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一、天使女学院(あまのつかじよがくいん)

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一、天使女学院あまのつかじよがくいん

 

 

「ああっもう、完全に遅刻じゃない」

 桜の花びらが舞い散る歩道を、わたしは額に汗をにじませながら走っていた。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 余裕を持って出てきたはずなのに......。

 確かに下見をしなかったのは間違いだったと思っている。

 でもまさか、こんなにも遠いだなんて――。

 ドーナツ型の髪留めで縛った二つのしっぽが、わたしを急かすようにして背中をピシャリと打ちつけた。

 今日が新学期の初日――というか、入学式なんだけど、そんな大事な日に遅刻しそうになるなんて。

 せっかくの真新しい制服がばっさばっさとひるがえり、はしたないことこの上ない。

 しかし、そんなあられもない姿を見る者も、注意する者も誰もいない。

 周りには、わたし以外に人の姿はなく、もうそれだけで今の状況が絶望的なことがありありとわかってしまう。

 歩道に敷かれた桜色の絨毯が乱れていないところを見ると、わたしがどれだけ遅れているかわかってもらえるだろう。

 新雪につけられた足跡が、降り積もった雪で埋まるがごとく、その場所をしばらく人が通っていないということを表していた。

 時刻はすでに八時二十分を過ぎた頃だと思うけど、時計がないので正確な時間はわからない。

 最後に時計を見たのは駅前のロータリーで、その時はまだ八時前だったと思う。

 余裕だろうと散歩気分でいられたのは、あまり長い時間ではなかった。

 惚れ惚れするような桜並木も、心躍る春の陽気な空気も、今のわたしにはまったく意味のないものだ。

 わたしの向かう先――天使女学院あまのつかじよがくいんは小高い丘の上にあって、駅前からでもそれほど遠くにあるようには見えなかった。

 初めは鼻歌を歌いながら、どんな学院生活が待っているのか楽しく想像しながら歩いていたのだけど、十分ほど歩いた頃にはちょっと冷や汗が流れ始め、さらに五分ほど経ったと思われる頃には頭の中で警報が鳴り響いていた。

 このまま歩いていたら絶対に間に合わない! と。

 天使女学院は、見た目は西洋のお城の様でとにかく大きく、そしてあまりにも広大な敷地に学院の建物しかない為に遠近感が狂ってしまい、近くにあると錯覚してしまったのだ。

 遅れを取り戻すべく走り出したのはいいのだけど、学院へと続く道はゆるやかな上り坂になっていて、体力に自信があってもかなりきつい道のりだった。

 それでも必死に走ってようやく平坦な道へ辿りつき、学院の傍まで来られたのは良かったのだけど、そこで新たな問題が発生した。

 学院を取り巻く高さ二メートルほどの塀が延々と続いているのだ。

 門らしきものは一切見当たらない。

 当然だ。そこから見上げる校舎と思われる建物は、明らかに後ろ姿をわたしに見せていた。

 正門はどう考えても逆にあり、そして正門まで行こうとすると、この果てしなく続く塀沿いをまたひた走らなければならない。

「この、反対側に回れと?」

 もうかなり限界なんですけど......。

 太ももがピクピクと痙攣し始めていた。

 反対に行こうとするなら、ゆうに十分以上は走らないと辿りつけそうにない。

 膝から崩れ落ちそうになるのを我慢して、正門はここじゃなくても裏門くらいはあるだろうと探しても見つからなかった時には、本当に膝から崩れ落ちた。

 しかし、嘆いていても状況が良くなるどころか悪くなる一方だ。

 時間は止まってくれない。わたしのやるべきことは決まっている。

 

 ......。

 ............。

 そして、わたしは正門を目指して走っているのだけど......。

「なんでこんなに広いの! 門くらい沢山作っておいてくれてもいいんじゃないの!?」

 思わず泣きごとを言わずにはいられなかった。

 もしかしたら逆回りで行けばあったのかもしれないけれど、今更引き返すことなんてできない。

 兎にも角にも諦めずに走り続けるしかない、きっとまだまだ大丈夫。そう希望的観測を持っていたのだけど、その考えは大甘だった。

 全力で走った甲斐もあり、ようやく校舎の正面がちょろっと拝めるようになってきた時に時計塔が視界に入ってきたのだけど、その針が八時半近くを指していたのだ。正確には八時二十七分。

 三十分までに学院の敷地内にいないといけないのに、どう考えてもあと三分で正門まで行ける距離ではない。そもそも正門なんて見えやしない。

 このままでは入学式に遅刻確定だ。

 夢の第一歩を踏み出そうとしているのに、このままでは自分から足を踏み外さなければならなくなってしまう。

 入学式に遅刻してきた女としてブラックリストに入ろうものなら、いい大学へ――できれば推薦入学で入って、一流企業へ就職するという夢が断たれてしまう。

 ブラックリストは大げさだとしても、新生活の第一歩から失敗なんてしたくない。

 ......となれば、残された方法はただ一つ。

 わたしは足を止めて大きく息を吸い込み、呼吸を整えた。

 もちろん諦めたわけではない。

 その場でくるりと左を向くと、塀に向かい合った。

 もう何をするつもりなのかおわかりでしょう。

 わたしは脇に抱えていた学院のロゴ入りバッグを、おもむろに学院の敷地内めがけて放り投げた。

 普通に走ったら間に合わない。しかし、この塀を乗り越えたら?

