第十三話 最低限の、最後のルール
第十三話 最低限の、最後のルール
殺人、流血、残酷な表現があります。
キャプション注意書きは読まれましたか。
夜の繁華街は、例え地方であっても賑やかだ。酔っ払い特有の大きな声や、違法だと検挙されかねない客引きの口上は、例え裏路地に入り込んでもけん騒として聞こえてきた。
だが裏路地にけん騒は届いても、治安は届いてくれない。繁華街に足を踏み入れる若者に、先達は必ず教える。知り合いができるまで、裏道に入ってはいけない。知り合いに誘われても、裏の裏に入り込んではいけない。
「裏の裏に入るなら、裏社会に取り込まれる覚悟とリスクを、代償を理解してから行きな」
一晩で自分の社会的地位が消える恐怖があり、身元不明で共同墓地に放り込まれる危機がある場所。それが、裏路地――裏社会でもあった。
モブ サイド
じゃりじゃりと、舗装が荒くなりだした裏路地を歩く音が響く。赤くてきれいな靴だ。視線を上に滑らせていけば、黒のスラックスを履いたきれいな長い脚。腰にはチェーンを二重に巻いている。すぐ上にはポケットに突っ込まれた手があった。黒地に赤い花のシャツと、その上に羽織った赤のレザージャケット。着崩していて、着こなしていて、おしゃれで、何よりも治安の悪い裏路地によく似合う。
「よお兄さん。あんた、ナニ者だ」
目の前を歩いていく人影の顔も見ずに、男は声をかけた。
「んー?僕に言っている?」
赤い靴が立ち止って、男の方へ爪先を向けた。相手はどうやら自分を見ているらしいが、男はしゃがんだまま、下を向いたまま続きを話す。
「そうだよ。きれいな服着て、薄暗い道歩いちゃいけませんって教わんなかったのかよ。ケガしたくなかったら、引き返しな。優しく言っている内が花、警告くらいは聞いとけって、ここに足を踏み入れるからには分かるだろ。それとも、どうなるか経験してからでないと学べないか」
早口で兄貴分から聞かされた口上をまくし立てる。胴体まで見れば、迷い込んだ間抜けか敵の組織の構成員かの判断はできる。自分の顔を目撃されて、記憶されては困るから、相手の顔は見ない。
男は相手の反応を確かめずに、次にするべき行動の計算を始める。こいつは敵の名簿になかったから、間抜けにも裏路地に入り込んだ手合いだろう。だったら、仲間を呼ぶ必要はない。適当に怖がらせて、追い返してしまおう。
相手はなにか言っているようだが、男は聞いていなかった。どうやって相手を怖がらせるかを、考えていた。
「つべこべ言ってないで、さっさと帰れや。遊び相手になってくれんのか。ちょうど切れ味を試してみたかったんだよ」
男はゆらりと立ち上がり、尻ポケットから折り畳みナイフを取り出した。見せつけるために刃を出して、切っ先を相手に向ける。
立ち上がっても、腰を屈めてうつむいたまま。おかしな抑揚をつけた喋りをする男からナイフを向けられたら、並みのイキり野郎は一目散に逃げていく。腕のある奴なら、取り合うだけ無駄だと理解してこの場を去る。
どちらにしろ、立ち去るはずだ。
「なるほどねえ。じゃあ、君に聞くことにするよ。この先に麻薬取引の会場、あるんでしょ?どこらへん?時間は?集まる組織は?」
「……は」
「だから、聞いているの。演技でしょ、なんか得体の知れない危ない奴ってフリをしているだけって分かっているから」
目の前の人物から発するはずのない単語。
予想だにしていない単語を並べられて、顔を見られてはいけないのに、面を上げてしまった。
開けたシャツの胸元の谷間、チェーンネックレス。ここまでは、おしゃれなだけだった。ここまでは、街にいる手練れの兄ちゃんだった。
ゆとりのある振舞が、うれしそうに細められた瞳と上がった口角が、相手の実力を伝えてくる。
きれいな顔に浮かぶ冷たい笑み。兄貴分が頭を下げる、真顔のボスよりも怖い笑顔の威圧感。
喧嘩を売ったらいけない相手だった。
「教えてくれるよね。痛い目みたくないなら、さ」
神田 サイド
闇夜に沈んだ裏路地。そこかしこにゴミが積まれて、換気扇かダクトが吐き出しているらしい油臭い空気が充満した一画。
まず一般人なら立ち入らない空間に、逃げ込んできた生き物がいた。
怯えて恐怖を顔に張り付けて、四肢は真っ赤に染まっている。息は絶え絶え、喉から出てくるのは世迷言。
「やれやれ。逃げ込むにしてももっとマシな場所があるでしょうに」
