吹雪のち小雨
吹雪のち小雨
「で?一体何したんです?」
「何をしたんですか?」
「まさか浮気か?」
「何をしてマスターを怒らせたのです?」
「どんな地雷ブチ抜いたんです?」
「…」
「どうせ女絡みであろう」
「いっぺんに喋るな!それに何故お前までいるのだ邪竜!?」
食堂の一角。
インドラがマスターを怒らせた、との知らせを受けて関係者が集まる。
カーマ、パールヴァティ、アルジュナ、ラーマ、ビーマ、カルナ、ヴリトラ…そして今回の当事者であるインドラだ。
「面白そうだから参加してみた!」
「貴様…それに何故神が何かしでかしたこと前提で話を進める!?」
「『インドラさまが一方的に怒らせた』と聞きましたが?」
「おいヴァジュラ」
「事実だよインドラさま」
「…ッ」
「一体マスターとの間に何があったのですか?」
「それか何か心当たりはあるんですか?」
アルジュナとビーマに尋ねられ、バツが悪そうに視線を逸らすインドラ。
「今朝マスターの部屋を訪れた際のことです…」
少年体のヴァジュラが話し始めた…。
〜回想〜
プシューッ
「邪魔するぞ…ん?留守か」
マスターの部屋を訪れたインドラだったが、マスターは留守だった。
いつものようにヴァジュラたちに捜索を命じ、ベッドに腰を下ろす。
「ただいま戻りました」
「ブリーフィング中だったよ!」
「そうか。ならば直に戻るであろう」
マスターがどこかにいる時は、ヴァジュラたちに捜索させて部屋に戻すのが日常だが、ブリーフィングは例外だ。
流石にマスター本来の業務に関わるものを切り上げさせることはしない。
「ん?」
と、ある物がインドラの視界に映る。
「どうしたのインドラさま?」
「引き出し?」
マスターのデスク。
その引き出しから、赤い紐のようなものが僅かに飛び出ている。
「開けろヴァジュラ」
「「了解!」」
気になったインドラは、引き出しを開けるようヴァジュラたちに命じる。
中にあったのは…
「何だろこれ?」
「本ですかね?」
少し厚みのある本。
赤い紐は、その本に挟まっている栞のようだ。
インドラのもとに運び、ヴァジュラたちが栞の挟まったページを開く。
「…あいつの字だな」
「日記帳でしょうか?」
「あ、そうみたい。日付もあるし、この前のレイシフトのことが書いてあるねー」
マスターの日記帳だった。
「日記って、その日あったことを書くんじゃなかったっけ?何か難しいこと書いてあるよ?」
「さてな…短い生を持つ人間にしか務まらん習慣であろうよ」
「そもそも読んでも大丈夫なのでしょうか」
ページを捲りながら中身を読んでいると…。
プシューッ
「インドラ様?」
マスターが部屋に戻って来た。
「戻ったか」
「すみません、ブリーフィングで……ッ!?」
近づいて来たマスターの視線がヴァジュラたちに向いた瞬間、マスターが目を見開き固まった。
「どうした」
「……それ…」
「これ?引き出しから紐がはみ出てたから出してみたんだよー」
(やはり見てはまずいものだったのでは)
「………」
「おい、どうした」
「…返してヴァジュラ」
「いいよー。ほら」
少女体のヴァジュラが日記帳を差し出すと、それを無言で受け取り引き出しに入れるマスター。
バタンッ!!
