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終焉へと至る事情 上

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終焉へと至る事情 上

新年あけましておめでとうございます。

大変お待たせしました。更新を再開します。今年が「ありふれた物語」の最後の年になると思いますが、終幕まで一緒に楽しんでいただければ嬉しいです!

どうぞ、よろしくお願いいたします!

「まず確認したい。あの光の渦は、いつまで維持できる?」

ハジメの冷徹な目が真っ直ぐにマーキュリース主任を見ている。

マーキュリース主任はジタバタしていた。玩具コーナーで駄々をこねる子供みたいに。

腰が抜けて尻餅をついた後、直ぐに何事もなかったみたいに無表情で立ち上がろうとして、しかし、足腰がガクブルで言うことを聞かず再び転び、どうにか立ち上がろうとしているところだ。

この世界の大樹の化身だという白猫が静かに見下ろしている。心なしか呆れているように見えるのは気のせいだろうか。

そのまま立ち上がるのを諦め、どうにかうつ伏せ状態になる主任さん。

腕の力を借りて立ち上がろうと足掻く。四つん這い状態でプルプルしている姿は、まさに生まれたての子鹿そのものだった。

ここが牧場なら、もう少しだ! 頑張れ! もうちょっとで立てるぞぉ! と応援の声が飛んできそうである。

言っては悪いが、大変シュールな姿だった。無表情なので余計に。

そんな情けない状態のまま、やはり何事もないかのように応答だけはする。

「維持? 術式は確立したからまた開けるわ。貴方という存在に驚き過ぎて指示を出し忘れていたけれど、一度閉じて――」

「それは認められない」

「……なぜ、と聞いてもいいかしら?」

「厄災界の人間を――あんたらを信用していないからだ」

「……」

一瞬、時が止まったように感じた。それは、マーキュリースが鼓動さえ止めたのではと思うほどピタリッと静止したからだろう。

冷や水をぶっかけられた。あるいは、唐突に頬を張り飛ばされた。そんな印象だ。

だが、それも僅かな間のこと。

「……厄災界、ね。なるほど。もっともだわ」

静かにそれだけ呟いて、マーキュリースはスッと立ち上がった。心が切り替わったみたいに冷徹な雰囲気が漂い始める。

白衣の裾を払い、襟を正し、ハジメを真っ直ぐに見返す。

「外的障害が発生しない限り数日は許容範囲内よ。貴方が行っている補強的干渉。その強度と維持可能時間次第で、更に延長できるわ」

確かにハジメは光の渦――異世界間転移ゲートの補強を行っていた。

あの光の渦を囲った流体金属は物理的な保護であると同時に、魔力供給と空間干渉による補助を行うためのものだったのだ。同時に、地球側ではユエ達が同じように保護と補強を行っていることだろう。

どれほどの効果があるのか、正直なところ分からなかったが何もしないよりはマシだと思ってのことだ。

何せ 理 ( ことわり ) が崩壊した世界である。神代魔法が通じない危険性に満ちた世界だ。

加えて言えば、厄災界の人間を、イナバ達から少し話を聞いた程度でどうして信用できるというのか。

この点、クリスタルキーの使用も躊躇われた。神代魔法が使用可能なエリアが確保されているとはいえ、ハジメの扱うゲートと光の渦は明らかに異なる術式だ。エネルギーも違う。その差異により、厄災界のなんらかの悪影響が地球に及ばないとは断言できない。

なので、オブラートに包まず言うなら補強というより、〝現状、特に問題のない唯一の 移動手段 ( ゲート ) を勝手に閉じられないよう干渉している〟という方が正しいし、戦闘もそこそこに直ぐさまマーキュリースのもとへ転移してきたのは、〝閉じるのを阻止するため〟だったりする。あえて口にはしないが。

