似て非なるもの
似て非なるもの
「おい、人間」
「はい?」
「化粧はしろよ?」
「しますよ?」
朝、マイルームにて。
顔を洗って化粧水を叩き込んでいる私に向け、部屋でくつろぐインドラ様が言葉を放つ。
「神が逐一口を出さねば、お前はまた身嗜みに手を抜きかねんからな」
「…」
インドラ様は、トレーニングの予定がある日や有事の時には特に言わないが、それ以外はなるべく化粧をしろと口うるさく言ってくる。
確かに最低限の身嗜みではあるので、私もなるべく化粧をするようにはしてるが、こうして同じ部屋で寝泊まりをした日の朝には必ず言われる。
信用ないなぁ…と思いつつ、私がズボラなのは否定出来ないので返す言葉もない。
下地を整えてファンデーションを乗せ、簡単なアイメイクを終わらせる。
ちなみにインドラ様は、薄化粧でも濃い化粧でも特に感想は言わない。
『化粧をしている』ならこだわりはないらしく、ばっちりメイクが苦手な私からすれば正直ありがたくはある。
いちいちメイクの種類まで指摘されたら、たまったものではないので…。
「え?」
と、いつも使っている口紅のキャップを開けた私。
その中身を見て、思わず声を出してしまった。
「ん?どうした?」
私の声に反応したインドラ様が、立ち上がってこちらに近づいてくる。
「ああ、いえ…口紅が終了しました…」
「…使い切ったということか?」
「いえ、使い切る前にダメになりました…」
「何だそれは」
状況を説明すると…。
キャップを開けたら、ぽっきりと折れた口紅の中身がキャップ側に張り付いていた…。
…
…
いや、不良品!?
これまだ半分も使ってなかったけど!?
ちゃんと引っ込めておいたのに、何で中身が根元付近から折れてるわけ!?
ちょっと形がぐちゃぐちゃになってるから、これの再利用は難しそうだ。
とりあえず、キャップを閉じてデスクの隅に置いた私は、ポーチから別のリップを取り出した。
「あ、他にもあるので化粧自体は問題ないです」
「…ならばよいが」
「…」
大したことではないと察したインドラ様だが、私は別のリップを塗りながら、口紅の容器を眺める。
この口紅、色自体は他でも代用出来る。
だが私は、この口紅の容器自体を気に入っていた。
最近のコスメは外装のデザインも可愛いものや綺麗なものが多いから、よくあることのはず。
意図せず中身が終了してしまったが…。
せめて、中は綺麗にしようかな…。
リップを塗り終わって髪に櫛を入れた私は、先程の口紅を手に取って、中身をティッシュや綿棒等で取り出し始める。
「ん?何をしている?」
「これの中身を綺麗にしようかと思いまして」
当然私の行動に、インドラ様から指摘が入る。
「どうせ捨てるものであろう」
「…この口紅の容器、気に入ってたんですよね」
「容器?たかだか容れ物であろう?中身である紅がなくなったのであれば、わざわざ手元に置く必要があるのか?」
まあ、ごもっともではある。
だけどこれは、愛着の問題なのだろう。
「この容器のデザインが気に入ってたんです。模様が綺麗なので…最近の化粧品って、手に取ってもらいやすいように外装をお洒落にしてたりしますから」
「…まったくわからん、とは言わんが」
本来必要としている中身がなくなれば、外装も必要なくなる…それも間違いではないし、なんなら人によるとは思う。
でも、また似たようなものを買えばいい話ではあるのに、捨てるにはどこかもったいないと思ってしまうのだ。
私は中身を取り出した容器に、メイク落としが染み込んだコットンを詰め込んで、念入りに綺麗にしていく。
終わったら軽く水洗いすればいい。
「…で、いつまで掃除に精を出す気だ?」
「あっ…」
そこまでしたところで、私はこの後朝食を食べに行く予定があることを、今思い出した。
「す、すみませんインドラ様!」
「ま、神は朝餉を食えずともどうとでもなるからよいが…身支度で神を必要以上に待たせるとはいい度胸だな」
「不敬が過ぎますよ」
「待たせすぎー!」
「お、お待たせして本当にすみませんでした…」
「まったく…」
心底呆れた様子でドアに向かうインドラ様を、慌てて追いかける私。
特別怒られるわけではなかったが、インドラ様やヴァジュラたちから小言を浴びせられながら食堂へと向かうことになってしまった…。