そしてかなりの力を込めて閉めた。
「おい、随分と乱暴に…」
「何故中身を見たんですか?」
インドラの言葉に被せるように、淡々とした言葉を言い放つマスター。
「…怒っているのか?」
「何故勝手に見たんですか?」
「…引き出しから紐がはみ出ていた。それが何か気になっただけだ」
「そうですか。なら、ちゃんとしまわなかった私にも非はありますね。申し訳なかったです。でも勝手に人の日記帳を見るのはどうかと思います」
「…おい、何をそんなに怒っている?」
淡々と、それでも鋭い言葉を矢継ぎ早にインドラへ放つマスター。
そしてインドラに向き直ったマスターの顔は…
「……ッ!?」
思わずインドラがぞっとするほど、表情がなく冷たい眼差しをしていた。
マスターが今までインドラに、こんな表情を見せたことなど一度もなかった…。
「3日間…話しかけないでください」
「は?おい、何を勝手に決めて…」
「私も話しかけませんので」
そう言うと、マスターは引き出しの一番下から布に包まれた何かを取り出して腕に抱え、部屋の入り口へと向かう。
「おい待て!何をそこまで…」
「ご自分でお考えください」
「…ッ!?」
インドラの言葉をバッサリと切り捨て、マスターは部屋から出ていってしまった。
「あわわわ…マスター怒っちゃった…」
「まるで吹雪のような冷たさ…あれがマスターの怒り方なのですね…」
「…お前たち、連れ戻せ!」
「「りょ、了解!」」
内心慌てながらも、ヴァジュラたちに命令を出すインドラ。
そして動揺しながら部屋を飛び出していくヴァジュラたち。
が、すぐに部屋に戻ってくる。
「おい…どうした」
「インドラさま…残念ながら」
「めちゃくちゃ怒っててぼくたちでも無理強いしづらい」
「…ッ」
マスターの強硬姿勢に、頭を抱えるインドラとヴァジュラたちであった。
〜回想終わり〜
「これは…」
「ああ…」
「「「「「「インドラ/神/様が悪い」」」」」」
カーマ、パールヴァティ、ラーマ、ビーマ、アルジュナ、ヴリトラが同時に声を上げる。
「可哀想に…よりによってデリカシーの欠片もないインドラに見られてしまうなんて…」
「日記帳だと気づいた時点でそっと元の位置に戻しておくべきところを…」
「インドラ様…勝手に日記帳を読まれたら俺だって怒りますよ」
同情するカーマ、ぼやくラーマ、擁護の言葉が見つからないビーマ。
「そうは言うが…そもそも日記帳とは日々の記録であろう?そうも他者に見られたくないものか?」
「ただの日々の記録だけではなく、自分が密かに抱える悩みや、他者に言えないことを文字にすることで、自分と客観的に向き合うことに使われることもあるのです」
「そうです!特に女性なら変動しやすい情緒を安定させるために、自分の気持ちを書き殴ることも珍しくありません!それを誰かに覗かれるなんて…ぞっとします」
「マスターさんの触れられたくない秘密を覗いた貴方は最低ですよ」
アルジュナ、パールヴァティ、カーマから次々と指摘されて反論ができないインドラ。
「…疑問なのだが」
と、ここでカルナが初めて口を開く。
「マスターを訪ねて不在だった際、当然のようにヴァジュラに捜索に行かせ、部屋に戻しているのは如何なものかと思うが」
「あ…」
「確かに…」
カルナの意見に、インドラを除く全員が目から鱗が落ちたような反応をする。
「何か問題があるのか?流石にマスターとしての務めには口を挟むことはせんぞ?」
「つまりマスターにはマスター業務以外…例えば食事、息抜きでの遊び、部屋での休憩や作業等はすべて中断させていることになるが」
「ん…まあ、そういうことにはなるな」
「は?」
「え?」
「冗談ですよね?」
「何だと?」
「…インドラ神?」
「鬼か?」
衝撃の事実が発覚し、言葉を失う一同。
「はっきり言うぞ。マスターが嫌な顔をしないという理由で己の都合に付き合わせ過ぎだ」
「カルナの言う通りだインドラ神!いくらなんでも自分を優先させ過ぎだ!マスターの自由が失われてしまっている!」
「いつインドラ様から呼び出しを食らうのか、気が気じゃなくて休息すらとれねえのでは?」
「ほう…つまり貴様らは、あいつが神と過ごす時間は気を張り詰める時間だと?」
カルナ、ラーマ、ビーマの意見に僅かな威圧を込めて返す。
「当たり前じゃないですか」
と、横槍を入れるカーマ。
「…何だと?」
「だって貴方…神なんですから」
「?」
「人間からすれば、いつ貴方の機嫌を損ねるかわからないんです。いくら好きな相手でも本当の意味で気を抜けるはずがないでしょう?マスターさん、貴方と一緒にいて何回かは命の危機を感じた経験があるはずですよ」
「お前に何がわかる」
「お言葉ですがインドラ神」
「!?」
意を決したように、アルジュナが声を上げる。
「カーマは決して出鱈目を言っているわけではありません。人間が神に意見をするのは、容易くできることではありません。人間側はいつどのタイミングで神により命を奪われてしまうのか、一度は考えるものだと私は思っています」
「…ッ」
息子からのカミングアウトに言葉を詰まらせるインドラ。