マーキュリース主任の言葉からすると、どうやらそれなりに効果があったらしい。

「現状の補強で問題なければ、いつまでも可能だ」

「……いつまでも? 許容可能なエネルギー量は?」

「実質無限だ」

「……なるほど。その技術レベルに達しているのね」

思わずといった様子で溜息を吐くマーキュリース主任。その声音には感嘆が滲んでいるようだった。

「であれば、話の前にまず貴方の魔力を分けてもらえるかしら? 魔法的に補強するより、その方が直接的に〝虹の橋〟を維持できるから」

「虹の橋……」

「ええ、あの異世界間の移動を可能とする光の渦のことよ」

あの光の渦は虹色には見えなかったことと、地球の神話に出てくる橋が脳裏に過って思わず呟くハジメだが、今は優先すべきことがあると脇に置いて頷きを返す。

「どうすればいい?」

マーキュリース主任の視線が背後に向く。宙に浮かび純白の光を帯びる苗木と、その前でお行儀良くお座りをしている白猫を見やる。

「その場で魔力を放出してくれるだけでいいわ。後は、この空間と 白猫 ( ホロウ ) がやってくれる」

白猫はホロウというらしい。静かにハジメを見つめる眼差しには、特に感情の類いは感じられなかった。だが、観察されている感覚はあった。

「魔力でいいんだな?」

「……そう言えば、別のエネルギーも扱っていたわね。起源流の人為的形成……いえ、今は置いておきましょう。ええ、魔力で結構よ」

ハジメは頷き、無言のまま力を解放した。

マーキュリース主任の頬がひくりっと跳ねる。だが、今度は腰を抜かしたりはしなかった。むしろ、科学者らしい冷徹な観察者の目をハジメに向けている。

その間にもハジメは魔力放出を強めていく。真紅の光が溢れ出し白の空間を染め上げていく。

ホロウの目から瞳孔が消えて輝きを帯びた白目一色となった。同時に、その身にまとう輝きが更に増していく。直後、真紅の奔流が一気にホロウ目がけて雪崩れ込んだ。

轟々と暴風が唸っているようだった。空間が軋んでいるように感じるのは気のせいだろうか。

「っ、これほどの力……本当にどうやって……」

マーキュリース主任が表情を崩す。苦しげに歯を食いしばっている。なんらかの防御術を展開しているようだが、それでも今にも膝を突きそうだ。

「でも、これなら……人柱を解放できそう、ね」

「今、なんつった?」

安堵と喜びが染み出たような声音で、しかし、内容は不穏極まりない言葉が微かに響いて、ハジメは思わず問い返した。その目が剣呑さを帯びてスッと細められていく。

「人柱って言ったか?」

「ええ、言ったわ」

「……」

特にやましいことはないと言うかのように、真っ直ぐ見返し頷くマーキュリース主任。

虚空に視線を彷徨わせ少し考える素振りを見せたハジメは、その視線を輝く苗木に移し、そして、「そういうことか」と呟いた。

「あら。今のやり取りだけで、ある程度理解できたのね。どうやら、世界の仕組みを相応に知っているみたいね」

無限のエネルギーを扱えるくらいだ。それもそうかと納得するマーキュリース主任。同時に、ハジメの落ち着き払った、それこそ己と同じ冷徹なる研究者の如き雰囲気を見て僅かに肩から力を抜いた。

「勇者殿のように掴みかかられるかと思ったわ」

「あいつならそうするだろうな」

思わず口の端に苦笑が浮かぶものの直ぐに頭を振るハジメ。答え合わせをするように苗木へ顎をしゃくる。

「その〝大樹の核〟……繋がっていないんだな。世界樹と」

この隔離された空間、そして宇宙に浮く島と結界、その外は理が崩壊している……

これらから推測できる自然な帰結だった。

母星から切り離された〝大樹の核〟は、根源たる世界――ハジメ達は真界アストラルと呼称しているが――からのエネルギー供給も受け取れない状態なのだろう。

なら、あの虹色の結界や転移門を維持している莫大なエネルギーはどこから?

決まっている。何もない世界でエネルギーを生み出せるのは、生命が体内で生み出す魔力だけだ。

そして、厄災界に現存する生命は限られている。

「人柱……あんたからも戦場にいた連中からも感じたのは〝魔力〟だ。だが、〝虹の橋〟から感じた力は魔力とは性質を異にした、もっと……そう、素子に近いエネルギーだった」

