故郷を守る刃 〜解放〜
故郷を守る刃 〜解放〜
「…目覚めは近いな」
マスターと別れ、川の上流へ向かうインドラ。
聖杯によって顕現しつつある龍神。
それによって充満する蛇の匂いは、最初にこの特異点に来た時よりも強まってきている。
埋め込まれた聖杯を剥がす必要はあるが、先日僅かに感じ取った気配を思い起こす。
敵意が感じられない…。
やはり此度の目覚めは不本意のものか…。
恐らく朱竜と呼ばれた龍神は、普段は和御魂として川に住んでいる、川そのものともいえる神だ。
だが、この特異点に生じた聖杯を川の上流…自らの存在の源に埋め込まれた結果、過剰な魔力によって急速に力が蓄えられ、荒御魂としての目覚めを余儀なくされている。
「…貴様としては静かに眠っていたかったであろうに、悪戯に起こされたようだな」
「蛇とはいえ、本質は神。やはり聖杯を埋め込んだあの人間には罰を与えるべきでは?」
「普通に不敬だよねー」
「落とし前はあいつがつけている。それに、罰を下すか否かを決めるのは神ではなく、この龍神だ」
しかし、今インドラが手を出したところで止められるものでもなさそうだ。
聖杯を埋め込まれたからには、一度荒御魂として目覚めなければ、聖杯を剥がして力を削ぐことも叶いそうにない。
今も尚川の上流へ向かって進んでいるインドラではあるが、先日とは明らかに様子が異なっている。
「あの蛇たちが一切見当たりませんね」
「いないなら嬉しいんだけどねー」
先日訪れた際に、インドラたちを襲撃した蛇たち。
しかし今は、その気配が一切ない。
「元は聖杯の魔力から生み出されたものだ。その魔力が、今や龍神の目覚めのために一箇所に集まっているのであろうよ」
セキュリティの必要がない。
つまり目覚めるのも時間の問題なのだろう。
「…」
ふとインドラは、河川敷に置いてきたマスターのことを思い出す。
まあ、あいつならば何とかするであろう…。
体に傷がつかんように、一次的に神の加護を与えておいた。
あの小僧は自棄になりながらも、内に秘めた渇望を捨てきれずにいるだけだ。
実の妹からの切実な想いさえ届けば、神が喝を入れるまでもなく正気に戻るであろう。
「とはいえ、問題はこちらだ…」
中流を過ぎ、上流付近にさしかかった。
その途端、川の下流に残滓として感じ取ったものと同じ…しかも濃度の高いものの匂いが、襲いかかるように漂ってきた。
「…ここに在ったか」
インドラの乗る、空を翔けるアイラーヴァタ。
その真下には、巨大な水の塊が渦を巻くようにして浮かんでいた。
この川は、龍神の体そのもの。
水がすべてなくなったのは、龍神の顕現のために魔力で集められたからだ。
悪戯に起こされては、怒りで暴れ回ってもおかしくないはずなのだが…。
「…人間で言うところの『お人好し』といったところか?神程には及ばんであろうが、なかなかの寛大さではないか」
「えっ?怒ってないってことー?」
「何たる寛大な御心…」
荒御魂として暴走寸前だというのに、この龍神から感じ取れる感情は怒りや憎しみではない。
『苦悩』『自己嫌悪』『自罰』だ…。
不本意に暴れさせられることへの抵抗と嫌悪の感情が、強く出ている。
自らの在り方を歪める聖杯に必死に抗おうとしている、高潔ともいえる精神性を持っているようだ。
姿こそ違いはあれど、同じ自然神であるインドラからすれば、この神を高潔と認めざるを得なかった。
「…よかろう。神は本来悪しき蛇を殺す神ではあるが、同じ神としての好だ。荒御魂となった貴様の介錯を引き受けてやろう」
「実に慈悲深きご決断です」
「さっすがインドラさまー!」
水の塊に対し、言葉を投げかけた瞬間…。
「…!」
水の塊から距離をとるインドラとヴァジュラたち。
ゴゴゴゴ…と地から轟音が響き渡る。
同時に、水の塊から大量の魔力が放出され始めた。
ゴロゴロ…
「あれ?雷?」
「龍神の仕業でしょうか?」
「…であろうな。龍神は天候を操ると聞く」
ピシャァンッ…!!
「…が、この神を差し置いて雷とはな」
「異国の神とはいえ、インドラさまの御前で雷を起こすとは」
「調子乗ってるー?処しちゃうー?」
「まあ待て。仮にも、神々の王たるこの神と同じく天候を司る神だ。龍神と名のついた、その最たる姿を見てやらんでもない」
放出された魔力の影響か、神の権能であろう落雷が起きる。
とはいえ、目覚めたばかりだからか…インドラの操る雷とは比べるまでもない。
しかし、巨大な水の塊が徐々に神体となりつつあるのを、インドラもヴァジュラも感知し始めていた。
「これは、直に来ますね」
「うん。結構でかいよねー」
「………そら、お出ましだ」
ギィィィァァァァァッ…!!
