全世界防衛戦⑳ 私はまだ二つの強化とエナドリを残している。この意味が…分かるな?
全世界防衛戦⑳ 私はまだ二つの強化とエナドリを残している。この意味が…分かるな?
少し遅れました! すみません!
再生魔法〝神速〟。
己を起点に移動にかかる時間自体を短縮することで物理法則を無視した超速度での移動を可能にする魔法。
より正確に言うなら移動のみならず、移動に伴う思考、動き、そして、その動きにより変動する周囲の物理法則なども圧縮された時間の中に含む魔法である。
故に、空間転移の〝転移の瞬間は術者も認識が途切れる〟という弱点がなく、また術者の認識や反応が速度に追いつかないということもなく、空気抵抗や慣性なども通常時間内での動きに比例した影響しか受けず、それでいて雷速すらも超越することができるという破格の魔法だ。
ただ、この魔法にも二つの難点が存在した。
第一の難点は〝運用および制御難易度の高さ〟だ。
己というA地点から目標地点たるB地点への移動時間を短縮する魔法ということは、言わずもがな、予め移動時間が確定していなければならないということだ。
取りも直さず、それは予め移動ルートを術式に組み込んでおかなければならないということ。
ルート自体は曲線だろうが蛇行だろうがなんでもいいのだが、そのルートを外れることはできないのだ。
移動中にルートを外れれば短縮元となる時間が狂う。そうなれば術は意味をなさなくなり勝手に解除されてしまうのである。
本来は〝魔力直接干渉〟と〝想像構成〟、それに極めて優秀な情報処理能力がなければ、実戦では運用が非常に困難な魔法であり、それでも使う場合は〝○○メートル先までの直線〟とだけ設定し、発動を繰り返すという運用がベターとなる。
それはつまり、基本的に直線的な動きになりがちで、かつ、仮に〝神速〟に対応できる相手だった場合、途中で行動変更を余儀なくされることで中途半端に術が解けるリスクがある――〝神速〟中は臨機応変な運用性に欠けるということでもあった。
そして、第二の難点が〝燃費の悪さ〟だ。
自明のことだが、再生魔法の神髄クラスだ。そもそもの燃費が高いのは当然。
そのうえで、〝神速〟は短縮時間が長ければ長いほど、また短縮率が高ければ高いほど消費量が跳ね上がっていく。比例関数的ではないうえに〝瞬間消費量〟もバカ高いのだ。
加えて言えば、短縮時間と短縮率は 元 ( ・ ) の ( ・ ) 速 ( ・ ) さ ( ・ ) に多大な影響を受ける。
例えるなら、100mを10秒で走れる人間が最大限に〝神速〟を使えば1秒に短縮できるとした場合、これが200mになれば当然、魔力消費は倍以上になるし、また100m20秒の人間が同じ短縮率で使えば2秒かかり、これを1秒にしようと思えば、やはり倍以上の魔力が必要になるということだ。
言うなれば、持って生まれた肉体的ポテンシャルにより、同じだけ鍛えても身体能力に差が生まれるようなもの。
〝神速〟は元の身体能力と才能に大きな影響を受けるのだ。魔法技能だけではどうにもならない部分があるのである。
なお、この〝短縮率の限界〟には瞬間消費魔力による魔力的限界および個々人の才能的限界だけでなく、魔法としての限界点も存在する。
再生魔法は時間という理に〝干渉〟する魔法だ。〝支配〟でも〝改変〟でもない。よって、〝時間の流れ〟という絶対の理に反することは不可能だ。
無限魔力を有するハジメが、アワークリスタルを用いても〝時間停止〟に至らない理由であり、過去の出来事を視ることはできても実際に戻ることはできない理由である。
そもそもこの魔法的限界点は、個人の魔法で到達するのは実質的に不可能に近く、それこそアーティファクトと無限魔力の供給がなければ到達し得ない領域でもある。
人に、否、神であっても、世界のルールに対して許される干渉範囲というものは決まっているのかもしれない。
さて、以上を前提に、果たして八重樫雫はどうなのか。〝神速〟の難点を、どの程度、克服できる人間なのか。
答えは、現状が何より雄弁に物語る。
「――真速・ 三重 ( みつがさ ) ね」
恵樹の太い枝の上にて抜刀術の構えを取り、踏み込む。
ほぼ同時に、約三キロメートル先の標的の首が、クラス1相当の、女神さえ緊迫させる怪物の首が、あっさりと飛ぶ。
三千メートル先の相手に認識さえさせない刹那の断頭。
〝無神〟は人型だった。珍しくもはっきりと人型であった。鍛え抜かれてはいるが死体の如き青白い肉体に、肉体と一体化しているように見える腰巻きと腕輪や足輪の装飾、片手には長剣を持っている。
モアイ像に似た造形の顔に、黒曜石でもはめ込んだみたいな黒一色の目……
表情の無さと相まって実に不気味だった。
だが、何より特徴的なのは肌をチリチリと焼くような凄まじい闘気だ。見るからに武人といった雰囲気である。
確かな言葉で呼び掛けてきたことも考慮すれば、猪突猛進の戦い方をするとは思えない。まともに戦えば、いったいどれほどの武技を振るったのか。
だから、
(――何もさせない。どんな強敵も、どんな能力も、出す前に斬る)
究極の〝先の先〟を以て断ち切る。
それを可能にするのが〝神速〟を超える〝神速〟。雫が至り、ユエをして〝シアった〟と言わしめた極限の〝速さ〟。
すなわち、〝神速〟中に〝神速〟を重ねるという絶技。
まず一つ、〝神速・ 二重 ( ふたがさ ) ね〟――途切れることなき〝常時神速化〟の領域に至る技。
ここまでは香織にも限りなく近しいレベルでできるが、雫のそれは更に上だ。
〝神速の二重起動〟に等しい技なので制御が困難かつ多大なリソースを奪われるが故に、香織の場合どうしても〝一瞬の途切れ〟が生じるが、雫のそれには刹那の隙もない。
それどころか、〝二重起動に等しい〟ではなく〝完全なる二重起動〟であるために、B地点に到達する前に別途C地点を作って軌道変更することも、その連続運用も可能だ。
つまり、〝直線軌道になりがち〟〝臨機応変な運用性に欠ける〟という弱点を完全に克服しているのである。
天衣無縫の如く、継ぎ目なし、自然にして縦横無尽の移動術たる絶技だ。
だが、〝二重ね〟では〝神速〟の速度自体は変わらない。通常の〝神速〟だ。
故に、〝真速・ 三重 ( みつがさ ) ね〟である。
〝神速〟中に〝神速〟を多重起動できるなら三つ目の〝神速〟を起動することも可能なはず。かつ、繋ぐための〝神速〟ではなく、〝時間短縮率〟を上げるために重ねることもできるのではないか?
