四、セラフのお仕事?
四、セラフのお仕事?
「それじゃあ何からしてもらおうかしら」
姫子さんのセラフになることを承諾したわたしは、さっそく姫子さんの部屋に連れてこられていた。
そこはフランソワ館――社交科二年の生徒が生活している寮である。
三学年で一つの寮を使っている家政科と違い、社交科の生徒たちは一学年で一つの寮を使っていた。
建物の大きさや部屋の間取りはどちらもそれほど変わらない。
ということは、社交科の生徒一人に割り当てられる部屋がわたしたちよりも広いということだ。
1LDKの部屋を四人で使っているわたしたちに対して、同じ間取りの部屋を社交科の生徒は一人で使っていた。
なんて贅沢な......と思ってしまうけど、これらすべてが社交科の人たちの寄付金によって建てられているので文句を言えるはずがない。
むしろわたしたちの部屋でさえ十分に広いと思えるくらいだ。
それを一人で使うなんて、スペースを持て余してしまいそう。
「うーん、そうだわ。まずは着替えを手伝ってもらおうかしら」
リビングで思案していた姫子さんは、とてもいい笑顔で振り向いた。
しかし、わたしは「はい」と頷けずにいた。
別に着替えを手伝うのが嫌なわけではない。
部屋が......この惨状が......。
「あの、一言いっていいですか?」
頷く代わりに質問をぶつけることにした。
「あら、何かしら」
姫子さんはこの惨状に何も疑問を抱いていないらしい。
わたしは部屋をぐるりと見回した後、両手を広げて姫子さんに訴えた。
「何ですかこのゴミ屋敷は!」
「あら?」
姫子さんの部屋は、スペースを持て余すなんてことは一切なかった。
そこかしこに積まれた段ボールと紙袋の山、山、山!
足の踏み場はかろうじてあるものの、1LDK、36平米の部屋の半分くらいがゴミで埋められていたのだ。
それらは概ね服や本が入っていたと思われる箱と、紙袋だった。
「何をどうやったらこんなに散らかせるんですか。社交科の生徒にはお部屋係がつくんですよね? その人はどうしたんですか」
わたしは思わず姫子さんに詰め寄ってしまった。
「私は、お部屋係は断っていたのよ。家政科の生徒は強制だけと、私たちは断ることができるの」
わたしがよほど凄い剣幕だったのか、姫子さんはシュンと肩を落として答えた。
「それもセラフにしてもらえるかもしれない、と勘違いされると思ったからですか?」
「そうよ」
「それにしたって、掃除くらいしてもらったらいいじゃないですか。というか、お部屋係を断っていたんだったら自分で綺麗にしましょうよ」
「そんなには汚れていないと思うけど......」
「よ・ご・れ・て・ま・す!」
これで汚れていないと言い張れるその根性が凄い。
「そんなことよりも着替え! 着替えを手伝ってちょうだい。主人の命令よ」
「命令って......」
「ほら、早く」
姫子さんは両手を広げて脱がせなさいと迫ってくる。
そりゃまあ、わたしがこの部屋を使うわけじゃないから、本人がいいと言えばそれまでなんだけど......。
......いや、やっぱりダメだ。
姫子さんのセラフになった以上、この部屋に頻繁に出入りすることになるのは確実だ。
こんな汚い部屋じゃお世話する気にもならない。絶対に綺麗にしなければ。
「わかりました、わかりました」
一応従ったフリをして、姫子さんの制服を脱がしていく。
「理事長代理をやっていて、天上人なんて呼ばれている人がこんなにも横着だとは思いませんでした」
「皆に見られているところではしっかりしているわよ。自室でくらい好きにしてもいいでしょう?」
「はいはい、そうですね。......わっ、コルセットだ」
上着を脱がせて、さあ今度はスカートの番だとブラウスをめくりあげると見慣れないものが目に飛び込んできた。
姫子さんはコルセットとスカートが一体型になったものを着ていたのだ。その下にはパニエを着けている。
「これが社交科の制服なんですか?」
「そうよ、私たちのは見た目重視、みさきたちのは動きやすさ重視といったところね」
うーん、腰が絞られて細く見えるけど、ちょっときつそうだ。わたしの制服はごく一般的なスカートだけど、やっぱり普通のほうがいいかな。
なにより身につけるのに時間がかかりそう。
