三、天空サロン
三、天空サロン
あれからきららちゃんに学院のことをもっと詳しく教えてもらって覚悟はしていたけど、天使女学院は本当に普通の学校とは違うところだった。
わたしたち家政科の生徒は、メイドになることを目指している人たちが勉強するところだけあって、普通の授業はあまりやらない。
大体朝の三時間目くらいまでが一般教養として国語や数学、英語なんかはやるのだけど、その後はひたすらメイドになる為の実習の時間になってしまう。
メイドと一口に言ってもその役割は多岐に渡って、キッチンメイド、ナースメイド、パーラーメイド、ランドリーメイド、ハウスメイド等々、細かく分けるとキリがない。そして一番人気なのがレディースメイドというやつらしい。
レディースメイドはお嬢様や、女主人の身の回りの世話をする人のことだ。
特に、社交科のお嬢様のレディースメイドになりたいと願っている人が多いらしい。
だからセラフというのは本当に特別な意味を持っていて、みんなの憧れの対象にもなってしまうし、嫉妬の対象にもなってしまう。
正直言って、いまのわたしにはかなり重たい称号だ。
ため息をつくと、四時間目の終わりを告げる鐘が鳴った。
今日は授業初日ということで、午前中だけで終わりだ。授業らしい授業もなく、オリエンテーリングで校内を散策して、これからの授業の流れなどを聞いているうちに終わってしまった。
あとは寮へ戻ってお昼ご飯を食べてルームメイトとの親睦を深める、といきたいところだけど、わたしには行かなければいけないところがあった。
姫子さんに言われていたエレベータホール。
姫子さんにたくさん聞きたいこともあるし、助けてもらったお礼もちゃんと言わなければならない。
「それじゃちょっと行ってくるね」
「ええ、お土産話を楽しみにしているわ」
手を振って見送ってくれるきららちゃんに告げて、わたしは講堂の上にあるというエレベータホールへと向かった。
***
「ここでいいんだよね」
講堂の入口の脇にある、ひんやりとした石階段を二階分ほど上った先に、それらしい場所はあった。
ピカピカに磨かれた大理石の様な床に、赤い背もたれのアンティークソファーが置かれ、その正面には玄関の門のような柵扉を取り付けられた、これまたアンティークなエレベータが鎮座していた。
このお城の様な建物もそうだけど、あまり現代的なものがないせいで、中世の世界に迷い込んだのではないかと錯覚してしまいそうになる。
本当に変わった学院だ。
「これ座っちゃっていいんだよね」
姫子さんはまだ来ていないようなので、高そうなアンティークソファーに腰を下ろさせてもらうことにする。
......あまり落ち着かないかも。
正面に目を向けると、エレベータの脇にある半円の窓から校舎が見えた。
校舎といってもただの四角い建物ではない。
この講堂がある建物と同じで、お城の様な姿をしている。
ソファーから立ちあがって、窓のところまで歩いて行く。
こうして見ると本当に中世のお城そのものだ。
もともとこの講堂がある建物が普段の授業でも使われていたらしいのだけど、十年ほど前に家政科を新設して生徒数が増えたことで、新たに校舎を建設することになったそうだ。
正直言って生徒が数百人増えたところで校舎を新設するほどのものではない気がする。
何せこの講堂がある建物は聖ヴィート大聖堂なるものを模して造られたらしく、とにかく巨大だ。今では入学式などの行事を行う時や、特別教室を使う授業でしか利用されていないというのだから勿体ない。それと、お茶会をする為のサロンがいくつかあるらしい。
そして新しい校舎はというと、シャンボール城というお城を模していて、これまたとんでもない大きさになっている。
ついでに校舎の新設と共に、社交科、家政科の両生徒が住む寮まで新規に作ったというから驚きだ。
それらの費用はすべて社交科の生徒たちの家庭が出した寄付金で賄われているらしい。
思わず格差社会万歳と叫びたくなってくる。
きららちゃんが、社交科の生徒は別世界の住人、超上流階級の生徒だと言っていたのも納得できる。
「姫子さんはその人たちが通う学院の理事長代理なんだよねぇ......」
改めてとんでもない人だというのが実感できた。
ため息をついてしばらくぼーっとしていると――。
「あら、こんなところに迷子かしら」
「あら、こんなところに迷子かしら」
「!?」
突然耳元で同じ声がステレオ音源で聞こえたかと思うと、後ろから誰かに抱きしめられた。
姫子さん......じゃない?
