全世界防衛線⑲ シアる 意味:バグキャラと化すこと
全世界防衛線⑲ シアる 意味:バグキャラと化すこと
愛子と通信を切ってしばし。
白の魔女が創り出す異界と凶悪極まりない魔法のコンボにより、コルトランにもプラントにも被害はなく。
それどころか、今のところただの一機すらも到達できた敵すらもおらず。
多大な感嘆と感謝の気持ちを抱きながらも、魔法の恐ろしさ、理不尽さというものに畏怖を覚えざるを得ない心境だったG10は、しかし、一方では、
「……いったい何がしたいのでしょう」
疑念と警戒をいっそう膨らませると同時に困惑を隠せないでいた。
聖樹の根本、その地下深くにある中枢。とある地球の映画に出てくる 球体空間 ( セレブ○ ) を模したという設計図を元に作り上げた中央制御ルーム。
一応、正式名称は プラネット ( P ) ・ コントロール ( C ) ・ システム ( S ) ・ ルーム ( R ) と名付けている――G10の化身化の発覚により、実際に星に関連する制御がある程度できるようになったことからハジメが名付けた――が、長いので コア ( C ) ・ ルーム ( R ) と略称で呼んでいる部屋の中央で、G10はモノアイを激しく明滅させた。
めまぐるしい演算が、ありとあらゆる戦術予想が、敵の行動予測のシミュレートが行われている証だ。
背後で露出している聖樹の一部も燦然と輝き、球体空間を構成するパネルにも血管のように無数の回路の輝きが行き交っていた。
「勝てます。このままいけば。しかし……」
今や艦隊戦の形勢は完全にG10側へ傾いていた。
当初こそ単純な数の違いで拮抗状態だったが、やはり一隻一隻のスペックが違う。
なんと言ってもハジメが組み込んでくれた圧倒的火力を有する主力戦艦、その主砲たる荷電魔粒子砲の威力と言ったら。
時間的関係で五隻のみの攻撃特化艦にしか搭載されていないが、それでも戦力の主軸としては十二分。大半の戦艦が一撃で消し飛ぶのだから。
そのうえだ。
聖域と魔神の力を十全に受けている今のG10の戦術予想は、もはや未来予知に近い精度を誇っていた。
それに基づく巧みな艦隊戦術。何十手も先を見越した布石の数々。
決して無理をせず、しかして時には大胆に、自軍の損害と艦隊に付与されている再生魔法の効果による復帰も計算に組み込み確実に削る。
ここに艦隊戦の専門家たる歴戦の軍人が、あるいは歴史家がいたなら、きっと「もはや芸術だ」と感嘆の溜息を漏らしたに違いない。
そんな戦いだった。
そうして、遂に敵の電子的防壁を破ったのが約二十分前。
電撃でも浴びたみたいに硬直して死に体を晒した敵軍を、待ってましたと言わんばかりに一気呵成に攻め立て。
どうにか再起動した敵母艦が狂ったように艦隊を生み出すも、一度傾いた勝敗の天秤はいかんともし難く。
目に見えて敵艦隊の生成速度が落ち始めたのが、ほんの五分前のことだ。
こちらの損害は約三割。しかし、二割はもう間もなく復帰可能。
順調だった。チェスで言うなら既にチェックがかかっている状態。相手に番外戦術でもなければチェックメイトもあと数手といったところ。
そんな状況だ。
そんな状況だからこそ、
「本当に、これで終わりなのですか?」
G10は疑念を深めずにはいられなかった。
あらゆる事態を想定し、その対応策を何百、何千通りもシミュレートしていたのに、このままだと大半が無駄に終わる。
今のこの戦局は想定した中で最も安易で、だからこそあり得ないと判断した未来だ。
「……最初の突撃の意図は? なぜ直ぐに引いたのです? 確かに荷電魔粒子砲は強力だったでしょう。しかし、出力に対抗できるだけの防御力と質量を有していたはず」
愛子との通信を切った直後のこと。
衛星クラスの質量を持った星の如き敵母艦が突撃してきた。
いかな荷電魔粒子砲であっても、五隻の火力では意志と手段を以て防御を固める星を正面から吹き飛ばすのは難しい。
もちろん、G10も防がれることを見越して二の手、三の手を用意していたわけだが……
退いたのだ。
数の暴力を以てしても拮抗し、電子的プロテクトも破られるのは時間の問題と理解したからこそ、乾坤一擲、これ以外に状況を打開できないと踏んで突貫してきたはずなのに、敵母艦は荷電魔粒子砲の集中砲火を受けて一部を消し飛ばされた途端に全力で遠ざかったのである。
まるで、それはまるで……
「まさか……本当に恐れて……?」
そう、破れかぶれで突撃したはいいが、矢が手足に刺さった途端に怯んで、慌てて後退していったかのようで。
その後も、確かな戦術眼を持つG10からすれば、あまりにも不可解な行動が続いた。
退いたはずの敵母艦が再び突貫しようとして、今度は、まるで躊躇っているみたいに途中で停止し、また距離を取ったり。
敵母艦だけではない。
突撃に際し、生み出した艦隊を盾として布陣したこともあったのだが、その盾艦隊の一部が唐突に戦域を離脱していくということもあった。
布陣に穴が出来れば、当然、その隙を突く。
それを陽動にして迂回するつもりか。挟撃、あるいは地上への降下作戦こそが本命? ……と警戒していたら、なんとそのまま明後日の方向へ全力で遠ざかっていった。無防備にも背を向けて。
あたかも一目散に逃げ出したかのように。
そして、布陣の穴を突かれて荷電魔粒子砲を撃ち込まれた敵母艦もまた慌てたように退いていったのだ。
「……」
分からない。いったいどういう戦術思想なのか。何が目的の行動なのか。