「ええと、これはどう脱がせばいいんでしょう」
「前の紐を緩めて、後ろのジッパーを下ろせばいいわ」
「ああ、なるほど。そういう風になってるんですね」
「一人でも着られるようにデザインされているわね」
確かに一人で着ることができないようじゃ困るだろう。いくらお部屋係がいるといっても、毎朝手伝うというわけにはいかない。
言われたとおりに脱がせると、純白のショーツと艶めかしい太ももが露になった。
健康的に引き締まった脚線美――。
よく考えれば、美少女をこの手で脱がせているって凄いことだと思う。
「はい、今度はブラウスを脱がせて」
下着を見られても気にしていないのか、姫子さんは両手を広げてご機嫌の様だ。
ちょっと緊張しながら胸元のリボンを外して、ブラウスのボタンに手をかける。
......意外と他人の服を脱がせるのって難しい。
やっぱり自分で着ている物を脱ぐのとは勝手が違う。これは慣れるまで時間がかかりそうだ。
少し時間がかかってボタンを全部外し、ブラウスを脱がせることが出来た。
「はい、できましたよ」
「ふふ、ありがとう」
上も下も下着姿になった姫子さんは、嬉しそうにリビングの中央でくるくると回り始めた。
長い髪が放射状に広がってちょっと面白い。
「セラフがいるっていいものね」
「もしかして、こういうのに憧れてました?」
「少し、ね。だって周りはみんな可愛らしいメイドさんにお世話されているのよ? 羨ましがるなっていうほうが無理よ」
「そういうものですかねぇ」
姫子さんは姫子さんで、色々と我慢していたようだ。
「そういうものよ。ああ、次は部屋着を着せてちょうだい。今日はどれにしようかしら」
今だ!
「あの、よろしければわたしに選ばせていただけませんか」
わたしは浮かれ気味な姫子さんに、ここぞとばかりに斬りこんだ。
「みさきが選んでくれるの?」
「はい、是非お任せを」
こちらの意図を悟られない様に細心の注意を払いながら、にこやかに答える。
「それではお願いしようかしら。服は全部寝室に置いてあるわ」
「わかりました」
そう言って、リビングから続く寝室へと入っていく。
当然そこもゴミの山だったけど、これはもう予想通り。
だけど、服がゴミの様に積まれている様はあまりにも勿体ない。
まったく着ていないのも多いんだろうなぁ。
どれもこれも洒落たデザインの高そうなものばかり。
まあ、今のわたしには用のないものだ。
目的の服は......。
「ふっふっふ、みーつけた!」
それは探すまでもなくハンガーラックの上に、他の衣類と積み重ねられるようにして無操作に置かれていた。
若干生地がよさそうな気はするけど、基本的にはわたしたちが使うものと同じである。
それを手に、リビングへと戻る。
姫子さんの反応が楽しみだ。
「姫子さん、これなんかいかがですか?」
わたしは満面の笑みで、それを姫子さんに見せた。
「ひっ」
それを見た姫子さんが小さな悲鳴をあげる。
「なっ、どうしてそんなものを持ってくるのよ。他にいいのが沢山あったでしょう!」
「今の姫子さんにこれ以上似合うものはありません」
わたしはそれを――学校指定のジャージを目の前に掲げながら、姫子さんに迫っていく。
「いやっ、そんなの着ないわよ。せっかくセラフが出来た記念の日なんですもの。カジュアルドレスでも着て、お喋りをしながらお茶でもしましょう」
「お茶もお菓子もお喋りも天空サロンでしました。今やるべきは部屋の掃除です。それが終わらないうちはお嬢様扱いなんてしてあげませんからね」
「いやよっ、お部屋の掃除なんていつでも出来るわ。だからね、今日だけは私のお願いを聞いてっ」
「ダメです。そうやって後に伸ばそうとするからいつまでたっても片付かないんです。さあ、私も手伝いますから一緒にお掃除しましょう」
こればっかりは姫子さんがなんと言おうと譲る気はない。
心底嫌がる姫子さんに、無理やりジャージを着せたのだった。
***
「酷いわ。せっかく助けてあげたのに恩を仇で返すような真似をするなんて」
「何を言っているんですか。お部屋を片付けてあげるのは普通に恩返しでしょう」
姫子さんはまだ諦めることができないのか、ソファーにしがみついてイヤイヤと首を横に振っていた。
