LNCrawler

第25話:聖騎士エリザ・ローレンス

極悪貴族、謙虚堅実に無双する~原作知識と固有魔法<虚空>を駆使して、破滅エンドを回避します~ — kakuyomu.jp · All chapters

第25話:聖騎士エリザ・ローレンス

エリザは孤児だった。

親の名前は知らない。

物心付く前に王都の裏路地へ捨てられたからだ。

文字の読み書きは、ゴミ捨て場で拾った教本で学ぶ。

随分と古いモノだったため、堅苦しい言葉遣いが身に付いてしまった。

しかし、本人は気にしていない。

意思の疎通が取れれば十分、そういう考えの持ち主だった。

聖暦1007年。

当時まだ七歳のエリザは、ゴミ箱を漁って残飯を 貪 ( むさぼ ) る。

どこかの店で働こうと思い、何度か店の扉を叩いたこともあったのだが……。

クライン王国には労働の基準を定めた法律があり、十歳に満たない児童の使役は禁じられている。

そのため、どこも門前払いだった。

エリザは仕方なく、残飯を漁って 飢 ( う ) えを 凌 ( しの ) ぎ、 雨露 ( あめつゆ ) で喉の渇きを 潤 ( うるお ) す。

たとえどれだけ空腹に 喘 ( あえ ) いでも、盗みは絶対に働かない。

彼女は強い『正義感』の持ち主であり、その『高潔な精神』が決して悪事を許さなかった。

(ふむ、今日は当たりだな)

珍しく綺麗な食パンを一切れ手に入れたそのとき、視界の端に小さな 仔犬 ( こいぬ ) が映る。

路傍 ( ろぼう ) に置かれたバスケットの中にちょこんと座っており、横の小さな立て札には「拾ってください」と書いてあった。

「……お前も捨てられたのか?」

「くーん……」

「そうか、私と同じだな……。そうだこれ、一緒に食べよう」

「わふっ!」

今しがた手に入れた貴重なパンを半分に割り、仔犬へ分け与えた。

それからほどなくして――彼女の『唯一の友達』は、優しそうな家族に拾われていく。

(……よかったな、幸せになるんだぞ……)

エリザはその様子を物陰から見守り、お別れに小さく手を振ると――仔犬は「わふっ!」と鳴いた。

その夜は、久方ぶりに涙を流した。

再び時は流れ、

(……お腹、空いたな……)

巡り合わせが悪く、残飯の見つからない日々が続いた。

かれこれもう三日は何も食べていない。

育ち盛りの体に慢性的な栄養失調が重なり、誰もいない路地裏でバタリと倒れた。

(……そうか、死ぬのか……)