平行世界からの来訪者。外宇宙の怪物。〝無〟を乗り越えてきた強者。
そう聞いていたから、どんな馬鹿げた動きでも「何か恐ろしい意味がある」と最大限に警戒し、フル回転で戦術シミュレートをしていたというのに……
ここまで来ると、流石に浮かんでくる。
「弱い……?」
その可能性が。
全体としてみれば大した戦力だ。何せ総数は千隻を超える宇宙艦隊である。戦闘機群を加えれば万に届こうかという数の暴力だ。しかも、電子機器に頼る世界では厄介極まりない強さを誇るだろう。
地球の軍事力では一矢報いるくらいはできようが、それだけだ。電子戦での敗北も相まって蹂躙されるのは間違いない。
神代魔法クラスでなければ、ファンタジー世界の戦力も歯が立たないに違いない。G10も、以前のような即席の流用兵器だけでは普通に負けていただろう。
だが、だがしかしだ。
聖樹の力とハジメが改修した最新の戦力があるとはいえ、敵の動きを改めて客観的に分析したなら、それはまさに〝烏合の衆〟と呼ぶべき稚拙さで。
ただ、数の暴力で押し寄せるようなものに過ぎず、その数とて母艦から生み出し続けるという、言わば〝戦力の逐次投入〟なのである。
加えて、電子戦においても力業が否めず、トラップやフェイクに哀れなほど引っかかる。
「……〝大半の無神は思考しない。本能で動く〟でしたね。なるほど。一種の群体的生態をしている〝無神〟から〝思考〟がなくなると、ここまで弱体化するというわけですか」
〝無〟を生き延びる強さを有していても、〝無神〟に成り果てる前の強さの源が〝思考〟であった場合どうなるか。その典型例なのかもしれない。
依然として「何か裏があるのでは?」と警戒はしつつも、もはや蛮族の突貫と変わりない戦闘スタイル、生存本能だけで動いているとしか思えない行動を前に、G10の戦局分析はひとまずの結論を出した。
「……ですが、それだとやはりおかしい。この世界は――」
と、同時に湧き上がる疑問。ユエが最大限に警戒し、コルトランの民を丸ごと避難させる提案をした最大の理由を思い出す。
ちょうど、その瞬間だった。G10の思考を読んでいたようなタイミングで、待望でもあった声が届いた。
『……G10』
「ユエ様!」
ポンッとG10の傍らにチビユエが出現した。事前に届けられていた魔法的端末が形を取ったということは、半自動の情報端末ではなくユエの意識が乗っているということだ。それはつまり、
「準備が整ったのですね?」
『……ん、お待たせ。こちらの〝無神〟もだいぶ片付いた。直ぐにでも転移させられる』
「お願い致します」
んっと短い返事が響く。本体と連動しているのかチビユエが瞑目した。
聖樹を通してG10には知覚できた。原理不明すぎて未だに慣れない感覚だが、コルトランとプラントの上空から俯瞰しているような光景が、これまたどういう原理か不明すぎるが〝視えた〟のだ。
黄金の光の渦がコルトランとプラントの上空に発生した。
白霧の更に上だ。地上にいるジャスパー達には光の片鱗も見えないだろう。
だが、宇宙空間からはよく見えるに違いない。
突如として出現した黄金の渦に、敵艦隊が明らかに動揺した様子を見せている。
『……愛子、お願い』
『了解です!』
愛子が白霧を媒介に魂魄魔法を使って、機工界の全住民を深い眠りへ誘う。直ぐさま昏倒するような眠りではなく、ふわふわと心地よい感覚に身を委ねながら自然と力が抜けていくような眠りだ。
急な眠気に慌てることもない。〝鎮魂〟の併用で、むしろ、ぬるま湯に浸かってうたた寝するような感覚で、誰もが自然とその場に腰を落とし、そのまま横たわっていく……
『……ん、お見事』
『そ、それほどでも。ふふふっ』
最強の魔法使いからの称賛に、愛子から照れたような声音が響いてくる。実際、ユエに魔法を褒められるというのは、ユエを知る者からすれば物凄く嬉しいことなのだろう。
『……捕捉完了』
黄金の渦が一気に輝きを増した。もはや太陽かと思うほどの光だ。
それが霊峰全域を、あるいはプラント周辺を丸ごと範囲に含むような光を照射した。
途端に、G10の知覚から一人、また一人と加速しながら人間の存在感が消えていく。トータスに転移していっているのだ。
と、知覚できたのも最初だけ。あっけないほどあっという間に世界から人の気配が消えて、G10は思わずモノアイを超高速で明滅させた。人であったなら〝息を呑む〟とか〝瞠目する〟といったところか。
「ありがとうございます、ユエ様。ジャスパー達を、この世界の人々を、どうかよろしくお願い致します」
『……ん、任せて。絶対に守る』
力のこもった声音。チビユエを通して伝わる強い眼差し。頼まれたからやるのではなく、ユエ自身が守りたいから守る。そんな意志が伝わってくる。
『……それで、そっちの状況は?』
少し声音が変わった。警戒心が滲んでいる。
ユエからは事前に、本当に危急の時、あるいは、ただの直感であっても危機を感じた時は直ぐに連絡をするよう強く言われていたのだ。
連絡がないのは問題がない証拠。そう分かっていて、それでも警戒心を滲ませるユエの言葉に含まれた意味を、G10も、そして同調魔法で繋がっている愛子も正しく理解していた。
「いいえ、ユエ様。懸念事項はいずれも該当しません。現在、戦闘中の対象は、脅威度としてはせいぜいクラス3程度。数の力を考慮に入れてもクラス2が上限でしょう。懸念した対象ではありません。また、強個体の大量出現に関しても、その気配すら確認できていません」
