二、金の契約
二、金の契約
あーびっくりした。まさか姫子さんが理事長代理だったなんて。
無事入学式が終わって、わたしたちはこれから一年間を過ごすことになる教室へと移動していた。
隣の席には入学式と同じようにきららちゃんが座っている。
周りは当然すべて家政科の生徒で、黒い制服で埋め尽くされていた。
姫子さんのことも驚いたけど、今は自分のことだけを考えないといけない。
今は先生の監視があるから皆大人しいけど、見えない視線がひしひしと伝わってくるのだ。
ホームルームが終わった瞬間に囲まれて、質問攻めにあうことが確定なこの状況は、非常に胃が痛くなってくる。
うまく逃げ出せるといいんだけど、どう考えても無理。
今のわたしは、「待て」をかけられた犬の目の前に置かれた餌の心境だ。ただ食べられるのを待つのみ。
「それではホームルームを終わります。みなさん明日から一年間頑張りましょう」
きた。
終礼の挨拶が終わると同時に全員がこちらを振り向いた。
こわー。
みんな獲物を狙うがごとく、目が光っている。
そして先生が教室を出ると同時に、一気にわたしの机の周りに群がってきた。
「みさきさん、どなたのセラフになったの!?」「やっぱり姫子様なの?」「入学式にそれをつけてきたってことは、もう前々からお約束をしていたの?」「ずるいっ」「きーっ」
等々。みんな好き勝手に自分の疑問や不満をぶつけてくる。
「いや、それはそのー」
こんなのいちいち全部に答えてなんていられない。
「もうお披露目会は済ませたの?」「天空サロンってどんなところ?」「姫子様の使っているシャンプーは?」「神楽様にはもうお会いしたの?」「ずるいっ!」「きーっ!」
もう何が何だか。
こんな校章バッジ一つでここまで騒ぎが大きくなるなんて思っていなかった。
ただ退学を免れる為とはいえ、あまりにも不用意だったかも。
そもそも、遅刻しただけで退学になるということ自体本当なのかどうかもわからないのだ。姫子さんがわたしにこの金色の校章バッジを渡す為の方便だったという可能性もある。
姫子さんはどうしてわたしにこんなものを渡したのだろう。
「まあ皆さん落ち着いてください。そんなにいっぺんに質問をしてはみさきさんが答えられないわ」
困り果てたわたしの前に助けの手を差し伸べてくれたのは、きららちゃんだった。
「きららちゃん......」
入学式で会ったばかりだというのに、わたしのことを助けてくれるんだ。
てっきり、きららちゃんが先頭に立って詰め寄ってくると思っていたのに。
いつの間にかわたしときららちゃんの間には、厚い友情が芽生えていたんだ。
ちょっと感動だ。
「皆さんの聞きたいことは私もよくわかっています。どうかここは私に任せて頂けませんか? 時間をたっぷりと使って、すべて聞き出してみせますわ」
前言撤回。
きららちゃんは燃えていた。
わたしのことをきつく睨んで、すべてを白日の元に晒す気満々でいるようだ。
「そういえば星野さんは同室だったわね」「だったらお任せした方がいいかしら」
みんなで目配せをし合って、「そうね、そうしましょう」と頷いていた。
この場で質問攻めに遭うのがいいのか、それともきららちゃんに取り調べをされるのがいいのか。どの道わたしには選択権がなさそうだった。
***
「お茶でも飲んでリラックスしたらどう?」
きららちゃんが手慣れた動作でお茶をカップに注ぎ、わたしの前に置いてくれた。
美味しそうではあるけれど、お茶を飲んだところで到底リラックスできそうにない。
目の前にはきららちゃん他、ルームメイトが二名の計四名が座布団の上に座っていた。
ここは天使女学院の敷地内にあるシャンボール館。わたしたち家政科の生徒が住むことになる寮である。
見た目は高原のペンション風で、寮にしてはかなりおしゃれさんだ。生徒たちの評判も良く、大半の生徒は入寮出来るようになるとすぐに入寮手続きをしにやってきたらしい。
その中の一室にわたしは軟禁されていた。
一応きららちゃんの部屋であり、わたしの部屋でもあるので軟禁と言えるのか微妙だけど、自分の意思で外にでることはできそうにないので軟禁だと思う。
1LDKというわたしたちの部屋は、四人でも意外と快適に過ごせそうなほど広かった。
一部屋を寝室兼勉強部屋にして、リビングは憩いの場として四人どころか倍の人数が入っても余裕がありそうだ。
