LNCrawler

全世界防衛戦㉔ ミトメタクナイッけれど!

ありふれた職業で世界最強 — ncode.syosetu.com · All chapters

全世界防衛戦㉔ ミトメタクナイッけれど!

天竜界・アーヴェンスト竜王国。

生まれ変わった豪華客船アーヴェンストのスパリゾートでバカンスを楽しんでいたところに、突如として転がり込んできた女性と知らせ。

それを受けて急遽ハジメ達が帰国してしばし。

「皆さん、大丈夫でしょうか……」

ハジメ達の来訪時に使った客室のバルコニーから外を眺めつつ、女王ローゼは呟いた。

その端正な顔は憂いの陰を帯びている。

「あの方々のことです。あらゆる心配は杞憂でございましょう」

カチャリと微かな音を立てつつ、執事長のサバスがお茶のカップをテーブルに置いた。

そのカップをひょいっと取り、喉が渇いていたのかゴクゴクッと無遠慮に一気飲みしたのは、

「プハッ。いやいや、サバスさん。陛下が心配してんのは 戻 ( ・ ) っ ( ・ ) て ( ・ ) く ( ・ ) る ( ・ ) か ( ・ ) だろぉ? 特に 大 ( ・ ) 将 ( ・ ) が ( ・ ) 、さ」

ボーヴィッドだった。女王陛下の前だというのに、まるで部屋の主であるかのようにドカッとソファーに座っている。

当然、ローゼのためにお茶を用意したサバスから超速の拳骨が飛んだ。ボグゥッと、あまり鳴ってはいけない類いの音がボーヴィットの頭から鳴る。

グリンッと白目を剥いてソファーから転がり落ちるボーヴィッド。ケツを突き上げ土下座するような姿勢のまま動かなくなる。

「突然でしたからね。対処が済めば戻ってくるとはおっしゃっていましたが……」

もはや日常なのか、近衛隊の女性隊長であるオルガ・クローはバルコニーの脇で姿勢良く立ったままボーヴィッドの方を見ることもなく言葉を返す。

「ぜひ戻って来ていただきたいね。民の中にはまだ我々の不手際を疑っている者がいそうだし……」

部屋の入口の脇に立ち警備しているのは近衛隊の副隊長にしてオルガの弟であるジャンだ。

姉とは逆にボーヴィッドへシラ~ッとした目を向けている。まるで、あんたのような常時無礼講みたいな軍人共のせいだぞ、と言わんばかりに。

どういうことかと言えば。

王宮の上空に滞空していた豪華客船からローゼ達だけが王宮に降ろされる光景(例の宇宙人によるアブダクション的な乗降方法。光の柱が発生するので大変目立った)を見た挙げ句、その豪華客船まで突然消えてしまったことで、民も王宮や軍の関係者達も最悪の事態を思い浮かべてしまったのだ。

誰かがハジメ達の不興を買ってしまい、そのせいで何も言わずに帰ってしまったのではないか? と。

何せ、王宮からは明日の朝にハジメ達は出発する、その際には姿を見せる予定なので見送りの機会があると発表されていたのだ。

なのに、なんの前触れもなくローゼ達だけ残して消えてしまったのだから、それは疑うのも当然だろう。

この一時間、騒然とする王都の民や各所に事情を説明――と言っても、ローゼ達も詳細は分からないので、あくまで彼等の世界で何か事件が起きて対応する必要があったという曖昧な説明になってしまったが――に駆け回り、今、ようやく一段落ついたところなのだ。

「旅行の日程にはあまり余裕はないとのことでしたし、問題の如何によっては難しいかもしれませんな。もっとも、今生の別れというわけでもありませんし、少なくとも連絡は来るでしょう。そう気にすることもないと、じぃは思いますよ、ローゼ様」

「いやいや、だからさぁ、サバスさん。陛下は大将が戻るかどうかを気にしてんだって。結局、へたれてなんも進展しなかったし、最後の夜に玉砕覚悟でワンチャン狙って――」

ボギュッと音が鳴った。何事もなかったかのように復活したボーヴィッドの頭を、ローゼがぶん殴った音だ。

ただし、拳骨ではない。懐から抜いた拳銃のグリップ部分で、だ。

顔を真っ赤にして、「ね、狙ってないし!」と息を荒げている。羞恥心と腹立たしさで、かなり力が入った一撃だったと分かる。

もちろん、ボーヴィッドは再び白目を剥いて土下座した。

「じぃとしては安心半分残念半分ですな。覚悟も何も玉砕は確定でしょうし」

「じぃ!? 酷くない!?」

「ローゼ様が傷つかずに済んだ安心と、さっさと引導を渡されればいいものをという残念な気持ちで、じぃは大変複雑な心境でございます」

「オルガ、止めないで!! じぃを殺せない!!」

「どうせ傷一つ付けられませんから諦めてください、ローゼ様」

羽交い締めにされてジタバタするローゼちゃんと、そんなローゼのために新しいお茶を用意するサバス。

と、そこでバルコニーから白銀の光を纏う小竜――と言っても大型犬くらいのサイズだが――が飛び込んできた。

「あ、クワイベル。帰ってきたのね。急に『何か変な感じがする』って飛び出していったけれど……何かあった?」

『ローゼ。取り敢えず、その拳銃をしまってくれる? 銃口がふらふらとボーヴィッドの方に向くから見てて恐いんだ』

引き金に指を掛けない分別はあるが、それはそれ、これはこれだ。

いつものことなのでボーヴィッドの状態については何も言わないが。

「それでクワイベル様、どうでしたか? 一応、こちらでも防空システムをチェックしましたが、今のところ問題ありませんでしたよ」

サバスの問いかけに、クワイベルはなんとも言えない雰囲気を醸し出す。

まるで、痒いのは痒いのだけど、どこが痒いのか分からない。周辺を掻いてみても、いまいち痒みのポイントに触れている感じがしない……みたいな雰囲気だ。

『う~ん、そうだよね。僕も結局、何も見つけられなかったし……』

と言いつつも、クワイベルは首を回して外へ視線を向けた。その目を見れば〝何か変な感じ〟は今も続いているらしいと分かる。

「ねぇ、クワイベル。変な感じって、どんな感じなの?」

『……そうだね。上手く表現できないんだけど……なんか気持ち悪い感じ。こう胸の奥がざわつくというか』

クワイベル自身も上手く表現できない感覚のようだ。『気のせい……だと思うんだけど』という言葉からもどかしさが伝わってくる。

ローゼは表情を改めると乱れた服を直しつつサバス達へ視線を巡らせた。

「一応、警戒態勢と巡回を強化しましょう。少なくとも〝大型泥獣〟の大体の位置は分かっていますし、中型以下の個体においても数百キロ以内にはいないと、ハジメ様が調べてくださりましたが」

