あの人間がよくわからないのだが
あの人間がよくわからないのだが
「お、インドラ様」
「おや、インドラ神」
「ん…お前もいたのか、我が息子よ」
食堂にて。
アルジュナがビーマと雑談をしていると、インドラが入ってくるのが見えた。
声をかけると、息子の姿を見たからなのか…ご機嫌な様子で返事をする。
「今ご用意しますんで、お席でお待ちを」
「ああ」
そう言うとビーマは、食事の支度を始める。
「…ちょうどよいか」
「はい?」
アルジュナとビーマに交互に視線を向けたインドラが、不意に呟く。
「お前たちならば…わかるやもしれん」
「ん?」
「何が…でしょうか?」
二人が反応すると、アルジュナの席の向かい側に腰を下ろすインドラ。
ゆっくりと足を組み、再度口を開く。
「あの人間のことがよくわからなくなってきた」
「…え?」
「マスターのことが…でしょうか?」
「ああ。神には理解し難い」
あまりに意外な内容に、開いた口が塞がらないアルジュナとビーマ。
マスターのことがわからない?
この神は今更何を言っているのだ?
また喧嘩でもしたのだろうか?
「え…っと?マスターと何かあったんですか?」
インドラの目の前に料理を置きながら、詳しい事情を尋ねるビーマ。
「特別何かがあった…というわけではない。が、あいつという人間に対する理解が、少々及ばんと感じたまでだ」
「…何があったのか、お伺いしても?」
こうなればもはや、目の前に神である父親がいることの重圧よりも、マスターの何が理解し難いかの方が気になって仕方ないアルジュナ。
「…よかろう。何か思い当たるものがあれば、遠慮なく物申すがよい」
「はい」
「俺も聞かせてもらいます」
二人が完全に自分の話を聞く体勢になったのを確認したインドラは、ここ最近あった出来事を話し始めた。
1週間前…。
レイシフトにて、調査のためにとある廃村を訪れたマスターと英霊たち。
ある家屋に足を踏み入れたはいいが、老朽化故かあちこちが朽ち果ててかなり埃臭い。
「まったく…何だここは。狭っ苦しい上に今にも崩れ落ちそうではないか」
「ですから先程、わざわざインドラ様が同行する必要はないと言ったんですが…」
「神の気まぐれに物申すな」
本来同行する予定はなかったのだが、実はこの微小特異点の調査が緊急で入ったせいで、マスターとの時間が潰されることになった。
そのため、若干ご機嫌斜めとなったインドラではあったが、しばらく自分がレイシフトに同行していないことを思い出し、自分も連れて行くようダヴィンチに強要したのだ。
多少余裕があったためか、ダヴィンチもそこまで難色を示さなかった。
カサッ
「ん?」
「今何か…」
微かな物音が聞こえ、マスターとともに散らかった部屋を見渡す。
虫か何かだろう…。
インドラがそう思った瞬間、壊れかけの家財道具の隙間からゆっくりと何かが姿を現した。
それはインドラの予想通り、虫…掌くらいの大きさの蜘蛛だった。
よく家屋に住み着く、アシダカグモというやつだ。
何だ…大したことはない…。
そう思った瞬間…。
ガシッ
「!?」
突然腕に何かがしがみつく感触があった。
感触がした左腕を見ると…。
「…ッ………ッ…」
自身の腕にしがみつくマスターの姿が。
しかも何やら怯えた様子で。
「……何かあったか?」
今までマスターが、このように自分にしがみついてきたのが初めてだったインドラ。
物珍しさと、何か異変があったのかと懸念する感情が入り混じっているが、努めて冷静に問いかける。
「…り…です」
「ん?よく聞こえん…もう一度言え」
蚊の鳴くような声で聞こえたマスターの声がよく聞き取れず、聞き直すと…。
「私…蜘蛛無理なんです…ッ!」
「は?」
あまりに予想外なマスターの返答に、呆気にとられるインドラ。
「ある程度の虫はッ…大丈夫なんです。でも蜘蛛…蜘蛛だけは無理なんです…ッ!」
「…はぁ」
この人間…恐ろしい思いを数え切れん程してきたはずだというのに、小さな虫一匹に怯えるのか…。
まあ…こいつにも恐れるもののひとつ…あって当然ではあるだろうよ。
「たかだか小さな虫一匹ではないか」
「わかってるんです…ッ!この蜘蛛が無害なことはわかってるんです…ッ!」
「ならば…」
「アシダカグモは家に住み着いて害虫だけじゃなくネズミまで食べてくれる益虫だってことはわかってるんです…ッ!それに糸を張らないし足先を自分で消毒しているから衛生面にも問題ないし、家から獲物の害虫がいなくなったらひっそり姿を消してくれるから追い出す必要がない益虫だってことはわかってるんです…ッ!」