〝短縮率の限界〟を、〝神速〟中に更に〝神速〟を発動することで〝短縮された時間を短縮する〟という荒技。言い換えれば、〝神速〟に〝神速〟を使うようなものだ。
本来なら無理である。
〝短縮率の限界〟は個々の才能に依存し、かつ、魔力的、魔法的な限界点を超えることができない。それが大前提だ。
百歩譲って短縮率が上がったとしても、それは一度目の〝神速〟が個人的才能の限界点に達していなかっただけ。まして、瞬間魔力消費量は当然ながら爆発的に増える。
いくらアーティファクトに膨大な貯蔵魔力を保有しているからといっても限度があるし、ユエに魔力を届けられても、それを自身の魔力に変換する時間がない。消費と供給のバランスが完全に崩壊している。
なのに、なぜか雫さん、その前提を踏み越えてしまったのである。
あたかも、融合するはずのない異世界のエネルギー同士を気合いで融合させちゃった某バグウサギ(+武神父)のように。
あり得ない超々効率で運用できてしまっているのだ。
その結果、もたらされるのは同じ〝神速〟使いにさえ影さえも認識させぬ超越速度。
より正確に表現するなら〝神速・三重ね――〝真速〟〟というべきか。
それを防衛戦が始まってからずっと使っているのに、未だ魔力が枯渇する様子はなし。
魔力的限界を踏み越え、更には個人的才能の限界点まで引き延ばされた時間の中、風に舞う砂の一粒一粒まで認識しながら、雫は静かに納刀した。
そして、
「これがクラス1」
即座に抜刀した。独楽のように回りながら背後へ。
未だ地に落ちてすらいない頭部が見える。それを背景にして、眼前に長剣が振り下ろされていた。
〝剣の無神〟だった。何事もなかったように頭部が健在の〝剣の無神〟が幹竹割りの斬撃を繰り出していたのだ。
雫の黒刀と〝剣の無神〟の刃が激突する。激しい衝突音と共に火花が散った。
凄まじい膂力だ。腕ごと黒刀を弾き飛ばされそうになる。
「一筋縄じゃいかないっ、わね!」
〝剣の無神〟が美しい流線を描くようにして横薙ぎを振るってくる。
一歩下がって回避する雫。返す刀で袈裟斬りを繰り出す。
弧を描いた長剣が雫の斬撃を防ぎ、弾き合うに任せて軌道を変化させ、互いに新たな斬撃を繰り出す。
再び激突。超速の剣戟が僅か一秒の間に七度もぶつかり合う。
ぶつかり合えていた。
雫は〝真速〟状態にもかかわらず。
(頭部、再生、神速使い! プラス……この感覚は〝遅滞領域〟!!)
