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「予定のない一日と、こっそり清掃する専務」

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

「予定のない一日と、こっそり清掃する専務」

朝。

今日は、なぜだかいつもより気分が良かった。

理由はよく分からない。昨夜はぐっすり眠れたし、朝食もおいしかった。通勤途中に聴いていたボカロの曲も、いつも以上に心に響いた。

あなた「……うん。今日は、いい日になりそうだ」

自然と口元が緩む。

そして、会社に到着すると、いつものように専務室へ向かった。

あなた「おはようございます」

社員「おはようございます、専務!」

あなた「今日も一日、よろしくお願いします」

そう挨拶を済ませ、専務室の扉を開ける。

あなた「さて、と……」

パソコンを起動し、まずはお気に入りのボカロの曲を再生した。

♪~~♪

あなたは椅子に座り、リズムに合わせて小さく指を動かす。

あなた「……いい曲だなぁ」

仕事前の、ささやかな楽しみ。

曲が終わるまで、あなたはすっかりリラックスしていた。

そして、再生が終わる。

あなた「よしっ。それじゃあ、今日の予定を確認して……」

パソコンのスケジュール画面を開く。

あなた「午前中は……なし。午後は……」

スクロールする。

あなた「……ん?」

もう一度、確認する。

あなた「……あれ? 今日、予定が何もないぞ?」

会議もない。来客もない。急ぎの案件もない。

あなた「珍しいな……」

しばらく画面を眺めていたあなたは、ふと窓の外に目を向けた。

廊下を清掃員の方が、清掃用具を持って歩いている。

あなた「……そういえば」

昔、入社したばかりの頃は、清掃員の方と一緒に会社を掃除していたことがあった。

最近は専務という立場もあり、なかなか手伝う機会がなかった。

あなた「よし。久しぶりに、やるか!」

あなたは立ち上がった。

専務室の机の上を整え、袖を軽くまくる。

あなた「……たまには、こういう日があってもいいよな」

そして、誰にも大げさに宣言することなく、清掃用具のある場所へ向かった。

1.久しぶりの清掃活動

清掃員「……あれ? 専務?」

あなた「おはようございます。今日、予定が空いているので、久しぶりに一緒に掃除してもいいですか?」

清掃員「えっ? せ、専務がですか?」

あなた「はい。もちろん、仕事に支障がない範囲でですけど」

清掃員「そんな、専務に掃除を手伝っていただくなんて……!」

あなた「いえいえ。いつも会社をきれいにしていただいているのは、皆さんですから。今日は僕もお手伝いします」

清掃員は、少し驚いたあと、うれしそうに笑った。

清掃員「……ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」

あなた「はい!」

まずは廊下の掃き掃除。

あなたは手際よくほうきを動かし、隅にたまった小さなほこりまで集めていく。

清掃員「専務、ずいぶん慣れていらっしゃいますね」

あなた「昔、よくやっていたんですよ。こういう作業、意外と好きなんです」

清掃員「そうだったんですね」

あなた「それに、きれいになると気持ちいいですから」

そう言って、あなたはにこっと笑った。

その笑顔は、仕事中に見せる真剣な表情とは少し違っていた。

肩の力が抜けていて、どこか楽しそうで。

まるで、昔のあなたに戻ったかのようだった。

そして、その様子を廊下の角から見ている人がいた。

さくらさんだった。

さくら「…………」

さくらさんは、書類を抱えたまま足を止めていた。

さくら「……専務?」

最初は、見間違いかと思った。

会社の専務であるあなたが、清掃員の方と並んで廊下を掃除している。

しかも、本人はとても楽しそうだ。

さくら「……ふふっ」

思わず、小さく笑みがこぼれた。

さくら(本当に……こういうところ、変わらないんですね)

さくらさんは声をかけようとした。

しかし、その前にあなたが清掃員の方へ話しかける声が聞こえた。

あなた「この辺り、僕がやっておきますね。いつもありがとうございます」

清掃員「専務……本当にありがとうございます」

あなた「いえいえ。こちらこそ、いつもありがとうございます」

さくらさんは、その光景をもう少しだけ見守ることにした。

さくら(……今日は、なんだかとても楽しそう)

2.先客は美咲さん?