「さあ、姫子さんは紙袋を集めて片っ端からゴミ袋の中に放り込んでください。わたしは箱を潰していきますから。中身は全部空なんですよね?」
「多分まだ入っているものもあるわ」
姫子さんは渋々といった感じで動き始めながら答えた。
「......」
全部確認しないといけないのか。それは面倒そうだ。
「お父様が毎月新しい服を送ってくるのよ。だけど、いちいち全部出すのは面倒だし、置く場所もなくなってきたからそのままになっているものも多いわね」
「そうですか......」
面倒ではあるけれど、こんなことでくじけていられない。
わたしはひたすら箱を開け、中身の入っている箱はとりあえずそのまま部屋の片隅にまとめ、空の箱を足で踏みつぶしていった。
「ああ、そうだわ。みさきに渡さないといけないものがあったんだわ」
ほとんど無心で紙袋を集めていた姫子さんが突然、何かを思い出したように立ち上がった。
「何ですか?」
「エプロンとホワイトブリムよ」
姫子さんは「どこに置いたかしら」と部屋の中を探し始める。
「エプロンだったら支給されたのがありますけど」
まだ授業で使う機会がないので使ってはいないけど、新品の物が部屋に置いてある。
「それは一般の生徒がするやつね。天空サロンへ出入りする子には専用の物を用意してあるのよ。どのサロンに所属しているのかわかりやすいように、それぞれサロンの主がオリジナルのを作っているの」
「へえ、そうなんですか」
ということは、天空サロンで見たあのエプロンをわたしもするということか。
「あったわ。はい、これをつけてちょうだい」
「わかりました」
姫子さんに差しだされたビニールに入ったエプロンとホワイトブリムを受け取り、早速着てみることにした。
エプロンは校章のロゴが刺繍されているのは同じだけど、支給されているものより少し前掛けが長く、フリルも大き目になっている。
ホワイトブリムも三角状のレースの部分に、星をイメージした飾り抜きが施してあるものだった。
「えへへ、どうですか?」
完全にメイドさんの格好をするのは初めてなので、ちょっと恥ずかしい。
「良く似合っているわ。可愛いわよ。せっかく真新しいエプロンが汚れてしまったら勿体ないから今日は......」
「これで制服が汚れる心配がなくなったので、片付けに集中できますね」
「......そうね」
サボれることを期待していたらしい姫子さんは、諦めたようにため息をついて片付けを再開したのだった。
そしてしばらくして、ようやく半分くらい片付いてきた頃、六時を告げる鐘が鳴り響いた。
「今日はこれくらいにしておきましょうか、わたしもそろそろ寮へ帰らないと」
「そうね随分と綺麗になったし、これくらいでいいわよね」
姫子さんが疲れたように息を吐いた。
「よくありません。明日も続きをしますからね。明日からお昼過ぎまで授業がありますし、それが終わってからだと時間があまりないので、今日以上に集中してやりましょうね。天空サロンでお茶をしている暇なんてありませんからね」
先にもう姫子さんの行動を制限しておく。そうしないと逃げられてしまいそう。
「私のセラフは主人にまったく優しくない、鬼の様なメイドね」
うんざり気味に姫子さんは呟いた。
「綺麗な部屋じゃないとわたしもお世話する気になりません。綺麗になったら姫子さんの望むことをしてあげますから頑張りましょう」
「本当に?」
「ええ、本当です」
「それなら頑張るわ。今のうちからやって欲しいことのリストを作っておこうかしら」
「はいはい、お好きになさってください」
どうやら姫子さんはセラフとの生活に夢をみているところがあるようだ。ずっと一人でいたのだからそれも仕方ないと思う。
セラフになることでお給金とやらもあがるみたいだし、優しくしてあげることに抵抗はない。
まあ、それもまずはお部屋を片付けてからの話だ。
「それではわたしは帰りがてらゴミを出してきますので」
箱と紙袋の入ったゴミ袋四つをヨイショと持ち上げた。
さすがに姫子さんにゴミ袋を持たせて、外を歩かせるのはマズイということくらいわかっている。そんなことをすれば、主人にゴミ出しをさせる悪徳メイドとして噂が広まるのは確定だ。それこそ退学になってもおかしくない。
もっとも、ゴミ袋の中身はすべて紙で出来ている物ばかりなので、手伝ってもらうほど重い物ではなかった。
