第二話 報酬と危険
第二話 報酬と危険
閉店後の店の中、スタッフたちは静かにカウンター席について、オーナーが仕事の話を始めるのを待ち構える。オーナーはこの中で、外見だけなら最も幼い。まだ成人もしていないだろう。
だが背筋を伸ばし部下の視線を受け止める姿は、たしかに上に立つ者の貫禄を備え、裏社会で一つの組織を取りまとめるだけの実力者であると示していた。
夕刻 サイド
「依頼主は星川サラ。内容は、大臣の元から盗まれた『十色王冠』を取り戻して、大臣に返すこと。期限は決まっていない、けれど、急ぐより慎重に動くこと」
犬山はいつも通り依頼の核心から話を始めた。先ほどまでの柔らかさのある雰囲気は消え去り、一つの組織のトップとしての、圧すら覚える存在感を出している。
「盗人の手がかりはこの小さなメッセージカード。犯人が現場に残した置手紙だって」
言いながら差し出されたカードを全員が注視する。『用が済んだら返します』と、上品な文字で書かれていた。カードそのものは、どこでも手に入りそうな一般的な品だった。
「犯人は大臣の目の前で盗み出し逃走した。大臣が言うには、白い仮面で顔は見えなかったが、シルクハットを被った燕尾服の人物、背丈と体格からして男性、そんなに背が高くはなかった、男性の平均身長くらいだろう。声は聴いていない。だって」
一区切りつけると、ボスはすました顔をして部下達の反応を観察する。
ロベルからしたら、犯人への手がかりが少なすぎる気がした。たったそれだけの情報で、国の裏社会でも屈指の規模を持つ大きな街、暗黒街の住人は人探し、いや、盗品探しをするのだろうか。
「……以上ですか。まだ言うことがあるでしょう」
犬山が語りを止めたので、ロベルは思考に入った。しかし、先輩方は違うらしい。笑顔に似合わない鋭い眼光で、神田が問うた。
「王冠を探す手がかりは本当にこれだけなの。でも、ベルさんの本業のお仲間なら、これだけでも探し出せるんじゃないかな。どう?」
――ベルさんの、本業?
ロベルの頭に浮かんだのは疑問だった。この店には、いや、ロベル自身も加わったこのマフィア組織には、副業してはいけない決まりはない。だが、組織を副業としてしまうなんて、できるのか。
組織の仕事はハードだ。この店はただの情報集めと依頼を受け取る場に過ぎない。暗殺や、裏のルートでしか扱えない違法武器の売買、盗品を奪い返すこともあれば情報を転がすこともする。安全なんてものは石ころよりも簡単に蹴飛ばされた職場だ。常に死神が背中に張り付いていて、魂をあの世へ持っていこうと狙っている。
この世界で、この組織でまだ副業としてやっているのか。なら、一体本職は何だと言うのだ。
当の本人は涼しい顔をして、世間話でもする軽さでボスに応える。
「ま、簡単だよ。『十色王冠』なんて大物だからね。一昨日だったかに盗まれたって噂は本当だったってわけだ。社さんに調べてもらえば、たぶん犯人候補は絞れると思う」
こともなげに言い切る姿は、仲間への信頼の表れだろう。一呼吸の間を空けて、ベルモンドは犬山をしっかりと見据えた。腹の底まで探られて、嘘も本音も暴かれる、そういう目だった。
「……しかし、犬山。俺ら『ギャングスター』に情報を依頼するなら、それ相応にこちらがほしい情報を差し出してもらわなきゃならない。準備はあるのか」
いつもは耳にしない低さの声、ぬくもりがなく冷たさを含む言い方。
ここで、ロベルははっきりと分かった。ベルモンドは同じ組織の仲間にでも、自分の上に立つボスにでもなく、交渉相手に対して質問している。彼は今、ロベルの知らない、きっとそれが本職なのだろう、他組織の代表として犬山と対峙している。
「ある。依頼主は星川だ。あの子がボクにしか頼めないから、って言って持ってきた。本人は言わなかったけど、そのあとに続くパーティーにボクも参加させて、情報を取りたいんだろうと睨んでる。
だからボクから差し出せる報酬は、星川の上司たちの動きやどこまでの情報を掴んでいるかって予測を立てる材料、それに、ボクら自身が手に入れた情報だ。……暗黒街を取り仕切る君たちにとっても、十分有益な情報でしょ?」
犬山も負けず劣らず、いつものイケボを聞いてとろける姿は欠片もなく、癖の強い仲間をまとめあげるボスらしい顔をしている。引き締めた表情からは余裕さえ感じられ、交渉相手へ臆する様子は一切ない。
