その物悲しさを塗り潰そうか
その物悲しさを塗り潰そうか
「いい香り…」
小さな鍋に入った液体を、カップに注ぐ。
時刻は21時前。寝る前に温かいものが飲みたくなった私は、ホットワインを作ったのだ。
といっても私は酒が飲めないので、葡萄ジュースとシナモンと生姜とクローブを鍋で温めた所謂ノンアルコールのホットワインなのだが…。
ふーふー…と息を吹きながら、こくりと一口…。
「はぁ…」
ちょうどいい葡萄の酸味とスパイスの風味が、心をほっと落ち着かせてくれる…。
早いもので、季節はもう秋にさしかかる。
秋はどこか物悲しさを感じる季節…。
温かく、それでいて程よい甘さと酸味のホットワインが身に染みる時季だ。
ノンアルコールではあるのだが…。
「もう秋かぁ…」
だが、秋が嫌いなわけではない。
厳しい夏の暑さが徐々に和らぎ、湿気を纏った空気がひんやりと澄んだ空気に変わり、金木犀の香りを届けてくれる…。
食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋…新しい何かに触れてみるには、とてもいい季節。
そう、秋はとてもいい季節なのだ。
決してハロなんとかという行事だけではないのだ。
決して。
プシューッ
「邪魔するぞ」
「あ、インドラ様…」
私が必死に自分に言い聞かせていると、ドアが開いてインドラ様がやってきた。
「ん?何やら甘い香りがするが…」
近づいてきたインドラ様が、私の持つホットワインの香りに気づいたらしい。
私が手に持つカップを覗き込む。
「ホットワインです」
「ホットワイン?」
「インドラ様、確かワインは召し上がったことはありますよね?」
「ワイン…葡萄から作られる酒か?」
「はい。そのワインにスパイスを混ぜて温めたものがホットワインです。これは葡萄ジュースにスパイスを混ぜたノンアルホットワインですけど」
「…酒を温めて飲むのか?」
どうやら温めた酒は飲んだことがないのか、少々懐疑的らしいインドラ様。
カップの中身を、訝しげな表情で見つめている。
「熱燗とか…飲んだことないんですか?」
「熱燗?何だそれは」
「日本酒を温めたものです。お酒は温め過ぎるとアルコールが飛んでしまうのですが、ある一定の温度までは温めて飲むことが出来ますよ」
「そもそも温める必要があるのか?」
「寒い時季なら、熱燗の出番ですよ」
「…まったく。そのような酒の飲み方があるのならば、何故神に献上しなかった?」
「日本酒を温めるだけなので、すでに厨房組が作ったことがあるのかと思いまして…」
今までの酒宴で、誰も熱燗を頼まなかったのかな?
インドラ様も冬を経験済みのはずなのに…。
「で、お前の飲んでいるそれは…」
「これはお酒じゃなくて葡萄ジュースがベースですが、ホットワイン自体はスパイスが体を温めてくれますから、寒い時季にぴったりですよ」
「…」
再びじっとカップを見つめるインドラ様。
欲しそう…。
めっちゃ欲しそうな目をしてる…。
ように、見えるけど…。
「…」
「えっと…ワインはないので、今私が飲んでいるのと同じものなら…」
「それでよい。献上せよ」
「あ、わかりました…」
どうやら私の勘違いではなかったらしい。
インドラ様からの要請を受け、私はもう一杯分のノンアルホットワイン作りに取り掛かった。
とは言うが、先程作った余りを温め直すだけだ。
鍋を火にかけ、少し冷め気味のノンアルワインをじっくり温めていく。
そしてカップに注ぎ、インドラ様へ差し出す。
「熱いのでお気をつけください」
「ん…」
まあ神様だし大丈夫かもしれないと思いつつ、やけどして文句を言われたくないので、念のための文言を添えておく。
それで怒る神様ではないと思うが。
インドラ様はカップを手に取り、中身をじっと見つめている。
「…」
そしてゆっくりと中身を啜る…。
わりと熱いはずだけど、本当に大丈夫だろうか?
