未知の一杯を貴方に
未知の一杯を貴方に
コンコンッ
「先生たちー?コーヒー持ってきたよ」
ドアの前で声をかけると、部屋の中から聞き慣れた声が返ってきた。
「鍵なら空いている。いつものように勝手に入って構わんぞマスター」
「はーい」
許可を貰ったため、私はコーヒーとお菓子が乗ったお盆を抱えて中に入る。
「お邪魔しまーす」
「おやマスター。差し入れ感謝しますぞ」
「やあマスター。フフ…至福の香り…」
「さあてマスターが来たとなったら原稿中だろうが休憩を入れねばならんな休憩を。ふむふむ…今日の茶菓子はガトーショコラか」
部屋にいたのは童話作家のアンデルセン、作家のシェイクスピア、同じく作家のダンテだった。
この作家たちへの差し入れとして、私は淹れたてのコーヒーと、キッチン組から貰ってきたガトーショコラを持ってきた。
…本当は作家組にコーヒーの差し入れをしていた英霊がいたんだけど、今はもういない。
楽しみのひとつがなくなり、発狂するようになった作家組のために、淹れ方を教わった私が定期的に差し入れを持ってくることにしたのだ。
最近カルデアに来たばかりのダンテにも、コーヒーの味を気に入ってもらえたので、私はちゃっかり自分の分も淹れてこの部屋で一緒にお茶会を楽しんでいる。
「筆が乗ってるんなら、私のことなんか気にせず原稿書いてくれても構わないけど?」
「調子に乗るなバカめ!お前が図々しくもこの部屋でコーヒーと菓子を楽しむようになったせいで、集中が切れる事態になった…ならばこちらにも休憩があって当然だろう?さっさと茶会を始めろ」
「はいはい今やりますよ」
「フフ…喧嘩しないで?」
「ご心配なくダンテ殿。こちら、マスターとアンデルセン殿のいつもの軽口にすぎませんので」
「…ならいいんだけどね」
先生とは長いからね。
こんなの喧嘩のうちにも入らない。
先生の嫌味を右から左へ流しながら、コーヒーカップとガトーショコラのお皿を並べていく。
そして4人分のカップに、コーヒーを注ぐ。
液体が注がれる心地よい音が響き、同時にコーヒーのいい香りが部屋中に立ち込める。
「はぁ…香ばしい…この香りだけで疲れが吹き飛ぶようだ」
「聞いたかマスター?ダンテほどの作家ともなれば香りだけで十分だと…彼の分の菓子とコーヒーも俺たちでいただいてしまっても構わないようだぞ?」
「ほう、それはそれは…」
「ダンテ?撤回しないと冗談抜きに奪いに来るよ?この先生たち」
「フフ……撤回させてください。私も食べたいしコーヒーも飲みたい」
「何だつまらん」
「はいはい淹れ終わったよ。砂糖とミルクはここに置くから好きに使ってね」
「ありがとう。では早速いただくとしよう」
ダンテのその言葉で各々がコーヒーを啜り、お菓子を口に運ぶ。
甘さ控えめなガトーショコラだが、コーヒーととてもよく合う。
作家組も満足そうだ。
その表情を見ていると、こちらも表情が緩む。
「何だマスター、そのニヤついた顔は。その顔でこちらを見つめられるとあまりに気味が悪いのだが」
「いつものことじゃん。気にしないで」
「はははッ!どうやら吾輩たち、休憩を挟んでよほど表情が緩んでいたのですな」
「私はまだ3回くらいしかいただいてないけど、マスターの淹れるコーヒー…素晴らしい味だと思うよ」
「あ…ありがとうダンテ…」
「今度は照れたのか?相変わらず忙しい奴だ」
「先生と一緒だよ、私も忙しいの」
「ほう?ならばこんなところでくつろいでいる暇などないんじゃないか?」
「まあ…残念ながらその通り」
「おや…マスターのお皿とカップがもう空に…」
「何か用事があるのかい?」
「用事…ではないんだけど」
本当はもっとのんびりしたいところなのだが、実はあまりくつろいでもいられない。
「最近はなるべく時間を空けておかないと捜されちゃうんだよね」
「捜されちゃう?誰に?」
「ほう…さてはあのインドの雷霆神だな」
「…ご明察」
「あぁ…そう言われますとかの雷霆神…最近随分マスターにご執心のご様子で」
「…まあ」
「あぁ、あの背の高い神様…私からすれば異教の神様になるけれど、確か天国を統べる神様で合ってたかな?」