「ま、警戒するに越したことはないですね。クワイベル様の王竜としての直感が何か感じ取っているのかもしれませんし。スクランブルできるよう部隊を招集して待機しときますよ」

何事もなかったように立ち上がったボーヴィッドが口調を改めて軍人の顔で頷く。

ずっとそうしててくれよと思うが、このメリハリがボーヴィッドの強みでもあるので誰も何も言わない。

ローゼは頷き、もう一つ提案した。

「ねぇ、クワイベル。メーレス様に相談してみたらどう? 念のための報告という意味でもね」

『うん、そうだね』

竜樹の化身にして、海流の神霊たるメーレス。

竜樹復活にあたり、ローゼやクワイベルを含む極一部の人間だけではあるが面識はあるし、会談も行っている。

片や世界復興と世界を繋ぐ要であり、今後の天竜界を管理する神であり。

片や復興を主導する生き残った人類のリーダー兼唯一存続する王国のトップなのだ。当然であろう。

共に手を取り合っていく約束を交わし、しかし、過度な干渉は互いに自重する。

会談ではそんな取り決めが交わされた。

メーレス自身が化身となって未だ一ヶ月程度の新米化身で多忙というのもあるが、一から十まで神の力で復興というのは人類のためにならないと、ローゼの方から進言した結果だ。

この決断を、メーレスは大変好ましく受け止めた。

とはいえ、だ。

〝泥獣〟という世界復興に対する大きな障害がある現状、事は人類の存亡にも関わり得ること。

なので、万が一に備え、メーレスはローゼとクワイベルにのみ一種の加護を与えていた。

砂漠界のクーネのような破格の力ではなく、最低限の守りと一種のメーレス直通の念話の力だけではあるが。

これにより、二人だけは強く念じるだけでメーレスと言葉を交わせるのである。

こんな曖昧な感覚だけで神に連絡していいのか。

僅かに躊躇いを覚えるクワイベルだったが、同じ竜種だからだろうか。メーレスはクワイベルを気に入ってくれているようで、遠慮なく連絡していいとは言われているので思い直す。

そうして意識を集中し、いざ、メーレスに念話を通そうとした、その時だった。

――人の子に告げる

「「「「「『!!?』」」」」」

荘厳な声が響いた。空から降ってきたような、それでいて脳内に直接届いているかのような声。

紛れもなく竜樹の化身メーレスの声だった。

光輝達の来訪にあたり、その目的は公に周知されており、見たことはなくとも竜樹の復活と化身の存在は民にも知らされている。

故に、一般市民においても、この声の正体は十分に推測可能だっただろうが、そうでなくとも例外なく理解できただろう。

これは神の声だと。

それほど神威を感じさせる声だった。

――備えよ。敵が迫っている。

突然のお告げである。驚愕と困惑により誰もが手を止めて声一つ発さずにいた。

王都の時間が止まったかのような静寂。

それが、次の瞬間にはあっさりと消えた。

あちこちから悲鳴が上がったのだ。ただし、それは敵の襲撃ではなく。

「ローゼ様! パラスティアが!! いえ、遠方に派遣した全ての艦が上空に!!」

オルガがバルコニーの外を指さし叫んだ通り、テミス・モシュネー守備隊の旗艦パラスティアを筆頭に全ての艦船が王都の郊外の上空に出現していた。

それだけではない。周辺には飛行している竜騎士や空戦機もいて、慌てた様子で甲板や地上に着陸しようとしている。

そして、その地上――王都を囲う防壁の外に広がる草原にも多くの人々の姿が見えた。

本当に突然、説明される間もなく場所が変わって呆然、困惑、警戒しているといった様子だ。

王都が目の前にあることで現在地だけは直ぐに理解できたことが、辛うじてパニックを回避できている理由だろう。

これがメーレスの権能による転移であることは明白。

「地上にいた人達まで……?」

『はは……ローゼ。どうやら僕の違和感は大当たりだったようだよ』

遠方にいた全ての人だけではない。サバスがサッと用意した双眼鏡を持ってバルコニーに駆け寄り見渡せば、地上の農地で働いていた数千人の人々まで郊外の草原に転移させられているのが分かる。

竜王国のお膝元たる浮島の真下でも安全性が足りない。防備の整った王都の傍で少しでも一塊になるべき。

そんなメーレスの意図が伝わってくる。

それほどの脅威が迫っているのだと、否応なく理解させられる。

ローゼ達は自然と生唾を呑み込んでいた。

――敵が来る。大禍である。人類存亡の危機と理解せよ

そうは言われても、一方的かつ突然すぎる〝神託〟だ。即座に動ける者などそうはいない。

案の定、戸惑いの空気が漂う。軍人達ですらも直ぐには動けない。説明もなくいきなり転移させられたテミス・モシュネー守備隊などは特に。

だが、次の瞬間。

――我が加護を与える

あっと声が上がった。そこかしこから。

まるで猛暑日に冷たいミストを浴びたような心地よさを感じたのだ。

それは人々を狂気から遠ざける精神耐性の加護であり、その身体能力を上昇させ生存率を上げる加護であり、同時に竜種の竜核に途切れることなきエネルギーを授ける加護であり、更には人類のエネルギー源たる天核に竜核と同等のエネルギー発生効果を与える加護でもあった。

身のうちから湧き上がる力、竜核並のパワーを示す艦船や空戦機のエネルギーゲージ、そして何より言葉では表現できない大いなる存在に守られている感覚。

それが高揚や感動と同時に、否応なく人々と竜達に突きつけた。

――力を尽くせ、人の子よ。生き足掻くことは、人の子の義務である!!