「だ、誰っ」
慌てて振り返ろうとしたけど、左右から抱きつかれていて振りほどくことができなかった。
二人いる?
わたしがもがいていると、またしても耳元でステレオ音声が聞こえた。
「くすくすくす、必死になっちゃって可愛いこと」
「くすくすくす、必死になっちゃって可愛いこと」
「だ、誰ですか、一体」
かなり力を入れて振りほどこうとすると、抱きついていた人たちはようやく離してくれた。
「野良猫は扱いが大変ね」
「あら、でも首輪はついているみたいね」
うわ......。
わたしは振り向いた先にいた人たちを、思わず見比べてしまった。
双子だぁ。
そこにいたのは、身に着けていたリボンこそ違うものの、それ以外はほぼ瓜二つの双子姉妹だった。サラサラに伸びた姫カットヘアーに、一人は楽譜模様のリボンを頭の上に一つ着けて、もう一人は薔薇と百合模様のリボンを左右の耳の上に着けていた。
制服がわたしと同じ黒色だから家政科の生徒なんだろうけど、微妙に制服のデザインが違う気がする。リボンが赤色だから二年生っぽいけどそのせいだろうか。
それだけじゃなくて、まとっている雰囲気もなんだか家政科の生徒とは違う気がする。
あきらかに誰かにお仕えするようなタイプには見えない。どちらかといえば社交科の生徒といった方がしっくりきそうだ。
だけど、制服は完全に家政科の物だし不思議だ。良く見れば二人とも襟に金色の校章バッジが輝いている。それは、わたしと同じセラフの証だ。
「あの、わたしに何かご用でしょうか」
一応先輩のようなので、失礼にならないように言葉を選ぶ。
「用ねぇ、あるといえばあるのかしら」
「この子が例の子ではないのかしら、エレベータの使い方がわからないみたいだから連れて行ってあげましょうか」
「そうね、例の子だったら連れて行きましょう」
双子の姉妹は二人だけで話して何かを納得したのか、こちらを見て頷いた。
『あなた、蛍みさきね』
今度は完璧に重なった声が二人の口から発せられた。
凄い、ここまで重なるものなんだとついつい感心してしまう。
「そうですけど、わたしはここで待ち合わせをしていまして......」
黙っていたらさっき二人で話していた通り、どこかへ連れていかれてしまいそう。
先手を打ったつもりだったのだけど、
『やっぱりそうなのね、では行きましょう』
強引に両脇を抱えられてエレベータに乗せられてしまった。
「わたし、待ち合わせをしているんですってば」
先手を打った意味なし。
「はいはい、怖くないですわよ」
「迷い猫を保護してあげるだけですわ」
「迷子にもなってませんってば」
どうしてわたしの名前を知っているのか聞く暇もなく、問答無用で乗せられたエレベータは、静かに上へと向かったのだった。
***
「こちらにみさきは来ていませんか」
少し慌てた様子の聞き覚えのある声が聞こえたのは、わたしが双子の姉妹に拉致されてから十分ほどしてからのことだった。
「姫子さんっ」
その声の主――姫子さんの姿を見て、わたしは駆け寄った。
救いの手とはまさにこのこと。
「あら、残念」
「逃げられてしまいましたわね」
どうやらわたしの拉致された先は、きららちゃんの言っていた天空サロンというところらしく、そこで双子の姉妹におもちゃ扱いを受けていたのだ。
部屋の中はそれほど広くないものの、緑で溢れていて落ち着くことのできそうな場所だった。部屋の中央に大きめのテーブルが置かれ、少し離れたところには小さなテーブルと椅子が植物に隠されるようにして、いくつか見え隠れしていた。
まさに空中庭園と呼べる、ちょっと神秘的な感じのする場所だ。
天空サロンには他にも何人か生徒の姿があったのだけど、皆ほほえましい物でも見るような眼で遠巻きに見ていて、助けてくれる人はいなかった。
