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やはり、昨年同様に大山門をくぐって大本堂で参拝にこぎ着けるまで三十分を要した。 川崎駅で会ってからこちら、ここまでくるまでに潤は江上とあまり会話を交わしていない。 歩いてる並びが、潤と江上の間に尚紀を挟んでいるためかもしれないが、明らかに話しにくさがあった。潤は、江上に気軽に話しかけるきっかけを掴みかねているという状態だ。 江上も潤をほとんど見ていなかった。あれだけ強引に誘ってきたというのに、ほとんど潤に対して興味を示しておらず、沈黙を守っている。潤に楽しげに話しかけるのは尚紀だけで、江上を除いて二人の間で楽しい会話が成立している状態だ。 賽銭を入れて参拝を済ますと、江上が川崎駅で相対してから初めて潤を見た。「行くか」 今年の江上はお神籤にさえ興味がないらしい。昨年はまっさきにお神籤だろ、と言った彼が、一言もなく目もくれない。それに違和感を抱いたのは潤だけで、尚紀は江上の言葉に頷いた。 御札場も、境内にいろいろと立ち並ぶ露店にも、江上は完全にスルーしていく。人波を分け入って出口まで歩く。それを承知しているのか、尚紀も全く何も言わずにそれに付いていく。仕方が無いので潤もそれに倣った。 三人でほぼ無言で交通規制エリア外に来ると、江上が大通りでタクシーを停めた。そして、後部座席に潤と尚紀を押し込め、自身は助手席に乗り込むと、ドライバーに行き先を指示したのだった。 車内での三十分ほどの沈黙が続いて、タクシーが停車したのは、川崎市内の武蔵小杉駅だった。ここは近年、交通の便の良さから注目されており、大型マンションやショッピングモールが多く建つ話題の街だ。正月三日にも関わらず、多くの人々がショッピングモールに買い物に来ている様子で、賑わいを見せている。 タクシーはそんな駅前のタクシー降車場に横付けされた。潤と尚紀が後部座席から出ると、支払いを済ませた江上も助手席から降りる。そのまま、何も言わず視線だけで潤と尚紀を誘導する。 江上が向かうのは、ざわめくショッピングモール街からは真逆の方向。駅前のビルの地下にひっそりと暖簾を出す居酒屋だった。 昔から営業しているのだろう。暖簾に年期が読み取れる。 店先に出ている大きな赤い提灯には「武蔵」と書かれている。店名か。「いらっしゃいませー!」 江上が引き戸を開けると、元気の良い男性の声が聞こえる。「お、廉くん! 明けましておめでとう」 江上も奥のカウンターに語る。「大将、明けましておめでとう。奥、いい? 昨日電話したんだけど」「聞いてるよー。どうぞどうぞ! ゆっくりしていって!」 江上が勝手知ったる様子で潤と尚紀を連れて奥の座敷に上がり込む。潤は初めて来るが、江上にとっては馴染みの店のようだった。「廉さんの行き付けのお店ですか?」 尚紀がそう聞くと江上も頷いた。「そう。俺と颯真の行き付け」 江上はちらりと視線を流してきた。 潤はそれをそれとなく流した。 奥の座敷は二十畳くらいの大部屋だった。畳の上にはテーブルと座布団が鎮座している。室内はエアコンで暖められているようだったが、他に客は居なかった。 ぐるりと室内を見渡すと、黄ばんだメニューや飲料メーカーのアイドルのポスターが貼られたりしていて、積み重ねた歴史を感じさせる雰囲気だ。 尚紀が三人分のコートをハンガーにかけてくれ、座敷の奥の席に着いた。手前に江上、奥に潤が座り、そのとなりに尚紀が着いた。 落ちついたのを見計らったのか、女将がとりわけ小皿とおしぼりを持ってきた。「廉ちゃーん、明けましておめでとう! 今年もよろしくね」 人なつこい明るい声で江上と新年の挨拶を交わす。かなり親しい仲の様子だ。 潤が女将からおしぼりを受け取ると、江上が潤を指した。「女将さん、こいつ、颯真の双子の弟の潤」 エプロン姿の小柄な女将の視線が期待を込めた視線で潤に向く。「あら、颯真君の噂の弟君! いらっしゃーい。ゆっくりしていってね!」 女将の反応に、思わず江上に視線を向ける。「噂の?」「颯真がお前の話ばかりするからさ」 松也と同じだ。颯真はいろいろなところで潤の話をしているらしい。「随分親しそうだよね。いつから来るようになったの?」 