悠久と刹那を結ぶ
悠久と刹那を結ぶ
「そういえばお聞きしたかったんですけど」
「何だ唐突に」
マイルームにて…私のベッドでくつろいでいるインドラ様に質問する私。
「インドラ様のような神様は、何故匂いに敏感なんですか?」
「匂い?」
「カーマちゃんやカーリーさんが、大黒天たちやアシュヴァッターマンを『シヴァの匂いがする』って言ってるのをよく聞きますし…」
「シヴァが直接関わっているのならば、奴の匂いがして当然であろう」
「インドラ様も、謎の美女の匂いを察知するまではヴリトラだと気づかなかったみたいですし…」
「その話はするな!忌々しき魔が、佳き女の姿をとって神の前に現れるなぞ、誰が想像出来る!?」
「あれ、インドラ様への嫌がらせだってヴリトラ本人が言ってましたしね…昔自分がされたことへの意趣返しとかなんとか…」
「チッ…どいつもこいつも、この神への嫌がらせなぞに精を出しおって…」
ヴリトラの持ってるヴァジュラって、昔インドラ様に投げつけられたヴァジュラだしね…。
確かカーマちゃんも、インドラ様への嫌がらせ目的でヴァジュラ持ってるしな…。
まあ、うちは水着カーマちゃんしかいないから、浮かれポンチで可愛らしい浮き輪や花輪ブン回してるんですけどね…。
何でアサシンのカーマちゃん来ないんだろ…。
おっと…話がズレてしまった…。
「すみません、匂いの話に戻しますね…」
「何故匂いに敏感なのか…という問いであったか?」
「そうです」
「何故…と問われて即座に返せるものではない。お前たち人間と同じく、神にとっても嗅覚は本能のようなものだ」
「えっと…前にカーリーさんから、私の匂いを直接嗅ぎたいからと服を剥ぎ取られそうになったことがあるんですけど、あれは何だったんでしょうか?」
「おい、何だその話は…初耳だぞ」
「インドラ様がいらっしゃる前のことですし…」
「はぁ…何をしているのだあの女神は…。大方お前の匂いから人間の善性を感じ取り、それを気に入っただけであろうが…」
「善性って、匂いに表れるものなんですか?」
「悪性もだ。嗅ぎ分けるのは容易い」
「そんなにわかりやすいものなんですね…」
「ま、お前はそのうち『インドラの匂いがする』といったことを言われても不思議ではなかろうな」
「…」
こないだ、言われました…。
インドラ様の匂いと私の匂いが混ざってるって…。
すでにカーリーさんから言われましたよ…。
「そもそも…神は匂いに敏感などと言うが、お前たち人間とてそう変わらんではないか」
「え…まあ確かに…相手の体臭を受け入れられないのは遺伝子レベルで拒絶してるから、とかいった話は聞きますしね」
「それこそ生物としての本能だ。子孫を残すための番を見つけるにあたり、重要な感覚だからこそ備わっているものであろう」
「…ちなみに、神様って人間よりずっと嗅覚が鋭いとは思いますけど…」
「当然だ」
「インドラ様は…香水の匂いは、特に気にしてませんでしたよね?」
「香の匂い程度、気にはせん。神も香を焚く嗜好は持ち合わせている。あまりに強烈な匂いならば話は別だがな」
「なるほど…」
要は神様も、好み次第というわけか…。
「…それならば」
「?」
ふと独り言を呟くインドラ様。
どうしたのかと聞こうとしたのだが…。
「よかろう。ならば今宵…神の部屋へ来い」
「えっ?あ、はい…」
唐突なお誘いが来た。
いや、もういつものことではあるのだが。
「喜べ。お前の短い生涯においても、忘れられん夜にはしてやる」
「…何か、いつも似たようなこと言ってません?」
「ほう?ならばお前は、すでに神と過ごした数多の夜を鮮明に記憶しているようだな?」
「…ッ!?い、いや…あれです!インドラ様が言ってるのは、所謂常套句ってやつですから!」
しまった…墓穴掘った…。
そこは『忘れてませんよ』くらいに流しとけばよかったのに何やってんだ私…。
真っ赤になって抗議する私を、軽くからかいながら楽しんでいるインドラ様。
文字通り、年季が違うことをまざまざと見せつけられてしまう私なのであった…。
〜その日の夜〜
コンコンッ
「インドラ様、参りました」
「入れ」
返事を確認した私は、インドラ様の部屋に入る。
プシューッ
「あれ?」
ドアを開けると、ふわりと漂う香りに気づく。
少し甘い…でも優しい香り…。
「…御香、焚いてます?」
ドアを閉めながら、部屋の奥にいるインドラ様に尋ねる。
「そうだ」
「いつも焚いてましたっけ?」
少なくとも、私が部屋を訪ねた時には嗅いだことのない香りではあるけど…。
「先程用意した」
「…今夜のために、ですか?」
「察しが良いな。だが正確には、今後のためにだ」
アイラーヴァタから下りるインドラ様。
部屋の隅に立ち尽くしたままの私に、ゆっくりと近づいて来る。
「言ったであろう?忘れられん夜にしてやる、と」
「!?」
軽々と私を抱き上げ、ベッドまで運ぶインドラ様。
そっと私を下ろすと、私の体はふかふかのベッドに沈んだ…。
昼間から言ってたけど、忘れられん夜にしてやる…っていうのは、この御香のことなのかな?
