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第一話 新人教育

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第一話 新人教育

神田 サイド

アルコールの入って赤い顔をしながら、まだ杯を空にする客。同じテーブルについて接待しつつ冷静に獲物を監視するのは、金髪の青年。

「今日はいつもとなんだか違いますが、どうかされたのですか」

客が来店してから一時間が経過した。少し荒れた飲み方に、前の来客時よりも近寄ろうとする素振り。心配などなく、ただ情報を得るために彼は、いや、この店の者たちは客を観察する。数多の情報を盗んできた神田は頃合いだろうとお客に話を振った。すると、酔いが回ってきたのだろうか。やっとお客は私生活についての話をこぼしだした。

「ねえ神田さん、あなた方はお仕事でこれだけ話を上手に聞けるなら、プライベートでも聞き上手なのでしょうね。夫とは大違いだわ」

「おほめ頂きうれしいです。それに、私が上手に聞けると思われるのは、お客様が話し上手だからですよ。分かりやすくて盛り上げ方もお上手で、いくらでも聞いていたくなります」

営業スマイルでまずは相手を立ててから、一番聞きたかったことを、しかし相手には悟られないように自然に聞いていく。神田は少しだけ前かがみになり、軽く心配するふりをして見せた。

「……あなた様の美しいお顔がくもるなんて、なにがあったのですか。よろしければ聞かせてください」

「あの人、絵描きなの。最近はおかしな男と会ってばかりで、私のことは無視しているの。とくに昨日からなんて、欲しがっていた王冠が届いたって子供みたいに大はしゃぎして、画廊の方がいらっしゃってもアトリエにずっと閉じこもっていたわ」

「こんな話し上手な方を放っておくなんて、もったいない。私ならあなたを飾るために王冠を使うのに」

リップサービスもしてみれば、客は照れるように笑った。前はまだお世辞はいらない、と固くなっていたが、だいぶ懐柔出来てきた。と、神田はただ実験結果を観察するのだった。

壁掛け時計に目をやれば、深夜一時。この客が来てから一時間二十分が経過した。指名して場にいられる制限時間は90分、もうお帰り願う時間だ。

ほろ酔い状態で満足気な顔をする客へ、神田は作った申し訳なさげな顔で切り出した。

「お客様、もうそろそろ、お時間になりますね。今日の最後に話したいことや飲みたいドリンクはありますか?」

「あら、もうそんな時間なの。ならしょうがないわね。最後にいつもの辛口のジンジャーエール、一緒に飲んでもらえるかしら」

かしこまりました、とお辞儀をして、神田は本日の黒服役であるロベルへ合図をする。すぐに裏から彼は来て、注文を聞いて立ち去った。

「神田さん、ずっと気になっていたの。もしも、もしもよ。……もしもの話だけど、私が延長をしてほしいとねだったらどうするの」

客はわざと視線を合わせない、なのにその声は何かを期待して震えを帯びている。

「最初、ご来店されたときにお伝えした通りです。どんなことをしても、一度のご来店の時間は90分、延長はどなたであっても認めません。90分を過ぎてもお店に居られたときは、もう二度とお客様として対応いたしません」

客が求める何かを予想しながら、そんなものはどうでもいい、とキャストは切り捨てる。神田は事実を、決まりをただ淡々と述べた。

客は未練がましく食い下がる気配を見せて、「でも」と言い寄ってきた。だが、神田はそれ以上を言わせない。聞くだけ無駄だ、内容は分かっている。何度となく、幾人と言われてきた。

「アフターサービスもありません、延長もありません。ただ、次のご来店をお待ちしております。そして、毎回、ちゃんとこちらの決まりを守ってくだされば、私たちもお客様を丁重におもてなしいたします」

ここまでは穏やかに言ってやると、客は悲しそうに顔を歪めた。この程度で引き下がってくれるなら安いものだ。だが、次にまたこんなことを言い出されたら面倒なので、神田は釘をさすことにした。

「いいですね。守っていただけないなら、もうお客様としてお迎えできなくなる、それだけです。あなた様も、こういう店において『客』として扱われない時、どんな対応をするか知らないわけではないでしょう」

「そんなの、知っているわ。でも、そういって脅しながら客にひどいことをする店も見たことがないのよね」

どんなプライドを刺激したか分からないが、ここで客は逆らってきた。どうやら、自分を無下に扱う可能性をちらつかせるだけでも嫌らしい。

客のこの態度は、神田のいたずら心をくすぐった。なら、実際にどんな怖い目にあうか見せてやりたい。  なまじ上級社会に生きてきて、痛みを知らず力の差を脅しに使って生きてきたタイプの客が、今まで自分が踏みつけてきた者たちと同じ立場へ落とされたらどうなるか。目撃だけでもさせたくなる。