「ま、いいわ。早く話したいというのなら歓迎だもの」
出されたお茶に手をつけないわたしを見ながら、きららちゃんは自分のお茶を一口すすった。
「それでどういう経緯でセラフになったのか教えてくれるのよね」
「う、うーん、教えるのはいいんだけど、まずそのセラフっていうのをわたしに教えて欲しいな」
なんだか家政科の生徒にとっては特別な物であるというのはわかってきたけど、詳しいことは不明のままだ。
姫子さんが生徒会長でなかったのだから、生徒会の役員にされちゃった、というわけでもないのだろう。
「いいわ、憎たらしいほどに無知なあなたに教えてあげる」
きららちゃんは立ち上がると、勢いよく右手を横に薙いだ。
「そもそもこの学院にいながら、セラフはおろか、学院のことをまったく知らなさそうなのが信じられないのよ。みさきさん、あなたどうしてこの学院を受験したのかしら」
「どうしてって......、そりゃもちろんお金がかからないから、だけど?」
そう、この天使女学院は、なんと学費が無料なのだ。それだけではなく、教科書や制服、さらに食費までも無料で、普通に生活する分には一切お金が必要ないのだ。
わたしのようなお金に困っている学生にとっては、まさに夢のような場所である。
「それだけで受験したの?」
「う、うん......」
素直に頷くと、きららちゃんはこれ見よがしに大きなため息をついた。
「あなたねぇ、何もせずにすべてが無料になるような美味しい話があるわけないでしょう」
「えっ? もしかして、後から全額請求されるとか、それとも強制労働が待っているとか」
「後半はある意味合っているわ。いいこと、何故私たちが家政科で、姫子様たちが社交科なのか考えてみなさい」
「考えてもさっぱりわからないと思うんだけど」
「......そうね、あなたはわからないでしょうね。耳の穴をよく広げて聞きなさい。家政科の生徒はね、みんなメイドになる為にここにいるのよ」
「メ、メイド?」
「それが何かくらいは当然知っているわよね」
「う、うん......」
メイド......家の中の清掃や洗濯、炊事や主人の身の回りの世話をする人のことだ。
いつの頃からか、ヴィクトリア朝よろしく、普通の家庭でもメイドを雇うのが一般的になり始めて、今ではすっかり市民権を得ている。
家事手伝いをしていた女の人が、少しでもお金を得る為に、同じ家事をするならメイドをしたほうがマシだと言い始めたのがきっかけだったとかないとか。
「そっか、家政科ってそういう意味だったんだ」
「そうよ、そして私たちはただのメイドを目指しているわけではないわ。メイドの中でもより優秀な......そう、上流階級の方々に仕えることができる程のメイドになるのが目的なの。社交科のお嬢様たちがまさにそれよ。私たちはお嬢様たちのお世話ができるように日々学んでいくの」
「ああ、なるほど」
どうりで社交科の生徒たちは品があるように見えたわけだ。
「いいこと、みさきさんが全て無料だからといったけど、どうしてそれが実現できているかわかるかしら」
この流れで行くと――。
「社交科の人たちのおかげ?」
「その通りよ。私たちの授業料も、生活費も、すべて社交科のお嬢様たちのご家庭から出される寄付金でまかなわれているの。だから私たちは社交科のお嬢様たちを最大限に敬い、感謝して接しなければならないのよ」
「そっかぁ」
「この学院へ来たからには、私たちの血の一滴、肉の一かけらまでお嬢様たちのものと心得なさい!」
興奮が最高潮まで高まったのか、きららちゃんは鼻息を荒くして言い放った。
「そ、そこまでのものなんだ」
「あたりまえでしょう。みさきさん以外の生徒は皆同じ気持ちよ」
そうなんだ、と他の二人を見ると、ちょっと困ったような愛想笑いをしていた。
んー、これはちょっときららちゃんの思い込みが強いような気がするけど、確かに社交科の人たち――お嬢様たちに感謝しないといけないみたいだ。
「私たちがなんのためにここにいるのかわかってもらえたところで、肝心のセラフについて教えるわよ」
「うん、お願い」
「セラフっていうのはね、金の契約とも言って、社交科のお嬢様と専属契約をした人のことを言うのよ」
「ああ、そうなんだ」
「......それがどれだけ凄いことかわかっていないでしょう」
......はい、わかっていません。
わたしはコクコクと頷いた。
