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第一部 第七話 こわがりなウサギは、キツネさんに聞いてみたい

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第一部 第七話 こわがりなウサギは、キツネさんに聞いてみたい

黒服の前で、先生はシッテムの箱を持ち直した。装填されているのは一枚だった。

隣に座るシロコへ向き直る。

”一度、君に使って確かめたい。ただ、ミカの時は身体を守る力まで落ちた。力が戻っても、その間に出来た傷は残っていた”

「ん。聞いてた」

”何も起きないとは約束出来ない。それでも、いいかな”

シロコは銃を机に置き、袖を上げた。

「ここなら、撃たれることはない。先生もいる」

先生は頷き、エンブレムに触れた。

取り出した白い一枚を、差し出されたシロコの前腕へ押し当てる。

手を離すと、端が浮いた。

落ちかけたそれを受け止め、先生はもう一度、肌へ当てた。ミカの時のような、この面が勝手に吸い付きにいったような感触がない。

「何も変わらない」

シロコが手を握り、開いた。

黒服は手元の計器を見てから、彼女へ顔を向けた。

「こちらでも、神秘への作用は観測出来ていません」

”シロコには反応しなかった、ということだね”

「彼女が認識を失っていないためか、彼女自身の性質によるものか。今の結果だけでは決められません」

先生は白い面を手のひらへ戻した。

使わずに三分が過ぎれば消える。箱へ戻せるわけでもない。

「先生。私が持って、自分で当ててみてもいい?」

”うん。何か変わったら、すぐ教えて”

シロコが差し出した手へ、白い一枚を渡す。

先生の手が離れても、その形は残っていた。シロコが指でつまみ、腕へ向けて持ち上げた瞬間、端からほどけた。

細かな光が指の間を抜け、消えていく。

「……消えた」

先生は時計を見た。取り出してから、まだ三分は経っていない。

シロコの指にも、腕にも、白いものは残っていなかった。

”私が持っていた時は、何ともなかったのに”

「受け取って、動かしたら消えた」

黒服が計器から顔を上げる。

「肌へ当てても反応しなかったこととは、分けて考えるべきでしょう。消失したのは、持ち手が変わった後です」

”私以外が扱うと、使えなくなるのかもしれないね”

先生は空になったシロコの手を見た。

”誰かに渡して、代わりに貼ってもらうのは避けよう。今は、私が直接使うしかない”

シロコが頷く。先生は箱を、彼女が用意してくれた充電器へ再び繋いだ。画面に充電の表示が灯る。装填数はゼロになっていた。

先生がエンブレムへ触れると、小さな窓が開いた。

文字は潰れ、意味をなしていない。下に並んだ「Y*S」と「*O」だけが読めた。

”……今度は何だろう”

「先生、それは?」

”空になってから触るのは、初めてだ。何かを確認しているみたいだけど”

シロコが身を寄せて画面を覗いた。先生は「*O」を押した。窓が閉じ、ゼロの表示に戻る。

”充電が終わるのを待とう。それから、この操作で何が起きるか確かめたい”

待つ間、先生は黒服から受け取った地図を広げた。トリニティとシャーレの位置へ、順に指を置く。

――シロコは、私を先生だと分かってくれた。他にも、そういう生徒がいるのかもしれない。

だが、いるかどうかも分からない相手を探している間に、あの二人に何かあったら。

先生は浮かびかけた考えを脇へ追いやり、地図へ視線を戻した。

”二人とも助ける。ただ、同時には行けない”

「ミカの脚は?」

”気になっている。あのまま歩かせたくなかった”

血の染みたタオルを思い出す。出口を開けてくれたミカに、手当てを受けてほしいと言うことしか出来なかった。

”でも、トリニティにはナギサとセイアがいる。私のことを信じてもらえなくても、ミカの傷を放っておく二人じゃない”