そんな奴の後ろを歩いてくるのは、一人の悪魔だった。明るい金に染めた髪に、細い瞳。きれいな顔にあるのは冷笑だった。優しい声が一層相手の恐怖を駆り立てたらしく、言葉を掛けられた奴は言葉にならない、文字に起こせない悲鳴を上げた。
「情けないですね。裏社会でさえ禁止したブツに手を出しておきながら、追い詰められたら無様に逃げるしかできない。そんな根性なしなら、最初から手を出さなければよかったものを」
一歩距離を詰めるごとに、きれいな靴の音が響く。
「さあ、楽になりたいなら、私の質問に答えなさい。麻薬の売買を持ち掛けたボスの名前はなんだ。複数の組織の下っ端が集まって、なんて言い訳は聞き飽きたんだよ。白状しな」
どんどん低くなる声。冷たさを増す視線と殺気。
「見逃してくれ。知らないんだ。顔も見れなかった。声も変換機で加工してあった。知らないんだ」
逃げ場がないと悟って、相手は金切り声を上げる。
「最後の抵抗?ムダムダ。お前に私の顔を見られた時から殺すって決まってんだからさ。……ほら、苦しまないで逝きたいなら、さっさと吐きな」
*** ***
麻薬。悪魔の白い粉。だが、本物の悪魔ですら使わない粉。裏社会ですら、自身の存続に危険を及ぼすと排除し忌避する。
そんな危険物は、使用者に破滅の代わりに恐ろしい一時の快楽を与える。快楽欲しさに金を出す愚か者は多く、金さえ儲かるならば流通させる輩もいる。
「まったく。さっさと白状すればよかったのに」
きれいな血の華が咲いた壁に、何とは無しに呟いた。
何度となく見てきた光景。どこの組織に属していても、やることは変わらないものだ。やることが変わらないなら、自分を騙し縛り付けてきた奴らよりも、駒として扱ってきた奴らよりも、『仲間』として迎えてくれるボスの元で働いている今が一番だよな。と、珍しく感傷に浸ってしまう。
「神田、もう終わったかしら?」
気の抜けた同僚の声が、片耳につけたイヤホンから流れてくる。随分と久しぶりなのに全く変わらない彼女の調子に、自分の今いるシチュエーションに、神田は答えるよりも先に笑ってしまった。
「ふふふ」
「なに笑ってんのよ。結果を言いなさいよ」
急かして来るが、決して険のある声ではない。拗ねるような語調で、また懐かしさを感じさせる。この緊張感の無さ。彼女がオペレーターのときはいつもそうだった。仕事中なのに雑談をしているような軽さで話してくる。
「すみません。郡道さんは郡道さんだなと思いまして。やることは終わりましたよ」
最後の一瞥をくれてやり、真っ赤に染まった水たまりに背を向けて、神田は歩き出す。
「首尾はどうだったの」
「そんなの、聞くまでもないでしょう?私を誰だと思っているんですか。ちゃあんと情報を吐かせました」
「なによその言い方。『三十分で片付けますから』だけ言って通信ぶつ切りしてきたくせに、時間過ぎても連絡なきゃ恰好つかないわよ。手こずってたの?それとも聞き出すのが楽しかった?」
「さて。どっちでしょうね。けっこう骨のある相手ではありましたが、私は尋問官みたいに敵をいたぶる趣味はありませんよ?」
軽快な会話をしながら、汚れてしまった手袋を脱ぐ。薄暗くてねずみが走る小道を歩きながら、神田は自分の姿を確かめる。服は汚さないように気を付けていたから、人ごみに出ても平気だろう。
「あら、あんたも中々だと思うけど。ま、詳しくは帰ってから聞かせてもらうわ。ゆめおから少し前に情報が入ってね、大体の会場の場所は割れた。あとは時間になるのを待つだけってさ」
言い切ると同時に、ポケットに入れていた携帯が振動する。通知は、一通のメール。記された住所は廃墟街の一角だ。
「了解です。私も向かいます。みなさんはもう現場ですか?」
「そうだよ。神田が最後。さっさと向かってよね」
じゃあね、と簡単な断りを入れて、郡道からの連絡は切れた。かつて暗部で働いていた時から、郡道オペレーターはこうだった。雑談を挟みながら連絡して、言うこと言ったらあっさり切る。他のオペレーターはひたすらに淡泊だったり、やけに長ったらしい定型文を述べてきたりする中で、彼女の話し方は、やり方は特異だった。
そして、神田は郡道としゃべっているうちに余計な肩の力が抜ける。気負っていたときも、イラついたときも、彼女が平常運転に戻してくれて、未熟な頃、暗部に入って間もない頃は助けられたものだった。絶対に本人には言わないけれど。
