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一、波乱の月曜日

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一、波乱の月曜日

 

 

「お願いします! 私をセラフにして下さい!」

 

 ――それは、わたしたちが天使女学院に入学して、二週間ほど経ったあるお昼の出来事だった。

 食堂では配膳のお手伝いをする家政科の生徒が慌ただしく動き回り、次々にやってくる社交科のお嬢様を席へ案内するさなかでそれは起きたのだ。

 ここ天使女学院では貴族階級とも呼べる社交科と、その社交科のお嬢様たちにお仕え出来るようなメイドを育成する家政科の二つの学科がある。

 わたしたち家政科の生徒は、学院の中で社交科のお嬢様たちのお世話をしながら、メイドとしての知識と経験を学んでいかなければならない。

 炊事や洗濯、掃除は当然のこと。社交科のお嬢様の身の回りのこと全てをこなせるように、様々なことを教え込まれるのだ。

 そんな中で、ある特定のお嬢様に気に入られると、専属契約なるものを持ちかけられることがある。

 金の契約や銀の契約と呼ばれ、その申し出を受け入れた生徒は、セラフやエクスシアと呼ばれて、契約したお嬢様のお世話を専門ですることになっていく。

 それはわたしたち家政科の生徒にとって、とても特別な称号。

 専属契約を交わした生徒は、その能力を認められたということになり、成績のアップはもちろんのこと、お給金も良くなるという特典付き。

 さらには金の契約を交わしてセラフとなった生徒は、将来を約束されたようなもので、ほとんどの生徒は卒業後に契約して頂いたお嬢様のご家庭で、そのまま働けるようになるのだ。

 もちろん例外はあるだろうけど、セラフになるということは、この学院では特別な意味を持つことだった。

 

 ――そのセラフにして欲しいと、家政科の生徒の方から申し出たのだ。

 申し出た生徒はある社交科のお嬢様の前で、頭が地面に擦りそうになるほど腰を折り曲げて懇願していた。

 一瞬にして、その場が水を打ったようにシンと静まり返った。

 慌ただしく食堂を行き来していた家政科の生徒は足を止め、そして食堂へ集まり始めていた社交科のお嬢様たちも、何事かと目を見開いてその光景を見つめていた。

 空気が張り詰める――。

 それを見ていたわたしのこめかみを、冷たい汗が流れた。

 この学院に来て間もないわたしにも、その行為があきらかにマズイものであるということが理解できたのだ。

 それはわたしの友達のきららちゃんが、この学院のことを色々と教えてくれたからなのだけど――。

 社交科のお嬢様たちは、学院に多額の寄付ができるような裕福なご家庭の子女ばかり。

 漫画やドラマの中でしか見ることができないような社長令嬢や、有名な芸術家や大病院のご息女だったりお孫さんだったり、そんなお嬢様がごろごろと在籍しているのだ。

 それに比べてわたしたち家政科の生徒は、ごくごく一般的な家庭の子が多い。将来、社交科のお嬢様たちの様なご家庭で、メイドとして働くことを目標にしている生徒ばかり。

 お嬢様とメイド、使役する者とされる者、それがわたし達の関係だ。

 さらに、家政科の生徒たちの授業料や生活費は、すべて社交科のお嬢様たちのご家庭から出されている寄付金で賄われているので、私たちは社交科のお嬢様たちに頭が上がらない。

 だから、これから楽しいお昼の時間という時に、それを邪魔する行為は当然許されることではなく――。

 ましてや自分から「セラフにして欲しい」、などとお願いすることは絶対にやってはいけないこと、そうきららちゃんに聞いていた。

 わたしたちがお嬢様を選ぶのではなく、お嬢様に選んで頂く。それが当たり前のこと。

 こちらから逆指名のようなことをするなど、とんだ礼儀知らず、恩知らず、と罵られても仕方無い行為なのだ。

 それらのことを、口を酸っぱくして教えてくれたのがきららちゃんなのに――。

 きららちゃんだというのに――。

 

 そのきららちゃんが目の前で頭を下げているのだ。

 

 わたしは軽く目まいがするのをこらえながら、きららちゃんが頭を下げている相手を見つめた。

 その人は御影神楽様。

 この学院において、社交科の生徒たちの中でも最高位に位置するお嬢様だ。

 神楽様のお家から学院に寄付している額は飛びぬけて高く、ゆうに数億とも言われている。その証拠に、学院で最も人気のある天空サロンを所有し、天上人と呼ばれて同じ社交科のお嬢様たちからも一目を置かれているのだ。

 その神楽様のセラフになるということは、そこらの上場企業に就職するよりもよっぽど安定した将来を約束されるということになる。

 誰しもが憧れる主ではあるけれど、すでに神楽様には二人のセラフがいる。

 九絵文歌さんと、九絵彩華さん。

 同じ読みを持つ双子の姉妹が常に神楽様の傍にいるのだ。

 この双子の姉妹はちょっと普通の家政科の生徒とは違うのだけど、それは今は置いておいて――。

 すでに二人もセラフがいる以上、神楽様が新しくセラフを求める可能性は低い。

 もちろんセラフは何人と契約してもいいし、神楽様くらいのご家庭なら十人、二十人と雇うことだって可能だろう。

 だけど、神楽様が双子の姉妹以外にセラフが欲しいと言っているのを聞いたことはない。

 わたしがどうしてそんなことを知っているかって?

