「動いてはいけない専務と、ハプニングだらけの女性コンビ」
「動いてはいけない専務と、ハプニングだらけの女性コンビ」
朝のオフィス。
あなたは専務室でパソコンを立ち上げ、今日の予定を確認していた。
「よし……今日は大きな案件もないし、比較的平和な一日になりそうだな」
そう呟いた直後だった。
ドタドタドタッ!!
廊下から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「専務! 大変です!!」
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、美咲さんだった。
「ど、どうしたんですか!?」
「それが……午前中に行われる予定だった取引先との合同説明会で、資料の一部が行方不明になってしまって!」
「えっ!?」
あなたはすぐに立ち上がった。
「分かりました! 僕も探します。関係部署に連絡して、必要なら取引先にも――」
「お待ちください」
背後から、聞き慣れた優しい声がした。
振り返ると、さくらさんが立っていた。
いつもの落ち着いた笑顔。
しかし、その手には資料の束が握られている。
「専務は、ここにいてください」
「……え?」
「これは私と美咲さんで解決します」
「いや、でも! もし取引先に迷惑がかかったら……!」
「大丈夫です」
さくらさんは、にこりと笑った。
「専務は最近、少し働きすぎです。それに、今回は私たちに任せていただけませんか?」
「そ、それは……」
「お願いしますね?」
――ドキンッ!!
(ま、待って!? そんな優しい顔でお願いされたら、断れないんだけど!?)
あなたは心の中で頭を抱えた。
しかし、専務としての責任感がそれを許さない。
「……分かりました。でも、何かあったらすぐに連絡してください!」
「はい。ありがとうございます、専務」
さくらさんは丁寧に頭を下げた。
美咲さんも力強く頷く。
「行ってきます!」
二人は専務室を出ていった。
扉が閉まる。
あなたは椅子に座った。
そして、十秒後。
「……いや、やっぱり心配なんだけど!?」
誰もいない専務室に、あなたの声が響いた。
第一のハプニング。資料が見つからない!
さくらさんと美咲さんは、まず合同説明会に関わる部署へ向かった。
「昨日の夕方、資料を最後に確認したのはどなたですか?」
さくらさんが冷静に尋ねる。
「ええと……確か、営業部の棚に置いたはずなんですが……」
社員が困った顔で答えた。
「棚ですね。確認しましょう」
二人が棚を開けると――。
バサバサバサッ!!
大量の書類が雪崩のように落ちてきた。
「きゃっ!?」
「美咲さん、危ないです!」
さくらさんが美咲さんの肩をそっと引き寄せる。
書類は床一面に散らばった。
二人はしばらく、無言で床を見つめた。
「……さくらさん」
「はい」
「これ、全部確認するんですよね?」
「……そうなりますね」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に小さく笑った。
「頑張りましょう!」
「はい!」
その頃、専務室。
あなたは椅子に座っていた。
パソコンの画面には、仕事の資料が開かれている。
しかし、目は一行も進んでいなかった。
(今頃、二人は何をしているんだろう……)
(資料は見つかったかな?)
(まさか、何かトラブルに巻き込まれてないよな……?)
あなたはスマートフォンを手に取った。
連絡しようとした。
しかし、さくらさんの言葉が頭をよぎる。
『今回は私と美咲さんで解決します』
「……信じるって決めたんだ」
あなたはスマートフォンを机に置いた。
三秒後。
また手に取った。
「いや、でも……!」
結局、何も送れなかった。
第二のハプニング。プリンターが止まった!
「見つかりませんね……」
営業部の棚をひと通り確認した二人だったが、肝心の資料は見つからない。
すると、美咲さんが何かを思い出した。
「あっ! そういえば、昨日、総務部のプリンターで追加分を印刷したって聞きました!」
「では、総務部へ行きましょう」
二人が総務部に向かうと、そこには困り果てた社員がいた。
「すみません! プリンターが紙詰まりを起こしてしまって!」
「えっ、今ですか!?」
美咲さんが思わず声を上げた。
「今日に限って、どうして……!」
さくらさんは慌てず、社員に状況を確認した。
「まずは無理に引っ張らず、説明書を確認しましょう。必要なら担当の方にお願いしてください」
「はい……!」
しかし、ここでさらに問題が起こる。
ピピピピピッ!