「時に…お前は記憶の結びつきを知っているか?」
「記憶の結びつき?」
寝そべる私の上に覆いかぶさり、問いかけてきた。
「お前たちが持つ五感…その中で、最も彼方の記憶を呼び覚ます感覚というのが、嗅覚だ」
「匂いが、記憶を…?」
「正確には、記憶を司る器官へ直接信号を送ることが可能な感覚が嗅覚…といったか?故に、匂いにより過去の記憶を呼び覚ます…それはお前たちの日常に溶け込んでいる現象であるはずだ」
確かに…。
ふとした時に嗅いだ匂いで昔を思い出す…。
それは、わりと当たり前のようにあった気がする…。
「…神も、似たようなものかもしれん」
「…神様も?」
「お前たち人間の匂いは、似たり寄ったりではあるが確かに差がある。瞬きの間に生まれ、そして死んでいく膨大な数のちっぽけな存在…神からすれば、いちいち覚えてなどいられん。だが、その身…その魂に刻まれた匂いであれば、たとえちっぽけな存在であろうと、その人間を思い出すこともあるのやもしれんな」
「…」
「悠久の時に存在し続ける神と、刹那を生きるお前を結ぶもの…とでも言っておくか」
「…ッ!」
そう言い終えるなり、私の唇を塞ぐインドラ様。
「ん…ッ」
唇の隙間から舌が侵入し、私の口内をなぞる…。
しばらく舌を絡めた後、糸を引きながらそっと唇が離れた…。
「この香も、そのためだ」
「…!」
「この匂いは神との褥の時間に結びつき、お前の記憶にしかと刻まれる。決して忘れることのないようにな」
「…ッ…でも、それだと…この御香の香りを嗅がないと思い出さないんじゃ…」
「案ずるな。神とて対策はしてある」
「…対策?」
「なに、簡単なことだ…」
「日常に戻った暁には、この香をお前の部屋にでも忍ばせておいてやる」
「…は!?」
「日常に戻ったお前に、ここでの記憶があるかは定かではないが、この香はただの香ではない。神が用意したものだぞ?たとえすべての記憶を思い出せずとも、焚いている間…即ち神と過ごす夜程度は思い出すであろうよ」
「は…?え…な、何てことして…」
「知らぬ間に部屋に置いてある香だとしても、何かの機の貰い物であろう…と深く考えずに焚いてみるものであろう?」
「何で妙に人間の解像度高いんですか!?」
「人間に限ったことか?神とてそうするが?」
「あ、それは何故か想像出来ます…」
それは想像出来たとして、この御香がそこまでヤバい代物なんて想像出来ないでしょ…。
あれだよ…宝物庫の奥の方にあったのを引っ張り出してきたとかじゃないの?←正解
「ま、そういうわけだ。すべてが終わった後、お前がどのような未来を歩むかは定かではない。だがどの未来を選んだとて、お前が神を忘れ去る杞憂は皆無だ…安心しろ」
「何でそこまで念入りなんですか!?」
「決まっている。日常に戻ったお前が神との再会を果たした時、神を覚えていない…などという不敬を極めた未来を未然に防ぐためだ」
「………」
「おい、何だその反応は」
えっと…まあ今までのも含めて、短くまとめるとそうなるってだけの話ではあるんだけどさ…。
要は、私に忘れて欲しくない…ってだけだよね?
「…ッ」
あ、ヤバい…。
口元がニヤk…緩みそうでヤバい…。
ここまで壮大なことしておいて、理由が『私に忘れて欲しくない』って…。
この神様…可愛い…。
「おい、先程から何を想像している?」
「い、いえ…」
口元を手で隠し、悶えている私を見て不服そうなインドラ様。
多分私が何を考えたのかまで、察したのだろう。
「よかろう…ならば、今宵は遠慮なく潰してもよいということだな?」
額に青筋を立てながら、私を見下ろすインドラ様。
「今宵はじゃなくて今宵もですよね!?今まで手加減してもらった試しがないんですが!?」
「いい加減慣れてきた頃合いであろう?加減は不要と見た…神の気が済むまで解放されると思うなよ?」
素敵なムードを漂わせる御香の香り…に似つかわしくない程やかましい戯れ…。
そりゃそんな夜…忘れられるわけないよ…。
〜おまけ〜
「あら、マスターさん」
「…あ、おはようございますパールさん」
「おはようございます。良い朝ですね」
廊下を歩いていたパールヴァティは、向かい側からやってきたマスターに声をかける。
パールヴァティに気づいたマスターは、その場で足を止めて挨拶する。
それに挨拶を返したパールヴァティは、あることに気づいた。
「あら?マスターさん、御香でも焚きました?」
「えっ?あ、はい…」
マスターから、ふんわりと甘い香りが漂ってきた。
香水ではなく部屋に焚いた香の煙の匂いだと、パールヴァティはすぐに気づいた。
気づいた…のだが…。
「…あれ?」
「…パールさん?」
香の匂いをスンスンッ…と嗅ぎ直すパールヴァティ。
この御香…まさか…。
「マスターさん!?」
「は、はい!?」
マスターに近づき、両肩を掴む。
そして、あることを確認する。
「この御香…インドラのものではないですか!?」
「えっ!?な、何でわかったんですか!?」
「…ッ」
「…パールさん?」
あの神は何てものを…。
はぁ…と、思わずため息が漏れる。
「…私としたことが、神の間で知られている御香の香りがしたので、つい反応してしまいました。驚かせてしまってすみません」
「ああ、なるほど。いえ、大丈夫ですよ」
「…では、私はこれで失礼しますね」
「はい、また…」
マスターの肩から手を離し、一礼して去っていくパールヴァティ。
マスターと別れたその足で、香の持ち主であるインドラのもとへと急ぐ。
まったく…本当に何てもの使ったんですかあの神!!