昔を思い出して、先ほどとは違う笑みを神田は浮かべるのだった。
バンデラス サイド
足元に敷かれているのは、派手な赤に染まった豪奢な絨毯。一歩踏み出すごとに柔らかさが靴裏から伝わる。この歩き心地は、贅を尽くした持ち主の生活を象徴している。
室内もまた意匠を凝らした家具と装飾品に満ちていて、芳醇なワインの香りがよく似合う。
「人々の狂気と不幸と破滅を引き換えにして得た贅沢は、さぞ美味かっただろうな」
だが、部屋に漂う空気は、殺気と恐怖に彩られている。
「た……助けてくれ。俺はただ、ただ望むブツを流しただけだ。どこもかしこも禁止してきたから、俺が代わりにやっただけだ」
震えた声で命乞いをしながら、欲のままに肥えた金の亡者は後ずさる。部屋の隅、角へと追いやられていた。
ほんの三分前の出来事だ。部屋の持ち主はいつも通りにワインを嗜み、部屋の中央に置いた椅子から夜景を楽しんでいた。眼下に広がる繁華街と少し離れた仄暗い廃墟街が一望できる眺めは、部屋の主のお気に入りだ。
繁華街では自分のミツバチたちがせっせと働く様子が見れる。
廃墟街には、明るいところではできない商売が今宵も行われている。特に今夜は、個人でなく組織に対しての取引だ。
他の組織にも麻薬を売らせる。
己は卸しとして利益を得る。消費者が増えれば、流通する『商品』の量そのものが増えれば、仕入れ元は自分しかいないのだから、利益は増えていく。
「競合がいない商売は儲かってしょうがない」
こらえきれない笑みを浮かべて、部屋の主は悦に入っていたのだ。
「そうだろうな。だが、競合がいない理由ってのがあるんだ。お前は、一線を越えた」
だから、たった一人でいるはずの空間で、急に自分の言葉に返事が来て、部屋の主が驚いたのは言うまでもない。
とても低く響く声だった。背筋の凍る鬼気に満ちていて、身の危険を感じる声だった。
声のする方を向けば、唯一の出入口の前に仁王立ちする男がいた。こげ茶の髪を後ろになでつけて、ガタイの良い体は上等なスーツで包まれている。同業者が来たか、と一目でわかった。
「ほほう。私と取引を望む方ですかな?ここのセキュリティを抜けてきてまで会いに来られるとは、よほど我が組織の目玉商品を欲されているのですね」
相手の正体が分からなくとも、たとえ殺気を向けてきていようとも、怯えた態度を見せてはならない。裏社会で組織を率いるボスたるもの、そのくらいの丹力は持っているものだ。
最低限の基準は満たしている相手へ、侵入者も最低限の対応はしてやる。
「ああ。だが、お前が思っている目玉商品じゃないな。俺が欲しいのは、お前の命だ」
注文をしながら、彼はゆっくりと懐から銃を取り出す。銃身に描いた紋様を目にした途端、相手は脂汗を流しだした。
「その銃は……その模様は……。嘘だ嘘だ嘘だそんなはずがない。『ギャングスター』が俺の元に来るなんて嘘だありえない」
「嘘でも夢でもない。俺たち『ギャングスター』がなぜ裏社会の秩序を守る組織だの掃除屋だのと言われるか、お前だって聞いたことがあるだろう。
……俺らは、絶対に麻薬を許さない。麻薬そのものも、麻薬を利用して金儲けをするお前みたいな奴もだ。使用者の一切を壊していく麻薬を使って金を稼ぐ奴は、絶対に排除する」
語気は一切荒げていないのに、圧は高まるばかり。
麻薬の密売人は、目の前の男が地獄からの使者にも見えた。
「だから、お前を見逃すはずがないんだよ」
そっと優しく侵入者――『ギャングスター』のリーダーが付け加えれば、相手は一層震えあがった。
銃声が響く。一発、二発。
「腰を抜かして下手な言い訳を並べるくらいなら、最初から手を出さなきゃよかったんだ」
三発。
「麻薬が禁止された経緯くらい、どんな馬鹿でも知っているだろ」
四発。
「裏社会でさえ揺らいだあの事件。麻薬の密売が原因の一つだ。元から俺らは嫌っていたが、あれで決定した」
五発。
硝煙の匂いが部屋に立ち込める。恐怖と痛みでふさがりかけた喉から、部屋の主はか細い悲鳴を漏らしている。
相手の体に風穴が五つ開いて、彼は銃口を下に向けた。
「楽にあの世に行けると思ったら、大間違いだ。禁制品に手を出した愚か者の末路を教えてやらないとな」
部屋の絨毯が赤黒く染まる。もう柔らかな感触を靴裏に伝えてこない。代わりに、ぐっしょりと濡れた重い音を立てた。