「〝世界樹〟……それに〝素子〟。文脈から判断するに……偶然ね。こちらの用語と合致しているのね……」

果たして本当に偶然かしら? と、一瞬だけ思案顔になるマーキュリースだったが、こちらも直ぐに頭を振って、今、話すべき事に集中し直す。

研究者然とした雰囲気といい、話のテンポや運び方といい、この場にユエ達がいたら、どことなくハジメとマーキュリースに〝似た者同士〟みたいな印象を抱いたかもしれない。

「ええ、そうよ。固有エネルギーより効率が良いの。特に、この世界は概念的に閉ざされているから……」

「〝概念的に〟。それが、天之河がフェアリーキーで――所持している手段で帰還なり連絡なりしなかった……いや、できなかった理由だな」

「そう、この世界には二つの結界がある。一つは島を囲う虹色の結界。そして、もう一つが目に見えない、けれど宇宙全体に広がっている概念的な結界よ」

「理を保ち、生存圏を確保するための結界と、理の崩壊が他世界に波及しないよう防ぐ結界か」

「それだけではないけれど……結界の話は後にしましょう」

どうやら、ハジメの推測ではまだ足りない何かがあるらしい。が、マーキュリース主任は先に話を進めた。置物のようにお座りしたまま微動だにしない 白猫 ( ホロウ ) へ視線を向けながら。

「ともかく、素子に近いエネルギーであればあるほど〝虹の橋〟はかけやすくなる。魔力はこの子と〝神樹の核〟が可能な限り素子に近い性質に変換してくれる。けれど、人が保有可能な魔力だけでは絶対的に量が足りない」

「それが〝供給〟ではなく〝人柱〟と称する理由か」

光輝が激怒し、しかし、それしか方法がなかったのだと理解して歯噛みし、保有していた貯蔵魔力を、せめてと全て譲渡した理由だ。戦いにおいて自己の魔力しか使えなかった理由でもある。

「そう。魂魄から直接、魔力を絞り出すのよ」

「イメージ的には寿命の前借りみたいなものか?」

「そうね。ええ、その通り」

その人が生涯に生み出す魔力の総量を短時間で絞り出す。イメージするなら、ダムに貯めた水を毎日使う分だけ蛇口から出すのが通常なら、そのダムを破壊して一気に放流するといった感じだろう。

そして、ここで言うダムとは、まさに魂魄のことなのだ。

この事実に、流石は元女神というべきか。アウラロッドもまたハジメと同じく気が付いた。光輝がハジメの存在を教え、救援要請を提案した時のことだ。

マーキュリース主任は少し思案しつつも言ったのだ。

異世界間転移魔法を構築することは可能だと。ただし、この世界の大樹である〝神樹〟と、かつて確立していた異世界間移動の設備や術式が実質的に失われた状態であること、なので現状に合わせた転移術式を新たに構築する必要があり、また座標の特定に譲渡された魔力などの解析も必要なので少し時間がかかることも。

そう、〝この世界の大樹は実質的に失われている〟のだ。

ならば、元女神が疑問に思うのは当然だ。異世界への通り道を作るほどの莫大な魔力、大樹のない世界でいったいどうやって確保を? と。

そして、光輝様に何か嘘を吐いているのでは? と疑い、カーラに頼んで周囲の人間の意識を通じ探ってもらったのだ。

結果、まず見えたのは、おそらくシェルターだろう。外で行われている戦闘に不安そうにしながら身を寄せ合っている、明らかに戦闘とは無縁そうな数千人程度の生存者達。

そして、そのうちの何人かが呼ばれて、息を呑み、かと思えば決然とした表情になって立ち上がり、周囲の人達と抱き合って別れを惜しみ、シェルターから出て行く姿。

その行き先はSFに出てくるような休眠ポッドが無数に並ぶ空間だった。

ポッドの中には寝かされ魔力を抜き取られている人々の姿があった。ポッドの下には輝く魔法陣があり、そこから回路のように光のラインが走っていて、どこかへ魔力が流れていく光景も見えた。

もちろん、行き先はここ。二つの結界を維持するための核があり、そして〝虹の橋〟を形成するためのエネルギーを創り出す場所。

「生き残りは、この終末世界を維持するための電池代わりか」

「……」

マーキュリース主任は否定しなかった。

二つの結界を維持しギリギリのところで世界を維持するために、生き残った彼等・彼女等は、ずっとそうやって命を捧げてきたのだろう。

ならば、新たに莫大なエネルギーを要する異世界間転移門の形成には、更に人柱が必要だったのも頷けるし、それを知って光輝が貯蔵魔力を全て譲渡した理由も分かるというものだ。

加えて言うなら、マーキュリース主任が〝総力戦要請〟に苦悩した理由であり、これこそが〝生存圏を守る役目を担った理法術師達〟以外の生存者達に課せられた〝役目〟――責務であったということだろう。

