いかようにも
いかようにも
……注文したオムライスが届き、スプーンを使って一口サイズを口に運んでいく。味はそこそこといったところだが、喫茶店内に流れる空気感のせいか、やけに美味しく思ってしまう。
壁掛けアンティーク時計は午後8時を指しており、この喫茶店が何時に閉まってしまうのか気になってしまう。出来ればもう少し、ここに居たいと思ってしまっている自分がいるからだ。しかしどうも、外の看板や店内のどこにも開店時間と閉店時間を表記したものが無い。
あっという間にオムライスが無くなり、辺りを不審さが無いよう見渡していると、カウンターテーブルに座っていた2人が立ち上がり、会計を始めた。あっという間に会計は済み、2人は出ていく。私もそれにつられて立とうとすると、レジに立っている店主が言った。
「もうお帰りですか?」
「えっと、もう戸締まりなさるかなと思いまして」
そう言うと店主は顎に手を当て、しばし悩む様子を見せた。しばらく沈黙していると、店主は小さく頷きこちらに微笑んだ。
「それならもう少し開けていましょう。どうもあなたはもう少し、ここに居たそうにしてらっしゃる」
「え……私が、ですか?」
「はい」
そう店主は微笑みながら言い、レジを離れてキッチンの方へと行ってしまった。……私がもう少し居たそう?どうして彼女にそんなことが分かるのか、表情や動作の機微が分かるのだろうか?
確かに私はもう少しだけ、この喫茶店に居たいとは思った。もちろん店内の装飾や香りが良いのもそうだがなにより、店主であろう彼女に興味があった。
艶やかな唇にまつ毛、高い位置で結ばれ揺れるポニーテール、シンメトリーでくっきりとした顔。
そんな彼女がこのような雰囲気の店を経営しているという事実。どれもちぐはぐでありながら、不自然さの無い立ち居振る舞い。どれか1つでも欠けてしまえば成り立たない存在。
……詰まるところ、私はそんな彼女と話をしてみたいのだと思う。神秘に包まれたその口からどのような言葉が紡がれるのか、この耳でしかと聞き遂げたいのだ。
しかし老いぼれの身である私には、大胆でエネルギッシュな瞬発力も思い切りも無い。キッチンの方へ行ったっきり帰ってこない彼女をただ、ポツンと孤立したテーブルに着いて待つばかり。
――このコーヒーを飲んだら、話すことはせず帰ろう。そう思いガラスコップを手に取り口に運んだ矢先、キッチンの方からようやっと戻ってきた彼女が、なんでも無いかのように話し始めた。
「ここ、お気に召されましたか?」
「あ……そうですね、感じの良い喫茶店だな、とは思います」
「そう思っていただけて良かったです」
そう言いつつカウンターの後ろに位置する戸棚へ、洗い乾き切ったガラスコップや皿をしまっていく彼女はやはり、どこか惹かれるものがある。単純に容姿のせいだと結論付けてしまえたら楽なほど、彼女には容姿の他になにか、得体の知れない鈎が存在していると思えてならない。
視線をテーブルの木目に下ろしていると、戸棚をカチャリと閉める音の次、数歩ほど音が聞こえる。こちらに近づく、静かで柔らかい歩音。ガラッと椅子を引き、座る。……視線を上げるとなんと、目の前に彼女がいた。しばし困惑していると彼女は、いま私が1番求めていた提案をした。
「もう少しここに居ていただけるなら、少しお話ししませんか?」
「……えっと」
自己に内在する声が言う。
こんな年寄りの、元気のなさそうな人間と話をしても楽しくなど無いだろう。であれば、こちらからやんわり断るというのが気を遣わせなくて済む、というものだ。さらに私はここから、つまらない話すら出来ぬという始末だ。
けれど……少しばかりの恥や老いを感じようとも、彼女とは話がしたいと思った。
「……私なんかで良ければ、ぜひ」
「ありがとうございます。……そうだ、お名前伺っても?私は黒野ツムギと申します。見ての通りこの喫茶店を経営させてもらってます」
「えっと、灰田トモエです。なんだか不思議だわ……喫茶店で名前を言うことになるなんて。よろしくお願いしますね、ツムギさん」
「はい、トモエさん。……この喫茶店に来ていただける方は名前を伺うことにしているのです」
「名前を?それに……訊かない人もいるのね?」
「はい。2度目が無い方というのは、見れば分かりますから」
「へぇ……ツムギさんあなた、なんだか不思議だわ。まるで未来が見えてるみたい」
「いえいえ……私に、未来は見えませんよ」
そう言って微笑む彼女――ツムギさんは、なんだか先ほどまで見せていたスマイルとは違い、どこか自虐的だ。しかしそんな表情は刹那的であり、すぐに元の凛とした表情に戻ってしまう。
「トモエさんは、どの辺りにお住まいなんです?」
「色田市のちょうど真ん中辺りね。この先国道があるじゃない?そこに沿って歩いていくの」
「……!なかなか歩きますよね?まだまだお若い証拠です」
そんな彼女の言葉につい苦笑してしまう。
「もう若くないわよ。それに、ここに来たのも徘徊みたいなカタチでたまたまよ」
「そうでしたか……トモエさんのような方にここを見つけてもらえて光栄です」
「ふふっ、そんな大層な人じゃないわ」
そう言ってガラスコップを傾けたがすでに中はカラで、それを見ていたらしいツムギさんが手をこちらに差し出してきた。
「初来店ということで、サービスいたしますよ」
「あらっ、良いの?」
「もちろんです。トモエさんにはまた来店していただきたいですから」
そう言ってコップを持ち立ち上がる彼女は、やはり美しい。一種の芸術品のようだ。きっとアイドルにも俳優にもなり得ただろうものを、理由はどうであれ使わないことを勿体無いと感じてしまう。わざわざそのことを言う必要は無いので口にはしないのだが。
コーヒーを淹れるツムギさんを見て再度自身に問う。今日どうして歩きたくなったのかということと、どうしてこの喫茶店に惹かれたのかということを。加えて、なぜ彼女にこんなにも興味と根拠のない信頼を感じてしまっているのかを。
きっと3つの問いの答えはどれも同じだ。
私はついに……無意識のうちに誰かを求めていたのだ。私と会話をしたり一緒にご飯を食べたりする、言うなれば仲間というものを求めていたのだ。
それが分かったところで、私が変われるわけでは無いのだけれど。