第十二話 新たな旅立ち
第十二話 新たな旅立ち
第十二話 新たな旅立ち
殷の都・朝歌。
その日、殷の武成王・黄飛虎は、ついに紂王に反旗を翻した。
きっかけは、妻である賈氏と、妹である黄氏の死だった。
正月の朝賀に宮中へ赴いた賈氏は、紂王の暴挙によって命を落とした。
その死を嘆いた黄氏もまた、紂王に抗議した末、自ら命を絶った。
妻と妹を失った黄飛虎は、長年仕えてきた殷を見限った。
武成王として国に尽くしてきた男が、今や殷に背いたのである。
黄飛虎は一族と家臣たちを率い、朝歌を離れた。
目指すは、西岐。
殷の支配から逃れ、新たな道を求めるために。
しかし、武成王の造反を聞仲が黙って見過ごすはずはなかった。
殷の太師・聞仲。
殷を支える重臣である彼にとって、黄飛虎の裏切りは決して許せるものではない。
黄飛虎一族の行く先には、厳しい道のりが待ち受けていた。
*
崑崙山。
仙人たちの住まうその場所で、元始天尊は一人の若い仙人を呼び出していた。
「天化よ」
「はい、元始天尊様!」
呼ばれたのは、清虚道徳真君の弟子、黄天化だった。
元始天尊は穏やかな表情で告げる。
「そなたの父、黄飛虎が殷に反旗を翻した」
「……親父が?」
天化の表情が変わった。
「うむ。一族を率いて西岐を目指しておる」
元始天尊は静かに続けた。
「武成王の造反を、聞仲が許すとは思えぬ。追手が差し向けられることも十分に考えられる」
「だったら、俺っちが親父を助けに行くさ!」
天化は迷わず答えた。
元始天尊は、その返事を予想していたかのように頷く。
「そなたは黄飛虎の息子。あの者にとって、縁の深い助け手となろう」
そして、もう一人へと目を向けた。
「花鈴も、天化と共に人間界へ向かうがよい」
「えっ、私も?」
花鈴は驚いて顔を上げた。
「うむ。そなたも、これまで修行を重ねてきた。人間界で見聞を広めることも、よい経験となろう」
「……分かった!」
花鈴は力強く頷いた。
人間界へ行く。
それは、太公望がいる世界へ向かうことでもあった。
けれど、今の花鈴が考えているのは、それだけではない。
困っている人がいるのなら、助けたい。
大切な人たちを守るために、自分にできることをしたい。
その思いを胸に、花鈴は一歩を踏み出そうとしていた。
「天化くん、よろしくね!」
「おう! 俺っちこそよろしくな、花鈴!」
天化は明るく笑った。
「親父たちがどこまで進んでるか分からねえさ。急いで追いつこうぜ!」
「うん!」
二人は元始天尊に一礼すると、人間界へ向かう準備を始めた。
*
九功山・白鶴洞。
出発の支度を整えた花鈴は、洞府の入り口で一度だけ足を止めた。
普賢と木吒には、まだ何も伝えていない。
本当なら、二人にきちんと話してから出発したかった。
普賢には、修行のことも、悩んだときのことも、たくさん助けてもらった。
木吒とも、一緒に修行をしたり、話をしたりするうちに、すっかり仲良くなった。
ここで過ごした日々は、花鈴にとって大切なものだった。
だからこそ、何も言わずに出ていくのは、少し寂しい。
「……普賢様、木吒くん」
花鈴は二人の顔を思い浮かべた。
普賢は、きっと事情を話せば分かってくれるだろう。
木吒だって、急な出発を責めたりはしないはずだ。
それでも、別れの挨拶くらいはしたかった。
けれど、今は時間がない。
黄飛虎一族が危険にさらされているのなら、一刻も早く向かわなければならなかった。
「……帰ってきたら、ちゃんと話そう」
花鈴は小さく呟き、天化のもとへ向かおうとした。
「鈴ちゃん?」
背後から聞こえた声に、花鈴はぴたりと足を止めた。
振り返ると、そこには普賢が立っていた。
「あっ、普賢様!」
「どこかへ出かけるの?」
普賢は花鈴の様子を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
花鈴は一瞬迷ったものの、すぐに事情を話した。
「元始天尊様から、天化くんと一緒に人間界へ行くように言われたんだ。天化くんのお父さんたちが危ないかもしれないから、助けに行くの」
「そっか……」
普賢は静かに頷いた。
「急いで行かなきゃいけないんだね」
「うん。だから、ちゃんと挨拶できなくてごめんね」
「謝らなくていいよ」
