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プロローグ 新人・ロベル

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プロローグ 新人・ロベル

血よりも赤いワインを客のグラスに注いで、本日の黒服役である夕刻ロベルは優雅にお辞儀をする。客は満足そうに笑っているため、あとは先輩に任せていいか、とアイコンタクトを試みる。前髪を編み込んだ金髪の好青年は、糸のように細い目を薄く開けて合図をくれる。ロベルはお辞儀をすると、バックヤードへ退散した。

ロベルがこのこじんまりとしたホストクラブで働きだして三か月目、キャスト役は慣れてきたが、まだまだ黒服役は苦手だった。ついついおしゃべりをしたくなるし、裏へ帰るタイミングもつかみにくい。

なにより、小物を持つ力加減が難しい。

今も細心の注意を払ってワインボトルに栓をして、慎重に棚へ戻している。ボトルが安定して置かれたと確認して、彼は安堵のため息を吐き出した。

「よくやったよ、ロベちゃん。上手くなってきたじゃないの」

背後から拍手とともに声を掛けられる。振り返れば黒髪に黒いシャツ、黒いマントを羽織った中で、赤い瞳と赤いベストが映える男が立っている。服装と相まって、生来の白い肌がなおさら白く見える。

「店長か。ありがとうな褒めてくれて。今月の給料こそはおでん脱出してくれるか?」

「それは、話術だけ、自分だけで厄介客を追い返してからだね。あと、ちゃんとご飯食べるようになったらかな」

辛口評価やしオカンやんか、とぼやいて見せるが、目の前の店長には効果がない。笑顔を崩さないで話題を振られた。

「ところで、ワインを入れたお客の様子はどうだった?お相手を務める神田君への視線や距離感に変化はあった?」

「軽い興奮状態を維持してるし、まだ深くは酔ってなかったで。まだ警戒心残ってるって感じはするけど、前回の来店時より距離が近いから、情報漏らしてくれそうやなって思ったよ」

マジックミラー越しにお客とキャストを見て、店長は答え合わせをする。新人はワインを持っていく時からじっくり観察して答えを出したが、最古参のキャストは数秒だった。

「うん、合格。ちゃんとお客の観察もできるようになったから、おでんにウインナーも入れてあげるよ」

抜き打ちテストに合格したことと、やっぱり現金収入分を増やしてくれないことに、ロベルは何ともつかない息を吐き出した。

本日最後のお客を『普通に』お見送りして、ロベルはホールに入る。今日は全員出勤の日だし、店は小さいしで、既に先輩達によってあらかた掃除は終わっていた。

「今日は普通に終われてよかったですね。ロベルさん、物割らなかったじゃないですか」

オリバーが優しい笑顔を向けて労いの言葉をかけてくれる。床掃除を終わらせて、190cmを越える体を伸ばす彼の手は、もう少しで天井にも当たりそうだった。高身長は大変やな、と自身も高身長に部類するロベルは他人事のように心の中で呟く。それはそれとして、ちゃんと「そやろ、やったで」と褒められてうれしい気持ちも前に出した。

「体験入店に来た時はグラスも酒瓶も簡単に割るから、モノになるかと心配したもんだがな。人間のお客なら簡単に壊れちまうって」

先に掃除を終えて、カウンターでくつろいでいたベルモンドの言葉には、さすがに唇を尖らせて返事をする。

「あの時は緊張してたんやって分かってるでしょ、ベルさん。あたしのことそのネタでもうからかわないで」

そっと口調を変えて抗議をすれば、ガタイのいい先輩はいかつい顔に優しい笑みを浮かべてきた。了承の意か若造を見守る中堅のゆとりか、どちらともロベルには判断できなかった。

「裏の掃除も終わりましたよ。お、ロベルさんがもういるってことは、今日最後のお客は『普通に』帰ってくれましたか。それとも、自分でちゃんと追い返ししたんですか?」

裏へ続く扉から姿を現した神田が冗談めかして言ってくるのを、ロベルはまた同じように軽く返す。

「いややな神田君は。ちゃんと『普通に』帰ってもらいましたよ今日こそは。それに、もう最近は皆さんに頼らんと自分で追い返しもできるようになってきたでしょ。そのいじりも旬が過ぎましたって」

