神の気まぐれという傍迷惑
神の気まぐれという傍迷惑
マスターと共に赴いた微小特異点を解決し、カルデアに戻ってきたインドラは、部屋に戻るなり物思いに耽る。
帰還直前の出来事が頭から離れない。
と言っても、大したことではない。
管制室が帰還準備をしている間、マスターが現地の猫と戯れていたのを空から見ていただけのこと。
マスター曰く『物心ついたときから猫と触れ合ってきた』と。
確かに猫という小さな生き物は、神であるインドラから見ても自由気ままな存在だ。
特性をよく理解し、猫を撫でていたマスター。
経験からくる努力の賜物だろう。
「…」
マスターに撫でられていた猫を思い出す。
初めて会った人間に背を向け、体に触れることを許していたのは、今まで何人もの人間と触れ合ってきた猫の勘が、マスターを害のない人間だと見抜いたからだ。
もともと警戒心があまりない性格だったということもあるだろうが…。
マスターの手も、猫が不快に思う部位に一切触れていなかった。
何よりマスターからは、ただの好奇心ではない明確な感情が猫に向けられていた。
それは…
「…愛情、というやつか」
よほど猫が好きなのだろう。
猫に対する愛情が、端から見ているだけでもすぐにわかった。
猫を撫でるマスターの表情…。
あれを、慈愛に満ちた顔…と言うのだろう。
「…」
このときインドラの脳裏には、こんな素朴な疑問が芽生えていた。
『自分もあの猫のような愛情を受けることができるのだろうか?』
「…ならば、試してみるか」
思い立ったインドラの行動は早かった…。
…
…
「インドラさまが猫になっちゃったんだよー!」
「いや、何がどうなったらそうなるんだよ!?」
何がどうなったら?
神が猫の姿に化けただけであろう?
たとえこのような小さき生き物の姿であろうと神ほどの神ならば、威厳というものすら常に兼ね備えているものだ。
ヴァジュラたちも人間も何を騒ぐ必要がある?
ただ、現時点で問題がひとつ…。
魔力消費の激しさで元の姿に戻るのに丸一日かかるはめになった…。
「ありがとねダヴィンチちゃん」
「いやいや、君も大変だねぇ」
ダヴィンチに礼を言うマスター。
24 時間あれば元に戻れることが、ダヴィンチの解析でも明らかになった。
「じゃあインドラさま!部屋に戻ろー!」
先程インドラを抱えていたヴァジュラが、インドラを部屋に連れて行くため、抱き上げようとする。
「…」
すると、その手からするりと抜け出すインドラ。
猫になって数時間…すっかり液体の体を操ることには慣れた様子。
「インドラさま?」
ヴァジュラが訝しげに顔を覗き込む。
インドラは澄ました顔でそっぽを向いている。
「代わってー!」
「仕方ない」
もう一体のヴァジュラも、インドラを抱き上げようと腕を伸ばす。
「…」
「インドラさま?」
またしてもするりと抜け出されてしまう。
「インドラ様?」
マスターがインドラの名を呼ぶ。
と、その声に耳をピクリと動かして反応し、マスターを見上げる。
「…失礼しますね?」
何かを察した様子のマスターがインドラの体に手を伸ばし、ゆっくりと抱き上げる。
「…」
今度は抵抗せず、おとなしくマスターに抱っこされている。
そしてマスターをじっと見つめる。
ようやく神の意図に気づいたか…。
遅いぞ人間…。
「なあんだ。マスターの部屋に行きたかっただけだったんだねインドラさま」
「絶対それだけではない気がしますが」
安堵するヴァジュラと訝しむヴァジュラ。
「とりあえず部屋に戻ろうか」
マスターのひと言で、ヴァジュラたちも浮遊しながら部屋を目指す。
一方マスターに抱えられているインドラは、ずっとマスターの顔を見つめ続けていた。
「マスター!」
「あ、アルジュナ」
「!?」
と、廊下にて…。
聞き覚えのある声が聞こえ、インドラは狼狽する。
よりによってこの姿でいるところで息子に出くわしてしまった。
そして当のアルジュナはインドラの姿を見て一瞬固まったが、額に手を当て項垂れる。
な…何故…よりによってこの姿のときに我が息子に出くわす…?
インドラは自身の幸運がCランクであることを心の中で呪った。
アルジュナと目を合わせることなど到底できるはずもなく、ただマスターに爪を立てながら礼装の隙間に顔を突っ込んでいることしかできない。
しかし、それはただの猫だからこそ許される所業であって、決して猫に化けた神がして見逃されるものではない。
「あのインドラ様…ちょっと爪痛いです。あとそこに顔突っ込まれるのは、その…」
「、…」
だからこそアルジュナから、このように白い目で見られてしまう…。
しかしここまでしてしまった以上後に引けず、息子とマスターがひたすら謝り倒しているのを聞いていることしかできない。
もしや、神の気まぐれでこのような事態になっているのか?