普賢は穏やかに微笑んだ。
「鈴ちゃんが自分で決めたことなんでしょ?」
「……うん!」
花鈴は力強く頷いた。
「それなら、僕が止める理由はないよ」
その言葉に、花鈴はほっとした。
けれど、普賢は少しだけ表情を引き締めた。
「ただし、無理はしないこと。誰かを守ろうとするのは鈴ちゃんのいいところだけど、自分のこともちゃんと大切にしてね」
「私のことも?」
「うん。鈴ちゃんが傷ついたら、心配する人だっているんだから」
花鈴は目を瞬かせた。
自分が誰かを心配することはあっても、自分のことを心配してくれる人がいる。
そんな当たり前のことを、改めて教えられた気がした。
「……ありがとう、普賢様」
花鈴は笑った。
「ちゃんと気をつけるね!」
「うん。約束だよ」
普賢も微笑み返した。
花鈴は、ふと思い出したように尋ねる。
「そうだ、木吒くんは?」
「今は出かけているよ。戻ったら、僕から伝えておくね」
「そっか……。木吒くんにも、帰ってきたらちゃんと話さなきゃ」
「きっと分かってくれるよ」
「うん!」
花鈴は元気よく頷いた。
そして、出発しようとしたところで、もう一度普賢を振り返った。
「普賢様!」
「なあに?」
「帰ってきたら、またお話ししようね!」
普賢は少し目を細めて、優しく笑った。
「もちろん。人間界で何があったのか、たくさん聞かせてね」
「うん! 約束だよ!」
花鈴は嬉しそうに手を振ると、今度こそ天化のもとへ駆け出した。
その背中を、普賢は静かに見送った。
無事に帰ってきてほしい。
そして、またいつものように笑っていてほしい。
それが、普賢の願いだった。
花鈴は走りながら、一度だけ振り返った。
まだそこにいる普賢の姿が見える。
その笑顔を見て、花鈴は不思議な気持ちになった。
また会えると分かっているのに、もう一度会いたいと思ったのだ。
「……変なの」
小さく呟き、花鈴は前を向いた。
その気持ちが何なのか、今の彼女にはまだ分からなかった。
*
臨潼関。
殷を離れ、西岐を目指す黄飛虎一族の行く手を、妲己の手先である妖怪仙人が阻んでいた。
そのうえ、黄飛虎の父である黄滾を、人質として捕らえられていた。
「親父……!」
黄飛虎は、関所の門の下から、捕らえられた父を見上げた。
黄滾は長年、武人として殷に仕えてきた男である。
息子が造反した今、自分の身がどうなろうと構わない。
それよりも、若い者たちには生きて、自分の道を進んでほしかった。
「飛虎……!」
黄滾は息子たちを見下ろし、声を張り上げた。
「私のことはいい……若いお前たちは、自分の思う道を進むのだ!!」
「親父!」
黄飛虎が叫ぶ。
だが、黄滾を捕らえている敵は、彼を人質にして黄飛虎たちを威圧していた。
父を見捨てて進むことなどできない。
しかし、助けようとすれば、父の命が危うくなる。
黄飛虎たちは動けずにいた。
そのとき――。
「盛り上がっちゃってるねぇ。俺っちも混ぜてもらえっかい」
場違いなほど明るい声が、関所の上から響いた。
「何だ!?」
敵が顔を上げる。
次の瞬間、青白い光が走った。
天化の手に握られた宝貝、莫邪の宝剣が、敵を一閃する。
「ぐああああっ!!」
黄滾を捕らえていた敵が、封神の光に包まれて消えていった。
「なっ……!」
もう一人の敵が、驚いて振り返る。
「誰だテメエ!!!」
天化は宝剣を肩に担ぎ、にやりと笑った。
「俺っちは黄飛虎の次男。天化ちゅーんだ」
「天化!?」
黄飛虎が驚きの声を上げた。
まさか、修行に出していた息子がここに現れるとは思ってもいなかったのだ。
「何!?」
敵が声を荒らげる。
だが、天化はそんな相手など気にも留めず、関所の下にいる父へと顔を向けた。
「よぉ、親父。元気にしてたかーっ? ずいぶんフケたなーっ!! だははは!」
黄飛虎は呆れたように声を上げた。
「うるせーっ!」
突然の再会に驚きながらも、久々に見る息子の姿に目を見張る。
敵は、そんな天化の様子を見て思った。
ーーこいつバカか!? 戦いの最中に敵に背を向けるとは!!ーー
天化はケラケラと笑い続けていた。
けれど、敵への警戒は怠っていない。
敵が動いた瞬間、天化はばっと頭上へ飛び上がった。
敵の頭上を越え、その背後へと回り込む。
そして、着地と同時に――。
ドスッ!