プリンターが突然、エラー音を鳴らし始めた。
「えっ!? 今度は何ですか!?」
「美咲さん、落ち着いてください。まずは画面を見ましょう」
「は、はい!」
美咲さんが画面を確認する。
「……用紙の設定が違うみたいです!」
「では、設定を確認してみましょう」
二人は社員と協力して、ひとつずつ原因を確認した。
そして、ようやくプリンターが動き出す。
ウィーン……ガガガ……。
出てきたのは、印刷された一枚の紙。
美咲さんはそれを見て、固まった。
「……さくらさん」
「はい?」
「これ、説明会の資料じゃなくて、社内のイベント案内です」
「……」
「……」
二人は、そっと顔を見合わせた。
「……もう一度、設定を確認しましょうか」
「……そうですね!」
その場にいた社員が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当にすみません!」
「いえ、大丈夫です。原因が分かれば解決できますから」
さくらさんは、相変わらず優しく微笑んでいた。
その笑顔に、美咲さんも元気を取り戻す。
「よし! 今度こそ見つけましょう!」
第三のハプニング。なぜか二人が迷子になる!
資料の手掛かりを探していた二人は、別館の保管室へ向かうことになった。
ところが――。
「……さくらさん」
「はい」
「ここ、どこでしょう?」
目の前には、見慣れない廊下。
似たような扉が並び、案内板も少し分かりにくい。
二人は、見事に道に迷っていた。
「……私たち、反対側の階段を使ってしまったようですね」
「そんなぁ……!」
美咲さんが肩を落とす。
そのとき、廊下の向こうから社員が台車を押してやってきた。
「あっ、すみません! 保管室はどちらでしょうか?」
美咲さんが尋ねる。
社員は親切に道を教えてくれた。
「ありがとうございます!」
二人は元気よく歩き出した。
――ところが。
ガラガラガラッ!!
台車の車輪が、廊下の段差に引っかかった。
積んであった空のファイルケースが、コロコロコロ……と転がっていく。
「あっ! 待ってください!」
美咲さんが追いかける。
「美咲さん、そちらは反対方向です!」
「えっ!?」
慌てて引き返そうとした美咲さんは、今度は自分の持っていたメモ帳を落としてしまった。
パサッ。
ページが開き、書き留めた資料の手掛かりが床に広がる。
「うわぁぁ……! 今日は本当にハプニングが多いです!」
「ふふっ……」
「さくらさん!? 笑ってます!?」
「す、すみません。美咲さんが一生懸命なので、つい……」
さくらさんは口元を押さえていた。
美咲さんも、つられて笑ってしまった。
「もう! 笑ってる場合じゃありませんよ!」
「そうですね。さあ、拾いましょう」
二人は協力して、メモ帳とファイルケースを回収した。
そして今度こそ、保管室へ向かった。
専務室。あなたの心配は限界寸前!
一方、その頃。
あなたはついに、椅子から立ち上がっていた。
「……遅い」
時計を見る。
(もう結構な時間が経ってる……)
(資料は見つかったのか? 説明会の準備は?)
(美咲さん、慌てて転んだりしてないかな……)
(さくらさんも、無理してないかな……)
最後の一言を考えた瞬間、あなたは自分の顔を両手で覆った。
(いやいやいや! 僕は専務として心配しているだけだ!)
(もちろん、美咲さんも心配だし、社員全員が大事だし!)
(……でも、さくらさんが困っていたら、すぐに助けに行きたいんだよな……)
あなたは机に突っ伏した。
「……恋心、隠すのって難しいなぁ……」
そのとき、スマートフォンが震えた。
ビクッ!!
画面を見る。
さくらさんからのメッセージだった。
『専務、こちらは順調です。どうぞご安心ください』
「……っ!」
あなたは、思わず胸を押さえた。
(よかった……!)
しかし、その直後。
もう一通、メッセージが届いた。
『ただし、美咲さんが少々大変なことになっています』
「えっ!?」
あなたは勢いよく立ち上がった。
「やっぱり何かあったんじゃないか!!」
すぐに返信しようとする。
『何があったんですか!? 今すぐ向かいます!』
そこまで入力したところで、さらにメッセージが届いた。
『あ、怪我などはありません。ご心配なく。美咲さんが、保管室の扉を開けた瞬間に、上から空箱が降ってきただけです』
「だけです!?」
あなたはスマートフォンを握りしめた。
(空箱が降ってきた!? 何その状況!?)
(本当に大丈夫なのか!?)