「何を今更…圧倒的に強大な存在に逆らったら死あるのみ…貴様らはそうして人間どもを崇めさせてきたのであろう?マスターも人間。つまり例外ではない。ただそれだけのことじゃ。一体それの何が不満だという?」
旗色の悪いインドラをからかうヴリトラ。
「インドラ神はマスターを、自由にさせているつもりかもしれんが、呼び出されたらすぐに出向くことを強制するのは立派な束縛に当たるのだぞ」
「ガネーシャ神たちとのゲーム、作家との茶会、子どもたちとの遊戯、図書館での読書…ヴァジュラたちがマスターを連れ出したことで中断されたコミュニティの者たちは、寂しさと同時に『神に呼ばれているのなら何をされるかわからないから仕方ない』と口々にぼやいていた」
「…」
自分ではマスターを放牧させていたつもりだったらしいインドラ。
神の常識と人間の常識は違う。
そしてインドラがマスターとの間に望んでいる関係というものは『恋人』。
本来は対等な関係であるからこそ、齟齬が生まれやすい。
何せ身分…もとい種族が違う。
「インドラ様がそれに違和感を覚えずに過ごして来れたのは、マスターが裏ですべて背負っていたからなんだと思います」
「…ッ」
「それでもインドラ様に何も言わなかったのは、なんつうか…それを背負ってでもインドラ様と一緒にいたいからなんじゃないですかね?」
「!」
「はぁ〜…結局そこですよね」
「呆れるの…男を見る目がなさ過ぎる」
「流石に今回は、堪忍袋の緒が切れてしまったんでしょうね」
「3日だったな?きっとマスターは、インドラ神に愛想を尽かしたのではなく、頭を冷やす時間が欲しいのだろうな。長く感じるかもしれんが、どうかマスターの望みには応えてやってほしい」
「そうですね。恐らくマスターは、ご自分の気持ちをきちんと整理されてからインドラ神と向き合おうとしているのだと思います」
「これを至極当然の理と捉えるか、小雨のような幸福と捉えるか。神々の王インドラという神の見事な采配をオレは見守らせてもらうとしよう」
カルナの言葉を最後に、一同はそれぞれ席を立ち去っていく。
「…まったく、好き勝手言いおって」
「インドラさま…どうするの?」
「3日間はマスターと接触禁止です」
「なに、たった3日だ。そう長くもない。3日後のあいつがどんな顔をして神に声をかけるか…楽しみのひとつとしてやろうではないか」
「完全にインドラさまの過失が原因ですが」
「うるさいぞ」
〜3日目の夜〜
「…」
カチッ
時計の数字が0時を表示する。
日付が変わったタイミングで自室から出たインドラは、とある部屋を目指す。
コツ…コツ…コツ…
自身の靴が歩幅に合わせて音を立て、カルデアの暗い廊下に響く。
コツ…
そして、目的の部屋の前で足を止める…。
プシューッ
部屋は真っ暗だった。
だが鍵はかかっていなかった。
この時間の来訪者…インドラが来るのをわかっていたかのようだ。
部屋に入りドアを施錠する。
そして、ベッドにいる彼女…マスターのもとへと歩み寄る。
「…起きているのだろう?」
声をかけるインドラ。
するとインドラに背を向けるように寝転んでいたマスターが、ゆっくりとこちらへ寝返りを打つ。
「…来ると思いました」
聞こえてきた声には、3日前のような冷たさは感じられない。
「約束通り…3日距離を置いた。そして日付は変わった。もう縛りはないはずだ。違うか?」
「…違いません」
マスターは答える。
「お前は神に何を求める?」
「…二度と勝手に引き出しを開けないでいただきたいです」
「ああ…わかった」
「…」
「…それで?」
「…」
「…神に謝罪は要求せんのか?」
「…しません」
「ほう…何故だ?神が謝罪なぞするわけがないと考えているからか?」
「…謝罪が欲しかったのは、3日前のあの瞬間だけです。二度と勝手に引き出しを開けないと約束いただいたので、今は必要ありません」
「…なるほど」
「…」
「何故日記帳という小さな本に縋り付く?」
「…私は強くありませんから、文字にしないと自分の想いに気づけないんです。情けない自分が書かれていますから、見られたくないんです」
「…人間は皆情けない生き物であろう」
「…それはそうですけど」
「やはり日記帳というものは、お前たちにしか続けられん習慣ではあるな。神たちにはキリがない」
「…インドラ様は何年生きてるんですか?」
「神にもわからん」
そこまで言うと、インドラはベッドに腰掛ける。
この場所も3日ぶりだな…。
マスターの部屋も実質出禁だったからだ。
自室で過ごす時間よりマスターの部屋で過ごす時間のほうが圧倒的に多くなったのは、一体いつからだろうか?
「詰めろ」
「嫌です」
「ならば上に乗るが構わんな?」
「…」
諦めたマスターは場所を詰め、ベッドのスペースを作る。
空いたスペースに横になり、隣にいるマスターを腕の中に閉じ込めるインドラ。
「お前は…神と共に過ごす中で、命の危機を感じたことはあるか?」
「…」
あのときカーマに言われた言葉がどうも気になって仕方ない。
こいつは神を恐れているのだろうか?
