たとえ小さな存在でも
たとえ小さな存在でも
プシューッ
「いるか、人間…」
「あ、インドラ様…って何かいつもより酔ってませんか?」
夜、そろそろ寝ようかと部屋の明かりを消そうとしたところで自動ドアが開く。
インドラ様が部屋に入ってきたのだが、どうもいつもより声がふわふわしている。
おまけに自力で歩いてはいるが、よく見ると足元が少々ふらついている。
「見ての通り、明らかな飲み過ぎです」
「インドラさましっかりしてー!」
ヴァジュラたちが、ふらついて傾いたインドラ様の両肩を支えている状態。
ここに来るときは大抵酒をひっかけてから来ているのだが、今日は明らかに飲み過ぎだ。
その状態で、いつもみたいにこっちに来ようとするものだから…。
「…とりあえずタオル敷いとこ」
前に、酔った以蔵さんにされたことは、決して忘れてはいない。
枕にタオルを敷いて『予防』はする。
そしてインドラ様に手を貸す。
「ちょっ…本当に飲み過ぎたみたいですね。大丈夫ですか?」
「…何を言う…神は酒に呑まれはせん…」
「呑まれている方は大体そう言うものです」
「もー。あの人斬りが珍しく博打で大勝ちしていろんな酒買って来たからって、何も今日のうちに全部飲もうとしなくたっていいのにー」
「あ、以蔵さん今日は勝ったんだ…」
勝った分を全部酒につぎ込んじゃったのか…。
まあでも以蔵さんは、せっかく勝ったお金で飲み仲間と楽しく飲んで過ごしたかったんだろうな。
以蔵さんらしいといえば、らしい。
とは思ったけど、ちょっとそれどころじゃなくなってきた。
何しろこの神様…
「重い…」
「…神に向かって…重いとは何だ…重いとは…」
「ご自分が120kgあるって忘れてません?目の前の私が人間(しかも女)だって忘れてません?」
物理的に重い。
身長も212cmある巨人(神)だから身長差のせいで支えるのがやっとなんだよ…。
ヴァジュラたちの力を借りながら、とりあえずベッドまで辿り着いた。
ドサッ…と音を立てて、ベッドに沈むインドラ様。
さて、このまま寝てもらうか何か酔い覚ましに飲み物を用意するか…どうしようか?
そもそも今何かあったかな…。
部屋に備え付けてある冷蔵庫に中身を確認しに向かおうとするが、後ろに引っ張られる力で進めない。
振り返って見ると…。
「…神を置いて…どこへ行く」
服の裾を掴み、私を見上げているインドラ様。
その目は今にも寝入りそうな程とろんとしている。
この分じゃ寝てもらったほうがよさそうだ。
「…わかりました」
要望通りベッドに腰掛けると、掴んだ裾をさらに引っ張ってくる。
奥まで来い…と?
ベッドに上ってインドラ様に近づくと、そのまま腰に手を回され、私の膝の上に頭を乗せてきた。
「えっ…ちょっと…インドラ様?」
インドラ様に膝枕…今回が初めてだ…。
そしてそのまま目を閉じるインドラ様。
いや、ちょっと待って…。
これじゃ私が眠れないんですけど…。
「あのインドラ様?」
「…」
「あっ、狸寝入り決め込みやがった…」
「…うるさいぞ…膝枕…」
「私膝枕って名前じゃねえのですよ!」
ナチュラルに膝枕呼びしてきやがった…。
私の名前一度も呼んだことないくせに。
酔い潰れているのをいいことに、口調が荒くなっていく私。
そう…なんだよなぁ…。
口に出してやろうと思った文句を反芻して、ふと思い返す。
私…インドラ様に一度も名前で呼ばれたことないんだよな…。
『人間』としか呼ばない。
パールさんやガネーシャさん、カーマちゃんはもちろんのこと、アルジュナやビーマ、アシュヴァッターマン、ラーマやカルナさんのことはちゃんと名前で呼んでる。
何ならヴリトラのことも『邪竜』だったり名前だったりで何だかんだしっかり呼んでる。
身内(?)にあたるからそりゃ当たり前だとは思うんだけど。
私は異郷の今を生きる人間だし、人間なんて履いて捨てるくらいいるし…。
もしかしたら私の名前…覚えてもらえていない可能性もあるかもしれない。
初めて会ったときに、自己紹介はもちろんしっかりしたけど、神様からしたら有象無象の人間のひとりでしかないから、覚えてもらえていないとしてもおかしくないかもしれない。
うーん…。
期待するだけ無駄なのはわかってるんだけどどうも一度気になり出すとなぁ…。