通常なら出さない声色を使って、神田はささやいた。

「いいでしょう。……ちょうどいい、あのカウンターにいらっしゃるお客様は、もうすぐ退場いただく時間です。店長が説得している、あの方ですよ。見ていてくださいね」

この店は脅しでなく客として扱わなくなった客に、どんな対応をするか。目の前で見せてやろう。

神田がたくらむ気配を察したか、それとも会話を聞いていたのか。店長は軽くこちらへ視線を送ってきた。客は自分を視界に入れていないから大丈夫だと確認して、神田は心の底からの笑顔で答えを返した。

夕刻 サイド

夕刻ロベルは注文を受けたジンジャーエールを作りながら、マジックミラーから店内を観察していた。

仕事としては、黒服役として何かしらの合図をもらったらすぐ駆けつけるために店内を見ているのだが、それ以上に先輩達がどんなふうにお客の相手をするか、見ていて単純に面白い。

本日出勤しているキャストは夢追と神田とオリバー。オリバーは二階のスタッフルームで休憩中、先輩二人はそれぞれお客の相手をしている。神田の客は今回で三回目の来店で、だいぶキャストに心を許しだしている。距離が近い。

一方、夢追が相手をする客はいわゆる『厄介客』だ。この客の相手をするとき、キャストは毎回交代をする。今回は最初オリバーが相手をして、十数分前から夢追にバトンタッチした。

この厄介客は一回目の来店時からもっとこの店に居たいと駄々をこねてきた。これまではまだなんとか理性を保ち、あるいはこちらの軽い脅しで引き下がってくれていたが、今回はテコでも動かぬ様相であった。  仕事を始めて数か月の新人に相手をさせるのは酷だということで、厄介客対応を毎回押し付けられている店長が出動したのだ。

そして重要なことは、この厄介客はあと3分で制限時間を迎える。本来ならもうお帰り願うのだが、退店どころか居座ろうとしていて、店長が手を焼いている。

「だから、もう常連になったんだし、今夜はお酒も色々入れたわ。時間なんて気にしないで閉店までずっと居させてよ」

「そういう訳にはいきません。お客様全員、例外のないルールですよ。この店にいる時間は90分、延長もキャストによるアフターサービスもありません。

そういうお店だと、初めて来店されたときからずっと説明しているではありませんか」

壁越しでも聞き取れる会話は、ほぼ毎回この厄介客に言い聞かせていることだった。まだキャストは優しくて、一方の客はふてくされた顔をしている。優しく言う内に帰った方が身のためだが、厄介客は聞こうとしない。

「いいじゃない、今夜はどこにも帰りたくないの。閉店まででいいからいさせてよ」

「そういわれましても、できない相談です」

厄介客は店側のあずかり知らぬ事情をぐずぐずと言う。相手をする夢追はまだ困った笑顔を崩さないが、その裏ではどんな思考が巡らされているだろうか。

――ロベちゃん、ここで働くなら覚えておいてね。脅しても動かないで制限時間を過ぎた時は、キャストとしてではなく裏社会の住人として対応する。店のルールだから。

ロベルは、店で働きだした初日だったか二日目だったか、かなり最初に店長から教えられたルールを思い出す。あの時初めて、夢ちゃん、ではなく店長、と、思わず呼んだのだ。

昔を思い出している間に、彼はジンジャーエールを完成させた。きれいなお盆に乗せて、神田と客の前へ運ぶ。

「お待たせいたしました。ご注文の品です、お楽しみください」

そっと二人の前にコップを置く。こちらの客はカウンターを注視していて、ドリンクが届いても軽く相づちを打つだけだ。この客もあと十分ほどで制限時間がくる。いつもなら最後に神田と話していくだろうに、珍しい。

神田へ視線で問うと、いたずらな笑顔を返された。詳しくは後で聞こうと決めて、ロベルは静かに退散した。いや、しようと彼らに背を向けて、立ち止った。

背後から、恐ろしい獣の気配がする。

急なことで一瞬だけ体が固まったが、自分に向けた殺意や害する気配は伝わってこないため、すぐに平常心を取り戻す。客は声にならない悲鳴を上げて、神田は薄く目を開けて楽しそうにして、カウンターを見ている。ロベルもそちらへ視線をやる。

夢追が少しだけ本気をにじませて、お客に目線で威嚇を始めていた。まだ顔には張り付けた笑顔があり、脅しは殺意にまで高まってはいないから、手加減はしているようだ。

「時間を過ぎても居座られる方は、二度とお客様として扱わないと言っています。さあ、優しくしている今のうちですよ。こういう店で『お客様』として扱われなければどうなるか、あなた様も知らないわけではないでしょう」

だが、酔った厄介客は生来の鈍感さからか、アルコールの回った頭が危険を察知できなくなっているのか、彼の警告を聞かない。

「なによ、私の親が何者か知らないの。現政党のナンバー3よ。国の中枢にいるのよ。そんな大物の娘が店を追い出されたと知ったら、お父様も側近たちも黙ってないんだから。しかも、手を挙げるとでも言いたいの。やれるものなやってみなさいよ。こんな店お父様なら簡単につぶせるわ」