香織のそれを経験していたから感覚で分かった。
この〝剣の無神〟は間違いなく再生魔法の権能持ちだ。それも、ユエの〝自動再生〟じみた再生能力に加え、〝神速〟と同時に〝遅滞領域〟を展開できる化け物だ。
雫の〝真速〟が〝遅滞領域〟で中和され、同じ〝神速〟状態になっている。
しかも、継ぎ目がない。同じく〝常時神速化〟まで使っている。
いったいなんという偶然だろうか。運命の悪戯という言葉を思い浮かべざるを得ない。
(同じ〝神速〟でも私が一番速かったのに……こうもあっさり並ばれると自信なくすじゃない)
仕切り直し。真横へ猛ダッシュ。だが、〝剣の無神〟はピッタリと併走してくる。
そのまま斬り結ぶ。刹那のうちに十合、二十合と剣戟の数を積み上げながら「世界はやっぱり広いわね」と雫は苦笑を浮べた。
事実、雫の〝神速〟は最高位だった。
同じ条件下で〝神速〟を使った場合でも、最も〝神速〟に慣れ親しんだ香織でさえ雫には追いつけない。仮に香織が100mを10秒で走るなら雫は3秒。感覚的には、それほどの隔絶した差があった。
元の速さ、短縮率、魔力効率……何もかもが違ったのである。
――あはは……流石は雫ちゃん。速さのステータスが唯一、四桁だっただけはあるね
ハジメの施術で再生魔法を会得した雫が、初めて〝神速〟を使った時の香織の言葉だ。
ちょっぴりの悔しさの中に心底の誇らしさを感じさせる言葉だった。香織に〝治癒特化〟の強化方針を決断させた大きな理由の一つでもある。
そう、元より雫は〝最速の剣士〟だった。勇者でさえ及ばぬスピードファイター。文字通り、桁違いの速さを持っていたのだ。
その雫が使徒の肉体を手に入れれば強化条件は同じ。なら、本来の速度が上乗せされる分、〝最速〟を取り戻すのは当然と言えば当然で。
なのに、この〝剣の無神〟と来たら、ようやく少しは得られた自信を容易く打ち砕こうとしてくる。
よりにもよって、〝速度特化〟を目指して高みに至った雫のもとへ〝速度特化〟の無神が現われるなんて、まさに運命の悪戯だ。
(いえ、だからこそ私のもとへ? だとしたら不幸中の幸いというべきかしら)
速度に自負を持つ武人らしき無神。だから、雫に惹かれたのかもしれない。己こそが最速であると、尋常ならざる斬り合いを以て証明するために。
他の者のところに行っていたら、それこそ認識できぬ間に斬られていたかもしれないと思えば、まさに雫こそ適任だ。被害が出なくて良かったと思う。
ただ、まぁ……
それはそれとして、だ。
「悪いけど、付き合う気はないわ」
どちらが最速か。どちらの武が上か。
どうでもいいことだ。託されたのは、この世界の命運。任されたのは女神の護衛。
守るべきものも、果たすべき役目も、雫が忘れることなどありはしない。
勝手に盛り上がっていればいい。
私は、私の最速は、敵の全てを置き去りにする!
「――〝真速・ 四重 ( よつがさ ) ね〟」
――ッ!!?
〝神速〟✕〝遅滞領域〟の合わせ技の凶悪さを知っていて、なおその上を目指さないわけもなく。
三重起動が可能なら四重起動だって可能なはず。
昇華魔法〝禁域解放〟で〝真速〟へ至れるなら、その上位互換たる〝極天解放〟で〝超真速〟に至れるのは道理である。
そんな馬鹿な……という声がユエから聞こえてきそうである。まるでシアに向けるような目を向けながら。
なぜ、魔力が枯渇しない。なぜ、才能的限界を踏み越えられる? と。
シアなら、きっとこう答えるだろう。
(気合い、なんてね!)
二度目の断頭。きっと〝剣の無神〟の目には、突然、雫が消失したように見えただろう。
更に遅くなった時間の中で、断ち切られて徐々に離れ行く〝剣の無神〟の頭部が肩越しに視線を向けてくる。
モアイ像のような表情が微妙に歪み、僅かだが目を見開いているように見えた。
「再生の時間は与えない」
断頭で死なないのは承知済み。ならば思考を奪ったうえで肉体の方も細切れにするまで。
と、刃を返した直後、〝四重ね〟の領域だからこそ気がつけた。
背後から迫る気配に。
「ッ!!」
咄嗟に鞘を背に回す。凄まじい衝撃が走った。
敢えて衝撃に身を任せつつ、加えて自らも踏み込むことで距離を取る。
空中で猫のように宙返り。吹っ飛びつつも上下逆さのまま背後を確認すれば、
「頭部からも再生するとか反則でしょ!」
思わずツッコミを入れてしまう光景が。
そう、二体目の〝剣の無神〟がいたのだ。そして、どこにも最初に飛ばした頭部がなかった。なら答えは単純。切り離された最初の頭部の方からも再生したのだ。
(いえ、よく考えれば思考できる頭部から再生する方が当たり前、よね……)
肉体の方が再生したので、てっきりユエの〝自動再生〟のように魔法として行使しなくても勝手に再生する類いだと思い込んでいた。
(待って……ユエって……もし断頭したら、どっちから再生するのかしら?)
ふと浮かび上がった疑問。頭を落とす度に増えていくユエ様……
カットッカァーーット!!