「うわ!うるさっ!」
「龍の、咆哮ですか…」
「………」
辺り一帯に響き渡る、叫び声にも似た咆哮。
思わず耳を塞ぐヴァジュラたちと、顕現の様子をじっと見守るインドラ。
「ほう…姿はなかなかではないか」
山の二巻半は超えているであろう、朱く壮大な体。
髭や足、尾に絡みつくのは鈍色の炎雲。
天地を揺るがす咆哮を上げる、牙の覗く大きな口。
『………滅セ…』
「ははっ………そうか…」
聞こえてきた声に思わず乾いた笑いが出たが、すっと眼光に鋭い光を宿すインドラ。
『滅セ……滅セ…ッ!』
荒御魂として顕現した、朱竜の姿がそこにあった…。
「さて……おい、聞こえるか?人間」
朱竜の覚醒を目の当たりにしたインドラは、下流にいるマスターに向けて呼びかけた。
呼びかけたと言っても、上流から下流までのこの距離を叫ぶわけではない。
《はい、インドラ様!聞こえています!》
自身の千眼をマスターのもとにひとつ顕現させ、そこからマスターやマスターの兄の様子の確認、それから通話を試みただけの話だ。
実質、どこでも顕現出来る通信機のような扱いだ。
「龍神が覚醒した。これより、聖杯の魔力による暴走が始まるであろう。お前は手筈通り、簡易召喚で防御壁を持つ英霊たちを召喚せよ!河川敷にいる人間どもは、何としても守れ!」
《はい!わかりました!》
「英霊の当てはあるか?」
《ジャンヌやアルキャス、マーリンやレディアヴァロンのようなサポーターたちがいます!》
「夢魔どもは気に食わんが…やむを得まい。龍神や神の攻撃の余波は配慮してやれそうにない」
《十分です!私は兄を連れて河川敷に移動します!そこで防御壁を切らさないようにして、インドラ様のお帰りをお待ちしています!》
「…お前の想いは、届いたか?」
《…どうでしょうね。ただ、もうこの特異点をどうこうする気は失せたようです》
「………」
千眼を通して、マスターの兄を確認してみる。
先程のような自棄に満ちた顔が、何かが吹っ切れたかのようなさっぱりとした顔になっている。
恐らく、妹が本気でぶつかってきたことで何かが変わってきたのだろう。
それはそれとして、突然現れた大きな目に警戒している様子ではあるが…。
「まあよい。そちらは任せたぞ」
《はい!》
マスターの返事を聞いたインドラは、通話を切る。
千眼のひとつは、マスターのもとに残してきた。
こうも距離があれば、駆けつけるにも時間をロスしかねないからだ。
「さて…では先程の宣言通り、貴様の介錯を請け負うとするか。多少は気張れよ、龍神」
朱竜に向けてそう呼びかけたインドラは、自らの霊基を変えた…。
「えっ!インドラさま!この姿なの!?」
「インドラさま自らこのお姿をお選びになるとは…」
「黙っていろ、お前たち」
そう。インドラが変えた霊基は、第三再臨の本気を出した時の姿だった。
その姿を何より嫌がるインドラを知っているヴァジュラからすれば、あまりにも予想外だった。
「確かに、この姿は神にとっては忌々しい姿だ。だが、異国の高潔な自然神の介錯を請け負ったのだ。ならば本気を出さずしてどうする?」
インドラは、朱竜の姿を確認する。
インドラから溢れ出る大量の魔力と雷霆に反応したためか、あちらの魔力放出量もさらに増してきている。
暴走状態ならば、いつ暴れ出してもおかしくない。
神の目線からすれば、この街などほんの小さなひとつの集落に過ぎない。
ひと暴れしただけで、壊滅するのは間違いない。
「…ッ」
マスターのもとにある千眼から、様子を窺う。
簡易召喚されたアルトリア・キャスターが、河川敷一帯に対粛清防御を張っている。
あちらは大丈夫そうだな…。
さて、では殺すか…。
ひとまず安心したインドラは、赤と青のヴァジュラを手に、朱竜に向けて放った。
「ダディーチャの骨よ…走れ!」
投擲されたヴァジュラが、朱竜の体に傷をつける。
『…滅セ…滅セ…』
攻撃を受けた朱竜が、インドラの方を向く。
先程と同じく『滅セ』とだけ言いながら…。
「我が天に命ずる…消し飛ばせ…ッ!」
腕を高らかに掲げ、指をパチンッと鳴らす。
ドシャァァッ!!