マフィア組織の交渉が眼前で繰り広げられるのは初めてで、ロベルは場の雰囲気に圧倒されていた。彼らが出し合う情報はどれも知らないものだったが、内容へ思考を裂く余裕がない。
「いいだろう。もしもお前さんの予想が外れて星川からの依頼が奪還で終わったら、俺らから依頼を出す。報酬の情報を得るために、パーティー会場へ潜入して、黒幕を捕まえる手伝いをしろ、ってな。詳しくは星川からの依頼や今後の状況を見て変化させよう」
「異論はないよ。ただ、力量に見合った仕事と、君たちが受け取った利益に見合った報酬をもらうからね。過剰な支払いはナシ、だよ」
両者は条件を突きつけあい、互いに納得した。どちらからとなく手を差し出して、代表同士で握手を交わしたのだ。
裏社会において、握手を交わすとは契約を結ぶことを意味する。犬山は国の裏社会の中で最も大きな街『暗黒街』を取り仕切る組織と、一切臆さず情報の取引をした。ベルモンドもまた組織の代表として、取引して損なしと判断した。
彼ら組織をまとめる側の空気に当てられて、新人ロベルはすっかり固くなっていた。
夢追 サイド
ボスが星川の名前と十色王冠の品名を出した時からずっと、ずっと夢追は話を静かに聞いていた。探りを入れたい部分も確認したい点もあるが、まずは犬山と周りの仲間の反応をうかがっていた。
おそらく、神田は夢追と同様に、星川の依頼について勘繰っている。ベルモンドは彼自身の情報網や立ち位置から、夢追達の知らない深い情報まで握り、それなりの思惑がありそうだ。犬山との取引のとき、犬山は「パーティーで」としか言わなかったが、ベルモンドは「パーティー会場へ潜入して、黒幕を捕まえる手伝いをしろ」とまで言った。勘だが、潜入と言うのであれば、「パーティー」は乱闘などの比喩でなく実際に開かれる祭りなり娯楽なり、違法な取引なりの会場を指しているのだろう。事はかなり大きくなりそうだ。
一方で、新人たちは事態を飲み込めていない顔をしている。まず、ベルモンドがこの組織に所属し仕事をこなしているが副業に過ぎず、『ギャングスター』の一員としての仕事が本業であるところから驚いている。別にわざわざ言うことでもないが、隠す意図も先輩である彼らにはなかった。気づいてなかったか、と軽く思っている程度だ。
そして次に、星川サラが何者か分かっていない気がした。彼女からの依頼を受ける意味も、利点と危険も知らないのかもしれない。自分も機会がなく説明していなかったし、他の者も教えていなければ知らなくても当然か。
ボスと代表の取引が成立したところで、夢追はずっと閉ざしていた口を開く。
「犬山、次は俺らへの説明と役割分担の話をしてもらえるかな」
夢追の一人称が変わるのはいつものことであるが、今回は明確な理由がある。いつもより低くなった声のトーンと赤い瞳が冷たい光を宿していて、犬山は部下が不機嫌になっていると分かったようだ。ボスの表情を保ってはいるが、頬が痙攣したのを夢追は見逃さなかった。
「我々に相談もせず、速攻で『ギャングスター』へ依頼を持ちかけるとは、ずいぶんと大きな依頼じゃないですか。たまきさん、星川とどんな話をして、何を聞いたんですか」
頬杖をついてボスを軽く見上げる神田もまた、声にいつもの軽やかさがない。明るさがない。笑っているはずの顔にある不穏な気配をちゃんと犬山はかぎ取れたらしい。視線が宙へさまよって、彼ら古参の部下と決して目を合わせようとしない。
「なんだ、お前らへの予告もなしに取引持ち掛けたのか。一番働く部下たちだろうに」
他人事と切り離して面白がるベルモンドは、もういかつく近寄りがたい空気をまとっていない。後輩たちを無茶ぶりから庇いかわいがる、ここの、同じ組織の仲間の顔だ。
「ベルモンドこそ、どこまでこの話について知っているんだよ。昨日急に用事が入ったからって休んだのと、関係あるの」
ボスに向けるほどではないが、それでも冷たさのある聞き方を夢追はする。ベルモンドは肩をすくめて「それなりに情報は来ているよ」と答えたが、続きを言う前に新人たちの方を見た。
「まずは、事情を理解しきれていないオリバーとロベルに説明してやったほうがよさそうだな。お前さんたちも関わる仕事だ」
「やっと質問させてもらえますか。聞きたいことが山積みですよ」