「………ふむ」
カップから口を離し、独り言を呟く。
「…確かに果実水ではある。だが、これは…酒とは違うが僅かな辛味…というべきか?よく知らんが妙に馴染みがある味だな」
「スパイスが入っていますからね」
そもそもインドはスパイスの国でもあるから、薬味には馴染みがあるのだろう。
普段は酒しか飲まないインドラ様も、食事に使われるスパイスは口にしたことがあるはずだ。
「…ま、少々物足りんが悪くはない。次は酒の入ったものを作れ。よいな?」
「あ、はい…」
明日、シミュレーター動かしてワイン買っとこ…。
インドラ様のことだから、いつ作れって言ってくるか分からないし…。
夜にほっとひと息つきたくてこれを作ったのに、もう明日の予定を考えている自分がいる。
何してんだろ…と頭の片隅で思いながら、残ったノンアルホットワインを飲む。
「そもそもお前…今までこのようなものを飲んでいたか?神は初見であったが」
「一応、季節は秋になりましたから。私の中では葡萄は秋の味なので、涼しくて少し物悲しい時季には飲みたくなるんですよね」
「物悲しい…だと?」
「あ、何か嫌なことがあったとか、そういうわけじゃないですからね?季節の移り変わりを、そう感じるってだけの話ですから」
いかんいかん…。
この神様の前で、下手に気分が沈むとか調子が悪いとか言ってしまえば、何かあったのかと根掘り葉掘り事情聴取されかねない…。
心配していただけてるだけ、とてもありがたいことなんだけど…。
「些か心外であるな」
「え?」
コトッ…とカップをテーブルに置き、座っていた椅子から立ち上がる。
そして今度は、ベッドに腰掛ける私の隣に腰を下ろしたインドラ様。
「この神がここまで近くにいるというのに、感傷に浸る余裕があると申すか」
「い、いや…本当に悲しい気分になるわけじゃ…」
「似たようなものであろう」
どこか不満そうな声でそう言ったインドラ様は、私の持つ空のカップを取り上げる。
「それでも尚物悲しい…というのならば致し方ない」
「あっ…」
ドサッ…
「…ッ!」
気づけば、部屋の天井が視界に映る…。
そして、私を見下ろすインドラ様と目が合う…。
「人肌恋しい…と言ったか?ならばその空いた隙間というものを、今この場で…神が埋めてやる必要があるようだな?」
「え…いや、ちょっ…インドラ様?」
妖艶さと慈愛…。
そのどちらも含んだかのような目が、私の姿を捕らえて離そうとしない…。
「さて…今宵は特別に甘やかしてやるとするか…」
「…ッ!?」
そっと私の唇を塞ぐインドラ様。
絡みつく舌は、いつもよりも優しく…温かい…。
まるで傷ついたものを、労るかのような…。
クチュ…と唇が離される…。
「…はぁ…ッ」
耐えきれず吐息を洩らした私を見て、満足げに笑うインドラ様。
やっぱりこの神様の前で、迂闊に寂しいとか悲しいとか言っちゃダメだ…うん。
〜おまけ〜
「おや?またメニューが変わりましたね」
「ああ、秋だからな」
食堂にて…秋冬に切り替わったメニューを眺めるアルジュナと、厨房に立つエミヤ。
「ホットチョコレート…」
「ん?興味があるのか?」
メニューの端にある『ホットチョコレート』の文字を見て、エミヤに尋ねる。
「チョコレートといえばバレンタインの印象がありますが、秋からのメニューなのですね」
「ああ、バレンタインは所謂行事事だからな。本来チョコレートは季節は問わないが、少し涼しくなってきた時季から飲むホットチョコレートも、なかなか悪くないものだぞ?」
「なるほど。でしたらひとついただけますか?実物を見るのも初めてなもので…」
「承知した。さほど時間はかからないが、少し待っていてくれたまえ」
注文を受け、作業に取り掛かるエミヤ。
空いている席を探そうと、アルジュナが食堂内を見渡していると…
「…!」
「ん?アルジュナか」
カルナが入って来た。
またこいつか…と思わずため息をつくアルジュナ。
「わかっていると思うが…」
「わかっている。争う気はない」
互いに、不戦の誓いをする二人。
それもそのはず。
食堂で揉め事を起こした暁には、台所の守護者からの制裁が待ち受けているからだ…。
今まで何度、強化魔術でコーティングされたおたまを頭に喰らったことか…。
「待たせたな」
「!…ありがとうございます」
エミヤから声がかかり、振り向くアルジュナ。
甘く濃厚な香りを漂わせるホットチョコレート。
カップを受け取ると、少し熱かった。
