LNCrawler

全世界防衛戦⑮ メイド服は戦闘服だからっ

ありふれた職業で世界最強 — ncode.syosetu.com · All chapters

全世界防衛戦⑮ メイド服は戦闘服だからっ

時間は遡り、全世界防衛戦が開始された直後のこと。

星霊界の王国が一つ、バルテッド王国の王宮。その執務室にて、

「ん……?」

書類の山脈と朝から格闘していたエリック・ルクシード・バルテッドは、ふと寒気を感じて顔を上げた。

開けっぱなしの窓から入り込む風が妙に冷たくて、ぶるりっと震える。

「いつの間に……気の滅入る天気だな。午後は雨か?」

朝は実に爽やかだった。快晴を予感させる晴れ模様だったのだ。

しかし、昼を幾分か過ぎた頃合いの今は灰色に濁ったような曇り空に様変わりしてしまっている。風もどこかぬるりっとしているというか。

「……それにしても、誰も来ないな?」

そろそろ休憩しようと伸びをしつつ、しかし、いつもなら昼食の知らせをしに来るはずの使用人が未だ顔を見せていないことに小首を傾げる。

ギシッと椅子を鳴らして立ち上がり、取り敢えず、この冷たい風から逃れるべく窓を閉めに行く。

「む? 霧……か? 珍しいな」

なんとなく見える景色全体が霞んで見える。薄い霧が降りているようだ。バルテッド王国では大変珍しい。

神々との交流が珍しくない時代なら〝流転の神霊エンティ〟が気まぐれに天候を変えたり、〝雷雲の神霊ウダル〟の影響で曇り空になったりということはよくあった。

だが、今は神なき時代だ。シンテッド獣王国なら土地柄もあって珍しくないが、少なくともこの五年、バルテッドの王都に霧が発生したことはない。

妙な天気、不快な空気感に眉をしかめる。なんだかイライラした気持ちになる。が、エリックは直ぐに頭を振った。苦笑を浮かべて呟く。

「まぁ、これも自然か」

自然の気まぐれ。そのままを受け入れる。そう決めて再出発したのだ。気の滅入るような天気だからといって、いちいち苛つくなど心構えがなっていない。

「シア殿に笑われる……って、やれやれ」

苦笑が深まる。

南雲ファミリーの来訪からしばし。ようやく国の雰囲気も落ち着きを取り戻して日常が戻ってきたと言える頃合いだ。

良き再会、良き別れだったと思う。この世界の人々にとってというだけでなく、エリック自身にとっても。

少なくとも彼女への想いは完全に吹っ切っれたと断言できる。それは、幼馴染み達も同じであるはずだし、レテッド民主国の首長アロガンもシンテッド獣王国の国王グルウェルも同じはずだ。

父性に目覚めたルイスを筆頭に、幼馴染み達も実家にせっつかれていた結婚を真剣に考え始めたくらいだし、なんならアロガンやグルウェルとは互いの国からやんごとなき姫君を互いに嫁ぎに出し、三国の関係強化にも資するのはどうかと話し合ったくらいだ。

それでも、ふとした時に彼女のことが思い出されるのは……

「救世主殿に恥じない己でいたいという戒め、指針だ。うん」

そういうことにしておく。もしかしたら一生、まるで後遺症のように消えない想いかもしれないが、だからといって前に進めぬわけでもない。思い出は思い出として、むしろ自分を前に進ませる原動力にする。その気持ちもまた本物だ。

「とはいえ、名前を出す癖は直さないとな」

結婚する相手からすれば、たとえ自身も敬愛する救世主とはいえ夫が別の女の名前を事あるごとに出すというのは流石に許容外だろう。

しっかりしろと頬を両手で叩き、執務で疲れた脳を少しでも覚醒させる。

「禁足地……ダリアのこともある。休んでいる暇はないぞ」

エリックは肩を竦めながら窓を閉めた。まずは腹ごしらえだ。とびっきり濃い紅茶もいる。

と、気合いを入れ直しながら窓を閉め……

「!!?」

振り返り様に心臓が止まるかと思うほど驚いた。

「だ、誰だ!?」

執務室の中に音もなく人が立っていたのだ。

壁際に立ち背を向けている。豪奢なマントを羽織った体格の良い男。白髪で、後ろ姿なので明確ではないが、おそらくオールバック。

エリックの怒声にも反応せず、ただ立っている。否、見ている。

壁にかかった剣を。

それは前王の愛剣だった。

もちろん、バルテッドの王の剣とは神霊武具たる神剣タルナーダである。だが、国の宝剣であり他国にとって脅威にもなる神霊武具を普段使いするわけもなく。

武人でもあった前王が訓練に用い、あるいは狩り、あるいは護身用、予備剣として持ち歩いていた剣が、まさにこれだった。

華美な装飾のない無骨な普通の剣だ。特に名剣というわけでもない。だが、前王が振るえば折れず曲がらず、そして神剣に負けず劣らずの切れ味を見せた。ひとえに、前王の腕前故だ。