 そう、そこは当然学院の敷地内。校舎のすぐそばというわけだ。

 どうか誰にも見られませんように。

 心の中で祈りながら屈伸をして準備を整える。

 相変わらず周りには誰もいないので、私のやろうとしている行為を咎める者はいない。

 ならば今が好機!

 わたしは全力で駈け出すと、塀の中腹を蹴り上げ、その反動を利用して塀の最上部へと両手をかけた。そして勢いをそのままに、両手に力を込め、一気に体を塀の上へと持ち上げる。

 ......そう言うと格好良く、くのいちの様な動きをしたかに思われるかもしれないけど、実際はかなり必死に塀にへばりつきながら、なんとかよじ登ったというのが正解だろう。

 どれだけ不格好であろうとも、一回で成功できたのは大きい。わたしの体力はもう限界に近かったのだから。

 ともあれ、これで敷地内へ潜入することができる。

 反対側へ降りる時は飛び降りるなんてことはできないので、塀にぶら下がりながらえっちらおっちらとなんとか降りることに成功した。

 着地だけは両手を広げて体操選手のようにしてみる。

 うん、華麗な着地だ。

 さて、後は何食わぬ顔で入学式に出席出来ればいいのだけど......。

 制服についた埃を払い落し、さあバッグを拾って行きましょうかと振り向いたその時、わたしは一人の少女と目が合ってしまった。

 ――一瞬時間が止まった。

「あら、可愛らしい泥棒が入ってきたものね」

「っ!」

 ぎゃーっと叫びたくなるのを必死に抑えて、大きく目を見開いた。

 しまった。外に誰もいなかったものだから、完全に油断していた。

 まさかちょうど乗り越えたその先に誰かがいたなんて。

 それだったらバッグを放り投げた時になんらかのリアクションをして欲しかった。

「貴女新入生? すごいところから入ってきたのね」

 その少女はどうやら上級生のような感じだった。

 腰まで真っ直ぐに伸びた髪はほんの少し紫がかっていて、神秘的な雰囲気を醸し出している。長い髪がさらりさらりと微かな風に揺れて、光を反射してキラキラと輝いていた。

 左耳の上あたりには、ふわふわの毛玉に白羽が二本ついた髪飾り。

 染み一つない真っ白な制服を隙なく着こなし、いかにも気品のある佇まいをしている。

 確かめるまでもなく、いいところのお嬢様なのだろう。

 わたしのことを見つめるブルーサファイアのような瞳は、わたしを非難するようなものではなく、面白い物を見つけたと言わんばかりに興味深げに美しく輝いている。

 胸元のリボンにはその瞳と同じくらい綺麗な赤い宝石のようなものが埋め込まれており、誇らしげに胸元を飾っていた。

 これが上級生の醸し出す気品なのだろうか。それともこの人だけが特別で、やはり育ちからして違うのか。

 いや、それよりもなぜかわたしと制服の色が違うのが気になる。

 わたしの着ている制服は襟と袖口以外は黒なのに対して、その人の制服はわたしと真逆の白を基調にしている。リボンもわたしが紐タイ、あちらはどこの貴族ですかといいたくなるようなフリフリのリボンになっていた。

 もしかして学校を間違えた? なんて思ってしまう。

「あの、ここ天使女学院で合ってますよね?」

 ついつい確認を取ってしまった。

「ええ、合っているわよ、泥棒さん」

 白い制服の人は口元に軽く右手を添えてクスリと微笑んだ。

「ええと、泥棒じゃないです。遅刻しそうだったから仕方なく塀を乗り越えただけですから」

「あら、そうなの? でも随分と変なところから現れたのね。わざわざこんなところまでお散歩?」

「はい?」

「だって、バスでここまで来たのではないの? だとするとわざわざ反対側まで歩いてきたとしか思えないし」

 うん、まあ普通はそう思うよね。

「いえ、バスに乗るお金がなかったので走ってきたんです」

「走って!?」

 そう言うと、白い制服の人は酷く驚いていた。

 わたしの現在のお財布の中身は、とてもじゃないけど公表できるようなものではない。

 とある事情で、すっからかんなのだ。その場でジャンプしてみなさいと言われても、チャリンともしないくらいだ。

「もう少し近いと思ったんですけどねぇ」

 やっぱり下見はしておくべきだった。しかし、それすらもできないお財布事情と、その他モロモロがあったのだ。ちなみに入学試験は地方受験というやつで、実際にここへ来るのは今日が初めてだった。

「なんだか大変そうなことはわかったけれど、駅からのバスだったら生徒なら無料で乗れるわよ」

「ええっ? そうなんですか?」

 そういえば、わたしと同じ制服の子たちがバスを待っているところは見たけれど、確かに一般の人は誰も並んでいなかったような......。

 しまった、もっとよく見ておけばよかった。

「まあ、どんな理由があろうとも、塀を乗り越えるような真似は感心できないわね」

 わかってます、そんなこと百も承知です。

「でも、そうしないと間に合わないと思って――って、もう時間がないので行ってもいいでしょうか」

 こんなところで立ち話をしている場合ではない。こうしている間にも、時間は刻一刻と流れているのだ。

「行ってもいいけれど、もう時間切れね」

 白い制服の人は、袖を少しまくり上げて腕時計に視線を落とした。

 もしかして、もう三十分になってしまったの?