本当に、自分達の生存を脅かす強大な敵が、災禍が迫っているのだと。

「サバス! ボーヴィッド! 戦闘態勢最大レベル!!」

『『御意!!』』

ローゼの指示が飛び、二人が通信機で各所に連絡を取り始めると、王都もまた一気に騒然とした雰囲気へと変わった。

『ローゼ、クワイベル。聞こえるな?』

「『メーレス様!』」

今度は二人にだけメーレスの声が届く。

『全方位より〝泥獣〟が迫っている。到着まで今しばらく猶予はあるが、その規模は大陸が海に呑まれるが如くと想像せよ』

海に沈む大陸。全方位から大津波が迫り、全てを呑み込み海中に没する……

そんなイメージが自然と脳裏に浮かんだ。

「そんな……大型の泥獣はずっと遠くの地下深くにいるはずでは?」

泥の大波が全方位から竜王国目指して雪崩れ込んでいる。そんな話を聞けば青ざめて当然だ。

メーレスの声は聞えないが、ローゼの表情から事態の深刻さを察したのだろう。思わず足下をふらつかせるローゼを支えるオルガも、そしてサバス達も険しい表情になる。

『それらではない。よく聞け。これより襲い来るは〝無神〟という。星の海の更に外よりやってきた怪物である』

ハジメが羅針盤で探査して安全だと分かったはずなのに、なぜ〝泥獣〟が〝しばらく〟程度の距離に、それも、それほどの大群で存在し得たのか。

簡単だ。まだ〝泥獣〟ではなかったからだ。ただ大地に蓄積され、あるいは地下に浸透し堆積した〝黒い雨に浸食された汚泥と遺骸〟でしかなかったのである。

それが、つい先程、唐突に〝泥獣〟として動き始めたのだ。

それも明確な形を取らず、生物の集合体、悪く言えば遺骸と汚泥をこね合わせて作ったタールの海となって、津波の如く。

なぜ、そんなことが起きたのか。答えは言わずもがな〝無神〟だ。

いったいどんな〝無神〟かは分からないが、海に等しい規模の汚泥が動き始めたことでメーレスには一点だけ辛うじて探知できたことがあった。

何か無数の探知し難い存在が汚泥の中に潜んでおり、それがまるで群体のように一糸乱れぬ意思のもと汚泥を動かしている、という事実を。

おそらく、ハジメ達が対応したあの巨大泥獣も同じだ。

前例のない飛翔タイプの出現、妙に戦術性を感じさせる動きは、おそらくこの〝無神〟が原因。

あの時は〝無神〟の存在を知らなかったとはいえ、実際に相対していながらハジメ達に存在を掴ませなかった隠密性は驚愕の一言だ。

もし竜王国周辺の地上を広く浄化していなければ、いきなり浮島の真下に巨大泥獣が出現していたかもしれない。

『奴等が王国に到達するまでに可能な限り削るつもりだが……許せ。殲滅には到底足りぬ』

己の未熟を恥じるような響きが感じられた。

ローゼ達は知らないことだが、実は竜樹の方でも現在、強力な〝無神〟二体と、その眷属と思しき群れの猛攻を受けており、メーレスと元々ガーディアンとして派遣されていた悪魔や妖魔入りゴーレム達が応戦しているところだった。

メーレスは元々が〝海流の神霊〟だ。神に相応しい力は持っていても、その本領は海で発揮される。

化身となって一ヶ月程度かつ竜樹を守りながらでは、たとえ世界各地に権能による 神威 ( しんい ) を振るえるようになろうとも限界があり、現状の対応が精一杯なのだろう。

ローゼはごくりっと生唾を呑み込んだ。

その辺りの事情は承知しているが、それでもメーレスは神である。

その神が対応しきれない相手……

『ローゼ』

凜と響く相棒の声音にローゼはハッと我に返った。傍らを見下ろせば、そこには真っ直ぐに自分を見つめてくる勇壮な竜の瞳があった。

それだけで、乱れた心がスッと落ち着く。

支えてくれていたオルガから離れ、真っ直ぐ背筋を伸ばすローゼ。その顔は、既にかつての戦士の女王の顔だった。

「ご加護とご忠告、心より感謝致します、メーレス様。どうか〝許せ〟などと仰らないでくださいませ」

王宮の前に人々が集まり始めている。女王の言葉を受けるために。

この部屋にも臣下達が駆けつけたようだ。ジャンが扉を開けつつ、サバスが静粛を促している。

空を見上げ、凜とした佇まいで声音を響かせる女王の姿にハッと息を呑む者も。

きっと思い出しているに違いない。祖国を取り戻した時の、あの日のローゼ女王を。

「何者が潜んでいるのであれ、泥獣が相手であることに変わりなく、ならば、それは我等の 業 ( ごう ) に他なりません」

黒い雨を降らせさえしなければ、そもそも〝泥獣〟は存在しない。〝無神〟とやらが利用する対象もいなかったはず。

〝泥獣〟とは、この星が暗黒に包まれたあの日、助からなかった全ての命の成れの果てなのだから。

「ならば、神頼みなど……元より我等〝人〟に許される選択肢ではありません。むしろ御照覧あれ。隣に友を取り戻した我等の戦いぶりを! その意志と信条を!!」

クワイベルがバルコニーより飛び出した。

直後、光がクワイベルを包み込む。成竜モードとなり、その勇壮な白銀の竜の姿を国民に示す。

咆哮一発。

弱きも不安も消し飛ばすような雄叫びが響き渡った。

女王と王竜、ここにあり! と。

『……よろしい。しかと見届けよう』

やはり、メーレスの声音には好ましさが宿っていた。

神はいつだって、自らの意志で道を切り開き、あるいは困難に挑まんとする存在を好くのだろう。

『ただし気負いすぎるな。我等には心強き友がいる。そして、万が一の時は我が権能で別の場所――』

正しく危機感を持たせ、かつ心が挫けぬよう叱咤する意図で少し脅かすような伝え方をしたが、誰一人死なせるつもりはない――という旨を伝えようとして、しかし、メーレスの言葉は途中で止まった。

「メーレス様……?」

向こうで何かあったのか。そう憂慮したローゼだが、正解は半分。何か起きたのは〝向こう〟ではなく〝こちら〟だった。

『っ、これは……なんというッ。悪魔共!! しばし時間を稼げ! このような時くらい全力で責務を全うせよ!!』

余裕のない声音だった。何事かとローゼが目を丸くすると同時に、バルコニーの外で対空していたクワイベルからも緊迫と戸惑いに満ちた声が届く。

『ロ、ローゼ……太陽が……二つある!!』

「え?」

バッと天を仰ぎ見るローゼ。

陽光に目が眩む。手をかざして影を作る。なのに、まだ眩しい。

中天を過ぎた太陽は、それでもまだ空の高い場所にある。なのに、横からは差し込む強烈な光に照らされて影を作れなかったのだ。

ハッとして視線を転じれば、なるほど。クワイベルの言う通りだった。

「な、何あれ……」

快晴の空に煌々と輝くそれは、紛れもなく第二の太陽だった。

王都の人々も異変に気が付き始めた。

光源が増えたからだけではない。

「? な、なんか暑くないか?」

「あ、ああ。気温が急に上がったような……」

汗が滲み出る。肌を撫でる風は熱を帯びていた。肌にヒリヒリした痛みを感じるほどの直射日光も。

明らかに気温が急上昇していた。

そうなれば当然、人々も空を見上げ気が付く。二つ目の太陽の存在に。

「な、なんだあれ……」

「なんで太陽が二つも……それに、なんだか……」

「暑いのに、寒い?」

わけもなく恐ろしいと感じた。二つ目の太陽がいつの間にか存在している異常事態は確かに恐ろしいが、それだけではなく。

気温が上がれば上がるほど、風や直射日光の熱を感じれば感じるほど、逆に体の芯から熱を奪われ、心の底から名状し難い恐怖が湧き上がってくるような、そんな理解し難い感覚に襲われるのである。

そして、やはり訳もなく理解できた。

「あの太陽……落ちてきてる?」

誰かが呟いた通り、それは落ちてきていた。否、宇宙より迫ってきているというべきだろう。

太陽の形をした恐怖が刻一刻と迫ってきている。強まっていく暑さと本能的な恐ろしさで、それが否応なく理解できてしまった。

人々がパニックに陥りかける。

――人の子等よ! 我等が庇護のうちにあると知れ!!