だとするなら……。
インドラにも一応申し訳ない感情はある様子。
プシューッ
「…失礼しますね」
マスターのベッドにゆっくりと下ろされる。
「本当に何してるんですかインドラ様…」
マスターから呆れたような声が漏れる。
神の気まぐれに物申すな、不敬であるぞ。
お前は黙って神に構っておればよい。
そんな意を込めて、マスターを見つめる。
「あ、そうだ…」
と、独り言を呟いたマスターはデスクへ向かう。
おい待て、こんな姿の神がいるというのに放置して作業をするつもりか?
インドラはベッドから下りると素早くデスクによじ登り、書類の上に寝そべる。
当然ながら困惑するマスター。
「あの…インドラ様そこどいてもらe…」
「ウルニャー」
黙れ、とマスターの言葉を遮り抗議の声を出す。
威厳とは一体何なのか…。
インドラにはぜひとも、今のご自身の姿を鏡で見ながら『威厳』の意味を辞書で引いて調べてもらいたいものである。
しかしこの抗議が、猫好きのマスターに見事にクリティカルヒットしたらしい。
「あ〜もう何なんですか!?その鳴き方は構えって言いたいんですか!?」
「言葉がわかるのですか?」
どうやら神の言わんとしたことがようやく伝わったようだな。
ん?この手…匂いを嗅げということか?
別にお前ならば神の体を撫でることは許すぞ?
マスターが猫への挨拶として差し出してきた手。
昨日の猫との一連の流れで意図がわかっているインドラは、意を汲んで匂いを嗅ぐ。
するとそれを合図に、その手がインドラの顔周りを撫で始めた。
ん…そのあたり…妙にむず痒いと思ってはいた。
いざ撫でられると…なるほど、悪くない…。
今度はマスターの指の背が後頭部を撫でる。
ん…何だ?この体でも…そこを撫でられるのは妙に心地よいものだな…。
眠くなる上に…何だこれは?何やら…喉から勝手に音が出始めたな…。
その途端、マスターがキャスター付きの椅子に座ったまま床を蹴り…物凄い勢いで部屋の隅に移動した挙句壁にぶち当たった。
は?一体何事だ?
おい、どうした人間?
自分のせいだと気づいているのかいないのか…。
インドラはデスクから飛び降り、マスターのそばへと駆け寄る。
「あ、インドラさま…」
ちょうどヴァジュラの声と重なるタイミングでマスターの膝に飛び乗り、マスターの顔を覗く。
「ンー」
急にどうしたという?神に構え、人間。
すると、逸らした顔を片手で覆いながらインドラの頭を撫でるマスター。
それでよい…もっと撫でよ…。
「ああもうこれじゃ何の作業もできない!!インドラ様ちょっと失礼しますよ!?」
「!?」
と、突然声を上げたマスターは、インドラを抱えて立ち上がった。
座っていた椅子を元の位置に戻すと、先程のようにインドラをベッドに下ろす。
おい、何をする人間!?
この期に及んでまた神を放置する気か!?
インドラはすぐにベッドの上に立ち、マスターの様子を窺う。
またデスクに向かおうものなら、先程のように妨害してやる…という意志を持って。
しかしインドラの予想とは裏腹に、マスターは靴を脱いでベッドに乗り、寝そべり始めた。
どうやら観念して構うことに決めたようだ。
ようやく諦めたか…それでよい。
でなければ、わざわざ神がこの姿をとった意味がなくなるからな…。
顔周り、顎、頭、耳の後ろ、背中…。
優しく揉むように、猫と化したインドラを撫でていくマスター。
心地よい感覚に喉が鳴り、しっぽがうねるようにゆっくりと動き出す。
ああ…極上だ…。
〜おまけ〜
インドラが猫化した翌日。
プシューッ
「マスター!インドラが猫に化けたというのは本当か!?」
「え…ヴリトラ?」
上機嫌な声でマイルームを訪ねて来たのは、インドラの宿敵であるヴリトラ。
その声を聞き控えていたヴァジュラたちが警戒モードに入る。
そしてインドラも…猫の姿のままだが、毛を逆立てヴリトラを睨みつける。
「おぉ!そこにおったか!これは何ともまあ…随分と愛くるしい姿になったものじゃなあインドラよ!き、ひ、ひ!」
インドラの姿を見たヴリトラは、それはそれは愉快そうに高笑いする。
が、すぐにいつものテンションに戻る。
「しかしまあ…たとえ姿が違えど、玉座に踏ん反り返りマスターをそばに侍らす…普段の奴と大差ないのではないか?酒を飲まんだけまだマシか?」
「…ノーコメントで」
「即立ち去れ」
「インドラさまはお前になんか用はないんだよ」
噛みつくヴァジュラたち。
「威嚇のつもりか?ヴァジュラよ」
「警告だ」
「さっさと出ていけ」
「威勢がええのう。じゃがインドラよ…」
ヴリトラは牙を覗かせ、邪悪な笑みを浮かべる。
「そんな姿で…その人間を護れるのか?」
「!?」
その言葉にインドラは瞳をカッと開き、マスターの前に出た。
「後ろに下がってろよ?マスター」
「インドラさまの前には出ないように」
警戒モードがMAXになったヴァジュラは今にもヴリトラに攻撃を仕掛けそうだ。
「そのちっぽけな体で何ができると言う?」
しっぽをゆらゆら揺らしながら、楽しそうに笑うヴリトラ。
令呪で増援を呼ぶべきか?