「いいこと、私たちはお嬢様たちのような方々にお仕えできるようになるのが目的だけど、当然全員がそうなれるわけではないわ。能力がともなっていなければならないし、お嬢様に気に入られなければ当然雇ってはもらえない。わかるわね」
「うん」
「幸いなことに私たちはお嬢様たちと同じ空間で勉強し、生活できているわ。自然とお世話をする機会も多いから、運が良ければ自分のことを気に入ってくれて、『卒業したら私の下で働きなさい』なんてことを言ってくれることがあるかもしれない。そうなれるように三年間努力していかなければならないのよ。わかる? いくらお嬢様たちといえども、人一人を雇うというのは大変なことなの。変なのを雇ったりしようものなら、自分の評判が悪くなるのだから慎重になるわよ」
「う、うん、そうだよね」
「だから、在学中に雇用の約束をしてもらえるのは大変名誉なことなの。皆が皆そういう幸運に巡り合えるわけではないの。それなのに、みさきさん、あなたは入学式というこれから始まるという段階でその幸運を手にしてしまったのよ!」
「ええと、つまり......」
「そう、セラフというのは将来を約束された証――専属契約をしたということは、学院内で自分専用のメイドとして扱い、当然卒業した後も自らの下で雇うと約束したということなの。そして、すでに専属契約をしていると周りに教える為に金色の校章バッジをつけさせるのよ」
「そんな意味があったんだ」
もしかしなくても、凄い物をもらってしまったというわけだ。
みんなが目の色を変えた理由がようやくわかった。
でも、わたしのことを何も知らないはずなのに、姫子さんはどうしてわたしをセラフにしたんだろう。
というか、最初にわたしはこの学院のことをよくわかっていなかったから、「メイドになんてならない」と言ったのに、そんな生徒をセラフにするなんておかしくない?
姫子さんが何を考えているのかさっぱりだ。
「さて、これで学院のこと、セラフのことを大体わかってもらえたと思うのだけど」
「う、うん」
「じゃあ今度はこっちの質問に答えてもらうわよ。一体いつどこで誰と契約を交わしてセラフになったの!? やっぱり姫子様なの? さあ、洗いざらい吐いてもらうわよ!」
鬼気迫る表情できららちゃんが顔を近づけてくる。
これで「内緒っ、えへっ」なんてやったら殺されかねない。
「えっと実はね......」
わたしは正直に姫子さんと出会い、セラフになりなさいと言われたときのことを話すことにした。
***
「信っっっじられないっ!」
わたしがセラフになったときのことを話し終えると、きららちゃんはオーバーリアクションをして額に手を当てて天を仰ぎ見た。
「遅刻しそうになって塀を乗り越えたら姫子様がいて、メイドにならないと言ったのにセラフにしてもらったですって!? 意味分かんないわよ!」
「うん、わたしも同じ気持ち」
素直に告げると、きららちゃんはわたしの胸元を荒々しく掴んできた。
「もしかして喧嘩売ってる?」
「売ってない、売ってない」
慌てて首を横に振る。
「はあー、ほんと信じられないわ。姫子様と面識もないのにどうしてそんなことが起こるのよ。姫子様はね、今まで誰もセラフにしたことがないの、それどころかエクスシアでされお作りになられなかったのよ」
また初耳の言葉が出てきたけど、今は黙ってきららちゃんの愚痴を聞いておくことにする。それが処世術というやつだ。
「それがなんで初めて出会った――こう言ってはなんだけど、セラフのことすら知らなかったみさきさんなんかと金の契約をしたのかしら。昔から姫子様のお家に代々お仕えしていて、入学する前からセラフにすることが決まっていた、だから今まで誰もセラフにしなかったというのならわかるけど、そんな行き当たりばったり的な感じで決められるなんて」
天を仰いでいたきららちゃんは、今度は手の平と膝を床についてうなだれた。
かなりショックを受けているようだ。
「私はね、入学する前から一流のメイドになる為に色々やってきたのよ。学院のことも、お嬢様たちのこともいっぱい調べて、絶対に私が一番初めにセラフになってみせるって意気込んでいたのに。それが、こんな嘘みたいなことで崩れ去るなんて......」
「ああ、えーと......」
何か慰めの言葉でも掛けようと思ったけど、何も浮かんでこなかった。そもそも、今のわたしが何を言っても、きららちゃんには嫌みに聞こえてしまうかもしれない。
