酔わずとも私は
酔わずとも私は
プシューッ
「起きているか?」
「インドラ様?」
夜も更けた頃、寝支度を済ませ就寝しようとしたところでインドラ様が部屋を訪ねて来た。
今、寝ようとしてたんです…。
とは思っても口には出さない。
「起きているならよい。付き合え」
「付き合う?」
そこまで尋ねた私は、ヴァジュラたちが持っているものに気づいた。
少年体のヴァジュラの手には、お酒のボトル。
少女体のヴァジュラの手には…私には物凄く見覚えのある包み。
「インドラさまから、晩酌のお誘いです」
「光栄に思えよマスター?キシシッ」
「ヴァジュラ。それってまさか…」
まず見間違うはずはないのだが、恐る恐るヴァジュラに尋ねてみる私。
「そ!マスターからもらったチョコ!」
「やっぱり!?」
「既にいくつか摘んだが、まだ残っている。酒の肴として持って来たというわけだ」
確かに量は多めにしたから、一度に食べきれはしないだろうな…。
「ちなみにぼくたちも食べたよー。味はまあ…美味しかったと思うけどね?ぼくは」
「ぼくも良い味だったと思います。ごちそうさまでした、マスター」
そう言うと、少年体のヴァジュラは柔らかい笑みを浮かべ、少女体のヴァジュラはちょっと赤らめた顔で目を逸らした。
そうか…。
ヴァジュラたちの口に合ったのなら何よりだ。
「ありがとう。その言葉をもらえたなら、私も何よりだよ」
「本題に戻るぞ」
「あ、はい」
ヴァジュラたちとのほんわかした空気は、インドラ様の言葉であっさり引き戻された。
「酒は当然、人界の酒だ。人間のお前でも飲めるものをこの神がわざわざ選んできてやった…感謝するがいい」
「…ちなみに何のお酒でしょうか?」
「『コニャック』と書かれています」
「…ブランデーか」
よりによって蒸留酒か…。
実は、私は酒に弱い。
グラス一杯なら飲めないことはないが、アルコールが回るのが早いため、ペースを考えて飲んでもあっという間に悪酔いしてしまう。
ましてや蒸留酒といった度数の高いものを普通に飲んだら、間違いなく悪酔いして潰れてしまう。
ただ、インドラ様からの誘いを断るわけにはいかないし、わざわざ用意してくれた酒を飲まないわけにもいかない。
倒れることをあらかじめ伝えておいて飲む?
いや、そんなことしたら『苦行を見せるな』から始まる説教が待っている…。
ん?
ブランデーといえば確か…。
「おい、何を黙り込んでいる」
「…インドラ様」
「何だ」
「私…お酒に弱くてすぐに悪酔いしてしまう体質なんです」
「…」
「つまりインドラ様が用意なさったお酒は飲めないと?」
「おいおい調子に乗るなよー?」
「いえ!せっかくご用意いただいたので有り難く頂戴します。ただ…」
「…ただ?」
「アレンジさせていただきたいです」
「アレンジ?」
「お酒を使って、とある飲み物を作る許可をいただきたいのです」
「…まあ、よい。神の厚意を無下にするつもりがないのならば許すとする」
「ありがとうございます」
許しをもらえた私は、戸棚からグラスとカップを取り出す。
テーブルを軽く拭いてコースターとグラスを置く。
それを待っていたかのように、ヴァジュラが持っていた酒を注いだ。
そして私の飲み物は…。
お湯を沸かし、ティーポットに紅茶の茶葉をセットする。
「何故茶を沸かしている?」
「紅茶をベースとした飲み物なんです」
本当は夜に紅茶を飲むのはよくないけど。
今夜は眠れないだろうし、まあいいか…。
沸かしたお湯をティーポットに注ぎ、それをしばらく蒸らす。
そして蒸らした紅茶をカップに注ぐ。
「お酒、いただきますね」
ヴァジュラから酒を受け取る。
ティースプーンに角砂糖をひとつ乗せ、角砂糖に染み込ませるように丁寧に酒をかける。
そして酒の染み込んだ角砂糖に…
カチッ
ボッ
「!?おい、何をしている!?」
まあ、びっくりするよね…。
急にスプーンの上の角砂糖に火をつけたら。
でも、こういうものなんだな。
「『ティー・ロワイヤル』と言います。ブランデーを染み込ませた砂糖を火で炙り、それを紅茶に混ぜたカクテルです」
スプーンの上の角砂糖は青い炎を纏いながら燃え続ける。
こんがりとしたカラメルの香りが漂う。
そして炎が消えると、そのスプーンを紅茶に入れて混ぜていく。
これで完成だ。
「それは美味いものなのか?」
「ブランデーの風味は残りますから、好みはありますが美味しいですよ」
「…」
「お作りしましょうか?」
「…いや、今日はこいつを味わうための酒だ」
チラリとチョコに目をやるインドラ様。
先にいくらか摘んだって言ってたけど、残りを摘むためにわざわざブランデーを持って来たのは、チョコに合うものを選んだのかな?
