貴方の目で『視える』もの
貴方の目で『視える』もの
「右0.8…左0.5…」
「…下がってる」
医務室にて、目の検査を受ける私。
ここ最近、遠くがぼやけて見えにくいと感じ始めたのだ。
そしてピオ先生に相談したところ、検査を受けることになった。
結果は…案の定視力が低下していた。
「見え方はぼやけて見えるだけか?妙なものが見えたり歪んで見えたりすることは?あとは視野が欠けていないか?」
「全部ない」
「目の奥を診るぞ…顎を乗せて額をつけろ」
細隙灯顕微鏡越しに、私の目を交互に診ていくピオ先生。
細隙灯顕微鏡とは、眼科の診察室に設置されている目を診る際に用いる大きな器具のこと。
眼科にかかったことのある方ならば、診察室でこれに顎を乗せて顔を固定され、医師に目を診てもらった経験がおありかと…。
一通り診察を終えたピオ先生。
「近視で間違いなさそうだな」
「…眼鏡とかコンタクトする必要あるよね?」
「まずは眼鏡を着用することを推奨する」
「やっぱりか。ならダヴィンチちゃんにでも…」
「僕にも作れるぞ?」
「え?あ、そういえば先生…道具作成EXだっけ」
なるほど…眼鏡は医療器具。
つまり医療器具しか作らない先生の専門分野というわけか。
「とりあえず先程のレンズの具合からして、このくらいでいいだろう…かけてみろ」
そう言うと先生は、あっという間に眼鏡を作り出して私に差し出してきた。
薄い黒縁のフレームをした眼鏡…。
デザインは選ばせてくれないんだな…。
少し不満に思ったが、眼鏡をかけてみる。
「わ、よく見える…」
クリアになる視界。
やっぱり気づかないうちに少しずつ視力が下がっていたらしい。
「言うまでもないが、目を酷使する作業をした後はなるべく目を休ませろ。少しの間目を閉じたり、遠くを眺めるだけでもいい。眼鏡はあくまで見えにくいものを見るためのツールとして使え」
「はーい」
ピオ先生がついでに作ってくれた眼鏡ケースを受け取る。
中を開けると、眼鏡拭きの布まで入っていた。
ちなみに言っておくと、うちのカルデアには北欧夫妻がいない。
つまりシグルドがいないため、ルーンの加護がついた『あの眼鏡』はないのだ。
なのでこうなってしまったら、ピオ先生の診察を受けるしかない。
まあピオ先生のことは、信頼できる主治医だと思ってるけど。
「見え方に変化があれば来い。度数の調整や他の検査をするからな」
「ねえ先生…今更だけどこんなところに細隙灯顕微鏡なんて生えてたっけ?」
「僕が作った。目の診察には欠かせないからな」
「流石…こんな高性能なものまで作れるとは」
「僕が使いやすく調整できる医療器具を僕自身で作れる。そのあたりは英霊となった恩恵だな」
若干嬉しそうなピオ先生。
内心『ヨカッタネ』と思いながら、眼鏡を外して眼鏡ケースにしまう。
「じゃあ部屋に戻るね。眼鏡、ありがとう先生」
「必要な処方をしたまでだ…お大事に」
ピオ先生は端末に向き合い、診察内容をカルテに書き込んでいく。
椅子から立ち上がり、医務室を出る。
とうとう私も眼鏡が必要になってしまったか…。
でも見えにくくて転んじゃったり、人の顔の判別もつかない程度じゃないから、先生に言われた通り書類仕事や端末操作のときだけでいいか…。
プシューッ
マイルームに戻って来た私。
デスクの上を見ると、そこそこ山積みになっているレポート用紙たち…。
期限が迫ってるものがいくつかあるから、今のうちにやっておかないと所長にキレられる…。
椅子に座りレポート用紙を目の前に置く。
「…やっぱりちょっと見にくい…」
先程眼鏡をかけてクリアな視界を見た後だからというのもあると思うけど、目の前のレポート用紙の字がぼやけて見える気がする。
早速、もらった眼鏡をかけてみると…。
「おお…めっちゃ鮮やかに見える」
滲んでいた字がはっきりと見える。
でもあまり長時間使うと負担になるから、こまめに外すために休憩を入れないと。
文字が綺麗に見える感動を噛み締めながら、特異点についてのレポートをまとめていく…。
プシューッ
「邪魔するぞ」
「インドラ様?」
自動ドアが開き、インドラ様が部屋に入ってきた。
私は顔だけをインドラ様の方へ向ける。