下手に手を出して今度は自分がおもちゃにされたらたまらないと思っていたのかもしれない。
わたしと同じ家政科の生徒のはずなのに、妙な雰囲気がこの姉妹にはあるのだ。
「よかったわ。エレベータホールにいないものだから、振られてしまったのかと思ったわ」
「助けてもらったお礼もありますし、そこまで薄情じゃありませんよ」
「ふふ、そうよね。みさきは私のセラフになってくれたのだものね」
姫子さんは嬉しそうに微笑んだ。
「あー、それに関しては色々思うところがあるのですが、それよりも、あの双子の姉妹はなんですか。人の体をべたべた触ってくるし、セクハラですよセクハラ」
ちょうどいい。妙な雰囲気を持っていようとも家政科の生徒であることには変わりはないはずだ。社交科の姫子さんに注意してもらえれば、反省するに違いない。
ところがどっこい――。
「あら、そうなの。あやかさん達に面倒を見てもらっていたのね。よかったわね」
「何をどう解釈したらそんなポジティブに受け止められるんですか!」
姫子さんの反応は予想外のものだった。まったく怒ったりする様子がない。
「どうでした、うちのみさきは。なかなか見所があると思いません?」
あまつさえ、うちのみーちゃん可愛いでしょう、的なペットの自慢のようなことを始めてしまう始末。
「そうですわね、姫子様のおっしゃっていた通りの野良猫ぶりでしたわ」
「私たちのことを睨みつけたり邪険にしたりするのは新鮮でしたわ」
「でしょう。私もそういうところが気に入ったのよ」
双子の姉妹の言葉に、姫子さんは嬉しそうに胸の前で手をぱちんと合わせて微笑んだ。
どうやら姫子さんは昨日のうちに、わたしのことを色々な人に話して周ったのかもしれない。
「ちょっと姫子さん、そんな和やかに話さないでくださいよ。セクハラだめ絶対」
『あら、セクハラだなんて心外ですわ』
双子の姉妹が同時に首をかしげた。
「迷い込んだ子猫を保護してあげただけなのに」
「餌とミルクを与えて、飼い主が現れるまで世話をしてあげただけなのに」
「どこがですかっ、全身をベタベタ触るわ脱がそうとするわ。訴えたら絶対に勝つんですからね」
姫子さんが来てくれなかったらどうなっていたかわからない。
「まあまあ、あの二人はスキンシップが好きだから」
姫子さんはどうあっても双子の姉妹の肩を持つらしい。
昨日会ったばかりのわたしと、ずっと前から知り合いっぽい双子の姉妹とではあきらかに分が悪いということか。
「それよりも、みさきを紹介したいのだけど、神楽さんはまだ来ていないのかしら」
「――今来ましたわ」
姫子さんが室内を見渡して誰かを探していると、エレベータが開いて生徒が一人降りてきた。
社交科の生徒である証の白い制服。金色の巻き毛をかきあげながら優雅な動作で歩いてくる。ちょっと前髪が長くて、左目が隠れ気味なのが神秘的だ。頭にはキラキラと輝くティアラを乗せて、背中に大輪の薔薇でも背負ってそうなゴージャスな人だった。三年生らしく、胸元のリボンは紫色だ。
その人は姫子さんと軽く挨拶を交わした後、わたしの前まで歩いてきた。
「この子がそうなのね」
「ええ、私のセラフです」
姫子さんの言葉に「ふーん」と呟いて、全身をチェックしてくる。
「わかりましたわ」
そう言うと、その人は少し強めに手を二回叩いた。
「皆さん、少し集まってくださいな。姫子さんが例の子を紹介して下さるようですわ」
それを合図に、それまで部屋の中で好きずきにお茶やお喋りをしていた人たちが集まってきた。
部屋の中央にある大テーブル。そこに十数名の生徒が集まっていた。
社交科の生徒と家政科の生徒が半分ずつといったところだけど、家政科の生徒は全員金色の校章バッジを身につけている。皆誰かのセラフということだ。
そしてもう一つ、家政科の生徒は全員同じ真っ白なエプロンとホワイトブリムをしていた。