姫子さんに扉を開けてもらい、玄関を一歩出たところでわたしは振り向いた。
これくらいは言ってあげてもいいよね。
まあ、わたしもせっかくだからメイドらしいことをしてみたい、と思わないこともないわけで......。
「えと、まだ時間的には早いと思うんですけど......」
前置きをして、出来る限りの優雅さでもって姫子さんに微笑む。
「お休みなさいませ、姫子お嬢様」
それを聞いた時の姫子さんの表情は、後から思い出しても頬が緩む。
姫子さんは、見ているこちらが恥ずかしくなってしまうほどの満面の笑みを浮かべていたのだった。
***
「ただいまー」
そんなには疲れていないけど、今日は色々とあった一日だった。
きららちゃんに天空サロンのことを聞かれるんだろうな、と予想しながら自分の部屋の扉を開けると、偶然にもそのきららちゃんがすぐそこにいた。
お手洗いから出てきたところのようだ。
「あ、きららちゃん」
ただいま、という暇もなく――。
「何それ、羨ましい!」
きららちゃんが掴みかかってきそうな勢いで目の前に迫ってきた。
......実際掴まれている。
「わっわっ、ちょっと待って」
「これは天空サロン組専用のエプロンとホワイトブリムじゃないの。やっぱりもらったのね」
「う、うん」
首根っこを掴まれて前後にガクガクと揺すられながら、そういえばエプロンを外すのを忘れていたことを思い出した。
どうりで寮へ帰って来てからやたらと視線を感じると思った。
「天空サロンはどうだったの? 神楽様たちにも会ったの? 誰かセラフを募集しているお嬢様はいた?」
「と、とりあえず落ち着いて~」
このままでは意識がどこかへ行ってしまいそう。
「これが落ち着いていられますかっ。天空サロンの生の情報を早く吐きなさい。今までずっとサロンにいたの?」
きららちゃんの興奮は収まらない。
騒ぎを聞きつけた他のルームメイトが助けにくるまで、わたしは早送りした赤べこのように首を振り続けたのだった。
***
「信っっっじられないっ!」
わたしが天空サロンでのこと、姫子さんの寮でのことを話すと、きららちゃんは興奮して叫んだ。
あ、このやりとり前にした気がする。
「天空サロンでお茶菓子をご馳走してもらっただけじゃなく、姫子様のお部屋に招かれたですって!?」
「う、うん」
きららちゃんの体がわなわなと震えている。相当羨ましがられているようだ。
ちなみに掃除を手伝わせたことは言っていない。そんなことを言ったら往復ビンタをされそうな気がしたからだ。
「信じたくなかったけれど、やっぱりみさきも天上人の仲間入りをするのね」
いつの間にか呼び捨てされるようになっていた。
「いや、そんな大したものじゃないよ。わたしなんてただの給士係みたいな扱いだろうし」
「どんな扱いだって天空サロンに入れるだけで、天上人の称号を得られるのよ」
「そ、そうなんだ」
きららちゃんは、とにかくこの手の話になると熱くなってしまう。
よっぽどセラフになること――特に貴族階級とでもいえるようなお嬢様に仕えることに情熱を燃やしているのだろう。
「それでこれから放課後はずっと天空サロンに入り浸ることになるのね」
「そうなるのかなぁ。でも今週は姫子さんのお部屋に通うことになるのかな」
「何それっ、お部屋で何をするつもりなの?」
「あー、それは......」
散らかった部屋の片付けとは言えないなぁ。
姫子さんの部屋はゴミ屋敷になってました、なんてきららちゃんの夢を壊すようなことは黙っておいたほうがいいだろう。
「お互いのことをよく知る為に――二人だけでお喋りみたいな。姫子さんの生活のリズムなんかを把握しないといけないし」
「それはとても重要なことね」
適当に思いついたことを言ってみたのだけど、きららちゃんは信じてくれたようだ。
「メイドの仕事にまったく興味がなさそうだった割に、ちゃんとやる気になっているのね」
「あーうん、うん。郷に入れば郷に従えとも言うしね。姫子さんのセラフになるっていう名誉を頂いたのだから、気合いを入れてお仕えするよ」
「そうよ、それでいいのよ。お嬢様の為にその身を粉にする覚悟でお仕えしなさい」
「う、うん」
「あーそれにしてもやっぱり羨ましいわ。専用のエプロンを貰えているのは今のところみさきだけだし、あー羨ましい」