まるで他人事のようにそんなことを考えていると、

「――ほら、食え」

目の前においしそうなパンが差し出された。

小麦色のコッペパン。

カビてもなければ、 泥水 ( どろみず ) で濡れてもなければ、誰かの食べさしでもない。

正真正銘の店に売られているコッペパン。

「……っ」

エリザはゴクリと生唾を呑む。

「……いい、のか……?」

「いいから黙って食え」

些 ( いささ ) かぶっきらぼうな男だったが、そんなことは気にもならない。

「か、感謝する……ッ」

エリザは一心不乱に食し――喉を詰まらせた。

「ん、んぐ……っ」

「馬鹿、がっつくからだ」

男はそう言って、水の入った 瓢箪 ( ひょうたん ) を投げた。

エリザはそれを受け取り、すぐさま喉へ流し込んだ。

「んぐんぐ……ぷはぁ……っ」

雨露 ( あめつゆ ) 以外を飲んだのは、いったいいつぶりだろうか。

綺麗な水とは、こんなにおいしいものなのかと思った。

コッペパンを一瞬で平らげ、ホッと安堵の息をつくと――食事を恵んでくれた男が、ドッカリと目の前に座り込んだ。

五十代ぐらいだろうか、背が高く 恰幅 ( かっぷく ) のいい男だった。

「ガキ、名前は?」

「エリザ」

「親はどうした?」

「物心つく頃には、もういなかった」

「そうか」

「そうだ」

淡々とした会話が続いた。

「うち、来るか?」

「……えっ……?」

「働くってんなら、メシと寝床ぐらい用意してやる。付いて来い」

男は返事も待たず、クルリと 踵 ( きびす ) を返し、大股でズンズンと歩いて行く。

行く当てもないエリザが、後に付いていくと――小さな孤児院に辿り着いた。

「おい、帰ったぞ」

男がそう言うと、優しい顔の女性が出迎える。

「あら、お帰りなさ……あらあらあら! また可愛いらしい子を連れているじゃない! もしかしてこの子……」

「うちでしばらく面倒を見ることになった。適当に世話してやってくれ」

「えぇ、任せてちょうだい」

コクリと頷いた彼女は、中腰になってエリザと目線の高さを合わせる。

「私はダリア・ローレンス。あのちょっと不愛想な人は、ダン・ローレンス。夫婦で孤児院を開いているの。あなたのお名前、教えてもらえないかしら?」

「エリザだ」

「ありがとう、エリちゃんね。ようこそ、ローレンス家へ! 今日からここが、あなたの新しいお家よ!」

そうしてエリザは、『ダンダリア孤児院』に迎えられ、エリザ・ローレンスとなった。

ぶっきらぼうな旦那ダン・ローレンス、50歳。

おっとりとした優しい妻ダリア・ローレンス、48歳。

夫婦二人で運営する、非常に小規模な孤児院だ。

ちなみに……ダンダリア孤児院という名前は、二人のファーストネームを繋げた、非常に安直なものである。

一家の大黒柱たるダンは大工を 営 ( いとな ) んでおり、稼いだ金は全て孤児院の運営に回した。

子どもたちは日中、ときに遊び・ときに学び・ときに仕事を手伝い――楽しい毎日を送る。

もちろんエリザもその輪の中に入れてもらい、充実した毎日を送った。

「おいエリザ、将棋は指せるか?」

「『しょうぎ』……なんだそれは?」

「どれ、教えてやろう」

ダンは 殊更 ( ことさら ) にエリザのことを可愛がった。

若くして亡くした娘にそっくりだった――というのは、彼だけの秘密だ。

家族みんなで夕食を囲むとき、

「こらエリザ、箸の持ち方がなっておらんぞ。ここをこうして……こうじゃ」

「むぅ、難しいものだな……」

彼女が外で恥をかかないよう、しっかりと礼儀作法を教えた。

エリザがうっかり足を踏み外し、階段から落ちたとき、

「 痛 ( い ) っつつつ……っ」

「大丈夫か、怪我はないか!?」

「あ、あぁ、平気だ」

「ふぅ、そうか……気を付けろよ」

誰よりも早く駆け付け、その身を案じた。

近所の悪ガキ二人が、エリザに意地悪をしたとき、

「てんめぇクソガキども、うちの可愛いエリザに何しやがんだ! ぶち殺してやらぁああああああああッ!」

「ひ、ひぃいいいい……っ」

「ごめんなさぁああああい……っ」

鬼の形相でどこまでも追い掛け回した結果――聖騎士たちに補導された。

エリザが初めてコーヒーを飲んだとき、