 それはわたしが運命の悪戯に翻弄されて、何の因果か天空サロンの住人である天使姫子さんのセラフになったからだ。

 姫子さんは、その珍しい天使の性からもわかる通り、この学院を創設した天使家のお嬢様で、他のお嬢様たちとは一線を画する存在だった。

 そんな姫子さんのセラフになったわたしは、日常的に天空サロンへ出入りすることになっていた。そこで姫子さんはもとより他の天上人のお世話をしていれば、必然的に色々と情報が入ってくる。

 その中で、神楽様が新しいセラフを欲しがっている様子がないことを、見てとれていたのだ。

 でも、可能性がないわけじゃない......気がする。

 神楽様は天空サロンの主らしく、女王のような風格を持っている。

 まだ神楽様のことをすべてわかっているとは言えないけれど、真剣にお願いをしている相手を冷たく突き放す人ではないと思う。

 きっときららちゃんの話を聞いて、その上で返事をしてくれるはずだ。

 もしかしたらきららちゃんの真剣さに心を動かされて、セラフにしてくれるかもしれない。

「お願いします!」

 再びきららちゃんが頭を下げた。

 食堂へ集まる生徒の数は次第に増え、皆がこの成り行きを見守っていた。

 一体、神楽様はどうするつもりなのかと――。

 しかし、神楽様が何か反応する前に動いたのは、神楽様の両脇に立っていた九絵姉妹だった。

 神楽様の前に一歩踏み出すと、二人で門兵のように腕を交差させて、きららちゃんとの間を塞ぐようにしたのだ。

「下がりなさい、無礼者」

「自らセラフになることを望むなど、身の程をわきまえなさい」

 当然と言えば当然だけど、九絵姉妹の口調は厳しい。

 神楽様のセラフとして、そして上級生としてきららちゃんのことを叱咤しなければ規律の乱れにも繋がってしまう。

 このような暴挙を許してはいけない。

 それはわたしもわかっている。きららちゃんだってわかっているはずだ。

 だけど、それを知っていてなお、きららちゃんは行動に出たのだ。

 きららちゃんがセラフになることに情熱を燃やしていることは、散々本人から聞かされている。

 一流のメイドになる為に、人一倍努力をしているのも知っている。

 もしここで神楽様が九絵姉妹同様に、きららちゃんを厳しく非難しようものなら、これまでの努力が全て無駄になってしまう。

 神楽様に非常識な生徒であると烙印を押されたら、もう誰もきららちゃんをセラフにしようとは思わないだろう。

 きららちゃんはこの学院に来て最初に出来た友達だ。

 できることならわたしも力になってあげたい。

 神楽様と面識のあるわたしが一緒にお願いすれば、少なくとも最悪の事態は回避できるかもしれない。

 でも、そんなことをしてもいいものだろうか。

 きっときららちゃんは、わたしが手助けすることを望んでいない。

 わたしの力を貸して欲しかったら、一人でこんなことをしていないはずだ。

 自分の力を認めて欲しいから一人で行動したに決まっている。

 だけど、きららちゃんのことも、神楽様のことも知っているわたしとしては、非常に居た堪れないものがある。

 どうしようか迷っていると、ふいにわたしの肩に誰かが触れた。

「どうしたの? みさき」

 耳元で聞こえた声はよく知ったものだった。

「姫子さん」

 それはわたしの主であるところの、天使姫子さんだった。

 姫子さんならこの場を穏便に済ませることができるかもしれない。

 顔だけ振り向かせて、わたしは姫子さんに助けを求めた。

「姫子さんっ、助けてください。きららちゃんがセラフになりたいってお願いして、あやかさんたちに阻まれて、神楽様が何も言ってくれないんです」

「......うーん、みさき、少し落ち着きなさい。何を言いたいのかよくわからないわ」

 姫子さんはわたしの両肩に手を置くと、優しく揉んで肩の力を抜いてくれた。

 冷静さを取り戻したわたしは、今度はちゃんと伝わるように言葉を選んで姫子さんに今の状況を説明する。

「そう、あそこで頭を下げている一年生の子はみさきのお友達なのね」

「はい。星野きららちゃんっていいます」

 きららちゃんは九絵姉妹に叱咤されても引き下がる様子を見せずに、その場に留まって神楽様に訴え続けている。

 その行為が長引けば長引くほど、きららちゃんの立場は悪くなってしまう。

「神楽さんのセラフになりたいが為にこんな無茶をしてしまっているのね。勇気のある行為だけれど、さすがに無謀というしかないわね」

 姫子さんはわたしの耳元で小さくため息をついた。

「きららちゃんもそれはわかっているはずです。だって、この学院のことをわたしに色々と教えてくれたのはきららちゃんなんですから」

「そう......」

 姫子さんは神楽様ときららちゃんの方へ視線を向けていたけど、少ししてわたしの肩から手を離した。

「これは私が口を出す問題ではなさそうね。神楽さんにお任せしましょう」

「ええっ、助けてくれないんですか?」

「勘違いしないで欲しいのだけど、冷たく突き放しているというわけではないのよ。特に助けが必要な場面だと思わないから放っておくだけよ」

「そんな」

 どこをどう見たら助けが必要ないと判断できるのだろう。

 見るからにきららちゃんの大ピンチではないか。

 わたしが頬を膨らませていると、姫子さんはクスリと笑いながらきららちゃんたちの方を指差した。

「ほら、御覧なさい。神楽さんがあやかさんたちを抑えるみたいよ」

 言われてそちらを見ると、ようやくといった感じで神楽様が片手をあげて九絵姉妹を止めていた。

「あやか、食事の準備を続けなさい。皆さんも気になさらずお昼休みの続きをなさってください」

 後半は周りに聞こえるように、少し大きな声で言っていたのだけど、一度もきららちゃんの方を見ていなかった。

『わかりましたわ』

 九絵姉妹は声をハモらせて、その場を離れて自分たちの仕事へと戻っていく。

 その間もきららちゃんは頭を下げたままで、神楽様もきららちゃんに何か言葉をかけるということはなかった。

 社交科の生徒たちは何事もなかったかのように動き始め、家政科の生徒は恐る恐るといった感じで持ち場へと戻っていく。

「これで解決したってことですか?」

「この場はそうね」

 そうねって......全然解決しているようには見えないんですけど。

「きららちゃんはどうなるんですか?」

「どうもならないわ。神楽さんが何もしないと判断したのだから、これでお終いよ」

「ええっ?」

 意味がわからない。結局どういうこと?

