天界の主に宵闇の茶を
天界の主に宵闇の茶を
「はい、マスター。いつものお茶よ」
「ありがとうマリー」
マリーから渡されたのは、紅茶やハーブティーの詰め合わせ。
マリーからは普段からよくお茶に誘われてはいるのだが、私がときどき目の下にクマを作っているのを心配したマリーが、疲労回復やリラックス効果のあるお茶を見繕って持って来てくれるようになったのだ。
ハーブティー以外にも、香りがいいおすすめの紅茶も一緒に詰めてくれている。
「どういたしまして。ささやかなものだけれど、貴女に安眠が訪れますように」
「本当にいつもありがとう」
「うふふ…いいえ、私が力になれることなら。それじゃあ私はこれで…ヴィヴラ・フランス!」
「ヴィヴラ・フランス…王妃様」
花のような笑顔を浮かべて、マリーは去っていく。
私はマリーからもらったバスケットの中身を見た。
カモミールにルイボスティー、レモングラスにローズマリー…体を温めたり疲労回復効果のある優しいハーブティーばかりだった。
あ、よく見たらローズヒップもある。
ビタミンCが豊富で美肌効果があるハーブティーだ。
ペパーミントもある…これは流石に寝起きにしたほうがいいよな…。
「ん?」
と、バスケットの中を見ていると、見たことのないお茶のパッケージが目に入る。
取り出してパッケージを読んでみる。
「蝶…?あ、バタフライピーか!」
マリーが選んでくれたお茶の中では、今回初めて登場するハーブティーだった。
バタフライピーはチョウマメという蝶のような形をした可愛らしい花から作られるもので、とても目を引く青色のハーブティー。
この青色はブルーベリーなんかに含まれるアントシアニンの成分なので、眼精疲労やアンチエイジングなどに効果がある。
ここに来る前に飲んだことがあったから知ってたけど随分久しぶりだな…。
せっかくだ。
久しぶりに淹れてみよう。
そう思いマイルームへ急ぐ。
プシューッ
自動ドアを開けると、部屋の中を確認する。
今は誰もいないみたいだ。
自分の部屋なんだからそこまで気にする必要は本来ないのだが、特に貴重品がないこの部屋は鍵を開けたまま外出しているので、誰かがお邪魔していることがある。
最近だとほぼインドラ様なんだけど。
まあ、いないならいないで…いい。
早速お茶を淹れるためのお湯を沸かし始める。
カップを用意して、バタフライピーのパッケージを開ける。
袋を開けた途端に、ふわりと懐かしいハーブの香りが漂ってきた。
まだハーブティーを飲み始めたばっかりの頃は、ただの草の匂い…としか思わなかったのに。
今では何だか落ち着く香りに思えるのだから、月日というものは馬鹿にできない。
少し懐かしさに浸りながら、ポットに茶葉をセットしていると、ちょうどお湯が沸いた。
ケトルのお湯を、茶葉にまんべんなくかかるように小さく回しながら、丁寧にポットに注ぐ。
あぁ…いい香りだなぁ…。
茶葉を蒸らしている間も、漂う香りを楽しむ時間。
お茶請けに何かお菓子でも持ってくればよかったと思ったけど、たまにはお茶だけを楽しんでも悪くない。
数分後、ポットの中身をかき混ぜるように軽く一周回してからカップに注ぐ。
コポポ…
このお茶のために、カップは透明な耐熱ガラスのものを用意した。
少し濃いめの、青いお茶がカップに注がれているのが見えてとても綺麗だ。
やっぱり透明なカップだと、お茶の色がわかるからいいよなぁ…。
注がれた綺麗な青色を見て、うっとりする。
プシューッ
「邪魔するぞ」
「あ、インドラ様」
と、自動ドアが開きインドラ様が入ってきた。
「ん…茶でも淹れているのか」
「はい、そうです」
香りで気づいたのか、お茶を淹れる私にまっすぐ近づいてきた。
「ん?何だこの青きものは…」
「あ、初見でしたか?」
インドラ様はカップを見ると眉を顰める。
まあこのお方、普段はお酒しか飲まないからなぁ…。
一応バタフライピーの原料のチョウマメって東南アジアではあるんだけど。
私はバタフライピーのハーブティーについて、簡単に説明をする。