「に、 苦 ( にが ) ぃ……なんなんだこの飲み物は……っ」

「がっはっはっはっ! エリザにコーヒーはまだ早かったようじゃな!」

心の底から楽しそうに笑った。

エリザが初めて「お父さん」という言葉を口にしたとき、

「ふむ……『お父さん』と呼ぶべきだろうか?」

「……ぐすっ……」

「……何故、泣く?」

「ば、馬鹿野郎お前……嬉しくなんかねーぞ、この野郎っ!」

彼女が引くほど、ボロンボロン泣いた。

あっという間に月日は流れ、十歳になったエリザは『洗礼の儀』で、< 銀閃 ( ぎんせん ) >を習得する。

「――< 銀閃 ( ぎんせん ) ・ 抜刀 ( ばっとう ) >」

白銀の剣閃が宙を舞い、目の前の木材が正確にカットされた。

「ほぉー、見事なもんじゃなぁ」

「エリちゃん、かっこいいわ! レジ、レジェ……とにかく、なんちゃらクラスの凄い魔法なのよね!」

<銀閃>の価値を知らないローレンス夫妻は、ただただ『凄い魔法』という認識だった。

エリザのこの力のおかげで、あらゆる木材が瞬時に加工され、大工仕事は 大捗 ( おおはかど ) り。

その結果、家族 団欒 ( だんらん ) の時間が増えた。

「なぁ知っとるかエリザ、この世界には『天空に浮かぶ大きな城』があるんじゃぞ?」

「本当か!?」

「う・そーっ!」

「……そこに直れ、三枚におろしてくれる」

「ま、待て待て冗談だ! 落ち着け、悪かった! < 銀閃 ( ぎんせん ) >は洒落にならんぞ!?」

ダンはよく冗談めいた嘘をつき、純粋なエリザはよくコロっと騙された。

そんな二人を見て、子どもたちは楽しそうに笑う。

みんなの笑顔を見て、エリザもまた嬉しそうに微笑む。

貧乏で豊かではないが、穏やかで幸せな毎日―― だった ( ・・・ ) 。

「あれはもしや……< 銀閃 ( ぎんせん ) >かっ!?」

『闇の大貴族』ヴァランの目に 留 ( と ) まるまでは……。

それはどんよりと曇ったある日のこと、

「――ど、どういうことだ!?」

ダンの手掛けていた大工仕事が、全て同時にキャンセルされた。

「す、すみません、ちょっとうちにもいろいろとありまして……」

「何故じゃ!? せめて理由を教えてくれ!」

「いや、その……本当に申し訳ない……っ」

僅 ( わず ) かばかりの違約金を残して、誰も彼も逃げるように去っていった。

闇の大貴族ヴァランから圧力が掛かり、みんな手を引かざるを得なかったのだ。

唯一の収入源を失い、ダンダリア孤児院の資金繰りは急激に悪化。

そこへ畳みかけるように、

「……ぅ、ぐ……っ」

ダンが心臓の病で倒れた。

彼は元々、それほど体が強くない。

孤児院の子どもたちを養うため、寝る間も惜しんで働き――寂しい思いをさせないため、休む間もなく全力で遊ぶ。

そんな毎日の疲労が蓄積し、病となって現れたのだ。

ダンはローレンス家の経済的・精神的な支柱、屋台骨を失った孤児院は一気に傾く。

このとき既に十歳を超え、王国の法定就業年齢に達していたエリザは、すぐさま外へ働きに出る。

無論、ダリアもそれに続いた。

二人は 昼夜 ( ちゅうや ) の 別 ( べつ ) なく、休むことなく、がむしゃらに働いた。

しかし、 女手 ( おんなで ) 二つで、孤児院を支えることは難しい。

家族全員の生活費に加えて、ダンの薬代まで必要となると……到底不可能だ。

ムードメーカーのダンは、寝室でほとんど寝たきり状態。

食事はどんどん質素になっていき、家の空気はどんよりと重い。

「ふぅ……私はもうお腹いっぱいだ。残りはみんなで食べるといい」

エリザはそう言って、半分以上の料理を残した。

自分の食事を子どもたちに分け与えることで、ひもじい思いをさせまいとしたのだ。

当然ながら、そんなものは『焼け石に水』である。

その後も孤児院の財政状況は悪化の一途を辿り、もはや首が回らなくなったところで――タイミングを見計らっていたかのように、ヴァランの息が掛かった 性質 ( たち ) の悪い『高利貸し』が訪れる。

「はいはいはい、ダリア様。えぇえぇえぇ、大丈夫ですよ、御心配には及びません。こちらは『リボルビング払い』と言って、毎月定額の返済を行うだけで――そうそうそう、仰る通りでございます。その御理解で間違いありません」