「ほら、みさきも私を席に案内して、食事の準備をしてちょうだい。もちろんみさきの分もね」

「そ、それはいいんですけど......」

 再びこめかみを冷たい汗が流れた。

 食事を取る席は基本的に自由だ。誰がどこに座ってもいいことになっている。

 しかし、暗黙の了解的な物はいくつもあり、神楽様や姫子さんのように、特定のサロンに所属している人は概ね特定の席に固まって座ることが多い。

 姫子さんのセラフであるわたしも天空サロンに所属している扱いになり、姫子さんのお世話をしなければならないので、自然と同じ席で食事をすることになっている。

 クラスメイトと一緒に食事をしたいという気持ちはあるけど、こればかりはどうにもならない。優先されるべきは姫子さんのお世話なのだ。

 そんなわけで姫子さんを席に案内するということは、神楽様の席の傍になるわけで、そこには今も頭を下げ続けているきららちゃんがいる。

 ひっじょーに気まずい。

 なんて声をかけたらいいのだろう。そもそも声をかけてもいいのだろうか。

「さあ、行きましょう」

 なかなか動かないわたしの手を取って、姫子さんが引っ張っていく。

「ひ、姫子さんっ、きららちゃんはどうするんですか」

「どうもしないと言ったでしょう。当事者である神楽さんが構わないと決めたのだから、部外者の私たちもその子に構う必要はないわ」

「それって、放置しておけってことですか?」

「そうなるわね」

 姫子さんはとうとう神楽様の隣まで行くと、「ごきげんよう」と言って神楽様の正面の席へと座った。そこが姫子さんのいつもの席だ。

「さあみさき、私の食事を持ってきて貰えるかしら」

「わ、わかりました」

 本当にきららちゃんをこのままにしておいていいのかな。

 いくらなんでも冷たくない?

 ちらちらときららちゃんの方を見るけど、きららちゃんはわたしの方を見ることはなく、ずっと同じ姿勢のままだ。

 お昼休みの間中そうしているつもりなんだろうか。

 声をかけたい。かけたいけど、姫子さんがああ言った以上わたしも主である姫子さんの意向に逆らうことはできない。

 せめてもの救いはきららちゃんが頭を下げたままで、視線が合うことがないということだ。顔を見たら絶対に何かを言ってしまうだろう。

 その日の昼食は、食べた物も味もまったく記憶に残らなかった。

 

***

 

「あの、きららちゃん」

「何かしら」

 お昼休みが終わって教室へと戻ったわたしは、思い切ってきららちゃんに話しかけた。

 結局、きららちゃんは自分のお昼ご飯を食べることもなく、神楽様が食堂を出るまでずっと頭を下げ続けていた。

 凄い度胸と根性だと思うけど、効果はあまりなかったと思う。

 神楽様は一度もきららちゃんを相手にすることはなかった。同じテーブルについていた他の天空サロンのメンバーも同じで、神楽様の意向を汲んでか粛々と昼食を取るばかり。

 その中にあって唯一の一年生で、きららちゃんの友達であるわたしだけがオロオロとする有り様だった。

 今になってやっぱり姫子さんに強くお願いしてなんとかしてもらえばよかったと、後悔し始めていたのだ。

「あの、ごめんね」

「あなたに謝ってもらう理由が思い浮かばないわ」

 きららちゃんはそっけなく返してきた。

「う、うん。多分きららちゃんはわたしのことなんて頼りにしていないとわかっているけど、怒られてもいいから神楽様にお話だけでも聞いてくれるようにお願いすればよかったって思って」

「余計なことはしなくていいわ。これは私が自分で決めたことなの。神楽様のセラフになりたいって思ったから無茶を承知で行動したの。私自身を見てもらうためにはああするしかなかったのよ」

 きららちゃんは真っ直ぐに前だけを見つめていた。

 その瞳には後悔も迷いもなかった。

「あの、もしよかったら神楽様にきららちゃんのことを話してみるけど......」

「余計なことはしなくていいと言ったでしょ。みさきは普段通りにしていればいいの。明日も今日と同じようにしていてくれればいいわ。これは私の戦いなのよ」

 明日もって......。

「もしかして、明日も同じように?」

「そうよ、神楽様から直接下がりなさいと言われるまで、私は諦めないわ」

「うう......」

 あれだけ相手にされなくてもめげないのは凄いけど、あの張り詰めた空気に当てられるとわたしのほうが参ってしまいそうだ。

「どうしてそんな無茶をするの?」

「どうして?」

 きららちゃんが片方の眉を吊り上げながら、憎々しげな表情でわたしを睨んできた。

「あなたがそれを言うのっ?」

 きららちゃんは、びしっと人差し指をわたしに突き立てる。

「わ、わたしが何かしたっけ?」

「ええ、ええ、みさきは自分の罪深さに気が付いていないと思っていたわよ」

「つ、罪深さ? 思い当たる節が......」

「ないとは言わせないわよ。みさきが姫子様のセラフになってからのことを思い返してみなさい。そしてそれを私になんて言っていたかしら?」

 姫子さんのセラフになってからのこと?

「ええと」

 わたしは必死にきららちゃんに話したことを思い出していた。

 ――そう、たとえばこんなことがあった。

 

***

 

「みさき、今日は泊まっていったらどうかしら」

「はい?」

 姫子さんのセラフになって初めての週末――。

 天空サロンでお茶をした後、わたしはいつものように姫子さんの部屋まで付き添っていった。

 姫子さんのセラフになってからというもの、ほぼ毎日のように姫子さんの部屋へと足を運んでいる。

 というのも、姫子さんが部屋の掃除や着替えの手伝いをして欲しいと我儘を言うからだ。

 姫子さんは随分とセラフがいる生活に思いを馳せていたらしく、あれやらこれやらと仕事を言いつけられる。

 そんなにもセラフが欲しかったのなら、「誰か適当な人を選んであげればよかったのに」なんて言うと、決まって「色々と事情があるのよ」とはぐらかされてしまう。あまり言いたくないようなことみたいだし、無理に聞こうとはしないけど、少し気になってしまう。

