発散はほどほどに
発散はほどほどに
差し出されたお冷をグッと持ち上げ、一気に飲み干す。空になったグラスを見て、今日のような雨も全て飲み干せたらいいのに……と思ってしまう。
店主のツムギさん以外客が誰もいない中、私は先日のテーブル席とは違いカウンター席にて酔っ払いよろしく水を飲み干し、ウンウンと項垂れていた。
「はぁ……」
「随分お疲れのようですね」と、先ほど私が注文した紅茶とスイーツの準備をしながら微笑み言うツムギさんは、前回同様変わらない美しさを持っている。
「……なかなか、自分の思った通りにいくものじゃないですね」
「ハルカさん、これを」
先出しの紅茶がカウンターに置かれる。私は受け取りつつ「ありがとうございます」と言って、目の前に置かれたカップを手に取る。
前回の帰り際、なぜか名前を訊かれた。同タイミングで帰り支度をしていた赤松アキラが言うには、ここではそうしているのだとか。店主と名前を知り合うって、なんだかおかしい気もするが郷に入っては郷に従えだとも思い、ひとまず告げた。やっぱり変な店である。
私が紅茶を少し飲んでいると、ツムギさんが再度口を開く。
「ハルカさんは、自分を作っているのですか?」
「う〜ん……作ってるっていうのはちょっと違いますね。私はただ、社会に必要なことをやろうとしているだけです。前回ここに来たとき野球バ……赤松アキラに物申そうとしていたと思うんですが、あれが本来の私で、ああした人間は社会では生きづらいですから、矯正しようとしているんです」
「社会と共生するため、ですか」
「ダジャレですか?おじさんくさいですよ……あぁ、こういうところです。ごめんなさい」
「ふふっ。ダジャレのつもりで言ってますから、大丈夫ですよ。それにずっと自分を隠すのは酷く苦しいことです、たとえ社会に適応するためでも。ですからハルカさん、ここにたどり着いたのも縁ですから、ここでは素を出しても良いのですよ」
「……ありがとうございます。まぁここで隠すのは通用しそうにありませんから、もう諦めました。やっぱり変なお店ですよここ」
「違いないですね。お褒めいただきありがとうございます」
「いや褒めてないんですけど」
私がそう言うと、ツムギさんは空に似合わない微笑みでスイーツを差し出してきた。私もなんだかおかしくて、さまざまな問題がバカらしく思ってしまい声を上げて笑ってしまった。本当に変な店……変な人である、ツムギさんは。
空は変わらず灰色で、そのせいか暗くなっていくのも早かった。窓外の街灯も、向かいビルの非常階段の明かりも、店内がやけに明るいと感じるのも、今の私にとってはさほど気にならないことだった。雨音は入店時よりも弱まっているらしく、帰る頃には止んでいそうだ。
私は紅茶とスイーツを全て身体に入れると、いそいそと課題を進めていた。店内には私とツムギさん以外誰もいないので、互いの微かな呼吸音やコーヒーマシンの駆動音、カリカリと鳴る筆音のみが隔絶された喫茶店にこだましており、それらが身体に染み渡って心地良い。
しばらくそうしていると、小気味いい扉の音が背後から聞こえる。入ってきた人はヒーだかフーだか言いながら傘を折りたたみ、水滴をバサバサと払って軒下に傘を置く。夏場とは思えない冷気が隙間から流れ、私の足元まで蔓延り、這い上がって身震いをさせる。私は多少イラついて振り返った。するとそこにいたのは、赤松アキラであった。
「あっ」
「げっ」
つい出てしまった邪険にするような声に、私は思わず振り返りカウンター席の課題たちに目を向ける。赤松アキラは特に気にもしていない様子で、私の座っている席からひと席空けて、同じカウンターテーブル席に腰を下ろす。ツムギさんに挨拶をし、カルボナーラとコーヒーを頼んでいる。
なんとなく話したくないなぁと考え、先ほどと変わらず課題に目を向けシャーペンを走らせていたのだが、赤松アキラはお構いなしに話しかけてきた。
「青屋、また来てたんだな」
「……」
「課題、えらいね。俺いつも夜になってからだ」
「……」
「そういえば彼氏はどうしたんだ?確かトウマ先輩っていう――」
「ああもうっ、うるさいなぁ!一緒に帰れてないからここに来てんの、分かるっ!?」
なんってしつこい奴なんだ赤松アキラ!話しかけんなオーラが見えないのかコイツ……。私は根負けし、課題を閉じて大きなため息をついた。赤松アキラはお構いなしに水をグッと飲み干している。
「はぁ……なんなのアンタ」
「ん、なにが?」
「なにがって……いや、話しかけられたくなかったのわかる?それなのにアンタしつっこく話しかけてきて」
「そうか?」
「はぁ……」
赤松アキラは変わらずのんびりと背もたれに身体を預けて悠然としている。
「よく分からんけど、とりあえずここでは素の状態で良かったわ。小学校のときから変わんねぇな。そっちの方が良いんじゃない?」
「……このままでいいわけないじゃない。ただ敵を作るだけだし」
「でもあのぶりっ子よりはマシだと思うんだけどなぁ……」
「あっちの方が色んな状況で都合が良いの。幸い別にビジュが悪いわけでもないし。これでとんだブサイクがこのキャラやってたら引くけど」
「あ、自分で自分を可愛いって言うんか」
「可愛いとまでは言ってないでしょ?たくっ、細かいことには気づくね」
「まあ……それほどでも?」
「褒めてないから」
本当に調子が狂う。ボーッとしたような顔についた目や自然と閉じられた口がやけに真剣味を帯びているから、さらに変だ。こうして見てみれば悪くない顔立ちだ。それにこの性格。私と違って無理に繕おうとしなくてもきっと、社会で可愛がられるだろう。随分得をしているなぁと勝手に思ってしまう。
「まあ、俺は青屋のそういう性格、嫌いじゃないけどな」
「なにを言うかと思えば……アンタはそうでも、社会じゃ損な性格には変わらない。下手に毒吐かれても困るだけでしょ」
「私も、ハルカさんの感じは良いと思いますよ」
どうぞ、と赤松アキラにコーヒーと続けてカルボナーラを差し出しながらツムギさんは微笑み言う。この人もこの人だ。繕うことなく良い印象を受けられることを理解していない。だから、そんな能天気で世間知らずな言葉が出てくるのだ。
自身にぐるぐると溜め込んだ考えの数々が脳内を巡る。言葉にするまでもなく、それらは無意識の穴に落ちていく。