朱竜の頭上から雷を落とす。
どうやら防御は固くない様子だ。
しかし目立った攻撃はして来ず、先程からずっと同じ言葉を言い続けている。
「…スパルナの飛翔が如く…ッ!」
何か妙だと感じながらも、四方八方からヴァジュラの雷撃を浴びせていくインドラ。
『滅セ…滅セ…』
聖杯で精神が冒された影響なのか…
先程から『滅セ』としか言わない上に、こちらに一切の攻撃をしてこない朱竜。
野卑な性格に引っ張られるこの姿では、インドラの苛立ちが募っていくばかりだった。
「クソが。何がしてえんだ、あの龍神は…」
インドラの攻撃を受けたからか、少なくともダメージは負っている様子だ。
だが上空を浮遊しているだけで、インドラや河川敷にいるマスターたちには一切の攻撃をしてこない。
そして極めつけが、あの言葉。
『滅セ……滅セ……』
「チッ…」
再び聞こえた声に、インドラの苛立ちが最骨頂に達してしまった。
「ああああ…ッ!!」
朱竜の体を駆け登り、頭にまで到達すると、軸足を蹴り上げて宙に舞うインドラの体。
「うざってぇぇ…ッ!!」
その叫びと共に、雷撃を纏った踵落としを頭部に喰らわせるインドラ。
ギィィィァァァァァッ!!
踵落としを喰らった朱竜の前にインドラが現れた。
「てめえは何がしたい!?滅せと繰り返すくせしてやり返しにも来ねえのは何のつもりだ…ッ!?」
『………』
「何とか言ったらどうだ!?あぁ!?」
インドラの剣幕に、朱竜は先程のような途切れ途切れの言葉を紡ぐ。
『………我ヲ…滅セ…』
「…何だと?」
『…我ガ身ノ…炉ヲ剥ガセ…』
「炉…聖杯のことか?」
『我ガ身ヲ…元ノ川ニ戻セ……戦ハ…好マヌ…』
「………」
『雷霆神…貴様ノ雷デ……我ヲ貫ケ』
「…いいんだな?それで」
『我ハ…川ニ戻ルノミ……我ノ…望ミナリ』
「………よかろう。お前の望みは請け負った」
朱竜が一切の攻撃をしてこなかったのは、敵意がなかったからだった。
魔力を与え続ける聖杯を剥がして、自分の姿を元の川に戻して欲しい…戦は好まない…。
確かに、そう言っていた。
聖杯によって暴走させられていたかと思いきや、むしろ精神汚染を跳ね除けて『自分を殺せ』と言い続けていたのだ。
聖杯からの支配をひたすら耐え続け、暴走せずにいた朱竜の精神性はあまりにも見事なものだった。
「高潔たる龍神よ…ならば神の神雷で解放してやる。貴様も、この街もな」
インドラは、先程マスターから預かった三画分の令呪を元に、神雷解放の準備をしていく…。
「これは山の翼を断つ刃…!」
令呪一画…
「天を広げ支える救済の光…!」
令呪二画…
「そして…我が契約者の故郷を守る刃とならん!」
令呪三画…
「それ即ち!」
「「神の雷!!」」
そうだ…神が解放してやる…。
龍神…貴様の在り方も…
あの小僧の孤独も…
そして、あいつの生まれ故郷もだ…。
「「「神の雷…ッ!!」」」
それは、黒を纏った白い雷光…。
魔を消し去り、人々を解放する神の雷…。
『…嗚呼…………眩い…な…』
「…!」
微かに、朱竜の声が聞こえた気がした。
地上のみならず、辺り一帯は眩い雷光に包まれているため、その姿は見えない…。
「インドラさま!川!川に水が流れてるよー!」
「龍神の、在るべき姿ですね」
暫しの静寂が訪れたのも束の間、水の流れる音が聞こえてきた。
地上を見下ろすと、そこに在るのは大きな川…。
「…なるほど。確かにその姿の方が、貴様の性に合っているな、龍神よ」
本来の姿に戻った龍神に、語りかけるインドラ。
返事は返ってこない。
しかしそれは龍神が聖杯から解放され、眠りについた証でもある。
「ん?あれは…」
何かを見つけたヴァジュラが、川の中に飛び込む。
そして、水から上がったヴァジュラの手には…
「聖杯だー!」
「はぁ…。此度も随分と振り回されたものだ…」
特異点の原因、聖杯だった。
とりあえず失くさないようにと、インドラの宝物庫の中にしまっておくことにした。
「では、あいつのもとへ戻るとするか」
「そうですね」
「はーい!」
霊基をいつもの姿に戻したインドラは、アイラーヴァタに腰掛け、マスターが待っている下流に向かうのであった…。