私ったら何を考えているのかしらん! と自戒する。
時同じくして、なぜか急に悪寒を覚えたユエがぶるりっと震え、無意識に首を押さえながらキョロキョロしているなんてことは知りもせず。
二体が限度なのか。
今度は頭部と肉体の両方から再生するなんてことはせず、宙を舞いかけた頭部が映像の逆再生みたいに戻って肉体と癒着する二体目の〝剣の無神〟。
そのまま並んで突進してくる。
幸いなことに、二体いるからといって遅滞領域の効果が二倍になるということはないらしい。互いに〝神速〟を掛け合い、更に速度を上げるということもない。
やはり、雫のように〝重ねる〟ということはできないようだ。
放たれてきた一体目の斬撃を、すり足で砂海に円を描きながら紙一重の見切りで回避しつつ、その脇を抜ける。
同時に、すれ違い様の胴抜きで一体目の胴体を真っ二つに両断しようとする。
それを、読んでいたように二体目の長剣が防いだ。
「……」
スッと目を細める雫。直ぐさま二体目の心臓(あるかどうか、あったとして意味があるかは分からないが)を貫くべく突きを放つ――寸前に、一体目の長剣が割り込んでいた。
ピクリッと雫の肩が反応する。と同時に、一体目は仰け反る仕草を見せた。
「未来視まで使うのね」
どの程度の未来視かは分からない。だが、確実に先読みしている。
ただの〝神速〟なら、シアがスキルと直感だけで対応してしまうように、この〝剣の無神〟達も速度差を未来視で補っているのだ。
しかも、片方が攻撃している時は、もう片方が防御に専念するという徹底ぶり。
同じ存在だからこそ可能な完全なる連携もある。
厄介だった。その再生能力も相まって、あまりにもしぶとく感じられた。
だから、是非もなし。
「――〝限界突破〟」
まだ使っていない強化策を取る。
女神の護衛こそが最重要。だから、継戦能力に難のある強化は未だ使っていなかった。
そう、〝真速・四重ね〟に至ってなお、雫は自前の昇華魔法による強化しかしていなかったのである。
新衣装に合わせて新たに創ってもらったネクタイピン型アーティファクト〝ラスト・ゼーレ(改良版)〟の起動により藍色の魔力が吹き荒れた。
爆発的に上がった全能力。
ならば、もちろん可能だ。
「――〝真速・ 五重 ( いつがさ ) ね〟」
生物的限界を遙かに超えた空前絶後の時間短縮率。
それがもたらす速度は、もはや未来予知も許さない。仮にできたとしても対応の暇も与えない。
全てを置き去りにするが故に認識もされず。
まるで本人こそが世界から置き去りにされたような感覚に陥る寂寥と孤独の領域。
本来なら刹那に魔力を消費し、枯渇の倦怠を超えて一瞬のうちに衰弱死しておかしくない、否、そうならなければおかしい諸刃の剣だ。
正気の沙汰とは思えない多重起動の結果は、もちろん。
「付き合う暇はないと言ったわ」
本来の流れに戻った時の中、二体の〝剣の無神〟が、まるで金縛りにでもあったみたいに硬直している。
その背後で、ゆるりと払われる黒き刀。そして、風になびく白のポニーテール。
雫の背後で微かな音が鳴った。
崩壊の音だ。二体の〝剣の無神〟がザァッと風に吹かれながら崩れ去っていく。
まるで風化した建物が崩れていくみたいに。
それほどまでに細かく切り刻まれたのだ。あの刹那の間に、念入りに、二度と再生できぬように。
それでも油断せず肩越しに観察する雫。
あの精神を圧迫する闘気は感じられず、存在感もない。
そして、崩れた姿が元に戻ることもなかった。
「……ふぅっ。流石に、きつい、わね……」
思い出したみたいに頭がズキズキと痛み出した。ツ~ッと鼻から血も滴り落ち、視界の端が赤く染まっている。
処理限界により脳が悲鳴を上げているのだろう。
機械で言えばオーバーヒート寸前だ。〝常時神速化〟も解けてしまっていた。
そんな自分の状態を確認した雫は、血を拭いながら、ふと苦笑を浮べた。
そして、
「まったく、これのどこがバグキャラよ。まだまだ精進あるのみね……」
それ自体が芸術と言えるような美しい所作で、綺麗に弧を描かせた黒刀を滑らかに納刀したのだった。
『なるほど。これがバグキャラ……』
恵樹と一体化しているフォルティーナに表情というものはない。だが、もし人型があったなら、その表情はきっと戦慄や畏怖に彩られていたに違いない。
先程、雫が「誰がバグキャラよ!」と唐突に叫んだ時は意味が分からなかったが、今はなんとなく理解できたのだ。
確かに、これは世界のバグだと。
『己が何をしたのか、どこに至ったのか、自覚がないと見える』
神の知覚能力でも追い切れない攻防。現実の時間では僅か二秒にも満たない戦い。
ただ、世界の全てを認識可能な化身の権能は、この世界の中で起きた事象自体は後からでも把握でき、かつ解析も可能だ。
その知覚能力によれば。
雫が最後に見せた速度。あれはたった三秒ほどで、この星を一周する速度だ。秒速に換算すれば約一万三千キロも進めるほどの速さ。
紛れもなく人間が生身で実現していい速度ではない。