ダリアは言葉巧みに騙され、『泥沼の借金地獄』に沈められた。

利息ばかり払い続けることになり、元本は減らないどころか、法外な金利によって膨れ上がっていく始末……。

「ごめんなさぃ、ごめんなさぃ、ごめんなさぃ……っ」

まんまと罠に 嵌 ( は ) められたダリアは、来る日も来る日も謝罪の言葉を繰り返し――やがて心を壊した。

そうしてダンダリア孤児院が崩れたところへ、『闇の大貴族』が訪れる。

「はじめまして、儂はヴァラン・ヴァレンシュタイン。王国の辺境を治める、しがない貴族じゃ」

ヴァラン・ヴァレンシュタイン、当時75歳。

身長185センチ、中央で分けられた長い銀髪。

かつては絶世の美男子として、社交界を騒がせたその顔は、年と欲と 皺 ( しわ ) で醜く歪み……今や見る影もない。

その体は枯れ木のように細く、右手には歩行を補助する木の杖が握られ、黒い貴族衣装に身を包む。

元々は『 神技 ( しんぎ ) の剣聖』と 謳 ( うた ) われた大剣士だったのだが……。

天喰 ( そらぐい ) の呪いを受けて左足を負傷、その後は第一線を 退 ( しりぞ ) き、元より行っていた『裏家業』を本格化させる。

「……お前のような大貴族が、うちになんのようだ?」

本能的にヴァランを『悪』と見抜いたエリザは、冷たく応じた。

彼はそれを意にも介さず、淡々と要求を告げる。

「エリザ・ローレンス、お前の< 銀閃 ( ぎんせん ) >が欲しい」

「何を言っているのかわからないな」

「簡単な話じゃよ。エリザが儂のために働くというのであれば、この孤児院の借金を全て肩代わりしてやる。その働きぶり 如何 ( いかん ) によっては、資金援助を考えてやってもいい」

「……」

「今この場で判断しろとは言わぬ、じっくり考えるとよい。しかしまぁ……その間に孤児院が潰れてしまわぬといいがのぅ?」

ヴァランは邪悪に 嗤 ( わら ) い、自分の領地へ帰って行った。

その日、エリザは一人で 熟考 ( じゅっこう ) し――決断を下す。

(……やるしかない……)