プシューッ
マイルームに戻った私は、先程の口紅の容器からコットンを取り出して中身を覗く。
うっすらと色が染み込んではいるが、口紅自体はすべて拭き取れたらしい。
シンクの水で軽く洗い流し、水気を拭き取ってからデスクの上に置く。
どうせなら、何かの容れ物にしたいなぁ…。
でもこんなに小さい容れ物に、何を入れたらいいのかも思いつかない…。
いっそ空のままデスクに飾っておくか…と考えていた私の視界に、容器を摘む大きな手が映った。
「えっ…インドラ様?」
「………」
インドラ様が、何も言わずに容器を見つめている。
そしてしばらく見つめた後、容器をヴァジュラに手渡して、ひと言…。
「持っていけ」
「はーい!」
「えっ!?」
インドラ様の命令に元気よく返事をした少女体ヴァジュラは、容器を持ったまま部屋を飛び出していってしまった。
「あの、インドラ様…何を!?」
「暫し待っていろ」
訳を尋ねるも、それだけ言ってベッドに腰を下ろすインドラ様。
暫し待っていろ…ってことは、処分されるわけじゃなさそうだけど…。
でも、せめて…詳しく説明してから持って行ってくれないかな?
微妙にもやもやした気持ちを抱えながら、少女体ヴァジュラの帰りを待つことになった…。
〜1時間後〜
プシューッ
「ただいまー!」
「あっ」
ドアが開き、少女体ヴァジュラが戻って来た。
「…出来たか?」
「んーとね、同じものは作れなかったけど、代わりに実用性のあるものにしてみたって言ってたよー」
「…まあよい。そら、受け取れ」
「はいこれー」
「えっ?あ、ありがとう?」
少女体ヴァジュラから受け取ったのは、先程持ち去った口紅の容器だった。
とりあえずキャップを開けてみる。
「…あれ?」
中に何かが入っている。
スティックを捻ってみると、中から白っぽいリップバームが出てきた。
「これって…」
「たまたま口紅の材料がなかったんだって。でも保湿用のリップクリームの材料があったから、それを入れたって言ってたよー」
「ちなみに、誰が?」
「技術顧問が」
ダヴィンチちゃん…ありがとう。
いや、それ以前に…。
「…ありがとうございます、インドラ様」
用途のなくなったお気に入りの容器を、実用性のあるリップクリームとして生まれ変わらせることを考案してくれたインドラ様に、感謝する私。
「お前たち人間の持つ物への愛着は、神々の王たるこの神からすればとるに足らんものだ。が、かといってそれを無下にする程の無粋さはない。形あるものといえど、いずれは無と化す。ならば形として在る間に価値を与えてやるのも神の務めではある」
「…」
「だが、今回は気まぐれに過ぎん。二度三度と安請け合いをする程神は暇ではない。次回からはお前自身が依頼することだな」
「…はい、ありがとうございます」
私がお礼を言うと、インドラ様は少しだけそっぽを向いて、スキットルの酒を煽り始めた。
そのスキットルから視線を外し、私は手元にあるリップクリームを見つめる…。
白い艶のあるスティック…その両端にはお洒落な金色の模様が、一周するように描かれている。
私が、この容器を気に入っていた理由…。
それは、インドラ様のスキットルのデザインと僅かに似ているからだ…。
似て非なるものではあるが、どこか同じものを持っているかのような、本当に小さな自己満足…。
今回インドラ様が気を回してくれたのは、本当にただの気まぐれなのか…それとも…
「………」
どうだろうな…。
気まぐれな神様の考えは、わからないや…。
〜おまけ〜
「おや、ラーマ」
「お、アルジュナか。いい朝だな」
「おはようございます。いい朝ですね」
朝の廊下で、ラーマと出くわしたアルジュナ。
「汝も食堂か?」
「はい。よろしければご一緒しても?」
「ああ、当然だ」
二つ返事で承諾したラーマと共に、食堂へ向かうアルジュナ。
朝の食堂は、やはり混み合っている。
「おや、どうしたアルジュナ?」
食堂に着くなり、何やらキョロキョロと食堂全体を見渡しているアルジュナに気づいたラーマ。
「誰か探しているのか?」
「いえ、もしインドラ神がいたらと思いまして…」
「…汝も大変だな」
「しかし、どうやらいらっしゃらないようです」