 でも、わたしも一年間という約束でセラフになることを承諾した、いわば契約社員的なものなので話してくれないのも仕方ないのかもしれない。

 持ちつ持たれつ、程よい共生関係がわたしたちの在り方だった。

 それはともかく――。

 部屋着への着替えを手伝うために、姫子さんの制服を脱がしていると、そんなことを言ってきたのだ。

「泊まりって、姫子さんの部屋にですか?」

「もちろんそうよ」

 わたしの用意したフリル付きのブラウスに袖を通しながら、姫子さんはにっこりと微笑んだ。

「わたしは構いませんけど、泊まったりしてもいいものなんですか?」

 春先でまだ少し肌寒いので、裾がレース模様になっている紫のポンチョをブラウスの上から着てもらう。

 スカートは落ち着いた感じの、灰色のフレアスカート。

 これらは全部、例のご両親からのプレゼントだ。一見どこにでも売っていそうなものに見えて、手触りが段違いに良かったりするから、かなりいいものなのだろう。

 これを放りっぱなしだったなんて勿体ない。

「もちろん一般の生徒はダメよ。お泊りが許されるのはセラフだけ。エクスシアでもダメね」

 お泊りねぇ......。

 それはつまり、就寝時間まで一緒にいなければいけないということで、お世話をする時間が増えるということか。

 そんなわたしの考えを見抜いて姫子さんは続ける。

「勉強する時間がなくなるとか思っている?」

「少し......」

 わたしはこの学院に、授業料や生活費がタダっていうだけで来てしまった。

 それがまさかメイドになるための勉強をやらされるなんて......。

 普通の授業なんてあまりないし、一般教科を普通の高校生並みにやろうと思ったら、自力でなんとかするしかないのだ。

 だから、暇な時間は勉強に費やしたいところなんだけど――。

「でも、お泊りするのは別に構いませんよ」

「本当?」

 最近は少し考え方が変わって来ていた。

 メイドの仕事もちょっと楽しいかな、と思わないでもないのだ。

 もともと家事全般は自分でやっていたし、嫌いなことではない。何より姫子さんのセラフでいると実入りが良かったりする。

 勉強は二年生になってからでもなんとかなると思うし、一年生の間はこの特殊な環境を楽しむのもありかなと思うようになっていた。

「お泊りするのはいいんですけど、姫子さんにどんな無茶なことを言いつけられるのかが心配で――」

 何しろ姫子さんはセラフとの生活に夢を見ていたのだ。

 となれば、このお泊りもその一つに決まっている。

「失礼ね。無茶なことなんて一度も言っていないでしょう。普通にメイドとしての働きの範囲内です。それに、お泊りだと時間外手当が多くつくはずだから、みさきの為でもあるのよ」

 姫子さんは、ぷくーっと頬を膨らませた。

「冗談ですよ」

 わたしが姫子さんの要望を聞くのと同じで、姫子さんもわたしのことを色々と考えてくれている。

 わたしにとって姫子さんは最良の主人――お嬢様だと思う。

「でも、お泊りするとなると、着替えとか取ってこないといけませんね」

 下着とパジャマは当然のこと。歯ブラシとか、タオル――は借りればいいかな。

 お風呂はどうするんだろう。明日の着替えも欲しいし、準備の為に一度自分の部屋に戻らないといけない。

「その必要はないわ。買い揃えればいいのよ」

 姫子さんはちょっと得意げな笑みを浮かべていた。

「買い揃えればって......」

「寮の一階にお店がいくつかあるのは知っているでしょう? そこに行けばお菓子とか日用品とか、大抵のものは買うことができるわ」

 確かに姫子さんの言う通り、社交科の生徒たちの寮であるフランソワ館の一階には、ホテルショップの様な洒落たお店が数店舗入っていた。外から少しだけ覗いたことがあったけど、綺麗に陳列された商品はどれも高そうで、わたしには縁がなさそうなものばかり。

 ギフトショップなんかもあり、そんなもの生徒が利用するの? と突っ込みたくなってしまう。

 いや、社交科のお嬢様たちが利用するお店なのだから、わたしのような一般庶民では想像できない場面で利用したりするのだろう。

 そんな高級店が並ぶ中で、唯一わたしでも利用できそうなところといえば、コンビニを豪華にしたようなお店くらいだ。そこは姫子さんの言っていた様な、お菓子や日用品が売っていた。

 しかし――。

「わたし、一文無しなんですけど」

 悲しいけど、これ現実なのよね。

 厳密には少しくらいのお金は持っているけど、無駄遣いが出来るはずもない。

 お給金とやらが入ってくるのは月末らしいので、それまではひたすら我慢の生活だ。

「そんなことわかっているわよ」

 わたしが悲しい現実を告げると、姫子さんはあきれたようにため息をついた。

「誰もあなたに支払わせるなんて言っていないでしょう? 私がお願いして提案したことなのだから、私が面倒を見てあげるに決まっているでしょう」

「はあ」

「はあ、じゃないわよ。さあ行きましょう」

 呆けているわたしの手を握って、姫子さんは玄関の方へと歩いていく。

「それはつまり?」

「私が支払うと言っているのよ」

「そんな、悪いです」

 いくら姫子さんが理事長代理なんてものをやっていて、お金に余裕があったとしても、そこまで甘えるわけにはいかない。

「悪くないわよ。私が唐突に泊まっていけなんて言ったのだから、それくらいのことはして当然だわ」

「いえ、そこまでして頂かなくても、自分の部屋に行けば事足りることなんですけど......」

 わたしが食い下がっていると、姫子さんは「ああ、もうっ」と不機嫌そうに振り向いた。

「少しは私の気持ちを読み取りなさい。一緒に買い物に行って、お泊りの用意をしたいと言っているのよっ」

「............」

 ようするに、姫子さんがやりたいことだから、それに付き合えということか。

 わ、分かり辛いなあ......。

「姫子さんの言いたいことは理解しました。でも、自分で使うものですから自分で買いますよ」

「お金がないのに?」

「ツ、ツケで?」

「そんなものはききません」

 姫子さんは、フフンと鼻を鳴らした。参ったかしら、と言っているようだった。

「みさきは変なところが頑固でダメね。こういうときは素直に甘えていればいいのよ。だいたい、セラフにお金を出させたりなんかしてみなさい。私がセラフ一人の面倒も見られない甲斐性無しだとすぐに噂が広まってしまうわ」

