2 長い髪
2 長い髪
乱馬はあかねの部屋の前で迷っていた。
なんか、すげー声かけづらい雰囲気だった。
あかねは家に帰るまでひと言も口を聞かずに、そのまま部屋に閉じこもってしまった。
中からは何の物音も聞こえてこない。
乱馬の脳裏に、先ほどの東風とかすみのキスシーンが浮かんで顔を赤らめた。
あかねは、泣いてるのだろうか。
乱馬が階段を降りていくと、ちょうど家に戻ってきたかすみと出くわした。
「あら、乱馬くん。帰ってたの?あかねは?」
かすみがいつもと変わらないおっとりとした調子で尋ねてくる。
「あ、あかねは部屋で…」
乱馬が言うと、
「じゃああかね呼んできてくれるかしら?ちょっと手伝ってほしいことがあって」
かすみはそう言って、台所へと入っていった。
乱馬は仕方なしにあかねの部屋の前まで戻っていった。
でも、先ほどとは違って、かすみからの頼まれごとがある。
あかねに声をかけるちゃんとした理由があるのだ。
乱馬はトントンと軽くノックをすると、ドアノブを回した。
扉を開けた瞬間、乱馬の目に飛び込んできたのは、ハサミを手にして、鏡台の前に座るあかねの後ろ姿だった。
「おっ、おまえまさか…‼︎」
乱馬の言葉と同時に、あかねはハサミで自分の長い髪をバサバサと切り落とし始めた。
片手で髪をひと束つかみ、雑にハサミで切り落としていく。
床に敷かれた新聞紙に、あかねの髪の束がどんどん重なっていった。
ようやく我に返った乱馬が急いであかねに駆け寄ると、ハサミをパッと取り上げた。
「何すんのよ!」
あかねが乱馬の顔を睨みつける。
「そんな不器用な切り方してたら、表に出られなくなるだろーが」
あかねはぶすっとした顔で鏡に映る自分の姿に目を向ける。
「そんな…おかしいかな?」
「ったく、なんでいきなり髪なんて切り始めんだよ?切るなら、かすみさんにでも頼んだら…」
言いかけて、乱馬は言葉を止めた。
あかねはそんな乱馬に気づいてぽつりと呟く。
「別にいいのよ、気を遣ってくれなくて。小さい頃からわかってたもん。先生がお姉ちゃんのこと好きだっていうのは」
鏡に映る自分の姿を見つめながらあかねは続ける。
「でもね、好きなのを止める理由が見つからなかったの。その理由がやっと見つかったから。だから、自分で終わらせたいの」
あかねは乱れた毛先を自分の指で確認する。
「だからやけっぱちとかね、そういうんじゃないの。心配しないで」
そう言ってあかねは乱馬からハサミを取り返そうと手を伸ばした。
乱馬はあかねのその手を拒むと、ハサミをじっと見つめる。
「ねぇ、早く返してよ。夜のパーティまでにキレイに揃えなくっちゃ」
乱馬はハサミを見つめたまま、ぶっきらぼうに言った。
「じゃあ、オレが切ってやるよ」
「えっ?乱馬、髪なんて切れるの?」
「人の髪なんか切ったことねぇけど、多分おめーよりかはマシだろ」
そう言って、乱馬はあかねの背後に立った。
あかねは一瞬躊躇いを見せたが、まっすぐに鏡に映る乱馬の姿を見つめた。
乱馬の指がそっとあかねの髪に触れる。
いつもの無神経な乱馬からは想像がつかないくらい、優しく繊細にあかねの毛束を束ねて、ハサミを入れ始める。
あかねは、何故か何も言えずにただ黙って前を向いていた。
ハサミの刃の重なる金属音だけが、部屋に静かに響いている。
乱馬は慣れないハサミで慎重にあかねの髪を切り落としていった。
切られた髪が、乾いた音を立てて新聞紙の上に落ちていく。
ふと、あかねの横顔を見る。
あかねの目は泣いたのか、少し赤く腫れていた。
なんの物音もしなかったのに、声を押し殺して泣いてたのかよ。
自分が失恋したわけでもない。
なのに、乱馬の胸の奥がちくりと痛んだ。
それを打ち消すかのように、あかねの髪にハサミを入れ続けた。