「ん?眼鏡か?」
初めて見る、私が眼鏡をかけた姿に少し目を見開くインドラ様。
「視力が悪いのですか?」
「アトラス院制服の伊達眼鏡しかかけてなかったよねー?」
ヴァジュラたちにも尋ねられた私は、つい先程ピオ先生から近視の診断が下ったこと、矯正用に眼鏡をもらったことを説明した。
「なるほど…要は目の使い過ぎか」
「はい…今みたいな書類仕事や端末の操作で目を酷使してしまうので」
「人間の目は脆いですね」
「ふたつしかないしねー」
「そもそも剥き出しの臓器だから衝撃にはかなり弱いし、年を取れば老眼にもなるからね」
現代では手術で治るものもあるけど、基本目というものは一度悪くしたら元には戻らないと思ったほうがいいからね。
失ってから後悔することがないように、大事に扱わないと。
インドラ様やヴァジュラたちと雑談をしながらもレポートを書く手は止めない。
最近はレポートを書きながら相手をしていても、何故かインドラ様やヴァジュラたちから抗議されることがなくなったから。
何故かはわからないけど。
「ん?」
と、レポートを書き進めていた私はとある文字が目に留まる。
「『千里眼』…」
「ん?何か言ったか?」
インドラ様から声をかけられた私は、かけていた眼鏡を一旦外し、前々から疑問だったことを尋ねてみることにした。
「あの…インドラ様」
「何だ」
「『神の目』は一体どこまで見えるんですか?」
「…急にどうした」
「アルジュナが持つような『千里眼』とはどう違うのかなって…」
「…ふむ」
急な質問に、少し考え込むインドラ様。
インドラ様からしたら今更どう説明していいのかわからないのかもしれない。
少し時間を開けて、口を開くインドラ様。
「例えて言うならば…神がお前に何か問いかけをしたとする。そこでお前が出した答えの真偽を見抜くことくらいは容易いものだ。神に向けた言の葉に悪意があるか否か…といったこともな」
「嘘か本当か…悪意の有無まで?それって実質心を読んでいるようなものでは?」
「今更であろう。そもそも英霊どもの中には考えが視える『妖精眼』、鼓動の音の違いを聞き分け嘘を暴く『超越した聴力』、ヴァイカルタナが持つ『貧者の見識』といったスキルにより、真意を測る者も多かろう」
「そう…ですね」
ちなみに今、カルナさん以外に名前が挙がった英霊はアルキャスにオベロン、あとトリスタンだ。
「ちなみに…インドラ様」
「何だ」
「『神の目』を、ただの人間が持つとどうなると思いますか?」
「…」
インドラ様の眉が一瞬ピクッと動いた。
「…欲するか?『神の目』を」
「いえ、そうではないんですが…」
「『やめておけ』このひと言に尽きる」
「…何故ですか?」
「何故だと?決まっておろう…」
「お前たちには抱えきれんからだ」
「抱えきれない?」
「確かにこの目で視えるものは多岐に渡る。が、それは決して己にとって都合の良いものばかりではない。人間は社会というものを作る生き物だ。他者の心の機敏がすべて視えてしまっては、それはいとも容易く崩壊するであろうよ」
「…確かに」
「それだけではない。その目で見て価値を感じた膨大なものを後世に残す…もしくは新たにできた目的のために行動に移すとしたところで、お前たちには限られた時間しか残されておらん。悠久の時を生きる者ならまだしも、お前たちは己の生を全うすることすら精一杯であろう」
「それは…そうですね」
「この神が常日頃から『苦行をするな』と言うのは『短き生を生きる者は余計なものを背負わずともよい』という意味だ。その命…無駄に燃やし尽くしてくれるなよ?」
「…はい」
インドラ様の考えは…正直人間たちの間でも多少の賛否が分かれるかもしれない。
私は…インドラ様は私たち人間のことを庇護対象として見ているから、余計な苦しみを味わうことなく自らの生を全うしてほしいんだなって思ったけどさ。
「だが…そうだな」
ひと言呟くとインドラ様は、椅子に座る私に近づいて来た。
「目を閉じよ」
「え…はい」
言われた通りに目を閉じる。
すると…。
チュッ
「!?」
閉じた瞼に柔らかいものが触れたと同時に、軽いリップ音が聞こえた。
今…
瞼に、キスされた…?