しばらくして、あなたは清掃用具を片づけようとした。

すると、廊下の反対側から、聞き覚えのある声がした。

美咲「……あっ、ここ、まだ少し汚れてる」

あなた「……ん?」

物陰からそっと様子をうかがう。

そこにいたのは、美咲さんだった。

美咲さんは、雑巾を手に持ち、壁際や棚の周辺を丁寧に拭いていた。

あなた「……美咲さん?」

しかし、彼女はまだあなたに気づいていない。

美咲「ふぅ……。普段、清掃員さんたちがやってくれてるけど、こういうところも気になるんだよね」

美咲「……よし。こっちも終わり!」

あなた(……先に手伝っていたのか)

あなたは少し驚いた。

美咲さんが、誰かに頼まれたわけでもなく、自分から清掃を手伝っていたからだ。

あなた(……すごいな。誰かに見せるためじゃなくて、こういうことをしてるんだ)

あなたは、邪魔をしないようにそっと近づいた。

そして、美咲さんが拭き終えた棚の反対側を、静かに拭き始める。

キュッ、キュッ。

美咲「……?」

美咲さんが、ふと顔を上げた。

美咲「……あれ?」

視線の先には、雑巾を動かしているあなたの姿。

美咲「…………えっ?」

あなた「……あっ」

目が合った。

あなた「お、おはようございます、美咲さん」

美咲「お、おはようございます……って!」

美咲「えっ、専務!? 何してるんですか!?」

あなた「えっ? 掃除ですけど……?」

美咲「いや、それは見れば分かりますけど!」

美咲さんは慌てて周囲を見回した。

美咲「専務が自分で掃除してるなんて……誰かに見られたら大変ですよ!」

あなた「えっ、掃除しているだけなのに?」

美咲「そういう問題じゃないんです!」

あなた「……?」

あなたは本気で不思議そうな顔をした。

美咲「……もう。専務って、たまに本当に不思議な人ですよね」

あなた「そ、そうですか?」

美咲「そうですよ」

そう言いながらも、美咲さんの表情はどこか柔らかかった。

美咲「……でも、ありがとうございます」

あなた「え?」

美咲「私が一人でやっていたところを、手伝ってくださったので」

あなた「いえ、こちらこそ。美咲さんが先に手伝っていたんですね。気づきませんでした」

美咲「……別に、大したことじゃないですから」

あなた「そんなことないですよ。ありがとうございます」

あなたは、いつもの穏やかな笑顔でそう言った。

美咲「…………っ」

美咲さんの手が、ぴたりと止まった。

美咲(……なんで、この人は……)

美咲(そんなに自然に、うれしいことを言えるんだろう……)

頬がほんの少し熱くなる。

美咲「……そ、そういうところですよ」

あなた「えっ?」

美咲「な、何でもありません!」

あなた「は、はい……?」

あなたは首をかしげた。

美咲さんは顔をそらし、再び雑巾を動かし始めた。

美咲(……危ない。今の笑顔、ちょっと反則……)

3.教育係は全部見ていた

その様子を、少し離れた場所から見ていた人物がもう一人。

さくらさんだった。

さくら(……美咲さんまで、顔が赤くなっていますね)

さくらさんは、書類を胸元に抱え直した。

さくら(それにしても……専務、今日は本当に機嫌がいいみたい)