王都の上空に水が迸り渦を巻いた。そこから純白の輝きを帯びた透明度の高い水のベールがドーム状に広がっていき、王都は当然、上空の艦隊や郊外の避難者達を纏めて覆っていく。

メーレスの権能による結界だ。あれほど感じた熱が遮断され、無限に湧き出す泉の如き恐怖も一気に落ち着いた。

神の言葉を聞き、その守りを見てホッと安堵の吐息を漏らす人々。

しかし、実際のところ事態は逼迫して、安堵できる状況ではないらしかった。

『なんという熱量ッッ。ソアレさえも超越するとは!!』

ローゼとクワイベルの脳裏に、メーレスの絞り出すような声が響いた。

ローゼ達の目には見えないが、メーレスは現在、あの隕石の如く落下してくる第二の太陽を防ぐべく結界を展開していた。

宇宙より襲来したそれは、実際のところ星とは比べるべくもなく小さい。が、それでも直径五十メートルはある。それが恒星の如き熱量を纏い超速で落下してくる。

それほど目立つ存在でありながら、高度千五百キロメートルの距離まで近づかれるまで気が付けなかった理由は一つしかない。

〝無神〟の隠密性だ。

隕石ではない。紛れもなく〝無神〟である。

その太陽の如き〝無神〟はメーレスが気が付いたことに気が付いたのだろう。直後、更に加速した。

瞬く間に高度が食い潰される。メーレスが探知し星への侵入を阻むための結界を展開するまでの僅かな間だけで高度八百キロメートルまで到達してしまう。

そして、権能により展開された結界も、まるで赤熱化するまで熱したボールを薄氷の上に落としたような容易さで突破。

『強制転移にも対抗するかっ……いや、これは、まさかエネルギーそのものを焼失させた……?』

〝炎熱の無神〟とでも呼称すべきか。

傍目には直径五十メートルに縮小した太陽そのものにしか見えないが、その身に纏う炎熱は物理的な現象だけではないらしい。

魔法を焼失させる魔法。権能による結界も空間干渉も区別なく融解または蒸発させてしまう力があるようだ。

結界で止められぬなら〝ゲート〟を開いて放逐せんと試みるも、空間干渉のために発したエネルギー自体を焼失させられ不発に終わってしまう。

これならばまだ耐火性のある物理的な障害の方が耐えうるかもしれない。そう思わせられるほどエネルギーを用いた現象が容易く焼失させられてしまう。

なんの冗談だと言いたいところだ。日輪の神霊たるソアレとて、そんなことはできない。

効果も熱量も常軌を逸した炎熱の権能を持つ〝無神〟。

その落下軌道の先は、真っ直ぐに天竜界における人類最後の国へと向いている。

地上に到達すれば、それだけで人類は全滅するだろう。

そうして一気呵成に魂を喰らうつもりなのか……

『くっ、まだか! ……ええいっ、分かった! この世界の神と成ったのだ。やってみせようではないかッッ』

ローゼとクワイベルに念話が通じたままだが、それを気にする余裕もない様子のメーレス。誰かと話しているようだが、当然ながら問いかけられるような状態ではなく。

直後、世界に咆哮が轟いた気がした。

純白の輝きを纏う大質量の激流が〝炎熱の無神〟の落下軌道上の虚空に出現する。

それは海流そのものだ。〝炎熱の無神〟自体は転移させられずとも、海を転移させることなら可能であるが故に。

母なる海の膨大という言葉もおこがましい圧倒的質量と大いなる流れ。元々の有する権能に、化身としての権能を合わせた〝海流の檻〟。

並の生物なら入った瞬間に即死を免れない水圧だ。仮に耐えられても化身の権能により魂魄にも力は浸透する。

だが、そんな〝海流の檻〟も〝炎熱の無神〟の前では十分な力を発揮できなかった。

直接触れるどころか未だ十キロメートルは下方だというのに瞬く間に蒸発していくのだ。

水蒸気爆発を起こさなかったのが不思議なほど凄まじい勢いで蒸気が噴出する。

そして、接触した瞬間に大爆発。

上空が一瞬にして分厚い雲に覆われたと錯覚するほど莫大な水蒸気に覆われ、そこから白煙の尾を引きながら〝炎熱の無神〟が飛び出してくる。

『くっ、止め切れんかっ。怪物め!!』

だが、確実に落下速度は減じた。よく見れば水蒸気の奥に未だ健在の流水と輝きが見て取れる。この莫大な海流召喚には権能――天竜世界のエネルギーの特色たる〝不活性化〟が付与されていたのだ。更に、一枚でだめなら何百枚でもと権能による障壁も付与されている。

それが〝炎熱の無神〟の落下速度を大幅に減少させたのである。

だが、それでも高度はあっという間に三百キロメートルを切ってしまった。もう十秒もしないうちに大気圏内に入ってしまう。

故に思考を切り替える。

『これならばどうだ?』

〝炎熱の無神〟の落下軌道に沿い、焼失させられないよう数キロの距離を置いて、縦一列かつにズラーッと幾つもの大渦を出現させる

真横を向いた大渦はメーレスの転移門だ。

そこから、

――オォオオオオオオッ!!!

咆哮と共に純白の輝きを帯びた激流が撃ち出された。

竜樹の根本の深海から放った〝空間跳躍ブレス〟である。

万物を斬り裂くが如き超水圧の水流ブレスに、複数の神代魔法と〝不活性化〟の権能を込めた渾身の一撃。

案の定というべきか。

到達するまでの僅か数秒の間に焼かれて大きく減衰してしまうが、それでも完全焼失には至らない。どうにか本体に到達し、無尽蔵の勢いを以て真横からの衝撃を与える。

〝炎熱の無神〟が僅かに意識をブレスへ向けたような気がした。深刻といえるほどのダメージはないが放っておくわけにもいかない。野犬に噛みつかれた、くらいの感覚だろうか?

