願いを加護に
願いを加護に
「…っ!!」
気がつくと、いつもの薄暗い部屋。
目の前に見えるのは、見慣れた天井。
「はぁッ……はぁ…ッ」
呼吸が乱れている。
体には嫌な汗もかいている。
「…はぁッ……はぁッ……」
体をゆっくりと起こして呼吸を落ち着かせる。
久しぶりに見た、恐ろしい夢。
悪夢自体はよく見ているが、ここまで怖い夢は久しぶりだった気がする。
まだ心臓がバクバクと激しく音を立てている…。
「…どうした」
「…ッ!」
隣から聞こえた声。
そして私と同じように体を起こす音。
「…悪夢か」
「…ッ」
上手く声が出ない私は、息を整えながら返事の代わりとして頷く。
でもこの聞き慣れた声のおかげで、ほんの少し安心感を取り戻せた気がする。
「少し寄れ」
背中に当てられる、大きな手。
その声に従い体を寄せると、長い腕が体に回りそっと包み込まれる。
私よりずっと大きい体。
私の背中をゆっくりと擦る温かい手。
体全体を包み込むような、落ち着く匂い。
温もりと安心感に包まれたおかげか、あれだけ暴れていた鼓動も呼吸もすっかり落ち着いてきた。
「案ずるな…先程見たものは夢にすぎん。お前のそばにはこの神がついている」
低く静かな声が、私を安心させるように響く。
背中を擦っていた手が、今度は私の頭に置かれ、優しく撫でる。
「…ありがとう…ございます」
声というより吐息に近いが、それでも自分を包み込んでくれるインドラ様に何とか言葉を返す。
「多少は落ち着いたか?」
「…はい」
「…ならばよい」
そう言うと私を包み込んだままベッドに横になるインドラ様。
私も必然的にベッドに寝転ぶ体勢になる。
「まだ目覚めるには早い。無理に眠る必要はないが横にはなっておけ」
布団をかけ直して、また私の頭を撫でてくれる。
「…はい」
心地よい感触に身を委ねながら、再び瞼を閉じた。
「ん…」
再び目を覚ましたときには、もういつもの起床時刻になっていた。
一度は悪夢に起こされたが、あの後はインドラ様のおかげで眠りにつけたらしい。
「起きたか」
「!」
すでに起きていたインドラ様が私を見下ろし、声をかけてきた。
「魘された様子はなかったが…多少は眠れたか?」
「…はい。昨夜はありがとうございます」
ゆっくりと起き上がり、インドラ様に頭を下げる。
もしかしてインドラ様…あの後寝ずに私の様子を見ていてくれたのかな?
「それで?一体夢で何を見た?」
「、…」
「…思い出したくないのなら、言わずともよい」
「いえ…それは大丈夫なんですが…」
「が?何だ?」
「えっと…」
いや…夢だったってわかってるから、思い出すのは特に問題ないんだけどね。
ただ内容がなぁ…。
「蛇…」
「蛇?」
「蛇に…丸呑みにされていく夢でした」
「…」
一応夢なので、脈絡のないものではあるけど…。
森の中で大きさとしては普通くらいの、茶色い蛇に遭遇した私。だがそれが徐々に巨大化し、私の足からじわじわと丸呑みにしようとしてきた。
そして肩の辺りまで到達し、もうすぐ頭まで呑まれてしまう…と必死に抵抗したところで目が覚めた。
わりとシンプルな夢だが、シンプルだからこそ怖い夢だった。
私の答えを聞いたインドラ様。
その反応はというと…。
「…神が隣にいながら、よりによって蛇に襲われる夢を見るとは…」
滅茶苦茶渋い顔になってしまった…。
そりゃそうですよねヴリトラハン。
「…私だって見たくて見たんじゃないです」
「そんなことはわかっている。すべての蛇が悪しきものなどとは言わんが、それにしてもお前の見た夢はまごうことなき悪夢だ」
「ですよね…」
確かに蛇の夢って、場合によっては吉夢なこともあるって聞いたことがある。
有名なやつだと白い蛇が出てくる夢とか。
ただ私のやつは茶色かったし、普通に襲ってきたからまあ悪夢だろうなぁ…。
「…ならば」
「…どうしました?」
しばらく渋い顔をしていたインドラ様が口を開く。
「手を出せ、人間」
「手?」
特に何も考えずに、右手の甲を上に向けてインドラ様に差し出した。
すると差し出した手を握るインドラ様。
そして…。
パチッ
「ッ…!?」
一瞬何かが爆ぜたような音と、右手に『何か』が触れる感触。
握られた私の右手を見てみると…。
「…指輪?」
薬指に指輪がはめられていた。
ピンク色の宝石がリングの形に沿うように埋め込まれている、とても綺麗なものだった。
この宝石って…。
「もしかしてトルマリンですか?」
「ほう…知っていたか」