しかし、最後にこう書かれていた。
『専務は、どうかお仕事を続けてくださいね。私たちを信じていてください』
あなたは、ゆっくり椅子に座った。
「……分かりました」
誰もいない部屋で、真剣に頷く。
「信じてるからな……二人とも……!」
そして、パソコンの画面に向き直った。
三秒後。
「……やっぱり心配だぁぁぁ……!」
専務室に、悲痛な声が響いた。
第四のハプニング。ついに見つかった資料……のはずが?
保管室。
美咲さんは、頭に乗っていた空箱をそっと下ろした。
「……びっくりしました」
「怪我がなくてよかったです」
さくらさんは、ほっと胸をなで下ろした。
「でも、さくらさん! この保管室、箱が多すぎませんか!?」
「そうですね……。整理する必要がありそうです」
二人は、担当者に確認しながら資料を探した。
古いファイル。
イベントの記録。
過去の企画書。
そして――。
「あっ!!」
美咲さんが声を上げた。
「これです! 合同説明会の資料!」
手にしたファイルの表紙には、探していた案件名が書かれていた。
「やっと見つかりましたね!」
さくらさんも、嬉しそうに微笑んだ。
ところが。
「……あれ?」
美咲さんの表情が曇る。
「どうしましたか?」
「これ、最終版じゃありません……!」
「えっ?」
ページをめくると、修正前の数字や、変更前の予定が記載されていた。
二人は同時に黙り込んだ。
「……さくらさん」
「はい」
「私たち、最終版も探さないといけませんよね?」
「……そうですね」
「……ですよねぇぇぇ……!」
美咲さんは、思わず天井を仰いだ。
さくらさんも、珍しく困った顔をしていた。
それでも、彼女はすぐに気持ちを切り替えた。
「美咲さん。ここまで手掛かりを見つけられたのですから、あと少しです。昨日の修正履歴を確認すれば、保存先が分かるかもしれません」
「……そうですね!」
美咲さんは、ぐっと拳を握った。
「最後まで諦めません!」
二人は担当部署に連絡し、共有フォルダの保存履歴を確認した。
すると――。
「ありました!」
美咲さんが画面を指差す。
「最終版、別のフォルダに保存されています!」
「よかった……!」
さくらさんの表情が、ようやく明るくなった。
データを開いて内容を確認する。
数字も、日程も、修正箇所もすべて一致していた。
「これで、説明会に間に合いますね」
「はい! さくらさん!」
美咲さんは、満面の笑みでさくらさんの手を握った。
「本当にありがとうございます!」
「こちらこそ。美咲さんが最後まで頑張ってくださったおかげです」
二人は、ようやく大きく息を吐いた。
長い長い捜索が、ついに終わったのだった。
……ただし、散らばった書類の片付けは残っていた。
「……美咲さん」
「はい?」
「最後に、もうひと頑張りですね」
「……ですよねぇぇぇ……!」
二人の笑い声が、保管室に響いた。
最後のハプニング。専務、ついに我慢できなくなる!
午後。
専務室の扉がノックされた。
コンコン。
「どうぞ!」
あなたは勢いよく顔を上げた。
扉を開けて入ってきたのは、さくらさんと美咲さんだった。
「専務、ただいま戻りました」
「お、お帰りなさい! 大丈夫でしたか!? 怪我は!? 空箱が降ってきたって聞きましたけど!? プリンターも止まったんですよね!? それに、道に迷ったって――」
「せ、専務!?」
美咲さんが目を丸くした。
あなたは、はっと口を閉じた。
(しまったぁぁぁ!! 心配しすぎた!!)
さくらさんは、じっとあなたを見つめていた。
「……専務」
「は、はい!」
「ずっと心配してくださっていたのですね」
「そ、それは……当然です! 大事な説明会でしたから! 社員が困っていたら、専務として心配するのは当たり前です!」
必死の言い訳。
しかし、さくらさんは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。おかげさまで、無事に解決しました」
美咲さんも、誇らしげに報告する。
「最終版の資料も見つかりました! 説明会も無事に終わりましたよ!」
「ほ、本当ですか!?」
「はい!」
あなたは心の底から安堵した。
「……よかったぁ」
思わず本音が漏れる。
肩の力が抜け、椅子に座り直した。
「本当に……よかったです」
さくらさんは、そんなあなたの様子を見て、少しだけ目を細めた。
「専務。今日は、私たちに任せてくださってありがとうございました」
「いえ……僕は、何もできませんでしたから」
「いいえ」
さくらさんは、はっきりと首を横に振った。
「私たちを信じて、任せてくださったこと。それも、大切な仕事のひとつです」
「……さくらさん」
「それに」
彼女は、少しだけいたずらっぽく微笑んだ。
「専務が何度も立ち上がりかけていたこと、実は美咲さんから聞いていますよ?」
「……えっ?」
あなたは固まった。
美咲さんが、にっこり笑う。
「さくらさん! 言っちゃうんですか?」
「ふふっ。少しくらい、いいですよね?」
「ま、待ってください!? 何を聞いたんですか!?」
美咲さんは、楽しそうに話し始めた。
「専務、さくらさんから連絡が来るたびに、ものすごい勢いでスマートフォンを確認していたそうですよ!」
「ええっ!?」
「それから、さくらさんが大丈夫だと分かった瞬間、すっごく安心した顔をしていたって!」
「ちょっ……!?」
あなたの顔が、みるみる熱くなる。
(なんでそこまで知られてるんだ!?)