『私もです。白霧を介して最大限に魂魄魔法の警戒網を敷いていますけど、今のところクラス3以上すら現われてないですね』
『……そう。ひとまずは良かった……』
今度は心底の安堵が滲む声音だった。
そう、これこそがユエ達がしていた最大の懸念。コルトランの民を全員避難させるという決断に至らせた想定してしかるべき最悪の事態だった。
喰らうべき標的が一斉に消えて更なる混乱に陥っている〝宇宙艦隊型の無神〟に、最後の追い込みをかけながらも、G10は疑問を口にする。
『どういうことなのでしょう? この世界には最初から、この〝無神〟しかいなかったのでしょうか?』
『でも、だとしたら奇妙ですよ。戦闘機群と戦っての実感ですけど、かなり必死さを感じます。〝無神は飢えている〟という例に漏れていないと思います。とても、かつての戦争で機工界の人達を……』
少し言い淀む愛子。G10の前では言い辛かったのだろう。だが、意図は伝わった。
かつて起きたマザーVS人類の大戦争で人類の大半が滅亡と言っても過言でないほどに死んだ。
〝無神〟にとっては最高の収穫期だ。まさに大漁である。
ならば、この機工界に潜んでいただろう〝無神〟は、その魂を大量に取り込んだ可能性が高い。
だからこそ警戒していたのだ。
『……どの程度の魂魄を喰らえば満足するのか。それが分からないから、最悪の事態を想定した』
エネルギーは十分。故に、聖樹を介してさっさと次の世界へ行こうと言うのなら素通りさせても構わないと思っていた。G10にも、そう伝えていた。
だが、上限が分からない以上、エネルギー十分であっても当該個体達が一斉にコルトランに向かう危険性は、当然に考慮すべきだった。
だから、防衛戦力を集中させるのではなく、コルトランの民を丸ごと避難させる方法にしたのだ。
だから、強固かつ直接的な障壁タイプの防御力や迎撃力よりも、徹底した精神的撹乱戦術による遅滞戦闘が最も得意な愛子を派遣し、時間稼ぎに徹してもらったのだ。
同調魔法は、そういう意味で有用だった。香織を介して愛子と繋がっているが故に、たとえ愛子自身が報告や警告ができない状況に陥っても、感覚で非常事態が伝わるからだ。
『……あるいは、サスラ達曰く、無神同士は決して味方同士ではない。むしろ、大半は敵対しているらしいとのことだったから、〝人のいない世界で魂を回収する手っ取り早い方法を取った個体〟を警戒したのだけど』
つまり、共食いだ。人がいない。人が増えない世界で、なけなしの人類を根こそぎ喰らうより、〝既に大量の魂を喰った相手を喰えばいい〟という発想。
その結果、生まれるかもしれない〝超強力な個体〟の出現を、ユエは警戒していたのだ。
だが、蓋を開けてみればこの通り。飢えた弱い個体が一体だけという事実。
〝宇宙艦隊型の無神〟しかいなかったなら飢えているのはおかしい。
飢えているということは、かつての戦争で魂を回収できなかった個体ということで、つまり、争奪戦に敗北した弱個体ということになる。
取りも直さず、それは争奪戦に勝った強個体がいなくてはおかしいということになるのだ。
『……考えられるのは、今もどこかで様子見しているか、それとも……戦争で魂を回収した後、直ぐに出て行ったか』
「探査・警戒は最大限にして継続するとして、やはり〝宇宙艦隊型の無神〟は取り残された存在ということでしょうか?」
『……ん。……んぅ』
どこか納得できないといった可愛らしい唸り声を上げるユエ。
『なるほど。〝無神は隠れ潜む習性を持つ〟という部分が引っかかるんですね。いえ、それ以上に……』
同調魔法により伝わったユエの考え。だが、その先の懸念まで伝わった途端、愛子はゾッとしたように口を噤んだ。
『ユエさん、それって……』
「? どうされました、お二人共」
訝しむG10。遂に艦隊の生成が完全に止まり、逃げの一手を打ち始めた敵母艦を確実に包囲しつつも尋ねる。
ユエは自分の考えを整理するように、G10や愛子に話すというより独り言のように言葉を垂れ流す。
『……無神には〝隠れ潜む〟〝飢えている〟という二つの特徴がある。でも、よく考えると、そもそもこれはおかしい』
「おかしい、ですか?」
『……ん。人間を喰いたいなら喰えばいい。だって、止められる存在なんていないんだから』
「はい? ですが、ユエ様、実際に私達は――あ、いえ、そういうことですか」
〝今〟だから対抗できている。ハジメ達という特別な戦力がいるから〝無神〟に対抗できているのだ。
なら〝昔〟は? まだハジメが生まれる前なら?
なぜ、その時代にまで隠れ潜んだ? なぜ、対抗できる者がいないのに好き勝手に食い散らさなかった?
女神がいたから?
否だ。
『……最初は大樹の化身の存在を恐れているのかと思った。でも、違う。地球には女神がいなかった。ううん、女神が存在したのは三世界のみ。女神不在の世界は他にもたくさんあった。食い放題だったはず』
星霊界のルトリア、砂漠界のフォルティーナ、そして妖精界のアウラロッド。
前者二柱は〝厄災〟――〝無神〟と戦い勝利した。疲弊はしたが世界を閉ざし、その侵入を阻むことに成功した。
だから、女神に滅ぼされることを恐れて隠れ潜むのだと思ったが、よくよく考えるとおかしいのだ。
その筆頭は地球だ。
あれほどの〝無神〟が潜んでいたのに、なぜ人類を利用するような形で細々としか喰らってこなかった? 女神不在の時代がどれほどあったと?