指をシャーレへ戻した。

”ワカモのそばにいるのは、素性も分からない相手だ。何をするつもりなのか、見当がつかない”

「先に、ワカモを連れ出す?」

”そうしよう。ミカの様子も、確認する手段を探したい”

やがて電池の表示が百パーセントになった。

先生は充電器を外し、もう一度エンブレムへ触れた。同じ文字化けした窓が開く。

”押すよ”

シロコが頷く。黒服が計器へ目を落とした。

先生は「Y*S」を押した。

画面が切り替わり、エンブレムが明滅した。黒服の時計で十秒。光が落ち着くと、装填数が一枚になっていた。

電池残量は四十パーセントだった。

”一枚、出来た……?”

「十秒です。電池は六十パーセント分、減っています」

先生は二つの数字を見比べた。今度はエンブレムへ触れず、充電器を繋ぎ直す。

”待たずに作れる代わりに、電池を使うのか。この一枚は残しておこう”

「もう一枚は?」

”通常の生成を待とう。二枚揃う時刻を見て、出発を決めよう”

充電の印が点いたことを確かめ、先生は箱を机に置いた。

”次は、シャーレだ”

* * *

前日、ミカ様が私達、救護騎士団の医療施設へと運ばれた日のことだった。

診察台の脇に、血のついたタオルとネクタイが置かれていた。

運ばれてきた際に傷を押さえ直し、痛みを和らげる処置をした。今は検査の結果を待ちながら、脚の状態を確かめている。

「触りますね。痛かったら言ってください」

「……うん、セリナちゃん。お願い」

ミカ様の指が、シーツを掴んだ。

少し脚の向きを変えただけでも、眉が寄る。ほかの被弾箇所とは、明らかに様子が違っていた。

「これ、来るまでずっと巻いていたんですね」

タオルへ目を向けると、ミカ様が頷く。

手近な布を畳み、傷を押さえ、ずれないように留めてある。十分な道具もない場所での処置として、血を止めようとする配慮があった。

「手当てをしてくれた方がいたんですね」

「先生だよ」

私は顔を上げた。

「……シャーレで、ですか?」

「違う。教会で。今、みんなが追いかけてる人」

私はタオルを見直した。

あの強奪犯が、逃げる前にこれを巻いたのだろうか。

「私が撃った弾が跳ねて、脚に当たったの。それなのに、先生、自分のタオルで押さえてくれて」

ミカ様はそこで息を継いだ。

「ナギちゃんとセイアちゃんにも話したんだよ。二人とも、すごく心配してくれた。座ってていいって。ゆっくりでいいから、って」

「お二人に、お会い出来たんですね」

「うん。でも、最後まで話しても……もう大丈夫だから、私達があなたを元に戻してあげるからって」

シーツを掴んでいた手が、ほどけた。

「まるで私がおかしくなったみたいな言い方で失礼しちゃう。それに、先生はまだぜんぜん大丈夫じゃないのに」

私は返事を探した。

ミカ様がこちらを見る。

「あっちこそ本物の先生なの。セリナちゃんも、会えば――ううん、私も最初は分からなかった。でも、本当に」

傷を押さえた人。

ミカ様が先生と呼ぶ、追われている人。

もしもその人が本当の先◻︎なら、シャーレにいる◆は、私達が先※と呼んでい▧人はいった――

――――いいえ。手当てをしてくれたことと、その人が先生であることは、別の話です。

ミカ様がその方を信頼したくなるのは分かります。追われている最中にも、怪我をした自分を助けてくれたのですから。

けれど、その親切だけで、誰なのかまで確かめられたわけではありません。

「……手当てをしてくださったことは、分かりました」

「それだけじゃなくて」

戸口で検査結果を受け取り、私は画像を確認した。太ももの中に、弾が残っている。

「ミカ様。脚の中に弾が残っています。摘出の手配をしますね」

「セリナちゃん」

「お話は、また伺います。今は傷の処置を進めさせてください」