「初出情報が多すぎや」
話から置き去りにされていた彼らは、各々違う反応をする。オリバーは学者らしい好奇心を持って、同時にたった四か月で適応した裏社会の住人らしい落ち着き払った声で答えるが、ロベルは裏社会に前から居ただけはある、全身を緊張させ警戒心を出してきた。
この場合は、まあ、警戒するのが当たり前な反応かもしれない。だが、ここで彼らと同じ立場にいたら、きっと自分はオリバーのように好奇心が警戒よりも勝つだろうと夢追は思った。
「前提から話しましょうか。星川サラは政府の諜報部門の人間です。彼女は潜入もするし、今回のように我々裏社会の組織との取引もする交渉役です。外見こそかわいらしい女の子、中身は百戦錬磨の強者です」
神田が分かりやすい説明を始めた。人物の所属する機関名を聞いただけで生徒たちが驚いた顔をしたので、彼は区切りをつけて早々に質問の時間を取る。
「神田さん、質問いいですか」
「はいロベルさん、どうぞ」
「ここではそんな、政府側から裏社会っていう非合法な手段を取る組織へ依頼が来るのは、当たり前なことですか?」
「そもそも、諜報部門そのものが非合法な手段を取って国家の安全を守っていますからね。ま、そこらへんについては私よりも夢追さんの方が詳しいでしょう。そのうち聞いてみたら面白い話を聞けますよ」
ねえ、と同意を求めながら神田は夢追に笑いかける。店長はあえて、なんのことやらととぼけた。
「でも、あいつらが依頼を出す組織は限られているよ。街を取り仕切るほどの力のある組織、たとえば俺がリーダー役をしている『ギャングスター』なんかには、あいつらは警戒して話を持ってこない。君子危うきに近寄らずってとこだ。
だからといって、金で簡単に動かせる弱小組織は使えない。それなりに実力があって、でも政府を裏切る心配はない組織を奴らは探して依頼を持ってくる」
脱線しかけた話の線路を、ベルモンドが引き戻す。神田と夢追の茶番に気を取られかけた新人は、先輩のやりとりの裏に潜んでいそうな何かは頭の隅に置いて、新たな情報を整理し他の切り口から質問をする。
「ベルさんは、この暗黒街を取り仕切る、様々な噂の流れている『ギャングスター』の一員だったんですか。そんな大物がなぜ、ここにいるんです」
オリバーの真剣な眼差しを、ベルモンドはやんわりと受け止めた。
「ああ、お前さんらに隠すつもりもなかったが、特に言い出す機会もなくてな。こんなふうに話すことになっちまった。……別に、大したことはしてないけどね。ただ、他の組織が表社会に迷惑かけようとしたり、裏社会でも禁止しているブツの取引をしようとしたら、全力で止めてきた。そしたら『取り仕切り役』と言われるようになってたってだけだ」
少し昔を懐かしむような口調になり、琥珀色の瞳はどこか遠くを見つめていた。その所作は、ベルモンドがこの街で積み重ねてきた日々の重さを、周囲の者たちに感じさせた。
「あと噂についてだがな、オリバーもロベルも、『ギャングスター』以外の組織の噂や異名持ちの奴らについては知っているかい」
今度はいたずら心を持った悪い大人の笑顔になって、ベルモンドは確認の質問をした。なんとなくウキウキしている声で、夢追は嫌な予感がした。
予想外な問いに目を丸くしながら、この街に来て三か月の新人と四か月の新人は答えた。
「俺は組織の噂はあんまり聞いてないですね。なんていうか、どこそこの組織に所属しているらしいってばっかり。個人のどこまで本当か分からないけど恐ろしい活躍の方なら、まあ、お客さんらから聞きましたけど。どんな口の堅い売人でも自白剤を使わないで、死ぬより辛い拷問で口を割らせる『悲鳴好き』とか」
「僕は……そうですね、組織の噂もほどほどに聞きました。異名持ちなら、『盗品のカリスマ』と『忍び寄る者』を聞きましたね。どんな貴重な盗品でも違法な改造をした武器でも、人ひとりが抱えられる大きさならなんでも取り寄せられる闇の商人と、公衆の面前であろうと、どんな堅牢な屋敷の中であろうと関係なく標的を抹殺してきた暗殺者の話でした」
二人の答えを聞いて、質問者のベルモンドだけでなく先ほどまで黙っていた犬山まで笑い出した。理由が分からない新人は怪訝な顔をし、話題に出てきた異名に聞き覚えがある夢追は隣の神田へ合図を送る。いざとなったら、協力して話を止めよう、と。