「そんな」

「そんなことがあるのよ。大体、お金を持っていたって、あそこのお店では使えないわよ。専用のカードがないとね」

 そう言って、姫子さんはお財布の中から一枚のカードを取りだした。

 クレジットカードというわけではなさそうだけど、黒色のセレブチックなカードだ。

「みさきたちの寮にあるお店なら現金が使えるみたいだけど、私たちの方では全部これで支払うのよ」

「へえ......」

 なんでも毎月決められたポイントが付与されて、その範囲内で買い物ができるようになっているらしい。

 言ってみれば、お小遣い的なものだろうか。

 多額の現金を持たせないようにとか、際限なくお金を使ってしまうのを防ぐためとか色々あるのだろう。

「どれくらいの買い物ができるんですか?」と聞くと「さあ?」と興味なさげな返事が返ってきた。

「だって一度も使いきったことがないんですもの。幾ら分かなんてわからないわ。それに全部ポイント表示なんですもの、実際のお値段なんて知らないわ」

「そうですか......」

 それは姫子さんがあまりお買い物をしないのか、それとも使いきれないだけのポイントが与えられるのか――。

「わかったのなら行きましょう。もし施しを受けるのが嫌というのなら、働きで返してちょうだい」

 その一言で、わたしは素直に姫子さんの行為を受け入れることにした。

「わかりました」

 そして、ようやくわたしたちはお店へ向かったのだった。

 

***

 

「まずは下着からかしらね」

 初めに姫子さんに連れられて入ったお店は、生活雑貨などが売っているお店だった。

 ショーウィンドウにはデザインの凝ったアロマポッドや、ティーセットが並び、明らかに高そうなそれらの品は見ているだけでため息が出てきてしまう。

 思わず値札を探すと、うっかりすると見逃しそうなほど小さなひも付きの下げ札が取り付けられていた。

「アロマポッド1200P......、ティーセット4000P......」

 なるほど、ポイント表示だ。

 ......これは1ポイント一円なのかな。多分こういう校内に入っているお店は市販の価格よりも安くなっていることが普通だと思う。学食や社員食堂も普通のお店の半額以下とか普通だし......。