きららちゃんはその後も寝るまで、わたしのほうを見ては「羨ましい」を連発していたのだった。
***
翌日、授業が終わった後、約束通りわたしは姫子さんの部屋へと来ていた。
「今日も着ないとダメ?」
姫子さんが可愛らしく上目づかいでわたしの目を見てくる。
「ダメですよ。一通り綺麗になるまでは掃除をする約束をしましたよね」
「わかっているわよ」
頬を膨らませながらも、姫子さんは渋々と頷いた。
二日目になると、脱がせるのも着せるのも少し慣れてくる。
ジャージだから楽というのもあるだろう。そのうちドレスなんかも着せる機会があるんだろうなと漠然と想像してみる。
わたしも、出来ればそういう華やかなのに着替える手伝いをしてみたいと思うようになっていた。
姫子さんならさぞ似合うことだろう。
「さあ、できれば今日中に片付けてしまいましょう」
「はーい」
昨日と違って、今日は姫子さんも進んで片付けをしてくれているおかげで、随分と捗っている。
すでにリビングからは空箱や紙袋の姿は消えて、元の広々とした部屋に戻っていた。
これなら週末までかかることもなさそうだ。
「そういえば、天空サロンの住人でセラフを募集している人っているんですか?」
「急にどうしたの? まさか私のセラフでいることが嫌になったとか?」
「違いますよ。ルームメイトの友達がセラフになりたいって口癖のように言っているんですよ。昨日も寝るまでわたしのことを羨ましい、羨ましいって......」
それはまるで呪いの言葉のようだった。
「そうなの。家政科の子は皆セラフになることが目標だものね。みさきは違ったみたいだけど」
姫子さんはからかうように言った。
「わ、わたしのことはいいんです。それでその子は、できれば天空サロンに出入りできるような人のセラフになりたいみたいで......」
「そう......、うーんでも残念だけど、あそこにいる人たちは皆セラフがいるわね。神楽さんが新しく住人を増やす可能性はあるから、その子のセラフになれるように頑張るしかないのではないかしら」
「そうですか......」
きららちゃんがっかりするだろうなぁ。
「まあでも、セラフは一人だけしか選んではいけないという決まりはないから、もう一人くらいいてもいいと思っている人はいるかもしれないわね」
「そういえば神楽さんは、あやかさんたちを二人ともセラフにしているんでしたね」
「ええ。天空サロンにはいないけど、五人くらいセラフにしている人もいるわね」
「そんなにですか」
「ハウスメイドやキッチンメイドを何人か必要としているのでしょうね」
「そっかぁ」
ならまだ望みはあるというわけだ。
きららちゃんも天空サロンの住人になれたらわたしも嬉しいんだけどな。
一年生が一人だけというのは肩身が狭いし、何よりきららちゃんからのジェラシーストームを受けなくても済むから......。
***
姫子さんの部屋の片付けは三日目にしてようやく終わろうとしていた。
すでに昨日のうちに全てのゴミ出しは終わって、今は床掃除をしている段階だ。
姫子さんには今日は手伝ってもらっていない。
床掃除なんてすぐ終わるし、実はちょっと考えていることがあるので姫子さんがいないほうが都合がいいのだ。
ということで、姫子さんには「あとはわたしがやっておきますから」と言って夕食を食べに行ってもらっていた。
帰ってくるのは三十分から一時間といったところだろうか。
わたしは手早く床掃除を終わらせると、キッチンの前に立っていた。
姫子さんの部屋のキッチンはあまり使った形跡はないけど、道具だけはちゃんと揃っている。
寮にはカフェやレストランのようなところがあるので、自分で料理を作る必要がほとんどないのだ。
本当はわたしが今から作ろうとしている物も、簡単に美味しい物が買えてしまう。
だけど、きららちゃんにも言われたのだけど、ずっと姫子さんに感謝を表さないといけないと考えていた。
危うく退学になりかけたところを助けてもらって、色々と特典があるというセラフにもしてもらえた。
初めはセラフなんて面倒そうだと思っていたけど、今では姫子さんのセラフになれて良かったと思っている。
他の人では、ここまでわたしの都合を聞いてくれたりはしないだろう。