あの御香は神が使う御香…。
使用した者と御香の煙を浴びた者の、魂の結びつきを強めるもの…。
それを五回繰り返せば、使用者との記憶が脳だけでなく魂に完全に刻み込まれ、何度輪廻転生を繰り返しても、その記憶が消えることはなくなる…。
つまり何度生まれ変わっても、使用者と過ごした記憶から決して逃れられない…悪い見方をすれば呪縛にもなりかねない代物…。
四回で留めておけば、問題はないんですけどね。
問題はインドラが、今まで一体何回使っていたか…。
五回使う前に、取り上げなくては…。
プシューッ
「インドラ!?いますか!?お話があります!!」
「ノックくらいしろ」
「神妃とはいえ、いかがなものかと」
「マナー違反だぞー?キシシッ」
ノックもせずインドラの部屋に突撃したため、インドラ本神とヴァジュラたちから苦言を呈されたパールヴァティだったが、部屋に微かに漂う匂いを察知し、確信した。
昨夜この部屋で、あの香が焚かれたと…。
「…使いましたね?あの御香を」
「何だ。すでにあいつに会ったか」
「先程お会いしました。マスターさんから、この部屋と同じ御香の香りがしましたので、今こうして貴方の部屋に来たまでです」
「ほう…何か問題があったか?」
涼しい顔で答えるインドラを睨みつけ、声を張り上げるパールヴァティ。
「あるに決まってます!貴方、どういうつもりであんなものを使ったんですか!?あと、今まで一体何回使ったんですか!?」
「使ったのは一度きりだ。今後使う気はない」
「…本当ですか?」
「嘘などつくものか。昨夜使ったのも、ふと思い立って宝物庫から出したまでだ。匂いは記憶に結びつきやすい…ならば、刹那の思い出を残しやすくするためにと焚いたまでだ。わかったのなら、さっさと出ていけ」
そう言うと、酒を煽るインドラ。
だが、パールヴァティは引かなかった。
「残りの御香…渡してください」
「…そんなに信用ならんか?」
「当たり前です。貴方昔から、何度やらかしてると思ってるんですか?マスターさんに対しても度々やらかしてますよね?あんなに危険なものを、人間の女性相手にあっさり使ってしまう貴方が持っていていいわけがありません」
「はぁ…そら、受け取れ」
インドラの合図でヴァジュラがパールヴァティに近づき、香を手渡してきた。
受け取ったパールヴァティは、もう一度インドラに向き直った。
「これで全部ですね?」
「そうだ」
「次、マスターさんからこの御香の香りがした場合は、遠慮なく貴方に宝具を放ちますからね?」
「流石にこの神とて、大量に所有出来るようなものではない」
「…なら結構です。誤解されかねない行動は、程々にしてくださいね?」
そう言うと、部屋から出ていくパールヴァティ。
「キシシッ…怒られちゃったねインドラさまー」
「黙れ…相も変わらず疑り深い女神め」
「インドラさまが軽いお気持ちで、呪物にも近いものを使ったことが原因では?」
「何が呪物だ。使い方を誤らなければ、僅かな刺激にしかならんものだぞ」
「そう豪語する方程、詰めが甘くなりがちかと」
「インドラさまに限って、加減間違えるなんてことあるわけないじゃーん!多分!」
「そこは言い切らんか!」
パールヴァティが帰った後、インドラ全肯定のヴァジュラたちにまでいじられる始末。
「…」
先程、パールヴァティに渡したはずの香…。
実はひとつだけ隠し持っていたのだ。
日常に戻る選択をしたマスターの手元に届けられるよう、すべて没収されるわけにはいかないからだ。
ヴァジュラたちにも気づかれないように、そっと宝物庫にしまったインドラ。
まあ、流石にこれを五回使い切るつもりはなかったのだがな…。
どうせ神は忘れはせんし、あいつからも忘れ去られることはなくなった。
魂を結びつける…まあ悪くはないが、そこまでするのならあいつを不老不死にした方が、まだ手っ取り早いであろうに。
だが、それを選ぶのはあいつだ。
そこまで強制する気はない。
神は恐怖で人間を縛り付ける趣味なぞ、持ち合わせてはいないからな…。
END