「お待たせしました、インドラ様」
ティー・ロワイヤルの入ったカップを持ち、テーブルに寄せた自分の椅子に座る。
「さて、果たしてこれに合うものか…」
そう呟いたインドラ様は、私があげたチョコをひとつ摘んで口に入れる。
カリッとチョコを噛み砕く音…。
そしてグラスを持ち琥珀色のお酒を一口含む。
「…ふむ」
味については特に言及していないが、表情を見ればわかる。
よかった…満足している。
私もそれを確認し、温かいカップを両手で持ちながら一口飲む。
温かい…。
ふんわりと甘い香りがする。
無言でお酒を飲んでいるので、マイルームに会話のない静かな時間が流れていく。
でも不思議と気まずさや緊張感はない。
目の前にいるのは仮にも神様なんだから緊張感は持っているべきなんだけど…。
穏やかな時間…で合ってるかな?
自分よりも遥かに上位の存在だから、目の前で失礼な所作や態度はとれないけど、それは置いといてどこか心が落ち着く時間だと感じる。
「…それにしても」
と、インドラ様が口を開く。
「よりによって酒の飲めぬ者と晩酌することになるとはな」
「…それは」
まあ…不満なのはわかりますよ?
でもインドラ様…。
私酔いが回ると、心拍数が増えて体中真っ赤になって呼吸が荒くなるので。
そんな様子見たら、インドラ様慌てちゃうと思いますよ?
だって私、アルコールに弱すぎて健康診断の採血の消毒ですら赤くなっちゃうんですから。
「私が酔った姿は、どうやら命の心配をされるレベルらしいので」
「…まあ無理に飲めとは言わん」
アルハラしない神様でよかった。
したらしたでインドラ様の方が罪悪感に苛まれそうだからなぁ…。
だってこの神様真面目だし。
「それは理解した。が、何故お前は何も食わん?」
「えっ?いや、今食べるものはないですし」
「目の前にあるではないか」
目の前…。
私がインドラ様にあげたチョコしかないけど?
「でもこのチョコ…インドラ様に差し上げたものですから」
「ならば今は神のものであろう?その神が『食え』と言っている」
「インドラさまのご命令ならば食べるべきです」
「ひとつくらいは食べろよー?キシシッ」
「…では」
まさか自分が作ったチョコを自分で食べることになろうとは。
そう思いながらチョコを一粒、口に含む。
ふとインドラ様を見ると、いつの間に飲んでいたのかボトルの中身が1/4を切っていた。
確かにさっき、ヴァジュラに注がせていた音は聞こえた気がするけど、飲むの早くない?
ブランデーってひとりでここまで空けられるお酒だったっけ?
強い人なら余裕なのかな?
「さて…程よく酔いも回ってきたか」
インドラ様が独り言のように呟いた。
程よく?
まったく酔ってるように見えないんですが。
おまけにグラスが空になったから、残り全部注いで飲んでる。
一瓶ほぼひとりで空けちゃった…。
インドラ様のザルっぷりにただただ目を疑うことしかできない。
と、インドラ様がゆっくりと立ち上がる。
そのまま私の目の前までやってくる。
「この期に酔いに身を委ねたお前を見ることが叶うと思ったが、そう事はうまく運ばんようだな」
「え…」
目の前のインドラ様を見上げた瞬間…。
「ん…っ」
顎を掬われ、唇を塞がれた。
そのままゆっくりと舌が絡まる…。
私のティー・ロワイヤルと同じ…コニャックの香りとチョコの味が広がる。
お酒のせいか…触れ合う唇や舌、口内がいつもより熱を持っているように感じる。
ああ…温かい…。
目も熱を帯び、じんわりと熱くなってきた…。
互いの瞳を見つめたまま、そっと瞬きをする…。
クチュリ…と音を立てて、唇が離れる…。
絡まった唾液が糸を引き、プツリと切れる。
漏れ出た吐息が…熱い…。
椅子に座ったままだった私を抱き上げ、ベッドに下ろすインドラ様。
仰向けに寝かされた私に…大きな影が落ちる。
「…きっと大丈夫」
「…何がだ?」
「…お酒に酔う必要はありません」
「…何故だ?」
頬に添えられる、手。
さらに近づいてくるインドラ様の顔。
「チョコを食べると…キスと同じくらい興奮するらしいんです」
「!…ほう」
私の言葉を聞き、ペロリと唇を舐めるインドラ様。
先程飲んだティー・ロワイヤルを思い出す。
やっぱり飲んで正解だった…。
だって今夜は眠れそうにないから…。