あるいは、戒めだったのかもしれない。

強力な兵器でもある神霊武具の力に酔いしれず、無闇に振るわず、己の力と技で振るってこそ剣であり、武であると。

エリックの幼少期は戦争の最中。

一番覚えている父の姿は大抵が背中だった。普通の剣を振るう後ろ姿、執務室には入れず、室外で見かけるときは誰かと話していて、やはり後ろ姿ばかり。

その後ろ姿が不意に重なった。目の前の侵入者の背と。

「……ちち、うえ?」

あり得ないことだった。戦争で死んだのだ。だから、若すぎる王が生まれ、人の業を一心に背負いながらも救世を成そうともがき苦しんだ。

掠れた声音がトリガーになったのか。反応があった。

ただし、目の前の男ではなく壁にかけられた剣の方に。濃緑色の気味の悪い霧のようなオーラが不意に目に映った。今、湧き上がったというより最初から纏っていたものが見えるようになった。そんな感覚だ。

その濃緑色の霧は剣から流れ、男を包み込んでいた。あたかもへその緒のように男と繋がっていた。

呆然とエリックが見つめる中、男がおもむろに手を伸ばす。剣の柄に手をかけ、懐かしそうに剣身を眺める。

その剣身に反射して顔が映った。

「父上ッ」

間違えるはずがない。確かに父の顔だった。

父の目と息子の目が、剣身越しに合った。

「っ、あり得ない!! お前は――」

父上は死んだ。生きているはずがない。そう頭では分かっていても感情が付いてこない。嵐の如く波立ち、激しく動揺する。

何が起きている!? と混乱で口をパクパクさせながら、しかし、父を求めて前に踏み出さなかったのは、ある意味、エリックの成長と言えるのか。

藁にも縋る思いだった動乱の時代ならいざ知らず、心身共に成長し未来へ向けて進んでいるエリックは、だからこそ、動揺する心の片隅で警鐘を鳴らす本能的な己の声に従い、逆に一歩、後退った。

それが結果的に命を救った。

まるで鬼面だ。前王の顔が一瞬で変貌した。と思った時には既に間合いを詰められ、剣が振り切られていた。

喉の薄皮一枚。それで済んだ。

「ッッ!!?」

反射的に喉を片手で押さえながらバックステップする。流れるような袈裟斬りを、肩と胸元の装飾を斬り裂かれながらも辛うじて回避。

だが、反撃が出来ない。武器がないから。相手の技量が凄まじいから。というだけでなく意志を持てない。

どうして、という疑問が邪魔するのだ。なぜ、と心が締め付けられるのだ。

どうして父の顔は、そんなにも、

「俺がっ、憎いのか!?」

怒りと憎しみに満ちた目だった。この世の何もかもを憎悪しているような、煮詰まった負の感情を叩き付けてきているかのような、そんな形相だった。

父であるはずがないと頭では分かっているのに、父の目が、顔が、己に憤怒と憎悪を向けているという事実に体が竦む。心が冷えて、固まって……

だが、それ以上に。

「ふざけるな……ふざけるなよ! 勝手に死んで、何もかも俺に背負わせておいて憎むだと!? それは俺の感情だ! 俺にこそ糾弾の権利はあるはずだっ!!」

壁際に追い詰められる。もう回避できない。なのに、ふつふつと湧き上がってくるのは焦燥でも恐怖でもなく怒り、そして憎しみ。

心のどこかが違うと叫んでいる気がする。けれど、それを意識する余裕はなく。

剣が、振りかぶられる。

「エリック!!」

扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは近衛騎士団長のグレッグだった。それで沸騰しそうだった頭が一気に冷静を取り戻す。