その姿はまさにメイドそのもの。
なるほど、なるほど。家政科の制服の上にエプロンを付けるとメイドの格好になるわけだ。
そういえばエプロンはもらっていたけど、まだ着けてなかったなぁ。寮に戻ったらさっそく着てみよう。
そんなことを考えながら、姫子さんとわたしはそのテーブルのお誕生日席とも言われる席についていた。
「それでは姫子さん、お願いしますわ」
巻き毛の人が促すと、姫子さんは嬉しそうに立ち上がった。
「皆さん、今日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。昨日少しお話ししましたみさきのことを紹介いたしますわ」
姫子さんがわたしの背中に軽く触れた。立ち上がったほうがよさそうかな。
「ずっとセラフを作らずに皆さんにご迷惑をおかけしましたが、ようやく私の希望に叶う子が見つかりましたの。これからは、みさきもこのサロンの一員に加えてあげてください」
姫子さんが頭を下げたので、わたしも同じように頭を下げる。
すると、パチパチパチと、小さいけれど温かい拍手が沸き起こった。
「良かったわね、姫子さん。ずっとセラフどころかお部屋係すら断っていたものね」
「姫子ちゃんの希望通りの子なんてまず現れないと思っていたけど、中にはいるものなのねぇ」
「これで人目を気にしてサロンへ逃げこんでこなくてもよくなるわね」
姫子さんに話しかけるのは全員社交科の生徒だ。家政科の生徒は目元を緩ませ、口元に微笑を浮かべるだけで一切言葉を発しようとしない。
主人たちの会話に口を挟んだりしてはいけないってことなのかな。
――天空サロンは選ばれたものしか立ち入ることのできない聖域。
きららちゃんの言っていた言葉が思い起こされる。
ここにいるのは社交科の生徒の中でも、さらにヒエラルキーの上位に位置する生徒だろう。その人達を支えるセラフも当然優秀な人ばかりというわけだ。
......完全にわたし場違いなんですけど。
メイドになる気のない人間が居ていいところじゃない気がする。
だけど姫子さんは嬉しそうに談笑していたのだった。
***
「みさき、席を移しましょう」
しばらく談笑していた姫子さんは、一区切りついたのかわたしの手を取って立ち上がった。
「それでは皆さん、これからみさきのことをよろしくお願いしますね」
よろしくお願いしちゃっていいのかなぁ。
助けてもらっておいてなんだけど、人選はもうちょっと慎重にしたほうがいいと思う。
セラフの意味を知った今ならわかるけど、初めて会った人間と気軽に契約していいものではないはずだ。
「みさき、こっちよ」
わたしの不安になどまったく気が付いていない姫子さんは、わたしの手を引いてマリネットと木製のラティスで仕切られた窓際の席まで連れて行く。
「ここが一番眺めのいい席よ」
「うわっ」
窓から景色を覗きこんで、思わず感動してしまった。
眼下に広がる景色はまさに天界からの眺め。学院の全てがそこからは見渡せた。
校舎から真っ直ぐに伸びた赤レンガのアプローチが正門まで続き、その両脇にはよく手入れをされた庭園が広がっている。
良く見れば、その庭園のそこかしこでわたしたちと同じようにお茶を楽しむ生徒の姿が見え隠れしていた。
っていうか正門遠いなぁ......。あのまま走って正門を目指していたら、何十分とかかっていたかもしれない。
左の方に目を向ければそこにはわたしたちの寮と、多分社交科の生徒の寮が三つほど建っているのが見えた。
他にも大きな建物がいくつか見える。中等部の校舎だったりするのかな。
改めて学院が広大な敷地の中にあるのが確認出来た。
丘の上一帯に天使女学院の施設がちりばめられているのだ。
この景色を独占できるなんて、天上人なんて呼ばれるのも納得だ。
「あまり阿呆面をするものではなくてよ」