思わず目を開けると、目の前には悪戯な笑みを浮かべたインドラ様が。
「以前からお前に不意打ちを食らってばかりだったからな。お返し…というやつだ」
「…ッ!!な…何で今…」
「…気づかんか?辺りを見渡してみろ」
「え…見渡す……って…えっ!?」
インドラ様に言われ、部屋の中を見渡してみるとすぐに気づいた。
「目が…よく見える…」
そう、近視のせいでぼやけて見えていたものがとてもクリアに見えるようになっていた。
「見えづらいのも何かと不便であろう」
「これって…時間経過でさっきみたいに視力が下がりますか?」
「いや、下がらん。要は『下がった分の視力を常人本来の視力に戻した』ということだからな」
「リセットされたようなものですね」
「インドラさまに感謝しろよー?キシシッ」
「………」
つまりこの神様…私の近視を治しちゃったってことだよね!?
「…うん、有り難い。確かに有り難いです…」
「フッ…些細なものではあるが、この神から今を生きる人間への激励だ。光栄に思え」
すっかり上機嫌なインドラ様とヴァジュラたちを見守りつつ、私の心の中では不安の嵐が徐々に吹き荒れてきた。
(どうしよ…ピオ先生に何て説明しよう…?)
〜おまけ〜
「失礼し…おや?」
アルジュナが医務室に入ると、椅子に座ったアスクレピオスが何やらドス黒いオーラを放ち、端末に向かって何かを呟いていた。
何か…あったのだろうか…。
警戒しながら様子を見守っていると、こちらに気づいたらしいアスクレピオスが椅子ごとアルジュナの方を向いた。
「…お前か。いつもの胃薬か?」
「そうですが…何かありましたか?」
アルジュナの姿を確認すると、いつもの態度に戻り静かに話すアスクレピオス。
「…はぁ。本来ならお前に愚痴を言うところではないのだがな」
「いつも貴方に助けられていますから、私でよければ愚痴のひとつやふたつ…聞きますよ」
いつも父親の愚痴を聞いてもらっている立場からすれば、少しでも彼に報いることをしたい。
そう思ったアルジュナ。
「……なら言わせてもらうか」
「どうぞ」
アスクレピオスはひとつ大きなため息をつくと、静かな声で話し始めた。
「先日、マスターが近視…つまり遠くが見えづらくなっていることが発覚し、眼鏡を処方した」
「マスターが?」
「眼鏡で矯正すれば問題ないものだ。だが…」
徐々にその声に苛立ちが混じり始める。
「あろうことか…お前の父親が神の権能を使い、マスターの近視を勝手に治した」
「父が…ですか?」
「ああ忌々しい…やはり神は碌なことをしてくれんものだ」
もはや呪詛でも吐き出すような勢いで、ドスの効いた声を出すアスクレピオス。
先程のように真っ黒なオーラを放っている。
しかしアルジュナからすれば…
「つまりそれは、マスターの疾患が治った…ということですよね?何か問題があるのですか?」
医者であるアスクレピオスは、病気を治すことが使命のはず。治ったのなら、それはむしろいいことなのでは?
そう思ったのだが、どうやらアスクレピオスからすれば『いい迷惑』だったらしい。
「…治すのはいい。他の医者によって治療が施されたのなら、具体的な治療法やその後の経過を共有してくれればいい話だからな。だが神による神秘の力により勝手に治されては、どのようにして視力を回復させたのかわからず仕舞いだ!こちらは精密に検査をした結果を元に、経過観察と同時進行で治療方針を決めていく予定だったというのに、それを見事に台無しにしてくれた!このカルデアにいる以上、マスターの主治医は僕だ…ならばマスターの健康状態は僕がすべて把握している必要がある!このカルテに『神の力により低下した視力は回復した』などと意味のわからん記載をしなければならなくなった僕の立場を考えろ!!」
「そ…それは…」
ブチギレながら一気にまくし立てられ、返す言葉が見つからないアルジュナ。
ひと通り言いたいことを言い終えたアスクレピオスは、ふぅ…と息をつく。
「…いや、悪かった。お前にぶつけたところで何の解決にもならない。その上お前の胃痛を悪化させかねない要因を作ってしまったかもしれん」
「いえ…むしろ、父がすみません…」
父からすれば善意以外の何物でもない行動だったのであろうが、アスクレピオスからすればたとえ善意であろうと素人(という名の神)の独断で手を出されたことに我慢がいかなかったのだろう…。
申し訳ない気持ちに苛まれ、キリキリと胃が痛み出し俯くアルジュナ。
「…これも無駄になったな」
ふと呟いたアスクレピオスの声に反応して顔を上げると、手に何かを持っていた。
「それは?」
「マスターの近視に合わせて作った眼鏡だ…もはや不要となってしまったがな」
「貴方が作ってくださっていたんですね」
「医療器具を作るのも僕の仕事だからな」
いろいろ文句を言いながら、この医神もマスターのためにあれこれと動いているのだな…と痛む胃を抱えながらも感心するアルジュナなのであった。
END