一仕事を終えて、ベルモンドは長いため息を吐き出した。愚か者の始末は、嫌いだ。後味が悪い。
「さっさと帰るとするか。犬山のとこに行く前に、シャワー浴びて匂いを落とさなきゃな。あいつ、硝煙の匂い嫌いだから」
独り言を残して、『ギャングスター』は去っていった。
??? サイド
「少し、遅かったですね」
血と硝煙の匂いで満たされた空間に、なんともそぐわない緊張感のない声。
「いいじゃないですか。『ギャングスター』と鉢合わせしなくて。顔を合わせたら説明面倒ですよ」
背の高い黒のスーツの後ろから、紫の髪がひょっこりと室内を覗く。惨劇の跡にも顔色一つ変えず、ただ鮮やかなペリドットの双眸を細めるだけだ。
「さすがですね。容赦ない、じゃ足りない処刑の仕方だ」
部屋の主だった『モノ』を一瞥して、青年はそんな感想を漏らした。
入口で立ち止まっていた男は、死体へと軽く鼻を鳴らすだけだった。彼が警戒していたのは罠の類。危険はないと判断して、長い脚を静かに室内へ進める。
「そうですね。最低限の、最後のルールを守れない輩には、結果を示す他ないですから。さ、騒ぎを聞きつけて他が駆けつける前に、さっさと目的の物を探しましょう」
「社長はよく平然としていられますね、こんな血なまぐさいのに」
そう言いながら、青年はポケットからマスクを取り出している。社長、と呼ばれた男は入口に立つ仲間の方を振り返った。
「わたくしも平気ってこともありませんが、ま、あなた方人狼ほどではありませんから」
鼻が利くのも困りものですね、と言いながら、彼は探し物を再開する。机の上のフォルダーを流し読み、求める情報の手がかりを追う。
相方も捜索を開始したらしい。向こう側にある棚から、紙のめくる音がする。
しばらく続いた無言の時間を破ったのは、机を探していた彼だった。
「ありましたよ剣持さん」
ミルクティー色の瞳を不穏に輝かせて、仲間を呼ぶ。
手の中にあるのは、一冊のノートだ。学生が使っていそうな、ありふれたノート。まさかセキュリティも何もない紙の媒体に日記を書くとは。こんな大事なことを書き留めているとは、予想外だった。
相方にも分かるように、手がかりのある個所を指で示す。
『ROF―MAOのホテルを会場にするなんて、あの女は面白いことを考える。さすが魔女だ。大寒が過ぎ立春の頃に開催するつもりらしいが、まだこれから調整すると言っていた。気になるのは、客層について。人身売買をするなら口の堅い相手を選ばねばならん。俺以外の客は他言無用の担保を取れているのだろうか。リストを前に見せてもらったとき、怪しいのが何人かいた。とくに術者たちは倫理というものを知らない研究バカが多い。情報がどこから抜かれるか分からない危険を、知っているのだろうか。
そういえば、あの術者、パーティー会場で犬山オーナーに絡まれていた。あの底の知れない闇ブローカー、何を考えているか知れたもんじゃない。要注意だ。術者には早々に釘を刺しておくこと』
「ホストクラブ、ですか。酒が入れば口を滑らせやすくなりますしね」
呟いた彼は、新しい遊びを思いついた少年のように、楽しそうに笑っていた。
飛ばしても平気な あとがき
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。また、ブックマークやいいね、コメント、スタンプなどもありがとうございます。本当に励みになっております。
長らくお待たせしてしまいました。申し訳ございません。やりたい方針を決めるのに時間がかかりました。人生と一緒。
非常に血なまぐさいシーンに満ちた今回のお話、いかがでしょうか。後味の悪い作品とはならないようにしたつもりです。
次回への繋ぎも作ったつもりです。よければ感想をください。気軽にください。作者がはしゃぎます。大喜びします。
番外編の四話、『狼と酒 ベルモンド編』にて、アンケートに答えてくださった皆様、ありがとうございます。見事に票が割れて、驚いております。ちゃんとそういう内容にするときはキャプション注意書きに載せますので、自衛したりワクワクしたりしてください。
なお、今までのアンケート、どれも、ときどき結果を見に行っています。傾向が分かって楽しいです。今後に生かしていきます。
最後に、これを読まれて、少しでも楽しんでいただければ幸いです。