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ほほへひ

アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜 — www.pagemeku.com · All chapters

ほほへひ

「ほれにひても、ひふはらふふっへん……だ?」

「食べながら言わないでよ、汚い」

翻訳すると『それにしても、いつからつくってんだ?』という具合だろう。頬いっぱいに物を詰め込むからそうなるのだ。

しばしの沈黙。赤松アキラはフォークを使い、麺を絡め取って口に運び続けている。ふと別の視線を感じ、そちらを見ればツムギさんもグラスを拭きながらこちらを見ていた。

「……変えなきゃって思ったのは中学だと思う。あの頃からだんだん、私の素に嫌気を指す子たちが出てきて……前々からそんな気はしてた。だから、それからは少しずつ変えていったの」

「ん〜……確かにそのぐらいから、あむっ……ははっへははもは」

「だから食べながら話すんじゃないわよ。まあ、大きなきっかけがあったわけじゃないね。だんだんと変わっていっただけ。そんで今よ」

そう、大きなきっかけがあったわけじゃない。ただ嫌われたら生きづらい。傀儡となっても生きづらい。クラスの隅や中心グループのイジられキャラを見てそう思っただけ。酷く薄っぺらで軸のない考え。でも、そうでもしなければ私はきっと……今では考えられないぐらい塞ぎ込んでいたかもしれない。

嫌われないこと。薄くても繋がりを持ち続けること。人によっては懐に入り、気に入られること。狡猾でいて時に残忍にならなければ、この社会では食い潰されてしまう。その考えから私は、徐々に変身を遂げていったのだ。

「私にはあまり分かりません」

「そりゃ……ツムギさんはいるだけで花にでも宝石にでもなれるんだから、特に気にしなくてもみんなが良くしてくれるんですよ。みんなを惹きつけるものがある」

「はひかひ……むぐっ、ツムギさんには惹きつけるものがありますね」

「いえ、あの……私、学校へ行っていないので分からない、ということです」

「……ん?」

「ええ?」

突然の告白に場が固まる。私も赤松アキラも互いに顔を合わせ、目をパチパチさせていた。カウンター向こうのツムギさんは平然としている。

「えっと……どのあたりから?」

いや、何を訊いているんだ私は。自身の発言からこの告白に繋がってしまったというのに。ここは話を濁して上手く逸らす場面だったはずだ。

しかし言葉にしてしまった以上、無理に止める気にもなれなかった。それよりその衝撃の告白の理由が知りたかった。

ツムギさんは手を顎に当てながら、少し上の方を見て考えている。そんな仕草も様になっていて、とてもじゃないが複雑な問題や陰鬱な過去を背負っているとは思えない。

やがて思い出したのか、これまたあっけらかんといった態度でおもむろに言った。

「恐らく小学校の途中から……ですかね。特段、勉学や人間関係に問題があったわけではないですね。そこからは学生生活とは一切の縁がありません」

「へぇ……」

「……」

絶句。隣の馬鹿はホーとかフーだとか言って腕を組んでいるが、私としては、あり得ないという言葉しか出てこなかった。この、全ての利点を投げ捨てたような過去に対し、一般常識のみを持ち合わせる脳では上手く理解できなかった。しかし好奇心とは止められないものである。あまり訊くべきものではない言葉も、その好奇心に誘われて口から出てしまう。

「じゃあ、ツムギさんは……なにを、してたの」

「なにを……そうですね、やはりそうなりますね」

珍しくツムギさんが眉を顰め、使い終えた食器の片付ける手を止めた。その様子に私は唾を飲み込む。横ではカルボナーラを食べ終え、真剣な面持ちでコーヒーを飲みながらツムギさんに視線を向けている。

「なに、そこまで難しい話ではありません。率直に申しますと、私は小学校頃……両親を亡くしています」

「なっ……」つい声が出てしまう。

赤松アキラも知らなかった様子であり、唖然としている。しかし私たちの様子とは裏腹に、ツムギさんは至極当然のことであるかのように、しれっとしている。その空気感の違いにこの人との人間的価値観の違い、そして時間感覚の違いを感じざるを得ない。

「それからはまあ……色々あって、ここに落ち着いています。大変ではありましたが、今こうして生きているのですから、私はそれだけで十分です。ですから話を戻すと、私はハルカさんの感じているだろうことに上手く答えることが出来ません。歩む道筋が大きく違いますから」

「……なんか、すみません」

「謝る必要はありませんよ。むしろ話の腰を折ってしまってすみません。どうかここでは、ゆっくりとくつろいでいってくださいね」

そう言って私と赤松アキラを交互に見て、ニッコリと微笑むツムギさん。その顔に他意はなく、実に人間としての優しさに満ち溢れた眼差しが、溢れて私たちの心に慈雨をもたらす。

少なくとも私はそう感じた。故に釈然としなかった。

どうして『死』に対する激情を持たず……いや、あるいは持っていたであろう人が。私の持っている、社会や集団との関係の悩みという、矮小で複雑で、『死』という単純で大きなものの前では幼稚にすら映るものに対し、ここまで親切で他人行儀ではないのか。

しかしそんな疑問は私の記憶に根付くことなく、ただかの宗教の狂信者が聖母に抱くがごとく、敬虔の念を持つばかりであった。その神聖さとも言える、容姿にとらわれぬ人間的な美に、私は憧れ、救いを求めているような状態であった。

「……ツムギさん」

「はい?」

「紅茶、もう一杯お願いします」

「あ、僕もコーヒーもう一杯お願いします」

「はーい」

……このある種の感動と尊敬に、私は紅茶を頼まざるを得なかった。飲み干し記憶に残そうとしたのか、お金を少しでも落とすことで伝えようとしたのかは分からないけれど、そうするべきだと思った。

紅茶が出され、おもむろに手を伸ばす。ほのかな香りが先ほどとは少し違うような気がして窓外を見てみれば、雨が止んでいるようだった。屋根を打つ音もいつのまにか、止んでいた。