そうか、きららちゃんはそこまで真剣に考えていたんだ。だからわたしが何も知らなかったことにあきれ果てていたんだ。
「それでお披露目会はいつやるの?」
「お披露目会?」
「そうよ、みさきさんをセラフにしたことを周りに知らせる為に、友人や知人、広報部の人たちを集めてお披露目会をするのがしきたりなのよ。セラフになるということはそれだけ特別なことなの」
「んー、そういうのはまだ聞いてないけど――ああ、そう言えば姫子さんが明日エレベータホールに来いって言ってたかな。なんかエレベータを上がった先にお茶会をできるようなところがあって、みんなに紹介するとか......」
「な、なんてことなの」
突然きららちゃんはワナワナと震えだして、三歩ほど後ずさった。
「まさか入学して二日目にして天空サロンへ招待されるなんて......いえ、姫子様のセラフになったのだから当然よね。でも、お披露目会というわけではないのかしら。告知もされていないし、お仲間に紹介するだけよね......」
もうここまでくるとわたしもだいぶ耐性がついて、ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなっている。
わたしの知らないことを知っているなんて、きららちゃんてば物知りさん、なんて思う余裕すらでてきた。
「天空サロンはね、旧・校舎棟の最上階にあるミルクホールの通称よ」
黙っていても解説してくれるんだからありがたい。
「そこは天使女学院で一番高い場所にあるサロン。選ばれた者しか足を踏み入れることのできない、まさに聖域。生徒たちはそこを天空サロンと呼び、天空サロンへ入ることを許された人たちを天上人と呼んでいるわ。姫子様も天空サロンへ出入りを許された天上人の一人。そのセラフであるあなたも天上人と呼ばれるようになるわけね」
きららちゃんは血管が切れるんじゃないかというほど目を血走らせて、歯ぎしりをしながら憎々しそうに言葉を吐きだした。
「いやー、わたしはそんな大層なものじゃないと思うけど」
「あたりまえよ! ああっくやしいわ。遅刻して塀を乗り越えただけで天上人にまでなれるなんて、こんなの絶対おかしいでしょう」
うん、まあわたしもそれには同意だ。
でもそうか。セラフになるっていうだけでこんなに大ごとになっちゃうんだ。天上人なんて呼ばれるかと思うと目まいがしてきそう。
これからわたしもそこへ出入りしないといけないのかなぁ。
うーん、そうなるとわたしの夢が......。
「とりあえず、わたしが姫子さんのセラフになったときのことは全部話したよ」
「ええ、頭の痛くなる内容だったけど理解したわ」
きららちゃんは本当にこめかみをモミモミしていた。
「それでクラスのみんなにはなんて話すつもりなの?」
きららちゃんがクラスの代表として、わたしを尋問したのだからその結果を報告しなければいけない。
だけど、わたしの話した内容をそのまま言われると、どうにもまずい。
どう考えても反感しか買わないだろう。
「そうね、正直に言わない方がいいでしょうね」
きららちゃんも一応わたしの味方をしてくれるみたいだ。
「......姫子様にも協力してもらって、入学前から約束をしていたということにするのが一番じゃないかしら」
「そうだね、それが一番よさそう。明日お願いしてみる」
「まあ私がうまく説明しておいてあげるわよ」
「ほんと? ありがとう、きららちゃん」
「その代り、天空サロンの人たちのことを私に教えてちょうだい。一番初めにセラフになるという夢は叶えられなかったけど、素敵なお嬢様のメイドになるという夢は残っているのだから。天空サロンの人がセラフを探していたりしたらすぐに私に教えなさい。いいわね」
「うん、それくらいの協力だったらいくらでもするよ」
次の日、きららちゃんのおかげでわたしはクラスのみんなから責め立てられることもなく、「姫子様と約束をしていたなんてうらやましい」と口々に言われるだけで済んだ。
ほっと胸をなでおろしたものの、より深みにはまってるんじゃないかという不安は残る。
わたしはメイドになりたいんじゃなくて、普通に進学して、いい会社へ就職するのが目的なのだから。
姫子さんが何を考えているのかもわからないし、とにかく一度姫子さんの真意を確かめる必要がありそうだ。