「それな、俺らのことなんだ。正確に言うと、尾ひれのついていない真実だったりもする。『悲鳴好き』はゆめおの仕事、『盗品のカリスマ』は神田の仕事を指した表現だよ。『忍び寄る者』は二人ともやっているな」
答えを開示すると、本日何度目かの驚きに生徒たちは襲われて、ああやっぱりかと、噂された二人は頭を抱えた。
「ベルさん、なんで教えちゃうんですかそんな噂を。噂だって流しておけばよかったじゃないですか」
「別に言う必要ないじゃん。別に悲鳴が好きなわけでもないしなんか無駄に話に装飾が付いてるからその話聞いていると恥ずかしくなるんだよ」
苦情が来てもどこ吹く風と受け流して、ベルモンドは新人に向き直る。
「どうだ。俺はたしかに名の知れた組織の一員で、そっちがまあ本職だ。でも、それが何だっていうんだ?噂になるような凄腕だって驚くなら、ゆめおも神田君も同じだよ。むしろ、この二人の方が俺より黒い過去を持っているかもしれないぜ」
「たしかに、どっちの話もチートかなって思うような内容の癖に、事実しか言ってなかったんだよな」
悪い笑みになった部下に便乗して、ボスも話し出した。茶番を始めたいらしい真面目くさい言い方に、ロベルが食いついた。
「ほほう、犬山はん、詳しく聞かせてもらえますか」
「ちょっと待ってくださいよ。もうその話は終わりませんか?脱線のし過ぎでしょ」
深堀りされてはたまらないと、即座に神田が止めに入る。しかし、興に乗ってきたボスは止まらない。 「いいじゃんちょっとくらい」と面白がる犬山は、酒の入った宴会で部下の失敗談でも語る上司のノリでいる。いや、もしかしたら酒が抜けきっていないのか。
「いいでしょうロベルはん、これはボクが実際に持ってきた依頼の話だよ。あれは十年くらい前、まだベルさんもボクの組織に入ってなかった頃……の……」
最初だけは調子よく口が回っていたが、急に勢いがなくなりしまいには口を閉ざした。言葉の代わりに冷や汗を流して、さらには青ざめた顔までして、普段はおもちゃ扱いしている男の方を見て、犬山は固まってしまう。
「どうしたの犬山。言ってごらんよその続きをさあさあ」
自分で『満面の笑み』で威嚇しながら、なにも知らない、といった風に夢追は言った。
「その顔はデスゲームの主催者だって怖いよもう」
流れが変わったところで、すぐさに神田は元に戻しにかかる。
「まったく、たまきさんもベルモンドさんも、いい加減にしてください。今は依頼について聞いているんですよ、与太話めいた昔話は後にして、仕事に戻りますよ」
神田に軽く叱られて、ベルモンドはそれでも上機嫌に返事をした。彼からしたら、こうした一幕もまた茶番なのだ。犬山は静かに襲撃者をにらんだ。
「お前が余計な事言いたがるからだろ。ほら、ちゃんと仕事の話に戻るよ。オリバーもロベルも、過去と噂についてはあんまり詮索しないでね。暗殺も拷問も盗品や違法武器の取り扱いについても、そのうち分かるから」
夢追はボスからの恨めしい目線も無視して、ただ全員に向けて仕事に戻れと促した。
「役割も何も、まずはベルさんから情報もらって、盗んだ奴の所へ行って王冠をどこに持って行ったか吐かせるか、王冠のある場所が先に分かったなら取りに行くか、って考えているよ。星川からの依頼は、まずは以上です」
少し不機嫌そうにボスは締めくくるが、これで部下達は満足しない。できるはずがない。
ボスは部下が最も聞きたい点を、説明していないのだから。
「ボス。これは組織の一員としても、同時に取引相手としても聞きたい。お前さん、星川からの依頼の報酬はいくらで契約したんだ。他所の組織から情報をもらってから行動する、なんて、お前さんらしくないじゃないか。……しかも、大事な情報源について、参謀役でもあるこいつらに聞かないで独自に決めたとは、よっぽど急ぎと見たが、違うかい」
ベルモンドが放ったのは、ほぐれていた場の空気が一気に凍り付くほどの、冷たさを含んだ問いかけだった。
報酬と依頼の危険性は正比例する。相場よりも高い報酬を依頼者が提示した場合は、それだけ危険と承知の上で受けてほしいと無言のうちに伝えているのだ。また、請け負う組織が報酬を高く設定してきたならば、依頼者が思う以上に危険な仕事か、誘う相手を間違えたか、だ。
つまりこの問いかけは、参謀たちが犬山へ言いたいことをベルモンドが代弁したも同然なのだ。