ダンダリア孤児院は、既に火の車だ。

このままでは子供たちが、路頭に迷ってしまう。

自分の身を差し出すことで、孤児院を守れるのなら、大切な家族を守れるのなら――それでいいと思った。

そこから『地獄』が始まる。

「エリザ、お前を『聖騎士見習い』として捻じ込んでおいた。機を見て、奴等の捜査情報を持って来い」

「……わかった」

「エリザ、うちの経営する地下闘技場に出ろ。お前は顔と体がいい、華もある。客たちも喜ぶだろう」

「……わかった」

「エリザ、儂に暗殺者が差し向けられたらしい。しっかりとこれに対処しろ。万が一にも、失敗は許されぬぞ?」

「……わかった」

言われるがままに従った、従わざるを得なかった。

自分の命よりも大切なモノを守るため、強い正義の心も凛とした誇りも確固たる 矜持 ( きょうじ ) も捨てて、命令のままに動く。

しかしそれでも――『殺し』だけは絶対にしなかった。

その一線を踏み越えては、もう戻れない気がしたのだ。

「……まぁよい……」

ヴァランは腐り切った男だが、その審美眼は本物だ。

エリザの『ライン』を正確に見極め、そこにだけは口を出さなかった。

ヴァランにとっても、エリザは優秀なボディガード。

無茶な使い方をして、壊したくはない。

それから二年が経ったあるとき、

「――みんな、逃げるぞ! 今ならきっとなんとかなる!」

エリザは家族を連れて、ヴァランの手から逃げ出そうとした。

幸いにも、地下闘技場で稼いだ金がある。

血に汚れた汚い金だが……金は金だ。

これだけの大金があれば、王国の片田舎で三年は暮らせる。

その間になんとか生活を立て直せれば、と考えたのだ。

無論、すぐに追手が差し向けられるだろうけれど……。

その対策として、ヴァランの悪事を聖騎士協会に密告しておいた。もちろん、言い逃れのできぬ『確たる証拠』付きで。

これでしばらくは時間が稼げるはず、そう考えた。

「さぁ急げ! 奴等がこちらの動きに気付く前――」

「――エリザ、どこへ行くつもりだ?」

「……ヴァラン……何故、ここに!?」

ヴァランと聖騎士協会の上層部は、強い繋がりを持っていた。

『献金』という名の『裏金』で、固い絆を結んでいたのだ。

その後、エリザは薄暗い倉庫へ連れ込まれ、厳しい罰を受ける。

「なぁに舐めた真似してんだ、小娘がッ!」

「ふざけんじゃねぇぞ、ボケッ!」

「ヴァラン様に逆らって、タダで済むと思うなよッ!」

ヴァランの配下である若い男たちは、容赦なくエリザを痛め付けた。

「……う゛っ、ぐッ……」

殴られ蹴られ踏まれ、その体にいくつもの生傷ができたところで――ヴァランがようやく『待った』を掛ける。

「エリザ、儂は悲しいぞ……。何故こんな酷いことをするのじゃ。二人で上手くやれていたではないか」

「ふざ、けるな……っ。誰が、お前なんかと……ッ」

「そうか、残念じゃ」

ヴァランは芝居がかった動きで両肩を落とし、配下の一人に命令を飛ばす。

「おい、そこの。孤児院のガキを一人 殺 ( ばら ) して、ここへ持って来い」

その瞬間、エリザの顔が絶望に染まった。

「ま、待て、それは……それだけはやめてくれ。あの子たちには――私の家族には、手を出さないでくれ……ッ」

「はぁ……最近の若いのは、『謝り方』がなっておらんのぅ」

「……っ」

彼女は屈辱に奥歯を噛み締めながら、震える足でゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。

「ヴァラン 卿 ( きょう ) 、申し訳ありませんでした。もう二度とこのような真似はいたしません。 如何 ( いか ) なる罰をも受けますので、どうか孤児院には手を出さないでください……っ」

「ふむ、そこまで頼み込まれては仕方がないのぅ」

「……ありがとう、ございます……っ」

屈辱に震えながら、感謝の言葉を述べる。

「しかし、『罪には罰を』、だ。今後、ダンダリア孤児院への出入りを禁ずる。そうじゃな、孤児院の場所もどこか遠くへ移すとしよう」

「そ、そんな……っ」

「全てお前が悪い、儂を裏切るからこうなるのじゃ。まったく馬鹿な女よ。こんなことをしなければ、家族一緒に暮らせたものを」

ヴァランは醜悪に 嗤 ( わら ) い、その場から立ち去った。

「……くそ……っ」

首輪を 嵌 ( は ) められたエリザは、悔し涙を流しながら、耐え忍ぶことしかできなかった。

今ここで怒りに身を任せ、ヴァランの首を 刎 ( は ) ねることは容易い。

しかしそんなことをすれば、『王国の 好々爺 ( こうこうや ) 』を殺害した大罪人として、聖騎士によって断罪される。

その後、膨れ上がった『民意』という暴力は、エリザを輩出したダンダリア孤児院へ向かい……悲惨な結末を迎えるだろう。

だから、彼女は逆らえない。

煮え繰り返るような思いを押し殺し、ヴァランの身辺警護役として、憎き男の身を守り続けた。

そうすることしか……できなかった。

ヴァランのボディガードとして、悪事の片棒を担がさせられている間、エリザはこれまで以上に『正しさ』を求めた。

聖騎士の活動に尽力し、大勢の犯罪者を検挙した。

病的なまでに『正義』へ固執した。

自分の犯した過ちを別の正しさで清算しようとしたのだ。

そんなこと、できるはずもないのに……。

そうして正義と悪の板挟みにあった少女の心は、次第に 擦 ( す ) り切れていき――ゆっくりと壊れていった。

幾多の犯罪者を捕まえる過程で、<銀閃>は研ぎ澄まされ、その『強さ』こそが自分の『価値』だと誤認してしまった。

しかし、

「……ば、馬鹿な……っ」

敗れた。

二度も。

立て続けに。

一度目は、『神隠し』。

重罪人ばかりを誘拐する、正体不明の犯罪者。

【即効性の神経毒だ。安心しろ、殺しはしない】

【ふざ、けるな……!】

敵に情けを掛けられるどころか、その身を守られるという屈辱を味わった。

二度目は、ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。

怠惰傲慢を絵に描いたような男で、ハイゼンベルク家の次期当主。

【だから言っただろう、『勝負にもならん』と】

【ケホッ、カハッ、コホッ……】

圧倒的な実力差で、いとも容易く 捻 ( ね ) じ伏せられた。

エリザの『正義』は、二人の『巨悪』に敗れたのだ。

「私は……弱い……っ」

彼女の心を支えた最後の柱が、『強さ』という 拠 ( よ ) り 所 ( どころ ) が、音を立てて崩れていく。

それからほどなくして――レドリック魔法学校にて、 魔宴祭 ( まえんさい ) の決勝戦が始まった。

相手は『第三十一位』アレン・フォルティス。

序列こそ低いが、ここまで破竹の勢いで勝ち進んできた男、油断や慢心は禁物だ。

「ハァ!」

「フッ!」

「そこだッ!」

「なんの……っ」

二人の戦いは、 熾烈 ( しれつ ) を極めた。

本来であれば、エリザの圧勝に終わるはずだったのだが……。

先々代勇者ラウル・フォルティスの『勇者修業』によって、アレンの 膂力 ( りょりょく ) は大幅に向上しており、今や互角の 剣戟 ( けんげき ) を繰り広げるまでに至った。