「……収穫量を増やすため、では?」
『……ん。かもしれない。でも……』
根こそぎ喰うより、少しずつ喰らうことで人類自身に人類という食料を増やさせる。
〝無神〟同士も互いに監視し、喰う量を制限し合うことで無駄に争って消耗することを防ぐ。
自分達の存在を人類に知られることで対抗手段を積極的に編み出されることを避ける。
実に合理的な判断だ。そう考えれば辻褄は合う。十分に可能性の高い推測だ。
だが、だからこそだ。
『……だからこそ違和感が拭えない。実際に〝無神〟共と相対して、いろんな種類の奴等を知って、分析して、その違和感は消えるどころか大きくなっていく。――合理的すぎると』
『無神は基本的に本能で動く存在なのに、ですね』
〝無神〟にとって〝喰らうこと〟よりも〝隠れ潜むこと〟が優先される。それが奇妙なほど統一されているのだ。
自分達にとって脅威など存在しない世界ですら。
「しかし、ユエ様。長き時、人類を操って魂を回収する個体がいるのですよね? 十分に合理性を有するのでは?」
そもそも、その時点で無思考ではない。ある程度の思考が可能な〝無神〟は少なからずいる。という指摘に、G10自身がおかしいと気が付く。
そう、少なからずだ。そんな〝無神〟は 例 ( ・ ) 外 ( ・ ) なのだ。
『……ん。でも、それは一部の強力な個体だけ。大量に出現しているクラス3くらいまでの個体まで〝飢え〟より〝隠れ潜む〟を選択する理由にならない』
チビユエの表情が本体に連動して険しくなった。深く考え込むように腕を組み、片手の指先が口元を覆う。ハジメが考え込む時の癖が乗り移ったみたいに。
『……考えすぎかもしれない。実際、フォルティーナ達は過去に無神と戦ったせいで追い込まれた』
必ずしも隠れ潜むことを優先するわけではない。普通に女神を打倒し世界を蹂躙しようとした存在はいる。天竜界の壁画もそうだった。
だけど、だけどもし、だ。
あれが〝無神〟にとって不幸な遭遇戦だったなら?
強力な個体であったが故に〝起源流〟を乗り切り、その結果、不幸にも女神が認知できる状況下に飛び出してしまっただけなら?
あるいは、隠れ潜むことを第一にしながらも、ただ単純に失敗しただけなら?
その結果、女神から逃げて再び〝起源流〟や〝無〟にエネルギー不足の状態で飛び込むことより、戦った方が生き延びられると判断したなら?
『……強力な個体は化身を恐れていない。でも、化身なき世界でも隠れ潜む』
それはつまり、どういうことか。
単純に考えるならば、答えはこうだ。
『……〝無神〟には女神よりも恐れている〝何か〟がある。その〝何か〟に見つからないために身を潜めている』
「〝何か〟……ですか」
まるで、個体の強弱、思考の有無にかかわらず全ての〝無神〟が暗黙の内に了解し合っているような違和感。
あたかも、不可侵にして絶対の〝この世のルール〟が存在して、それを破れば逃れようのない破滅が待っていると理解しているような、統一された行動指針。
何か得体の知れない強大な気配を感じた気がして、G10は思わず息を呑み、言葉を失った。
同調魔法でユエの懸念や考えが伝わっているのだろうか。愛子もまた言葉を発さなくなっていた。
『……もし、もしそれが、ハジメが無限魔力で厄災界の崩壊を食い止めたのに、無神が脱出しようとしている理由だったなら』
その〝何か〟がやって来るのかもしれない。〝無神〟達は世界が終わるから逃げたいのではなく、その〝何か〟を恐れて逃げようとしてるのかもしれない。
『……G10。貴方がかつて聞いたという〝声の主〟。今回はどう?』
一つの可能性として、ユエは考えているのだろう。
もし魂を一手に奪った機工界の頂点的〝無神〟がいるのなら、それはまさに、かつてG10が聞いたという〝声の主〟なのではないか。
彼 ( か ) の存在が実在し、かつ本当に〝無神〟であったなら。
それは、確かな思考と言語能力、更には地球の〝ネタ〟を再現する〝ユーモア〟まで有している特異中の特異な存在ということになる。
少なくとも異世界を行き来できていた存在ということになるのだから。
そして、もし機工界の強力な〝無神〟を一掃するのほどの力を有しているのなら、あるいは……
その〝声の主〟こそが〝何か〟である可能性がある、と。
「……たった今、〝宇宙艦隊型の無神〟の撃滅を確認しました。状況終了。しかし、あの声は感知できません。広域探査にも感応なし。更に探査範囲を広げていきますが……今のところ、やはり他の無神は確認できません」
『……そう』
安堵の滲む一言だった。だが同時に、懸念は懸念のまま〝しこり〟のように残ったと感じさせる声音だった。
「申し訳ありません。今の私では、まだ化身の力を十全に使えず。……この世界の元の化身が健在であったなら何かできたかもしれませんが」
『仕方ありませんよ、G10。この世界の化身の存在は人類史にも記録されていないんでしょう?』
「はい、愛子様。化身が実在したのか、したとして何故いなくなったのか。私が保有する人類の歴史には一切の記録がありません」
落ち込んだ様子のG10に、愛子が慌ててフォローする。
ユエもまたチビユエを通して厳しかった表情を苦笑に変えた。G10に視線を向けながら緩やかに首を振る。
『……ごめんなさい。無駄に懸念を深めた。〝無神〟の行動には矛盾も多い。砂漠界だって、ただの遭遇戦にしては支配欲を感じるし、星霊界の事例でも隠れ潜みながらの捕食にしてはやり過ぎ感が否めない。まだまだ分からないことが多すぎる』
あくまで推測は所詮、推測だ。可能性として排除すべきでないのは当然だが、それだけに囚われては逆に思考の沼にはまりかねない。
全てが合理で動くわけではないのだ。この世には信じ難い〝偶然〟も確かに存在するのだから。
『……引き続き警戒はしてほしい。何かしらの機を窺っている可能性はあるから』
「はい、ユエ様」
『……でも、G10にはもっと重要な役割がある』
「と、言いますと?」
『……私の手伝い。貴方の分析能力、演算能力を貸してほしい』
ユエは現在、トータスの安全を確保し、世界を繋ぎ、全ての戦力を統括しながら〝門の神〟の所在を探っているところだ。
あちこちに出現している他とは違うゲートを、つど解析して逆探知を計っているが、相手は実に巧妙である。
だが、魔法的逆探知だけでなく科学的分析まで加わればどうか。
エネルギーの残滓の分析はもちろん、出現パターンからの戦術的行動予測、統計学や確率論etc.