だが確実に、僅かではあるが、

『痛痒なしとは矜持が砕かれる思いだ。だが、人の子等に手出しはさせん』

落下軌道はズレた。

『ォオオオオオオオオオオッッ!!!』

世界に響き渡るメーレスの咆哮。あたかも大岩を押しのけようとしている人の子のような気合いが込められた雄叫びだ。

ブレスの勢いが強まる。下がる高度に合わせて下方の大渦からも順次、ブレスが放たれ徐々に落下軌道のズレが大きくなっていく。

止めきれぬなら、せめて竜王国から離れた場所に落下させる。

それがメーレスの苦肉の策だった。

浮遊大地まで残り八十キロメートルを切った。間もなく成層圏に突入。

着弾までは、あと一分弱といったところか。

「避難状況は!!」

「時間が足りませぬ」

ローゼの問いにサバスが険しい表情で首を振る。ボーヴィッドも同じだ。

どこまで意味があるか分からないが、ともかく人々を屋内に避難させ、同時に全艦隊に障壁を展開させるようとしているのだ。

元々王都内にいた者達は問題ない。

〝炎熱の無神〟が地上に近づくにつれ気温が再び上昇し始めたからだ。

神の結界すら貫通する熱は、既に内部を酷暑日というべき環境にしていた。照射される日差しは既に〝暑い〟ではなく〝熱い〟のレベルで、素肌を晒していれば肌に火傷を負うほど。

屋外は既に人に耐えられるレベルを超えつつあった。

故に、王都内の人々は自然と近くの屋内に避難していた。

だが、王都郊外の草原にいる避難者達は……

数が多すぎる。そして時間がなさすぎる。

避難者達の表情は再び恐怖に歪み、その恐怖から少しでも逃れようとしているかのように王都内へ逃げ込もうとしている。

雪崩れ打つ人々で押し合いへし合いの様相を呈し、パニックの空気が首をもたげ始めている。

いくつかの護衛艦がステップを下ろして艦内に避難させているが、

「間に合わない……あの高さなのに、なんて熱量なの……」

ローゼは歯がみした。メーレスの結界は、あの怪物が地上に到達した時、たとえ直撃を免れたとしても耐えられるのだろうかと不安が込み上げる。

熱風に煽られ、屋内にいながらも汗が噴き出す中、

「クワイベル! 結界は?」

『展開できた!! でも……』

王竜の力で王都全体を覆う結界の重ね掛けを頼んだのだが、どうやら相棒も同じ不安を抱いているらしい。

真っ直ぐに上空を見つめ、翼を一打ち。

『僕が行くっ!! 軌道を逸らす手伝いくらいなら!!』

加護の力も相まって衝撃波が発生するほど力強く飛翔するクワイベル。

『! 来てはならんっ、クワイベル!! 我が守りから出るな!!』

メーレスの警告は少し遅かった。あるいは、警告されていてもクワイベルは止まらなかったかもしれないが。

垂直上昇し、あっという間に結界の頂点を超えるクワイベル。

その直後だった。

『あ、がぁっ』

呼吸が止まった。メーレスの人類を守る結界は、化身に相応しい力を有していたのだと証明された。

そう、結界の外は既に灼熱の地獄だったのだ。

改めて見れば、草原の草花は水分を失ったように萎れ、小川や池は沸騰し、今、木の一本が熱風に煽られての摩擦もあってだろうか。自然発火した。

〝炎熱の無神〟との距離は、まだ五十キロメートルはある。

だが、半径五十キロでも、あの怪物にとっては既に生命の生存を否定する殺戮圏内らしい。

体中の水分が一気に沸騰していく気分だった。喉が干上がり、肺が焼ける。眼球中の水分にも異常が出たのか視界が白く濁る。

飛翔なんてできない。ブレスなんてもってのほか。意識を保つので精一杯。

本能で分かる。これ以上、あの第二の太陽に近づけば焼かれて落ちると。太陽に近づくなど不遜だと言わんばかりに、己の翼は、竜鱗は、 蝋 ( ろう ) で作った紛いもののように溶けてしまうだろうと。

直後、大量の海水が直上より滝となって出現し、クワイベルを結界内へ吹き飛ばした。

そのまま墜落しながらも、どうにか翼で風を捕まえて位置を調整するクワベイル。成竜モードが解けた状態で王宮のバルコニーに不時着する。

「クワイベル!」

オルガとジャンが適当な家具やカーテンなどで日陰を作りつつ、ローゼがクワイベルを室内に引き込んだ。急いで〝真涙の泉〟の水を掛けてクワイベルの回復を促す。

『ダメだ……あれは、敵だ。熱を通して伝わってきた。途方もない飢えと悪意……生きとし生けるもの全てを焼き滅ぼして魂を貪り喰う……捕食者!!』

歯を食いしばって起き上がり、結界の外に出たことで理解した怪物の本性を口にする。

クワイベルが自分達を守る白銀の結界を展開しながら再びバルコニーに飛び出す。その後に続くローゼ達。

郊外の人々が蹲っているのが分かる。その上空に護衛艦が並び、即席の屋根となりつつ同時に障壁も展開して彼等を守らんとしている。

……おそらく、誰もが理解したことだろう。

足りないと。

軌道は逸れている。おそらく浮島には直撃しない。だが、角度が浅すぎる。

いつの間にか〝炎熱の無神〟がブレスに対抗して、逆サイドから炎をバーニアのように噴き出し軌道を戻そうとしているせいだ。

このままでは、おそらく着弾位置は浮島から二~三キロ程度の距離。それでは、いくらメーレスとクワイベルの防壁があったとしても生命が生きられる熱量は超えてしまうだろう。