「そ......」

 そんな、と言おうと口を開いた時、時間切れを告げる盛大な鐘の音が鳴り響いた。

 カラン、カラン! カラン、カラン! と。

 機械の音なんかではなく、本物の鐘の音。時計台に備え付けられた黄金色の鐘が激しく揺れている。

 本物の鐘の音はとても力強く、それでいて耳に心地いい。

 しかし、それは今の私にとっては一番聞きたくないものでしかなかった。

「残念ね。入学式に出ることも出来ずに退学になるなんて。私の記憶では貴女が初めてかもね」

「はいぃ? いま退学って言いました?」

「ええ、言ったわ。だって入学式に遅刻するような生徒は、入学する意思無しと取られても仕方ないでしょう?」

「そんなっ、少し遅刻したくらいで退学なんてやりすぎじゃないですか? せいぜいキツいお説教をされて、しばらくの間先生方に目をつけられるくらいじゃ......」

「普通の学校ならそうかもしれないけれど、ここは普通ではないもの。それに貴女は家政科の生徒でしょう? それくらいわかっているはずじゃないのかしら」

「全っ然わかりません。どうして家政科だとわかっていなければいけないんですか」

 理不尽だ。あまりにも理不尽だ。

 そりゃあ遅刻したわたしが悪いけど、でもそれが退学になるようなことなの?

「どうしてって、本当にわからないの? 貴女ここへ何をしに来たのかしら」

「何って、勉強ですけど」

 学生なのだから、それ以外になにがあるというのか。

「勉強? 普通の?」

「あたりまえです。わたしはここで一生懸命勉強して、頑張っていい大学へ行くんですから」

「ふーん」

 わたしが抗議をすると、白い制服の人は首をかしげて珍獣でも見るような眼をしていた。

「貴女、本当にここがどんなところかわかっていないのね。珍しいわ。貴女みたいな子がいるなんて思ってもみなかったわ」

「どういう意味ですかそれは」

「だってここは......」

 白い制服の人は一旦口を閉じると、少しだけ背後に視線を向けた。

 つられて見たそこには、先生らしき人が慌てた様子でこちらに走って来ていた。

 もしかしてわたしを探しに来たのだろうか。

「ねえ、貴女。よかったら私が助けてあげましょうか」

「え?」

「いま走ってきている先生は教育指導の先生よ。塀の上にはね、ちゃんと防犯用のセンサーがあるのよ。先生はそれの報せを受けてやってきたのだわ。そこで貴女が捕まれば遅刻なんて関係なしに退学ね。塀を乗り越えるような真似をする生徒を入学させるわけがないもの」

「ええっ?」

 しまった。今の時代それくらいの防犯装置が有ってもおかしくはない。こんなお城みたいなところならなおさらだ。

「だから取引をしましょう。貴女が私を満足させる答えを出せたなら、私が助けてあげるわ」

「はっ?」

 答えって言われても何がなんだか......。

「時間がないので、速やかに聞くわね。......まずはそうね、貴女がこの学院に来たのは普通の勉強をするためなのよね?」

「はい、そうですけど」

 よくわからないけど、もうこの人に頼るしかないのだろうか。

「メイドになる為ではないのね?」

「はい?」

 メイド? なぜ学生のわたしがメイドに?

 というかいきなり斜め上すぎる質問なんですけど。

 わたしが頭上にクエスチョンマークを出していると念を押すようにもう一度聞いてきた。

「貴女は家政科を受験してここにいる、でもそれはメイドになる為ではないのね?」

「はあ、よく意味がわかりませんけど、メイドになるつもりなんてないですけど」

「そう」

 わたしの答えに白い制服の人は満足そうに頷いていた。

「貴女、当然私のことも知らないのよね?」

「え? そりゃあ、たったいま会ったばかりですから」

 もしかして有名な人だったのだろうか。

「芸能人とかなんですか?」

 確かにこれだけの美人さんならありえない話ではない。

 しかし、あいにくとそういったものに疎いので、名前を言われても多分わからないのだけど。

「そんなわけないでしょう。ふふ、いいわ、貴女のこと助けてあげる」

 どうやら、たったあれだけのことで良かったらしい。

 メイドになるとかならないとか、自分のことを知っているかとか、さっぱりわからないけど、結果オーライみたいだ。

「貴女、名前はなんて言うの?」

「......蛍みさきです」

「そう、いい名前ね。それではみさき、私のセラフになりなさい」

 白い制服の人は、胸に手を当ててにっこりと微笑んだ。

「はい?」

 セラフってなんですかー?