グレッグは状況を見るや直接では間に合わないと判断し、間髪入れず短剣を抜き打ちの要領で投擲する。

素晴らしい速度と技量だった。これには流石の前王も対応するしかなかったようで、息子を斬り裂かんとしていた剣を回して短剣を弾く。

その一瞬の間にグレッグは距離を詰めて斬りかかった。

それをなんなく剣で受け止める前王だったが、グレッグの膂力は予想外だったのか。弾くことも逸らすこともできず鍔迫り合いに持ち込まれ、更に押し込まれる。

当然、グレッグも相手を認識する。前王の顔を。目を見開く。だが、

「グレッグ! 父上は――」

「俺の王はお前だ!!」

動揺は瞬く間だけだった。相手が誰であとうと、どんな事情があろうと関係ない。己は近衛。王の守護者。ならば、我が王に剣を向ける者に容赦する理由なし。

何か言おうとするエリックへ、そう言外の言葉を返し、更に力を込めて上から押し込む。

圧に耐えられず膝を突く前王。その表情は憤怒と憎悪にますます歪む。この期に及んでもなお言葉はなく、代わりに獣の如き唸り声が漏れ出るのみ。

否、音の振動以外で伝わってくるものがあった。

――憎い、憎い。生きとし生けるものが憎いッッ

生者への憎悪。その強烈な思念というべきものが直接、脳内に響いてくるようだった。

「っ、グレッグ!! 王命だ! 斬れ!!」

「オォオオオオオオオオオッ!!」

王の命令があるとのないのとでは全く違う。まして、相手が前王の顔をしているのなら。動揺はなくとも、王の命令は騎士に大きな力を与えるものだ。

霊素を失って久しく、だからこそ肉体強化に余念のなかったグレッグの筋力は凄まじい。

それに対し、前王は力で対抗しようとした。

片手を柄から離し、剣身に手を添えて盾のように構えながら押し返そうとする。

生前の彼ならあり得ない悪手だった。前王なら技で対抗したはずだ。感情的にならず、冷徹な思考を持って相手をいなし、反撃に転じたはずである。

なぜなら、彼の愛用の剣は〝普通の剣〟だから。技量を以て扱わねば折れて曲がってしまう、どこにでもある剣だから。

ならば、近衛騎士団団長のためにあつらえられた、霊素の時代より進歩した技術を以て造られた業物に勝てる道理もなく。

「ぬんっ!!」

「!!?」

愛剣ごと、前王は唐竹割りに斬り裂かれた。

そして、濃緑色の霧となって散っていった。まるで最初からそこには存在しなかったみたいに綺麗さっぱり。

後にはカランッと真っ二つになった前王の愛剣だけが転がって。

「なん……だったんだ……」

呆然としながら呟くエリック。周囲を警戒しつつ、グレッグは口調を改め近衛騎士団長の顔で答える。

「陛下、緊急事態です。城内でも同じようなことが」

「なんだと?」

その報告と護衛のために駆けつけたということだろう。扉が開いていることでエリックの耳にも今更ながら届いた。

城内の喧噪、悲鳴、混乱の声が。

「警備兵と部下に対処を命じました。しかし……扉の前でも近衛と兵士が押し問答をしていました。室内の騒動は聞こえていたはずですが、それも無視して。一触即発の状態だったうえ、私にまで剣を向けたので殴り倒しましたが」

「あいつらが……? そんな馬鹿な」

「はい。何かおかしい」

当然ながら国王の執務室の前には常に二人、信頼の置ける近衛騎士が警備に付いている。時間的に前王が姿を見せて襲ってきたのと同タイミングだったのだろうが、それでも一兵士と押し問答などしているような無能ではない。

「それに 俺 ( ・ ) も ( ・ ) ――」

グレッグが頭痛を堪えるような仕草をしながら何か言いかけるが、それを遮るように伝令の兵士が飛び込んでくきた。

「陛下! 狼煙です!! 〝急報の狼煙火〟が灯っています!!」

「!」

即座に踵を返し、先程閉めたばかりの窓に駆け寄る。

窓越しに、確かに見えた。王都から少し離れた場所にある森。その境界線辺りに設けられている特別に高い物見やぐらのような塔の天辺から黒煙が上がり、更に火が灯っている光景が。

霊素を失った今、遠方にて緊急事態が生じた際に、一定間隔で設けている狼煙台に火を灯すことで早急に王都へ知らせるための仕掛けだ。

「まさか禁足地で何か? ダリアが上げたのか……」

「いえっ、八方向、全ての狼煙火が灯っています!!」

「全域、だと?」

「また、王都にて死者が蘇り民を襲撃。治安部隊が対処していますが混乱著しく! 特に東門の方角、王都郊外より凄まじい数の……」

「凄まじい数の、なんだ! はっきり言え!」

「ハ、ハッ! 骸骨の姿をした存在が迫っていると!」

「骸骨……だと? 東には確かに共同墓地があるが這い出てきたとでもいうのか? ええいっ、まったく状況が分からん!」

何はともあれだ。エリックは執務机の後ろの壁に立てかけてある己の剣を手に取った。腰に身につけながら伝令役の兵士に声を張り上げる。

「軍に通達! 東門を、いや、全門を閉ざし防備を整えよ! また王都内の襲撃者に対し、それが如何なる姿をしていようと鎮圧せよ。鎮圧手段は問わん! これは王命である!!」

「ハ、ハッ!!」

兵士が慌てて駆け出していく。

「グレッグ、行くぞ。ルイスの状況分析が必要だ」

「迎えに行くのか? 誰かに呼ばせては?」

「今のあいつは戦闘力に乏しい研究者だ。状況によっては技研から動けないでいる可能性もある。それよりフィルはまだか? あいつなら直ぐに飛んでくると思ったが……」

諜報部隊は常に大陸全土に広がり、伝書鳩方式で情報を密にやり取りしている。王国の全域から緊急事態の知らせが届いている現状、諜報部隊長であるフィルなら詳しい情報を掴んでいそうだと期待しているのだが……

なんて会話をしている間にも執務室を出て、王国随一の頭脳を持つルイスがいるはずの技術研究所への道を行く。

王城の最上階の通路は王の執務室があるが故に、最上階に上がれる者自体も限定されており普段は静かだ。

だが、廊下の曲がり角の向こうからは激しい剣戟の音と怒号が響いてきた。

グレッグと顔を見合わせ駆け出す。

「!」

遺体があった。使用人の遺体だ。何人もの。急いで駆け寄り念のために脈を計るが、やはり事切れている。斬られたり、首を絞められていたり、殴打されていたり。

まるで暴動にもであったかのような統一性のない死因ばかり。

「! チッ、グレッグ!!」

「御意!」

犯人はやはり濃緑色の霧を纏う存在。それも複数。兵士の姿をしている者が多いが、武器も持っていない使用人や文官の姿の者達もいる。

それらが今まさに生者である文官と使用人を襲っていた。警備兵達が戦っているが、誰も彼も困惑と恐怖に晒され動きが鈍い。顔見知りがいるのだろう。必死に「やめてくれっ」と呼びかけている者もいる。