トルマリンは鉱石の中でも特に色のバリエーションが多い石。
ピンクトルマリンだと宝石言葉は『希望』『愛情』『思いやり』『寛大』『思慮深さ』『忍耐』と、他者を思いやる言葉が多いから、別名『愛の石』って呼ばれてるらしい。
「これは神の魔性殺しの加護がついている指輪だ」
「加護?」
「魔除けとして身につけておけ。ただその場合…蛇や竜、魔性の特性を持つ英霊どもがお前に一切近づけなくなる。神はそのくらいの用心はあって損はないと思うがな」
「一切近づけないって…そこまでしなくても…」
「何を言う。古来より…魔性とはそういうものであるぞ、人間。人類史の危機という共通の敵があるからこそ、己の欲望を律しているというだけだ。人類史がなくなれば人間にちょっかいをかけることができなくなる…などとふざけた理由でお前に手を貸している者もひとりやふたりではないはずだ」
「あ…はい…いますね、確かに」
蛇や竜、魔性特性を持つ英霊たちには善意で力を貸してくれている英霊も多いけど、否定はできない。
思い当たる英霊たちが続々と出てくる…。
「ちなみに、寝る前に身につけるだけでも十分な効果はある」
「あ、ならそうさせていただきます。流石に普段からつけてたら有事に力を借りれないので」
「まったく…いくら緊急事態とはいえ、お前は英霊と契約することに節操がなさすぎるぞ」
節操がないってあまりインドラ様には言われたくない気もするけど…。
何なら貴方自身がかなりの無法使って現界してるじゃないですか…。
「レイシフトではぐれてしまって、現地のサーヴァントを味方につけた結果、縁が出来てカルデアに召喚される場合が多いので、選り好みはできないんですよね」
「…致し方なし…か」
物凄く何か言いたげだけど、やむを得ないアクシデントで縁を結んだ英霊に関してはどうにもできないと理解はしたらしい。
理解はしても納得はいかないんだろうけど…。
〜その日の夜〜
さて…そろそろ寝ようかな。
私はインドラ様からもらった指輪を取り出して、右手の薬指にはめる。
ちょっと調べたんだけど、薬指の指輪はアニバーサリーリングと言うらしい。
左手の薬指は言わずもがな婚約指輪や結婚指輪として知られているが、右手の薬指には『心の安定』という意味があるらしい。
インドラ様が薬指に指輪をはめたのは、悪夢に魘された私の『心の安定』を願ってなのかもしれない。
そう思いながら、電気を消して布団を被った…。
ん?
何か…風を感じる?
あれ?私さっき部屋でベッドに入ったよな?
また何かの夢かな?
目を開けてみると…。
「えっ…」
目の前には、満開に咲く桜の木々。
優しく暖かい風に吹かれ、桜吹雪が舞っている。
「綺麗…」
こんな綺麗な桜は久しぶりに見た。
でもここ…どこなんだろう…?
地面に座った状態で桜を眺めていた私は、他に何かないか探すために立ち上がろうとした。
「!」
体が動かない。
ただ私の体の状況はすぐにわかった。
私の腹部に、誰かの腕が回っている…。
後ろに、誰かがいる…。
どうやら後ろにいる『誰か』は私のように地面に座っているらしい。
そして私の後ろから抱きしめるようにして腕を回しているようだった。
でも私の顔は目の前の桜の木々を向いたまま微動だにしない。
なので振り返って、その『誰か』の顔を見ることもできないし、下を向いて『誰か』の腕を確認することもできなかった。
ただ…不安や恐怖は一切感じない。
むしろ覚えのある心地よさだ。
後ろにいるのはきっと、私に指輪をくれた…。
そう思うと自然と笑みが溢れてくる。
桜の景色がさっきより綺麗に見えるのも、後ろにいる『誰か』のおかげだ。
確かに悪夢に魘されて困ってはいたけど。
悪夢を遠ざけるどころか、こんなに綺麗な景色を見せてくれるなんて…。
「もう少し…このままでいたいな」
〜おまけ〜
「やあやあどうも!失礼するよ」
「…貴様は確か…夢魔の術者か」
「これはこれは。インドの雷霆神ともあろうお方に覚えてもらえていたとは何よりだ」
インドラがマスター不在のマイルームでくつろいでいると、目の前に咲き乱れる花々と共にマーリンが現れた。
今のところマスターに余計な手出しをしていないため見逃してはいるが、この魔術師も人を惑わす魔性であることに変わりはない。
インドラが警戒する英霊のひとりだ。
「何の用だ。見ての通りあの人間は不在だ」
「いやいや、私が用があるのは…君さ」
「…神に?」
夢魔が神に何の用だという?