莫邪の宝剣が振り下ろされ、敵を両断した。
敵の姿が光となって消えていく。
天化は宝剣を軽く振り、何事もなかったかのように笑った。
「へへっ!」
*
敵を倒した天化は、関所の上から下を見下ろした。
そこには、父の黄飛虎をはじめ、一族の者たちが集まっている。
天化は迷わず、そのまま関所の下へと飛び降りた。
「よぉ、親父!」
黄飛虎たちの前に、軽やかに着地する。
「天化!」
黄飛虎が、改めて息子の名を呼んだ。
驚きと喜びが入り混じった顔だった。
久しぶりに見る息子の姿。
こうして再会できたことが、何よりも嬉しかった。
*
一方、花鈴は関所の上に残っていた。
黄滾を捕らえていた敵は、すでに天化が倒している。
花鈴は黄滾のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
黄滾の身を縛っていたものを確かめ、花鈴は手早く拘束を解く。
黄滾は、突然現れた少女に目を見開いた。
「おぬしは……?」
「花鈴です! 天化くんと一緒に来ました。今、助けますね!」
花鈴は黄滾を支えながら、関所の下へ続く道を案内した。
「足元に気をつけてくださいね」
「うむ……世話をかけるな」
「気にしないでください!」
花鈴は笑顔で答えた。
戦いは終わった。
けれど、まだ安心はできない。
追手がいつ現れるか分からないのだ。
花鈴は周囲を警戒しながら、黄滾と共に関所を下りていった。
*
関所の下では、黄飛虎たちが天化との再会を喜んでいた。
「よく帰った……だが……」
黄飛虎の表情が曇る。
天化は、その意味をすぐに察した。
「おふくろと叔母さんのことか?」
「ああ……」
短い返事の中に、言葉にできない悲しみがにじんでいた。
天化はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。
「できた人たちだった……俺っち、絶対、妲己を許さねぇかんね!」
その声には、普段の明るさとは違う強い決意がこもっていた。
黄飛虎は息子を見つめ、静かに頷いた。
「そうか……」
そのとき、関所の方から声がした。
「皆さん、お待たせしましたー!」
黄飛虎たちが振り返る。
花鈴が、黄滾を連れてこちらへ向かってきていた。
「親父!」
黄飛虎はすぐに駆け寄り、父の無事を確かめた。
「飛虎、心配をかけたな」
「無事だったか、親父!」
黄滾は穏やかに笑い、黄飛虎の肩に手を置いた。
花鈴も、ほっと胸を撫で下ろした。
黄飛虎は父と息子たちを見回した。
離ればなれになっていた一族。
殷を離れた今、これから先も厳しい道のりが待ち受けているだろう。
それでも今、こうして家族が再び顔を合わせることができた。
「これで久々に一族が揃ったな!」
黄飛虎の声に、天化も笑顔で頷いた。
「おう! これからは俺っちも一緒さ!」
花鈴は、そんな一族の姿を嬉しそうに見つめていた。
危険を承知で助けに来た天化。
自らを犠牲にしてでも、若い者たちを守ろうとした黄滾。
そして、家族が再び揃ったことを喜ぶ黄飛虎。
大切な人を守りたい。
その思いは、きっと誰もが同じなのだ。
花鈴は、そっと両耳の宝貝に触れた。
まだ、自分にできることは多くない。
それでも――。
誰かが助けを必要としているとき、手を差し伸べられる自分でありたい。
そう思いながら、花鈴は天化たちと共に、西岐へ続く道を見つめた。