第15話 水曜日3
第15話 水曜日3
前を歩く睦月の肩に腕を回す。腰に手を回したり、尻をパンパンと叩く。 やたらと馴れ馴れしい。「あいつ、誰だ」 聞くと、ヒロがああ…と嫌そうな顔をして、立花だよ、立花清風と答える。「富山の提携校に通ってた奴だよ。部活繋がりで、中等部の頃何回か会ったことある。態度が悪くてオレは苦手」 立花は今は陸上部に所属していないという。睦月も陸上部に入っていないし、接点はないだろう。どういう関係性だ? その後は清風に会わずに済んだので、家の近くの本屋に寄って帰ることにした。漫画の新刊が並ぶ棚に寄ったら、夏伊がいた。「夏伊。元気?」「ああ。睦月も買いに来た?」「うん」 夏伊が手にした一冊。二人ともこの漫画のファンだ。 それからそれぞれ棚をうろついて、同時に店を出たので、都合、一緒に帰ることになった。「でも、一緒に帰っていいのかな」「え?」「だって、セフレと会ったらいけないって…伯父さんに…ぷっくく」「もう好きに笑ってくれ。俺は伯父の酒の肴として生きていく」「人生を憂うのはまだ早いよ」 笑い声を抑えながら言われる。「でも伯父さん、いい方なんだね。夏伊のこと心配してるんだ」「ただの監視だろ」 横を歩く睦月を伺い見る。 最後に会ってから一週間弱。少しだけ元気になったように見えた。「その、セフレの人、大丈夫かな。どんな人か知らないけど、きっといい人だろうにね」「え、ああ…」 ナオの顔を思い出した。 カメラマンと付き合っている、最近は冷たいと嘆いていた。多分テレビのネタの通り、結婚していることを秘密にされていたのだろう。「まあ、いい人、だな」「そうなんだ…」 緑道の木々はまだまだ逞しく青く、終わりの見えない夏がまとわりつく。 睦月のマンションの前に着いた。「睦月は」「うん」「立花清風とどんな関係?」「…え」 そのまま、下を向いて黙ってしまう。しばらく待ったが、一向に言葉が出てこなかった。 いつの間にとも思ったが、なかなか言い出せなかったのだろう。 事故のようなものとは言え、初めてを奪った、かつ香りを制する手段でもあった夏伊に、もう関係を解消してもらいたいとはなかなか言えないだろう。 だからあの日、泣いたのか。そう考えれば、あの涙も腹に落ちる。「大切にして貰えよ」 ハッと顔を上げた。睦月の目が揺れる。「俺の勝手な希望だけど、お前は、一番大切に扱われて欲しい」「…清風から何か言われた…?」「何も言われていない」 ただなんとなく、そう思っただけだった。廊下での一幕は、やや暴力的にも見えたが、あんな接し方もそれを受け入れるのも、それなりの関係性があるからだろう。 自分のような、セフレを増やしてばかりの人間よりは、多分マシだろう。 睦月は沈黙ののち、マンションに入っていった。 そうは言っても夜は空気が涼しく、秋が近くに来ていることを教えられる。 窓辺で風に当たっていたら、スマホに、かかってくることはないだろうと思っていた相手が表示される。 逡巡するも、話すことにした。「もしもし」「もしもし? 夏伊?」 ナオの声は、さすがに覇気がない。「声がしょぼくれてるな」「そうだね、さすがにね…。でもいちおう元気だよ。夏伊は?」「まあまあ」 そう、とクスクス笑う。「こないだ話した撮影に行ったの。初めての海外ロケだったから、ウキウキしちゃって。あの人ともまた仲良くできるかなって思ってたの」「でも、最終日にロケがバラシになっちゃって。なんでですかって聞いたら、君知らないのって。明日スクープが流れるよって」 結婚して子どももいたなんて、わたし知らなかった。大切なことを隠されて、遊びで付き合ってたんだね、と言って、鼻を鳴らした。「わたしバカだね」「そんな事はない」「夏伊、優しいね。ごめんね。夏伊のところにも記者の人から連絡が来るのかな。本当に、ごめんね」 それからしばらく、ごめんねばかり言うのを、黙って聞いていた。 いつもは何でも言えるのに、人が泣くと途端に言葉が次げなくなる。「…謝らなくていい」「でも、ごめんね」「俺は、ナオがまた活躍する姿を見る日を、楽しみにしてる」 そう言ったら、うん、うんと泣いて、がんばる、ありがとう、さようならと声を乗せて、電話が切れた。 初めて会った日の、いたずらな笑顔を思い出す。「さようなら」 またねがないのが、ひどく寂しかった。