説明をしている間も、インドラ様は透明なカップに入ったバタフライピーをじっと見つめている。
まあ確かにこんなに鮮やかな青だとかなり目を引くから仕方ないか…。
断じて体に悪いわけじゃないんだけどね。
「この茶…」
「はい?」
「神にも寄越せ」
「え?あ、はい」
どうやらこの青いお茶に興味が湧いたらしい。
「じゃあ出涸らしなので、一旦茶葉を変えて淹れ直しますね。少しだけお時間いただきます」
「構わん」
そう言うと定位置へ行き、腰掛けるインドラ様。
本当はあと一杯くらいは淹れることができるんだけど、流石に神様相手に出涸らしのお茶を淹れられない。
私はポットの茶葉を新しいものに変えて、またお湯を丁寧に注いでいく。
そして数分後、もうひとつの透明なカップにお茶を注いでいく。
先程と同じ…少し濃いめの鮮やかな青色だ。
「どうぞ」
受け皿に乗せたカップを、インドラ様の目の前のテーブルに置いた。
私の分のカップも、テーブルに置く。
「おい、これは何だ?」
インドラ様から声がかかる。
それは受け皿にちょこんと置かれた、カットされたレモンだった。
そう…これはバタフライピーの特徴のひとつ。
「このハーブティーは、レモン果汁を入れると色が変わるんです」
「色が変わる?」
「私のカップでやってみせますね」
私は自分のカットレモンを手に取り、カップの真上でギュッと絞る。
すると滴り落ちる果汁がお茶の表面に落ち…
「!ほう…」
じわじわとお茶の色が紫に変わっていく。
バタフライピーは、アントシアニンの成分がレモンの酸性と反応し、青から紫に変化を遂げる。
なのでこのバタフライピーは…
「この変化する性質から『魔法のハーブティー』と呼ばれているお茶なんです。ちなみに味はレモンの酸味が加わって美味しく飲めますよ」
さっとティースプーンでカップを混ぜると、じわじわと侵食していた紫があっという間にお茶全体に広がり、完全な紫色のハーブティーが出来上がった。
「…確かに、人間どもが見れば魔法と錯覚してもおかしくはないな」
「そうですね。あ、インドラ様の分のレモンは念のために置いただけですので、お使いいただいても使わなくてもどちらでも大丈夫です」
「…そうか」
そう言うとインドラ様は、カップを目の高さまで持ち上げた。
どうやら鮮やかな青色のお茶を、まず目で楽しんでいるらしい。
私は紫色に染まったお茶を飲む。
すっきりとした後味とレモンの酸味がちょうどいいバランスで、体に入っている余計な力が抜けていくのがわかる。
あ、力が抜けるっていうのはあくまで比喩表現であってバタフライピーが脱力感を誘うお茶ってわけじゃないですからね?
そんなヤバいものじゃないですからね?
気づくと、カップの中身がなくなった。
私は立ち上がり、シンクでカップを洗う。
そして綺麗になったカップを置き、さっきのポットにまたケトルのお湯を注いでいく。
「…二杯目か?」
「はい。出涸らしですが、今度はレモンなしで飲もうと思いまして」
そう、私はバタフライピーを飲む際は必ず二杯飲むようにしている。
一杯目は何も入れずに。
二杯目はレモン果汁を入れて。
今回順番は逆になってしまったが、二種類の味と見た目を楽しみたくて、いつも二杯淹れるのだ。
そしてカップに注いだお茶は、出涸らしのため少し薄めではあるが、透明感のある青色になった。
「…特に苦くはないが、何とも言えん味だな」
と、インドラ様の声が聞こえてきた。
どうやら、何も入れていない状態で一口飲んでみたらしい。
「まあ…そうですね。味より効能を目的として飲まれているようなものですから」
「ふむ……ヴァジュラ」
「只今」
ヴァジュラを呼び出すインドラ様。
どうやらレモン果汁を入れさせるようだ。
ヴァジュラがレモン果汁を絞り、ティースプーンでささっとかき混ぜると、カップの中身が透き通った紫色に変化する。
正直に言う。インドラ様がここで『不味い』って機嫌悪くしなくて本当によかった。
多分自分から『寄越せ』って言ったから、私に八つ当たりしないようにしてるのかな?