「…ならば…媚薬は十分か」
熱で濡れながらギラリと光る目。
「…はい」
小さく返事をする私。
その途端噛みつくように口づけられ、先程のように熱を帯びた舌が絡み合う。
目の前の捕食者に貪り食われることに悦びを覚えてしまった私は彼の頬に手を添えて、荒々しくも濃厚な口づけをただひたすらに受け入れていた…。
〜おまけ〜
「…む」
食堂にやってきたカルナは、厨房に見慣れた英霊がいることに気づく。
「何だ…貴様か」
「オレは茶を飲みに来た」
「…また貴様と同じタイミングか」
はぁ…とため息をつく男。
アルジュナ。カルナの生前の宿敵だ。
見たところ紅茶を淹れているようだ。
紅茶の入ったカップと砂糖、そしてその隣には酒の瓶が置いてある。
「茶を飲むのではないのか」
「何だ急に」
「その酒の瓶は何に使う?」
「…私も今初めて実行するところだが」
アルジュナによると、この酒…ブランデーを染み込ませた砂糖に火をつけ、火が消えたらそれを紅茶に混ぜて作るカクテルがあるらしい。
そもそもこの男、普段からカクテルを作っているのか?と思ったが…。
父親…インドラから聞いたものらしい。
確かに酒好きな神なだけはある。
(※マスターの入れ知恵です)
「火をつける必要があるとは」
「インドラ神は嘘は言わないはずだ。だが説明不足はあるかもしれぬと思い、今回は詳しく聞いた」
そういえばこの男、インドラから勧められたハーブティーで恥をかいていたな。
同じ過ちは繰り返すまいと学習したのだろう。
「砂糖に酒を…こうか?」
ティースプーンに乗った砂糖にブランデーを垂らすアルジュナ。
しかしその際僅かにブランデーが跳ね、カウンターを濡らした。
ちょうど死角になっていたため、アルジュナは気づいていない。
「あとは火…か」
片手でスプーンを持ち、もう片方の手で用意していた着火剤に指をかけ、火をつける。
カチッ
ボッ
「うわ…ッ!」
スプーンの砂糖が、青い炎に包まれる。
アルコールへの引火で勢いよく炎が上がったため、アルジュナは思わずスプーンを手放してしまう。
火のついたスプーンはカウンターの上に落ち…
ボッ
「!?」
突然カルナのファーに青い炎がつき、燃え出した。
先程アルジュナが気づかず溢したブランデー、それに気づかなかったカルナがカウンターに近づき、ファーがブランデーを吸ってしまっていた。
そこへアルジュナがうっかり手放してしまった火がついたスプーンが飛んできたため…
吸い込んだブランデーに引火し、カルナのファーが燃え出した…というわけだ。
「うわっ!?何故貴様まで燃える!?」
「オレが知りたい…」
いつもの口調だが、内心何が起きたかわからず焦っているカルナ。
「はっ!そうだ水だ…」
アルジュナは近くにあったコップで水を汲み、カルナに向かって水をかけた。
「…ッ!!冷たい…」
しかし何を焦ったのか、水をかけたのはカルナの正面だったため、コップの水という少ない水ではカルナの背面に当たる火元のファーには届かなかった。
冷水をかけられ、ただ冷たい思いをしただけとなってしまったカルナ。
青い炎は、どんどん燃え広がっていく。
「貴様何故動いた!?」
「動いてはいない」
燃え広がる炎にさらに慌てる二人。
「ん?何か騒がし…ってカルナァ!?お前何で燃えてんだよ!?」
「ア、アシュヴァッターマン!?」
偶然食堂にやってきたアシュヴァッターマン。
厨房には何故か燃えているカルナと一緒になって慌てふためくアルジュナ。
「おい馬鹿!何で霊体化しねえんだよ!?」
「「!!」」
何故この兄弟はこんな簡単な解決方法を思いつかなかったのだろうか…。
すぐさま霊体化し、再度実体化するカルナ。
ファーの火は…無事消えた。
スプーンの火も、気づけば消えていた。
「何だコレ?酒…それに着火剤!?テメエら酒があんのに何火なんか使ってやがる!?ちと考えりゃ危ねえってわかんだろうが!?」
「それは…」
「まあ…正論ではあるな」
カウンターに散らかった物を見て、ブチギレるアシュヴァッターマン。
言いたいことはあるのだが、アシュヴァッターマンの正論に何も言い返せない二人。
この後アシュヴァッターマンの申告により台所の守護者…もとい赤い弓兵が召集され、こっぴどく叱られるアルジュナとカルナなのであった。
END