ユエの逆探知能力は破格だ。しかし、刹那の間だけ出現し直ぐに消えるゲートでは、その探知時間そのものが短い。故に時間がかかる。
だがG10ならば記録も取れる。全体の情報を統合し、整理し、ユエに最適化された情報を届けることもできる。
『……貴方の補助があれば、見つけ出すまでの時間を物凄く短縮できると思う』
「光栄です、ユエ様。なんなりとご命令ください」
G10のモノアイがピコピコと輝いた。演算の反応というより、どこか喜びの表現に見えた。
チビユエが『可愛い……』と言っているように目を細めつつ『んっ』と頷き、次いで、愛子へ意識を向ける。
『……愛子、機工界の守りはもう必要ない。砂漠界の救援に行ってあげて?』
『了解です! あちらは大丈夫そうですか?』
向こうにも少なくない救援部隊が派遣されたはずだ。
その中にはミュウもいる。
もちろん、護衛に魔王が付いているし、龍太郎や鈴、それに雫もいる。
だが、やはり心配なものは心配だ。ミュウが十分に強いということは知っているが、相手が相手である。本音はレミアと同じ。できれば安全な月の避難所にいてほしかった。
そんな想いが溢れ出て思わず尋ねた愛子に、ユエは、
『……ん、ん~~~、あ~~~』
と、なぜか言い澱んだ。
どくんっと心臓が跳ねる。何かまずい事態なのか? ミュウちゃんの身に何か!? と思わず声を荒げる愛子。
『どうしたんですかっ、ユエさん! まさか、ミュウちゃんが――』
『あ、違う違う! ごめんなさい。そうじゃなくて』
『え? そう、なんですか? じゃあ、どうして言い淀んで……』
『……えっと、雫がヤバくて』
『えっ、雫さんがピンチなんですか!?』
『いやいやっ、そうじゃなくて! でも、ほんとヤバくて!』
『ユエさんが語彙力を失うくらいヤバいんですか!?』
『簡単に言うと!』
『簡単に言うと?』
『……雫がシアってる』
『意味が分からない!』
『えっと、雫、バグっちゃった。シア並に』
『なんてこった!』
よく分からないが良く分かる表現だった。愛子まで思わず語彙力を失うくらい。
でも、本当に意味が分からないので『え、待ってください。どういうこと?』と聞き直す愛子。
それに対しユエは、
『……ん~~~~~、答えは転移の後で!』
なんかクイズ番組みたいなセリフを返したのだった。
直接見た方が早いというか、説明するのが馬鹿らしくなったらしい。シアの理不尽すぎる強さを説明する時のように。
広大な砂漠の中にポツンッと存在するオアシスの町。
そこに、クシュンッと可愛らしいクシャミが響いた直後、
「誰がバグウサギよ!」
雫は虚空にビシッと片手を突きつけた。
『シ、シズク? 突然、どうしたのだ?』
天から降ってくるような響きの声音に、つい先程までの厳格さを忘れたような戸惑いが混じっている。
砂漠界の創世神。恵樹の化身たる女神フォルティーナだ。
姿はない。彼女は今、恵樹と一体となっているから。
他の世界の化身と異なり、実のところ彼女は姿形というものを持たない。本体は以前、光輝やミュウの前に晒した〝銀河を内包したような光球〟であり、決まった 人形 ( ひとがた ) を持っているわけではないのだ。
そのフォルティーナが本気で世界に干渉し、己の権能を十全に発揮するスタイルこそ〝恵樹との一体化〟だった。
恵樹自体も少し前までは極限の疲弊状態故に砂海の下に全てを埋没させて守護していたのだが、今は遥か昔のように、そのそびえる威容を見せていた。
燦然と輝く大いなる樹。
恵樹のある地は、もう数時間で夜明けとなる頃合い。朝に近い夜だ。
だが、今の砂海は、それだけが理由ではない暗闇に閉ざされていた。月も星々も輝きを見せない。
瘴気のせいだ。この大陸を丸ごと覆うような広範囲かつ分厚い瘴気の雲が星々の輝きを遮り、大地を闇の中に閉じ込めているのである。
浄化の力を発揮する恵樹の輝きだけが周囲数キロの瘴気を払い、砂海と最古の町グラスナーデが闇に呑まれることを防いでいる。
そんな端から見れば絶望的で恐ろしい状況の中、恵樹の天頂付近の細い枝の上に、雫は立っていた。
そして、深刻な状況下にあるとは思えない、肩の力が程よく抜けた自然体で誤魔化し笑いを浮かべた。
「あ、いえ、ちょっと誤解を――招く噂をされている気が――して」
『……噂?』
なんとなく、フォルティーナの意識が眼下のグラスナーデに向いた気がする。そんなわけが……と、ますます困惑した雰囲気を滲ませながら。
それもそのはずだ。
今、長き時に渡り恵樹と女神を守ってきたグラスナーデの町には人っ子一人いないのだから。
噂どころか話し声が聞こえるはずもなく、世界を跨ぐ通信をしているならフォルティーナに分からないはずもなく。
「き、気にしないでください。ただ――世の中には理屈で説明できないバグキャラというものがいまして、それに比べたら私――なんてあくまで普通というか、説明可能なレベルでしか――ないというか……」
『は、はぁ……?』
「すみません、本当になんでもないです……」
要領を得ない言葉にフォルティーナの返事も困惑しっぱなしだ。
ただ、今回の困惑にはあたふたする雫の様子だけではなく、
『……普通、普通なのか。貴女が。そうか……』
なんだろう。物凄く小さい声で『え、異世界の普通こわっ』みたいな声が聞こえた気がしないでもない。