しかしそれでも――ホロウの見立て通り、エリザの地力が上回る。

腕力でこそ、ややアレンに 後 ( おく ) れを取るものの……。

勝負を分けるのは、 伝説級 ( レジェンドクラス ) の固有魔法< 銀閃 ( ぎんせん ) >。

戦闘に特化したこの固有がある限り、エリザが一対一で敗れることはまずない。

ただそれは、彼女のコンディションが万全であった場合の話だ。

正義と悪の板挟みにあったエリザの心は、かつてないほどに摩耗しており、そこへ畳み掛けるように訪れた『屈辱的な二連敗』。

彼女のコンディションは、万全とは対極のところにあった。

(……アレン・フォルティス、私よりも遥かに序列が低く、未熟で粗削りな魔法士)

剣術・戦闘経験・固有魔法、総合的な実力は、エリザの方が遥かに上だ。

まともにやり合えば、彼女の勝利は固い。

(だが……真っ直ぐな剣だ。一本の『芯』が通っている)

アレンの剣は、綺麗だった。

その太刀筋には、一切の迷いがない。

(きっと私の剣は……醜く 歪 ( ゆが ) んでいるのだろうな……)

戦闘中にもかかわらず、彼女の心はどこか 浮いていた ( ・・・・・ ) 。

まるで迷子のようにふらふらふわふわと。

迷いは判断を鈍らせ、揺らぎは 刃 ( やいば ) を 錆 ( さ ) び付かせる。

「「ハァッ!」」

太刀と短刀と強くぶつかり、大きな間合いが生まれた。

これを嫌ったアレンは、前方へ大きく跳ぶ。

その行動は『悪手』と言えぬまでも、『最善』からは程遠いモノ。

瞬間、

(『最速』を切るなら、ここしかない!)

(『最速』を切るなら、ここだ)

ホロウとエリザの思考が重なった。

しかし、

(醜く汚れた 悪 ( わたし ) が…… 正義 ( アレン ) に勝ってもよいのだろうか?)

迷いが生み出した空白の時間。

コンマ一秒にも満たない硬直。

(ば、馬鹿! おい、何をしている!? いったい何を 躊躇 ( ためら ) っているんだ!?)

ホロウは心の中で 憤激 ( ふんげき ) するが……当然その思いは届かない。

刹那の 不動 ( ふどう ) 時間を経て、エリザの『最速』が放たれる。

「< 銀閃 ( ぎんせん ) ・ 瞬 ( しゅん ) ――」

「――< 零相殺 ( ゼロ・カウンター ) >!」

勇者の固有が炸裂し、< 銀閃 ( ぎんせん ) >は崩壊――鋭い斬撃をモロに受けた。

(た、立てぇええええええええ……! 立つんだ、エリザぁああああああああ……ッ!)

決して立てないダメージじゃない。

しかし、体に力が入らなかった。

『心』という大切な原動力が、既に底を突いていたのだ。

「――勝者アレン・フォルティス!」

地下演習場に響く大歓声。

エリザはそれをどこか他人事のように聞いていた。

その後、

「――馬鹿やろぉおおおおおおおおおおおおおッ! エリザ、お前……何をやっているんだぁああああああああああッ!?」

『王の怒声』が響き渡り、虚空界に 途轍 ( とてつ ) もない大魔力が吹き荒れる中――衰弱しきったエリザは、王都のボロアパートへ帰った。

聖騎士としての給金は、ほとんど全て孤児院に送っているため、彼女の生活は 清貧 ( せいひん ) を極めている。

(私は……なんなのだろう……)