あなたは、美咲さんと一緒に棚を拭き終えたところだった。

あなた「よし。これで、この辺りはきれいになりましたね」

美咲「そうですね。お疲れさまでした」

あなた「美咲さんも、お疲れさまです」

美咲「……専務は、このあとどうするんですか?」

あなた「そうですね……。まだ時間がありますし、清掃員の方のお手伝いをもう少ししようかと」

美咲「……本当に働き者ですね」

あなた「えっ? 今日は予定が空いているだけですよ」

美咲「そういう意味じゃないんですけど……」

あなた「……?」

またしても、あなたは首をかしげた。

その瞬間。

さくら「……お二人とも」

あなた「……えっ?」

美咲「……あっ!」

振り返ると、そこにはさくらさんが立っていた。

さくら「お疲れさまです。お二人とも、こんなところにいらしたんですね」

あなた「さ、さくらさん! お疲れさまです!」

なぜか、あなたの背筋がぴんと伸びた。

さくら「ふふっ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ?」

あなた「い、いえ! 緊張しているわけでは……!」

さくら「そうですか?」

さくらさんは、優しく微笑んだ。

さくら「……それで、専務。今日は清掃のお手伝いを?」

あなた「はい。スケジュールが空いていたので、久しぶりに」

さくら「そうだったんですね」

さくらさんは、あなたの手元を見た。

雑巾を持っていた手には、少しだけ水滴が残っている。

さくら「……お疲れさまです」

あなた「え?」

さくら「いつも会社のために頑張っていらっしゃるのに、今日は清掃まで。ありがとうございます」

あなた「い、いえ! そんな、大したことでは……!」

さくら「大したことですよ」

さくらさんは、少しだけ真剣な表情になった。

さくら「会社は、専務一人で動いているわけではありません。清掃員の皆さんも、美咲さんも、もちろん私も……。みんながそれぞれの場所で頑張っているから、成り立っているんです」

あなた「…………」

さくら「ですから、専務が皆さんに感謝して、こうして一緒に作業してくださることは……とても素敵なことだと思います」

あなた「……ありがとうございます」

思わず、あなたの表情が緩んだ。

あなた「そう言ってもらえると、うれしいです」

さくら「……ふふっ」

その笑顔を見た瞬間。

さくらさんの胸が、ほんの少しだけ高鳴った。

さくら(……ああ、もう)

さくら(そんな笑顔をされたら……)

さくらさんは、心の中で小さく息をついた。

さくら(……もっと、そばで見ていたくなってしまうじゃないですか)

もちろん、口には出せない。

なぜなら、彼女はあなたの教育係。

そして、あなたは――。

あなた(……やばい)

あなた(さくらさん、今日も優しい……!)

あなた(いや、待て。落ち着け、僕!)

あなた(ここで顔が赤くなったら、絶対に怪しまれる……!)

あなたは必死に平静を装った。

しかし。

さくら「……専務?」

あなた「は、はいっ!?」

さくら「……顔が赤いですよ?」

あなた「えっ!?」

美咲「……ぷっ」

美咲さんが、思わず吹き出した。

あなた「み、美咲さん!?」

美咲「す、すみません……! だって、専務があまりにも分かりやすくて……!」

あなた「わ、分かりやすい!?」

さくら「ふふっ……」

さくらさんまで笑い始めた。

あなた(終わった……)

あなた(今日、気分が良かったのに……!)

あなた(いや、さくらさんの笑顔を見られたから、いい日ではあるんだけど……!)

あなたは心の中で頭を抱えた。

4.専務の休憩時間

その後、清掃員の方にもお礼を伝え、清掃用具を片づけたあなたは、廊下のベンチで少し休憩することになった。

あなた「……ふぅ」

美咲「お疲れさまです、専務」

あなた「美咲さんも、お疲れさまです」

美咲さんは、あなたの隣に腰掛けた。

美咲「……今日は、なんだか楽しそうでしたね」

あなた「そうですか?」

美咲「はい。朝からずっと、機嫌がよさそうでした」

あなた「……うーん。確かに、今日は気分がいいんですよね」

美咲「何かいいことでもあったんですか?」

あなた「特別なことは何も。でも、よく眠れましたし、朝に聴いた曲もよかったですし……」

あなた「それに、久しぶりに掃除もできましたから」

美咲「……ふふっ。専務らしいですね」

あなた「そうですか?」

美咲「はい」

少しだけ沈黙が流れた。

そして、美咲さんがぽつりと言った。

美咲「……専務って、ちゃんと休んでますか?」

あなた「……え?」

美咲「最近、ずっと忙しそうだったので」

あなた「…………」

美咲「今日は予定が空いていたから掃除をしたって言っていましたけど……。何も予定がない日くらい、ゆっくりしてもいいと思いますよ」

あなた「……ありがとうございます」

あなたは少し考えたあと、微笑んだ。

あなた「そうですね。今日は、いつもよりゆっくり過ごそうと思います」

美咲「……約束ですよ?」

あなた「はい。約束です」

その会話を、少し離れたところからさくらさんが聞いていた。

さくら(……美咲さん、ちゃんと気にかけてくれているんですね)

さくらさんは、うれしそうに目を細めた。

そして、あなたの方へ歩み寄る。

さくら「専務。よろしければ、午後は少し休憩を増やしてはいかがですか?」

あなた「えっ? でも、午後も仕事が……」

さくら「急ぎの案件はありませんよね?」

あなた「……ありません」

さくら「でしたら、今日は少しだけ肩の力を抜いてください」

あなた「……さくらさん」

さくら「はい?」

あなた「……ありがとうございます」

あなたは、心からうれしそうに笑った。

さくら「…………」

その笑顔を見て、さくらさんは一瞬だけ言葉を失った。

さくら(……ああ、本当に)

さくら(あなたがそんな顔で笑ってくれるなら……今日は、何も言わずに見守っていたくなります)

けれど、次の瞬間にはいつもの教育係の表情に戻っていた。

さくら「……では、午後は無理をしないこと。よろしいですね?」

あなた「はい!」

さくら「ふふっ。いいお返事です」

あなた(……っ!)