 そんないい笑顔をされても、わたしにはさっぱりなんのことだかわからない。誰かわたしに解説してくれないものだろうか。

「時間がないから、そのあたりのことはクラスメイトにでも聞きなさい。みさき以外の子なら大抵知っているのではないかしら」

「はあ......」

 わたし、もしかして変なところに来てしまったのだろうか。

「とりあえず、これをつけなさい」

 そう言って差し出されたのは金色の校章バッジだった。中央に王冠があって、それを囲むようにして羽が描かれたものだ。

「これが私とみさきを繋げるセラフの証よ」

 セラフの証......ねぇ。

 普通の校章バッジは銅色の極々一般的な物。それに比べれば、この金色の校章バッジは確かに特別な感じがする。

「あの、ところでお名前を聞いていいでしょうか」

 助けてもらうのに、いつまでも白い制服の人では失礼だ。

 尋ねながら、襟の校章バッジを付け替えた。

「私の名前は......」

「天使さん」

 白い制服の人が名乗ろうとした時、走って来ていた先生が息を切らしながらとうとうやってきた。

 緊張が走る。

 ここを乗り越えられなければ、わたしはスタートラインにすら立てなくなってしまう。

 それにしても、いま先生は「あまのつかさん」と言っていた。

 あまのつか? それはこの学院と同じ呼び方のような気がするけど――。

 私の疑問に答えるように、天使さんはわたしの耳元で囁いた。

「私の名前は天使姫子よ。みさきは下の名前で呼びなさい。あとは私に話を合わせればいいわ。わかったわね」

 天使姫子――姫子さんと呼べばいいのかな。

「わかりました、姫子さん」

「それでいいわ」

 わたしが名前を呼ぶと、姫子さんはニッコリと微笑みながら振り返った。

「おはようございます、峰岸先生」

「はい、おはようございます」

 落ち着き払った声で、姫子さんは先生に挨拶をした。

 ほんの少し腰をかがめて、スカートを両手で軽く持ち上げる様はとても優雅だ。

 先生は姫子さんを見て、そしてわたしにも一瞬視線を向けた後、再び姫子さんに向き直った。

「天使さん、このあたりで何者かが塀を乗り越えたようなのですが......」

 先生はもう一度わたしに視線を向ける。

 冷や汗が流れる。

 極力、挙動不審にならないようにしなければ。

「ああ、申し訳ありません。それはこちらのみさきのことですね」

 姫子さんがわたしの腰に手を当てて少し引き寄せた。

 わたしは軽く頭を下げながら、そのまま身を任せて姫子さんに寄り添う。

「みさきさん?」

 紹介されたことで、先生は遠慮なくわたしのことをジロジロと見てきた。

「貴女は新入生ですね? 新入生ならもう講堂に集まっていなければいけないはずですが......あら? その校章バッジをつけているということは......」

 先生はわたしの襟につけられた校章バッジに気が付き、目を大きく開いた。

 やっぱりこれは、かなり特別な物なのだろうか。

「はい、この子は私のセラフです。入学式の日に契約を交わしたくてここで待ち合わせをしていたのですが、塀の上に子猫が登ったまま動けなくなっていたのを見つけて、みさきに助けてもらったんです。その時にセンサーに引っかかってしまったのですね」

「まあそうなのですか」

 かなり嘘っぽい話だと思うんだけど、先生は素直に信じてしまったようだ。

「忙しいときにお騒がせして申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げる姫子さんに合わせて、わたしも頭を下げた。

「いいのですよ、原因がわかれば」

「ありがとうございます」

「それにしても、天使さんがセラフを作らなかったのはみさきさんを待っていたからなのですね」

「はい。本当ならば周りにも説明しておけばよかったのですが、契約もしていないうちから言うのもどうかと思いまして」

「そうですね。周りの子たちは随分とヤキモキしていたみたいですが、思慮深い判断だと思いますよ」

「ありがとうございます」

 再び姫子さんは頭を下げた。その時にわたしの手を優しく握ってきたのだけど。それは「よかったわね」と言っているみたいだった。

 一応これで一安心なのかな。

「それでは二人とも早く講堂へ集まってください。もう間もなく入学式が始まってしまいますよ」

「はい、わかりました。......ああ、そうですわ。先生、実はみさきが私のところへ少しでも早く来るために急いでいたのか、受付けをするのを忘れてしまったみたいなのですが」

 ああ、そういえばその問題もあった。

 いくらなんでも、さすがに受付もしていないなんて怪しすぎると思うのだけど、そこはセラフとやらのパワーなのだろうか。

「仕方ありませんね。受付の先生方には私から言っておきますので、二人は急いでください」

 あっさりと切り抜けてしまった。

 セラフって一体......。そして姫子さんって何者?

「申し訳ありませんが、お願いします。それではみさき、行きましょう」

 姫子さんがわたしの手を取って歩き出す。

「あの、ありがとうございます。おかげで助かりました」

「いいのよ、みさきは私のセラフなのだから」

 姫子さんはなぜだか上機嫌でぐいぐいとわたしのことを引っ張っていく。

「そのセラフって何なんですか?」

 やっぱり気になる。

「それは、今は秘密。みさきが後から何なのか知った時の反応が面白そうだもの」

「意地悪ですね」

「あら、助けてあげたのに心外だわ」

「はあ......」

 助けてもらった以上言うことを聞くしかないのだけど、おかしなことに巻き込まれていないか不安になってしまう。

 

***

 