「いやいや、昨日は私に厄介客の対応頼ってきたじゃないですか。帰り際だけ出来てきたからって、まだ一人前には程遠いですね」

ワインを注いだ後の店長との会話を聞かれたのか、からかい混じりに指摘される。古参の好青年は、いつもより機嫌がよさそうだった。掃除が終わった後輩たちへ席に着くように促しながら、神田自身はベルモンドの隣に腰かける。

いつもの席順にロベルもオリバーも座る。すると、カウンターの向こう側から食欲をそそる香りが漂ってきた。途端に腹の虫が存在を主張してきて、ロベルは昼からこの深夜に至るまでなにも口にしていなかったと思い出した。

腹が空いた音を聞かれたか、厨房の奥から声をかけられた。

「もうできるから、ゆっくり待ってな。犬山に箸とご飯持って行かせるから」

この場にいない人物の名前を厨房から出されたが、誰も疑問には思わない。素直に全員そろって返事をして、雑談を始める。

「ここに来てからちゃんと食べるようになってきたのに、まだ夢ちゃんったらお給料におでんを混ぜてくるんやで。もうよくない?」

「僕ですらまだ給料の一部がおでんなのに、ロベルさんが先に全額現金払いになるわけないでしょう、なに言ってるのさ」

後輩たちの話を聞いて、先輩達は噴き出した。

「そりゃ、お前さんたちの『広告』があれじゃまだ遠いと思うぞ。おでん卒業は一人前の証拠だからな。上達してきてはいるが、まだ目つきだけで厄介客の追い返しもできないでいるしな」

ベルモンドからの的確な指摘に、絵のセンスが独特すぎる彼らは少し苦い顔をする。そんな様子を見てなおさら神田は笑っている。年上の後輩たちが未熟さを自覚できていないからか、それとも『広告』の出来を思い出してなのか。ツッコミを入れられた本人には分からなかった。ただ、指摘がもっともなので何も言えない。

そんなやり取りをしているうちに、closeの看板を掛けた扉が開いた。店内に入ってきたのは髪をツインテールにした、肩を大胆に露出するデザインの、青いチャイナドレスを着こなす人物だった。香水の魅惑的な香りに混ざって、不快でない程度にアルコールの匂いもする。

店内にいるキャスト達は、来訪者へ向かって全員そろって頭を下げる。

「ようこそ、犬山たまきオーナー」

「みんなお疲れ様。あれ、今日は夢追君がまかない担当なの?」

ほのかに赤みを帯びた顔をするオーナーは、その様子に満足そうに笑いながら、足りない一人について聞いてきた。だが、彼らが答えるよりも先に本人から声がかかった。

「犬山、さっさと手伝って。みんなのご飯持ってってあげて。ほらほらはやく」

奥から挨拶代わりに急かされて、呼ばれた当人はむくれた顔をしながら厨房へとふらつきつつも歩いていく。

「もう夢追君、まずは挨拶してよ。ちゃんとさ、ようこそ、か、ご指名ありがとうございますって言ってよね」

「言ってほしかったらまず働けお前は。足音で分かるんだよ酒入れてきてるだろ」

いつものようにやり取りをしながら、炊飯器のふたを開ける音がする。料理が皿へ盛り付けられるときの、フライパンを火から下す音、菜箸を使って食材をかき集める音が同時に聞こえてくる。

カウンター横にある出入口から、大きなお盆に人数分のご飯と箸を乗せて犬山が出てきた。その後ろから、小分け用の皿と、二つの大皿に分けられたもやし入り青椒肉絲を器用に持って夢追が現れる。男たちは順に自分の分を受け取って、犬山も夢追も配膳してそのまま自分の定位置に座った。

口々にいただきますと言って、彼らはまかないを堪能する。

「ほら、夢追、ちゃんと働いたから言ってよ」

つんと澄ました顔をして要求するオーナーへ、雇われた身である店長はまずため息をついて、次に咳払いをして準備を整える。そうして彼はリクエストに全力で応えるのだった。

「ようこそいらっしゃいませ、犬山たまき様」

特別に作ったいい声を聴けて、オーナー兼太客は満足そうな笑顔になった。毎度のことながらよくやるな、と店長の隣に座るロベルは店長のサービス精神に感心する。感心しながら、まかないを食べる手は止めないでいる。