チラリと下にいるインドラ様を見る。
「Zzz」
「寝てるし…」
本格的に寝れなくなってしまった…。
〜翌朝〜
「ん…」
先に目を覚ましたのは、インドラだった。
飲み過ぎたせいか、頭が痛いし重い…。
もう一眠りするか…と思ったとき、自分が寝ている場所がいつもと違うことに気づく。
マスターの部屋に転がり込んだ記憶はある。
だが、そこから先はよく覚えていなかった。
どうやら知らぬ間に、マスターを巻き添えにして眠っていたようだ。
インドラは今、マスターの膝を枕にした状態で横になっている。
そしてマスターはかろうじて横になれたのか、膝をインドラに貸したまま体を枕に倒して眠っていた。
恐らく…膝を使われていたせいでまともに寝ることが叶わなかったのだろう。
それでも睡魔には勝てず、力尽きた様子…。
どうやらヴァジュラが気を利かせたらしく、自分にもマスターにもタオルケットが掛けられていた。
それにしても…柔らかい枕だな…。
マスターに無理矢理膝枕させたことについてはさほど罪悪感はないのか、膝枕の心地のよさに感心した様子のインドラ。
よく抱き枕にはしているが、膝枕としてもなかなか悪くない。
今度からまた使ってやるとするか…。
『私膝枕って名前じゃねえのですよ!』
ふと朧げな記憶の中、昨夜のマスターの言葉が蘇ってきた。
確か…抵抗しようとするマスターを無意識に『膝枕』呼びして返ってきた返事だったはず…。
そんなことはわかっている…。
何ならこの人間の名も、忘れていない。
というより…普通初対面で名乗られれば忘れるわけがなかろう…。
だが…結局のところ神からすれば、雨粒の如きちっぽけな人間のひとりに過ぎん…。
この人間が、神を召喚したマスター…流石にそれ自体はすでに認めてはいる。
が、能力も寿命も何もかも…たったひとりの人間だ。
そうだ…。
ちっぽけな存在ではあるが、この神を召喚し、拝謁の機会を与えられた『人間』だ。
神からすればこいつは、まず前提として…護るべき存在なのだ。
そしてその護るべき存在というものは、神が英雄神である以上、数え切れんほどの数がいる。
目をかけられる数にも、限りはある…。
だが…そうだな…。
体を起こし、枕に寄りかかって眠るマスターの頭を撫でる。
熟睡しているのか、まったく反応せずに寝息を立てている。
神である神を恐れて壁を作ることもなく、神の泥臭い姿に幻滅もせず輝いて見えたとほざき、神の過去に涙を流し、神が伸ばした手を決して振り払わず受け入れる女…。
気づけばそばに置くほどにまでなったのだ。
ならば…まあよしとするか…。
「…お前は…神の前から消えてくれるなよ?」
「わかったか…――――」
「マスターの名前…ちゃんと覚えていらっしゃったのですね」
「なあんだー。あまりにも呼ばないから忘れてるんだと思ってたー。キシシッ」
「静かにしろ…起きるであろう。人間ひとりの名前程度忘れるわけがなかろう」
「では何故普段から名前で呼ばないのですか?」
「神々の王は、ちっぽけな人間の名をいちいち口にはせん」
「でも『人間』呼びだと管制室にいる人間のことにもなっちゃうよー?紛らわしくない?」
「名前で呼ばないのならせめてぼくたちのように『マスター』と呼ぶべきでは?」
「『主』を意味する呼び名を、この神が人間に対して使うわけなかろう」
「でしたら尚更名前で呼ぶべきかと」
「、…」
「あれれー?もしかしてインドラさま…名前で呼ぶの恥ずかしかったりするー?」
「………何故恥じる必要がある」
「所謂照れ隠し、というものでしょうか」
「気づいたら変に意識しちゃって呼べなくなっちゃってたりしてー。キシシッ」
「黙れ…こいつが起きるであろう…」
(もう起きてます…とは言えない…)
〜おまけ〜
「…む」
「おや、インドラ神ではないか」
「…ラーマにヴァイカルタナか」
廊下にて…マスターの部屋へ向かうインドラは、ラーマとカルナに遭遇した。
「ちょうどよい…お前たちにひとつ、聞いておくことがある」
「聞いておくこと?」
「何だ?」
この際だ…こいつらの普段の様子も聞いておくか。
そう思ったインドラは、問いかける。
「お前たちは、あの人間のことを名で呼ぶか?」
「マスターのことか?」
「それ以外に誰がいる」