「開門状態を維持することに、エネルギー以外の問題はあるか?」

特に表情は変えず淡々と聞くべきことを聞くハジメに、マーキュリース主任の目元が少しだけ綻んだ気がした。

思い起こされるのは、事情を聞いた光輝達のショックを受けた姿。深い同情だ。

だが、それは不要なものであり、むしろ、彼女達にとって叫び出したくなるほど心に痛いことだった。そんな綺麗な感情を向けられていい存在ではないのだと。

光輝もそれを感じ取ったのだろう。あるいは自分に重ねたか。

いずれにせよ戦場が激化しのんびり話している時間もなかったので直ぐに気持ちを切り替え、貯蔵魔力だけ譲渡して戦いに出たのだ。

「先のように無神の渡りを許してしまうおそれがあること。そして、時間軸の流れが貴方の世界と同等になること。それくらいね。影響は」

「むじん?」

「無の神で、無神よ。あの怪物共のことね。私達はそう呼んでる」

説明しながら、ああ、とマーキュリース主任は納得したように内心で頷いた。

ハジメが〝虹の橋〟の解除を容認しなかったのは、二度と開けない可能性や、マーキュリース達が何かの要求を通すために再展開の手段を取引材料にしようとすることを警戒したからというだけでなく。

その門の向こう側にいる大切な人達と長く離ればなれになることを避けたかったからでもあるのだろう、と。

(遠き地の大切な人……帰る場所……考えれば当然のことね。なのに直ぐ思い至らないなんて……やっぱり、人としての情動がすり減っているのかしらね)

相変わらずの無表情ながら、本人的には苦笑を浮かべる。

「理の崩壊が波及することは?」

「ないわ。この島を囲む虹色の結界。私達は〝終末の境界〟あるいは単に〝境界〟と呼称しているけれど、これが崩壊しない限りはね」

「今回の襲撃で崩壊する可能性は?」

「境界の要は、この〝神樹の核〟よ。これが破壊されるか、境界を維持するエネルギーが不足しない限り破壊は不可能よ」

「不可能……それは、これが正確には結界じゃないからだな? なるほど。だから〝境界〟か」

マーキュリース主任が僅かに目を見開いた。彼女的には最大限の驚愕の証である。

ハジメがあの短時間で、しかも戦闘をしながらという状況で、虹色の結界の本質を解析し終わっているとは流石に思わなかったらしい。

「え、ええ、そうよ。〝神樹の核〟が〝正常な環境〟を保っていられる限界空間の境界線が可視化されているに過ぎないわ。だから、侵入を防ぐ効果はないし、そもそも結界ではないから破壊という概念も適用されない」

かつては宇宙の全てを網羅していた〝厄災界の大樹〟の力は、今や四方数キロ程度の島が限界ということのようだ。

見るも無惨というべきか。それとも、苗木一本みたいな有様に成り果てながらも、理が崩壊した世界で島一つ分だけでも生存圏を維持できていることが凄まじいというべきか。

燃料代わりとなるべく犠牲となっただろう数多の人柱達を思えば、後者と思ってもいいのかもしれない。

「このねじくれた塔のような建造物は大樹を模しているんだろう? 〝核〟の力を増幅するために。他にも〝時間遅延〟、いや、〝時間干渉〟の効果と……電波塔のように何かを放っているな? おそらく、さっき言っていたもう一つの結界関連だ。この建造物自体が巨大なアーティファクトなんだな?」

「そこまで分かっているのね。本当に大したものだわ」

今度こそ感嘆の溜息を漏らしつつ、マーキュリース主任は「アーティファクト……」と呟いた。トータスで伝説の遺物を指して言う道具も、厄災界では違うのだろう。

「……イナバ達から少し聞いてるわ。古代の遺物的な意味合いよね? こちらでは概念魔法を付与した物を〝特級魔道具〟、理法術を付与したものを〝第一級魔道具〟、それ以下の魔法的効果を付与した物を効力や質に応じて第二級以下の階級を付けて呼称するのだけど……やっぱり用語の擦り合わせは必要ね」