「…ん?」
急に流暢な喋りを見せるマスターに、何か違和感を感じ始めるインドラ。
「お前…苦手だと言うわりには、この虫について随分詳しいではないか」
「苦手…というより大っ嫌いなんですが、無駄に知識だけはあって…でも知識があっても無理なものは無理なんです」
「どこがだ?こいつの方から襲いかかってくるわけでもあるまいし」
「だって見た目が無理なんですもん!実家にも大人の掌くらいのでっかい蜘蛛がよく出たし、しかもこいつらでかいのに動き速いんですもん!たまに飛ぶんですもん!壁とか天井に張り付いてるの見つけちゃったら、もう次どう動くのか気になって仕方ないんですもん!」
「はぁ…」
とりあえず…家でこの蜘蛛に遭遇して、よほど嫌な思いをしたのだろう。
それくらいしか理解できなかったが、まあ間違いではないだろう。
そう思い先程の蜘蛛がいた場所を見ると、いつの間に移動したのか…いなくなっていた。
「そら、どこかへ行ったぞ」
「…本当…ですか?」
「神が嘘をつくとでも?」
「…」
インドラの言葉に、恐る恐るしがみつく手を離すマスター。
「しかし…お前もそのように、夢中で神にしがみつくことがあったのだな」
「…無理なものは無理ですから」
「褥で神が許可を出すまで、しがみつくことすらせんではないか」
「今それ言わないでください…ッ!!」
真っ赤になって抗議するマスターをしばらくからかうインドラだったが、苦手なものをあそこまで詳しく調べているマスターに、ほんの僅かに違和感を覚えるのであった。
そしてつい先日…。
食堂でマスターと昼食をとっていたインドラだったのだが…。
「…ッ!?」
「?」
突然…マスターが固まった。
「どうした」
「!い…いえ、何でも…」
「何でもないわけなかろう。顔から血の気が引いておるぞ」
「えっ…あー…実は…」
言葉を濁しながら、マスターの視線が手元を向く。
クリームシチューが入った皿。
半分程食べ進んでいるが、マスターの持つスプーンにはマッシュルームが乗っている。
「…何となく想像はつくが」
「はい…私…キノコ大っ嫌いなんです…」
震える声で答えるマスターに、思わずため息をつくインドラ。
キノコなぞ、少し探せばその辺に生えている手っ取り早い食料ではないか。
まあ中には毒が含まれるものもあるようだが、野営をする可能性がある特異点探索においては、貴重な山の幸であろうに…。
こいつには今まで、そうした苦労がなかったのだろうか?
「お前…野営で食料がなくなった際にそれを口にしたことはなかったのか?」
「…一度、キノコのフルコースを振る舞われたことはありました…」
「食わなかったのか?」
「作ってくれた英霊に申し訳なかったので、黙って食べました。今なら言えますが…拷問でした…」
「…食おうと思えば食えるではないか」
「はい…『食べろ』と言われれば食べます…。ひと噛みしてすぐ飲み込みますけど」
「…今…何と言った?」
「「!?」」
突然インドラとマスターの会話に、第三者のドスの効いた声が割り込んできた。
振り向くと、そこにいたのは…。
「食べ物はよく噛んで飲み込みたまえ!でなければ消化不良を起こして体を壊してしまうぞ!」
「エ…エミヤ」
台所の守護者…いや、エミヤだった。
仁王立ちしながらマスターの後ろに立っている。
「残すよりいいでしょ!?大目に見てよ!」
「ダメに決まってるだろう!?ひと噛みして飲み込むなど、作った者が報われないだろう!?そもそもキノコの何がダメなのかね!?」
「だって見た目気持ち悪いし、味嫌いだし匂い嫌いだし風味嫌いだし食感無理だし…」
「全部ではないか…」
思わずツッコんでしまうインドラ。
「君な…キノコは栄養価が高いんだぞ?」
「知ってるよ!食物繊維が豊富だしビタミンもあるのにカロリーが低いから太りにくいのも知ってる!でもキノコって煮込み料理に入れたら栄養素がスープに溶け出すんでしょ?だったらスープ系は私のお皿だけキノコ抜きにできない?」
「何だ、よく知っているな…だがそれだと全員の具材が偏ることになるから却下だ」
「勘弁してよ…キノコを味わえなんて本当に無理なんだよ…」
「…」
何やらこのやりとり…覚えがあるな…と思ったが、すぐに先日の蜘蛛の出来事を思い出す。
こいつ…苦手なくせに何故知識だけは無駄についているのだ?