 だとすると、お嬢様たちが利用するにしては意外とお値打ち価格だ。

 庶民感覚を養う勉強とかだったりするのかも。

「みさき、何をしているの?」

「あ、はーい、今行きます」

 あまり高そうなお店じゃなくてよかったと、胸を撫で下ろしながら姫子さんの後に付いていく。

 そのお店の中は入ってすぐのところに、ショーウィンドウに飾ってあったティーセットなどの食器類や調度品、文房具にインテリア雑貨が並べられていた。

 そして、その奥――お店のロゴの様なものが入ったパーテーションで区切られた先が、ブティックの様になっていた。

 その一角へ足を踏み入れると、場の雰囲気が一気に華やかになる。

 お店の中央に色とりどりのドレスが――そう普通の服ではなくてドレスが飾ってあるのだ。

 こんなの買う人がいるの? と思うけど、こうして場を占拠しているのだから需要があるのだろう。

 これは、家政科の寮にあるお店では絶対に売っていないものだ。

 わたしが見惚れていると、

「ドレスも欲しいの?」

 と姫子さんがなぜか嬉しそうに聞いてきた。

「いえいえ、こんなの着る機会ありませんからいらないですよ」

「そう? 舞踏会に出る時には必要だと思うけど」

「そんなもの出る予定ありませんから」

 姫子さんが真顔で言うあたり、本当に舞踏会をやったりすることがあるのだろう。

「みさきが行きたいというなら、いくらでも連れて行ってあげるのに」

「謹んで辞退させていただきます」

 そんなところへ行ったって恥をかくのは目に見えている。

「それは残念ね。みさきが一緒なら行ってみるのも楽しいかもしれないと思ったのに」

 つくづく社交科の生徒は別次元の存在だと思い知らされる。

「それよりも下着を買いましょう」

「仕方ないわね。ドレスは次の機会にしましょう」

 そんな機会は一生来ないと思う。

 姫子さんを促すと、渋々ながら下着類の置いてあるブースへ移動してくれた。

 そこも先ほどのドレスが飾られていた場所に負けないくらい華やかに輝きを放っていた。

 もともとランジェリーショップはお花畑の様なものだけど、ここはさらに上を行っている。

 可愛らしいデザインのものから、セクシーなものまで、全てガラスケースの中に納められているのだ。

 まるで宝石類の様な扱いだ。

「いらっしゃいませ......まあ姫子様ではありませんか」

 わたしたちがガラスケースの中を覗いていると、店員さん? が慌てた様子で走り寄ってきた。

 店員さんであれば普段から社交科の生徒には接しなれているはずなのに、やはり姫子さんは別格らしい。

 さらさらのロングヘアーに天使の羽のような髪飾りをつけ、日本人離れした美しさを持つ姫子さんは、いやが上にも人目を惹きつける。

 さらには理事長代理という肩書きまで持っていれば、他のお嬢様たちと同じ扱いというわけにはいかないのだろう。

「本日は何をお求めでしょうか」

 わたしとそれほど年が変わらないように見える若い店員さんは、両手をもみもみさせながら深々と頭を下げた。

 一瞬わたしに値踏みするような視線を向けたのは気のせいだろうか。

「この子に下着を何着か見繕って欲しいのだけど。上下セットでお願いね」

 姫子さんがわたしの肩を抱いて、少し前に押し出した。

「かしこまりました。それではサイズをお測りしましょうか」

「えっ、いや、いいですそんな」

 わたしは慌てて首を横に振る。さすがに自分のサイズくらい把握している。

「ろ、65のBですから」

 あまり大きいとは言えないから口に出すのが恥ずかしい。姫子さんがいるからなおさらだ。

「あら、意外と小さいのね」

「ひあっ。何するんですか」

 突然胸を揉まれて、わたしは素っ頓狂な声をあげてしまった。

 そんなことをするのは当然のごとく姫子さんだ。

「もう少しあると思ったのだけど、......でも形は良さそうよね」

 果物の熟れ具合でも確かめるような口調で、遠慮なく触ってくる。

「寄せて上げる努力をしているんです」

 落ち着きを取り戻して、わたしは憮然として言った。

 もう最近はこの手の事には慣れてきたので、それほど慌てることもない。九絵姉妹はもっと無遠慮に触ってくるのだ。

「姫子さんはそんなことをする必要もなさそうですけどね」

 背中に感じる姫子さんの膨らみは、明らかにわたしとはボリュームが違った。

「そうねぇ、あまり気にしたことはなかったわね」

 胸から手を離して姫子さんは真剣に思案していた。

「でも、今度からはみさきの真似をしてみようかしら」

「そんなことしなくていいですよ」

 それ以上大きくしてどうしようというのか。

「もし、バストサイズをあげたいとお思いでしたら、こちらなどいかがでしょうか」

 わたしたちの会話の隙を見て、すかさず店員さんがセールストークを挟んでくる。

 ガラスケースに並べられたブラを指しながら、どちらかといえば姫子さんに説明し始めていた。

「なかなか悪くないけれど、みさきは気に入るかしら」

 店員さんがお勧めするものは、どれも大輪の薔薇などの刺繍をあしらった、エレガント&ゴージャスなものばかり。

 見るからに高そうだ。そしてどう考えてもわたしには似合いそうもない。

 姫子さんが着ければどんな派手な下着も見事に着こなしてみせるのだろうけど、わたしではその派手さに負けてしまうこと請け合いだ。

 わたしみたいな庶民には、白い無地の物や、せいぜいチェック柄のおとなし目のものが分相応だろう。

 しかし、そういうおとなし目の物があまり、というかほとんどない。

 そりゃ社交科のお嬢様たちが利用するお店なのだから、自然とそれ相応の品ぞろえになるに決まっている。

「もっと地味ぃなやつでいいんですけど」

「あら、遠慮する必要はないのよ?」

「遠慮というか、こういう派手な物は身につけたことがないもので」

 サイズさえ合っていればいいタイプなので、千円、二千円とかそこらのしか買ったことがない。そもそも下着にお金をかける余裕なんてものもなかったし。百円ショップで売っているのだって文句を言うつもりはない。

「仕方ないわね、私が選んであげるわ」

 姫子さんはそう言うと、ガラスケースを覗きこんで、三種類ほど選ぶと店員さんに「これを頂くわ。同柄のショーツも一緒にね」と告げていた。

 どんなのを選んだのか見てみれば、一つはわたしの意見を尊重してくれたのか、比較的シンプルな奴で、白地にピンクの花柄をあしらった可愛らしいものだった。

 他の二つは、これでもかというくらいに凝った刺繍がちりばめられた派手目なものだった。薄いブルーとグレーの生地に、薔薇やリボンの刺繍を施し、カップ下やストラップにもフリルをあしらっている。

 そこはかとなくアダルトな雰囲気を醸し出すそれらのブラは、姫子さんが身に着ければさぞかし似合うことだろう。しかし、ブラだけならまだしも、同柄のショーツを一緒につければ、わたしでは名前負けならぬ、下着負けになってしまうのは確実だ。

 間違っても、馬子にも衣装となることはない。

「他にも欲しい物はあるかしら」

「いえいえ、三種類もあればじゅうぶんですよ。一日泊まるだけなら一種類でいいくらいですし」

「あら、これからも時々泊まりに来てもらうつもりなのだから、替えの下着は置いておいた方がいいでしょう?」

「ああ、そういうことですか」

「他にも歯ブラシとか、お箸とか買っておいたほうがいいかしらね。グラスもお揃いの物を新しく買いましょうか」

 同棲ですかっ。と声には出さずに突っ込んでおく。

「事前に行ってもらえれば、準備して行きますから大丈夫ですよ」

「それでは週末には常にお泊りできるように準備をしておいてね」

「毎週っ?」

「嫌かしら」

 姫子さんは上目づかいで悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「嫌じゃないですけど、お泊りしてまで何をさせるつもりなんですか?」

「そうね......」

 姫子さんは顎に人差し指を当て、考えるような仕草をした。

「たとえば一緒に夕食を食べたり、夜更かしをしてお喋りに華を咲かせたり――」

「それってセラフの仕事なんですか?」

「もちろんよ。身の回りの世話ももちろんだけど、主人の余暇を一緒に楽しむことだって重要な仕事だわ。何をするにも主人と一緒なのがセラフなんだから」

 それはもはやメイドというよりは、友達......いや、妹みたいな気がするけど姫子さんはそういうのに憧れていたんだろうなぁ。

「そして朝には熱い紅茶を淹れたみさきが、私を優しく起こしてくれるの。とても素敵な朝の始まりだと思わない?」

「はあ」

 まあ、されるほうは素敵な気分になれるだろう。

「ご期待に添えるように頑張ってみますけど、あまり過度の期待はしないでくださいよ」

 残念ながらまだまだ駆け出しメイドなので、姫子さんの望む通りにできるかちょっと不安だ。

「いいのよ、初めから完璧になんてできるはずないもの。成長する過程を見るのも主人の楽しみの一つよね」

 姫子さんは楽しそうに目を細めて微笑んだ。

「さあ、下着を買ったら。次は日用品ね。その後でおやつでも買いましょうか」

「はいはい、もう全て姫子さんにお任せ致します」

「よろしい。それではお会計をして――の前に」

 姫子さんは、ガラスケースの中から先ほど選んだ下着を取り出している店員さんに向かって、

「私にも同じものを頂けるかしら。サイズは70のDで」

 と言ったのだった。

 Dカップ......、やっぱりそれくらいあるんだ。わかっていたけど、スタイルいいなぁ。

 思わず自分の胸に手を当てて大きさを確認してしまう。

 わたしももう少し大きくなれば、派手な下着を着けても似合うようになるのだろうか。

「自分の胸を揉んで何をやっているの?」

 いつの間にか会計を済ませた姫子さんが、怪訝な表情で首をかしげていた。

「な、なんでもないです」

 慌てて胸から手を離さす。

「あ、荷物はわたしが持ちますよ」

「そう? それではお願いしようかしら」

「はい」

 姫子さんから二人分の下着が入った紙袋を受け取る。その時にレシートも貰ったので、ちょっと確認してみたのだけど、そこには合計で13000Pと明記されていた。

 概ね上下ひと揃いで2000Pくらいだ。

 あれ? 結構安い? なんてその時は全然気にしていなかった。

 いくらお嬢様たちが利用するお店だからって、さすがに学生からは高いお金を頂くわけにはいかないのか、それとも下着メーカーの社長令嬢なんかが居て、そのツテで安く仕入れが出来ているのか――。

 とにかく、これだけいい物がこのお値段で買えるのは魅力的だ。

 これなら姫子さんにお願いして、お給金が入ったらまた連れてきてもらいたいな、なんて打算的なことを考えていた。

 その後は姫子さんが乗り気だった為、歯ブラシやグラスもお揃いで購入して、その時も100Pや200Pだったから、「良心的な価格だー」と喜んでいたのだけど――。

 