「ああ、だが後でいい」

第三者に説明するならともかく、ハジメとマーキュリース主任の間では推測と視線を交わして正誤を判断する方法だけで今のところ通じ合っている。

なので細かい話は後だと軽く手を振るハジメ。その手にはクリスタルキーが握られている。

「異世界間の移動に関して、もう一つ確認したい。これで地球とここを繋ぐことに問題はあるか?」

素直に〝虹の橋〟を渡ったのは、両世界に悪影響を出さないための何か特殊な効果が付与された転移門である可能性を疑ったからだ。

クリスタルキーを使って独自のゲートを開いて、それで地球の理が崩壊したら目も当てられない。慎重に慎重を重ねるべきという当然の判断だ。

その慎重さは、やはり正解だったらしい。

「止めておきなさい」

マーキュリース主任は真剣な眼差しをハジメに向けて忠告した。

「先程も言ったけれど、本来、この世界は概念魔法により閉ざされているの。異世界の何者かが、うっかり世界を繋いで理の崩壊――理壊現象の影響を受けないように」

「……当然の処置だな」

「もちろん、無限の魔力と概念魔法を付与した特級魔道具を持つ貴方なら強引に道を開けることもできるでしょう。けれど、その結果は保証できない。座標が少しでも境界内からずれた場合は当然、この生存圏を囲む理壊現象の影響がゲートにどんな影響を及ぼすか未知数だからよ」

「つまり、転移中にゲートが崩れたり、指定したはずの座標が勝手に狂ったりしかねないということだな」

「そう。本来、異世界間の移動は〝神樹〟同士の繋がりを利用するのよ。その繋がりを〝起源流〟と言うわ。その世界だけでなく、全ての宇宙を繋いでいる大いなる流れ。〝虹の橋〟は、その流れに乗る技術よ」

言わば、厄災界における異世界間転移は海中を潮の流れに乗って移動するようなもので、ハジメのそれは目的地にロープ付きのアンカーを打ち込み、そのロープを辿って強引に泳いでいくようなものということらしい。

そして、厄災界付近の海流外の海中には理壊現象という名の猛毒が充満している、というイメージのようだ。

なるほど。それはハジメの転移方式の方が理壊現象の影響を受けるというのも納得だ。

「〝神樹の核〟は、もう直接には〝起源流〟と繋がっていない。けれど、まだ〝正常な環境を保つ性質〟は生きている。これを利用すれば、理壊現象の影響を越えて〝起源流〟に接続することはできる。辛うじてだけどね」

この接続術式が、先程言っていた〝現状に合わせた新たな転移術式〟なのだろうと理解しつつ、ハジメは納得したように頷いた。

「なるほど。女神が勇者を召喚する方式も、おそらくそっちだな」

「そちらの〝神樹〟……」

「王樹と呼んでいる」

「そう、王樹が健在なのも助けになったわ。そちらの星に続く〝起源流〟を辿れたから。後は、貴方の第一級魔道具――リーマンの乗り物や勇者殿が譲渡してくれた貯蔵魔力を解析して、貴方という座標を特定したのよ。貴方、直前にとんでもない力を放ったでしょう? おかげで座標設定が随分と楽になったわ」

ハジメの元に〝虹の橋〟が出現したのは、そういう理由だったらしい。

「つまりだ。王樹をゲート代わりに起源流を辿る形なら独自に繋げても問題はない。そう理解していいか?」

こくりっと頷くマーキュリース主任。

ハジメは内心でホッと胸を撫で下ろした。何を置いても真っ先に確認すべきこと、すなわち〝帰還手段の確保〟に関する情報を得られたからだ。

もちろん、マーキュリース主任が巧妙に嘘を吐いている可能性はあるので、完全に安心できたわけではないし、まだ何点か気になる部分はあったが、一応、筋は十分に通っていると判断できる情報だった。

なので、その何点かを追及する――というその時、ホロウを中心に渦巻いていた魔力の奔流が収まってきた。白い輝き一色だったホロウの目に瞳孔が戻る。どうやら〝虹の橋〟を維持するのに十分な魔力を吸収できたらしい。

安心材料が増えて少し肩の力を抜きつつ魔力の放出を止めるハジメ。そこへ、とんっと軽い感触がハジメの肩に伝わった。

「なんだ……?」

「え……ホロウ?」

ホロウがハジメの肩に飛び乗ってきたのだ。ハジメは訝しみ、そしてマーキュリース主任は、またも大きく目を見開いていた。部下達がこの場にいたら、彼女の精神が病んでしまったのではと逆に心配するだろう高頻度の表情変化である。

どうやら、ホロウがハジメの肩に飛び乗ったのは、それほどに想定外のことだったようだ。

ホロウはハジメを覗き込むようにしてジッと見つめている。ハジメも見返した。光そのもので出来たような体なのに、毛の一本一本が本物の猫のように繊細で美しい。

何かを訴える眼差しだ。鳴き声一つないが、なんとなく伝わるものがあった。

「……もっと欲しいのか?」

『に~』と、か細い鳴き声が響いた気がした。直後、ハジメから魔力が溢れ出した。

「! お前、勝手に魔力を抜き出してるな?」

どこか甘えるように鼻先をつんっと当ててくるホロウ。

あざとい。このお猫様、実にあざとい! 本物のお猫様のように!