「本体にダメージが入っていない? 霧で出来ているのか?」

そこへ飛び込み、あっという間に首を撫で斬るグレッグだったが、一瞬、斬った部位が散るもののそれだけ。どうやら肉体へのダメージが無効化されるらしい。

「グレッグ!! 霧の発生源だ! 物を狙え!」

「!」

気が付けたのは間近で見たからだろう。濃緑色の霧の発生源と、その流れを。

どうやら死者の姿をした存在は、何かしらの物を起点に存在を確立しているらしい。逆に言えば、その物を破壊すれば霧散消滅する。

やはり生前より動きは単調なようで、霊法術も使って来ない。となれば、この場にグレッグの相手になる者はおらず、瞬く間に不可解な存在達は消滅していった。

「へ、陛下、ご無事で」

「いったい何が起きて……」

兵士達が青ざめた表情で息も絶え絶えに言葉を向けてくる。周囲の遺体に歯を食いしばるような表情を見せながら、エリックは首を振った。

「分からん。ともかく、今は城内の者達の救助が優先だ! 一人でも多く保護し、避難所まで護送せよ! ……躊躇うな。迷えば殺されるぞ!!」

それは命令であり、同時に兵士達を案じる言葉だった。だが、目の前の兵士に対しては悪手だったようで。

「そんなっ、俺は親友を殺したんですよ!! 神に殺されたあいつを! せっかく生きていたのに殺したんだっ。また殺せっていうのか!?」

「っ、それは……」

目が血走っていく。兵士のエリックを見る目が敬愛する王を見るそれではなく、敵を見る目になっていく。

明らかに異常だった。いくら死者が蘇って襲ってくるという異常事態の最中とはいえ、この状況で王に剣を向けるなんて。

錯乱しているにしても、あまりに極端だ。

「誰に刃を向けている」

グレッグが前に出た。だが、逆にエリックはギョッとした。グレッグの声があまりにも殺意に満ちていたからだ。

寡黙で、あまり感情を表に出さず、微笑さえレアと言われる幼馴染みが、まるで獣のように牙を剝いていた。

「お、おい、グレッグ。お前も落ち着け――」

既に王の言葉は届かないらしい。そして、今度はそんなグレッグの様子がトリガーになった。

「お、俺達を殺す気なのか!? そうなんだな!?」

「ふざけるなよっ。殺される前に殺してやる!!」

「死にたくないっ死にたくないっ!! 俺以外はみんな死ねばいいんだっ!!」

兵士達の目が次々と血走っていく。息を荒げ、怒りと憎しみに満ちた目をグレッグへ向ける。それでグレッグもより一層、怒りを滾らせて……

まるで相乗効果だ。際限なく憤怒と憎悪が高まっていくようだった。

「止せ!! 命令だ! 双方、剣を収めろ!!」

「死ぬがいい」

「「「「ウォオオオオッ!!!」」」」

もはやエリックの言葉は届かなかった。死者の蘇りなど関係なく、生者同士での殺し合いが始まった。

それは、実のところ城内中で、否、それどころか大陸中で起きている異常事態だった。

各地で死者が蘇り、生者を襲う。

多くは墓場から 骸 ( むくろ ) の状態で、場合によっては形見など死者に縁の深い〝物〟を起点に濃緑色の霧を纏いながら。

そして、死者が蘇るというのなら、当然、死んだ存在は人間に限らない故に。

「エリ、クッ!! ぐっ」

「フィルッ!! 危ないっ」

廊下の奥の角から諜報機関の長たるフィルが姿を見せた。あちこちから血を流し、片腕はあらぬ方向へ曲がっている。

背後から襲い来た数十人の文官を片腕の徒手格闘で捌き、無力化しながらも叫んだ。

「精霊獣だ! 精霊獣の 骸 ( むくろ ) が迫ってる! 数は不明! けど、北の森からは少なくとも数百体は来る! あと、宝物殿からも十数体が出現! 何体かは倒したし、今、部下と兵団が対応しているけど……長くは持たない!!」

「精霊獣まで……」

言わずもがな。今の大陸に精霊獣は存在しない。だが、当然ながら遙か歴史の中で死を迎えた精霊獣は数多おり、大半は大陸のどこかの森の中でひっそりと自然に還ったはずだ。

一部、人の子に己の一部を譲り、力ある道具として転じた存在もいるが、それらが蘇ったとすれば……

「……霊素も、精霊獣もいない今、そんな数で攻められたら……」

血の気が引いていく音が聞えた気がした。

あまりに唐突に訪れた滅亡の危機。意味が分からない。試練の時代といえど、こんな事態は想定していない。

剣戟、怒号、生者を呪う憎悪の声が耳朶を乱打する。

頭の中に泥が溜まっていくような感覚だった。

目の前で幼馴染みを襲う兵士や使用人達。だが、幼馴染み達だって守ると誓った民を襲っている。獣みたいに聞く耳も持たず。

同じ国の民同士が、人間同士が殺し合っている。

なんだこれは、と思う。

「こんなことのために戦ってきたわけじゃないぞ」

シア殿と、そしてダリアに申し訳が立たない。今までの努力を否定する行為だ。

手を取り合って未来を築くと、そう決めたはずだ。これは裏切りに他ならないのではないか?

「許せない……」

ふつふつと、再び湧き上がる強烈な感情。怒りと憎しみで思考が真っ黒に染まっていく。

剣を抜く。グレッグの背中を見やる。

――違うっ。やめろ!! 何を考えてる!!

頭の奥の方で誰かが叫んでいる気がした。でも、このマグマの如く沸き立つ感情を前にしては些細な声に過ぎなくて。

希望のある未来が、前を向いて歩む人間が、あまりに 眩し ( にく ) くて。

剣を振り上げる。

――止まれっ。止まってくれ!! こんなの俺じゃない! 俺の感情じゃない!!