いや、きっと気のせいに違いない。威厳のある口調がデフォルトのフォルティーナ様が、そんな言葉遣いするわけないし。たとえ動揺が激しかったとしても。
なんとなく気まずくなって、雫は話を逸らすように少し声音を高くして尋ねた。
「そ、それより! シンクレアや――えっと、ジャバルシャン王国でしたっけ? 大陸の人達は――大丈夫そうですか?」
『ああ、今のところは問題ない。本当に、よく戦ってくれている』
気を取り直したようで声に威厳が戻った。
その神の知覚能力は、砂海の大陸全土が瘴気に覆われているせいで多少のノイズはあれど、確かに砂漠界の人々が異界からの救援と協力して戦い、未だ健在であることを捉えていた。
『我が力の大半が復活すれど、この数、この脅威、かつてを超える。異界の救援がなければどうなっていたことか。感謝の念に堪えない』
雫の手に優しい風がふわりっと吹き付けた。輝きを帯びた風だ。フォルティーナの感謝の気持ちが伝わってくる。風と輝きを介して手を握られたような心地だ。
「フォルティーナ様の加護――んっ、と。あってこそでもあります」
なぜか先程から一瞬、まるで通信回線が不安定な時みたいに言葉に詰まりつつも、雫はフォルティーナの手を握り返す気持ちで恵樹の幹に手を添えた。
実際、その通りではあった。
現在、この砂海の大陸から見れば世界の裏側と表現しても過言ではないシンクレア王国がある大陸を襲っている数多の〝無神〟。
大半は、まるでデトロイトで遭遇し、厄災界でハジメ達が戦った量産型と思しき〝人形の無神〟と同じく、同一の姿形をした〝無神〟だ。
一体一体が日本の一般的な二階建て家屋くらいの大きさ。黒いタールと瘴気に塗れた樹木の如き太い胴体、その胴体の中程には獣の顎門のような裂け目、絡み合う太い枝、あるいは蔓で覆われた頭部、そして 蹄 ( ひづめ ) の付いた羊のような幾本もの脚という異形だ。
メェ~~ッと山羊のような鳴き声を絶えず発し、それを聞いた者に著しい不快感と恐怖を与え、正気を削る。
それが虚空に突如として生まれる幾つもの黒いタール溜まりから、ずるりっと、まさに〝産み落とされた〟かのように出現し続けている。
討伐し続けているにもかかわらず、常に総数は万に届こうかという数を維持している。
クラス的には4がほとんどなのが幸いか。百体に一体くらいの割合でクラス3が混じっているが、今のところどうにかなっている。
その理由は、確かに援軍の存在があるが、それだけでなく。
「おかげで瘴気を常に浄化できていますし――」
雫の言う通り、女神フォルティーナが十全に真価を発揮できているからだった。
彼女の〝加護〟は、この砂漠界の者全てに及び、本来なら侵食し変異を促す瘴気の影響から人類を守り抜いている。〝黒樹の山羊〟というべき〝無神〟の鳴き声が木霊する戦場でも正気を保っていられる理由でもあった。
「戦力を的確に転移――させたり、強力な個体は自ら討伐しているからこそ、敵の破格の〝数の暴力〟にも対抗できています。それに私も……感謝します、フォルティーナ様」
『いえ、確かに貴女にも加護は与えていますが……正直、それ必要――』
「ちょっと失礼」
一瞬、雫の姿がブレた気がした。と認識した直後には何事もなかったように元の場所に佇んでいるので思わず口を噤むフォルティーナ様。
「フォルティーナ様、丁寧な態度は不要ですよ。貴方様は女神様なんですから、ただの人間である私に畏まらないでください」
『あ、はい……ではなく、うむ。う、うむぅ……』
なぜだろう。笑顔で小首を傾げる雫さんに、妙に寒気を感じたのは。普通に柔らかく微笑んでくれているはずなのに、その笑顔に迫力を感じるのは。
気のせいには違いない。きっと、今、起きている事態のせいで、そう見えてしまうだけだ。うん。と自分に言い聞かせて、自然と畏まってしまった己を叱咤し、神の威厳を取り戻そうとするフォルティーナ様。
一拍。
いや、やっぱり無理ぃいいいっ!! と言わんばかりに、ちょっと声を荒げてツッコミを入れた。
『いや、この惨状でただの人間は無理があるだろう!!』
あるだろうぉ~! あるだろうぉ~! あるだろうぉ~~!! と不思議なほどフォルティーナの声が木霊した直後だった。
空から黒い雨が降り注いだ。大粒も大粒、一滴一滴が二メートルくらいある黒い死体の雨だ。
〝黒樹の山羊〟の亜種というべきか。地上で暴れているタイプを随分と小さく、かつ細くしたような見た目に加えて、触手を束ねて作ったような翼が生えたタイプだ。
それが落ちてきた。
襲撃ではない。全て死体だ。
女神の知覚能力で分かるというだけでなく、一目瞭然だった。
だって、全て真っ二つに両断、中には十分割くらいにされていたから。落下中の空気抵抗で初めて斬られたことを理解したみたいに、バラバラと文字通りの空中分解しながら、町の外、五百メートルくらいの場所に墜落してくる。
ドシャドシャドシャッという生々しい音が聞こえてくるようだ。
そして、その斬殺死体が降り注いだ場所の周辺にも、なんなら一キロメートルほど先まで、おびただしい数の斬殺死体が転がっていた。
九割が〝黒樹の山羊〟だ。中には違う〝無神〟もいたが、同じく両断されて転がっていることに変わりはない。
その数、二千超といったところか。