「あれ?」

 ちょっとおかしいなと感じ始めたのは、「お菓子も買っていきましょう」と姫子さんの言うままに、フードコーナーへ寄り道をした時だった。

 和菓子・洋菓子から、コンビニに売っているようなスナック菓子まで各種取りそろえられているお店は人気があるらしく、真剣な表情で商品を吟味している社交科のお嬢様たちの姿がそこかしこに見受けられていた。

 ここら辺はやはり年頃の女の子らしく、わたしたち家政科の生徒とあまり大差がないようだ。

 一人で来ている人もいれば、わたしと同じメイド姿の生徒と一緒にいる人もいる。ここにいるということは、あの人たちもセラフなのだろう。

 先ほど姫子さんが言っていた「何をするにも主人と一緒なのがセラフなのだから」というのは本当の様だ。

 この時間まで一緒にいるということは、あの人たちもお泊りする予定なのかな。

 それはともかく――。

 わたしも年頃の乙女なので、甘いものには目がない。特にドーナツにはかなりこだわりがある。

 ありがたいことに、ここには手作りドーナツのお店があるようなので、わたしは姫子さんに絶対に買っていきましょうとおねだりすることにした。

「ええ、わかっているわ。そのつもりで来たのだし」

 姫子さんは笑いながらショーケースの前まで案内してくれた。

 そこでわたしは不思議な物を目にしたのだ。

 ショーケースに並べらべられている各種ドーナツは、見ているだけで涎が出てきそうなほど美味しそう。きっとわたしが初めて天空サロンへ行ったときに用意してくれたドーナツは、ここで買ってきてくれたものなのだろう。

 あれだけ美味しいものならば、値段もそれなりにするはずだ。

 それなのに、表示されているポイントは10Pから30Pと異様に安かった。

 おかしい。あの味なら一個数百円はするはずだ。1ポイントが一円なら最低でも100Pはするはず。いくら企業努力で安く出来たとしても、この値段じゃ原価割れするに決まっている。

「姫子さんっ」

 その安さに不安を覚えたわたしは、姫子さんに値段を確認しようとしたのだけど、姫子さんは複数の生徒に囲まれて、いつの間にか交友会のようなものが始まっていた。

 姫子さんの姿を見つけては、入れ替わり立ち替わり社交科のお嬢様たちが挨拶に訪れているのだ。

 姫子さんはその度に笑顔で対応していた。

 これはしばらくかかりそう。

 しかたなくわたしは自分で近くにあるお菓子を手にとって、値札をいくつか確認してみた。

 するとどれもこれも10Pや20Pの低い表示の物ばかり。

 先ほどの下着やティーセットならいざしらず、スナック菓子の値段くらい庶民のわたしにも正確にわかる。

 ごくり、と喉が鳴った。

 どうやらわたしは大きな勘違いをしていたようだ。

 1ポイントが一円? とんでもない。

 このスナック菓子も、ドーナツも最低でも百円はするものばかり。

 ということは......。

 手にしいる下着の入った袋を見つめた。

 100円するお菓子が10P......。

 つまり、1ポイントが十円なわけで......。

 先ほど買ってもらった下着は上下のセットが2000Pくらいだった。

 すなわちっ! 二万円以上するということだ。三セットで六万円以上!

「ひえぇ......」

 紙袋を持つ手が震えた。

 普段身につけている物の十倍以上する下着を三セットも買ってもらっただなんて。

 それだけあったら、ゆうに数カ月分の食費にできる自信がある。

「ひめっ、姫子さんっ」

 わたしはふらふらと倒れこむようにして姫子さんに抱きついた。

 お嬢様たちのお喋りを邪魔する無礼にも気が回らず、その時のわたしは涙目になっていたに違いない。

「ど、どうしたの? みさき」

 さすがに姫子さんもわたしの様子に驚いたのか、目を軽く見開いていた。

「これっ、これっ!」

 わたしは震える手で手にした紙袋を掲げてみせた。

「それがどうかしたの?」

 当然ながら、姫子さんは値段に驚いていることなんて知る由もない。

 わたしが声も出せずに口をパクパクさせていると、

「ちょっと待っていなさい」

 そう言ってわたしの頭を撫でて、いましがた談笑していたお嬢様たちに頭を下げた。

「皆さんごめんなさい、大切な用事を思い出しましたので、先にそちらを済ませてしまいますわ」

「まあ、それは呼び止めてしまって申し訳ありません」

「姫子様がこのような場所にいらっしゃるのが珍しくて、ついご都合も考えず失礼しました」

「いえ、お気になさらず。皆さまもどうかお買い物の続きを楽しんでらしてください」

 優雅な退席の仕方に、わたしの気持ちも少しだけ落ち着きを取り戻す。

「みさき、こちらにいらっしゃい」

 姫子さんが人目のつかない場所に連れて行ってくれたので、わたしは下着の入った袋を手に姫子さんに詰め寄った。

「これっ、凄く高いです」

「ええ? 何を言っているの?」

 姫子さんは顔にハテナマークを浮かび上がらせる。

「だから、先ほど買ってもらった下着ですけど、安いと思っていたら凄く高いものじゃないですか。そんなの頂くわけにはいきません」

「何を言っているのよ。別に驚くような値段ではないでしょう」

「驚くような値段ですよ。三種類で六万円以上するんですよ」

 姫子さんはポイント表示に慣れ過ぎて、実際の金額がピンとこなくなっているに違いない。

 そう思ったのだけど――。

「別にそれくらい普通でしょう? 今日は置いてあるもので間に合わせたけど、本当はオーダーメイドで買うのが一番なのよね。そうなれば二、三倍くらいのお値段になるし、今日買ったのは安いくらいよ?」

「ど、どこがですかー」

 つくづく住んでいる世界が違うことを思い知らされる。これが安いだなんてありえない。

「言っておくけど、返品は受け付けないわよ。それはみさきにプレゼントしたものなのだから、返されたりなんかしたら私の名前に傷がつくわ。天使姫子はセラフにプレゼントをつき返された可哀想な主人だって噂されてしまうわ」