自分の機嫌を自分でとれる…偉すぎるよ…。
「ふむ…まあ飲めるには飲めるが…神の口に合うものとは違う…と言ったところか」
「そうですね…お酒とは違いますから…」
不味くはないが好みではない…ってとこかな?
まあ、仕方ないよね。
お酒…もといソーマのような気付け薬を飲み慣れている神様だからね。
「だが…この色は悪くない」
「色…ですか?」
自分のカップと、私のカップのお茶の色を見て呟くインドラ様。
「先程の青…この紫…そしてお前のその僅かに薄まった青…それらはすべて宵の空の色だ」
「あ…」
宵。
それは夕方から明け方の時間帯を指す。
確かに…宵闇の深い青、朝焼けや夕焼けの紫、そして朝日で宵闇が薄れた青…すべて宵の空に例えることができる。
もしかしてインドラ様がバタフライピーに興味を示したのって、このお茶の色に空を見出したから?
「味自体は好みではないが、この神を象徴する空を思わせる茶か…悪くはない」
「お口に合わなかったのは残念ですが…気に入っていただけたのならよかったです」
「ま、お前はこれからも好きに飲み続ければよい。さもすれば…」
「え…」
ゆっくりとした動作でインドラ様が立ち上がり、私のもとへ歩いてくる。
真向かいに座っていたため、僅か数歩で私の目の前にインドラ様の姿が…。
そして大きな手が私の顎を掴み、上を向かされる。
「ん…ッ!?」
そのまま唇を塞がれた。
目の前にはインドラ様の顔。
その瞳は私の瞳の奥をじっと見つめている。
相変わらず…この目からは逃げられない…。
そっと唇が離れると、インドラ様はまた唇が触れそうな距離で囁く。
「その茶を飲む度に…お前は神の支配する空を思い出すようになるのであろう?」
「…ッ!!」
いや…もはや空というより…
インドラ様自身を思い出すと思う…。
〜おまけ〜
「さて…」
食堂の厨房にて。
アルジュナはたった今沸いたばかりのお湯を、ティーポットにゆっくりと注ぐ。
「これは…」
ティーポットの中に溜まるお茶は、鮮やかな青。
バタフライピーといったか?
インドラ神はいつの間にこのような茶を嗜むようになったのだろう。
そう。
アルジュナが今まさに淹れようとしているのはバタフライピーのハーブティー。
それもつい先程出会った、インドラからもらったものだった。
『珍しい色の茶を知ったのでな。もしお前も初見ならば…試してはどうだ?……興味がなければいいが』
と、インドラが自分に渡してきたのだ。
アルジュナ自身初見ではあったし、何よりインドラが気に入った茶というものが気になったので有難く受け取った。
「む?アルジュナか?」
「!カルナか…何の用だ」
食堂にやってきたのはカルナ。
よく見ると、手に何か持っている。
「マリー・アントワネットから茶葉をもらったのでな…茶を淹れに来た」
「…なら、たった今私の茶を淹れるために沸かしたばかりの湯がある。まだ余っているから使うがいい」
「そうか…助かる」
よりによってこいつも同じタイミングで茶を淹れに来るとは…。
思わず小さなため息が出てしまったが、ここは食堂ではあるし、まあ茶くらいで揉める理由もない。
厨房に入ってきたカルナは、どうやらティーパックらしい小さなパッケージを開けて、カップにセットした。
「ん?」
「何だ」
と、カルナがアルジュナのティーポットを見て何かに気づいた。
「バタフライピーか?」
「…何故わかった?」
「オレの茶もだ」
確かによく見ると、ティーパックからうっすらと青い花のようなものが見える。
よりによって同じ茶を淹れることになるとは…。
アルジュナはまたため息をついた。
ちなみにカルナのバタフライピーは、マリーが『お試しにどうぞ』と渡してきたティーパック。
アルジュナのバタフライピーは、以前マスターがインドラに淹れたものを、インドラがアルジュナに小分けにして渡したもの。
そしてマスターのバタフライピーも、マリーからもらったもの。
この兄弟…要は出所が同じ、同じ種類の茶を、同じタイミングで食堂に淹れに来たということ…。
何かと因果のある兄弟である…。
「はぁ…いや気にすることではない。さて、そろそろ頃合いか?」
独り言を呟きながら、アルジュナはティーポットをカップに注ぐ。
いい香りと共に、鮮やかな青色のお茶が注がれる。
「ほう…カップに注ぐとより鮮やかに見える。確かに珍しい、いい色だ」
思わず感嘆の声を上げるアルジュナ。
一方のカルナもティーパックを蒸らし終え、青色のお茶が出来上がった様子。
「席にはつかないのか?」
「茶請けもないのでな。オレはここで飲む」
「…」
兄弟揃って、厨房のカウンターの前で淹れたてのハーブティーを啜る…妙な絵面だ。
しかしこのハーブティー…あまり癖はないがその分苦味もなく飲みやすい。
紅茶のように砂糖を淹れる必要はなさそうだ。
我が父も…これを気に入ったのだろうか?