「うん、そうそう」
「天界の主である神…そして召喚者は神がご執心の人間の女ときたか…面白いが少年向けには書けそうにないな」
「やかましい」
「ははは!少年向けとしては随分と内容が濃厚過ぎるかと」
「やかましい」(2回目)
「スヴァルガと言ったかな?一体どんなところなのか…フフ…機会があれば聞いてみたいな」
「あ、聞けば答えてくれると思うよ」
「えっ、本当かい?」
「うん」
作家から話を聞かれて嫌がる神様じゃないと思う。
自分を讃える言葉を入れるようにって要求してくるとは思うけど。
「あ!見つけた!」
「ここにいましたか」
「え…ヴァジュラ!?」
先生たちと軽く雑談していると、部屋の中に突然ヴァジュラたちが現れた。
ドアは開かなかったので、霊体化して入った様子。
「おやおや…噂をすればというやつですな」
「まさか…呼ばれてる?」
「そー!インドラさまからマスターを捜すように言われたんだよ!」
「貴女のお部屋でお待ちです。お急ぎを」
呼ばれたか…。
ならお茶会はここで抜けないと。
「わかった…3人とも悪いけど…」
「フフ…大丈夫。食器は後で食堂に戻しておくよ」
「ありがとう、助かる」
「この際…いっそ神を待たせて怒りを買ってみてはどうだマスター?そこでお前をどう裁くかで神の度量が窺える上にネタにも困らん」
「何言ってんの先生…」
「インドラさまを待たせるっていうのかー!?」
「不敬にもほどがあります、ましてや故意など」
「…前に2時間待たせたことがあるよ。やむを得ない事情があったから許してもらえたけど」
「何だすでに経験済みか…つまらん」
「何だよつまらんって!不敬だぞ!」
「言葉には気をつけるべきです。インドラさまがこの場にいないからいいものを」
「お前たちが仕える神は誰よりも寛大な神なのだろう?ならばこの程度の戯言など大目に見てくれるのではないか?」
「何だとー!?」
「言葉には気をつけろと言いましたが」
「何を言う。決して悪口などではないぞ?」
「こいつ…」
「…」
まずい。
ヴァジュラたちが…。
「ヴァジュラ早く行こう!」
「…はい、急ぎましょう」
「今度インドラさまに失礼なこと言ったら即神罰だからなー!?」
「かの寛大な雷霆神に1作家の戯言が届くほどの幸運がくれば…の話だがな?」
「こいつー!!」
「先生はもう煽らないで!」
「アンデルセン殿…度が過ぎれば吾輩たち、消し炭になるのでは?」
「フフ…神の怒りは舐めないほうがいい…」
「争っている時間はない。行きましょう」
「うん、じゃあねみんな」
まったく先生は…。
この分だと、インドラ様本人目の当たりにしても切れ味は変わらなそうだ。
まだ先生に噛みつきそうになっている少女体のヴァジュラを引っ張りながら、私はマイルームへと急いだ。
「何なんだよあのちっこい人間!不敬すぎ!」
「意見は同じですが、あまり挑発に乗るとインドラさまをお待たせしてしまいます」
「本当にごめん…癖の強い先生で」
「インドラさまの許しさえあれば部屋ごと雷落としてやれるのにー!」
「何もしてないダンテたちまで巻き込まれちゃうからやめてあげて。無実の人間消し飛ばすほうがインドラ様の威権に関わると思うよ?」
「それは確かにそうですね」
「ちぇー」
本当にごめんよヴァジュラたち…。
プシューッ
「インドラさまー!来たよー!」
「お待たせして申し訳ありません」
「すみませんインドラ様…お待たせしました」
自動ドアを開け、滑り込むようにマイルームへ入る私とヴァジュラたち。
「…来たか」
インドラ様はいつものように、すでに私のベッドでくつろいでいた。
こちらを向くと、私に目で合図する。
『そばに来い』という意味だ。
ここ最近はアイコンタクトができるようになった。
最初は目を合わせることすら、できなかったのに。
インドラ様のそばに近寄る…。
「ん?」
インドラ様がふと、何かに気づいたかのように声を漏らした。
「どうしました?」
「…それは何の匂いだ?」
「匂い?」
今日は香水はつけてないけど…。
さっき飲んだコーヒーかな?