個人的資質、瞬間消費魔力的限界からは当然、〝神速〟という魔法自体の限界に限りなく近い領域。神域を超えた無上というべき領域だ。
『天晴れ見事』
掛け値なしの称賛だった。まだ精進が足りないという自己評価に呆れと末恐ろしさを感じつつも何より安堵を覚える。
そう、安堵を。
『シズク、貴女になら後事を託せる』
自分が敗北しても、雫がいれば人の子等は守られる。
『まだですッ!! フォルティーナ様!!』
女神の権能を介した魂で通じる念話に、必死の声が届いた。
雫が戦闘していた地点と恵樹の間、ちょうど中間くらいの場所で、雫が全力の〝突き〟を繰り出していた。
見えない壁に向かって。
剣先にだけ僅かに黒色混じりの虹色の波紋が見えた。
〝剣の無神〟との戦闘を終えた直後、頭痛を堪えながらも直ぐに戻ろうとしたのだ。〝真速〟ではなく通常の〝神速〟だったが、それでも瞬く間に戻れるはずだった。
だが、阻まれた。中間地点で見えない壁に激突し、それ以上先へ進めなくなったのだ。黒刀の空間切断も発動しているのに、この見えない壁はビクともしない。
左右や上空に視線を向けるが、直ぐにフォルティーナから『星を丸ごと二つに分断するほどの結界、否、概念魔法に近しい隔たりだ』と情報が脳に送られてくる。
『まさか、あれほどの〝無神〟を陽動に使うとは』
『そんなことより転移で呼び戻して!!』
丁寧な言葉使いも捨てて叫ぶ雫。
その視線の先には凄まじい輝きを放つ恵樹の前に現れた凜々しい女性がいた。砂漠界で生まれた、かつての勇者だ。フォルティーナが敢えて人形を取る時に使う姿でもある。
その彼女が緩やかに首を振った。
転移で呼び戻すことはできない。あるいは、もう手遅れだというように。
雫の目が見開かれ、次いで、してやられたと言わんばかりに歯がみした。理解したのだ。
おそらく、既に異世界間への通信も途絶してしまって、フォルティーナ自身も退避ができない状況なのだろうと。
そして、〝剣の無神〟は、この状況を作るための策だったのだと。雫をほんの数秒だけでも恵樹から引き離すための。
偶然ではないだろう。雫を数秒でも足止めできる同系統のクラス1が襲来し、対応のために飛び出した瞬間に戻れなくなる手を打つなんて偶然であるはずがない。
まさか、〝かつての厄災〟が、まったく別種の強力な無神を誘引し、更には囮に使うなんて思いもしなかった。
軍勢の波状攻撃も、やはり威力偵察だったのだろう。あるいは、怪物の軍勢など恐れるに足りずという油断を誘う目的もあったのか。
思考するどころか完全に戦略を理解し、慎重さを合わせ持ち、女神の知覚能力さえも欺いて懐に踏み込んでくるという、かつての〝厄災〟にはあり得ない行動の数々。
否。
否だ。
『ようやく理解した。貴様は、かつての厄災ではない。だが、同じ存在……いずこかの可能性の世界で、我を喰らった個体だな?』
フォルティーナの意識が上空に向く。
まるで沼が天地で反転したような光景だ。ごぽっごぽっと泡立つ瘴気に覆われた空。そこに〝それ〟はいた。
常に攪拌され泡立つ黒い雲を纏う、膿を滴らせる無数の卵らしきものを抱えた胴体。無数の触手に、蹄の付いた山羊の如き幾つもの脚、そして粘液を雨のように垂れ流す顎門だけの頭部……
かつて砂漠界を襲った〝厄災〟と瓜二つの姿。
だが、その存在感の強大さといったら。
見誤っていた。実際に本体が出来てきて、こうして間近でチェックメイトを掛けられて、ようやく女神の知識と知覚は真実に至った。
〝かつての厄災〟は、確かに討伐に成功していたのだと。
これは、並行世界の〝厄災〟なのだと。
それも、おそらく並行世界のフォルティーナに勝利し、その存在を取り込んだことで力を増した完全上位個体。
結果、この〝砂漠界の厄災〟はフォルティーナの権能の一部を行使可能なまでに進化したのだ。
だから、〝無神〟の侵入を阻む結界があるはずなのに、新手が出現した。
砂漠界に潜んでいたのではなかったのだ。この戦いが始まった直後に〝砂漠界の厄災〟は結界を中和して外宇宙から侵入し、更には他の〝無神〟をも招き入れたのである。
偶然にも今このタイミングで並行世界からこの世界に辿り着いたのか。それとも結界の外側で虎視眈々と、なんらかの理由から〝無神一斉蜂起〟の瞬間を待っていたのか。
何にせよ、だ。
『……不幸中の幸い、ではあるか』
世界の裏側の大陸で、今も奮闘している人の子等を想う。
シンクレア王国やジャバルシャン王国を襲っている〝無神〟の過半数は、この〝砂漠界の厄災〟が生み出し送り込んでいる〝厄災の仔〟だ。
この地に送り込まれた〝厄災の仔〟に比べれば一段も二段も劣る数を重視した私兵。
本体の影響はなく、大陸全体を押し潰すような高密度の瘴気に囲まれているわけでもない。
もし、この本体が直接、裏大陸の人々を襲っていたらと思うとゾッとする。
もはや栄養補給のためではない。己の力を増すためにフォルティーナを狙っている。女神を喰らうことに執着しているからこそ、その程度で済んでいたのだ。
最後に雫を見やる。
少しだけ驚いた。彼女が血涙を流していたから。