だから、それらもろもろの感謝を表すために、手作りのドーナツを作ろうと思っていた。
喜んでくれるといいのだけど......。
冷蔵庫を開けて、こっそりとしまっておいた生地を取り出す。
仕込みはここへ来る前に自分の部屋で済ませてきた。
ちなみに材料は売店というよりは小さなスーパーとでもいえるようなところがあって、そこで買うことが出来た。お金はお給金がでるまでは一文無しも同然なので、きららちゃんに借りた。
セラフを募集しているような人に紹介してくれたらチャラでいいわ、なんて言っていたけど、それは無理そうなのでお給金が入ったらすぐに返すつもりだ。
「さてさて」
姫子さんが戻ってくるまでに揚げちゃわないといけないので、急いで取りかかる。
油を温める間に片抜きをして......。
お店で買えるような凝った物は作れないので、クッキータイプのオールドファッションドーナツになってしまうけど、これだけは味に自信がある。
しっかりときつね色に揚がったドーナツに、湯煎したチョコレートソースをかけていく。
お皿に綺麗に盛り付けて、テーブルの上に置くと、玄関の扉が開く音がした。
姫子さんが帰ってきたみたいだ。
「おかえりなさい」
慌てて出迎えに行くと、姫子さんは面くらったような表情をしていた。
「ただ...いま」
「どうかしましたか?」
「ん、なんでもないわ。誰かに『おかえりなさい』なんて言われるのが久しぶりだったものだから......ちょっと嬉しかっただけ」
そう言って姫子さんは微笑んだ。
そんなことで喜んで貰えるんだ。
その笑顔を見ると、こちらまで嬉しくなってしまう。
「それよりも、なんだかいい匂いがするわ」
「あ、はい。実はドーナツを作ってみたんですけど、姫子さんお腹いっぱい食べてきちゃったってことはありませんよね?」
「私の為に作ってくれたの? ......大丈夫よ、いつもお腹いっぱいになるまでは食べないし、甘い物は別腹でしょう?」
姫子さんは軽くウインクをした。
「よかった。今お茶の用意もしますから、座って待っていてください」
「わかったわ。......ああ、そうだわ」
玄関を一歩上がったところで、姫子さんは何かを思い出したように声をあげた。
「片付けが終わったということは、私のことをちゃんとお嬢様扱いしてくれるのよね?」
「そうですね」
そういう約束をしていました。
姫子さんもわたしにやらせたいことのリストを作ると言っていたし、出来るだけ姫子さんの希望を叶えてあげたいと思っている。
「あのね、どうしても一つやって欲しいことがあるのだけど」
「なんですか?」
「その......ね」
姫子さんは部屋に二人きりだというのに、わたしの耳に口を寄せて囁くようにそれを言ってきた。
「はー、そんなことをさせたいだなんて、姫子さんって意外と女王様気質なんですか?」
「ち、違うわよ。これはね最近流行っていることらしいのよ。セラフとの絆を深める為とか、聖なる誓いとか言われているのっ」
姫子さんは顔を真っ赤にして必死に言いわけをしていた。
まあ、それくらいのことならしてもいいかな。
「わかりました。でも、ここだと雰囲気が出ないのでリビングでしましょうか」
「ええ」
二人でリビングへ入ると、わたしは姫子さんに向き直った。
うーん、ちょっと照れるかな。でも姫子さんたっての願いだし......。
わたしは姫子さんの目を真っ直ぐに見つめた。
ここからがわたしと姫子さんの本当の始まり。
わたしは姫子さんを唯一のお嬢様として、一年間お仕えしていく。
姫子さんからはセラフの証として、金色の校章バッジを頂いた。
これはそのお返し。わたしから姫子さんへの誓いの証。
わたしはその場に跪いて頭を垂れた。
「蛍みさき、貴女は私のことを主人と認めて、私と共に学院生活を送ることを誓えるかしら」
「はい、誓います」
姫子さんが右手を差し出す。
わたしは恭しくその手を両手で取って、手の甲に唇を寄せた。
これが誓いの証。
わたしは正式に姫子さんのセラフになることを承諾した。
「これからよろしくお願いします。姫子お嬢様」
「ええ」
姫子さんは本当のお姫様のような笑顔で、満足そうに頷いたのだった。
そう、ここはまるで少女たちの王国――。
――ガールズキングダム。
ガールズキングダムⅠ ――了――