ミカ様の唇が動き、それから閉じた。

私は掛け物を整えた。脚に触れないよう、端を少し浮かせる。

「これ、捨てないで」

ミカ様がタオルとネクタイを見ていた。

「返さなきゃいけないから」

「はい。取っておきますね」

名前を書いた袋へ二つを収める。

ミカ様はそれを見届けて、枕へ頭を戻した。

私は手配を急ぐため、病室を出た。

* * *

廊下で待っていた団長へ、傷の状態と摘出の手配を報告した。

「最初の応急処置は、傷を押さえるようにされていました。ミカ様のお話では、手当てをしたのは例の強奪犯だそうです」

「本人から聞いたのですね」

「はい。処置をしたところを、私が見たわけではありません」

団長は病室の扉へ目を向けた。

「その強奪犯とやらが何者で、先生の私物まで盗んで何を狙っているのかは分かりません。しかし…少なくとも、負傷者を放置して立ち去ったわけではないと」

私は頷いた。

「まずはミカさんの治療を優先します。事情を聞きに来る方にも、そのように伝えてください」

「はい」

団長が廊下を空けてくださった。

私は処置の準備をするため、足を速めた。

* * *

翌日、地下の収容区画へ降りる前に、私は無線を取った。

「こちらRABBIT4。これよりRABBIT3と共に、確保対象の容態を確認します」

先生のそばにはミヤコちゃんとサキちゃん。私とモエちゃんは、拘束中の狐坂さんの状態確認だ。

「……頭痛は、続いていますか」

私が声をかけると、椅子に座った狐坂さんが顔を上げた。

手首の拘束具が、小さく鳴る。

「ええ。おかげさまで」

額には汗が浮いていた。昨日、三人で押さえた時にも、ひどく苦しそうだった。

モエちゃんが記録用の端末を持ち上げる。

「悪化してるなら、もう一度伝えるけど」

「その前に、あなたにお聞きしたいことがあります」

狐坂さんはモエちゃんを見ていた。

「昨日の、お返事はいただけました?」

「……何の?」

「住民の避難ですわ」

モエちゃんの指が止まった。

「わたくしがD.U.へ火を放つとして、そこに住む方々を、どうするのか」

「ええっ、ほ、放火……!?」

声が大きくなってしまった。慌てて口を閉じ、モエちゃんを見る。

「そ、そんな話があったの……?」

「この人が、もし犯人を炙り出すために放火するなら、って持ち出したんだよ。実際に火をつけたわけじゃない」

「それで、先生は……」

「必要ならやっていいって。先にエリアを報告するように、とは言ってた」

私は狐坂さんを見た。

俯きかけた顔が、ゆっくり上がる。

「責任は取る、とも仰いましたわね」

「……言ってた」

「あなたは、その場で避難についてお尋ねになった」

狐坂さんの息が詰まった。

拘束された両手が持ち上がり、途中で止まる。こめかみへ届かない指が曲がった。

私は一歩近づきかけ、足を止めた。

「無理に、話さなくても……」

「返事を、聞きたいだけです」

モエちゃんは端末を下げた。

「……聞いてないよ。あの後、あんたが撃ったから」

「わたくしが撃つ前にも、お答えにはならなかったでしょう」

廊下の換気音が聞こえた。

モエちゃんはしばらく黙ってから、口を開いた。

「そうだね。その時も、返事はなかった」

私は隣室で機材を整理していた。銃声を聞くまで、そんな話をしていたことさえ知らなかった。

「でも、先生に銃を向けていい理由にはならない。ミヤコにも当てたでしょ」

モエちゃんの声が低くなる。

狐坂さんは目を閉じた。何度か息をして、また開いた。

「あなた方が発砲を止めたことと、あの問いに答えがなかったことは、別のお話ですわ」

私は銃の帯を握り直した。

先生を守るために飛び込んだ。あの時、そうする必要があったことは変わらない。