神隠しに敗れ、極悪貴族に敗れ、主人公に敗れた。

唯一の 拠 ( よ ) り 所 ( どころ ) である強さは、完全に崩壊した。

今やエリザ・ローレンスという存在がいったいなんなのか、自分で自分のことがわからなくなっていた。

家の鍵を開けたところで、郵便受けに手紙が入っていることに気付く。

「そうか…… もうそんな ( ・・・・・ ) 時期か ( ・・・ ) 」

月に一度だけ、ダンダリア孤児院と手紙のやり取りを許可されており、こうして月末に届けられるのだ。

エリザたちがまた『よからぬ企み』をせぬよう、手紙の内容は全てヴァラン本人がチェックし、孤児院の所在地が悟られぬよう、彼の配下が運び手を担っている。

ヴァラン・ヴァレンシュタインという男は、この辺りの細かいところが本当に抜け目ない。

「……みんな、元気にしているだろうか……」

彼女は自宅に入ってすぐ、家族からの手紙に目を通す。

『エリザ、迷惑を掛けてすまんな……。元気でやっておるか?』

『エリちゃん、本当にごめんなさい、私が不甲斐ないばっかりに……』

『またエリザお姉ちゃんと一緒に暮らしたいな!』

『エリ姉みたいな、かっこいい女の人になれるよう頑張るね!』

手紙は『一か月に一枚』と制限されているため、みんなそれぞれ一文ずつだけ、寄せ書きのような形で送られてくる。

「……う゛、うぅ……っ」

自然と涙が零れ落ちた。

楽しかった頃の、幸せだった頃の――五年前の記憶が蘇る。

エリザは玄関口で崩れ、 嗚咽 ( おえつ ) を零した。

「……頼む。誰か、誰でもいい……私を、私達を……助けてくれ……っ」

悲しき 聖騎士 ( ヒロイン ) の声は、誰の耳にも届かない――。

■

聖暦1016年6月1日21時58分。

黒い 外套 ( がいとう ) を纏ったエリザは、ルーデル森林の木陰に身を潜めていた。

当然、ヴァランの護衛としてだ。

ヴァラン・ヴァレンシュタインはこの日、帝国の密使と極秘の会談を持ち、『王国転覆計画』を最終段階へ移行する。

病床に 臥 ( ふ ) したクライン国王は、もはやそう長く持たない。

崩御 ( ほうぎょ ) 後まもなく『王選』が始まり、『次代の王』を巡る激しい戦いが 勃発 ( ぼっぱつ ) する。

ヴァランはその混乱に乗じて、『クーデター』を起こすのだ。

無論、大貴族ヴァランと 雖 ( いえど ) も、たった一人で王国を転覆させることはできない。

そのため彼は、古くより付き合いのある帝国の貴族を頼り、皇帝との『極秘の 謁見 ( えっけん ) 』を取り付けた。

短く濃密な交渉の末、帝国の力を借り受けることに成功。

皇帝の目論見は、邪魔な王国を支配下に置くこと。

ヴァランは王国を売った見返りとして、公爵の地位と帝都の一等地を 賜 ( たまわ ) る。

(『四大貴族』だかなんだか知らぬが、王都の土地を独占しおって……気に喰わぬ)

彼は『辺境伯』という地位が嫌いだった。

何が悲しくてこんなド田舎を治めねばならぬのか、幼少の 時分 ( じぶん ) よりずっと納得がいかなかった。

(しかし、このクーデターが成功すれば、儂は栄誉ある帝国の大貴族となる! 帝都のど真ん中に巨大な領地を構えられるのじゃ!)

ヴァラン・ヴァレンシュタインは、『欲望の権化』とも呼べる醜悪な男なのだ。

(ふむ……そろそろか)

彼が懐中時計に視線を落とすと、時刻は二十一時五十九分、約束の時間まで後一分と迫る。

ほどなくして、予定の二十二時を迎えたそのとき――『異変』が起こった。

「ひ、ひぃいいい――」

「ば、ばばば……化物ぉおお――」

「だ、誰か、助け――」

「ぁ、ぐ、がぁああ――」

耳をつんざく壮絶な悲鳴は、不自然に『プツン』と途切れる。

まるで ( ・・・ ) その瞬間に ( ・・・・・ ) 世界から ( ・・・・ ) 消えて ( ・・・ ) しまった ( ・・・・ ) かのよう ( ・・・・ ) だった ( ・・・ ) 。

明らかな異常事態、

「……何事じゃ……?」

緊迫した空気が張り詰める中、この場にそぐわぬ明るい声が響く。

「――おや?」

木々の奥から姿を現したのは――闇を煮詰めたような『漆黒』。

「これはこれはヴァラン 卿 ( きょう ) 、こんなところでお会いするなんて、珍しいこともあるものですね」

飛び切り邪悪な笑みを浮かべた『極悪貴族』だった。