「さあ着いたわ」

 結局、何も教えてもらえないまま講堂へと着いてしまった。

 そこはわたしが校舎だと思っていたお城のような建物だったのだけど、どうやら一般の校舎ではなく講堂や特別教室の集まる建物だったらしい。

 結果的に入学式の会場へは近かったのだけど、普通の教室は別のところにあるようで、そこも当然のごとくお城のような建物だった。

 お城が二つそびえ立つ学院......。

 思わずため息が出てしまう。

「みんな集まっているみたいだけど、式はまだのようね」

 講堂の後ろの扉を開けて、姫子さんは中を確認していた。

「ああ、そうだわ。明日の放課後にこの建物の上階にあるエレベータホールに来なさい」

「エレベータ? そんなものがあるんですか?」

「ええ、エレベータを上がったところに、ちょっとしたお茶会が出来るような場所があるのよ。そこに私たちは良く集まっているから、みんなに紹介するわ」

「わかり......ました」

「あら、不満そう?」

「そりゃ、わけのわからないことばかりですから。姫子さんは楽しそうでいいですけど」

 少しの嫌みを込めてみたけど、姫子さんには通じない。楽しそうにクスりと微笑むだけだった。

「とても楽しいわよ。それにこんなにも胸躍るのは久しぶりのことだもの」

「さっぱりわかりません」

「いいのよ、みさきはまだわからなくて。学院に慣れてくれば色々わかってくるわ。それまではそのわからない状況を楽しんでみたらどうかしら」

「できるだけそうなるようにしてみます......」

「ふふ、今日はいい日だわ。みさきみたいな子に出会えるなんてね」

「はあ......」

 姫子さんは鼻歌でも歌いそうな勢いで扉を開けて、臆することなく入っていく。遅刻していることなんてまったく気にしていないみたいだ。

 わたしもその後に続いたのだけど、足を一歩踏み入れた瞬間、不満に思っていたことも忘れて「わぁ」っと、感嘆の声が出てしまった。

 講堂は体育館のようなものをイメージしていたのだけど、どちらかといえば教会かコンサートホールのようになっていて、ずらりと椅子が並べられていた。それも安っぽいパイプ椅子じゃなく、ちゃんとクッションがふんだんに使われた高そうなものだ。

 正面には大型のパイプオルガンが設置されていて、その華やかさと荘厳さに圧倒されてしまう。

 パイプオルガンの前には姫子さんと同じ白い制服を着た少女が二人。一人はパイプオルガン、もう一人はヴァイオリンを弾き、どこかで聞いたことのある曲を優雅に演奏していた。

 この曲はビバルディの四季だったかな。その中の春だったと思う。陽気な曲で、心が高揚してくるのがわかる。これから頑張ろう! って気分になる曲だ。

「呆けてないでこちらへ来なさい。まずはみさきのクラスを確認しないといけないのだから」

「あ、はい」

 先導する姫子さんの後をついて行きながら、講堂の中を観察する。

 入学式なのだから、ここにいる生徒は皆わたしと同じ新入生のはず。

 だけど、椅子に座っている子たちを見て、「あれ?」と思った。

 なんだか左と右で、綺麗に二色に分かれている。

 わたしと同じ黒い制服を着たグループと、姫子さんと同じ白い制服のグループ。

 色の数的には黒い方が多そうだ。

「姫子さん、この学院って制服が二種類あるんですか?」

「二種類って......ああ、そういうこともまったく知らないのね」

 先を行く姫子さんの背中に声をかけると、姫子さんは一度立ち止まって振り向いた。

「社交科の生徒が白い制服で、家政科の生徒が黒い制服なのよ」

「へえ、家政科以外に学科があったんですね。受験した時に社交科なんて見たことなかったですけど」

「社交科は基本的に中等部からの持ちあがりだけで、外部からの募集は一部の例外を除いてしていないわ」

「ということは、姫子さんは社交科の生徒で、中等部からこの学院にいるってことなんですね」

「ええ、そうよ」

 それだけ答えると、また前を向いて歩いていってしまう。

 詳しい説明をする気はまったくないようだ。

「ええと、どの先生に聞けばわかるかしら。少し待っていてちょうだい」

「はい」

 ちょうど黒い制服のグループの真後ろに来たあたりで、姫子さんはわたしがどのクラスなのか確認する為に、一人で先生たちのところへ行ってしまった。

 一人になるとちょっと気まずい。

 何せわたし以外の生徒は皆席につき、お行儀よく式が始まるのを待っているのだ。

 手持ち無沙汰になり、意味もなく足をもぞもぞと動かしたりしていると、ふいに一人の生徒と目が合ってしまった。

 わたしが席にも着かず、立ったままでいるのが気になったのだろう。

 その人は、「何をやっているのかしら」という視線を投げかけてきていた。

 目が合ってしまった手前無視するわけにもいかず、軽く会釈をしたのだけど、突然その人の表情が『不審』から『驚愕』に変化した。

 それはもう見ているこっちがびっくりするくらいに大きく目を見開いて、わたしのことを凝視してきたのだ。

 えええ、わたしに何か変な所でもあっただろうか。

 制服に乱れはないし、ちゃんと塀を乗り越えた時についた汚れも払い落してある。破れているところがあったり......も当然していない。

 そんな驚いた表情で見つめられる要素なんて――と考えたところで、一つ思い当たるふしがあった。

 それを裏付けるかのように、よく見ればその人の視線はわたしの体のある一か所に集中している。見られている場所に穴でも空くんじゃないかってくらい強い視線だ。

 どう考えても金色の校章バッジを見ているよね......。

 やっぱりこれ、ただの校章バッジじゃない?