「大英雄相手に差し出がましいと思うが、やけどにはくれぐれも気をつけてくれたまえよ?」
「いえ、お心遣い感謝致します」
エミヤに礼を言うと、空いた席に腰を下ろすアルジュナ。
そしてカップを手に持った時だった…。
「すまない、アルジュナ」
「おや?どうかされましたか?」
つい先程聞いた声…顔を上げると、エミヤが厨房から出てきていた。
「そのホットチョコレートにつけ忘れたものがあってな…お好みで入れてみてくれ」
「これは…」
「塩と胡椒だ。どちらかを入れて楽しんでくれ」
「チョコレートに…ですか?」
「お節介でしかないが、なかなかいけるぞ?もちろんそのまま飲んでもらっても構わない」
「そうなのですね…わざわざありがとうございます」
去っていくエミヤを見送り、手元の塩と胡椒を見つめるアルジュナ。
どちらを入れてみるべきか…。
少し悩んだ末に、アルジュナは塩を入れてみることにした。
だが、まず最初は普通に飲んでみようと考え、カップを持ち一口含む…。
「!…甘い」
濃厚な甘みが、口いっぱいに広がる。
ただ甘いだけではなく、僅かにカカオのほろ苦さも感じ取れる、バランスの良い甘みだった。
正直、これだけでも十分美味しく飲めると思ったアルジュナだったが、先程の塩をほんのひとつまみだけ入れてスプーンで混ぜる。
そして、もう一口…。
「!…おや、これは…」
思わず感嘆の声が洩れる。
先程飲んだ時よりも、チョコレートの甘さが一層引き立っていたからだ。
僅かな塩味を加えるだけで、ここまで味わいが変わるものなのか…。
私は確実に、塩のポテンシャルをなめていた…。
いや、この場合はチョコレートのポテンシャルをなめていた…になるのか?
はて、どちらなのだろう?
斜め上の感想を抱きながらも、美味しくホットチョコレートを飲み干したアルジュナ。
返却口にカップを置き、エミヤに声をかける。
「ごちそうさまでした。とても美味しくいただくことが出来ました」
「おや、そうか。ならば何よりだ」
「まさか僅かな塩を入れるだけで、あんなに変わるとは思ってもいませんでした」
「そうか、塩を入れたのだな。大英雄の好みに合ったようで何よりだ」
「恐縮です」
頭を下げて去ろうとしたアルジュナだったのだが…。
「馳走になった」
「…!」
「ああ、お粗末様」
後ろから、カルナの声が聞こえてきた。
出口へ向かっていた足を、思わず止めてしまう。
「やはり、ホットチョコレートは美味かった」
「そうか。何よりだ」
「…」
あいつもホットチョコレートを飲んでいたのか…。
同じものを頼んでいたことを知り、頭を抱えたくなってきたアルジュナ。
「しかし、大丈夫だったか?」
「ああ、問題ない。美味かったぞ」
「確かにチョコレートと合うとはいえ、君の口から唐辛子を入れてみたいという言葉が出るとは思わなかったのでな」
「!?」
「カカオも唐辛子もスパイスの一種だ。ガネーシャ神から『絶対に合うから試してみたらどうか』と言われていたのでな」
「また通な味付けを知っているものだな」
カルナとエミヤの会話を聞き、その内容でフリーズするアルジュナ。
唐…辛子……だと?
チョコレートに、唐辛子を…?
奴は、何を考えて………いや待て、確かにどちらもスパイスではあるのか?
塩を入れただけであそこまで味が引き立った…ならば唐辛子も甘さが引き立つのか?
それとも何か、別の味になるのか…?
あれこれ考えているアルジュナを一瞬チラッと見たカルナだったが、何も言わずに横を通り過ぎて食堂を出ていった。
その背中をみて、思わず声をかけそうになるアルジュナだったが…
(いや待て、流石に奴に『味はどうだった?』などと聞いた暁には『自分で確かめろ』と返されかねない上に仮にも宿敵である男に聞けるわけがない!正直気にはなるが…いやいや、味が悪かったのならあの男があんな感想を言うはずがない。チョコレートと唐辛子は合う、それでいい。いや、だが…)
「…?」
立ち止まり悶々と考えるアルジュナの横を、英霊たちが不思議そうな顔で見ながら、通り過ぎていく。
しばらく立ち尽くしていたアルジュナだったが…。
「…ん?どうかしたか?」
エミヤの前に来ると、小さな声で呟く…。
「………ホットチョコレートをもう一杯…唐辛子を少々入れていただけますか?」
「(ああ、なるほどな…)承知した」
誘惑には抗えなかったアルジュナ…。
そして状況を察しながら、再びホットチョコレートを作りにかかるエミヤであった…。
END