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「社員名簿のさくらさんと、突然決まった課長昇進」

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

「社員名簿のさくらさんと、突然決まった課長昇進」

第一話 正式な昇進辞令

朝。

あなたは専務室で、パソコンの画面に映る社員名簿を眺めていた。

「……よし。これで人事関係の確認は終わりかな」

カチッ。

最後の項目をクリックしたところで、あなたは一人の名前に目を留めた。

さくら。

現在の役職は、正社員。

教育係としてあなたを指導してくれた人であり、仕事に対する姿勢も、後輩への気配りも、申し分ない。

そして何より――。

(さくらさん……)

ドクンッ。

(いやいやいや! 仕事中だぞ、僕!)

あなたは慌てて首を振った。

(落ち着け。これは人事の確認だ。恋愛感情とは一切関係ない。そもそも、さくらさんの名前を見るだけで胸がドキドキするのは、僕の個人的な問題であって……)

ドクン、ドクン、ドクン!

(全然落ち着かないんだけど!?)

あなたは深呼吸をして、改めて名簿を確認した。

先日、人事担当の美月さんと相談した結果、課長の席が一つ空いていることが分かった。

そこで候補者を検討したところ、さくらさんが最有力候補になったのだ。

仕事の実績。周囲からの信頼。部下への指導力。

どれを見ても、昇進にふさわしい。

あなたは決意した。

「……よし。さくらさんを課長に昇進させよう」

そして、正式な辞令を用意した。

ただし、ここで一つ問題がある。

(本人に、僕が直接伝えるんだよな……)

あなたは書類を見つめた。

(落ち着いて伝えればいい。専務として、堂々と。いつも通りに……)

コンコン。

「失礼いたします」

扉が開いた。

「専務、お呼びでしょうか?」

さくらさんだった。

いつも通りの落ち着いた声。きちんと整えられた服装。そして、あなたを見る優しい目。

ドクンッ!!

(近い! いや、普通の距離だ!)

「さ、さくらさん!」

「はい?」

「きょ、今日はですね!」

「……はい」

「ええと、その……!」

さくらさんは首をかしげた。

「専務? 何か問題でもございましたか?」

(いきなり心配させてしまった!)

あなたは咳払いを一つした。

「いえ、問題はありません。今日は、さくらさんに大切なお話があります」

「大切なお話、ですか?」

「はい。こちらをご覧ください」

あなたは用意していた書類を差し出した。

さくらさんは受け取り、目を通す。

そして――。

「……え?」

書類には、はっきりと記されていた。

辞令 さくら 課長に任命する。

「こ、こちらは……?」

「正式な昇進辞令です。さくらさんのこれまでの実績と、社員の皆さんからの信頼を考慮し、課長への昇進を決定しました」

よし。

言えた。

そう思った瞬間。

「さくらさんの働きは、以前から高く評価していました。これからも、会社を支えていただきたいと考えておりま――」

「ほ、本当に私が課長に……?」

さくらさんが顔を上げた。

その表情には、驚きと戸惑いが浮かんでいた。

「はい。正式な決定です」

「……私に、務まるでしょうか」

いつものしっかりしたさくらさんとは少し違う、弱気な声。

あなたは思わず微笑んだ。

「務まるかどうかではなく、さくらさんなら務められると判断したんです」

「専務……」

「もちろん、役職が上がれば責任も増えます。でも、さくらさんなら大丈夫です。困ったことがあれば、僕にも相談してください」

ここまでは完璧だった。

ところが。

さくらさんが、ふっと柔らかく笑った。

「ありがとうございます。専務にそう言っていただけると、とても心強いです」

ドクンッ!!

「い、いえ! こちらこそ!」

声が裏返った。

「……こちらこそ?」

さくらさんが不思議そうに聞き返す。

「いえっ! その! 今後ともよろしくお願いいたします!」

「ふふっ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

さくらさんは、いつもの優しい笑顔で頭を下げた。

あなたは内心、盛大に混乱していた。

(危なかった……!)

(今の笑顔、反則じゃないか!?)

(いや、違う! 僕は専務! さくらさんは新しい課長! これは仕事! 仕事なんだ!)