「そんな......」

 姫子さんは小悪魔の様な笑みを浮かべた。こちらの反応を見て楽しんでいるようだ。

「いいじゃないのそれくらい。どのみち現金で支払っているわけでもないし、ポイントなんて使わなければただの数字でしかないわ。それに、みさきがちゃんとわたしのセラフとして勤めを果たしてくれているから、それのご褒美よ。気にせず受け取っておきなさい」

「うう......」

 なんだかずるずると泥沼にハマっている気がする。

 このままだとスケープゴートとしてのセラフから、本当のセラフにされてしまうのではないだろうか。

 返すことのできないような借りは作らないようにというのが、信条なのに......。

「そんな下着の値段くらいでオロオロされても困るわねぇ。セラフというのは主人と同じ価値観でいてもらわないと。ちょっとくらい高価な物だからって、毎回騒がれたらまともに教育ができていないと思われてしまうわ」

「それは、そうかもしれませんけど」

「いいこと? 今のみさきはレディースメイドと同じなのよ。レディースメイドは宝石の管理や、主人に付き添って夜会に出たり、こうして一緒に買いものに行ったりするものなの。みさきの価値観と違うものが沢山あるかもしれないけれど、いちいち驚かずにそれが当たり前の様な態度でいなさい。そうじゃなければ私が恥をかいてしまうのだから」

「わかり......ました」

 この学院で姫子さんのセラフとして生活するからには、これはもう避けて通れない問題なのかもしれない。

「わかったなら買い物の続きをしましょう。部屋へ戻ったら今の反省会よ。私のことをもう少し知ってもらう必要がありそうね」

「はーい」

「こういうことがあるのだから、やっぱりお泊りは必要よね」

 姫子さんはなぜだかとても嬉しそうに微笑んだのだった。

 

***

 

 とまぁこういうことがあったりしたのだけど――。

「下着を買ってもらったのは嬉しいんだけど、姫子さんって意外と我儘なところがあるんだよね。それに金銭的感覚の違いにまだ慣れなくて......」

 小さくため息をつくと、

「なんですってぇ」

 きららちゃんが目を吊り上げて歯ぎしりをし始めた。

「そこまでして頂けるということは、それなりに信頼されているということでしょっ! まだ二週間程度だというのにその親密っぷり。どれだけ気に入られているのよっ」

「いや、そこまで親密になっているとは思えないけど」

 まだ姫子さんがセラフを作らなかった理由とか、聞かせてもらえていないし。

「はあ? 何言っているのよ。誰がどう見たってあなたと姫子様は良い主従関係にあると思うわよ」

「そ、そうかな」

「そうよ。お泊りして世話をさせて頂けるなんて、いくらセラフだってすぐにはさせてもらえないことよ。プライベートを見せてもいいと思われているってことでしょ? お泊りした時のことだって、さんざん自慢していたじゃない」

「じ、自慢した覚えはないけど」

「はあ? あれが自慢じゃなくてなんだというのよ」

 ええと、わたし何を言っていたっけ。

 お買い物をして、姫子さんの部屋に戻ってからのことを思い出す。

「ええと、お部屋に戻ってからお茶をして、一緒にお風呂に入って、その後で買った下着の試着会をして――、ああ、そういえばやっぱり派手なやつは似合わなかったんだよね。姫子さんも苦笑いしていたなぁ。だけど着け心地は凄くいいの。肌触りが今まで使っていたのと段違いで、やっぱり高いものは値段に見合った価値があるんだなぁって......はっ!」

 突き刺さるような鋭い視線を感じで我に返った。

 気がつけば、きららちゃんが今にも襲いかかってきそうなオーラを身にまとわせている。

「それのどこが自慢じゃないって!?」

「あはは、確かに自慢っぽかったかも」

「『ぽかった』じゃなくて、完全に自慢でしょ!」

「はい......。よくよく考えるとそうです」

 わたしは心の中で、反省するために正座をしていた。

「ああっ羨ましい、羨ましい。それで他にも姫子様のセラフになってから何があったのかしら?」

「他っていうと......」

 社交科の寮にお泊りできるのと、そこのお店が利用できること、天空サロンでのことは話したし、あとは――。

「勉強を見てもらったり、お下がりの洋服を貰ったり......ああ、そうそう。社交科の寮の裏手に広がる森の中にね、ひっそりとフランス料理店が建っているの。姫子さんお気に入りの秘密のお店らしくて、晩御飯はたまに連れて行ってくれるんだよね」

 そのお店もやはり家政科の生徒が利用しようと思ったら、セラフとして自分のお嬢様に連れて行ってもらうしかない。

「まだ二週間くらいしか経ってないし、それくらいだよ。もう少し学院に慣れたら他のサロンに連れて行ってくれるとは言っていたかな。誰かを紹介してくれるとかなんとか......」

「ああっ、もうっ。どれだけ恵まれた生活をしているのよ!」

 ついにきららちゃんは爆発してしまった。

「それだけの恩恵を享受していれば、セラフがどれだけ特別なものかわかったでしょう?

この学院に入る前はセラフのことを何も知らないとか言っておいて、実は一番にセラフになって、お嬢様との生活を満喫しているのだもの」

「そ、それは単に運が良かったというか、巡り合わせ的なものがあったというか......」

「そんな運だけでなれるほどセラフは甘くないわよ! お嬢様に自分の力を認められて、メイドとして一流の才能を持つ者だけがセラフとして契約して頂けるの。それが、メイドの仕事も、セラフのことも知らないあなたがよりにもよって姫子様のような超一流のお嬢様のセラフになれるなんて間違っているわ」

「それはわたしじゃなくて、姫子様に言ってもらわないと......」

「シャラップ! もう我慢できないのよ。私はずっとメイドになる為に勉強してきたのに、その為の技術も磨いてきたのに、どうして私はセラフになれないの!?」

「や、だってまだ二週間くらいしか経ってないんだよ? きららちゃんにだってこれからいい出会いがあると思うけど......。それにほら、もう少ししたら、お世話係として社交科のお嬢様たちとの交流も始まるんだよね?」

「そんなの待ってられない。私は自分の道は自分で切り開くわ! そして、蛍みさき! あなたには絶対に負けないんだから!」

 きららちゃんの瞳は爛々と燃えていた。

 もう何を言っても聞く耳を持たないだろう。

 わたしにできることは、きららちゃんが言うように、ただ見守るだけ......なのかな。