少しだけ間を空けて、犬山は語り出した。
「『十色王冠』について、ベルさんだって情報を掴んでいるんでしょ。……星川から、闇オークションを開こうとしている奴らがいるって聞いた。人身売買もたくらんでいるって。唯一、確実に出品されると分かったのが『十色王冠』で、流れを追おうとしたら盗まれたから探しだして、今の所有者の手元に返してくれって依頼だよ。
受けたのは今夜、ディナーの時。暗黒街の仕切り役なら、闇オークションの噂を掴んでるに決まってる。取引持ち掛けるのに、わざわざ君らへ相談したりしない。即決した。以上。なんか文句ある」
最後にブスっとして言ってきた。こんな場面でする顔ではないとツッコミを入れたくなる。ツッコミを入れる以上に、答えて欲しいことを言わないでいるボスに追及しなければならない。
「犬山、大事なこと言ってないよ。内容は分かった、即決して当然だ」
「人身売買なんていう、裏社会でさえ禁止している犯罪捜査の片棒を担ぐ依頼は、一体いくらで受けたんですか」
むくれた顔をした理由は分かっている。犬山は話したくないのだ。だが、ボスがずっと触れようとしない報酬について、夢追も神田も容赦なく追撃した。
自分が働き、自分が危険にさらされるのだから。何かしらの考えがボスにもあるのだろうが、はっきりさせてもらわないと困る。
表情はそのままで顔を背け、犬山は口の中だけで答えを言う。当然聞き取れないため、質問した二人は厄介客に圧をかけるときと同様の視線をボスへ投げる。
彼らの同僚も無言の同調を示し、ボスはやっと白状した。
「いつもの、三倍だよ。向こうが最初から提示してきた」
「は?!三倍?!」
犬山が額を言った途端に、バンっとカウンターを叩き椅子が倒れる勢いで立ち上がったのは、動揺し声を上げたのは、オリバーとロベルだった。逆にここにいる時間の長い夢追や神田は無言でいて、全体を俯瞰するのがベルモンドだった。
時には交渉役や参謀役を務める古株ほど黙りこくる。一方、ボスは正常な反応をしてきた二人へ言い訳を始めていた。
「そうだよ。三倍だよ。うちにしか回せない依頼って言われるし経費まで全額負担するって言われたんだ、もうやるしかないでしょ、それに……」
「いやいやいやいや、なにを言うとりますか犬山さん?!三倍て、いつもの三倍危険ってどんだけ危ないことが起きる見込みの依頼やそれは」
「しかも最初から提示されたって、依頼主がもうヤバい案件だから覚悟しろっていってきてるじゃないですか。相当ですよそんなの。今までやってきた依頼でも、どんな相手でも二倍ですらきついからやらないって言っていたのは誰でしたか。あなたでしょう」
夢追は依頼について考えながら、仲間たちのやり取りを観察する。犬山は、それに……、と言いかけて遮られたが、この時夢追の方へ視線をやった。何を言いたいのか予想はついている。
新人二人はまともだなと、報酬に対してまともな反応をしていると思う。危険に対して、いつのまにか自分がなくした通常の感覚だ。また、報酬が三倍なら純粋に危険も三倍、とはいかない。危険性はそれ以上にあるのが常識だが、その事実を突きつけるのは今ではないと裏社会の先輩として夢追は頭の隅で考えていた。
新人二人がボスへ抗議の弾幕を張っていて、その上至極もっともな意見ばかりで、ボスは何も言い返せないで表情筋を引きつらせた。
「まあまあ、落ち着けお前ら。焦る気持ちは分からんでもないが、犬山を攻めたところでどうにもならんことよ」
「ベルさん、いえ先輩方はなんでそう落ち着いていられるんですか。僕らに報酬と危険の話を教えてくれたのはあなた方でしょう」
重低音でやんわりとベルモンドが諭すも、オリバーはまだ剣呑な空気を周囲に漂わせている。
「騒いだって事態は変わらないし、危険も悪いことばかりとは限らん。ほれ、こいつらを見てみろよ」
夢追は指摘する声に含まれるゆとりを感じつつ、同様に黙って考えを巡らせていた神田へ視線をやる。こちらの青年も結論は出たようで、彼はいつにも増して楽しそうに口角を吊り上げている。
同じ顔をしている自覚は、ある。
「じゃあ、先に聞きたいんだけど、犬山はさっきなにを言いかけたの?」
試しに聞いてみれば、思った通りの答えが返ってきた。
「夢追君と神田さんは、きっと、いや、絶対に楽しんでくれると思う」