死の太陽の高度は、およそ四十キロメートル。

死のカウントダウンが始まった……

薄い水の膜が全ての人々と竜達を、それどころか艦船や空戦機をも包み込む。

三十五キロメートルを通過。

三十キロメートル。

二十五キロメートル。

水の膜が輝きを帯びた。メーレスの加護が強まったのか。

そうして、遂に二十キロメートルを切った、その時。

『遅いではないか』

少しの自嘲と、大きな信頼の滲むメーレスの声が響いた。

直後だった。

最も地上に近い最後の大渦から一条の閃光が迸った。

雷雲に走る稲妻のような細い一本の光。

雷速を以て空を走り、しかし、あの〝炎熱の無神〟に対してはあまりに頼りなく見えたそれは、

「「「「「『えっ!?』」」」」」

焼失することなく着弾すると同時に、弾き飛ばした。

〝炎熱の無神〟を、まるでピンボールのように。

一拍遅れて降ってくるドォンッという凄まじい衝撃音と雷鳴。

ローゼ達の目が点になる。きっと各艦船や窓から見ていた者達も同じだろう。

その視線の先に、まるで虚空に浮かぶマグマのようなものが見えた。何かが溶けているかのように熱せられたアメのようにドロリッと滴り落ちている。

かと思えば、

『そう言うでないよ。きっちりかっちり宣言通りの六十秒じゃぞ?』

ローゼとクワイベルの脳裏に知った声が響いた。

マグマが、まるで腕に付いた水滴でも払うみたいに振り払われた。

そのマグマの塊があった場所から黒い人影が落ちてくる。頭部を下に向けて真っ逆さまに。

明らかに自由落下の速度を超えていた。なんなら超音速に至っていそうだ。

なのに着陸は冗談みたいに静かだった。

メーレスの結界の頂点、そこに激突する寸前で人影は急停止し、なぜか結界に足を付けることもなく数十メートルの間隔を置いて宙に浮いた。

その人影を見て、

『母上!!』

「ティオ様!!」

と、歓喜を以て叫ぶクワイベルとローゼ。

だが、その呼び声は直ぐに『はは、うえ……?』「ティオ様……ですよね?」と疑問を帯びた声で言い直されることになった。

それもそのはずだ。

つい数時間前まで一緒だったティオは、随分と様変わりしていたから。

一言で言うなら、黒を基調に真紅の装飾が施された女性用の軍服である。将校服のような制服タイプだ。

体の線がくっきり分かるほどピッタリしたネクタイタイプの軍服に、袖を通さず羽織った軍用コート。

黒のジャケットとブラウスには金の刺繍とカフス、ボタン、そして肩章が装飾されていて、真紅のネクタイをきっちりと締めている。下はタイトスカート、黒のストッキングにブーツ。珍しくも制帽まで被っている。

その恰好もさることながら、最も大きな変化は髪色と肌の色だ。

流れるような髪は純白に染まり、不思議なことに肌は褐色になっていた。少し尖り気味の耳の形も相まって、まるでダークエルフのよう。

腰に愛用の鞭を装備しているので、ドMのくせに見た目は完全にドSなダークエルフの女軍人といった感じだ。

――ご主人様よ! 見よ、この素晴らしい作品を! 妾もこれやりたいのじゃ! 否、やってほしいのじゃ!!

そう言って、ティオがハジメのもとに持ち込んだのは一冊の同○誌。いわゆる薄い本。

ご主人様の伴侶たる者、常に研鑽を怠らず。それは夜の戦いもしかり!

そう考えた末、相談したのはその道の先達。なぜよりもよって? と、ハジメが事前に知っていたならツッコミを入れたであろう某深淵さんの関係者である某SOUSAKANと某ソウルシスターである。

そんな彼女達が推薦したのは、まことにティオの要望を良く把握したディープな作品であった。いわゆる〝くっ殺系〟である。

未成年のはずの某ソウルシスターちゃんが、なぜ当該作品を薦められたのかは、後日、家族会議の必要性があるとして……

ハジメは思った。「えぐい作品を持って来やがるッ」と。

その夜は大変えぐい時間を過ごし、かつ大変良かったらしいということは、結果、新戦闘服のデザインに流用されている点から言うまでもない。

ティオもティオならハジメもハジメだ。まさにド変態ドラゴンのご主人様である。

閑話 ( というのは ) 休題 ( さておき ) 。

凄まじい衝撃音が響き渡った。空気が震えている。浮島でなければ強烈な地震により家屋に被害が出ていただろう衝撃だ。

「クワイベル!」

『うん!』

バルコニーから飛び降りるローゼ。クワイベルがさらうようにして背に乗せ、そのままティオの元へ駆け寄るように上昇していく。

吹っ飛んだ〝炎熱の無神〟が三十キロメートルは先の山肌に激突している光景が見えた。

山の一部が焼失し、周囲も瞬く間に煮え滾る溶鉱炉のようになっていく。

落下によって衝撃波も発生したのだろう。大地がめくれ上がったようになっていて、しかし、十数キロメートル先で破壊痕がピタリと横一直線で止まっている。

海を真っ二つに割って断面を見ているような長大な水の壁――メーレスが展開した障壁のおかげだろう。

だが、安堵はできない。

山と大地を溶かした熱源が、落下の衝撃などでは当然のようにダメージを受けた様子もなく浮き上がり滞空したからだ。

直後、カッと強烈な輝きを帯びると同時に凄まじい熱波を生み出した。

否、それはもはや炎の大津波だった。

壁と見紛う砂嵐が町に迫っていく光景を、一度は映像や画像、あるいは映画などで見たことがあるだろう。

その砂嵐を炎にしたような光景とでもいうべきか。

そんな超大規模な炎熱の大津波が竜王国に迫ってくる光景は、人を絶望させるに十二分。まさに世界の終わりというべき光景だった。

世界を隔てるような巨大な水の壁は、当然、ただの障壁ではない。水はあくまで媒体であり、実体は空間遮断も不活性化も併用した神の障壁である。あるが……

『ぬぅ、やはり無理か……』

ほんの数秒だった。炎熱の大津波を止められたのは。あっという間に焼失し、炎熱の大津波は何事もなかったかのように進む。

その速度は速い。衝撃波のように音速には至らないが、それでも時速数百キロはある。竜王国までの到達時間は三分と少しといったところか。

『なるほど。やはり準備をして正解じゃったな』

動揺するローゼ達の耳に、まったく動揺していないティオの声が届く。

呆然と迫り来る死を見ていたローゼとクワイベルが見上げれば、そこには帽子の 鍔 ( つば ) を指先で軽く摘まみ、少し深く被り直しながら不敵に笑うティオの姿が。

それだけで、嘘のように絶望感が消えた。

ついでに、近くまで上昇していた二人に気が付いたのか、視線を向けるや「任せておけ」と言わんばかりにパチンッとウインクまで。

「はぅ!?」

『母上~!!』

ローゼは思わず赤面し、クワイベルは瞳をキラキラと輝かせる。

直後、迫り来る炎熱の大津波が止まった。見えない壁にぶつかったように。

竜王国まで残り二十五キロメートル程の遠方なのではっきりとは見えないが、少なくともガラスの容器に入れたマグマを真横から見ているような巨大な炎熱の壁と化している光景は見える。

