

――香ば深度 レベルⅥ

もたらされるは、桁が一つ増えた分身体。その総数、一万。もはや新たな黒雲と見紛う量の卿が天空を駆ける。

そして、

「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」「黒天窮!!」

空を奥義の黒星が埋め尽くした。

「のわぁーーーーっ!?」

「エガリさぁーーーん!?」

「退避退避ぃ! 地上に戻りますよぉっ」

吸い込まれそうになっているエガリを、シアが途中でキャッチ。香織と一緒に空より退避する。神霊達まで慌てて戦域から退避していく。危うくルーンとチーノも帰らぬ妖精になりかけて、エンティが「あほぉ! やる前に警告くらいしなさいよぉ!」と怒りながら保護する。

「これにはミィも予想外! ソーリー!!」

誰もが思った。なんか今までとは別ベクトルで腹が立つと。

〝龍の影〟も、己の力が凄まじい勢いで減じていることを理解したのだろう。同時に、もう勝ち目が薄いことも察したのかもしれない。

シアの言う通り、追い詰められたネズミの如く憤怒と憎悪の咆哮を上げた。

〝黒天窮〟の乱れ打ちというとんでもない攻撃で、〝龍の影〟は既に余さず呑み込まれている。それでも、消滅の力に抗いながら残りの全ての力を、生命を呪い殺す呪詛に変えようとする。

〝黒天窮〟は物理的な破壊としては最強格の魔法だ。だが、呪詛という非物理的な力まで吸引消滅できるわけではない。

「ええいっ、往生際が悪い――」

『高天原に 神留 ( かむず ) まり 坐 ( ま ) す、 皇 ( すめら ) が 親神漏岐 ( むつかむろぎ ) 、 神漏美 ( かむろみ ) の 命 ( みこと ) を以て、 天 ( あま ) つ祝詞の太祝詞事を 宣 ( の ) れ――』

通信機越しに、凜と響いた幼くも美しい声音。直後、地上から純白の光が螺旋を描いて天を衝いた。

卿の頬が不敵に釣り上がる。

最強の陰陽少女が、無限の氣力を得たらどうなるのか。

「まったく! 我が姫は最高だな!!」

通信機越しに「んんっ!?」という咳払いと、「ロリコン……」「粛正……」という不穏な言葉が聞こえたが、ハイの極みにある卿には届かない!

地上から轟音が響いた。樹海の北側半分が扇状に、三百メートル以上消し飛んだ。その根元の部分に、緋色の妖気をプロミネンスのように乱舞させる緋月がいる。

ドヤ顔だ。物凄く。視線が地上に降りたシアに向けられている。どうやら、シアの最初の一撃を見て対抗心を燃やしていたらしい。無限の妖気を得て、同じことをしてみたようだ。

陰陽師と影法師も、消耗を気にせず、それどころか自分の力量を大幅に超える術も乱発し放題とあってか、とうとう保安局強襲課やハウリアと同じようなハイテンションに堕ちてしまっている様子。

エクソシストたちの力の増大は言わずもがな。

もはや復活し得ない〝蛇龍伝承の影〟が次々と討滅されて消えていく。

「残念であったな」

黒々とした滅びの星群。それらがスパークし、ゆるりと天空を旋回して〝影〟を中心へ中心へと呑み込んでいく有様は、まるで黒い銀河の如く。

『 此 ( か ) く宣らば、罪という罪、 咎 ( とが ) という咎は 在 ( あ ) らじ物をと――』

そして、せめて少しでも道連れにと〝龍〟が放った日本全土への呪詛も……

今、地球を見下ろすことのできる宇宙飛行士がいたなら、その幻想的な光景に感涙を流したかもしれない。

日本の南から北まで、点在する純白の光の柱。その数、およそ三万。

そう、陽晴の術が、全ての稲荷神社を通して日本全土に広がっているのだ。

異界を通して全国の稲荷神社の鳥居から鳥居に転移できるのなら、力だけを通すこともまた可能。

〝神憑り〟の状態で、無限の氣力があるのなら、藤原陽晴は一切の超自然的な力から日本限定ではあるが守護できるのである。

「俺達も生きたいんだ。だからさ」

『祓え給い清め給うと 白 ( もう ) す事の由を――』

万の卿による星の数ほどの〝黒天窮〟が中心に集い、統合されていき、一つの巨大な禍星となる。

日本全土を覆う清らかなる純白の光が、まるで流れ込むようにして麓から山頂へ、霊峰〝富士〟を輝かせていく。

「あと、一万年は眠っていろ!!」

『 諸々 ( もろもろ ) 神の 神等 ( かみたち ) に 左男鹿 ( さおしか ) の 八 ( や ) つの耳を振り立てて、聞こし 食 ( め ) せと白す!!』

巨大な〝黒天窮〟に向けて、卿が片手を伸ばし、広げた五指を――握り潰すように閉じた。

一気に縮小し、断末魔の悲鳴もなく〝龍の影〟が完全消滅する。

パァンッと澄んだ柏手が響き、神道における大祓詞と同等の力を有する省略形――〝最要祓い〟が、日本全土に広がりかけた呪詛の尽くを清め祓った。

しんとした、夜の静寂が戻ってくる。

世界の命運をかけた死闘は、驚くほど静かに終わりを告げた。

しばらく、誰も何も口にしない。ただ、荒い息を吐いて、本当に終わったのかと視線を交わし合っている。

一万の分身体が霧散していく中、卿もまた、どこか勝利を信じられない様子で周囲を見回した。

『よくやってくれたな、遠藤』

極限の集中状態にあったはずのハジメの声が届いた。

『今、連絡が来た。各地に顕現していた竜も消滅した』

『〝龍〟の影響も消えたのぅ。もう何も感じんのじゃ』

「そっか……」

深淵卿モードを解いていく。だが、いつもの心痛を感じる余裕は、まだ湧いてこない。

静かに、地上へ降りる。

すっかり開けた土地になってしまった樹海で、疲労困憊の姿の仲間に視線を巡らせる。

と、その時、視界の端がチカッと光ってハッとした。

まぶしさに目を細めながら視線を転じれば、東の空に僅かに顔を出す太陽が見えて、それが空を朝焼けの光で染め上げていて……

「夜明けだ」

自然と、浩介は呟いていた。

同じく朝日に視線を奪われていた仲間が、一斉に浩介を見る。

強くなっていく逆光の中にいる浩介もまた、仲間の方へ顔を向け、ようやく満面の笑みを浮べた。

この夜明けを見るために、濃密で長い夜を戦い抜いたのだと。自分達は、確かに戦い抜いたのだと。

そう誰にでも分かる笑顔で。

すぅっと息を吸う。万感の想いを込める。

そして、

「俺達のっ、勝ちだぁーーーーーーーーーーーっ!!!」

日本全土に届けと言わんばかりに、雄叫びを上げた。

そうすれば、ようやく誰もがそれを実感して――一拍。

――ワァアアアアアアアアアッ!!

夜明けの空に、歓喜と誇らしさに満ちた 勝鬨 ( かちどき ) が盛大に響き渡ったのだった。

いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。

※ネタ紹介

・復活! エガリさん復活! 刃牙より。

・心臓を捧げよ! 進撃より。

・こいつチーターや! 一応SAOのキバオウさんから。

・クビオイテケッ ドリフターズの島津さんより。

・しくじり方を知らない 映画アルマゲドンのAJがハリーを言い表した言葉(翻訳版)。作中で白米が一番好きなセリフです。

・我が姫は最高だな! 某バスケットラノベより。陽晴は小学生ですから、ね。