「お里が知れてしまいますわよ」
窓にへばりついて景色を見ていると、双子の姉妹の声が聞こえた。
「今日だけはあなたもお客様扱いしてあげますわ」
「明日からは給士の仕方を覚えてもらいますわよ」
振り返ると、テーブルの上に双子の姉妹がお茶とお菓子でも入っていそうな箱を用意してくれていた。
やっぱりこの姉妹もメイドになることが夢なのかな。......とてもそうは見えないけど。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう」
慌てるわたしとは反対に、姫子さんは実に落ち着いたものだ。当然だけど姫子さんはこういうお世話をされるのが当たり前の立場なのだ。
『失礼いたしますわ』
双子の姉妹が離れると、姫子さんは「さあ座って」と促してきた。
「あの、今の姉妹ってやっぱりセラフなんですよね?」
姉妹を目で追いながら椅子に座って、姫子さんに尋ねてみた。
「そうよ、神楽さんのセラフね」
「神楽さんというと――」
「さっき、私の後から来た三年生の方よ」
「あのゴージャスな感じの金髪巻き毛の人ですか」
「ええ、お名前は御影神楽。おじい様が御影グループの総帥をなさっているわね。双子の姉妹の方は、二人とも『あやか』よ」
「同じ名前なんですか?」
「漢字は違うけどね。苗字は九絵で、楽譜模様のリボンをしたのが姉の文歌。文学の文に、歌と書いて文歌。花模様のリボンをしたのが妹の彩華。彩りの彩に、華やかの華で彩華。二人とも本当は家政科ではなくて、社交科にいてもおかしくない家柄なのだけど、事情があって家政科で神楽さんのお世話をしているの」
やっぱりただのセラフではないんだ。
「それからこの天空サロンは、現在神楽さんが保有しているの。その証となるのがあのティアラよ」
「キラキラのやつをしていましたね」
「ええ。他にもいくつかサロンがあるけれど、サロンの主はみなティアラをしているわ。サロンの女王様というわけ」
「ということは姫子さんはサロンを持ってないんですか?」
「私はここに居候させてもらっているだけよ」
姫子さんは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「それよりも、お茶にしましょう。みさきの為に用意したお菓子もあるのよ」
「それは嬉しいんですけど、その前に確認したいことがあるんですけどいいですか?」
「あら、何かしら」
姫子さんは紅茶の入ったカップに一度口をつけて、すぐに置き直した。
「セラフの件なんですけど、わたし初めて会ったときにメイドにはならないって言いましたよね」
「言っていたわね」
「だったら何故わたしをセラフになんてしたんですか?」
「あなたがメイドにならないと言ったからセラフにしたのよ」
「意味わかんないんですけど......もしかして嫌がらせですか?」
「違うわよ。私はね、セラフを作る気はないの」
「?」
ますます意味がわからない。
「作る気はないのだけど、私の立場上セラフがいないと色々と面倒なのよ。セラフがいないものだから、家政科の生徒からの『私をセラフにして下さい』っていう無言の訴えが凄いし、実際ちょっと声をかけただけでセラフにしてくれるのではないかっていう期待もされてしまうの」
「だったら、セラフを作る気がないってちゃんと言えばいいじゃないですか」
「そうすると絶対に理由を聞かれるでしょう? 私はその理由を言いたくないの」
「何故ですか?」
「秘密よ」
姫子さんはニッコリと微笑んで、それ以上の質問を拒んだ。
「みさきはね、言ってみればスケープゴートなの」
「スケープゴート?」
「身代わりよ。あなたは私のメイドになる気はない。だから、私も将来あなたを雇わなくてもいい。この学院にいるだけの間だけの仮初の契約というわけ」