「…何度もあります」
「、…そうか」
「…いつどのタイミングで機嫌を損ねるのかわかりませんから」
「…そんなに恐ろしいか?神は」
「…貴方は神様でしょう?」
「そうだが」
「…私の命を簡単に消し飛ばせますよね?」
「当然だ」
「なら怖いでしょう…普通」
神は平和ボケしていたのだろうか?
人間は神を恐れる…そんな当たり前のことをすっかり忘れていたようだ。
いや、忘れていたわけではないな。
正しくは…目を逸らしていた、か?
そんなにも神は、この人間から恐れられたくないというのか…。
大いなる神と讃えられたいくせに、恐れられたくはないとはな…。
「ならば何故神のそばにいる?」
「…逃げたら捕まるじゃないですか」
「それはそうだが…何故好んで神といる?」
「…いたいからです」
「理由は?」
「ただいたいだけです」
「…よくわからんな、お前は」
「…もういいでしょう?眠いんです」
神が来るのを待っていたせいだろうか。
先程から神の問いかけにポツリポツリと…。
まるで小雨のような受け答えだ。
ちょうど、外にも小雨が降り出したようだ。
今回はこのくらいにしてやるか…。
そう思い、腕の中の彼女にしがみつくような姿勢で瞼を閉じた。
〜おまけ〜
インドラにブチギレた直後のマスター。
「私はただ勝手に日記帳読むなんてことはしないで欲しかったんです。私の許可なしに引き出しも開けないで欲しかった…」
「…言い分も状況も理解はした」
「ありがとうございます」
「だが…」
「相談する相手を間違えておらんか?喧嘩した相手はカルデアにいる神であろう?」
「そうなんですが…」
日記帳を勝手に読まれて私がブチギレただけなんだけどね。
私は避難場所としてインドラ様からもらったスカイドームを持ち出し、この空の中にいるインドラ様に愚痴っている。
あ、お酒は持って来たよ?
ただ、カルデアにいる自分と喧嘩した私がまさか自分に愚痴りに来るとは思わなかったようで…。
物凄い顔顰めてる…。
でも愚痴は聞いてくれるし、カルデアのインドラ様が今何をしているかも教えてくれる。
どうやらインドの英霊たちが集まってインドラ様が袋叩きに遭ってるらしい。
「そもそも避難場所として使うな」
「不快でしたら蹴り出していただいて結構です」
「…ちなみに何故ここへ来た?」
何だかんだ居させてくれる。
優しいな…。
「インドラ様と険悪になった隙にいろんな英霊たちが擦り寄って来るので安全地帯がなくて…」
「…まあ、賢明な判断だ」
「あと今インドラ様の顔見たら怒りが再燃しそうなので」
「今お前の目の前にいるのだが?」
「違うインドラ様なのでセーフです」
「…はぁ」
私が持って来た酒を飲むインドラ様。
「ならば…3日間の接触禁止を食らったあちらの神がどう出るか…気になるであろう?」
「気になります」
「3日目の夜から4日目…つまり日付が変わる頃まで起きていろ。夜這いに来るはずだ」
「反省してなくないですか?」
「自ら謝りはせん。お前が謝罪を望むのなら謝罪をする…といったところであろう」
「えぇ…」
「要は『お前の望みを叶えに来た』体だな。神という神はそういった形でしか謝罪せんであろう」
「やっぱり反省してない…」
「すると思うか?」
「………」
「しかし、あちらの神は随分と怖気づいているようだな。よほどお前に恐れられることを危惧しているらしい」
「私に?」
「神が人間の顔色を窺うとは。神にそこまでさせた罪は重いぞ?人間」
「重いのはインドラ様の気持ちでは?」
「何か文句があるのか?」
「…いいえ」
「あちらの神は他の英霊たちとの付き合いに寛大な態度をとりつつ、実際は呼び付けにより無意識の束縛をしているようだが」
「ああ…もちろん呼び出しをやめてくださるなら嬉しいです。他の英霊たちとの時間も取りやすくなりますから」
「フン…例を上げれば出てくるではないか。何故普段からその不満を神に言わん?」
「言ったら機嫌悪くしますよね?私もまだ死にたくないので」
私の返答にため息をつくインドラ様。
「はぁ…このようなすれ違いで、よく今まで耐えていたものだ」
「今何と?」
「気にするな。ならば仕方ない…特例だ。今この場ではこの神々の王への進言を許す」
「それは…」
「ただし…物の言い方には気をつけろよ?あくまでも神が聞き入れるのは意見のみだ」
「!はい、ありがとうございます」
何だかんだこの神様はこちらに寄り添う姿勢を見せてくれる。
その気持ちを噛み締め、私は普段から思っていることを話すのだった。
END