なお、これはグラスナーデの町の南側だけのことだ。
死体に埋め尽くされている場所がグラスナーデから遠い近いの違いはあれど、北側、東側、そして西側にもまったく変わらぬ光景が広がっていた。
つまり、総数一万近い〝無神〟の斬殺死体が既に転がっているのである。
『よいか、シズクよ』
「は、はい?」
様付けで、勇者たる光輝に接するような態度だったフォルティーナに、それは畏れ多いと慌てて呼び捨てとデフォルトの対応をお願いしたのは雫の方だ。
救援者であるにもかかわらず、一切の傲りを見せないどころか、神を神として受け止め、最大限に敬意を示そうとする雫に好感を抱いたのは言わずもがな。
だが、今はむしろ丁寧に接したい。だって、この人畜無害そうというか、見るからに常識人で心優しそうな人の子が、一見そう見えるからこそ、
『ただの人間は! 万に届こうかという怪物の軍団を!! たった数分で皆殺しにしたりはしないのだぁーーーーーっ!!』
恐ろしいから。
またも木霊する女神の心の叫び。〝なのだぁーーっ!!〟が虚しく虚空にリフレインする。
これこそグラスナーデの民が一人もいない理由。
そう、単純に必要なかったのだ。
全方位から襲い来る何千という軍団。しかも、どうやら敵はフォルティーナに執着しているようで、この地に現れる〝無神〟は大半がクラス3以上。百体に一体はクラス2が混じっているという、シンクレアサイドと比して一段上の戦力が投入されているのに、だ。
雫一人で十分だったのである。
死体の山で埋め尽くされたこの惨状は、全て、雫一人で、それもギリギリ十分かからないというごく短い時間で作り上げられた光景だったのである。
君、普通じゃないよ。むしろ人間じゃないよ。
と、言外に神様から言われてしまった雫さん。キョトキョトと視線を泳がせ、なぜかキリッと真面目な表情をする。
「ま、まだまだです! 私なんて! フォルティーナ様は知らないだけなんです! 本当の理不尽を! 光輝を基準に考えてたらダメですよ!」
『やだっ、異世界こわすぎぃっ』
怖すぎてギャルっぽくなっちゃうフォルティーナ様。だって、目の前にいる女の子、たぶん勇者より強いもの。
なんなら、この子がその気なれば、女神たる自分だって認識する間もなく両断されるだろう。
なのに、自分の力を誇らないどころか謙遜してしまうというのは、どういう了見か。
いや、確かにユエという術者は破格だ。彼女も女神をして理解不能と言わざるを得ないレベルの存在ではある。
雫の口ぶりからすると、どうやらそのレベルが他にもいるのだろう。
だから、自分の強さに自覚が持てないのか。と、唸るフォルティーナ様。
「でも、女神様が驚くくらいの強さにはなれたんだなって思うと、ちょっと自信が持てました。ありがとうございます」
『……』
フォルティーナは思わず口を噤んだ。雫があまりにも嬉しそうに笑うから。
姿がブレた。逆の方角から迫っていた同じ飛行型の山羊がボトボトと落ちてきた。
フォルティーナは思わず息を呑んだ。おそらく、たった今、ほんの刹那の間に斬殺してきたのであろう雫が、変わらぬ笑みを浮かべていたから。
こわいよぉ、異界の人間こわいよぉ、と誕生して初めて泣きそうになる。
そう、会話の途中、言葉が途切れがちだったのも、先程の一瞬、姿がブレて見えたのも、あの瞬間に襲撃者を斬り倒しまくっては戻って来ていたのだ。それは怖い。
「私、戦闘職なのに最弱だったので……」
その声には、何か言い知れぬ重く深い感情が宿っているようだった。
「だから、誰よりも頑張らなきゃって。ハジメが、私を〝守るべき対象〟じゃなく、〝共に守ってくれるパートナー〟として、安心して背を預けられるように」
フォルティーナには分からない独白のような言葉だった。
ただ、思わず胸を打たれるような一途で、深い想いが込められた独白に感じられた。
「だから、この戦いで証明する。私はなんだって守れるんだってことを」
スッと息を吸い、そして消える。
女神の認識能力さえ捉えられぬ――常軌を逸した速さで。
フォルティーナの知覚能力が捉えたのは、およそ三キロ先、瘴気の暗闇と恵樹の輝きの境界線。
浄化の光が届かぬ闇の向こうからメェ~ッと不気味なほど可愛らしい鳴き声を響かせながら、新たに千体の〝黒樹の山羊〟が飛び出してきた。
ただし、その全てがクラス2。
クラス3ではいくら生み出しても雫の守りを突破できないと理解してか、全てを精鋭で揃えてきたようだ。
という考えに至った時には、既に五分の一が両断された後だった。
『転移ではない。あくまで〝速さ〟ということは理解した。だが、だが……なんなのだ、その速さは!』
フォルティーナの声が僅かに震える。驚愕と恐れ、そして少しの興奮が入り交じったような声音だった。
その間に半数が斬殺され地を転がった。
見えない。雫の姿が一時たりとも見えない。
ただ、こちらに突進してくる強力な山羊の怪物共が冗談のように、かつ凄まじい速度で両断されては宙を舞い、あるいは地を転がる。
死んだものは意識が消える一瞬前にようやく〝斬られた〟と気が付き、まだ生き残っている者は仲間が斬殺されて初めて〝自分達は何者かに斬られている〟と気が付く。
それは、雫の代表的だったアーティファクト――千の黒妖刀による襲撃ではなかった。
それは、空間を跳躍して放たれる斬撃でもなかった。