セラフになっているフリをして欲しいということか。
「......姫子さんの都合はまあわかりましたけど、わたしにも都合があります。わたし、この学院に何をしに来たのか言いましたよね。それは今でも変わっていません」
「勉強をしていい大学、いい会社へ入ることだったかしら」
「そうです。その為には申し訳ないですけど、姫子さんのお世話をしている時間はないんです。ただでさえ普通の授業が少ないのだから、放課後とかは自習時間に使いたいですし」
「そうねえ、確かに家政科の授業だけでは足りないでしょうね。でもどの道、家政科にいる限り自由に使える時間は少なくなってしまうわよ」
「どういうことですか?」
「家政科の生徒は、社交科の生徒のお部屋係をしなければならないからよ。放課後にお部屋の掃除を言い渡されたり、買い物のお手伝いをさせられたりね」
「断ることは――」
「出来ないわ。それは学院の配慮でもあるのよ。お部屋係はひと月に一度組み合わせを変えるのだけど、社交科の生徒、家政科の生徒、それぞれの出会いの場を増やしてお気に入りの相手を見つけ出せるようにしているの」
「そう......ですか」
「毎月お世話をする相手が変わるということはとても大変なことよね、相手の個性や性格によって対応を変えていかなければならないもの。出会いは増えるかもしれないけれど、みさきみたいな子には負担が増えるだけでしょうね。だけど、セラフやエクスシアになっている者は、当然それぞれ契約している人の下でずっとお世話をすることになるわ。慣れてしまえばそちらのほうが楽になるに決まっているわよね」
「......」
「私ならみさきの都合を最大限考慮してあげられるのだけど?」
姫子さんは可愛らしく首を少し傾けて微笑んだ。
確かに姫子さんの言う通りではある。毎月違う人のお世話をするとなると、相当大変そうだ。
「ところでエクスシアってのは何ですか?」
きららちゃんも言っていたけど、まだ詳しいことは聞いていなかった。感じ的にはセラフと似たようなものであるような気はするけど......。
「エクスシアはね金の契約の一ランク下の契約で、銀の契約とも呼ばれているわね。将来的に自分の下で雇えるかはまだわからないけれど、学院にいる間は専属でお世話をして欲しいという場合に、銀の校章バッジを与えてエクスシアにするの。といってもエクスシアにするくらいお気に入りの子なら、大抵卒業後も雇うことが多いわね」
「そうですか......、セラフよりも楽ということはなさそうですね」
「そうね」
うーん、結局わたしに逃げ場はないのだろうか。
迷うわたしに追い打ちをかけるように、姫子さんは続ける。
「ところでみさきはいい会社へ就職したいというけれど、それはお金を稼ぎたいということなのかしら」
「そうです」
「在学中もお金を稼げるならそれに越したことはない?」
「まあ、できればですけど。アルバイトをすることも考えていますし」
そうしないと日用品すら買えそうにない。
「そう」
姫子さんは不敵な笑みを浮かべた。
「だったら、なおのこと私のセラフでいたほうがいいわよ」
「どうしてですか?」
「一つは、セラフには特別手当が出るからよ」
「特別手当?」
「ええ、家政科の生徒は半分勉強、半分お仕事のようなものだから、少ないけれどお給金が出るの。それに加えてセラフやエクスシアになっている子には専属契約料という名目で特別手当がプラスされるわ。普通の子の倍くらいは貰えるのではないかしら」
「へえ......」
それは初耳だったけど、心動かされる情報だ。
「そしてもう一つ、私のセラフになって天空サロンへ出入り出来るということを最大限利用出来るようになるわ」
「?」
「みさきも薄々わかっているでしょう? 天空サロンがこの学院の中でも特別な場所だということが」