 ああ、面倒なことになりそうだから、隠してしまいたいなぁ。

 なるべく見えない様にちょっと体の角度を変えたのだけど、時すでに遅し。

「セラフ......?」

 その人が呟いた一言が、水面を打って波紋を作るがごとく、サアァっと周りに広がっていってしまったのだ。

 次々と「セラフ?」とか「えっ」とか口にしながら生徒たちがこちらを振り返る。

「ひえぇっ」

 これは非常にまずい気がする。

 ざわめきは次第に大きくなり、それまで静かなヴァイオリンとパイプオルガンの調べしか聞こえなかった空間が、雑然としたものになってしまった。

 こちらを見ながら周りと小声で何やら話している生徒。好奇と羨望、そして嫉妬の入り混じった視線。

 奇妙なことにそれらは黒い制服の少女たち、すなわち家政科の生徒たちのみが反応しているのであった。

 白い制服の少女たち――社交科の生徒たちは、好奇の視線を向ける者はいたけれど、家政科の生徒たちのようにざわめいたりする者はいない。

 つまり、これは家政科の生徒たちのみに特別な物ということなのだろうか。

 顔をひきつらせていると、

「あら、騒がしくなっているわね。何かあったのかしら」

 何食わぬ顔で姫子さんが戻ってきた。

 あなたのせいです。全部姫子さんのせいなんですから。

 抗議しようと口を開きかけた時、それまでのざわめきなんて比べ物にならないくらいの騒ぎが起こった。

「姫子様よ」「姫子様だわ」「きゃー」

 といった黄色い悲鳴が上がり始めたのだ。

「もしかして私のせいだったかしら」

 何このアイドル扱い。新入生が知っているくらいの有名人ってどんだけなんですか。

「もしかしなくてもその通りですよ。なんだかみんなこの校章バッジを見て騒いでいるみたいですし、どうするんですか」

「困ったわね」

 言葉とは裏腹に、姫子さんは楽しそうだ。

「まずはみさき、貴女は席に着きなさい。二組の......席が一つ空いているからそこね」

「はい......って場所がわかれば後は一人で行けますけど」

 姫子さんに肩を押されて連れて行かれるのだけど、視線が、みんなの視線が痛いくらいに突き刺さる。

 姫子さんの名前を呼ぶ黄色い悲鳴は収まることを知らず、さらにそれに加えてわたしに対する嫉妬の声が混ざり始めたのだ。

「何よあの子」「姫子様の何なの」「きゃー」

 うわー、これってわたしが虐められるフラグだったりしないですよね。

 遅刻したばかりに、わたしの運命真っ逆さまってやつだったりするのだろうか。

「はい、ここがみさきの席ね」

 姫子さんはこういったことに慣れているのかあまり動じた様子がない。

 わたしを席に座らせると、くるりと振り返り手を二回叩いた。

「皆さん静かにしてください。まもなく式が始まりますよ」

 たったそれだけのことで、それまで騒がしかった生徒たちが皆シーンと静まり返ってしまったのだ。

 すごい。

 騒ぎたい盛りの女の子たちが、先生でもないただの生徒の言うことをすんなり聞くなんて。

 姫子さんて何者?

「それではみさき、またね」

 周りに愛嬌を振りまいた姫子さんは、最後に小悪魔のような笑みをわたしだけに見せて、壇上の方へと歩いていってしまった。

 ......壇上?

 姫子さんは、そのまま壇上の両脇に並べられた豪華な椅子の一つに、澄ました顔で座ってしまったのだ。

 あれって来賓の人とか、祝辞を述べたりする人が座る席じゃないのかな。

 姫子さんてばおっちょこちょいさん、と突っ込みを入れたいところだけど、わたしは閃いた。

 わかった、姫子さんは生徒会長なんだ。

 生徒会長だったら、学校案内のパンフレットに載っていて、それで新入生が知っていても不思議じゃない。壇上に上がったのだって、生徒会長の挨拶をする為なのだろう。

 それなら、さっきの統率力も理解できる。

 セラフというのは生徒会の隠語か何かで、金色の校章バッジは生徒会のメンバーの証なんだ。

 メイドがどうのこうの聞いてきたのはよくわからないけど、わたしが暇なのか聞いていたのだとすれば、生徒会のメンバーにしても大丈夫よね、ということなのだろう。

 うんうん、色々納得だ。

 でもいきなりそんなものにするなんて、と姫子さんを睨みつけると、視線に気がついた姫子さんが手をひらひらと振ってきた。

「あなた姫子様のお知り合い?」

「はい?」

 ぐぬぬと眉間に皺を寄せていると、隣の席の子が話しかけてきた。

 星型の髪飾りを使って後ろ髪を縛った、少し目つきのキツい子だ。前髪のひと房をまとめる髪留めにも星のマークが入っている。お気に入りのアイテムなのかな。

 その口調は丁寧だけど、少し棘のようなものが含まれているような気がする。

 わたしに対して嫉妬や不信感のようなものを抱いているのだけど、極力表に出さない様にしているような感じ。

 もし変なことを言って本当に姫子さんの知り合いだったらまずいと思っているのだろう。

「ええと、知り合いというほどのものでは......」

「本当に? でもその校章バッジはどうしたの? 姫子様に貰ったのではないの? 入学式の前にセラフになるなんて、ずっと前から約束をしていたのかしら? それにあなた一人だけ遅れてきたのにお咎めもないなんて......。それってやっぱり姫子様の口添えがあったからなのよね? どういうことなの? 知り合いでもないのに姫子様にそこまで良くしてもらえるなんて、あなた一体何者なの?」