それは、あくまで 近 ( ・ ) づ ( ・ ) い ( ・ ) て ( ・ ) 斬 ( ・ ) る ( ・ ) という剣術の基本であった。
ただ、女神の認識能力さえ置き去りにする異常な速度で近づき、斬るのだ。
精鋭たる怪物の軍団、八割が脱落した。
山羊の如き鳴き声が、獲物を恐怖に陥れたそれが、今は助けを求める悲鳴に聞こえるのは気のせいか。
「たぶん、一度に生み出される兵隊の数には限りがあるのでしょうね。力の多寡によっても数は増減すると見ました」
気が付けば、またも女神の認識できぬ間に帰ってきていた。
細い枝葉の先端に佇む雫。
今宵の雫は、言わずもがな新しい戦闘服に身を包んでいる。
可愛いものが好きな雫が、敢えて可愛さを一切排して自ら要望したそれは、端的に言えばブラックスーツだ。中のシャツとポニーテールを作る髪飾りだけが少し明るめのワインレッド。つまり、ハジメの色たる真紅。後はネクタイも靴も、そして手袋も黒だ。
本人としては余念を排して戦闘に特化させた衣装と思っているが、正直なところ、むしろ魅力は増している。
体にピッタリとフィットするタイトなスーツは雫の抜群のスタイルを際立たせ、かつ使徒モードであるが故に雪のような純白のポニーテールが良く映える。
そんな姿で、抜き身の黒い刀を一振りして血を払い落とし、流れるように納刀する様はあまりにも絵になっていた。格好良さの中に、どこかゾクリッとする妖しくも危険な香りを意識せずにはいられない色気が感じられた。
カチリッと僅かに音が響く。刀の根本と鯉口が噛み合い完全に納刀された音だ。
途端に、雫の背後、遥か後方の大地で残りの怪物達が一斉に斜めにずれながら崩れ落ちた。
時間にして二十秒といったところか。
クラス3が千体も、クラス2が百体も大して斬る手間は変わらないということだろう。
思わず息を呑む。人の子は、ここまでに至れるのかと、〝暗き者〟を駆逐した勇者の力にも驚愕したが、それ以上の驚きと感嘆が女神フォルティーナの胸中を満たす。
「フォルティーナ様。敵の本体はどうですか? 見つかりそうですか?」
軍勢を生み出す本体がいるはずだが、未だに発見には至っていない。それを討伐しなければ戦いは長引くのだが、相当、巧妙に隠れているようだ。軍勢だけを生み出し、こちらの力を削ごうとしている。
『う、うむ。もう少しだ。手応えはある』
「分かりました。それまでは必ずお守りします」
創世の女神は貴重だ。砂漠界を支えるためにも決して失われてはいけない。まして、女神を取り込んだ〝無神〟は、どれほど強力になるか。想像もしたくない。
だからこそ、ユエはフォルティーナの護衛に雫を選んだ。何が起きてもいいように、決して離れないでと頼んだ。
それは無類の信頼だった。
そのユエの信頼も、雫にとっては大いに自信になったのだろう。
スーツに身を固め、片手を胸元に添えながら決意を口にする雫の姿は堂々としていて、まさに貴人を守るボディガード、あるいは女王を守護するナイトのようで。
香織がここにいればキャーーーッと黄色い声を上げ、ソウルシスターズがいれば全員まとめて昇天したこと間違いないし。
その破壊力といったら、
『ふ、ふむぅ! よ、良きにはからぇ』
何を感じたのか、女神様の声まで上擦らせてしまうくらい。
と、その時、
『「!」』
雫とフォルティーナが同時に反応した。雫の視線が北の一角に向けられる。
濃密な気配だった。今までのおぞましさや忌避感をそのままに、何か凄まじい闘気のようなものが爆風の如く届いたのだ。
――戦え、尋常ならざる 戦 ( いくさ ) に 応 ( いら ) え
そんな意志が闘気に乗って叩き付けられてくる。
量産型ではない。明らかに別種の〝無神〟。それも、
『シズク、クラス1相当です』
女神の声音に緊迫感を蘇らせるほどの手合い。
「お任せを」
雫はトンッと軽く跳び、少し下の十分な足場になる太い枝に着地した。
そして、大きく片足を引き、腰を沈める。
決闘の申し込みに応えるように、極端な前傾姿勢となりながら黒刀に手を添えた。抜刀術の構えだ。
「ハジメ、貴方を阻む障害の尽くを、私は斬り開いてみせる」
まるで詠唱のように響く想い。その想いが溢れ出ているように藍色の魔力がオーラとなって雫を包む。瞳が同じ藍色の光を帯びる。
そうして、
「貴方の守りたいもの、それを脅かす全てを斬り捨てて見せる」
女神の知覚能力を軽く置き去りにし、同じ〝神速〟状態のはずの香織に影さえ踏ませず、究極戦兎技状態ではないとはいえ、あのシアの〝未来視〟や〝直感〟を以てしても対応させなかった、
「私は貴方の剣だから。そう、ありたいから!」
八重樫雫が至った究極にして空前絶後の〝速さ〟をもたらす新魔法を、
「――〝真速・ 三重 ( みつがさ ) ね〟」
〝神速〟を超える〝神速〟を発動した。
姿が消える。
ほぼ同時に、三キロメートル以上離れた地で首が飛んだ。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
次回、シアった雫の全容です。なお最後の魔法の名称、ルビを付けるか、付ける場合どんなルビなら格好いいか考え中です。
※ネタ紹介
・無神のイメージ
黒樹の山羊:『クトゥルフ神話』のジョブ=ニグラスの落とし子です。黒い仔山羊。