ティオがなんらかの障壁を展開したのは確かだろう。

そして、その障壁はメーレスのそれと同じく数秒で焼失してしまった。

「ティ、ティオ様!?」

『母上!?』

思わず動揺してティオを凝視する二人。しかし、

『竜王国の民よ、案ずるでない。妾が来た!!』

当のティオは、まったく予想通りだと言わんばかりに動揺の欠片もなく、広域の念話で竜王国の人々に語りかける余裕まで見せた。

と同時に、炎熱の壁が一キロメートルほど進んだ先で再び見えざる障壁にぶつかった。

ごくりっと生唾を呑み込みながら見守るローゼとクワイベル。

その間に、屋内に避難していたい者達がハッとした様子で窓に駆け寄り、あるいは外に駆け出してくる。

郊外にいた者も軍人達も、そして竜達も、ティオとメーレスの会話が聞こえていなかったが故に、今、ようやく気が付いた。

王都上空の見慣れぬ人影が、救世主ティオ・クラルス、その人なのだと。

再び助けに戻ってくれたのだと。

途端に人々の瞳が輝き始める。恐怖に呑まれかけて冷え切っていた心に火が灯ったみたいに強張った表情も解れていく。

そうして、約十秒。

「そんな……ティオ様でも止められないの?」

『なんなんだ、あの怪物は……』

ティオの障壁はまたも焼失させられてしまった。

不安げにティオを見上げるローゼとクワイベル。

だが、やはりティオに動揺は見られなかった。

否、少し歯を食いしばっているか? 頬を汗が伝っているようにも見える。

一枚目よりも、きっと更に力を込めただろう二枚目が破られ、本当は焦りがあるのだろうか。

三枚目の障壁が展開され、再び炎熱の大津波を受け止める。

王都の人々とは異なり比較的に近くにいるからこそ分かるティオの僅かな変化。何か私達にもできることはないのか、と問いかけようとするローゼ達だったが、その前に。

『奴は妾が打倒しよう。泥獣との 戦 ( いくさ ) も共に戦おうぞ!!』

屋内や艦内から大勢の人が出てきたのを確認して、ティオは更に勇壮に声を張り上げた。その声に苦しげな様子は一切ない。

ワッと歓声が上がった。竜達の咆哮も轟く。

蔓延していた恐怖と絶望が今度こそ一斉に晴れたと誰もが感じるほどの大歓声と咆哮だった。

『ふむ。奴の放つ熱には精神を蝕む効果があったようじゃが……払拭できたようじゃの』

ティオの演説染みた鼓舞は、それが目的でもあったらしい。魂魄魔法を念話に乗せたのである。

元よりメーレスの加護で大幅に軽減されていたが、熱が貫通するなら恐怖の効果も貫通して与えられるのだろう。本来なら、そもそも逃走の心さえ折れて死を受け入れてしまう恐るべき熱波だったのだ。