「う......」

 わたしが姫子さんと親しくないとわかると、その子は取り調べのような厳しい口調で、一気にまくしたててきた。

 姫子さんがどうしてわたしに良くしてくれるかって? そんなことわたしのほうが知りたいくらいだ。

 わからないものは答えようがない。適当にごまかしてしまおうか。

 でも、隣に座っているということは同じクラスになるってことだしなぁ。下手なことを言って、後からバレたら余計に困ったことになりそうだ。

 誰か助けてくれないかなと、ちょっと周りに視線を向けてみたものの、それはあきらかに期待できそうにない。

 助けどころか、皆真面目に正面を向いているように見えて、耳だけは必死にこちらの声を拾おうとしているのがわかった。

 興味があるのは皆同じというわけだ。

「ええと、一から話すと長くなりそうだから、後からじゃダメかな。ほら、式ももうすぐ始まるし、私語をしていたら怒られる......よね?」

 必殺先延ばし。......別に殺さないけど。

 当の本人でさえまったく事の成り行きがわかってないのに説明なんて出来るはずがない。

 ここは少し時間を置くのが正解だろう。

 この子もちょっと興奮状態で、ありのままを言ったとしても信じてくれるかわからないし......。

 遅刻しそうになって塀を乗り越えたらそこに姫子さんがいて、メイドにならないと宣言したら金色の校章バッジを貰いました。

 ......うん、意味不明だ。

 もうちょっと話を整理して、せめてセラフがなんなのかを理解してからじゃないと説明のしようもない。

 本当に生徒会のメンバーに選ばれたのだとしたら、役職がなんなのか確かめないといけないし。

 というか、勝手にそんなものにされても困るし、断れるものなら断りたいところだ。

「......わかったわ。でも後で色々聞かせてもらうからね。本当は私が.........いいえ、なんでもないわ」

 一応納得してくれたのか、それ以上の追及はされなかったけど、聞きたくてしょうがないというのが痛いほど伝わってくる。

 その代わりというわけでもないのだろうけど、

「あなたの名前聞いてもいいかしら」

 その子は前を向いたまま、わたしにだけ聞こえるような声で尋ねてきた。

 名前だったらいくらでも教えることができる。

「わたしは、蛍みさき。今日からこの学院でお世話になることになりました」

「ここにいるんだから当たり前でしょう。っていうか、やっぱりあなたがみさきさんなのね」

 わたしが名前を言うと、なぜだかため息をつかれてしまった。

 その口調はわたしのことを知っているようでもある。

「もしかしてわたしって有名人ですか?」

「......ええ、有名人よ、一部ではね。何しろ入寮手続きをしていないのはあなただけなんだから」

「入寮って......、ああ、ここ全寮制ですもんね。あれ? でも入学前から入寮できるんですか?」

「出来るに決まっているでしょう。案内書に書いてなかった? 実際に入寮するのが今日からだとしても、早い人は二週間くらい前から、遅くても昨日のうちには手続きしているわよ、あなた以外はね。いくら待っても来ないものだから、てっきり入学を取りやめたのかと思っていたわ」

「あー、色々事情がありまして、今日まで来ることができなかったんですよ」

 しまった、そんな前から来てよかったんだ。それを知っていたら余計な出費をすることも遅刻することもなかったのに。

「でも、よくわたしの......」

「どうしてあなたの名前まで知っていたかというと、私とみさきさんがルームメイトだからよ」

「......なるほど」

 ルームメイトということは......。

「だから、誤魔化そうとしても無駄よ。いくらでも話を聞く時間はあるのだから」

 全部お見通しですか......。

「ははっ......」

 乾いた笑みが出た。

 まあ話すのが嫌なわけじゃなくて、状況がわからないから話し様がないというだけなので、もろもろの整理ができれば問題はない。

 そうか、この子と一年間は同じ部屋で過ごすことになるんだ。

「あの、これからよろしくね。ところで寮って二人部屋なの?」

「四人部屋よ」

「そっか、後二人いるんだ」

 二人きりだとプレッシャーが凄そうだから助かるかも。

「ところで、わたしも名前を聞いていいかな」

「嫌」

「えっ?」

「冗談よ」

 かなり本気で言われた気がする。なんか、目の敵にされてるなぁ。

「星野きらら、よ」

「星野さん......きららちゃん、って呼んでもいいかな」

 名前を呼び合うことで、少しはお近づきになれるはず......なんだけど。

「嫌」

「うう......」

「冗談よ、好きにしたらいいわ」

「はあ......」

 姫子さんと仲良くしていたように見えたのが、そんなにもダメなことだったのだろうか。

 きっと、きららちゃんだけじゃなくて、他の子たちも似たようなことを思っているんだろうなぁ。

 早く知り合いでも、仲良しでもないっていうことを言っておかないと、大変なことになりそう。

 ひっそりとため息をつくと、ようやく式の始まる時間になったのか、春の調べが静かに鳴りやんだ。

 軽く頭を下げる演奏者二名を拍手で見送り、少し背筋を伸ばした。

 順風満帆な始まりとは言えないかもしれないけど、スタートラインには立てたのだから良しとしておこう。

 すべてはこれからの頑張り次第だよね、うん。

 

***

 

 入学式なんてものは、どこの学校でもそんなに違いがあるものではない。

 ちょっと普通じゃなさそうなこの天使女学院でも、開式の辞から始まって、国歌斉唱、学院長告辞、来賓祝辞とごくごく普通のプログラムが続いていく。

 厳かな雰囲気の中、新しい生活の第一歩を踏み出したことを実感して、胸が高鳴っていくのがわかる。

 さっきまでキツい目をしていたきららちゃんも、いつの間にか名前のように目がきらきらと輝いていた。

 そして、プログラムは在校生代表の挨拶へと進んでいく。

 ようやく姫子さんの出番かなと思っていたのだけど、姫子さんの名前が呼ばれることもなく、椅子に座ったままだ。

 あれ? 在校生代表の挨拶と言えば当然生徒会長――すなわち姫子さんが出てくるものとばかり思っていたのだけど、違うのかな。

 首をかしげていると、姫子さんの反対側に座っていた生徒が立ち上がって中央に歩み出てきた。

「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。在校生を代表して、生徒会長である私、安樹璃花がご挨拶をさせて頂きます」

