恵みに変えて、私たちへ
恵みに変えて、私たちへ
「あれ?」
とある微小特異点にて。
聖杯の回収を終えて待機中だった私は、レイシフト先の空を見上げて思わず呟く。
「どうしました?マスターさま」
「今、ポツッときたような…」
「雨ですか?」
「うん。でも空は晴れてるんだよね」
今回のレイシフトメンバーの小町さんも、私につられて空を見上げる。
たった今、頭の上にポツッと雫が落ちてきたのだ。
「あら、確かに。ほんの僅かですが、ぽつぽつと降ってきましたね」
空は青く澄み渡っており、雨雲とは違う薄くて白い雲が浮かんでいるのだが、小雨というには少ない雨が降っている。
「狐の嫁入り…であるか」
「お父様!?」
「あ、篁さん」
不意に実体化して話に入ってきたのは、小町さんのお父さんにあたる篁さんだった。
「狐の嫁入りって、晴れてるのに雨が降る天気雨の呼び名でしたっけ?」
「然り。その他『天泣』とも」
「天泣?」
「雲なき空より降り注ぐ奇怪な雨。それ即ち、天が泣くが如し…故に天泣と名付けられた模様」
「まあ、流石はお父様です」
「天が泣く…」
篁さんの説明を聞きながら、ぽつぽつと雨が降り注ぐ空を見つめる。
あの神様も、泣いたりするのかな?
いや、誰かの前でまずそんな姿を見せるはずがないと思ってるけど…。
「マスターさま?いかがされました?」
「え、あ…何でもない」
しばらくぼーっとしていたせいか…
何かあったのではと思ったのか、小町さんが心配そうに顔を覗き込んできた。
なので、私はこう返しておく。
「雨には400種類以上の呼び名があるって、聞いたことがあるからさ…」
「ええ、そうですね。雨は詩歌において、詠み手の心情を表すのに欠かせないものですから」
「そうだよね。短歌や俳句みたいな詩歌には、必ず季語が入るからね」
「はい。詩歌に限らず、少女漫画においても雨の表現は使われています。悲観的な場面に多く使われますが、それを乗り越えた物語の結末は、とても晴れやかな…綺麗な虹がかかったかのようなものにも感じます。ですからあたしは、雨は憂いだけではないと思いますよ」
「…小町さんの感性は素敵だね」
「まあ、ありがとうございます。ですが雨の魅力については、マスターさまの方がよくご存じのはずでは?」
「…ッ!?」
小町さんに意味ありげな視線で微笑まれ、私の顔に熱が集まってきた。
「あらあら。心当たりがおありなのですね?」
「小町」
「ふふっ…少しからかい過ぎてしまいましたね」
「…ッ」
篁さんに咎められながらも、小町さんはにこにことした笑顔のままだ。
これがもう少し強い雨だったら…。
熱くなった顔の火照りが冷やせるのに…。
そんなことを思っていた私の通信機が鳴り、帰還の準備が始まるのだった…。
「はぁ…」
カルデアへ帰還後、部屋に戻って真っ先にシャワーを浴びた私は、温かいお茶を淹れるためにケトルのお湯を沸かす。
さっきの雨で、少しだけ体が冷えたようだ。
プシューッ
「ん?帰って来ていたか」
「あ、インドラ様」
と、ドアが開いてインドラ様が部屋に入ってきた。
よく見ると、ヴァジュラたちが何かを持っている。
「あれ?それは?」
「赤い弓兵から預かった。栗蒸し羊羹…といったか」
「今日のおやつだってー」
「インドラさまとマスターの分だそうです」
薄く切った栗蒸し羊羹が、お皿に盛られていた。
今日のおやつの時間はレイシフト先にいたので、エミヤが気を利かせてとっておいてくれたようだ。
「ありがとうございます。お茶は淹れますか?」
「神は酒でよい」
「わかりました」
いいタイミングで沸いたお湯を、急須に注ぐ。
インドラ様はいらないと言ったので、3人分。
「もしかして、ぼくたちの分?」
「うん。よかったらヴァジュラたちも」
「インドラさま、よろしいでしょうか?」
「好きにしろ」
「やったー!んじゃ、いただきー!」
インドラ様が羊羹に手をつけたタイミングで、私もヴァジュラも楊枝で1切れを摘む。
煉り羊羹と違って保存料や大量の砂糖を使わずに作ってあるから、優しい甘さだ…。
秋だなぁ…。
温かいお茶を啜りながら羊羹を摘んでいると、不意に私はレイシフト先での雨を思い出した。
チラッ…と隣に座るインドラ様に目をやる。
インドラ様には以前、日本での雨の呼び名が400種類を超えるという話をした。
自分の偉大さを理解しているが故の呼び名の多さだと解釈したインドラ様は、それはそれはご機嫌な様子だった。
でも今回のは、多分話したことがなかったはず。
「…その熱烈な視線は、今宵の褥への催促か?」
「!?」
「まったく。神が気づかんとでも思ったか」
わりと満更でもなさそうだが、やれやれと言いたげな様子のインドラ様が、意味深な笑みを浮かべてこちらを見下ろす。
「えっと、そういうつもりで見てたわけじゃ…」
「フッ…そう隠す必要はない。が、ならば敢えて問うとしよう。お前は、何故神を見つめていた?」
「…ちょっと変な質問になってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「構わん。今の神は気分がよい」
その気分がいい時に、こんな話をしていいのかな?