結末を理解しての悲嘆か。それとも救えぬことへの悔し涙か。
魔力を帯びて輝く瞳と相まって、女神をして壮絶と感じさせる姿だ。なのに、フォルティーナは自然と笑みが零れる心持ちになった。
眼差しに意志を乗せる。素晴らしく察しの良い子だ。それだけで分かるだろうと信頼を込めて。
そして、再び頭上を仰ぎ。
『女神の力すら及ばぬ怪物め……』
力の差は絶望的。出力が桁違いというだけでなく、劣化版とはいえ己と同じ権能を振るえる、干渉できるという点で相性も最悪。
一柱や二柱程度ではあるまい。いったい、どれだけの並行世界を渡り、何柱のフォルティーナを取り込んだのか。
覚悟を決める。喰われる覚悟を。
だが、同時に反撃の覚悟も。
喰われた直後、完全に取り込まれる前に、取り込まれる最中だからこそできるはずの渾身の抵抗に備える。己の力を取り込んだが故に干渉できるなら逆もまたしかり、と。
最期の瞬間まで足掻き、この強大な存在を討滅する隙をなんとしても作ることで一矢報いる。
今は、かつてとは違う。
女神さえ畏怖する力の持ち主が、世界を救わんとする数多の者達がいる。
何より、ほんの一時ではあったが、かつての勇者のように凜々しく美しい、呆れるほど強き守り手がいるから。
だから、
『後を頼んだぞ、救世主達よ』
恵樹の天頂に触れるほど降りてきた暗黒の天蓋。
雨の如く降り注ぐ膿と粘液が恵樹の葉を、枝を腐らせ、朽ちさせていく中。
〝砂漠界の厄災〟は、ようやくありつけたご馳走を前に涎を垂らすようにして頭部の大口を開けた――
その三秒前。
余すことなく、誤解もなく、フォルティーナの意志を汲み取った雫は、しかし、表情一つ変えなかった。
それどころではなかったから。
何一つ諦めてなどいなかったから。
再度、発動した〝真速・五重ね〟の時間軸の中で、雫は脳が沸騰するような感覚に陥りながらも、
(視ろ、視ろ、視ろ、視ろッッ!!)
己に暗示でも掛けるみたい強く強く念じながら、もう一つの鍛え上げていた魔法を行使していた。
昇華魔法〝情報看破〟。
情報に干渉するという神髄の代表的な技の一つ。ステータスプレートを作成するアーティファクトにも組み込まれている分析や解析において極限の効力を発揮する魔法だ。
血涙は感情由来ではなかった。
使徒モードであってもなお過負荷となっている証拠だ。
だが、無茶をした甲斐はあった。
(視えた!!)
フォルティーナが喰われる、二秒前。
「――限界突破・覇潰」
ラスト・ゼーレによる最終限界突破のトリガーを引くと同時に、反転。
フォルティーナに背を向けながら、クラウチングスタート並に腰を落とし、抜刀術の構えを取る。
残り、一秒。
更に、〝宝物庫〟から虚空に出現させたアンプルを口でキャッチし、ガラス片を飲み込んでしまうのも気にせず噛み砕き、そのまま中身を飲み干した。
そして、
「――〝真速・ 七重 ( ななつがさ ) ね〟」
一段飛ばして、今の雫に可能な本当の最高速度へ突入した。
この世界では、もはや周囲の景色はまともに見えない。全てが線だ。音も聞こえない。風も感じない。
それがどういう現象から来るものなのか、雫には分からない。ただ、脳の許容範囲を超えすぎていて周囲を認識する感覚が機能不全に陥っているだけなのか。
まるで流線と光、それに暗闇だけで作られたトンネルの中を駆け抜けているかのよう。
時間の感覚も分からず、刹那にも永遠にも感じる不可思議な領域。
先程までの焦燥感はなく、むしろ、心地よいほど心は静かだった。
だからだろうか。
こんな時なのに、とりとめもない記憶が、想いが溢れ出したのは。
(……ハジメ)
想いが通じて、無事に故郷に帰ることができて、もう二度と無理かもしれないと絶望したこともあった〝日常〟まで取り戻した。
夢のように幸せな毎日だった。
親友を失わず。
新しい家族が出来て、心から受け入れてもらって。
ずっと望んでいた〝甘える〟も、〝頼る〟も、そして、〝守られたい〟も全てが叶って。
彼が、叶えてくれて。
これ以上、何を望むことがあるのか。本気でそう思った。思うほどに幸せな毎日だった。
なのに、だ。
〝龍の事件〟以降、ハジメは変わった。正体不明の不安感に苛まれ、過剰なまでに防衛を意識し、眠れぬ夜を過ごし、眠ってもうなされて、それを紛らわすように多忙を極めた。
そんなハジメを見て、雫が感じたのは心配でも不安でも慈しみでもなく。
(……私のハジメに何をしてくれているのかしら)
怒りだった。愛しい彼を蝕む正体不明の何かへの激しい怒りだった。
この半年、雫はずっと腹の底にふつふつと湧き上がるような怒りを抱えながら過ごしていたのだ。
杞憂とは思わなかった。ハジメが不安だと思うなら、それはあるのだと、いつかそれは起きるのだと、自然と受け止めていたから。
けれど、雫は弱かった。少なくとも雫は、そう思っていた。
愛子やリリアーナ、それにレミアやミュウは当然ながら強弱を測る枠には入れていない。