(いや、待て! これは社員を心配していただけ! そう、社員を!)
さくらさんは、そんなあなたに向かって、優しい声で言った。
「専務」
「は、はい……」
「ご心配をおかけしました。……でも、少し嬉しかったです」
「…………え?」
一瞬、時間が止まった。
さくらさんは、少し照れたように微笑んだ。
「私たちのことを、そんなに気にかけてくださっていたのですね」
――ドクンッ!!
(うわあああああああ!!)
(今のは何!? どういう意味!?)
(嬉しかったって……!?)
(だめだ! 顔を見るな! 顔を見たら絶対にバレる!!)
あなたは、必死にパソコンの画面へ視線を逃がした。
「そ、そうですか! それはよかったです! あはは……!」
明らかに不自然な笑い声。
美咲さんは、とうとう吹き出した。
「ふふっ……! 専務、顔が真っ赤ですよ!」
「赤くないです!!」
「赤いですよ?」
「赤くありません!!」
「……ふふっ」
さくらさんまで、楽しそうに笑っていた。
あなたは机に突っ伏した。
(終わった……今日も恋心を隠しきれなかった……)
(いや、まだだ! まだ完全にはバレていないはず!)
そう自分に言い聞かせる。
すると、さくらさんがあなたの机に、温かいお茶をそっと置いた。
「専務も、少し休憩してくださいね。今日はずっと気を張っていらしたのでしょう?」
「……ありがとうございます」
あなたは顔を上げた。
さくらさんは、いつもの優しい笑顔で微笑んでいる。
その笑顔を見た瞬間、また胸が高鳴った。
(……やっぱり、好きだなぁ)
心の中だけで呟く。
今度こそ、声には出ていない。
――はずだった。
「……さくらさんって、本当に優しいなぁ」
「……え?」
「…………」
「…………」
美咲さんが、ゆっくり口元を押さえた。
さくらさんの頬が、ほんのり赤くなった。
「……専務?」
「ち、違います!! 今のは、その! 教育係として! 先輩社員として! 人間として! 優しいという意味で!!」
「ふふっ……分かっていますよ」
さくらさんは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
(分かってない!! 絶対に何か誤解されてる!!)
あなたの心の叫びは、誰にも届かなかった。
美咲さんは、さくらさんの隣で小さく囁いた。
「……さくらさん」
「はい?」
「専務って、分かりやすいですね」
「……そうですね」
「えっ!? 何か言いました!?」
「いいえ、何も?」
二人は顔を見合わせて、くすくすと笑った。
その笑顔を見て、あなたはようやく安心した。
二人とも無事で、仕事も無事に終わった。
それだけで、今日は十分だった。
……恋心がバレそうになったことを除けば。
「……明日こそ、平穏な一日になりますように」
あなたが祈るように呟くと、さくらさんが微笑んだ。
「そうですね。明日もよろしくお願いします、専務」
「は、はい! よろしくお願いします!」
――ドクンッ!!
(明日も頑張ろう……!)
あなたは、さくらさんに恋心を知られないように。
そして、さくらさんが困っていたら、いつでも助けられるように。
今日もまた、胸の高鳴りを必死に隠すのだった。
なお、その日の夕方。
美咲さんはさくらさんに、こっそりこう尋ねた。
「……さくらさんって、専務のこと、どう思ってるんですか?」
「……えっ?」
さくらさんの顔が、ぴたりと止まった。
「い、いえ! なんでもありません!」
「み、美咲さん……!?」
今度は、さくらさんの心臓がドキドキする番だった。
そして二人は、誰もいない廊下で顔を見合わせ――。
「……ふふっ」
「……ふふふっ」
結局、また二人で笑ってしまったのだった。