「作家たちとコーヒーを飲んでいたので、その匂いでしょうか?」
「コーヒー…何だそれは」
「え?あ、そうか…インドは主に紅茶だから…」
それにこの神様、基本お酒しか飲まないから知らなくてもおかしくないのか。
「コーヒーという豆を焙煎して、お茶のように淹れて飲む嗜好品です」
「嗜好品…人間たちがよく飲むものか」
「はい。作家たちの出身はヨーロッパなので。私の出身の日本でも近年はよく飲まれています。インドでは紅茶が主流のようですが」
「…お前は、よく作家どもと飲んでいるのか?」
「はい…差し入れとして淹れているんですが、私もよく混ぜてもらっています」
「…なるほど」
「…この匂い、お嫌いでしょうか?」
「…いや嫌いはせん。むしろ気になる匂いだ」
嫌がられてはいないから大丈夫そうかな?
「…神を差し置いて茶会とは」
「え?」
「神にはまだ一度も手向けたことのないものを、神の知らぬところで和気藹々と楽しんでいたというわけか」
「えっ!?」
神を差し置いてって…。
この神様…
自分が知らないところで、自分の知らないものを楽しんでたからって…拗ねてる!?
待って…。
可愛いとか思っちゃうから待って…!!
「す、すみませんインドラ様。インドラ様はお酒しか飲まれないと思って声をかけていませんでした。ご気分を悪くされたのでしたら…申し訳ありません」
とはいってもご機嫌斜めなのは間違いない。
私は謝罪の言葉と共に、頭を下げた。
「…ならば寄越せ」
「え?」
「そのコーヒーとやら…神に淹れて寄越せ」
「わ…わかりました。でしたら…今から淹れてきますので、一旦食堂に行ってきます」
「お前の分も忘れるなよ?」
「私の?」
「…お前は神との席を断ることなど、するはずがなかろうな?」
「あ…もちろん!何かお茶菓子も一緒に見繕って来ます!」
「ヴァジュラ、お前たちも行け」
「「了解!」」
何故ヴァジュラたちまで…。
急いで用意はしますが、コーヒーを落とす時間だけは大目に見てくださいね?
〜10分後〜
「意外と時間がかかるものですね」
「またインドラさま待たせちゃったよ」
「コーヒーは急いでくれないからね…」
2人分のコーヒーとコーヒーカップ、お茶菓子をヴァジュラたちにも持ってもらいながら部屋へと戻る。
ちなみにお茶菓子はガトーショコラ。
さっき作家組と食べたものだが文句は言えない。
本日2回目…同じメニューのお茶会となった。
プシューッ
「…戻ったか」
「ただいま戻りました」
「インドラさま!これお茶請けだって!」
「カップはこちらでよろしいでしょうか」
「うん、ありがとうヴァジュラ」
ヴァジュラたちがテーブルにガトーショコラと空のコーヒーカップを並べてくれる。
コポポ…
置かれたコーヒーカップに、丁寧にコーヒーを注いでいく。
コーヒーのいい香りがふわりと部屋中に舞う。
「…」
インドラ様に手元をじっと見つめられている。
緊張するから、手元よりもコーヒーを見てもらえると助かるんだけどなぁ…。
そうこうしているうちに、2人分のコーヒーを淹れ終わった。
ただひとつだけ懸念が…。
「砂糖とミルクはお好みの量を入れてもらって大丈夫なんですが…何も入れないとかなり苦いので、まずは角砂糖2個だけ入れさせていただきますね」
「…そこまで苦いのか?」
「初めて飲む方にはきついと思います。もし甘さが足りないようなら砂糖の追加を、味をまろやかにしたいときはミルクを入れてもらえればお好みの味にできます」
角砂糖を2個、コーヒーに入れて混ぜ、インドラ様の目の前に置く。
追加の角砂糖とミルクもそばに添える。
「…なら、試してみるか」