「………神様は、どんな時に泣きますか?」
「は?」
恐らく、完全に予想外な質問だったのだろう。
呆けたような声を出すインドラ様。
「………急に何の話だ」
「すみません、急に変な話をしてしまって…」
一応話してもいいと許可をもらった手前ではあるのだが、しばらくフリーズしてしまったインドラ様へ謝罪をしておく。
「実は、レイシフト先で雨に降られたんです」
「…それがどうかしたか?」
「空が晴れているのに降る雨は天気雨と呼ばれるんですが、他にもいろいろな呼び名がありまして…」
「ほう、またしても雨の呼び名か」
インドラ様の声が、若干弾む。
「狐の嫁入り、または天泣とも呼ぶんです」
「………前者はともかく、後者は何だ?天泣?」
「天が泣くと書いて、天泣と呼びます」
「………それが、先程の質問に繋がるわけか」
流石はインドラ様。理解が早い。
私の質問が唐突過ぎたのもあるんだけど。
「…まず前提として、神とて人間のように泣くものではある。悲しみに身を窶し喜びに噎ぶ…お前たちとさほど変わらん」
「そうなんですね…」
「だが、神はそのような無様は晒さん。神々の王からすれば大抵のことは些事だ。いちいち感情に任せて喚いたりなどはせん」
「至極当然ですね」
「インドラさまは特別だからねー」
「…」
うん、まあ…。
そう言うと思いました…。
人間みたく悔し泣きも嬉し泣きもするけど、自分は他の神とは違う…。
インドラ様なら、そう言うと思いましたよ…。
「…だが、かといって感情の機微に疎いわけでもない。数多の神々を超越する神とはいえ、些細な変化にも目を光らせるのもまた務めというものだ」
「…なるほど」
「故に、先程お前が言った…天泣と言ったか」
「はい」
「お前たち人間がどう呼ぼうが、神はさほど気に留めはせん。空が涙を流したように感じた…その感覚自体を否定する気はない。それはお前たち人間が、神が与える恵みの雨に愉快な名をつけ、讃える感性を否定することに他ならん」
「…!」
「むやみにその口を塞ごうものならば、神への信仰心を薄れさせる。明らかな侮蔑ならば話は別であるが、その程度は寛容に受け止めるのが神々の王の器というものだ」
「…そうなんですね」
やっぱりインドラ様は、人間への理解が深い。
恐怖で人間を服従させて都合のいい言葉を言わせるよりも、ある程度のことには目を瞑って、人間側から自由な賛辞の言葉を言わせる。
人間側からごく自然に慕われる術を理解した上でなのか、それとも自分の方針が人間側の心理とたまたま噛み合っていただけなのかはさておき…
態度は尊大だけど、それ以上に寛大な神様だ…。
「神が泣くか、だと?くだらん。神からの恵みを讃える人間どもは、皆その慈悲に咽び泣くものだ。つまり、神は人間どもの流す涙を天より眺めし者だ。そもそも、神が泣いてどうするという?」
「ーーー」
神様は、世界のシステムのようなもの。
それぞれ責務があって、存在している。
『神が泣いてどうするという?』
それは、そんな責務を背負う一柱の神様だからこそ出た言葉なんだろう。
でも、さっきインドラ様は言ってた。
『神とて人間のように泣くものではある』と。
自分は他の神様とは違うと言ってたけど『感情の機微に疎いわけでもない』とも言ってた。
だとしたらインドラ様は、悲しみや喜びを感じても泣かないわけじゃない。
自分が流す涙を恵みに変えて、私たちへ与えているってことなんじゃないか?
だってそれこそまさに、地上を潤す恵みだから…。
「おい、聞いているのか」
反応が鈍い私が不満だったのか、若干不機嫌そうにこちらを睨むインドラ様。
「…聞いています。聞き届けました」
「?ならばよいが」
私が勝手にそう思っているのも、悪くないよね。
だってインドラ様は気に留めないみたいだし。
「それよりも、もっとこちらへ寄らんか。神との間に隙間を作りおって…」
「わっ…」
ぐいっと体を抱き寄せられ、私の体はインドラ様にぴったりとくっつく。
「神々の王のそばに、おいそれと近寄れんと思う感情は理解出来るが、だからといって不自然な程の距離を置くでない」
インドラ様、もしかして距離を置かれたら寂しいって思ったりするのかな?
さっき泣きはしないって言ったけど、悲しみを感じないとは言ってなかった…。
そんな素直じゃない神様の移す行動は、きっと紛れもない本心からくるものなんだろうな…。
「…気をつけますね」
私は自分を抱き寄せた神様の体に、そっと自分の体重を預けて寄りかかった。
そしてその様子を見て、満足そうに私の頭を撫でるインドラ様なのであった…。
END