ズキッと激しく頭が痛んだ。思わず片手で押さえる。

だが、それだけ。

まるで心と体がバラバラになってしまったみたいに、再び剣を振りかぶる。

幼馴染みを、斬り殺そうとする。

――やめてくれぇえええっ!!

己を止められない。激烈な負の感情を抑え込めない。

当然であった。

それこそまさに今、この大陸を襲っている強大な〝無神〟の権能であったが故に。

その〝無神〟は曇天そのものであった。大陸の空を覆う広大な〝雲〟こそ〝無神〟の正体。天下に己の一部を霧として撒き散らすことで死者を冒涜し、生者を狂わせ、絶滅を強いる戦場を創り出す。

遺体があれば、それを核に。無くても残留思念が強く残った遺品があれば、それも核に。濃緑色の霧で創った仮初めの肉体に〝無神〟自身の感情を流し込んでアンデッド軍団を創り出す。

生者も、その強烈な感情に侵食を受けて同調してしまい、怒りと憎しみの狂気へと堕ち、死ぬまで戦い続ける狂戦士と化してしまう。

本体に直接的な攻撃力はなく、あくまで精神汚染とアンデット軍団創造が権能であるが故に、一つ格は落ちてクラス1といったところだが、常人には関係ない。抗うことなど天地がひっくり返っても不可能な正真正銘の怪物だ。

ならば、たとえ頭痛を堪える仕草のみ、たった一瞬のことであっても、己を止めたエリックの精神力は絶賛に値すると言えるだろう。

奇跡に近しい、けれど確かにエリックの意志の力がもたらした価値ある一瞬。

故に間一髪、間に合った。

ゴォッと。

「「「「「!!?」」」」」

屋内にもかかわらず凄まじい突風が吹いた。立っていることなどできず誰もが倒れ、転がるほどの風。

だが、どうしたことだろう。その風は温かった。温風というわけでもない、むしろ冷や水のように冷たいのに、そう感じたのだ。

清流のように心地よく、それでいて真綿で包み込まれているかのように温かい風に、体の奥の汚泥まで綺麗さっぱり洗い流されていく感覚になる。

「かはっ」

肺の奥から強制的に酸素を奪われて、一瞬、呼吸困難になった。

直ぐに息を吸えば、空気とはこんなに美味かったかと思わず感動してしまうほど。

同時に、思考も心も一気にクリアになった。あの恐ろしい感情はなんだったのかと思うほどすっかり消えてなくなっている。

「ハァハァッ、今のは……まさか……」

誰もが膝をつき、困惑しながらも必死に呼吸する中、エリックは四肢を叱咤して廊下の窓辺に駆け寄った。

「あ、あぁ……」

曇天が晴れていく。まるで台風の目の如く、遠き空の一点を中心に渦巻くようにして退けられていく。

世界を薄暗く包んでいた霧も吹き飛ばされ、代わりに煌めく清澄な風が王都を、大陸を包んでいく。

こんなことが可能な存在を、エリックは他に知らない。

「流転の女神……エンティ様っ」

己が生きている内には二度とお目に掛かることはないはずだった、世界の風を司る女神の存在が確かに感じられた。風を通して、自分達を守ってくれているのがよく分かった。

実際に姿は見えずとも、遙かなる天空にて風を束ねる姿が目に浮かぶ。

更に、ずっと遠い空の向こうに稲光が見えた。晴れ行く空の上、太陽が普段とは異なる輝きを放っているようにも見える。

神々が、再び人間界に現われた。

人を救うために、降臨した。

その考えは、直後、勘違いではなかったと証明された。

『人の子等に告ぐ』

美しい音色の声が、魂に直接響いているかのように伝わってきた。

幻聴でないことは、グレッグ達と目が合って理解できた。誰もが目を見開き、奇蹟を目の当たりにしたような表情になっている。

『世界に危機が迫っています。我が世界のみならず、救世主の世界もまた同じく』

息を呑む。シア殿の世界もこんな状況に? スケールが大きすぎて直ぐには呑み込めない。

『神に匹敵する敵と心得なさい。我等であっても瞬く間に全てを救うことはできないほどの』

大いなる力が確かに感じられた。創世の女神に、我等が偉大なる母に守られている。そう感じられることが、どれほど嬉しいか。

これが人に課された試練の果てであったなら、きっと誰もが感涙を流したことだろう。

だが、喜べない。女神の伝える内容が、あまりに絶望的であったから。

『しかして、立ち止まることは許しません』

その絶望を打ち払うような力強い声音が、叱咤激励の如き響きを持って伝わってきた。

『我が子等よ。未来のために足掻きなさい。今、隣にいる者を守るために戦いなさい』

直後だった。

「こ、これはっ」

エリックの目の前に光が収束した。閃光弾の如き強烈な輝きで思わず目を腕で庇う。

もっとも、それも一瞬のこと。パァッと弾けた光の後には、

「!!? 神剣タルナーダ!?」

かつての王剣が、宙に浮いていた。まるで主に握られるのを待っているかのように。

見ればグレッグの前にも、かつて使っていた神霊武具の剣が浮いていた。

魔神に救済の対価として渡したはずのそれらが、なぜここにあるのか。

エリックは未だ知らないことだが、実は兵団の訓練場を兼ねた広場には今、無数の武具が出現していた。

それはバルテッド王国だけではない。

レテッド民主国やシンテッド獣王国も同じ。そして、あの日、共に決死の覚悟で星樹の孤島に乗り込んだ者達の前には例外なく、個別に神霊武具が送られていた。

霊素を持っていない自分に扱えるのか。戸惑いながらもエリックは引き寄せられるように、かつての愛剣を手に取った。

「っ」

途端に、懐かしい感覚が蘇った。かつてのように身のうちから感じるものではない。あくまで神霊武具から感じられる力だ。だが、それでも、まるで乾いた体に水が染み渡るようだった。