愛子とリリアーナにはライフワークがあり、それに対する信念こそ、まさにハジメが好意を持ち、二人の好意を受け入れた最たる理由。戦闘力を優先すれば、それこそハジメはショックを受けるだろう。あるいは、己が不甲斐ないからだと落ち込むかもしれない。
レミアやミュウは言うまでもなく。
(私は剣士。本来なら誰よりも前に出て皆を守らなきゃいけない)
そう思っても、雫は自分の力量を信じられなかった。己の強さの源は、ハジメのアーティファクトでしかないと思っていた。
自分は、望んだ通り〝守られている〟と。
(きっと、初めてね。こんなにも強く〝守られたくない〟と思ったのは)
面倒くさい女だと、自分で自分に苦笑が浮かぶ。
お互いに守り合うことができれば良い。ユエとハジメの関係は、まさに理想。
けれど、雫の気持ちは、我が儘な心は、どうしてか想ってしまうのだ。想ってしまうに至ったのだ。
私が守りたい、と。
泣きたくなるほど幸せな今を、私が守りたい。
ハジメにもユエ達にもありふれた日常を過ごして欲しい。愛しい人達を私の力で守りたい。
そんな狂おしいほどの衝動が湧き上がるのだ。
(〝龍〟さえも斬り裂く力が、私にあれば……)
ハジメを不安にさせた原因。その存在を斬り裂き、ただの島国に出来たならどれほど良かっただろう。
でも、現実は無常だ。
戦闘職でありながら、雫はユエにもシアにもティオにも、そして使徒モードになれば香織にさえも勝てないだろう。守られる側になってしまう。
許せない。
弱い自分が許せない。
こんな幸せをくれたハジメを不安がらせる何かを、一刀のもとに切り捨てられない自分の弱さが我慢ならない。
だから、
(いつか必ず辿り着く。〝龍〟さえ斬り裂く強さに)
誰よりも努力しなければと思った。誰よりも努力したつもりだった。
やったことは単純。再生魔法を会得した直後から、とにかく〝神速〟を使いまくる。
日常の隙間時間は全て常時神速化で過ごし、時間の短縮をし続ける。
魔力枯渇で倒れ、血涙や鼻血を垂れ流し、解除後にも続く頭痛の常態化にも笑顔で耐え続けた。
全ては体を慣れさせ、〝神速〟に最適化するため。
自分が、かつて誇った〝最速〟を取り戻すために。
反復練習は武術の基本。
体に覚えさせる感覚は誰よりも知っている。
繰り返す、繰り返す、繰り返す。
まるで刀を鍛え上げるように。
そうして下地を作り上げ、やがて使徒モードを手に入れて肉体強度が増してからは、遂に適性がなくて使い道がなかった変成魔法まで併用し出した。
一種の肉体改造のためだ。
ただ使徒モードで強度を上げただけでは足りない。使徒モードを更に〝神速〟に最適化した肉体へ変えていくのだ。圧縮された時間の中で、時間をかけて少しずつ、地道に。
その肉体改造は脳にまで及んだ。あまりに高いリスク故に、心配して反対した香織をどうにか説得して、流石に万が一の事態には備えてもらったが。
そうして、〝神速〟を重ねられるようになった後は、ひたすら練度を高める日々。
短縮率が上がっていけば、当然、体感時間は延びる。
雫の感覚では数日は誰とも会っていないなんて感覚はざらで、数週間、数ヶ月、旅行の少し前からは数年ぶりの感覚に陥ったこともある。
(っ、だからって、ちょっと積極的すぎたわよね? ハジメ、引いてなかったかしら?)
不意に思い出す。夜の営みを、否、夜まで我慢できずに日中から、それもあんな、いつ人が来てもおかしくない場所で――
カットッカァーーット!! と心の中で叫ぶ雫さん。屋外にもかかわらず、ハジメを美味しく頂いてしまった時のことを思い出して羞恥心に駆られる。
(私の馬鹿! 集中して!!)
何にせよ、だ。
〝神速〟に対する格別の適性、〝速さ〟に対する天賦の才能がなければ廃人になりかねない無茶な訓練を日常的にこなしてきた雫の〝神速〟は、実質、〝固有魔法〟の域にまで昇華しており。
(失敗すれば死ぬのは私)
多くの感覚が消失し、それどころか時間感覚も消失した不可思議な領域で。
しかし、雫には分かっていたから。
最初から決めた通りに、そうであることが当たり前のように。
(でも、大丈夫。〝龍〟と違って、少なくともあなたは――)
抜刀。
「斬れない気がしない」
その時、その瞬間。
フォルティーナには何が起きたのか分からなかった。
気が付けば〝砂漠界の厄災〟が動きを止めていて、大きく開いた顎門にスゥッと線が入ったかと思ったら、そのまま左右に分かたれて。
『え? あ? ……なに、が』
なんて女神にあるまじき間抜けな声が漏れ出す中、真っ二つに分かたれた〝砂漠界の厄災〟が力なく、恵樹を避けるようにして両側へ落ちていき。
そこで、ようやく気が付いた。
「カハッ、ごふっ……っ」
『シズク!?』
決して通れぬはずだった〝壁〟のこちら側に、いつの間にか雫がいた。
恵樹を背に、壁と向き合うようにして、刀を振り抜いた姿勢で残心している。
前髪で表情が見えない。ただ、目や鼻のみならず、耳、そして吐血もしているのが分かった。と認識した直後には、カクンッと糸を切られたマリオネットみたいに力を失い、両膝を突いて項垂れてしまった。
『シズク!!』
