第十話 守るための力
第十話 守るための力
第十話 守るための力
普賢真人の住まう、九功山・白鶴洞。
太公望が封神計画へと旅立ってから、花鈴はこの場所で修行を続けていた。
あの日、猫耳や尻尾を見て怖がる人もいるのだと知った花鈴は、普段は人の姿で過ごすようになっていた。
けれど、修行をやめたわけではない。
誰かを傷つけずに、誰かを守れるようになりたい。
その思いは、以前よりも強くなっていた。
*
「……うーん」
花鈴は縁側に座り、考え込んでいた。
「鈴ちゃん、どうしたの?」
普賢が隣に腰を下ろす。
「普賢様。私ね、もっと強くなりたいんだ」
「うん」
「でも、誰かを傷つけるために強くなりたいわけじゃないの。自分のことも、みんなのことも、ちゃんと守れるようになりたい」
花鈴は自分の手を見つめた。
「誰かを傷つけなくてもみんなを守れるようになりたい!」
普賢は、花鈴の言葉を静かに聞いていた。
「……そっか。鈴ちゃんは、そう思っているんだね」
「うん!」
「それなら、一つ渡したいものがあるんだ」
「えっ?」
「まずは、こっちにおいで」
普賢に案内され、花鈴は洞府の奥へと向かった。
そこには、小さな箱が置かれていた。
「これ……何?」
普賢が箱を開ける。
中に収められていたのは、二つの丸い球形の耳飾りだった。
淡い光を宿したそれは、まるで小さな星のように輝いている。
「わあ……綺麗!」
花鈴は目を輝かせた。
「これは宝貝だよ」
「宝貝?」
「うん。鈴ちゃんに使ってほしくて、用意したんだ」
「私に?」
花鈴は驚いて普賢を見上げた。
「ありがとう! でも、どんな宝貝なの?」
「斥力を生み出す宝貝だよ」
「せきりょく?」
「物を押し返す力のことだね。普段は弱い力で鈴ちゃんを守ってくれる。軽い攻撃なら弾けるし、力を強めれば、近づいてくる相手を押し返すこともできるんだ」
「押し返す……?」
「そう。使い方を工夫すれば、鈴ちゃん自身だけじゃなく、周りにいる仲間を守ることもできるよ」
花鈴は二つの球体をそっと受け取り、じっと見つめた。
相手を倒すための力ではない。
傷つけるためではなく、守るための力。
それは、花鈴がずっと望んでいたものだった。
「……私にぴったりの宝貝だね!」
「そう思ってもらえたなら、よかった」
普賢は微笑んだ。
「ただし、どんな攻撃でも防げるわけじゃないし、力の加減も大切だよ。使い方は少しずつ覚えていこうね」
「うん! 頑張る!」
花鈴はさっそく、二つの耳飾りを両耳につけてみた。
小さな球体が、耳元でちょこんと輝く。
「……どう?」
花鈴は少し照れくさそうに、普賢を見上げた。
「似合ってるよ、鈴ちゃん」
「ほんと?」
「うん」
「えへへ……ありがとう、普賢様! 大切にするね!」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑う花鈴を見て、普賢も微笑んだ。
その日、花鈴は新しい力を手に入れた。
誰かを倒すためではなく、誰かを守るための力を。
*
それから、花鈴の新しい修行が始まった。
普賢と一緒に、宝貝の扱い方を練習することになったのだ。
「鈴ちゃん、今度は僕が投げる木の実を弾いてみようか」
「分かった!」
普賢が木の実を軽く放る。
花鈴は集中した。
木の実が目の前まで飛んできた、その瞬間。
ぽんっ。
見えない力に押し返され、木の実が横へ飛んでいった。
「できた!」
「うん、上手くいったね」
「やったー!」
花鈴は両手を上げて喜んだ。
ところが、喜びすぎて気が緩んだのか、次に飛んできた木の実は弾かれず、額にこつんと当たった。
「いたっ!」
「あはは。まだ練習が必要みたいだね」
「もー! 今のは油断しただけだもん!」