『生きるのです』

厳しかった声音に、不意に柔らかさを感じた。祈り、願う声音に感じられた。

『女神ルトリアの名において宣言します。この世界は渡さない。必ず守ります。だから……人の子等よ。どれほどの絶望を突きつけられようと、前を向きなさい。生き抜くのです』

その言葉を最後に繋がりが解かれた。

だが分かる。女神は人と共に在ることが。自分達を守らんとしてくれていることが。

大きく息を吸う。心を落ち着ける。

一拍。

「立て、お前達」

エリックが号令をかける。静かだが覇気と迫力に満ちた声音だった。

条件反射の如く即座に従う兵士達。正気に戻った使用人達まで背筋を伸ばしてキリリッとした表情を見せている。

「抗ってみせよう。神が、そうお望みだ。期待に応えねば人間が廃る。そうだろう?」

無言の肯定が返ってきた。

不敵に笑い、一つ頷く。

奇しくも同時刻、レテッド民主国のアロガンも、そしてシンテッド獣王国のグルウェルも同じ言葉を轟かせた。

「生き残るぞ!!」

「まったく……つい先程話し合ったばかりだというのに」

数百年、数千年は関わるまいと誓っていた人の子等との接触。全世界へ向けた女神の通達を終えたルトリアは、なんとも複雑な表情で頭を振った。

「魔神とはよく言ったものです。普通なら関わりを疑いますよ」

神の感覚からすれば、ハジメと〝厄災〟について話し合ったのは〝先程〟のことだ。ほとんど直後といっていいタイミングで出現したのである。女神ならば本来、疑ってしかるべきだ。

もちろん、そんなつもりはないが。

「〝万が一に備えて〟ですか。杞憂と思いましたが、さて、あの人間……人間(?)は、いったい何を感じ取っていたのか」

万が一に備えて、霊素も霊法術も失ったこの世界の人々が危機に陥った時のために〝戦う力〟を預けておく。

そう言って小さな宝珠――〝ルトリア専用宝物庫〟をハジメから渡された時のことを思い出す。

中身の大半はアーティファクトの武具だ。内蔵霊素を用いて起動する武具であり、かつ霊法術が使えるようになる武具である。エリック達から報酬に貰った神霊武具も体内霊素なしで使えるよう改良されていた。

願われたこととはいえ、霊素剥奪、すなわち人類の弱体化の手助けをした責任の一端として、そして、将来の異世界交流における友交の印として贈ったものだ。

その数は三千。三国に千ずつ。全て、ルトリアの判断でのみ与えることができる。

ルトリアには短時間で人間達の魂を改変して霊素を戻すということはできないが故の、まさに万が一の備えだ。

どれも、かつての神霊武具より強力に改良されているが数は決して多くない。あくまでも最低限の備えだ。ルトリア達神々が救済をもたらすまでの。

「何はともあれ感謝はしておきましょう」

燦然と輝く星樹の天頂で圧倒的な輝きを纏いながらも、その顔には苦笑が浮かぶ。

「白崎香織、貴女にも」

隣を見るルトリア。そこには、宙で膝を抱えるようにして浮いている香織の姿があった。

使徒モードだ。己を包むようにして純白の翼を展開し、半径二メートルほどの輝く結界のようなものの中で、どこを見るでもなく瞑想でもしているみたいに目を薄く開けている。表情も普段とはかけ離れた完全な無表情だ。

女神に言葉を向けられてなお、返事もせず。

だが、ルトリアが不敬と思うことはなかった。

「貴女のおかげで援軍を送れました」

援軍――それは強力な精霊獣達であり、ホンテッド天王国の天人軍であり、そして、己の信頼する新たな神官であった。

香織がいなければ、きっとエリック達に武器を転送することも、援軍を必要な場所に必要なだけ差配しながら転移させることもできなかっただろう。

まして、〝雲の無神〟から大陸を守るためにエンティを派遣する余裕も、実はもう一体、人類圏に出現している強力な〝無神〟に対処すべくソアレ、ウダル、バラフの三柱が、この場から離脱する余裕も見い出せなかったに違いない。

その理由を、ルトリアは改めて見やった。

『『オォオオオオオオオッ』』

先程から何度も響いていた二つの雄叫び、大質量の金属同士がぶつかり合う轟音と衝撃波。

いつ、どこから、どうやって出現したのかも分からない。

人海戦術で〝厄災〟の存在はくまなく捜索されたが故に、この星や生命のある他の星、それらの銀河系においても存在しなかったことは確かだ。が、物理的な捜索には当然限界があるわけで。