さくらさんが辞令を大切そうに抱えた。

「私、精いっぱい頑張ります」

「はい。期待しています」

「それでは、課長としての準備を進めてまいります。失礼いたします」

「は、はい!」

さくらさんは退室していった。

扉が閉まった瞬間。

あなたは椅子の背もたれに沈み込んだ。

「……つ、疲れた」

たった数分の辞令交付。

それなのに、まるで大きな商談を終えたかのような疲労感だった。

「……でも」

あなたは閉じた扉を見つめる。

「さくらさん、課長か……」

ドクン。

「……おめでとうございます、さくらさん」

誰もいない専務室で、あなたは小さくつぶやいた。

そして、また顔を赤くした。

「……本人に聞こえてなくてよかった」

もちろん、さくらさんには聞こえていない。

ただし――あなたの恋心が隠し通せているかどうかは、また別の問題だった。

第二話 課長になったさくらさん

その日の午前中。

さくらさんは、新しい役職について社員たちに報告していた。

「このたび、課長に任命していただきました。まだ至らない点もあると思いますが、皆さんと協力しながら頑張ってまいります。よろしくお願いいたします」

「おめでとうございます、さくら課長!」

「さくらさんなら納得です!」

「これからもよろしくお願いします!」

社員たちから祝福され、さくらさんは少し照れくさそうに笑った。

「ありがとうございます」

その笑顔を、少し離れた場所から見ていたあなた。

(よかった……みんなも喜んでくれている)

あなたは満足げにうなずいた。

ところが、さくらさんがこちらに気づいた。

「あっ、専務」

「はいっ!?」

「先ほどは、本当にありがとうございました」

「い、いえ! 当然の判断です!」

「……専務?」

「はいっ!」

「どうして、そんなに緊張なさっているのですか?」

「き、緊張などしていません!」

即答だった。

さくらさんは数秒あなたを見つめたあと、くすっと笑った。

「そうですか。それならよろしいのですが」

(絶対に怪しまれた……!)

「それでは、失礼いたします」

さくらさんは去っていった。

あなたは心の中で叫んだ。

(課長になっても、さくらさんはさくらさんだ……!)

そして、もう一つ重大な問題に気づく。

(これから仕事の相談が増えるんじゃないか?)

(つまり、二人きりになる機会も……)

ドクンッ!!

(……いやいやいや! 仕事に集中しろ、僕!)

専務室へ逃げ帰るように戻ったあなたは、すぐさまパソコンを開いた。

しかし、画面に表示されていたのは、先ほど確認した社員名簿。

そこにある「さくら・課長」の文字を見るたびに、あなたの胸はドキドキするのだった。

第三話 美咲さん、運命の誤送信

一方、その頃。

別の部署では、美咲さんがパソコンの前に座っていた。

「……よし。今日の予定を整理して、メールを送って……」

美咲さんは、午後の仕事に向けてメールを作成していた。

本来なら、同僚に送る予定の業務連絡。

しかし、その隣には、個人的に作成していた別のメールが開かれていた。

その件名は――。

『今度のお出かけ・デートプラン』

美咲さんは、最近気になっている相手と出かけることを想像しながら、こっそり計画を立てていたのだ。

行き先は、落ち着いたカフェ。

そのあと、景色のよい公園を散歩。

最後に、おいしいケーキを食べる。

(……うん。これなら自然だよね)

美咲さんは、少しだけ頬を赤くした。

(べ、別に特別な意味なんてないし! ただ、もし一緒に出かけられたら、という話で……!)

自分で考えておきながら、想像だけで恥ずかしくなる。

「……よし!」

美咲さんは勢いよくマウスを動かした。

そして、メールを送信した。

ピコン。

「……送信完了っと」

数秒後。

美咲さんは、ふと画面の宛先を見た。

「…………」

固まった。

宛先。

専務。

「…………え?」

もう一度、確認する。

宛先。

専務。

件名。

『今度のお出かけ・デートプラン』

本文。

カフェ、公園、ケーキ屋さん。

さらには、最後にこんな一文まで書かれていた。

『もし一緒に行けたら、きっと楽しいだろうな……』

「…………」

美咲さんの顔が、みるみる赤くなった。

「う、うそでしょおおおおお!?」

慌てて送信済みメールを確認する。

しかし、現実は変わらない。

送信済み。

取り消し不可。

「ど、どうして専務なの!? なんで!? なんでなの!?」

美咲さんは両手で顔を覆った。

(待って、待って、待って……!)

(専務、これを見たらどう思うの!?)

(私が誰かとデートしたいと思っていることまで、全部知られちゃったじゃない!)

しかも、相手の名前は明記していない。

だからこそ、余計に誤解を招きそうだった。

「……うぅ」

美咲さんは机に突っ伏した。

そのとき。

ピコン。

専務から返信が届いた。

『メールを確認しました。こちらはデートプランのようですが、何かの資料でしょうか?』

「ひゃあああああっ!!」

美咲さんは、思わず椅子から飛び上がりそうになった。

(見られた! やっぱり見られた!)

(しかも、資料だと思われてる!?)

(いや、そう思ってくれているなら、そのまま誤解を解かずに……いやいや、それもダメでしょ!)