それでも、聞いてみたかった。

「ど、どうして……火をつけていいか、聞いたんですか……?」

狐坂さんの目が、私へ向いた。思わず肩が縮む。

「……あの方なら、お止めになるからです」

「止めて、ほしかったんですか?」

「ええ。誰かが傷つくから、やめなさいと。それだけで、よかったのです」

確かに、そうだ。

誰かが傷つくなら、先生は止めてくれる。私だって、そう答えてくれると思う。

それなのに、火をつけてもいいと言った。

私の知っている先生が、そんなことを言うだろ※か。

あの人は、本当▧に、私達の先◆※――

(※◻︎―ジリ、ッ)

――――そうか。先生は、狐坂さんが本当に火をつけるつもりではないと分かっていたんだ。

モエちゃんも、仮定の話だったと言っていた。だから、本気で止める必要はなかった。

狐坂さんは叱ってほしかった。でも、先生にはそれが伝わらなかったのかもしれない。

隣でモエちゃんが端末を持ち直した。

狐坂さんは再び俯いていた。膝の上で、指先だけが震えている。

――でも、それなら。

モエちゃんが聞いた避難のことには、どうして答えなかったんだろう…?

状態を記録し、次の確認時刻を伝える。扉を閉めて施錠を確かめてから、私は無線を取った。

ミヤコちゃんへの報告を行う。

「こちらRABBIT4。確認、終わりました。配置へ戻ります」

* * *

10月12日…この日行われた緊急対策会議には、シャーレと連邦生徒会、ヴァルキューレの担当者が出席した。机には、トリニティから届いた報告書も並んでいた。

「シッテムの箱を持ち去った容疑者は、現在も逃走中です。聖園ミカさんによる逃走幇助については、現場の隊員から証言が得られています」

七神リンが資料を一枚めくった。

「狐坂ワカモさんはシャーレ執務室で発砲。現在、同施設の地下で拘束されています。ただし、容疑者との接触は確認されていません」

「二人の行動を、同じ原因によるものと判断出来ますか」

リンが報告書から顔を上げ、担当者へ尋ねた。

「心理的な干渉を受けた可能性はありますが、現時点では推測です」

先生の席に座る男が、机へ両手を置いた。

「可能性が残るなら、接触する生徒にも知らせておくべきでしょう。単独での接触を避け、言動も記録してください」

担当者が頷き、通達案へ書き加えた。

「容疑者の呼称も統一しましょう。各所で表記が分かれています」

リンが通達案の見出しを示した。

「〈逃走犯〉では、ほかの事件と区別がつきません」

「先生のフリまでしてるんでしょ? じゃあ、インポスターとかでいいんじゃない?」

由良木モモカが、手元の資料から顔を上げた。

先生の席に座る男は、報告書へ指を置いた。

「誰が本物かを争っているような呼び方は、避けましょう。確認されているのは、私の箱を奪い、逃走しているということです」

「んー、そっか。じゃ、先生の案は?」

「私が愛用していた品。そしてそれ以上に大切な生徒を、洗脳によって奪い取るもの、スナッチャー。捜査と警備では、以後、その呼称を使ってください」

「承知しました」

男は更に続ける。

「私は一刻も早い事件の解決を望みます。身柄確保に繋がる有力情報に懸賞金を出すことにします。よろしいですね?」

「はい。シャーレ名義の予算であれば我々としては問題はありません」

リンが頷き、担当者へ向き直った。

「呼称は〈スナッチャー〉で統一します。各機関への通達には、容姿および確認された行動を併記してください。呼称だけが先行し、現場で混乱を招くことのないように」

画面上の見出しが書き換えられた。

関係機関への通達が承認され、報道向けの発表文にも、同じ呼称が入力された。

生徒を洗脳する脅威の存在、スナッチャー。

身柄確保に繋がる有力情報に、報奨金を最大1,000万円。