あるいは星なき宇宙の片隅や、その果てたる〝無〟との境界線に潜んでいたか。それとも、世界が繋がっている今だからこそ状況を利用して別の世界からやって来たのか。

何にせよ、それは突然、星樹の孤島を覆うルトリアの結界の一部を斬り裂き、侵入してきた。否、進軍というべきか。

一言で言うなら巨人だった。全長は六百メートルを超えるだろうか。真っ黒なフルアーマーを纏った騎士のようにも、あるいは岩と泥で創られたゴーレムのようにも見える。

片方の手は大剣そのもので、もう片方の手には大きな盾が握られているのは分かるが、全身から黒い瘴気のようなものを垂れ流しているせいで、はっきりとした姿は分からない。

そして、その足下には何百何千という、巨人をそのまま全長二メートルくらいにスケールダウンさせたような軍団がいた。

巨人の瘴気を帯びた大地から錬成でもされているみたいに生み出されてくる軍団だ。どこか統率の取れた戦い振りからは、やはり騎士を彷彿とさせる。

そんな〝巨人の怪物〟に対するは〝大地の神霊オロス〟。同じサイズに巨大化し、巨人同士の壮絶なる近接戦闘に応じている。

だが、分は悪そうだ。オロスの攻撃は相手に痛痒を与えているように見えない。

反して、巨人の怪物の攻撃はいちいちオロスの身を削り、粉砕し、吹き飛ばしている。大剣など、まるで熱したナイフでバターを切るが如く。

大地と繋がってさえいれば何度でも再生できるオロスだが、

『ぐっ!? オォオオッ!!』

巨大な壁の如き盾から放たれる空間破砕も合わされば、とてもではないが再生速度が追いつかない。

それでも、ルトリアが人類に警告を発し、援軍を送る隙を作り出せるほどに足止めできているのは、

――〝絶象〟

再生魔法による援護のおかげだ。

そう、香織である。相変わらず反応に乏しいが、この星樹の孤島の戦場を支えてくれているのは間違いなく香織の再生魔法だった。

一瞬で復元されるオロスは、自身の大地を操る権能と合わせて、どうにか巨人の怪物の足止めに成功している。

同時に、香織の援護は周囲一帯の全ての精霊獣にも及んでいた。

巨人の怪物から生み出される〝騎士団モドキ〟は、生み出された端から星樹を包囲するように展開していく。

その相手を精霊獣達がしているのだが、無限に生み出され続ける上に、クラス3相当の能力を持ち、何より、とある特性が厄介で死傷する精霊獣が続出していた。

だが、それもまとめて回復させている。

「本当に……揃いも揃って人の域を超えていますよ」

驚愕を通り越して呆れすら感じさせる眼差しを、反応しない香織に送るルトリア。

創世の女神を呆れさせたのは、もちろん、再生魔法を使えるからではない。

再生にリソースを割かずに済んでいるからこそ援軍転送や攻撃に専念できていたわけだが、再生魔法そのものはルトリアにだって使える能力だ。

真にルトリアを驚愕させた理由は、今、香織が構築している魔法が故。

――完全救済魔法

とでも呼称すべきか。言わずもがな、大気中に霧散してしまった魂だけでなく、奪われ吸収されてしまった魂すらも奪還し、体の一部でも残っていれば完全復元した上で蘇生を可能とする魔法だ。

〝無神〟の目的に合わせて現在進行形で創っている新魔法であるが故に、正式な名前すらもない。

この未曾有の戦いにおいて、それでも誰も死なせない。そんな意志が具現化したような死を否定する超絶領域の魔法だが、その上で、厄災界を除く全ての世界において同時かつ常時発動状態になるというのだ。

はっきり言おう。女神でも不可能な所業であると。

時間がなかったために魔法の詳細は聞けていない。だが、会話すら不能となるほど意識と思考の大半を割いて奇跡に等しい魔法を構築しながら、かつ、この戦場での回復役を完璧に担ってくれている。

それどころか、自分の身は自分で守ると言わんばかりに、香織の周囲に展開されている結界は、なんとも恐ろしい攻性結界だ。

遅滞領域×分解領域。香織を中心に二メートル先からは問答無用に全ての行動が遅くなり、かつ分解されていく。分解される前に突破しなければならないのに、突破に著しく時間がかかるのだ。