花鈴は額をさすりながら、頬を膨らませた。
普賢は楽しそうに笑った。
失敗しても、花鈴はすぐに立ち直る。
「もう一回! 今度こそちゃんと弾くよ!」
「うん。じゃあ、もう一度やってみよう」
何度も練習を重ねるうちに、花鈴は少しずつ宝貝を扱えるようになっていった。
まだ思いどおりにいかないことも多い。
それでも、確かな進歩だった。
*
ある日のこと。
木吒が修行を終えて戻ってくると、花鈴が宝貝の練習をしていた。
「おっ、花鈴。今日も頑張ってるな」
「木吒くん! 見てて!」
花鈴が手を振る。
「今度は、ちゃんとできるんだから!」
普賢が少し離れた場所から木の実を投げる。
木の実は花鈴に近づくと、見えない壁にぶつかったように弾かれた。
「おお、すげえな!」
「でしょ!」
花鈴は得意げに胸を張った。
「でも、宝貝だけに頼ってるわけにもいかないよね」
木吒が言った。
「えっ?」
「相手の攻撃をかわすだけじゃなくて、いざってときは攻撃する力も必要だろ? 守るために戦わなきゃいけないことだってあるんだからさ」
「……確かに、そうだね」
花鈴は自分の手を見つめた。
宝貝があれば、今までよりも多くのものを守れる。
けれど、それだけですべてが解決するわけではない。
「私、もっと身体の動かし方も覚えたい!」
花鈴は顔を上げた。
「宝貝でも守れるようになりたいし、自分の力でも大切な人たちを守れるようになりたい!」
「それなら、いい場所があるよ」
普賢が穏やかに言った。
「清虚道徳真君のところで、実戦を想定した修行を受けてみたらどうかな」
「道徳様のところ?」
「うん。身体を使った戦い方や、身のこなしを鍛えるのが得意な仙人なんだ。木吒も一緒に行けば、鈴ちゃんも心強いだろう?」
「オレもですか?」
「そう。木吒も、もう一段階成長するいい機会になると思うよ」
木吒は少し考えてから、頷いた。
「なるほど……。確かに、オレもまだまだ修行が必要ですからね」
「それに、道徳のところには黄天化という弟子もいるんだ。木吒と年齢も近いし、一緒に修行すれば、いい仲間になれると思うよ」
「黄天化……」
木吒は、その名前を聞いて笑顔になった。
「ああ、天化か。元気にしてるといいな」
「木吒くん、知ってるの?」
「うん。何度か会ったことがあるよ。真っすぐで、修行にも熱心な奴だ」
「そっか! 会うのが楽しみだな!」
花鈴は目を輝かせた。
「私、行ってみたい!」
「うん。きっと学ぶことがたくさんあるよ」
普賢は微笑んだ。
「二人とも、頑張っておいで。ただし、無理はしないこと。分からないことがあったら、ちゃんと道徳に聞くんだよ」
「分かった、普賢様!」
「はい。行ってきます、師匠」
「木吒、鈴ちゃんのことをよろしくね」
「任せてください!」
木吒は、頼もしく頷いた。
*
数日後。
花鈴と木吒は、清虚道徳真君の住まう山へ向かっていた。
花鈴は歩きながら、耳元の宝貝にそっと触れた。
小さな球体の耳飾り。
これからは、この宝貝とともに自分の力も磨いていく。
「花鈴、緊張してる?」
隣を歩く木吒が尋ねた。
「ちょっとだけ。でも、楽しみのほうが大きいかな!」
「そっか。オレも久しぶりに天化に会えるのが楽しみだよ」
花鈴は笑った。
「ねえ、木吒くん」
「ん?」
「私、強くなれるかな?」
木吒は少し考えてから答えた。
「なれると思うよ。強くなるって、相手を倒すことだけじゃないだろ?」
「……うん」
「危ないときに逃げることも、仲間を守ることも、ちゃんと強さの一つだと思う」
花鈴は、ぱっと顔を明るくした。
「そっか! ありがとう、木吒くん!」
「どういたしまして」
二人は並んで歩いていった。
*