だが、やっていることは中々に凶悪だ。その吸い出している魔力量からしても。

無限の魔力がなければ、常人なら衰弱死していてもおかしくないレベルである。敵意や悪意はなく、見つめてきたのも了解を取ろうとしていたのだろう。で、ハジメなら大丈夫だと理解してのことなのだろうが……

事実、ハジメ的には問題なかった。なので溜息は吐きつつも特に振り払うこともなく好きにさせると、ホロウは感謝を示すように頬をスリスリし始めた。

「!!? ……す、少しフォローさせてちょうだい。ホロウだけに――てね」

大変動揺しているらしい。さっき腰を抜かしたのでジョークは控えようと思っていたのに、思わず口にしちゃうくらいには。

案の定、ヒタッと向けられたハジメの冷え切った眼差しに、また子鹿になりそう。

「その子が自分から誰かに触れようとしたことは一度もないのよ。だから、少し驚いてしまって羨ましいわ」

「本音が漏れてる」

ハジメさん、なんとなくホロウの顎下を指先でナデナデしてみる。ホロウは気持ち良さそうに目を細めた。ゴロゴロと喉を鳴らしたりはしないが、本物の猫ならそうしただろうと思わせる雰囲気だ。

「!?」

マーキュリース主任がヨタヨタと後退った。まるで恋人の浮気現場を見てしまったかのような雰囲気だ。

と思ったらハンカチを取り出して噛み締め始めた。「キーーッ、浮気者!」と言ってそうな雰囲気で。あくまで雰囲気だ。無表情なので普通に怖い。

「で、フォローってのは魔力を吸い出してることについてか? 別に敵対行動とは思っていないから心配は無用だ。それより……これは〝境界〟のための魔力をも吸収しているってことでいいんだよな?」

普通に考えればそういうことだろうと当たりをつけて確認するハジメに、マーキュリース主任はハンカチを噛み締めたまま頷いた。

「もが、もごごご、もが――失礼。それどころか、おそらく〝虚構創理の結界〟の分まで絞り取ろうとしているんじゃないかしら。……人柱を全員、解放したいのね」

目を細めるハジメ。指を三本立てる。最優先事項である〝転移門に関して〟以外の、最低限聞いておきたいことを改めて口にする。

「それも優先的確認事項の一つだ。最低限、聞いておきたいことが三つある。一つ、その〝虚構創理の結界〟、理壊現象を食い止めている結界だよな? について。二つ、今襲撃してきている怪物共、無神の正体について。三つ、現状の解決手段について」

一拍置いて、虚偽は許さないと言わんばかりの眼光を突きつけながら問う。

「現状についてはイナバ達から少し聞いている。ここが陥落すれば理壊現象の影響は異世界に及び、全宇宙が滅亡を迎えると。また、あんた達は百年近く世界存続の方法を探り続けていると」

「間違いないわ」

「なぜ、そんな状況で他の世界に助けを求めなかったのか? ……先程、あんたは言った。〝概念的に閉ざされた世界〟だと。つまり、求めたくても求められなかった」

本来は、あの〝旅人〟という三角錐の浮遊体を除き、原則的に厄災界が他の世界と繋がることはできなかったに違いない。

だが、それが可能になる出来事が起きた。

「無神の襲撃でエネルギー供給か建造物自体に問題が生じた。結果、〝虚構創理の結界〟とやらにも綻びが生じた。不幸中の幸いというべきか、その綻びが故に〝虹の橋〟を架けられるようになった」

異世界間の時間差が唐突に生じたのも同じ理由だろう。理壊現象の影響が出たのだ。〝旅人〟が今になって動き出したのも、そこに理由があるのではないか。と、ハジメは半ば確信しながら己の推測を口にした。