いったい、今、香織の頭の中では幾つの魔法が同時展開し構築されているのか。

なるほど。女神も呆れるわけである。

「成功の如何に関わらず称賛しますよ、白崎香織。ですが、あれに到達されては、流石にままならないでしょう。奇跡は夢に終わってしまう……」

ルトリアは手を天に掲げた。

本来なら、己の領域に土足で上がり込んできた不届きな外敵など、ルトリアが速攻で消し飛ばすところだ。

なのに、巨人が健在で、討伐を後回しにしてまで人類への援護を優先し、そのためにオロスの時間稼ぎが必要だったのは実に単純な話だった。

『オロス! 離れなさい!!』

思念を飛ばすと同時に、ルトリアの権能が発動する。巨人の周囲の空間全てが膨張したみたいにたわんだ。

オロスが巨人に組み付くと同時に、ゴーレムの肉体の中を魂だけで移動して離れた大地へ脱出。残骸たる巨体を枷代わりにした刹那、局所的かつ超威力の空間爆砕が発生した。

同じ空間干渉系の結界でもなければ、この世のどんな物質でも防御不能ではないかと思わせられる圧倒的な威力。

だが、

「やはりダメですか……」

巨人に目立った損傷なし。多少、細部に亀裂や欠損が見られるものの、それも瞬く間に再生していく。

そう、この〝無神〟の何より厄介な特性とは、数の暴力でも破格の物理攻撃力でもなく、圧倒的な〝 頑丈さ ( タフネス ) 〟だった。

ルトリアの神代魔法級の攻撃が尽く耐えられてしまう。

結界を展開しようとも原理不明の大剣により斬り裂かれてしまい阻むこともできない。

そして、ズゥンッと。

また一歩、巨人の怪物の足が前に進むのだ。

ジリジリと悪鬼羅刹が獲物に迫るように少しずつ距離を詰めてくる。

女神でさえ、その歩みを遅らせるので精一杯。クラス0の評価に疑いなしだ。

不幸中の幸いは、相手の攻撃が近接戦闘に偏っていることだろう。つまり、相手にもルトリアを倒す手札がない。それこそ、星樹という力の源を断たない限りは。

故に、戦局が一瞬のうちに傾くことはない。

ルトリアのエネルギーは実質無限。巨人の怪物は有限に違いなく、星樹に到達するまでに枯渇させられれば勝ち目も見えてくる。

「到達が先か、それとも削りきるのが先か……」

新たな攻撃法を試すべく星樹を更に輝かせながら、香織がやって来た時のことを思い出すルトリア。

香織は言った。絶対の自信を持って「誰も死なせない」と。そして、ルトリアの権能の効果が薄いと見るや「この魔法が完成すれば参戦できるので! そうすればぜぇ~~ったい大丈夫です! ルトリアさんは勝ちます! 勝たせてみせます!!」と断言したのだ。

勝たせる――いっそ不遜とさえ言える発言には、思わず目を丸くしてしまったものだ。同時に、流石はあの男の家族だと妙な納得をしてしまった。

だからこそかもしれない。

「信じましょう」

信じられた。普通なら成功するはずのない魔法の成功を。そして、誰も死なない戦場が完成した時、それはきっと〝無神〟が終わる時だと。私は勝つのだろう。この世界を守り切れるのだろう、と。

女神を時間稼ぎに使う。実に結構。使われてあげましょう。

自然と笑みが浮かぶ。ルトリアには珍しい不敵で壮絶な笑みだった。

『〝無神〟よ。今一度、告げる。何もせず去るのなら許そう』

開戦前に投げかけた言葉だ。誰も殺さず、星樹を通して出て行きたいだけなら許すという女神の許可。

けれど、やはり応えは、

『オォオオオオオオオッ』

身の毛がよだつほどの敵意と飢餓が込められた咆哮だった。

是非もなし。

巨人の頭上に超特大の重力弾が隕石の如く落ちた。更に追加で次々と流星群が落ちてくる。孤島に激震と凄まじい衝撃波が迸った。

かつての悪夢を彷彿とさせる攻撃を行いながら、きっと健在であろう巨人と相対すべく自らも飛び立つ。

「期待していますよ」

オロスも巨人の背後で巨体を形成し始めた。効かずとも構わない。挟撃を以て身動きできぬほどの攻撃を叩き込み続ける。

それで削り殺せるなら上々。無理でも時間稼ぎはできる。

ルトリアは最後にチラリッと肩越しに振り返り、そして、これまた大変珍しいことに冗談めかした様子で呟いた。

「救う者。天上の癒やし手。異世界の――メイド服を纏いし聖女よ」

神のみぞ知る……なんて神は全知であることを示す言葉があるが、しかし、神様にだって知らないことはある。

例えば、そう、メイド服の真実とか。

そして、香織の新しい戦闘服のデザインがバトルドレスの如き、金属鎧やガントレット、脚甲を組み合わせたメイド服風である理由が、

『ハジメ君! 私の新しい戦闘服はメイド風衣装がいいな!』

『なんでだよ。戦闘服だって言ってるだろ』

『夜の戦闘服でしょ! 一緒でしょ!』

『真っ昼間から下ネタを大声で言うのやめてくれるか』

『知ってるんだから! 雫ちゃんに専用のメイド服を贈ったって! 夜の戦闘用に、ね!』

『黙秘権を行使したい』

『却下! ね、ちょうどいいし、私にも専用メイド服を下さい! 夜も昼も戦闘できるように!』

『なに上手いこと言ったったみたいなドヤ顔してんだ……』

『……私がハジメ君好みのオリジナルメイド服を着てる姿は、別に見たくない、かな?(上目遣い&うるうるの瞳)』

『……ふぅ。是非もなしッ!!』

なんて不純で大変慎みに欠けるやり取りの産物だということも。

ついでに言うと、実は友好の印に渡された〝ルトリア専用宝物庫〟には、防具としてダリア用のメイド服も入っていて……

女性が着る最高位の衣装だというし。

ダリア、とても良い子でしたし、この衣装を誇っていましたね。それに、とっても似合っていましたし。

ふむ……

と、ちょっとした好奇心に駆られて試着してみちゃったり、上機嫌でクルクル回ってみちゃったりした姿を、実はライラに目撃されていたということも知らないことだ。

地球の女神になった故にメイド服の真実を知るライラが、

「お労しや、お母様っ」

と、母を哀れみ涙を流していたことも、ルトリアさんの知らないことである。

いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。

ライラとメーレスがいませんが諸々の説明を含め次回に言及する予定です。

※ネタ紹介

・香織の新しい戦闘服のイメージ元

『オーバーロード』のプレアデスの一人〝シズ・デルタ〟の衣装より。

・絶対、大丈夫

『カードキャプターさくら』の木之本桜より。魔法少女らしい無敵の魔法の言葉。

・お労しや、お母様

『鬼滅の刃』の継国縁壱より。