5、危機の到来
5、危機の到来
夜の庭では、花壇に冴え冴えと月明かりが注いでいる。噴水の水音が、静謐の中に響いていた。 リシェルノアは噴水の縁に腰を下ろすと、はあ、と、またひとつ大きな嘆息をもらした。月光に銀の髪がきらきらと輝き、神秘的だ。 そういえば初めて彼の笑顔を見たのもこの庭だったな、と、グレンはそんなことを思い出した。あの日から、リシェルノアがすこしずつ笑顔を見せてくれるようになったのだ。「――……大人気ですね、殿下」 グレンは、つい、からかうようにそんなことを口にしていた。 リシェルノアは蒼灰色の眸でじっとグレンを見上げた。「そんなこと……べつに、どうだっていい」 素っ気ない答えが返る。グレンは肩をすくめた。「そんなこと仰らずに……良いことじゃないですか、まわりが賑やかになるのは」「この状態がいつまでも続くとは思えない。そのうち波が引くように、皆、去っていくのではないか?」「そんなことないですって」 グレンがリシェルノアの悲観的な物言いに溜め息をついたとき、相手はまた、じっとグレンを見詰めた。どこか 縋 ( すが ) るような、切実な想いの滲んだ眼差しだった。「おまえだって……グレン」「え?」「おまえには……まだ、配置転換の話はないのか?」 言われてグレンははっと息を呑む。 そういえば、リシェルノアは言っていた。彼に長く仕え続ける人間がいないのは、第一王子派というべき勢力が出来てしまわぬよう、誰かが敢えてそうしているからなのだ、と。グレンがリシェルノアの護衛の任について、もう、しばらくの時が経っていた。前任者たちが職務についていた期間を考えると、もはや、いつリシェルノアの護衛の任から外されてもおかしくはないのだ。 そのことに思い至ると、ふいにグレンの胸が、つくん、と、痛んだ。 リシェルノアの傍を離れる日が、遠からず、来るかもしれない。いまとなっては、そう考えるだけで胸が締め付けられるようになる。親しめばそのぶん別れがつらい、と、いつかリシェルノアが言っていた言葉を、グレンはようやく、真実、実感していた。「リシェルノア様……」 しずかに相手の名を呼ぶ。「どこの誰に人気でも、私にはあまり関係ないよ、グレン」 王子は翳のある、さびしげな笑みを唇に浮かべた。「誰が近寄って来ようと、離れていこうと、私には関係ない。でも、グレン……おまえだけは……」 そこまで言うと、リシェルノアは切なげに眉根を寄せた。蒼灰色の眸が熱っぽく潤んでグレンを見つめている。 グレンは息を呑んだ。もしかしたら、リシェルノアも、自分と同じ気持ちでいてくれるのかもしれない。「リシェルノア様……」「グレン……グレン、私は、おまえを……おまえのことが……」 リシェルノアは立ち上がり、グレンのほうへと手を伸ばしてくる。 その刹那だ。 夜の静かな空気の中にピリリとした違和感を覚えて、グレンははっとする。反射的にリシェルノアの身体を抱き込んでいた。 ヒュン、と、空気を切り裂く音がする。「ぐっ……!」 右肩に鋭い痛みが走った。矢だ。「グレン!」 リシェルノアが叫ぶ。グレンは即座にリシェルノアを己の背中に庇うと、矢の飛んできたほうを鋭く睨んだ。歯を食いしばり、剣を抜く。痛みを堪えつつ、切っ先を夜闇のほうへと向けた。 茂みの中に人影が見えた。「そこかッ!」 グレンは駆け出していた。 グレンが迫ると、男が茂みから飛び出してくる。黒いフードを被っており、顔は見えなかった。逃げようと背を向ける相手を、グレンは全速力で追う。塀のほうへと追い詰めると、男は焦った様子で振り返って、忌々しげな舌打ちと共に、短剣を抜いた。「グレン、無理をするな!」 こちらを追いかけてきたらしいリシェルノアの声が聞こえた。男の視線が、一瞬、そちらへと向く。短剣を握った手がリシェルノアを目掛けて動こうとしたのを察知して、グレンは思い切り男へと飛びかかった。 ふたりして地面へ倒れ込む。そのまま烈しい揉み合いになった。逃れようとした男はがむしゃらに暴れたが、グレンは相手に圧し掛かるかたちで必死に抑え込み、動きを封じた。 男が死に物狂いで腕を振り回す。避けきれず、男の持つ短剣が右腕につきたてられた。「つ、ぅ……!」 苦痛に呻きながらも、グレンは歯を食いしばって堪える。男を拘束する腕にますます力を籠めて、ぐ、と、締め上げた。男はがくりと気を失った。「はあ……はあ……」 荒い息をつきながら気絶した男を見下ろしているところに、リシェルノアが駆けつける。「グレン!」 血相を変えたリシェルノアが、グレンに縋りつくようにした。「大丈夫です……犯人は、捕らえました、から……」 そう言って相手に向かって、に、と、笑んだところで、力尽きるようにグレンの身体は傾いだ。「グレン……!」 リシェルノアがまた叫んだ。けれど、その声が、どこか遠い。視界はゆらぎ、ぼやけていた。 自分を支えてくれているのはリシェルノアの腕だろうか。主に支えられるなど情けない、と、そうは思うものの、自嘲を浮かべる気力も、もう、ない。「グレン……!」 リシェルノアが悲痛な声でまたグレンを呼んだ。薄れゆく意識の中で最後に認識したのは、うつくしい蒼灰色の眸に溜まった涙だった。