厄介客の言葉を聞いて、ロベルは寒気がした。

親の威光の強さに、ではない。この裏社会の玄関口たる歓楽街で、自分の無知を、弱さをひけらかしただけでは飽き足らず、危険も察知できずに格上へ喧嘩を売る愚かさに、だ。

家や親など、『自分以外の』強さを知らしめて脅すとは、自身の弱さと無知の証明でしかない。自身を今すぐに守れる力でないのなら、どんな兵器もこの場では役に立たないのだから。

社会性を持つ生き物として、喧嘩を売っていい相手を見間違えたらケガをするくらい、幼いころに知っておくべきだ。大人になってからどうなるか体験していては、命の危機さえあるのだから。

なによりも、生存本能があるならば、目の前の人物から放たれる危険をかぎつけて尻尾を巻いて逃げるべきだったのに。

今から気づいても、もう無事では済まないだろう。

「そうですか」

店長の言葉に、圧力に、誰もが飲まれた。かちり、かちりと時計の秒針が音を立てる。先ほどまで聞こえていなかったはずの音が、やたらと響いた。

「さあ、僕は警告して、あなたは無視した。たった今、制限時間が過ぎました。もうあなたはお客様ではありません。だから丁寧な対応をわざわざしません」

時計を見て、次にカウンター席に座る生意気な『元・厄介客』を夢追は見る。彼の表情は張り付けた笑みではなくて、口も目も大きく開いた笑顔へ変貌していた。

「これからするのは、僕の、あなたという子供に対する教育だよ。なぁに?なんでそんな怯えた顔をするの?大丈夫大丈夫、痛くないよ。精神的なことだからね」

楽しそうに話す夢追の顔に、ついていないはずの返り血を、この場にいる全員が幻視した。

本日最後の客も退店したところで、後ろから拍手が聞こえてきた。ロベルは振り返らなくても誰が拍手しているのか分かった。

「なんや、オリバー君も途中から見てたんか」

「はい、店長が追い出すところは見学したいですからね。あんなに厄介客を怖がらせるとは思ってなかったです。見ていてスッキリしましたよ」

店内に戻れば、やはり自分より一か月だけ先輩のオリバーがいる。裏の出入口に立って満面の笑みで拍手しているが、彼の言っている内容は柔らかな声に似合わない物騒さで満ちている。

「あの店長を見てそんな、スッキリしたとか言えるんや」

「え、逆に言えないですか?」

心底意外だ、とでも言わんばかりに即座に反応した神田と、満足気な顔をしている店長を見て、ああ、自分はまだ新人だなとロベルは思った。この店においても、こちら側の社会においても。

あの顔をする彼を、ロベルはまだ夢ちゃんと呼べないでいる。気楽に話せる同い年の友人のノリで接することができないで、働き先の店長、この裏社会の先輩という、少し距離を取った呼び方しかできなくなる。

「ロベちゃんもすぐ慣れるよ。さ、みんなさっさと片付けするよ。明日は犬山が依頼持ってくるらしいから、今日はまかない食べたらすぐ帰ってよく休まないとだめだよ。あいつが来るときは体力使うからね」

自分の心境をどこまで夢追が見通しているか、ロベルには計れなかった。先輩達は何事もなかったかのように、いつも通りに閉店後の掃除を始める。ロベルも彼らに倣って作業の輪に入る。

先輩二人が厨房や裏の掃除に行き、オリバーとロベルがホールの掃除を担当した。二人っきりになって、オリバーから口火を切った。

「ロベル君はまだ、裏社会に慣れきっていませんか」

「……うん、なんかな。いや、前の街でも裏社会に居たことは居たんやけどな」

奥歯に物が挟まった言い方をしていると自覚しているが、それでもロベルははっきりと言い切れないのだ。

「魔力を持った人外の存在、しかも、簡単に他者の命を奪ってしまえるし奪われる裏社会、血の匂いの絶えない環境。これだけの場所にたった三か月で慣れる方が僕は恐いと思いますよ」

さらりと自分の心境を言い当てられて、しかも弁護までされて、ロベルは顔を上げた。澄んだ若葉色の瞳は優しくて、ざわついた心でも落ち着かせる。

「ロベル君のいた前の街、人外はいても魔力を持った存在はほとんどいなかったって聞いています。しかも、裏社会とはいえども、あなたはこの暗黒街ほどの黒いところにはいなかったんでしょう?それじゃ、店長があの厄介客を追い出す様子を見て、あの威嚇を見て、怖いと思って当たり前ですよ」

オリバーが本職で大学教授をしているとは聞いていたが、まさか自分が生徒のように諭される日が来るとは予想していなかった。彼の言葉はすんなりと心に入ってくる。ロベルは少し気持ちが軽くなった。

「当たり前、か」

「そうですよ。ただ、忘れないでくださいね。あなたも魔力を『持たされている』からには、僕らと立場は同じです。簡単に他者も壊せる力が体内に眠っているんですから」

「分かってる。元通りになるために、おれはこの街に来たんやから」