野菜たちのしゃきしゃき食感、よく絡むソース、食べやすく切りそろえられた具材のバランスの良さ、そして白米。どこかの中華料理屋の店長がここで調理してくれたと言われても信じる。そのくらい美味くて、すきっ腹にはたまらなかった。

だから、ロベルは気づかなかった。隣に座る夢追の目がとても優しいことに。夢追だけでなく全員から、まるで食べ盛りの子供を見守るような目で見られていることに。

食べ終えて皿を片付ける。店長は容赦なくオーナーに「酔ってきたからには皿洗いもお前がやれ」と宣告していて、立場は上のはずなのにオーナーは従って後片付けをしている。

「オニー、アクマー」などと、なんとも人間の子供が使いそうな悪態をつきながらも、結局は言うことを聞いて皿洗いをオーナーは始める。このやり取りはまかない担当者が誰であろうとも繰り返されていて、とくに夢追と神田とベルモンドは犬山への扱いが雑だ。口調がけなしながらになるか、丁寧におだてながらやらせるかの違いしかない。そして、毎回皿を運ぶ姿を見るたびに、この店にスカウトしてくれた時の犬山たまきと同一人物だろうかと、どうしても夕刻ロベルは思ってしまう。

「あの時はあんなにカッコよかったのになぁ」

「誰が?ああ、犬山のことか」

ロベルの視線で誰のことを言っているのか、隣に座る夢追には分かったのだろう。いや、この店の誰もが、このくらいの技法を身に着けている。表にこぼれた心の声を拾われて、「あ、はい、その」とロベルは珍しく口ごもった。

「分かる。仕事しているときとここに来た時の落差すごいですよねたまきさん」

もう片方の隣に座る教授が、深く、それはもう深く共感してくれる。

「犬山って、あいつマルチタスクで同時に三つくらい作業できるし、そこまでの作業量抱えていながらまだ『暇だ』とか言っちゃえるのよね。忙しいの感覚バグって心配だけど、どの仕事も真面目にきっちりこなしてくのは偉いよ。仕事以外はアレだけど」

「細かいところにまで気が付くし、連絡送った時の返事はすごい早いし、仕事をする上では見習うところとってもあるんですよ。ただな、たまきさんって仕事に入る前にオタクの視線で感想言ってくるのが少し……ってのはありますけどね」

「神田君に対しては特にあいつ甘いからな。でも仕事モードに切り替わればきっちり決めてくれるし、頼りになるんだよな」

付き合いの長い先輩達もオーナーを口々に賞賛して、少しけなして、また持ち上げる。思うところは皆一緒かとロベルは納得した。つまり、この感想は間違っていないし、犬山のスイッチの切り替えがはっきりとしているのだ。

「ちょっとーー!君たちの声良く通るって自覚ある?全部聞こえているし、そんな褒めないでよねほどほどにけなされるくらいが気持ちよかったりするのにさぁ」

洗い場から抗議の声が飛んできて、一同そろって苦笑した。ここのオーナーは変わり者だ。こんなに褒められて逆に苦しむなんて。

「今日は依頼があったんだよ。だから来たってのに、なんで洗い物をボクに、しかも話すより先にさせるかな夢追は」

袖を止めていた洗濯ばさみを取りながら犬山は戻ってきた。カウンターの席にはつかず、あえてスタッフの立つ内側に行く。キャスト達と顔を合わせるためだ。

「そりゃ、依頼があるからって知らせを寄越したくせに、ボスがお酒なんか飲んでくるからに決まってますよ。食べて動いて、いい感じに酔いもさめたでしょう?」

さらに言えば片づけを自分がしたくないからだろ、とロベルは密かに思ったが、意地の悪い笑みを浮かべる店長に余計な一言を言うべきではないと、この三か月で学習した。だから黙っている。

「なにロベちゃん、なにか言いたそうね。何かしら」

口調はお姉さま風にまろやかに、目つきで鋭いナイフを突きつけて、夢追店長は新人ロベルに聞いてくる。

「イエ、ナンデモナイデス」

冷や汗で背中を濡らしながら答えるので精いっぱいだ。

「まあまあ、前座はそんくらいにして、本題にはいらせてもらおうや。犬山ボス、依頼ってのは、どんな内容なんだい」

ベルモンドが落ち着いた重低音で助け舟を出してくれた。犬山も重々しくうなずいて、雰囲気を整える。

「じゃあ、話させてもらおうかな」