あなた(今の笑顔、かわいすぎる……!)

あなた(だめだ。絶対に顔に出すな……!)

美咲「……専務?」

あなた「は、はい!?」

美咲「また顔が赤いですよ?」

あなた「き、気のせいです!」

さくら「……ふふふっ」

美咲「ふふっ……!」

二人の笑い声が、廊下に響いた。

あなた「……もう、勘弁してください……」

そう言いながらも、あなたの口元には笑みが浮かんでいた。

5.教育係の小さな秘密

その日の午後。

あなたは約束どおり、少し休憩を取りながら仕事を進めていた。

いつもより余裕を持って、書類を整理し、社員たちの進捗を確認する。

そして、ふと窓の外を見る。

あなた「……今日は、本当にいい日だな」

誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。

一方、教育係のさくらさんは、自分のデスクで書類を確認していた。

しかし、ペンを動かしながらも、時折あなたのいる専務室の方へ目を向けてしまう。

さくら(……今日は、たくさん笑っていましたね)

朝のボカロの曲を聴いている姿。

清掃員の方と楽しそうに掃除をしていた姿。

美咲さんの手伝いに気づいて、そっと隣で作業を始めた姿。

そして、感謝を伝えられて、照れくさそうに笑った姿。

さくら(……どれも、素敵でした)

さくらさんは、頬に手を添えた。

さくら(……いけません。仕事に集中しないと)

そう思って、再び書類に目を落とす。

しかし、しばらくすると、またあなたのことを思い出してしまう。

さくら「…………」

さくら(……明日も、今日みたいに笑ってくれるといいですね)

小さく微笑んだあと、さくらさんは誰にも聞こえない声でつぶやいた。

さくら「……お疲れさまです、専務」

その声には、いつもの教育係としての優しさだけではない、特別な温かさが込められていた。

もちろん、あなたはそのことを知らない。

専務室では、再びボカロの曲が流れ始めていた。

あなた「……よし。もう一曲だけ聴いたら、仕事を再開しよう」

そして、あなたは楽しそうに小さくリズムを取る。

廊下を通りかかったさくらさんは、その音に気づいて足を止めた。

さくら「……ふふっ」

また、笑ってしまった。

今日のあなたは、いつもより少しだけ楽しそうで。

そんなあなたを見守っていられることが、さくらさんにとっても、ちょっとうれしい一日だった。

――ただし。

あなた「……あっ、さくらさん!」

さくら「はい?」

あなた「もしよかったら、今度、さくらさんも一緒に掃除しませんか?」

さくら「…………えっ?」

あなた「えっ?」

さくら「……い、一緒に、ですか?」

あなた「はい! みんなでやったら、きっと楽しいと思います!」

さくら「…………」

さくらさんの頭の中に、一瞬だけ想像が浮かんだ。

誰もいない休日の会社。

あなたと二人きり。

並んで掃除をして、休憩時間には飲み物を買って、庭のベンチでおしゃべりをして……。

さくら(……って、何を想像しているんですか、私は!?)

さくら「……そ、そうですね。予定が合えば、ぜひ」

あなた「本当ですか!? やった!」

さくら「……ふふっ。そんなに喜んでくださるんですね」

あなた「もちろんです!」

さくら「…………っ」

さくらさんは、そっと視線をそらした。

さくら(……だめです)

さくら(そんなにうれしそうにされたら……)

さくら(……本当に、一緒に掃除をする日が楽しみになってしまいます)

あなたは何も知らず、満面の笑みを浮かべていた。

そして、さくらさんもまた、誰にも気づかれないように小さく微笑んだ。

今日の専務は、いつもより少しだけご機嫌。

そして、教育係のさくらさんは――。

そんな専務を、いつもより少し長く見守っていたのだった。