おしぼりで手を拭いながら、江上は考える。「……ここ三年くらいかな? お前がドイツに行ってる間にかなり通い込んで……。最近はちょっとご無沙汰だったけど」「そうなんだ……」「潤。ビールでも飲む?」「え」 江上がメニューを広げて聞いてくる。「はっきり言っておくけど、ちょっと言いにくいことも直球で聞くから、酒飲める体調ならちょっと飲んだ方がいいと思うよ」 潤が江上を無言で見る。すると彼はずっと潤を観察していたような深い視線をなげかけていた。 潤はそれをふっと受け止める。内心ではぐっと心臓を掴まれるような感触だったが、辛うじてそれを飲み込んだ形だ。「なんだろう、恐いね」 勘が良い江上には、隠せる自信は正直ない。体調不良すら隠すことができないのに、自分で気持ちが整理できていない経験を、隠すことも巧く説明できることもできるとは思えない。そして、誤解されたたとしても、今の自分にはそれを訂正するほどの語彙もない。でも、ささやかな抵抗としてとぼけるしかない。 潤が何も反応できずにいると、江上は尚紀を相談して、瓶ビールを二本とグラスを三つ注文した。「廉さんはビールでいいの? 日本酒の方が好きでしょ」「話が落ち着いたら頼むからいいよ」 そしてつまみを注文するためにメニューに目を落とす。「潤さん、苦手なものありますか?」 尚紀がそう聞いてくると、すかさず江上が口を挟む。「こいつは臓物が駄目。モツ煮以外なら大丈夫だよ」 確かにそのとおりだ。江上の把握が鋭すぎる。「もう、僕は潤さんに聞いてるのに!」「こいつに聞かなくても俺が把握してるよ。焼き物はレバーは駄目だけど、砂肝は好きだよ。あとねぎまとささみ。銀杏もよく食べてる。タレじゃなくて塩。入れておいて」「だから、僕は廉さんには聞いてないの。僕はだし巻き卵がいいな。あと、鶏の唐揚げ」「野菜を食え、野菜を」「もちろん頼みますよ。潤さんはグリーンサラダとシーザーサラダのどちらがいいですか?」「潤の好みはシーザーサラダだな。こいつシーザードレッシング好きなんだよ」「だからー! 廉さんには聞いてないって」 潤は少し楽しくなってきた。 おそらく重くなりがちな空気を変えようとしてくれているのだろう。 潤は、ふっと息を抜いた。「……僕をネタにして、いちゃいちゃしないでよ」 すると江上と尚紀も小さく笑った。「首筋は……? 大丈夫か?」 江上が気遣う。大晦日に指摘されてからずっと首筋に気を配って隠すような服を選んでいる。今日もタートルネックのセーターにした。 セーターの上から首筋に手を当てる。「うん……。この間は驚いて……。みっともない姿を見せたね」 潤が俯くと、尚紀が真剣な表情で首を横に振る。違うと思ってくれているらしい。「俺も突然のことで驚いて……」 たしかに、江上らしからぬ冷静さを欠いた反応だった。その反応がすべて自分を心配しているからこそだというのは、潤も十分に分かっている。「心配させちゃったね。……でも、噛まれてないし、跡もだいぶ薄くなってきたよ」 潤が記憶にあるのは、颯真に「嫌がることはしない」と言われた一回だけだった。「まさかあんなに付いてるとは思わなかったんだ……」 あの首筋を見たときに、潤が感じたのは颯真の自分への執着心だった。あのおびただしさを見ると、その執着心に恐怖心を覚えてもおかしくはないが、不思議なことに潤はそれを全く感じなかった。 もちろん最初は驚いたし、江上と尚紀に見られたというショックも相まってなぜ、と思ったが、都内を流離い歩くうちに考え方が変わってきた。むしろ、そこまてして約束を守ってくれた、誠実さ、みたいなものを感じるようになった。 きっと颯真は、あの発情期で潤の項を噛み、番にしたかったに違いない。それをあえてせずに、キスマークで留めたのは、ひとえに「嫌がることはしない」といった潤との約束を守るためなのだろう。 嘘を吐かない、彼らしさなのだろう。 少しふっと気持ちが柔らいた。「はーい、ビールおまたせ!」 そこに女将が瓶ビールを運んできた。 よく気が付く尚紀がすばやくビール瓶を掴み、潤と江上のグラスに注ぐ。潤も尚紀のグラスに、少しでいいというので、そのとおりに注いだ。「とりあえず飲もうか」 三人は、明けましておめでとう、とグラスをかち合わせた。