お前の目で見えるもの
お前の目で見えるもの
「何を描いているのかな?」
「えっ!?ダヴィンチちゃん!?」
シミュレーターにて。
花畑でスケッチブックに向かい、ひとり絵を描いていた私は、後ろから声をかけられた。
集中していて気づかなかったが、いつの間にかシミュレーター室に入って来ていたらしい。
スケッチブックを覗き込むダヴィンチちゃん。
「おや、ネモフィラだね」
「うぅ…芸術家に見られるのは恥ずかしい…」
「何を言うんだい、マスター君。芸術に正解なんてないんだよ?これも立派な芸術作品だ。こんなに綺麗な花畑があれば、絵の1枚も描きたくなるものさ」
そう言うとダヴィンチちゃんは、シミュレーターに広がる花畑を見渡す。
「これは、フローラの花畑かな?」
「うん、そうだよ」
「うーん、流石は花の女神だ。何とも美しい花を咲かせてくれるね」
「花への愛だね」
「うん、まさしく愛だ。んー…私も何だか良いインスピレーションが湧いてきそうだなぁ」
「作品ができたら、ぜひ見せてね」
「もちろん!この天才を信じたまえ!なら息抜きとして、私も久々に筆を持つとしよう!ではでは、またねマスター君!」
「うん、楽しみにしてます」
にこにこと笑顔を浮かべながら、ダヴィンチちゃんはシミュレーター室から去っていった。
そして私は、手に持つスケッチブックを見つめる。
鉛筆での下描きは大分終わっている。
あとは色を塗れば完成だ。
「色…か」
持参した水彩絵の具の色を見つめ、思わず独り言が漏れる。
12色の絵の具…それでこのネモフィラの色を表現できるのか、自信がない。
このネモフィラの色は…確かベビーブルーって言うのかな?
どの色を混ぜれば出来上がるのか、私にはまるで知識がない。
『芸術に正解なんてないんだよ?』
先程のダヴィンチちゃんの言葉を思い出す。
目の前の花とまったく同じ色にならなくても、それはそれでいいかもしれないな…。
好きなように、色を作ってみよう…。
そう考え直し、ひとつの絵の具を手に取り、パレットに乗せた…。
〜1時間後〜
「…できた」
すべての色を塗り終え、絵が完成した。
ネモフィラ畑と、その背景には淡い色の空。
拙い水彩画ではあるけど、久しぶりに描いた絵にしては我ながら満足いくものに仕上がった。
目の前のネモフィラと見比べると、若干色に違いが見えるけど、納得いかないならまた描けばいい。
全体的に青い絵になっちゃったけど、空とネモフィラの青はしっかり色を分けて塗ったから、まあ大丈夫でしょ…。
あまり空の色を疎かにすると、とある神様が脳内で圧をかけてきそうな気がしてさ…。
「ほう…お前が描いたのか」
ほら、今も脳内で声が聞こえて……脳内?
「え…」
まさかと思い、ゆっくりと振り向くと…。
「まあ…瓜二つとはいかんようだが、花畑と空を描いたものと見てはとれるな」
「この上ないお褒めの言葉です」
「感謝しろよー?キシシッ」
「インドラ様にヴァジュラ…!?」
すぐ後ろから、私のスケッチブックを覗き込むインドラ様とヴァジュラたち。
驚いた拍子にスケッチブックを落としてしまう。
「あ、あの…いつから…」
「ちょうど空の色を塗っていた頃かと」
「ふーん。空も花も青だけど、ちゃんと違う色で塗ってるんだねー」
私が落としたスケッチブックを拾い上げ、ヴァジュラたちが絵をじっと見つめながら言う。
空の色を塗ってた頃?
じゃあ、色を塗り始めて半分くらい経った頃かな?
「えっと…久々に描いたし、ただの趣味みたいなものだから、そんなにじっと見られても…」
「これが素人の絵だということくらい、流石に見てとれる」
だったらそのスケッチブック、早く返してほしいんですけど…。
「…が、この神の目を退屈させんものではある」
「え?」
「この絵…神へ献上せよ」
「えっ…!?」
献上せよ…ってインドラ様、これが欲しいの!?
ただのスケッチブックに描いた水彩画だけど…。
「当然引き渡すよねー?」
「インドラさまがお気に召したのです。選択肢はないかと」
ヴァジュラたちからも詰められるが…。
「いや、まあ…もちろん構いませんが…」
「構わない…が?何だ?」
「さっきインドラ様がおっしゃったように、素人の描いた…水彩画ですよ?」
「そんなことはわかっている」
「久々に描いたものですし…神様に捧げられる程の出来のいい絵でもありませんが…」
「確かに、神に捧げるものとしては、ふさわしいものではないな」
「じゃあ…何で…」
何で尚更…この絵を欲しがるんだ?
「何故この絵を欲するか…疑問に思っている目だな」
「それは…そうですよ」
「神が気に入った…と言ったところで、それだけでは納得せんであろうな。お前たち人間は、やたら理由を知りたがる生き物だからな」
うん、そりゃまあ人間と神様の感覚が違うのは百も承知だけどさ。
プロの絵描きでもない、素人の絵を神様が気に入るなんて、よほどの理由があるに違いない…って思うのが普通だと思うんだ。
「…ならば、こう言えば多少はわかるか?」
少し考えたインドラ様が、再び言葉を紡ぐ…。
「要はこれは、お前の目を通して見たものを描いたものだ」
「まあ、はい…」
「だからこそ欲した」
「え…」
「神とお前では、たとえ同じものを見たとて、見え方に齟齬がある。神の目と人の目は違うからな。故に、この絵に描かれたものが何であれ、お前の目を通して描かれたものを欲する…それだけだ」
「………」
「…何だその呆けた顔は」
えっと、インドラ様?それはつまり…
私の目で見えるものを、自分も見たいと思った…
そして、その私の目を通して描かれた絵だから、欲しいと思ってくれた…
ってこと…?