わざわざ嫌いなものを調べる理由が、神にはまったくわからんのだが…。
目の前で言い争うマスターとエミヤにため息をひとつつくと、スプーンを持つマスターの手を掴むインドラ。
「え?」
そしてそのまま自らの口へ運び、スプーンの上のマッシュルームを食べた…。
「え…え!?ちょっ…インドラ様!?」
マスターの顔がみるみる赤くなっていく。
エミヤもインドラのまさかの行動に、フリーズしてしまっている。
だが当のインドラは…
「何をそんなに赤くなっておる?」
自分がしたことの意味を、まったく気づいていない様子。
いや、そもそも知らないのかもしれないが…。
「嫌いなものを無理して食う必要はなかろう?非常事態ならば別だが、今は食料に余裕がある」
「いや…あの…」
「た…確かにそうだが、マスターの栄養が偏るのは見過ごすことはできない」
「無理に食わせてますます食えなくなれば本末転倒であろう?食においてもトラウマというものは付きものだぞ」
真っ赤になっているマスターを尻目に、しばらくの間『好き嫌いはよくない』『無理に食わせるなぞ苦行以外の何物でもない』といった論争を繰り広げたエミヤとインドラだったが、最終的に『キノコを細かく刻んで他の食材と混ぜた料理を作る』といった妥協案に落ち着いた。
「というわけだ。わざわざ己の嫌いなものの知識を取り込む理由が、神にはまったく理解できん」
「…」
「…」
何か…ちょいちょいイチャついている描写があったような気がしたが、頭にこびりつかない内に必死に振り払い、聞かなかったことにしようとする二人。
アルジュナに至っては、すでに胃がシクシクと悲鳴を上げだした。
まあ…真の被害者は、そんなことをあっさりバラされたマスターなのだが。
二人は、インドラが問いかけてきた『嫌いなものの知識を取り込む理由』について考えを巡らせる。
「自分が苦手な…嫌いなものに詳しくなる理由…」
「うーん…」
ここで、とある言葉が二人の頭に浮かんだ。
それは…。
「「…敵情視察?」」
そう、敵情視察…。
普通なら、嫌いなものなど目に入らないようにして過ごせばいい話。
なのにあえて情報を入れるということは、その嫌いなものを攻略する必要がある場合に限る。
マスターにとって…蜘蛛やキノコは敵…いや、そんな単純な話ではないだろう。
もしかしたらマスターの潜在意識では、嫌いだけど克服した方がいいのではないか…という考えがあるのかもしれない。
マスターは否定しそうだが。
それを、インドラに話してみる二人。
「…あいつはもしや、来るものすべてに向き合わねばならんとでも思っているのか?」
「あ…」
「あー…言われてみれば何かそんな気が…」
なるほど…マスターのことを考えると、妙に納得がいく話ではある。
しかしもし嫌いなものを含め、本当に来るものすべてに向き合おうとするならば、それは自分の本来の感情を無視することになる。
嫌いなものは、嫌いでいい。
そう気づくきっかけが、はたまたそう言ってくれる誰かに出会うことが、なかったのでは?
おそらくそれは、この旅を始める前から…。
たかだかマスターが、蜘蛛とキノコが嫌いなだけであるというのに、壮大な考えが過ぎる…。
「蜘蛛で思い出したけどよ、マスターって土蜘蛛が出たときってどうしてた?」
「…いつもと変わりなかった気がします」
「自分の嫌いな虫があんなデカさで襲ってくる…普通の女なら失神してもおかしくねえか?」
「確かに。ですが戦闘は避けられませんし…恐怖を噛み殺して前線に立っていたのでしょう」
「うーん…敵と戦うだけってんなら、俺らが蹴散らしてやれるんだが…。マスターの見たくないものが現れたとしても、目を塞ぐのは悪手だろうしな」
「そうですね。最前線においては、目を背けたくなることも見なければなりません。状況によっては無事に生きて帰れる保証がありませんから」
「…まあ、戦場とはそういうものだ」
ただマスターの嫌いなものについて話していただけだったはずが、いつの間にかマスターの重責についての話に広がってしまっている。
しかし、ここにいるのは真面目✕3…。
その手の話に舵を切ったら、簡単には止まらない。
後日、マスターにその話を振るも
『土蜘蛛ですか?何かもうデカすぎて普通の蜘蛛とは別のものだと思ってます。宝具で消し飛ばしてもらえれば何とかなるので』という、あっけらかんとした返答にますます混乱するインドラなのである。
「やはりあいつはよくわからん…」
END