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三十八話

Is レイヴンズ・レゾナンス — www.pixiv.net · All chapters

三十八話

旅館の大広間に六人が正座していた。一夏、箒、セシリア鈴音、シャルロット、ラウラ。全員が目の前に立つ千冬の前に頭を下げている。千冬の表情は、氷のように冷たかった。

「独断行動、とはどういうことだ」

その声は、静かだった。だがその静けさの中にこそ、千冬の怒りが込められている。一夏は、思わず身を縮めた。

「勝手に作戦を開始し、勝手に突っ込み、挙句の果てに一人で突撃した挙句、倒れて帰ってくる。お前たちは、自分の立場が分かっているのか」

ぐうの音も出なかった。確かに、一夏たちは千冬の指示を待たずに銀の福音へと戦いを挑んだ。結果として、ナターシャを保護することはできたが、その過程で一夏は聖天月華の反動で倒れ、箒たちも危険な目に遭った。

「弁解はあるか」

千冬が聞く。一夏は、顔を上げた。

「ありません。全部、俺が悪いんです。俺がもっと早く動けていれば……」

「一夏」

箒が、横から口を挟もうとする。だが、一夏は首を振った。

「箒。俺が、先走ったんだ。みんなを危険な目に遭わせたのは、俺の責任だ」

一夏の言葉に、箒は唇を噛みしめた。セシリアも、鈴音もシャルロットも、ラウラも何も言えなかった。確かに、一夏が先に動いた。だがそれに続いたのは自分たちだ。誰も、止めなかった。

「……三十分だ」

千冬が、静かに言った。

「そのまま、三十分間、ここで正座していろ。自分のしたことの重さを、噛みしめるんだな」

そう言って、千冬は大広間の襖を閉めた。残された六人は、黙って正座を続けた。時計の針が、ゆっくりと進んでいく。一夏は、自分の膝の上で拳を握りしめていた。痛みは、どこか遠くに感じられた。それよりも、自分の未熟さが悔しかった。

(俺は、まだ、何も分かっていない)

頭の中の声が、聞こえた気がした。だがその声は、何も語らなかった。ただ静かに、一夏の心の奥底で息を潛めている。

---

三十分後、襖が開いた。千冬が静かに大広間に入ってくる。その隣には、摩耶が立っていた。摩耶は穏やかな笑みを浮かべている。

「もう、そのくらいにしましょう」

摩耶が、千冬を宥めるように言った。千冬は、少しだけ眉をひそめたがやがて、小さく息を吐いた。

「……分かった」

千冬は、六人の前に立った。その表情は、先ほどよりもいくらか柔らかくなっている。

「お前たち、全員無事に戻ってきたこと。それだけは、褒めてやる」

その言葉に、一夏は、はっと顔を上げた。千冬は続ける。

「ナターシャ・ファイルスの保護。銀の福音の停止。結果だけを見れば、上出来だ。だが次からは、必ず連絡を入れろ。分かったな」

「はい!」

六人の声が、揃った。千冬は満足そうに頷いた。そして、摩耶に視線を向ける。

「摩耶。診察を頼む」

「はい。では、一人ずつ、診ていきますね」

摩耶が、そう言って、大広間の中央に椅子を置いた。一夏は、立ち上がった。正座で痺れた足を、少しだけ引きずりながら廊下へと出る。他の五人も、それぞれの場所で待つことになった。一夏は、廊下の壁に背を預けて天井を見上げた。しばらくすると、摩耶の診察が始まったようだった。セシリアの声が、遠くから聞こえてくる。一夏は、目を閉じた。

(そういえば……)

夢のことを、思い出していた。白い少女。もう一人の自分。炎の鳥。そして、開放されたあの情報の奔流。

(あの声に、聞いてみよう)

一夏は、心の中で、呼びかけた。

(おい。聞こえるか)

しばらく、沈黙があった。そして声が、聞こえた。低く、静かな声。

(ああ。聞こえる)

(夢のことを、聞きたい。もう一人の俺。あれは、何なんだ)

声は、少しだけ、間を置いてから答えた。

(まだ、その時じゃない)

(また、それかよ)

一夏は、少しだけ、苛立った。

(お前は、いつもそうだ。何も教えてくれない)

(知るべき時に知る。それが、お前のためだ)

(俺のため……?)

一夏は、目を開けた。天井の木目がぼんやりと見える。

(俺は、これから、どうなるんだ)

声は、しばらく、沈黙していた。そして静かに、言った。

(それは、お前が決めることだ。俺たちはただ、お前の中にいる。お前がどう生きるか。それを見守っているだけだ)

(見守る、だけ……)

(ああ。だが、一つだけ言っておく)

一夏は、耳を澄ませた。

(お前は一人じゃない。仲間がいる。それを忘れるな)

その言葉は、どこか、温かかった。一夏は小さく、笑った。

(分かってるよ)

声は、それきり、聞こえなくなった。一夏は廊下の壁に、背中を預けたまましばらく、天井を見上げていた。これから、自分はどうなっていくのだろう。銀の福音の謎。ナターシャの件。そして、自分の体の中に眠る何かの記憶。分からないことばかりだ。だが、それでも。

(仲間がいる)