再度、呼びかけながらも反射的に加護を強め、更に全力で治癒の力を放つ。
恵樹から伸びた光に合わせて、ちょうど暗雲の隙間からも光が差した。
間違いなく〝砂漠界の厄災〟が滅んだ証拠だ。刻一刻と瘴気が晴れ、美しい月光が天使の梯子のように雫を照らす。
だらりっと下がった両腕は、黒刀こそ離さないもののピクリとも動かない。
『シズク!!』
三度目の呼びかけが、思念ではなく物理的な空気の振動となって周囲一帯に響き渡った。
その直後だった。
「……あはは、そんなに大声を出さなくても聞こえていますよ、フォルティーナ様」
『シズク……』
意識を取り戻した雫の苦笑気味の声に、フォルティーナはドッと力が抜けたような声音を漏らした。
頭痛を堪えるように片手で頭を押さえつつも、ゆっくりと立ち上がる雫。ふぅ~~~っと機械が排気熱を放射するように大きく息を吐いた。
『何が、いや、いったい何をした?』
周囲一帯に転がっていた死体と合わせて、ハラハラと存在感ごと塵となって消えていく〝砂漠界の厄災〟を認識しながら、フォルティーナが尋ねる。
黒刀を血振るいするように振り払いながら、〝砂漠界の厄災〟の生存や新手を警戒してだろう。雫は周囲に鋭い視線を向けつつ端的に答えた。
「普通に駆けつけただけです。ただし、反対側から」
『は?』
またも漏れ出す女神にあるまじき声。
当然だろう。理解はできるが理解できなかったのだから。
反対側、それはつまり星を一周してきたということに違いなく。
確かに、雫の〝真速・五重ね〟は三秒で星を一周できるほどの速度だ。
だが、だとしても無理だった。〝壁〟を通れるはずがないし、そもそも喰われる寸前だ。間に合うはずがなかった。
「あの時、見つけたんです。あの〝壁〟、星の反対側はまだ完全に展開できてないって。本当に小さな、人一人がギリギリ通れるくらいの穴ですけど」
概念魔法に近いという話だったが、実際、そうだったのだろう。近寄るなという本能的拒絶に近い、何よりもまず雫に近寄らせないという意志で生じた隔たりだったに違いない。
だからこそ、そこに僅かな隙があった。
星をドーナツ状に囲う巨大な壁は、当然、星の反対側にまで及んだが展開速度には差があったのだ。
何せ反対側は、その反対側を通り過ぎるまでは 雫 ( ・ ) が ( ・ ) 離 ( ・ ) れ ( ・ ) て ( ・ ) い ( ・ ) く ( ・ ) 方 ( ・ ) 角 ( ・ ) だから。
魔法のような効果が確立された術でなかったが故に生じた隙だった。
ただし、その隙が閉じるまでは残り一秒程度しかなく。
「流石に最高速度は0.4秒しか使えなくて、ちょっと焦りましたけど」
『……』
言葉もない。
あの〝真速・五重ね〟ですら本気ではなかった。
星の反対側まで0.2秒。一周するのに0.4……
それはつまり、ほとんど光速の半分。半光速というべき速度に至っていたということで。
そして、雫の〝情報看破〟は〝壁〟のみならず、〝砂漠界の厄災〟の急所をも看破していたが故に。
敵の急所を見抜き、その急所を半光速領域を以て斬り裂く。
その斬撃の前に神はあらず。 一度 ( ひとたび ) 放てば神と言えど尽く斬り捨てる。
いつか必ず〝龍〟をも斬り裂いて見せるという八重樫雫の決意の象徴。
〝真速・七重ね〟より繰り出される、雫が至った斬撃の極致。
それすなわち、
――終極の太刀 無神
今、世界を襲っている敵の呼称と同じなのは、いったいなんの偶然か。
だがしかし、クラス0、その中でも更に一線を画した強大な存在を、女神の権能すらも使う怪物を一刀のもとに斬り伏せた事実は変わらぬが故に、これほど相応しい名もないはずで。
キンッと軽く音を立てて納刀。
これまた、いつの間にか恵樹の枝の上、未だに女性勇者の姿を投影したままのフォルティーナの傍らに戻って来た雫は、その瞳を覗き込むようにして、
「言いましたよ? 必ず、貴女を守るって」
次は後の事なんて託さず、信じてくださいね? と微笑んだ。
一拍。
最大の敵が去った砂漠界に、
『ふぁ!?』
両手で胸元を押さえ、激しく動揺する女神様の声が響いたのだった。
うっかり全世界の人々に聞こえる伝達の権能〝神託〟を発動しながら。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
真速の名称に関して大変参考にさせていただきました。結果、和名が良いという多数意見と、雫ならシンプルな方がいいかな?と思い〝真速・○かさね〟の名称を採用させていただきました。たくさんのご意見ありがとうございました!こういうの考えてる時が一番楽しいまである。ない?
なお、大変申し訳ないですが来週は予定が詰まっているためお休みとさせていただきます。もしかすると15日も間に合わないかもしれませんが、更新再開しましたら、どうぞよろしくお願い致します。
※ネタ紹介
・タイトル
『ドラゴンボール』のフリーザ様より。
・無神のイメージモデル
砂漠界の厄災:『クトゥルフ神話』のジュブ=ニグラス。剣の無神:大いなるもの。