「......たとえ社交科の人でもそうそう出入り出来るような場所ではなさそうですね」
「ええ、自分で言うのは感じが悪いかもしれないけれど、ここは選ばれた人しか入ることが許されていないわ。もちろんお客様を招いたりすることはあるけどね。そういった人たちの中には当然みさきが入りたいと願っている「いい会社」のご令嬢もいるわ。みさきはそういった人たちのおもてなしをしながら自分の顔を覚えてもらったりして、人脈を広げることができるわね。私もみさきが望むなら、そういった人たちにそれとなく紹介してあげられるわ。天空サロンで働いているのなら、優秀な人間だと思われるでしょうね。それは将来とても役に立つことだと思わない?」
「コネ作りというやつですか」
「言い方は悪いけど、そうなるわね。でも、与えられたチャンスや環境を有効に使うのは悪いことではないわ」
「そうですね......」
姫子さんはもう決定でしょうと言わんばかりだった。
お菓子の入った箱を開け、自分のお皿に中身を取り出していく。
確かにわたしにとっては悪いどころか美味しいだけの話だ。
「ところで、みさきはこういうお菓子は好きかしら」
「好きですっ」
姫子さんが取りだしたお菓子――それを見て、わたしは即座に飛びついた。
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。チョコレートやストロベリーの甘い香りがほんのり漂い、わたしを恍惚の世界へと誘っていく。
そういえば今日はまだお昼ご飯を食べていない。
そんな状態でこれを見せられたら思わずよだれが出てしまう。
「よかった。みさきの髪留めを見た時から、きっと好きなんじゃないかと思っていたのよ。取り寄せてもらって正解だったわ」
そう、姫子さんが箱から出したのは、まぎれもなくドーナツだった。
それはわたしの大好物のお菓子!
セールをやっている時しか買えない魅惑のスイーツ!
おかずを一品我慢してでも手に入れたいスペシャルデザート!
あまりに好きすぎて、ドーナツ型の髪留めを集めまくっているくらいだ。
はわー、凄い美味しそう。
「ふふ、気に入ってもらえたみたいね」
姫子さんはお皿の上に置いたチョコレートドーナツを、フランス料理でも食べるかのごとく、ナイフとフォークで綺麗に一口分切り分けた。
おお、さすがお嬢様だけある。と、思わず感心してしまう。手掴み以外で食べる方法があったんだ。
「私のセラフになれば最高級のドーナツを毎日食べることだってできるわよ」
せっかくナイフとフォークで上品に切り分けたというのに、姫子さんは何故だか指でつまみあげてわたしの目の高さに掲げた。
「ほら、食べてみなさい」
「うう......」
わたしの目の前で姫子さんがドーナツを左右に揺らす。
これを食べたら、セラフになることを承諾したと取られるのだろう。
「餌付けする気ですか」
「人聞きが悪いわね。お腹をすかせている下級生に、私自らの手で食べさせてあげるだけよ」
姫子さんがさらにドーナツを近づけてくる。
「まあみさきの都合も汲んで、とりあえず一年間セラフをやるということでどうかしら」
「一年ですか?」
「ええ、一年経ったら状況が変わっていて、セラフがいなくてもよくなるということもあ
るかもしれないし、一年くらいだったら勉強にもそれほど差し支えないでしょう? それに、みさきのことを退学から守ってあげたのだから、その分の恩返しはしてもらわないとね」
その一言が決定的だった。
わたしは大きな大きな借りを、姫子さんに作ってしまっている。
初めから断れるはずなんてなかったんだ。
「わかりました」
覚悟を決めて口を大きく開いた。
「くすっ、これからよろしくね」
口の中に甘い触感が広がった。
姫子さんに食べさせてもらったドーナツは、今まで食べた中で一番美味しかった。