頭の中が大混乱だった。

美咲さんは必死に返信を打ち始めた。

『申し訳ございません! 誤送信です! 業務とは一切関係ございません!』

送信。

そして、また机に突っ伏した。

「……もう、今日は無理……」

だが、仕事はまだ始まったばかりだった。

第四話 集中できない美咲さん

午前十一時。

美咲さんは、報告書を作成していた。

「よし……今度こそ集中するわよ」

カタカタカタ。

「売上の集計は……」

カタカタ。

「次に、顧客への連絡……」

カタッ。

(……専務、あのメールどう思ったかな)

手が止まった。

「……ダメダメ!」

美咲さんは首を振った。

「仕事! 今は仕事に集中!」

再びキーボードを打つ。

しかし、頭の中では、専務から届いた返信が何度も再生されていた。

『こちらはデートプランのようですが』

「うわあああああっ……!」

思わず声が出た。

近くの社員が振り向いた。

「美咲さん? どうしました?」

「な、何でもないです! ちょっと、その……数字を間違えただけで!」

「そうですか?」

「はい!」

社員が去る。

美咲さんは、ゆっくりと画面に視線を戻した。

そこには、売上報告書。

数字が並んでいる。

しかし、なぜか数字を見ていると、カフェのメニューが浮かんでくる。

(……ケーキ、何を食べようかな)

「違う違う違う!」

今度は小声で叫んだ。

(どうして、こんなときにデートプランのことばかり考えちゃうのよ!)

時計を見る。

まだ午前十一時十五分。

「……お昼まで、あと四十五分」

長い。

いつもなら、あっという間に終わる午前中が、今日はとてつもなく長く感じられた。

そこへ、さくらさんがやってきた。

「美咲さん、お疲れさまです。先ほどの報告書ですが、進捗はいかがですか?」

「さ、さくらさん!?」

「はい?」

「な、何でもありません!」

「……まだ何もお尋ねしておりませんが」

「そ、そうでした!」

さくらさんは不思議そうに美咲さんの画面を見た。

「もしかして、体調が優れませんか?」

「いえ! 体調は絶好調です!」

「それならよいのですが……。少し顔が赤いようです」

「そ、それは……!」

(デートプランを専務に送ってしまったからです! なんて言えるわけないでしょおおおお!)

美咲さんは、必死に笑顔を作った。

「ちょっと暑いだけです!」

「そうですか。無理はしないでくださいね」

「ありがとうございます……」

さくらさんは優しく微笑み、その場を離れた。

美咲さんは、その背中を見送った。

(……さくらさん、優しい)

(でも、今はその優しさが逆につらい……!)

そして再びパソコンへ向き直る。

「……よし。今度こそ」

カタカタカタ。

一分後。

(……専務、あのメール、削除してくれたかな)

カタッ。

「集中できないいいいい……!」

こうして美咲さんは、午前中の仕事を進めようとしては誤送信を思い出し、思い出しては慌てる、という無限ループに陥っていた。

第五話 専務室に届いた二通目のメール

その頃、あなたは専務室で仕事をしていた。

「……さて、午後の会議資料を確認しておくか」

メールを開く。

すると、美咲さんから、もう一通届いていた。

件名は、

『先ほどの誤送信について』

本文には、丁寧なお詫びと、業務とは関係のない内容であったことが書かれていた。

あなたは苦笑した。

「……そんなに慌てなくてもいいのに」

そして、返信を打つ。

『承知しました。お気になさらず、業務に集中してください』

送信。

「よし」

あなたは満足げにうなずいた。

これで一件落着。

そう思った。

しかし、あなたは気づいていなかった。

美咲さんが送ったデートプランには、日程の候補だけでなく、こんな一文もあったことを。

『一緒にいると、普段より素直になれそうな気がする』

あなたは、まだその文章をきちんと読んでいなかった。

そして、もう一つ。

美咲さんがデートプランを考えていた相手は――。

それは、本人にしか分からない秘密だった。

「……さて、仕事に戻ろう」

あなたは画面を切り替えた。

すると、今度は課長昇進の報告書が目に入る。

そこには、さくらさんの名前。

「……さくらさん、課長か」

ドクン。

「……いや、だから仕事!」

あなたは再びキーボードを打ち始めた。

一方、美咲さんは。

「……専務、許してくれたかな」

画面を見つめながら、頬を赤くしていた。

さくらさんは課長になり、あなたは恋心を隠すのに必死。

そして美咲さんは、誤送信したデートプランのせいで仕事に集中できない。

それぞれの思いが交差する、慌ただしい一日。

けれど、この日をきっかけに、あなたのメールボックスには、少しずつ恋愛関係のハプニングが増えていくことになるのだった。

――次の誤送信は、いったい誰が起こすのだろうか。

そして、さくらさんは。

あなたが辞令を渡したときに、声を裏返らせてまで緊張していた理由に、いつか気づくのだろうか。

彼女は課長の辞令を大切にしまいながら、ふと専務室の方を振り返った。

「……専務。私、もっと頑張りますね」

小さく微笑む、その頬はほんの少しだけ赤かった。