ひと言呟くとカップを持ち上げて…一口。
「……少し苦いか」
どうやら角砂糖2個では足りない様子。
ヴァジュラに目配せすると、ヴァジュラが小さなミルクピッチャーを取り、コーヒーに混ぜていく。
角砂糖2個とミルクが入ったコーヒーを、もう一度口に運ぶインドラ様。
「……まだ甘くしてもよいが…これはこれで飲めるようになったな」
どうやら飲める塩梅にはなったらしい。
「お茶菓子に甘い物があるので、ご一緒にどうぞ」
とりあえず念押ししておいたので、苦さでインドラ様の機嫌を損ねることは免れたようだ。
お茶請けのガトーショコラも口に合ったらしい。
安心した私は自分の分のコーヒーに口をつける。
「おい待て」
「えっ?何か…ありましたか?」
コーヒーに口をつけた瞬間、インドラ様から声をかけられる。
あ、まずい…。
私もいただきますねって一声かけるべきだった!?
「お前…何も入れていないように見えたが…」
「え?あ、私のコーヒーですか?」
何だコーヒーか。
私はいつもブラックで飲むから、普段通り何も入れないだけなんだけど。
「私は普段から何も入れずに飲んでますので」
「…」
「インドラ様?」
「…神にもそれを寄越せ」
「えっ!?これをですか!?」
待ってくださいインドラ様…。
人間の私が飲めてるからって、自分もいけると思ってませんか!?
角砂糖2個でちょっと苦いって言ってたのに、ブラックなんか飲んで本当に大丈夫!?
「インドラ様…本当に大丈夫ですか?今初めてコーヒーを飲んだ方にはきついと思いますよ?私は飲み慣れてますが、苦いことには変わりないですよ?それから、コーヒーがもうなくて…」
「構わん。お前のそれでよい」
えぇ…。
絶対事故になるよこれ。
でもここまで言われたら聞かないわけには…。
「…でしたらインドラ様」
「何だ」
「苦くても私に怒らないって約束してくださるならお渡しします。あと飲むなら一口だけです」
「何だそんなことか。その程度で怒りをぶつけるほど神は狭量ではない」
「…わかりました。ではどうぞ」
言質取りましたからね?
差し出したカップをインドラ様が受け取り、何の躊躇いもなく口をつける…。
「っ!?」
その途端顔を顰めてカップから口を離し、カップをテーブルに叩きつけるように置く。
ああ…言わんこっちゃない…。
「インドラ様、早くそちらのコーヒーを!」
私の言葉に、すぐさま自分のミルクと砂糖入りのコーヒーを飲むインドラ様。
あ、治まったみたい…。
「私言いましたよ…苦いって」
「お前っ……どんな味覚をしている!?このような苦すぎるものを平然と飲みおって…」
何か信じられないものを見るような目で私を見るインドラ様。
「慣れの問題です。私も最初は苦くて飲めたものじゃありませんでしたが、回数を重ねると飲めるようになりました」
「何故わざわざ苦いまま飲もうとする!?」
「コーヒーは砂糖やミルクを入れて飲む場合がほとんどなんですが、日本では何も入れずに飲むのは珍しくないんです」
「…お前の国の民族は、このような苦いものが平気だというのか?」
「とあるデータでは、ストレスを抱えていると苦味が平気になるとか何とか…現代の日本人はストレスフルですからね」
これについては本当に一説あるんだけどね。
ん?
「…」
あれ?
何かインドラ様が…
憐れむような同情するような目で私を見てくるんだけど…何だろう?
「………茶菓子もある。食え」
「あ、はい。いただきます」
とりあえずカップを取り戻して…。
ガトーショコラを食べながらコーヒーを流し込む私の姿を、珍妙な生物でも見るような目で見続けているインドラ様なのであった。
END