 生徒会長は生徒会長なんだけど、やっぱり姫子さんではないらしい。

 しかしながら、この生徒会長さんも人気と知名度があるらしく、「アンジェリカ様~」なんて小さく声援が飛び始めたのだ。

 ちなみに声援を送るのはやっぱり黒い制服の家政科の生徒たちだけだ。

 社交科の生徒の皆さんは騒ぐ様子もない。

 生徒会長も白い制服であることから、社交科の生徒だということはわかるのだけど、どうやら家政科の生徒たちにとって、社交科の生徒は特別な存在なのかもしれない。

 まあ、このわずかな時間だけ見ていても、社交科はどこか品のある生徒が多い気がする。

 こうなんていうか、社交科の生徒たちがいるあたりが白く光って見える、そんな感じだ。

 それにしても、アンジェリカって......。今「やすきりか」って言ってたじゃないか。

「ねえねえ、どうしてアンジェリカって呼ばれているの?」

「璃花様のお名前を漢字で書くと、安樹璃花。あて字のようにして読むとアンジェリカと読めるでしょう?」

 我慢できずにきららちゃんに聞くと、空中に指で文字を描くようにして教えてくれた。

「なるほど、なるほど。外国の方というわけじゃないのかな」

「そういう噂もあるけれど、確認したわけじゃないからそこまではわからないわね。日本人離れしている容姿だとは思うけど」

「あー確かに。ふわふわな銀髪だし、鼻も高いし、ちょっと美形すぎるよね」

 姫子さんといい勝負をしてそうだ。

 人気が出るのもよくわかるけど――。

「ねえ、それにしたってみんなよく在校生のことを知っているよね。普通入学前から知ってるなんてことないでしょ?」

 生徒会長の言葉に耳を傾けながら、小声できららちゃんに尋ね続ける。

「なぜって、それくらいの下調べをするのは当然でしょう」

「当然なんだ......」

「あなたって不思議よね。姫子様と一緒に来たわりには姫子様のことをよく知らないというし、寮へも現れない。なんだかこの学院のことを何も知らないみたいだし、一体なんの為にここへきたのかしら」

 ああ、その言葉は姫子さんにも言われた気がする。

「もしかして、ここって普通の学校じゃなかったりする?」

 恐る恐る言うと、きららちゃんは信じられないものでも見たという表情になった。

「やっぱり何も知らないのね。......そんな人に先を越されるなんて屈辱だわ」

 今確実にわたしときららちゃんの間に壁が出来た気がする。少し仲良くなれた気がするのに一歩後退してしまった感じ。

「ええと......」

「何も言わなくていいわよ。後でちゃんと教えてくれるのでしょう?」

 きららちゃんはため息をつきながら、ツンと鼻をそらした。

「う、うん......。ちゃんと話すから、わたしにも色々教えてもらっていいかな」

 なんだか何も知らないままこの学院で過ごすのは、非常にマズイ気がしてきた。

「......いいわよ。姫子様と繋がりがあるのなら、仲良くしておいて損はなさそうだもの」

 打算的な瞳で、きららちゃんは口の端をゆがめて微笑んだ。

 

 プログラムは生徒会長の挨拶から、新入生代表による宣誓に移っていた。

 それを務めるのは社交科の生徒だ。

 一挙手一投足に華があり、見ているだけで惚れ惚れとしてくる。

 あの人のこともみんな知っていたりするんだろうか。

「そんなの当たり前でしょう」なんてまた呆れ顔をされたら嫌なので、きららちゃんに聞かないでおくことにした。

 そして新入生代表による挨拶が終わり、入学式も終わりに差しかかったときに忘れかけていた疑問が解決されることになった。

 それは姫子さんがどうして壇上の席に座っているのか、っていうこと。

 微動だにしないものだから、すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。

「続きまして、学院理事長挨拶ですが、本日は諸事情により理事長代理よりご挨拶を頂きます」

 進行役の人がプログラムを読みあげると、何故だか姫子さんが立ち上がったのだ。

 いや、そんなまさかと思わずにはいられなかったのだけど、姫子さんは澄まし顔で壇上の中央まで歩み出てくる。

 そしておもむろに祝辞を述べ始めたのだ。

「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。満開の桜咲き誇る今日という日に、新たな仲間を迎えることが出来たことを心より嬉しく思います――」

 思わず、口をあんぐりと開けてしまった。

 なんで一介の生徒が理事長代理なんてしているの? あきらかにおかしいでしょう。誰か異議あり! なんて叫んでもいいと思う。

 だけど、わたし以外誰もおかしいと思っていないのか、皆真剣に話を聞いている。

 家政科の生徒なんて恍惚の表情といってもいい。

 理事長代理? 本当に?

 だとしたら、姫子さんの知名度も頷ける。

 それに姫子さんの苗字である天使、最初におや? っと思ったのは正しかったんだ。

 天使姫子――天使女学院。姫子さんの一族がこの学院の経営者。つまりはそういうことなのだろう。

「はーっ」

 無意識にため息とも感嘆ともとれる声が出ていた。