(A:空の色だから気に入っただけです)
ふと、隣のカルナに目をやる。
カップはカウンターに置かれているのだが、その中身を見たアルジュナは驚愕した。
さっきまで自分と同じ青色だったお茶が、紫色に変化していたからだ。
「カ、カルナ!?」
「慌ててどうした」
「それ…その、茶の色…」
「ん?ああ、これは…」
「毒でも入っているのではないか!?」
「いや、これは…」
「はっ…そういえば貴様、マリー・アントワネットから茶葉をもらったと言ったな?それはライダーのマリー・アントワネットで間違いないのか?オルタではなく?」
「ライダーのマリー・アントワネットだ」
「別霊基の巌窟王は以前、オルタのマリー・アントワネットに紅茶に毒を盛られたと言っていた…ならば今回もライダーのマリー・アントワネットのふりをしてお前に毒の茶葉を渡したのではないか!?」
「それはない」
「何故そう言い切れる!?」
ここでカルナは悟った。
アルジュナは知らないのだろう。
バタフライピーはレモン果汁を入れると、紫色に変化するという事実を。
現にカルナは、一口飲んだ後にレモン果汁を入れただけだ。
それをアルジュナがたまたま見ていないタイミングで行っただけなのだが…。
「急いで医務室へ行け!貴様にはビーマ兄様のような毒耐性はないだろう!?」
アルジュナは完全に毒だと勘違いしている。
「ないが、その必要はない」
「貴様…私の助言を無下にする気か?」
「これは毒ではない」
「ならば何だという!?」
「アルジュナ…お前はその茶を誰からもらった?」
「インドラ神だが?」
「その茶について何も聞いていないのか?」
「?珍しい色の茶とは聞いているが…」
そこまで聞いてカルナは理解した。
完全にインドラの説明不足だ。
「貴様は一体何の話をしている?」
苛立ちを隠せないアルジュナに、カルナは真実を伝える。
「バタフライピーは、レモン果汁を加えると紫色に変化するハーブティーだ」
「レモン…果汁?」
「入れてみろ」
カルナは先程自分が使ったレモン果汁をアルジュナに手渡す。
半信半疑なアルジュナだったが、カルナに言われた通り自分のカップに果汁を垂らす。
「!これは…」
青色だったお茶に紫が滲み、あっという間に広がっていく。
「理解したか?断じて毒ではない」
「…理解はした。だが何故インドラ神はこのことを私に話さなかったのだ?」
「単に伝え忘れただけだろう」
「つ、伝え忘れ…」
「珍しい色の茶と言っていたな。あながち間違ってはいないだろう」
「……はぁ」
焦りまくっていた自分が馬鹿馬鹿しい…。
インドラの伝え忘れで間違いないのだが、息子を相手にどんな言葉で勧めたらいいかわからず、内心しどろもどろになりながらも、必死に言葉を選んで伝えた不器用な父親なりの言葉ではあったのだ。
伝え忘れは事実だが。
「いい味ではあるぞ」
「…」
カップを手に取り、一口。
「…うまい」
程よい酸味が効いていて、先程より一層飲みやすくなっていた。
確かにこのハーブティーはうまい。
だがこれからは…。
インドラ神の言葉はあまり鵜呑みにしないようにしよう。
インドラの陰ながらの奮闘も虚しく、アルジュナはそう決心するのであった。
END