清虚道徳真君の洞府に着くと、さっそく元気な声が飛んできた。
「おおっ! 木吒じゃねえか!」
振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。
頭にはバンダナ。
黒い髪に、革ジャンをまとった姿。上半身には何も着ておらず、鍛えられた身体がのぞいている。
顔には大きく横に走る傷があり、整った顔立ちに独特の迫力を添えていた。
少年は木吒を見るなり、人懐っこい笑みを浮かべた。
「久しぶりさー! 元気にしてたか?」
「天化! 久しぶり。元気そうだね」
「もちろんさ! 修行も毎日頑張ってるさ!」
少年――天化は、木吒の隣にいる花鈴に気づいた。
「ん? そっちの子は誰さ?」
「花鈴っていうんだ。今日から一緒に修行することになったんだよ」
「花鈴です! よろしくお願いします!」
花鈴はぺこりと頭を下げた。
「へえ、花鈴か! 俺っちは黄天化さ。よろしくな!」
天化は気さくに笑った。
「天化様って呼べばいい?」
「様は合わないさ。これから一緒に修行する仲間だろ?」
「でも……」
「気にしなくていいさ!」
天化は明るく笑いかけた。
花鈴は少し考え、それから笑顔で頷いた。
「……うん! よろしくね、天化くん!」
「おう! こちらこそよろしくさ!」
木吒も二人を見て、嬉しそうに笑った。
「これから一緒に頑張ろうね、花鈴」
「うん、木吒くん!」
そのとき、洞府の奥から力強い声が聞こえてきた。
「おーい! いつまで入口で話しているつもりだ!」
三人が振り向くと、清虚道徳真君が立っていた。
鍛え上げられた身体に、まっすぐな眼差し。
その姿からは、厳しさと活気が感じられた。
「修行をしに来たんだろう! だったら、元気よく挨拶だ!」
「よろしくお願いします!」
三人は声をそろえた。
「よし! いい返事だ!」
道徳真君は満足そうに頷いた。
「ここでは、身体を動かして、失敗して、何度でもやり直す! 最初から上手くできる必要はない! 大事なのは、昨日の自分より一歩でも前に進むことだ!」
花鈴は真剣な表情で聞いていた。
昨日より一歩でも前へ。
少しずつでも、できることを増やしていく。
それは、今まで自分が大切にしてきたことと同じだった。
「はい! 頑張ります!」
「よし! それじゃあ、まずは基礎体力からだ!」
道徳真君は大きく頷き、山道のほうを指さした。
「天化、木吒、花鈴! 山道を十往復!!」
「……十往復!?」
花鈴は思わず声を上げた。
「もちろんだ! 走り終わったら、次は身のこなしの訓練だぞ!」
「へ、へい……!」
木吒も一瞬だけ顔を引きつらせた。
天化だけは、楽しそうに拳を握っている。
「よっしゃ! やってやろうぜ!」
「天化くん、元気だね……!」
花鈴は苦笑しながらも、耳元の宝貝にそっと触れた。
大丈夫。
自分で決めたことだ。
強くなりたい。
誰かを傷つけるためではなく、大切な人たちを守るために。
「……よーし!」
花鈴は顔を上げた。
宝貝で攻撃を防ぐだけではなく、自分の足で動き、相手の攻撃をかわす。
そして、どうしても戦わなければならないときには、自分自身の力で立ち向かう。
普段は普通の女の子と変わらない手。
けれど、花鈴は妖怪仙人だ。
猫のような俊敏さも、鋭い爪も、その身に宿している。
できれば、使わずに済むのが一番いい。
それでも、大切な人たちを守るために必要ならば、迷わず使うつもりだった。
「私も、頑張る!」
こうして花鈴は、新たな仲間とともに、新しい修行の日々へと踏み出した。
耳元で、小さな球体の宝貝が静かに揺れていた。
それは、花鈴が誰かを守るために選んだ力。
そして――
これから出会う仲間たちと、さらに成長していくための第一歩だった。