その事実が、一夏の心を、少しだけ軽くしていた。やがて、廊下の向こうから摩耶の声が聞こえた。

「一夏くーん。診察、始めますよー」

「あ、はい。今、行きます」

一夏は、壁から背中を離して歩き出した。まだ、足の痺れは少しだけ残っていた。

―――

夕食が終わった後の旅館は、どこか落ち着かない空気に包まれていた。昼間の戦いの余韻がまだ館内のあちこちに漂っている。廊下ですれ違う生徒たちの声も、どこか潛めたような響きがあった。一夏は、特に目的もなく廊下を歩いていた。満月が、窓の外に大きく浮かんでいる。その光が廊下の床板に白い影を落としていた。昼間の喧騒が嘘のように、夜の旅館は静まり返っている。一夏は、自分の足音だけが響く廊下をゆっくりと歩いていた。

(箒は、どうしてるかな)

そんなことを、ふと思った。今日の戦いで箒はよく戦った。紅椿を駆り、銀の福音の第二形態相手に互角以上に渡り合っていた。あの集中力と剣技は、一夏には真似できないものだ。だが、その分無理もしていたはずだ。正座の時も、箒はどこか気を張っているように見えた。

(後で、声をかけよう)

そう思いながら廊下の角を曲がった時だった。

「あ」

不意に、声が聞こえた。一夏が顔を上げると、そこに箒が立っていた。紺色の浴衣を着て、髪をいつものポニーテールにしている。手には、小さな巾着袋を持っている。どうやら、売店にでも行くところだったらしい。箒も、一夏の姿を見て少しだけ目を丸くした。

「一夏。こんなところでどうした」

「ああ。ちょっと、歩いてただけ。箒こそ」

「私は……その、少し小腹が空いてな」

箒は、そう言って少しだけ頬を赤らめた。その姿が、なんだか普段の凛とした彼女とは違って見えて、一夏は思わず笑みを漏らした。

「笑うな」

「いや、ごめん。なんか箒らしいなって」

「何がだ」

箒は、少しだけむくれたように言った。だが、その口調はどこか柔らかい。二人は、並んで廊下を歩き始めた。満月の光が、窓越しに二人を照らしている。

「なあ、箒」

「何だ」

「今日は、ありがとうな。箒がいてくれなかったら、俺、もっと早くやられてた」

「何を言っている。お前が来なかったら、私だってどうなっていたか分からない」

「そうか?」

「そうだ。お前のあのタイミングでの登場。あれがなければ、私たちは全滅していたかもしれない」

箒は、そう言って少しだけ目を細めた。

「お前の馬鹿さには、毎度毎度振り回される。だが……」

「だが?」

「その馬鹿さに、救われることもある。今日のことを、私はそう思っている」

一夏は、その言葉に少しだけ照れた。箒にこんなふうに素直に褒められるのは、珍しいことだ。

「なんだよ、急に」

「別に。ただの感想だ」

箒は、そう言って窓の外の満月に目を向けた。一夏も、つられて空を見上げる。満月が、旅館の屋根の向こうに大きく輝いていた。しばらく、二人は無言で歩いた。風が廊下の窓から入り込んでくる。どこか、潮の匂いが混じっていた。

「そういえば」

一夏は、ふと思い出したように言った。ポケットの中で、ずっと持っていたものがある。それは、小さな包みだった。白い紙で包まれた、手のひらサイズのもの。

「これ、箒に」

一夏は、そう言って包みを箒に差し出した。箒は、少しだけ怪訝そうな顔でそれを見た。

「何だ、これは」

「誕生日プレゼント。遅くなってごめん。色々あって、渡すタイミング逃してた」

箒の誕生日は今日だった。だが、銀の福音の一件で旅館全体が慌ただしく、一夏もすっかり渡しそびれていたのだ。箒は、一夏の手の中の包みを見つめたまま、少しだけ固まっていた。

「……覚えていたのか」

「当たり前だろ。箒の誕生日だぞ」

「そうか……」

箒は、少しだけ声を詰まらせた。そして、ゆっくりと包みを受け取った。白い紙を、丁寧に開く。中から出てきたのは、白いリボンだった。シンプルな、しかし上質な絹でできたリボン。月明かりに照らされて、ほのかに光を帯びている。

「リボン……」

「うん。箒、いつも髪結んでるだろ。だから、これがいいかなって」

「これを……私に?」

「うん。気に入らなかったら、無理に使わなくてもいいけど」

「馬鹿者」

箒は、少しだけ強い口調で言った。

「気に入らないわけがないだろう。お前が、私のために選んでくれたものだ。使わない理由があるか」

そう言って、箒は自分の髪に手を伸ばした。今つけている紺色のリボンを、丁寧に外す。そして一夏からもらった白いリボンを手に取り、髪を結び直した。白いリボンが、月明かりの下でひときわ美しく映える。箒は、少しだけ照れくさそうにしながら、一夏の方を向いた。

「ど、どうだ。似合うか?」

その声は、少しだけ震えていた。一夏は一瞬、言葉を失った。白いリボンをつけた箒は、いつもと少し違って見えた。凛とした美しさの中に、ほんの少しの柔らかさが加わったような。そんな気がした。

「すごく、似合うよ」

一夏は、そう言った。心からそう思った。箒は、一夏の言葉を聞いてほっとしたように微笑んだ。

「そうか。なら、よかった」

その笑顔は、満月の光に照らされてどこか夢のように見えた。一夏は、そんな箒の姿をしばらくの間、ただ見つめていた。夜風が廊下を優しく吹き抜けていった。