それを結界の外でもろに浴びているはずなのに、ティオに恐れる様子はまったくない。

威風堂々たる姿に安堵を覚え、しかし、

「と、止まってる?」

『いや……ダメだっ』

三枚目の障壁が突破される光景が目に入り狼狽えてしまう。今度は三十秒ほど保ったが、やはり炎熱の大津波は止められない。

だというのに、

『メーレスよ。緊急時の避難場所は選別できたかの?』

『いや。やはり困難だ。今や世界のどこで泥獣が生まれるか分からん。複数の浮島に分けて避難させるしかないだろうが……』

『島の規模が小さいからのぅ。全員一緒にとはいかんか。それに、泥獣は飛翔能力を手に入れておる。空の上も安全とは言えんしな』

『しかり。竜王国で一纏めに守るのが、やはり最善と判断する。……其方が、あれと実際に相対してなお守り切れると断言できるなら、だが?』

『フッ。誰に言うておる。委細、任せよ。お主はお主の敵に注力してたもう』

『承知した』

なんて、メーレスと会話しながら四枚目の障壁を展開し、更には自信たっぷりに勝利を請け負うことまで。

とうとう我慢できず、クワイベルが叫んだ。

『母上! どうして本気を出さないのですか!? あの龍神の姿になれば、もしかしたら!!』

同じ障壁なら、何度展開しようと止めきれない。

自明のはずだ。なのに、ティオは未だに人の姿のまま通常の竜化さえしていない。

「違うわ、クワイベル」

落ち着かせるようにクワイベルの背を撫でるローゼ。

その表情は苦い。全て分かっていると言いたげだ。

『成りたくても今は成れないのよ。神の領域に至るには……ハジメ様のご褒美が必要だから!』

『ハッ!? そ、そうか……認めたくはないけどっ。本当に認めたくないけどッッ……母上はド変態だからっ。気持ちよくなれないと真の力を発揮できないんだった!!』

『ク、クワイベル!? お主、そんな風に思って――!?』

二人共、比較的に距離が近くて声も大きかったもので。

ばっちり聞こえていたティオがバッと二人の方を見やる。

誤解じゃ! と言いたいけれど、あながち誤解でもないのでなんとも言えない表情のティオさん。

クワイベルの「認めたくない」の言葉に、ほんとぉ~~~~~~にっ認めたくない気持ちがこれでもかと詰め込まれているのが分かって少しばかり動揺しちゃう。

「そうよ! 私達がいくらお尻を叩いても、きっとティオ様は絶頂できないッッ」

『これっ、ローゼよ! 年頃の 女子 ( おなご ) が公衆の面前で絶頂とか叫ぶでない――』

「ハジメ様がいないと変態のか――龍の神には至れないのよッ」

『今、変態の神って言おうとした? のぅ、ローゼよ。お主、実は妾のこと変態の神だと思って――』

そこのところ大変気になっちゃうティオさん。

障壁を何度破壊されてもまったくちっとも動揺しなかったのに、今は酷く視線が泳いでしまっている。

だが、一拍おくと……

『いや、しかし……ふむ。変態の神……悪くない?』

ローゼとクワイベルには純粋な敬愛を受けていただけに少しばかりショックを受けたが、よくよく考えると包み隠さず変態性は見せているのだし、それに何より。

案外、相応しい称号と言えなくもなかった。むしろ、言い得て妙であった。

そう、ティオが会得するに至った新しい力を称するならば。

なんてやりとりをしていると、

「ティオ様! ハジメ様はいずこに……あら?」

『……障壁が……壊れない?』

不意に気が付く。四枚目の障壁が健在だった。

既に炎熱の大津波を受け止めて一分を軽く経過しているはず。なのに、一部が溶け出す様子も焼失する様子もなし。

いったいどうなって……と、しばらく様子を見るが、やはり炎熱に呑まれる様子はない。

と、その時、業を煮やしたのか、炎熱の大津波を突き破るようにして火炎の渦が障壁に激突した。

障壁越しに一部だけ激しく渦巻いているのが分かる。その軌道は明らかにティオを狙っていた。

「あっ」とローゼから声が漏れる。火炎の大渦が直撃している場所を中心に障壁が赤熱化しドロリと溶け始めたのだ。

同じく、クワイベルからも『あっ』と声が漏れた。やはりダメなのかと動揺したからではなく、気が付いたからだ。

『あの障壁……母上の竜鱗なの?』

『おぉ、よく見えたのぅ。その通りじゃ』

王竜の眼が看破したのは障壁の正体。赤熱化により見えたのは半透明の竜鱗だ。一つ一つは子供の掌サイズ。それらが無数に組み合わさり折り重なって作られた物理的な壁。

それこそが炎熱の大津波を受け止めている障壁の正体だった。

『そんな馬鹿な……』

と思わず眼を見開き呟きを零してしまうのも無理はない。

炎熱の大津波を受け止めるのに、どれほどの規模の巨大障壁が必要なのか。

それが単なる魔法的障壁ではなく、気の遠くなるような数の小さな竜鱗で作られた物理障壁だなんて……

そもそも何故、竜鱗が離れた場所に展開しているのか。

『〝竜宮城壁〟と名付けてみた』

ティオの存在する場所こそが竜宮。人々を守る砦であり安全圏。

その竜宮を守る数多の竜鱗で作られた城壁こそが、あの障壁だった。

四枚目の〝竜宮城壁〟も、流石に貫通力特化の火炎の大渦、否、もはや砲撃と呼ぶべきそれには耐えきれなかったのか一点突破される。太陽フレアのような火炎が一直線にティオへ伸びる。

「ティオ様!」

『案ずるなと言うたぞ? ローゼよ。もう効かんよ』

五枚目の障壁はなかった。だが、火炎の砲撃はティオに届かなかった。

ティオの数十メートル手前で受け止められていたから。

何に?

「あ……透明な、竜……?」

そう、透明な竜だ。全長五十メートルほどの巨竜である。

ティオを胸元の中心部に心臓の如く内包した半透明の巨竜が、その分厚い胸元で火炎の砲撃を受け止めていた。

砲撃の影響か波紋を打つようにして全体像がうっすら輝き始める。

〝竜化〟したティオを、そのまま巨大化したような印象だ。

胸元が赤熱化していく。

しかし、それだけ。

貫くことはできず、それどころか徐々に熱が引いていくように赤熱化した部分が透明に戻っていく。

『ローゼ、クワイベル。龍神化ならばと言うたな? 問題ない。妾は既に至っておる』

そのために六十秒の時間をもらったのじゃ、と再びウインクを送ってくるティオ。

片手を掲げる。連動するように巨竜の頭部が上を向き、顎門がガパリッと開く。

巨竜の全身から中心部のティオへ、まるで血流のように白い輝きが流れ込み、更にその掲げた手の先から顎門へとゾッとするほど莫大な黒色のエネルギーが集束していく。

攻撃を現在進行形で受けながら意に介した様子もなく。

『 篤 ( とく ) と見よ』

掲げた片手がゆるりと振り下ろされた。

半透明の巨竜の顎門が、その手の指先へ――標的へ向いた。

直後、音が消えた。同時に星々の輝く夜の如き美しい黒色の閃光が迸った。

火炎の砲撃より更に強大な砲撃が、その射線に沿うようにして逆走する。

炎熱の大津波を阻む障壁の一部が開き通り道を作る。バックドラフトの如く溢れ出ようとした炎熱の波濤が一瞬で蹴散らされた。

まるでモーセの海割りだった。炎熱の大津波が真っ二つに割れる。

メーレスのブレスさえ著しく減衰させた〝炎熱の無神〟の焼失領域。その灼熱の空間さえも容易く走破。

ティオの言葉によれば既に至っているらしい〝黒龍神の咆哮〟は、そのまま目標に――〝炎熱の無神〟の上半分をあっさりと消し飛ばし、それでもなお足りないと言わんばかりに大地に峡谷を作り出していく。

『おっとぉ』

少し慌てた様子のティオ。途端に半透明の巨竜の頭部が上を向き、ブレスもまた上空へと軌道を変えて消えていく。

あるいは……

以前に見た〝黒龍神の咆哮〟を凌駕する一撃だったのではないか。

火炎の砲撃も大津波も纏めて霧散していく。

下半分だけになった〝炎熱の無神〟がドロリッと溶けて地上に落ちていく。

『実戦は初じゃったが……ふむ、悪くない』

己の成果を確認しながら、納得したように頷くティオ。

「ティオ様……そのお姿といい、あの障壁といい……いったい……」

ローゼが畏敬の念が滲む震える声音で尋ねた。

クワイベルは驚愕に目を見開いている。

ただし、それはティオの力そのものに驚いたというより、むしろ、片手を握り締める姿が、どこか 失 ( ・ ) っ ( ・ ) て ( ・ ) い ( ・ ) た ( ・ ) 自 ( ・ ) 信 ( ・ ) を ( ・ ) 少 ( ・ ) し ( ・ ) 取 ( ・ ) り ( ・ ) 戻 ( ・ ) し ( ・ ) た ( ・ ) よ ( ・ ) う ( ・ ) な ( ・ ) 姿 ( ・ ) に ( ・ ) 見えたが故の驚きだった。

その感覚を裏付けるように、

『なぁに、少々鍛えて至った新たな力の 一 ( ・ ) 端 ( ・ ) じゃよ』

真っ直ぐ前へ視線を向け直したティオは、

『……もう二度と御免じゃからな。家族が戦っている時に何もできず、夫に匿われ、守られるだけというのは』

〝守護者〟の面目を取り戻すと言わんばかりの、思わず息を呑むほど決意に満ちた顔をしていた。

『さて、第二ラウンドといこうかの?』

竜人ティオ・クラルスの本気を感じさせる表情と眼差しに意識を吸い寄せられていたローゼとクワイベルがハッと我を取り戻す。

視線を転じれば、大地から起き上がるようにして形を作るマグマの如き存在がいた。

――※※※****#*※ッッ!!!!

おぞましい咆哮が轟いた。憤怒と憎悪を限界まで醸成したような絶叫だった。

〝炎熱の無神〟は未だ健在らしい。

先程よりも存在感がある。あちらも本気になったようだ。

その灼熱の身から大量の火球が飛び出した。流星群の如く。

緊張に身を強張らせるローゼとクワイベル。絶叫を聞いて王都の民も息を呑んでいる様子。

そんな彼女達を背に庇うようにして、半透明の巨竜を操り前に出ていくティオは、

『天職〝守護者〟――ティオ・クラルス。その存在の意味を、改めて証明しようぞ!!』

敵の咆哮へ、気炎万丈の覇気を以て返したのだった。

いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。

お待たせしました。ティオの新能力の詳細は次回。サブタイだけは決定済みで「彼女は変態のエキスパート!」です。よろしくお願いします。

※ネタ紹介

・ミトメタクナイッ

『機動戦士ガンダムSEED』のハロ(ピンクちゃん)より。

・妾が来た!

『僕のヒーロアカデミア』のオールマイト「私が来た!」より。

・無神のモデル

炎熱の無神:『クトゥルフ神話』のクトゥグァより。