「…ッ」
あの、このままだとそんなふうに都合よく思い続けちゃうんで…。
早いところいつもみたいに『勘違いするな』って否定してくれませんかインドラ様!?
じゃないと、この上ない程自惚れちゃうので…。
「神の審美にかなった…それでこの上ない喜びを感じるのは、わからんでもない。だが、それしきのことで顔を赤らめるとは、お前は見ていて飽きんな」
「ッ…!あ…ヴァ、ヴァジュラ!その、スケッチブック返して…」
「えー?インドラさまが欲しがってるって言ってたでしょー?」
「絵はいい…!その絵は献上するから、スケッチブックを返して…!」
「あ、こうすれば切り取れるのですね」
私の必死の申し出に、さっき描いた絵を切り取ってスケッチブックを私に差し出すヴァジュラ。
受け取ったはいいが、顔に集まった熱が一向に冷めてくれない…。
落ち着け…落ち着け…。
この神様はからかって楽しんでるだけだ…。
さっきのは本当かもしれないけど、半分くらいはからかってるだけだから…きっと…多分…。
「次に描いた絵も、神に見せろ。よいな?」
「えっ…?これからも…見せるんですか?」
「当然だ。お前のその目が何を映し、その耳で何を聴くか…それはすべてお前の自由だ。制限をかけるような無粋な真似はせん。だが…」
インドラ様の手が伸びてきて、その指が私の目尻をなぞる。
「神に隠すことは許さん。お前の目で見えるもの…それはすべて、神も見て然るべきものだからな」
〜おまけ〜
「お邪魔します」
「おや、アルジュナじゃないか」
工房で筆を振るっていたダヴィンチのもとに、アルジュナが訪ねてきた。
「どうかしたかな?」
「聖晶片が集まりましたので」
「おぉ、こんなに…。いつも助かってるよ、ありがとうアルジュナ」
「いえ、お安い御用です」
ダヴィンチのお礼を謙虚に受け取ったアルジュナ。
ふと、ダヴィンチの絵に目が留まる。
「これは…美しい花ですね」
「ああ、これかい?まだ途中なんだけどね」
振り返って、自身が描いていた絵を見つめるダヴィンチ。
「確か…ネモフィラといいましたか?」
「そう。この時季に咲く、可憐な花だ」
「この花の花畑は、青い絨毯のようだとか」
「流石、よく知っているね」
「恐縮です」
ああ、そういえばこのネモフィラ…。
ふと思い出したダヴィンチは、特に何も考えずに話を振る。
「実はこの前、マスター君がネモフィラの絵を描いていたんだよ」
「マスターが?」
「それを見て私も描きたくなっちゃったんだよ。マスター君の絵と私の絵は、全然違うからね」
「描き手によって違うということでしょうか?」
「そう、全然違うんだ。マスター君の描くネモフィラは、下描きの線が薄くて柔らかいタッチだった。対して私の絵は、全然違うだろう?」
「確かに。私はまだ、マスターの絵を見たことがありませんが、今のお話からして貴女の絵とはかなり違うのでしょうね」
「まあね!描いた絵には、その人間の性格が顕著に出る。マスター君はまさにあの絵の通り、柔らかく優しい性格をしているからね」
「はい。私も…そう思います」
そこまで聞くと、マスターの描いたネモフィラの絵を見たくなってきたアルジュナ。
「マスターにお願いして、見せていただけるのでしょうか…」
「あ、インドラ神にお願いしたらいいと思うよ?」
「え?」
急に出てきた父親の名前に、思わず硬直してしまうアルジュナ。
「どうやらマスター君の絵、インドラ神が気に入って持って行ったみたいだから。私も最初は、下描きの途中で見ただけだったんだけど、その後通りすがりのインドラ神にお願いして、完成品を見せてもらったんだよね」
「…」
「色がついた絵も、やっぱりマスター君らしさが滲み出ていたよ。水彩画だからってのもあるだろうけど、全体的に優しい色合いながらも、彼女の繊細さと秘められた強さを感じたよ」
「…」
「君が頼めば快く見せてくれるはずだよ」
どうやらこの天才には、アルジュナの心情が見えていないらしい…。
インドラに頼めば、見せてもらえる。
それは間違いないだろう。
だが当のアルジュナからすれば、ただでさえ一定の距離を保って接している神に、不躾にも頼み事をしなければマスターの絵がお目にかかれない、という難題になってしまった。
実際は、素直にお願いすれば、嫌な顔ひとつせず見せてもらえるというのに。
「さてさて…では君からの聖晶片を形にした後に、続きを描くとしようかな!」
「…では、私はこれで失礼します」
「うん、ありがとね!」
ご機嫌なダヴィンチを尻目に、重苦しい表情で工房を後にするアルジュナ。
「…諦める…か」
インドラに頼んで見せてもらう。
もしくは、マスターに新しく絵を描いてもらう。
どちらかをとれば済む話ではあるのだが…。
生真面目さ故に、どちらも選べず悶々としてしまうアルジュナ。
そして知らぬ間に、息子との貴重なコミュニケーションの機会を失ったインドラであった…。
END