インドラの問いが予想外のものだったため、思わず顔を見合わせる二人。
「オレは基本マスターと呼ぶが、たまに名前で呼ぶこともあるな」
「余も、基本はマスターと呼んでいるな」
「ほう…ならばヴァイカルタナよ。何故お前はあいつを名で呼ぶ?」
「確かにオレにとってはマスターだが、それ以前にひとりの人間だ。マスターという重責に負われ、それを彼女自身が忘れてしまうのはよくないと考えている」
「それは確かにな…それでマスターの息抜きになるのなら、たまには名前で呼んでもいいかもしれぬな」
「……なるほどな」
二人の意見を聞き終えたインドラは、ひと言呟いてそのまま歩き去って行った。
残されたラーマとカルナ…。
「インドラ神…急にどうしたのだろう?」
「マスターを名前で呼びたいのだろう」
「え?ならば普通に呼べばよくないか?」
「神々の王という肩書きを背負っている以上、プライドが邪魔をして、ひとりの人間の名前すら呼べていないのだろう」
「うーん…余にはわからんな。愛する者の名前などいくらでも呼びたいものだと思うのだが」
「ああ。ただし単なる照れ隠しの場合もある」
「あ…まあ…そっちのほうがしっくりくるな…」
「ん?お前たちか」
「お、インドラ様」
「おや、インドラ神」
ラーマとカルナと別れたインドラ。今度はビーマとアルジュナに遭遇した。
今日は随分とよく知る顔に会うな…。
もののついでだ…。
この二人にも聞いてみるか…。
「お前たちに聞くが…」
「はい?」
「…何でしょうか?」
素直にインドラからの問いを待つビーマと、どんな問いがくるのか身構えるアルジュナ。
「あの人間の名を呼ぶことはあるか?」
「あの人間?」
「…マスターのことでしょうか?」
「そうだ」
意外な質問に目を丸くする二人。
「俺は名前で呼んだことはねえなぁ…。いつもマスターと呼んでます」
「そうか…我が息子よ。お前はどうだ?」
「私は…」
ひと息ついて、アルジュナは答えた。
「いつもはマスターと呼んでいますが…」
「が?何だ?」
「マスターの名前を…呼んでみたいという気持ちはあります」
「そうなのか?」
「…何か理由があるのか?」
ビーマとインドラからの質問に、少し考える間を作ってから答えるアルジュナ。
「私にとっては、一種の信頼の形でもあると思っています。名前でお呼びするのは…何と言いますか、どこか友のような感覚ですから」
「友…か」
「しかしそれは心を許した相手のみです。私からの信頼はどうあれ、マスターにも心を許してもらえない限りは、名前でお呼びすることは憚られてしまいます」
「マスターなら大丈夫だと思うけどな。むしろ名前で呼んでもらえるのは普通に嬉しいだろ?」
「それはそうなのですが…」
「変にかしこまるほうが壁ができちまうだろ」
「しかし強引に距離を縮めるのは…」
ビーマとアルジュナが「いけるって」「いえ流石にまだ」等の掛け合いをする中、今まで聞いてきた意見について何かを考えているインドラ。
重責の中の息抜き…。
信頼の証…。
「まあ…気が向いたらでいいか」
「「え?」」
「邪魔したな、お前たち」
そう言うと、二人の横を通り過ぎるインドラ。
そして残された二人は…。
「インドラ様…そういや普段から、マスターのことは名前で呼んでないな」
「『マスター』とも呼んでいませんね」
「もしかしてインドラ様…マスターの名前忘れちまってるなんてことは…ってそんなわけねえか!」
「…!」
「あんだけ仲良いんだし、単に名前呼ぶタイミングを窺ってんのかもしれねえな!」
「…いえ、あり得ます」
「ん?何がだ?」
「マスターのお名前を忘れてしまっているということは十分にあり得ます!」
「は?いやいやアルジュナ…俺らも召喚されてすぐマスターから自己紹介あったろ?」
「そうですが…たとえマスターといえども、人間が相手ならば神の視点では些事と捉えられて忘れ去られてしまうこともあるでしょう」
「いや、あんだけ人間好きなお方なら流石に…というかアルジュナ。仮にも実の父親なんだから、お前はもう少しインドラ様のこと信じてやっても…」
「これは流石に由々しき事態…インドラ神に何とかマスターのお名前を知らせなくては!!」
「だからちゃんと覚えてると思うって!!兄ちゃんの話ちゃんと聞いてくんねえかなぁ!?」
END