マスターが右手を構える…。
「その必要はない」
「!?」
突然、インドラの声が聞こえた。
「ん?今確かに…」
ヴリトラが呟いた瞬間…。
バチッ
猫の姿のインドラから、青白い稲妻が発せられる。
バチッ
バチッバチッ
「これは…」
「もしかして…」
ヴァジュラたちが呟いたその時…。
カッ
「…ッ!?」
「…ッ…ほう?」
部屋中に眩しい閃光が満ち、その眩しさに思わず目を瞑ってしまうマスターとヴリトラ。
バチバチッ
「…あ」
マスターが目を開けると…。
「お前に用はない…疾く立ち去れ」
目の前には見慣れた長身。
重く、威圧的な低い声。
黒を纏った白へと変化する、雷光。
魔力を解き放つ、インドラの姿。
「何じゃ…もう元に戻ったのか」
残念そうに言うヴリトラ。
「生憎、時間切れだ。これ以上居座るのならこのまま消し飛ばす」
先程マスターを盾に取られそうになったことによほど怒っているのか…第三再臨の姿でないにも関わらず、魔力放出量が多い。
怒れる雷霆神には、ここまでのバフがつくということなのだろうか。
「まあ…よい。今回は引いてやる。こんな場所では興が乗らん。どうせやり合うのならば、わえも存分に力を振るいたいからのう」
「邪竜と戯れる趣味はない。消えろ」
「はぁ…つまらんの」
ため息をつくと、ヴリトラは部屋から出ていく。
それを見たインドラの魔力放出も止まった。
「…存外時間がかかったものだ」
独り言のように呟くインドラに、マスターとヴァジュラたちはそれぞれの言葉をぶつける。
「よかった!インドラさまが元に戻った!」
「説明を願います、インドラさま」
「何で猫になんかなろうと思ったんですか!?」
「ええいお前たち!いっぺんに喋るな!」
「「「説明してください!!」」」
「今度は揃えるな!このようなときにだけ呼吸を合わせるでない!」
「「「じーっ(凝視)」」」
「あーわかった。今からお前たちにもわかるように説明してやる」
「猫になるのに複雑な事情などないと思いますが」
「黙っていろヴァジュラ」
マスターとヴァジュラたちから圧をかけられながらインドラが説明する。
「要は好奇心というやつだ。お前がレイシフト先で猫と戯れているのを見たが、あれほど猫の扱いに長けているお前ならば、神が化けた猫の相手も務まるのでは…と思ったまでだ」
「私、普通の猫の扱いしかしてませんけど?」
「インドラさま、構ってもらってずーっとご機嫌だったもんねー?キシシッ」
「猫の生態を調べましたが、インドラさまがマスターに対してとっていた態度のほとんどは甘e…」
「黙れ」
「…」
ヴァジュラの言葉を遮り、若干顔を赤らめながらそっぽを向くインドラ。
あまりにも単純な理由に、呆れ果て返す言葉が見つからない様子のマスター。
そのマスターの反応に気づかないふりをするインドラは、ふと当初の目的について考える。
まあ…悪くはなかった。
愛情というものは確かに感じられた。
だが…神はいつの間にか見落としていたらしい。
それは常日頃から、この人間が神に向けているものと何一つ変わらんものであった。
あの小さき生き物と戯れる姿を見て、神は随分と欲をかいた行動をとっていたらしい。
が、二度目はない。
神は神々の王にして、人を護る英雄神だ。
あのような姿では…
この人間を護ることすら叶わんからな…。
END