だが、

「いいえ」

予想に反し、マーキュリース主任は頭を振った。

そうして口を突いて出てきた回答は、ハジメも想定していなかった最悪のものだった。同時に、どうしようもなく破滅的だった。まさに、世界の危機であった。

「逆なのよ」

「逆……?」

マーキュリース主任の視線が落ちる。忸怩たる思いが滲み出ているように、その手が拳を形作り微かに震えていた。

「おそらく、無神は脱出したいのよ」

「……脱出? 襲撃ではなく?」

「そう、脱出。……あの日、世界が崩壊した日から、どうにか世界の延命を続けて来たけれど……もう限界なの」

「……! まさか、そういうことなの、か……?」

ハジメの眉間に深いシワが寄った。事態の深刻さに、否、そんな言葉では到底足りない最悪の状況を理解して思わず片手で額を押さえる。

マーキュリース主任の表情が盛大に歪んだ。悲痛に、そして、悔恨と申し訳なさに満ち満ちた様子でくしゃりっと。

「エネルギー量の問題ではないの。〝虚構創理の結界〟は完全に理壊現象を抑え込めているわけじゃないのよ」

〝虚構創理の結界〟――かつて、理の崩壊を修復できないと理解した厄災界の者達が最後の手段として行った最大にして最後の手段。

宇宙そのものが端から崩壊していく最中、生き残った人類の大半を使った〝概念魔法創出術式〟により創られた結界のことだ。

そう、読んで字の如く、かつての厄災界には概念魔法を任意に創出する手段が確立されていたのである。

ただし、その方法は非人道的の極みだった。

概念魔法には〝理に干渉する力〟と〝極限の意志〟が必要だ。

前者は脳と魂に刻み込む手段がある。だが、鍛えられた下地がなければ廃人まっしぐらだ。一朝一夕にはいかない。

後者は更に難しい。他者に言われて出される極限の意志など〝極限〟とは言えない。その者が本当に心底、それこそ魂から願うことでなければならない。

だが、それらの条件は当事者の安全と人権を無視すれば叶うとも言えるのである。

魂魄に干渉し、記憶を捏造し、人格を書き換え、狂信的な願いを植え付け、極限の意志を強いる。そして、無理やり理法術を刻みつける。いかなる手段でも回復不可能なほど徹底的に。

かつての厄災界は高度に発達した魔法技術により宇宙進出も果たして久しく、その人口は数十兆人に及んだという。

そのほとんどが理壊現象に呑まれて為す術なく消えた。

最後まで理壊現象の影響に抗っていた宇宙の中心たる神樹の星に逃れられたのは、元より住んでいた特権階級の者達を含めて二十数億人程度。

そのうちの、およそ八割が廃人確定という代償を払えば、十数億人規模の〝同一の極限の意志〟を元にした概念魔法を発現することは可能なのである。

その結果、厄災界の宇宙全域に〝アンチ理壊現象〟というべき概念を放つことに成功した。

それが、〝理が崩壊した〟という事実に対する〝理は崩壊していない〟という反対概念を主軸に、〝一切の事象はこの宇宙より外に波及しない〟〝他世界での一切の事象はこの宇宙に影響しない〟など複数の概念が付与された特級魔道具〝虚構創理の結界塔〟、つまり、この建造物だ。

まさに、〝虚構の理を創る結界〟というわけだ。

だが、それだけの犠牲を強いても崩壊を完全に止めることは叶わなかったのだ。

「襲撃されたから滅亡しそうなんじゃない。滅亡しそうだから襲撃されている……ということか」

理が崩壊した宇宙の中でも生存できる怪物共。だが、流石に理壊現象の中で異世界間を渡ることはできないのだろう。

この厄災界において唯一、問題なく力を発動できる場所はここしかない。

直ぐに転移せず理法術師達と戦っているのは、彼等が他の世界に行かせまいと応戦するからというだけでなく、

「あんたらの魂を取り込んで転移のためのエネルギー源にしたいか、神樹の核が目当てか。あるいは両方か……」

デトロイトでの事件を思えば、怪物共と言えど異世界間移動は容易ではないのだろう。特に、〝閉ざされた世界〟が不完全になっている現状であっても理壊現象の影響を越えて脱出するには。