「ならよかった…と言っていいものなのか…」
毎朝こんな調子なのだろうか…。
若干不憫に思ったラーマだったが、あの神ならば仕方ないとも思ってしまう。
「おや?」
「ん?どうした?」
「マスターがいらっしゃいますね」
厨房に立つエミヤから、朝食の御膳を受け取るマスターの姿を発見したアルジュナ。
見たところ、今日はひとりのようだ。
「おはようございます、マスター」
「おはよう、マスター」
「あ、おはよう。アルジュナ、ラーマ」
近づいて声をかける二人。
気づいたマスターが挨拶を返す。
「もしひとりなら、こちらで共に食べないか?」
「うん、ひとりだけど…いいの?」
「もちろんです」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
二人がすでにとった席の隣に、御膳を置いて椅子に座るマスター。
「「「いただきます」」」
マスターの習慣に倣い『いただきます』を言って食事に手をつけていく…。
「そういえば、マスター」
「ん?」
ある程度食べ進めたところで、ラーマが口を開く。
「以前より、食事のスピードが遅くなったか?ああいや、味わって食べるのは大事なことではあるのだがな?」
「食べ過ぎないようにしてるんだ」
「食べ過ぎないように?それはつまり、食事の量を減らしているということですか?」
その言葉を聞いたアルジュナが、心配そうにマスターに尋ねる。
「減量というよりは、単に食べ過ぎちゃうと動くのが苦しくなるし、早食いは体にも悪いって言われたからさ。しっかり噛んで食べれば満腹を感じやすいし、食後の眠気も比較的抑えられるみたいだから。それでゆっくり食べるようにしてるだけだよ」
「ああ、なるほど。健康に悪い食べ方を改めただけなのですね。でしたら安心しました」
「確かに、やたら量を食べればいいというわけではないからな。食べ物だけでなく、食べ方の質も大事なのだろう」
ラーマがそう言った直後、脳内に某円卓の大食い騎士が浮かんだが、本当に呼び寄せそうなので急いでお帰りいただいた3人。
「「「ごちそうさまでした」」」
ほぼ同時に食べ終わった3人は、手を合わせて『ごちそうさま』を口にした。
そのまま席を立とうとした時、マスターの服のポケットから何かが落ちた。
「おや?何か落とされましたね」
いち早く気づいたアルジュナが、それを拾う。
マスターのリップクリームだった。
「あ、ありがとう…アルジュナ」
「いえ、大したことでは………ッ!?」
マスターに差し出したリップクリームを何気なく見たアルジュナは、凍りついた。
「アルジュナ?」
「どうしたの?」
マスターとラーマが異変に気づき、アルジュナの顔色を窺うが、当のアルジュナはマスターが持つリップクリームから目が離せない。
白地に、金色の模様…。
私の、考え過ぎだろうか…?
これは、まるで…
インドラ神の、酒器のような…。
「うっ…」
そう思った瞬間、シクシクと悲鳴を上げだす胃…。
「アルジュナ?大丈夫?」
アルジュナの胃痛の要因に気づいていないマスターと、何かに気づいた様子のラーマ。
「あ、あー…マスター。アルジュナは余が医務室に連れて行く。だから心配するな」
「?…うん、お願いね。じゃあ食器片付けておくね」
「ああ、悪いな」
ひとり意味のわからないマスターを置いて、アルジュナに肩を貸しながら食堂を出るラーマ。
そして少し離れたところで、アルジュナに尋ねる。
「先程、何かあったのか?」
「……マスターの、リップクリーム」
「ん?ああ、先程汝が拾ったものか?」
「………インドラ神の、酒器の…模様…」
「酒器?あ、あー………なるほどなぁ…」
単語を聞いて、すべてを察したラーマ。
だが流石のラーマも頭を抱えるしかない。
「…誰が想像出来るという」
「…すみませんでした、ラーマ」
「謝るな。誰も悪くない………インドラ神以外は」
たまたま模様が似ていたリップクリームをマスターが所持していただけの話なので、今回はインドラには非はないはずなのだが…。
「まったく、あの神は…少しくらいは自重してもらいたいものだな…」
勘違いと日頃の行いにより、知らぬ間に濡れ衣を着せられることになるインドラなのであった…。
END