眉を顰めたインドラを一切気にする素振りを見せずにマーリンは続ける。
「随分と面白いものをマイロードに贈っていたじゃないか」
「…指輪のことか」
「そう正解!困ったものだよ。マイロードの夢は私も介入することがあるというのに、君が贈ったあの魔除けの指輪の力が強すぎて私自身が弾かれてしまった。しかも千里眼で見たところ、花の景色の夢を見せていただろう?花の魔術師である私の面目丸潰れじゃないか!」
どうやらこの夢魔…マスターの夢の警護として、夢に入ろうとしたらしい。
そして指輪に弾かれてしまった…と。
「知ったことか。そもそも貴様…あの人間の夢を護っているというのであれば、あいつが悪夢を見ぬよう徹底して見張っていろ。そうすれば神自らが動くことはまずなかったであろうに」
「うっ…痛いところを突いてくれる。ここ最近は廃棄孔で頑張ってくれている英霊たちがいるから、あの様子なら大丈夫そうだと思ってね。マイロードの命が削られるような敵意の残滓にしか目を向けていなかったのは…まあ事実だ」
「そら見たことか。貴様は、あの人間の幸福な結末に向けて働いているというから見逃してやっているだけだ。それをしないと言うのなら、神からすれば生かしておく理由はない」
そう言うと威圧の目を向けるインドラ。
あいつに利があるうちは、生かしておく。
そうでないのなら…あいつがこの夢魔の毒牙にかかる前に、始末する。
それだけだ。
「まあまあ、そう睨まないでほしい。ただ…そういうインドラ神こそ、マイロードのお悩みに答えながらなかなかお茶目なことをしているじゃないか」
「…何の話だ」
「確か…こんなだったかな?」
パチンッ
「!」
マーリンが指を鳴らすと、マイルームから一転…満開の桜の木々が生い茂る空間へと早変わりする。
「インドラ神があの夜、マイロードに見せた夢さ。指輪に弾かれたせいで千里眼でも一瞬しか見えなかったけど、こんな風景だったはずだ」
「…それが何だと言う」
するとニヤリと笑みを浮かべるマーリン。
「彼女の祖国の景色を見せたつもりでいるかもしれないが…正確にはこれ、インドラ神が見たかったものだろう?」
「…!」
「私は夢魔だからね。どんな意図があってどんな夢を見せるのか本能的にわかるのさ。ここでね」
ちょんちょん、と自分の鼻をつつくマーリン。
その得意げな顔を見て、何故か妙に苛立ちが募るインドラ。
「美しい夢を見せるだけなら景色だけで十分なはずだ。なのに自分も夢に入ったってことは、君の望みは自分が見たいと思う景色、そこにマイロードがいなければ意味がない…ってうわぁッ!!」
ズシャアッ
自分の領域に土足で踏み込み、挙句ぺらぺらと喋り続ける夢魔に限界がきたインドラは無言のまま雷を落とす。
が、そこはマーリン。
あっさりと魔術で防御する。
「乱暴だな君は!もし宝具の神雷だったら私でも消し炭になってしまうのだから、あまり気軽に雷を落とさないでもらいたい」
「チッ…腐っても冠位クラスの術者か」
「おまけに口も悪いな。一体私が何をしたって言うんだい?」
「神雷でないだけ光栄に思え。神の領域に土足で踏み込んだ罰だ。先程も言ったが、あいつに利がなければ貴様のような魔性なぞとうに消し去っている」
「やれやれ…苛烈な性格のわりに、人間にはとことん甘い神様ときた。でも神様らしく強引に行くかと思えば、自分の願いをこっそり加護として渡すなんて随分と人間臭いやり口じゃないか」
なおも減らず口を叩くマーリン。
再度雷を落とそうと無言で指を掲げるインドラ。
「いやいや冗談だとも!できたらマイロードに、あの指輪をはめることを控えさせてほしいと言いに来ただけのはずが、随分と長居をしてしまった」
「用が済んだのなら帰れ。それに指輪は外させん」
「まあ廃棄孔の英霊たちは指輪の影響を受けていないみたいだから心配ないか。なら私は、早いところお暇しないとね。あ、そうそう…これは少ししたら戻るから放っておいて構わないよ」
これ、と指さすのは桜の木々の風景。
「それでは…失礼」
そう言うと、マーリンはふっと消えた。
目の前に残された桜の景色に目をやる。
『綺麗…』
『もう少し…このままでいたいな』
あの夢の中…自分の腕に包まれながら呟いていたマスターの言葉を思い出す。
『そこにマイロードがいなければ意味がない』
同時にマーリンに見抜かれた真意を思い出す。
「チッ…」
踏み込むだけ踏み込んで、のらりくらりと去っていった夢魔にまた苛立ちが募る。
当然であろう。
神は神だぞ。
見たい景色なぞいつ何時でも見れる。
だが、それを共に見る相手を選ぶとすれば…それはほんの刹那だ。
それが人間ならばなおのこと。
神からすれば、瞬きの合間に終わる程短すぎる命なのだから。
あいつの祖国の景色を共に見るという神の願いは…叶えることはそう難儀ではない。
だが、人が見る夢のひとときに神の小さな願いを潜り込ませるのは…
何か問題でもあるというのか?人ならざる夢魔よ。
END