なんにせよ、だ。

「仮に襲撃を防ぎきっても、理壊現象の影響はそう遠くない未来で必ず全世界に波及する」

「……ええ」

「解決手段は?」

「……」

半ば答えは分かっていた。もし手段があるなら、マーキュリース達はとっくに対応していたはずだから。それでも聞かずにはいられなかった。

「……ごめんなさい」

今にも消え入りそうな声音が微かに響く。その瞳には暗い影が落ちていた。人が〝絶望〟と呼ぶ影だ。

「……猶予は?」

「貴方の助けがなければ、襲撃にかかわらず保って十年前後。早ければ数年以内といったところだったわ。もちろん、本来の時間軸――貴方の世界の換算でね」

「俺の助け? そうか、魔力か。俺がこれから先、無限魔力を供給し続ければ……」

「結界の出力自体が今までの比ではないレベルで上がるわ。でも、根本的解決には至らない。出力強化だけでは破滅は避けられない」

現在進行形で貪欲に魔力を吸収するホロウを見つめるマーキュリース主任は、少し思案し、

「それでも……正確には計算し直さないと分からないけれど……最低でも百年前後は保つでしょう」

終焉までの残り時間を口にした。

ハジメは思わず「たったそれだけか」と吐き捨てそうになった。

人一人の一生分だ。滅亡を前に最後の人生を送るには十分な年月かもしれない。だが、脳裏に浮かぶのは家族のこと、そしてユエ達との約束だ。

これから生まれてくる子供達は、そのまた子供達はどうなる?

「受け入れられない」

ビリリッと空気が震えるような声音だった。頬を叩かれたようにハッと顔を上げるマーキュリース主任。

理どころか概念にも干渉可能な技術レベルを持つマーキュリース達が、生存者を犠牲にしてまで時間を稼いでいる中で手をこまねいていたわけはない。世界を救おうと死に物狂いで研究に明け暮れていたに違いない。

それでも見つけられなかった。その事実を理解してなお、しかし、ハジメの瞳に絶望はなかった。

「いつでも、どんな状況でも、手は必ずある」

そうやって生きてきた。奈落の底に落ちても、世界を支配する神と敵対しても、必ず生き残る道を見つけてきた。

未来を想えば、たった百年。けれど、未来を取り戻す猶予が百年なら……

十分だ。絶望する理由も、諦める理由もない。

「あんた達も、まだ諦めていない。諦めることを己に許していない」

だから、あれほど必死に無神の襲撃に抵抗していた。

だから、イナバ達が希望だと言った〝魔神〟へ必死に道を繋いだ。

「どうやら、敵をぶち殺して解決というほど簡単な事態じゃないらしい。〝最低限の情報〟じゃあ全く足りない。一から全部、何もかも教えてくれ」

冷徹な観察の如き眼差しではなかった。太陽を仰ぎ見た時のような熱量と意志の輝きが宿った眼差しだった。

知らず息を呑む。あの異様で強大な気配を感じた時よりも圧倒される。

「こちらも教える。あんた達が守った数千年、あるいは数万年の時の中で、異世界の者達が積み上げてきたものを、知り得る限り」

あのエヒトが生まれた世界だ。

どうやら地獄界を壊したのも、この世界の住人らしい。

思うところは当然ある。完全に信用できたわけでもない。

だが、その全てを呑み込み、ハジメは片手を差し出した。

その瞳には、己の言葉への疑念など欠片もなかった。心から信じていた。必ずこの事態を乗り切れると。

自然と、マーキュリース主任は一歩を踏み出していた。

まるで、真っ暗な闇の中を彷徨い続けた果てに、遂に光を見つけたみたいにふらりっと。

「……ありがとう」

相変わらずの無表情。けれど、その顔にはどこか泣き笑いが浮かんでいるように見えた。

僅かに震える声音で、マーキュリース主任はハジメの手を取った。固く、恥を忍んで縋り付くように強く、握り締めた。

「どうか手を貸していただきたい。異世界の神様」

ハジメは肩を竦め、ただ力強く握り返した。

遠き宇宙の果て、星一つない暗闇に何かがいた。

姿は判然としない。ただ、強大で異質の極みのような存在だった。

それが唐突に激しく脈打った。声にならぬ絶叫を上げた。

それはまるで、運命を決定づける重大な何かを感じ取ったかのようだった。

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次回は地球に残ったユエサイド。しかし、もう少し説明回が続くんじゃよ……

新年早々、地味なお話が続きますが今しばらくご容赦ください。